25
双方の親が込み入った話があるからと席を外した。どうせ父がまた、支援金を増やして欲しいとでも媚びへつらうのだろう。あの人の金遣いの荒さは目に余るものだから。
シルヴィアは一人残された部屋で椅子から立ち上がり、窓辺に寄ると外の景色を見つめる。
計算しつくされた景色の美しさに息を零し、一人憂う。
「……帰りたいな」
もう直ぐ試験があるというのにこんな時期に呼び出して、きっとまたレギュラスの我儘に決まっている。
このホテルを指定したのだって、権力を振りかざしたいのだろう。家の格差というものを見せびらかせたいのだ。
いつもそうだ、いつもいつも、あいつは人の嫌がることを分かっていて、平気でけしかけてくる。
思い出すだけでも忌々しい所業に、窓辺に掛けた手に自然と力が籠められ、シルヴィアは下唇を噛みしめた。
そして数分後、その扉は再び開かれた。
シルヴィアは振り返り、目を瞬かせた。そこには、見目麗しい少年が佇んでいたからだ。
(綺麗な、人……部屋を間違えたのね)
白銀の髪に、深緑の瞳。どこぞの婚約者もそんな色彩を持っていたが、似ても似つかない少年にシルヴィアは声をかけた。
「あの、失礼ですが、お部屋をお間違えではありませんか?」
「え! えっと、あなたが……シルヴィアさん、ですか?」
「そうですが……あなたは? どこかでお会いしましたでしょうか?」
「あー、えーっと」
シルヴィアが声をかけた少年は何故か顔を少しだけ紅潮させ、視線をさ迷わせている。
するとホテルマンが口を開く。
「シルヴィア様、レギュラス様がご到着されました」
「そうですか、分かりました。で、彼はどちらに?」
「こちらで御座います」
ホテルマンは顔色一つ変えずに、少年を手で示す。
「………………はい?」
数秒の沈黙後、シルヴィアは笑顔で首を傾げる。
「ほら、レギュラス様。お久し振りにお会いするからと、そんな緊張しっぱなしでは、相手に失礼ですよ」
「い、いや、だって……!」
「ああ、君。後は此方で対応するから扉の前に控えていてくれ」
「畏まりました。どうぞ、および付けの際にはそちらのベルを鳴らして下さい」
ホテルマンがグレンの指示に従って部屋の外に出てしまい、シュベルツは背中を押されて部屋の中に押し込まれ、扉はゆっくりと閉じられる。
「あら、グレン様ではありませんか。何故あなたのような方がここに? これは、一体……」
シルヴィアは、見知った人物がいることに安堵してグレンに声をかけた。グレンとは社交の場で何度か挨拶を交わしたことがある。ただ、この一年は生誕祭を除いて一度も会うことがなかったが。
「お久し振りで御座います、ミス・シルヴィア。本日は、レギュラス様について回るよう公爵閣下から任を命じられました故、ご同伴お許しくださいませ」
「……そうでしたか、私は構いません。それで……あの、レギュラスはどちらに? そちらの方は?」
「えっと、俺……あ、ぼくは」
「ほら、レギュラス様、ちゃんと挨拶してくださいよ。なんですかのその、初めての恋を自覚したみたいな態度は」
「こ、こっこっこ! こひ!? え、恋!?」
「ほら、早く」
いい加減にしろと、グレンに再び背中を押され、今度はシルヴィアの前に移動させられる。
「ん……んんっ、れ、レギュラス。レギュラス・フォン・アッヘンヴェルバッハです。今日は、お忙しいところ、この様な場所に御足労いただき、ありがとうございます」
「あなたが――、レギュラス?」
「は、はい」
自らをレギュラスだと自称する綺麗な少年は、困った様に頷く。その様子にシルヴィアは、強く強く、こぶしを握り締める。
「……なにかの、御冗談ですか?」
美しい黒髪の少女は悲痛な面持ちを浮かべ、そう問い掛けた。
「また、私を、からかっているのですか? こんなお遊びをする為に、私を呼びつけたのですか? 今の、この時期に?」
「し、シルヴィアさん?」
「巫山戯ないで――ッ!!」
シルヴィアは声を震わせて大声を放つ。
「グレン様、ご説明を」
「ミス・シルヴィア、落ち着いて下さい。きちんと説明しますから」
「これが、落ち着いてなどいられましょうか? こんな、こんなッ!」
「落ち着いて話をお聞きください、先ずは席に座りましょう」
「……っ!」
グレンに促され、二人は対面する形で席に着く。
美少女の突然の激怒に、シュベルツは物凄く焦った。
(これは、一体全体……)
扉を開いた先に現れた、濡れ烏のような艶やかな黒髪に、赤紫色の瞳を持つ美少女にシュベルツは一目で恋に落ちた。
こんな美しい人がこの世に存在しているのかと目を疑ったほど。
一瞬で世界が生まれ変わるような、今まで視ていた景色がより鮮明に輝いて見える様な。言葉にするとなんてありきたりな表現なのだと言われそうだが、まさに、そのまさかだった。
口の中はカラカラと渇くし、気分は浮上し、心臓はずっとバクバクしている。この部屋ちょっと暑くない? ああ、うん暑くないんだ。
グレンが咳払いを一つ零して、言葉を続ける。
「レギュラス様が領地で謹慎を言い渡されたことは、シルヴィア様も御存知ですよね?」
「……ええ」
「実はこの一年間、レギュラス様は公爵閣下の命により、領地にて再教育を受けておいでだったのです」
「再教育……ですか?」
シルヴィアはシュベルツに訝しんだ視線を送る。だから、ついシュベルツは背筋を伸ばして、姿勢を正してしまう。
「では、どんなことを成されておいででしたの?」
「それは勿論、体型の改善、日々の減量から実技、マナーもきっちり教えさせて頂きました」
「……その言い方、まさかグレン様が?」
「お察しの通りで御座います。レギュラス様は、今までのご自分の態度を見つめ直し反省し、性格も改め、体重の減量にも成功しました。ね、レギュラス様!」
「は、はい! その、今までの俺はとんだ恥知らずで、他人を鑑みることもしない本当に傍若無人というか、もう失礼極まりない無礼者で」
今まで聞いた本物のレギュラスの悪行を思い出しながら、シュベルツ自身怒りを覚えながら身に覚えのない謝罪を口にする。
予想はしていた。きっと婚約者である女性に対しても、悪事を働いていたのだろう。だからこそ、彼女はこれ程までに怒っているのだ。
(こんな綺麗な人に、何をしたんだ。レギュラスの野郎~!)
羨ましい、ズルい、いいなぁ。
これ程までに綺麗な人が婚約者だというのに何が不満なんだ。なにが。
「謝って済む問題ではないと、重々承知しております。ですが、今までの無礼を、どうかお詫びさせてください」
シュベルツは立ち上がり、深々と頭を下げた。
今の自分にはこんなことしかできない、本当に惨めだと、シュベルツは唇をかたく結ぶ。
「今日までの数々の無礼をここに謝罪致します。誠に申し訳ございませんでした」
「なっ、何を、今さらッ」
「許して頂けるとは思ってはおりません。ですが、どうか、機会を頂けるのであればこれからの俺を、君に見ていて欲しい」
「……!」
「今は、それしか、出来ないから」
声が震えてしまう。こんな言葉だけの謝罪で相手が納得するとは到底思えないが、それでも今のシュベルツに出来るのはたったこれだけだ。多分きっと、これからもずっと。
先ずは周囲との関係を修復し、自由行動を許されるまでの信頼を勝ち取ることが優先事項。
それから、やっぱり。こんなにも綺麗な人に、悲痛な表情を浮かべて欲しくない。先程グレンに指摘された通り、シュベルツは彼女に一目で恋をした。
恋とは落ちるものだとよく言ったものだ。
「顔を、お上げになって……」
シュベルツは垂れた頭をあげ、シルヴィアの姿を瞳に映す。少女の表情はやはり、悲痛に満ちており、唇を噛みしめていた。
「……やっぱり、まだ。信じられません」
「……っ」
力ない声が少女の唇から呟かれる。
(そうだよ、な。こんな奴が今更反省したところで、納得なんて、無理だよな)
分かっていた。物事が簡単に運ばれることがないことを、『レギュラス』になる前からよく分かっていた。
けれど、次に彼女が発した言葉にシュベルツは胸を強く打たれた。
「――あなたのような方が、レギュラスだなんて……信じられない」
戸惑う様に、シルヴィアはそう告げた。
だって、そうじゃない。今まであの人が私に、私だけじゃない、他人にこんな風に頭を下げて謝罪するだなんてことは一度たりともなかった。
正直、容姿だけでも相当混乱しているというのに、性格までこんな風に改善されてしまっては、理解が追いつかない。
「少し、あの、考える時間を……下さりませんか?」
「俺は別に、構いませんけど……」
シュベルツはそろりとグレンに視線を送る。
「ミス・シルヴィア。申し訳ございませんが、時間に限りがありますので、食事会の後でもそれは出来ますね?」
「……えぇ、そうですね。少々混乱していて」
「公爵の方は時間が掛かるそうですので、先にお二人を会場まで案内させましょう」
笑みを崩すことなくグレンは、ベルを鳴らしホテルマンを呼びつけ会場に移動する。
(さっきのあの部屋で食事会するんじゃなかったのかー……)
先程の部屋はただの待合室だったらしい。あんな豪勢な待合室があるだなんて、知らなかった。
シュベルツは案内された会場と言う名の、だだっ広い中庭に、「わぁ、お広い」と言う感想を零した。
青々と生い茂る木々のせせらぎに、透き通った池には風が波紋を浮かべ。緑の芝生に、色とりどりの花々。所々に置かれる上品な置物たち。それらを見渡せるスペースに白いテーブルと椅子が置かれたここが、庭。
もう一度言う、ここが中庭だ。またの名を庭園。
「ほら、レギュラス様。会話」
席についても始終無言なシュベルツに対してグレンは肘でつついてくる。それを鬱陶しく思いながら、意を決して話しかける。
「あ、あの、シルヴィアさん!」
「なんでしょうか?」
「いっ! 良いお天気ですね!!」
「そうですね」
「は、はい……そうですよね」
会話終了。シュベルツは顔を真っ赤に染めて俯き、シルヴィアは凛とした表情を崩さず。グレンはニッコリと微笑み、固まった。
けれどグレンは諦めない、シュベルツにもう一度ちゃんと会話をするように小さな声で呼びかける。再びせっつかれ、シュベルツはシルヴィアに話しかける。
「あ、あのシルヴィアさん!」
「はい、なんでしょうか?」
「す、好きな食べ物はなんですか!?」
「……初めてね。あなたが、私に好みを訊ねるだなんて」
「え……?」
「ベリーとグレープが好きですわ」
「そ、そうですか」
再び会話が終了した。今度は気まずい雰囲気を残して。
シュベルツは頭を抱えて落ち込み。グレンは愛弟子の不出来さに頭を抱えた。
(なんてことだ……レギュラス様、そんな、ベッタベタな出だしなんて。恋愛経験ゼロですか? ゼロですよね、これ!)
この調子じゃいけない。グレンは少しレギュラスと席を外して、場を整えようと思ったが、シルヴィアが少しためらう様に口を開く。
「あなたは……」
「は、はい!」
「レギュラスは、今、何が好きなの?」
少し首を傾げ、黒い髪が揺れる。そんな彼女の仕草と発言にシュベルツは心拍数を高めた。
「す、すす好きって、食べ物の話ですか?」
「そうだけど?」
「ええっと、俺の好きな食べ物は……クレープ、です」
「くれーぷ?」
「あ、れ? 知らないんですか?」
嘘!? 俺故郷に居た時は食べてたよ。自分でも作ってたし。近隣の村でも普通に露店があったんだよ。
「初めて聞く食べ物だわ」
「あー、じゃあガレットは分かりますか?」
「いいえ」
「うーん。ガレットは小麦と卵と、牛乳、水とを混ぜ合わせたものを薄く広く焼いて、その生地で野菜や肉、チーズを包んで食べる……一般家庭料理?」
「そんな料理があるの?」
「多分、カローナ地方では結構有名と言うか」
「カローナ……たしか、エンゲル=ベルト男爵が治めている?」
「そうそう、エンゲル=ベルト男爵が治めている」
その人ならば知っている、昔に領地視察で村に来てくれた人だ。村長に頼まれてその人の馬の世話をしたのも懐かしい。馬が酷く俺に懐いちゃって、別れが寂しくて泣いたほどだ。
会話が良い感じに弾んでいると、準備が整いましたと料理が運ばれてくる。色とりどりな料理は言わずもがな絶品で、シルヴィアさんも気に入ったのか料理の感想を互いに伝えながら、それはもう楽しく食事が出来たと思う。
食後の紅茶を続けなら、シュベルツは会話を弾ませるよう努力した。
「そうだ。シルヴィアさんって学園に通ってるんですよね?」
「……ええ、そうですわ」
「学園って……今はどんな感じなのかなーって」
今と言うか、全然学園なんて知らないから少しでも情報が欲しい。できればどんな学園生活とか、何を勉強するとか、欲を言えば『レギュラス』が何をやらかしまくったとか。
「……そうね、あなたが学園を去ってから、至って平和よ」
「あ、はい」
なるほど、そうきたか。確かにその通りだ。予想できるぞ。
「それに今は進級試験を控えているから、学業を疎かに出来ない大切な、本当に大切な時期なの。まぁ、学園を去ったあなたには、関係のない事だけれども」
「……え。進級試験って」
「なに?」
進級試験。聞いた話によれば、それに合格しなければ次の学年に上がれないという、大事な試験。ケルヴィンさんに試験の中でも、進級試験と卒業試験だけは絶対に手を抜いてはいけないと言い聞かせられた試験。
シュベルツは顔をさっと青ざめさせた
「そんな大事な時期に……だ、大丈夫なんですか?」
「さぁね、どうかしら? でもこれで落ちたらお笑い種よね」
いや、それ。全然ワラエナイ。
「すみません、そんな大事な時に……父がご迷惑を」
「……あなたじゃないの?」
「なにがでしょうか」
「てっきり今日もあなたの我儘で呼び出されたんだとばかり」
「今の俺にそんな資格はありませんから」
ここ一年ずっと公爵の指示に従ってたようなもんだから、自由なんてないし。我がままなんてそんな他人の親に恐れ多い。
「……そう」
シルヴィアは少し目を伏せたあと、庭園の風景に視線を向ける。
「綺麗な場所ね」
「え、はい、そうですね」
つられる様にシュベルツも庭園を見る。
「よければ、お二人で園内を散策されてはどうでしょうか?」
グレンの助言を受けて、二人は席を立ち湖の周りを歩き出す。けれど、先程の様に会話はなく。シュベルツは隣歩く彼女を盗み見た。




