21
「おい、グレン!」
「おお~ケルヴィン。どしたー?」
「今日のアレはなんだ!?」
夜遅く、廊下ですれ違ったケルヴィンは眉間に皺を普段よりも三割増しで怒鳴り声を上げる。
「どうどう、声押さえて。今日のアレって女装の件? いやー楽しかったよな!」
「どこがだ!」
「ケルヴィンもやってみるかい?」
「やらんわ!」
「えー、似合うと思うんだけどなー」
「似合うか!」
「レギュラス様にも着せてみようかなー……なーんて」
「……どう言うつもりだ」
ケルヴィンは一向に苛立ちを隠さずに問い詰める。
グレンは視線を少しさ迷わせた後、観念したように口を開く。
「どういうって……まぁ、なんだ。思い出作りだよ、思い出作り。ここを出たらさ、目まぐるしく環境も変わって息をつく暇もないだろ? 学園生活なんて尚更だ。あそこは息が詰まるから。だから、そんな時に、ここでの楽しいことを少しでも思い出せたらいいかなって……」
「フンッ……心底くだらんな」
「なんだよっ、お前だってレギュラス様揶揄うの、すっごく楽しんでた癖に!」
「お前と一緒くたにするな」
「はいはい、わーっかりました! もうしませんよっ!」
グレンはこの話はこれでお終いだとケルヴィンの横を通り過ぎる。背を向けて数歩歩くと、背後から意外な言葉を投げかけられた。
「私に害が及ばないのであれば、問題はない」
静まり返る廊下で、はっきりとその言葉は聞こえ、グレンは足を止める。
「……え?」
「私はお前の言う娯楽を理解することはできない。が、お前やレギュラスにとって己の人生を豊かにする財産となるのであれば、常識の範囲で取り組めばいい」
「……」
あまりにも意外な、ケルヴィンらしくない言葉にグレンは振り返り、目を瞬かせ、言葉を失くす。
「……なんだ、その顔は」
「あ、いや……意外過ぎて。お前にそんなこと言われたのって初めてだし。ほら、いつも俺がバカやるとさ。冷めた目で見てきたり、お小言言われたり……そんなんばっかりだったじゃん?」
「学生時代は教師にお前の面倒を押し付けられたからな。私の最高だった評価をお前は著しく下げ続けた」
「それでも、いつも学年トップの成績だったじゃーん!」
――二人がまだ学生であった頃。
問題児の一人であったグレンを諫める様に、成績優秀者であった特待生のケルヴィンは教師にそう言いつけられた。そして事ある毎に組ませられ、様々な厄介事に巻き込まれた。
問題が起こる度に監督不行きだと、ケルヴィンの評価も落とされ、その下げられた評価を挽回するために睡眠を削ってまで高評価な論文を作成して常にトップに君臨し続けた。
「お前は私の忠告を悉く無下にした。その結果があの様だ。随分と、みすぼらしかった」
グレンは濡れ衣を着せられ、窮地に立たされた。あの事件が人生最大の修羅場であっただろうとグレンは情けない表情を浮かべる。
「アッヘンヴェルバッハ公が動いていなければお前はあのまま、死刑だっただろうな。よく、命拾いしたものだ」
「……うん。公爵閣下には言葉に言い表せぬ程の恩義を今も感じているよ。だからこそ、今回の任を引き受けたんだ」
嫡男であるレギュラスの再教育という任を、二つ返事で承諾した。
そしてそれも、もうすぐ終わりを告げる。
「なぁ、ケルヴィン。あの時言えなかったけど、俺はお前にも感謝してるんだ」
「お前に感謝される憶えなど無い」
「あの時もそう言ってたよな。でも、知ってるんだぞ。アッヘンヴェルバッハ公に、お前が掛け合ってくれたんだろう?」
「……」
「無言は肯定。公爵が教えてくれたんだ。礼ならば君の一番の友人に伝えるといいってね」
最初は疑った。自分を毛嫌いしているあのケルヴィンが、アッヘンヴェルバッハ公爵などと言う雲の上の人物に話を持ち掛け、自分を助けるように進言したなどとは思えなかった。
だが、あの事件以降。グレンへの接し方を一切変えなかったのはケルヴィン唯一人であった。
教師は勿論、今まで共につるんで悪さばかりしていた悪友たちは手のひら返しで余所余所しくなったが、ケルヴィンだけは違った。
いつもの小言と誰にも向ける冷めた視線、そして耳にタコができるほどに聞いた忠告。
煩わしいと思っていた彼のような存在が、掛け替えのないものなのだと知った。
「公爵だけじゃない。俺の命の恩人は、ケルヴィン。君もだ」
大人になった今だからこそ、分かることもあった。誰かを叱り付けることはとても体力を必要とするもので、興味のない人に対して人とは常に無情なものだ。
だからこそ根気よく叱咤してくれた友人は、素晴らしい存在なのだと。
「勘違いされては困る。私は無駄な事が心底嫌いだ。あの事件は無駄以外の何者でもない。学園生活の重大な妨げだ。授業進行にどれほどの影響を及ぼした事か。よって、早急に沈下させる必要があった。ただ、それだけだ」
ケルヴィンは早口で言い捨てて、速足でその場を去ってしまう。
「なるほど、実に君らしい」
グレンは肩をすくめて喜んだ。
「だから俺も、お前を見習って努めてるよ。二度と俺みたいに馬鹿な真似をする奴がいないように……ってさ」
かつての自分よりも問題児だというレギュラスの再教育。学園卒業後、すっかり会うことのなかったケルヴィンも同じ任を受けたと知った時は、驚きと同時に納得した。彼ならばきっとこの任をやり遂げてしまうだろう。
久しぶりに会った旧友は、人の顔を見るなり物凄いしかめっ面を浮かべ。相変わらずの皮肉を口にしてくれた。
それが学生だった頃とあまりに変わっていなくて、きっと面倒見の良さも変わっていないのだろうとすぐに察せた。
(俺はな、本当に感謝してるんだ。あんな俺の為に手を差し伸べてくれた皆に――)
懐かしい記憶を思い出す。
無実が証明され牢獄から出ると、再び学園生活を送ることとなった自分に、周囲にいた友人は全員離れて行った。勿論互いを親友だと認めてあった友人もだ。みんながみんなよそよそしい。
話しかけても適当にあしらわれ、周囲の変化に戸惑った。
でも、これが当然の結果なのだとやるせない笑みを浮かべるだけの日々。
――だが、アイツだけは違った。
『おい、グレン。この能無し野郎』
いつもの挨拶という名の罵倒。慣れっこだ。
「……なんだ、陰険ケルヴィンじゃないか、俺に何の用だよ」
『貴様の腰巾着どもはどうした』
「残念なことに、触らぬ神に祟りなし……誰も近寄ってなんかくるもんか。どうだ、笑えるだろう?」
『……微塵も、笑えんな』
「嘘つけよ、お前の大嫌いな俺がこんな惨めな目に遭ってるんだぞ? さぞや気分が良いことだろうさ!」
自暴自棄だった。結局は上辺だけの付き合いしかしてこなかった友人関係にも、自分を見捨てた家族にも怒りを覚えたが、なによりそんな薄情な関係しか築けなかった己に腹が立って仕方がなかった。
空っぽだった。自分には何もない、ただの親の爵位を借りていただけの狐に過ぎなかったんだ。
だからいっそ、誰かに嘲笑って欲しかった。罵られた方が百倍マシだった。
『私は心底無駄が嫌いだ。簡潔に言ってやる。これはお前が休んでいた間の授業の資料と、提出物一覧、今後の授業予定だ』
「………………はい?」
『最近授業をサボっているようだが、この教科だけは絶対に出ておけ。進級出来なくなるぞ』
「……え、あ。うん? どうも?」
両手にどっしりと紙の束と本を乗せられ、その重さと言われたことに思考が追い付けない。
『何人かの講師は今回の騒動で延期になった授業の補習を行うらしい。これはその予定表だ』
「あんさ、なんなの?」
『なんだとは、なんだ。この鈍間』
「いやいや、だって。可笑しいだろ?」
『なにも可笑しいことはない……いや、訂正しよう。可笑しいのは貴様の頭だ』
「ちげーよ! そうじゃなくて、なんで……」
――周りのみんなは距離を置いているのに、なんでお前は俺に普通に話しかけてんだよ。
「知ってるだろ。俺が……親から見放されたって。もう俺には、なにもないんだっ」
こんな俺と一緒に居たって、なんの得なんてありはしない。
今回の件で身に染みて分かった、自分がどれほど愚かだったか。
「だから俺は、これから大人しくして――」
『次は悲劇の主人公気取り……か。負い目を感じ続けるとは貴様にしては随分とご立派だがな、それが贖罪になるとは勘違いも甚だしい。本当のゴミに成り下がるつもりか? 目立ちたがり屋のお前が?』
貶しに来たのか、励ましにきたのか。ただ、彼の言葉は正しかった。
腫れ物に触るような大人たちの言葉よりも、彼の言葉の方がいっそ清々しい。
『それと、私のお前に対する評価は最初からマイナスだとも、今さら態度を変える気など無い』
「……なんだ、それ」
『私は私のやるべきことをやっているだけだ。やっぱりな、貴様との会話は実に無意義。普段と何ら変わらん』
変わってしまった環境の中で、ケルヴィンだけは変わらなかった。
そのことが嬉しくて、恰好よくて、羨ましいと思った。今まではただの口煩い奴だと思っていたが、その口煩さに今は救われている。
「なぁ、ケルヴィン。あのさ」
『蛆虫と交わす言葉などない、さっさと課題を提出してこい。忌々しいことに、教師から何故か私のところに催促がくる』
「――……っぶは! なにれそ、ウケる!」
あの時から、窮屈で退屈だった学園生活が以前よりも明確に、楽しくなったんだ。




