12
領地に帰省する日まであと二日。コンコンと部屋の扉をノックされ、最近よく足を運んでくれる小さな客人を部屋の中に招き入れる。
「グレン! レギュラスお兄様!」
ローズブロンドの長い髪をなびかせて、少女は明るく挨拶をした。けれど扉を開けた際の不思議な光景にエリアスはこてんと首を傾げる。
「あ、エリアス様。いらっしゃいませ。今日はどう致しましたか?」
「まぁグレン、何をしていらっしゃいますの?」
「柔軟体操ですよ、エリアス様」
「ギブギブギブッ! 痛い痛い、いたたたた! 関節外れる! 外れちゃう!? え、これ外れてない? ぎゃああああ――!!」
「大丈夫! もう少し! 残り三十秒!」
「嘘っ!!? さっき残り十秒だってええええ??!」
シュベルツは痛みに悲鳴上げ、実際身体もぎしぎしと音を立てており。グレンは顔面に貼り付けた笑顔を剥がすことなく。エリアスはあまりの出来事に目を白黒させ、侍女は見てはいけませんと慌ててエリアスの目元を隠した。
「お見苦しいものをお見せいたしまして、申し訳ございません」
「全くです! エリアス様になんてものを見させるのですか!」
シュベルツは先程まで解された身を縮こませ侍女に怒られていた。
なんで俺だけ怒られているんだろう。シュベルツは元凶たるグレンを見やる。グレンはエリアスお嬢様とそれはそれは仲良さげに笑みを交わして楽しそうにしている
「お話聞いていますか!?」
「はい、スミマセン。聞いてます」
「事前にエリアス様が来訪すると連絡しましたよね!」
「……はい」
その話し、柔軟体操する前に突然聞かされたんですよ。グレンさんが、「エリアス様が来るまでに柔軟やっときますか!」なんて言って無理強いしてきたんですよ。
というか、この侍女さんレギュラスに対してすっごいものを言ってくるぞ。珍しいな。
なんでも先月からこの屋敷に勤め始めたらしい。それならばレギュラスの噂に恐れをなさないのも頷ける。
「ロゼ。喉が渇いたわ」
「はい、畏まりました。お嬢さま」
ロゼと呼ばれた侍女は慣れた手つきでお茶の用意を始めた。
「それにしても災難でしたね」
「アンタが言うのか、アンタが」
「どうどう」
グレンさんの足を蹴ってやろうとしたが、あっさりと避けられ睨みを利かせることしかできない。なんでこっち見てなくて、しかも女の子を抱っこしながら避けれるんだろう。
多分絶対、後ろに第三の目があるに違いない。
「お兄様。今日はなにをお作りになるの?」
「ええっと、昨日の続きだよ。ほら」
エリアスは籠の中に置かれた編み掛けのレースを見て、完成が楽しみだとシュベルツに笑いかけた。
「ふふっお兄様ったら、だいぶお変りになったわ。なにかありましたの?」
「いや、別に。特に何もないけど」
「わたし、夢みたいなんです。お兄様とこんな風にお話が出来るなんて……ほんとうに。わたし、ずっと、お兄様と仲良しさんになりたかったの!」
「そんなに?」
「そうですわ! お兄様はわたしたちが一瞬でも視界に入ればいつも怒鳴り散らしていたではありませんか!」
「あ、ああ。うん。そうだっけかなーそうだったのか……その節はごめん」
なにをやっていたんだ、レギュラス。
シュベルツはエリアスの口から語られるレギュラスの悪行の数々に頭を抱えた。こんな愛らしい妹の大切なぬいぐるみや両親からの贈り物を壊したり、出会い頭には挨拶の代わりに暴言を吐き、弟と妹に関する悪評を周囲にばら撒いたりときりがない。
「本当に、申し訳ございませんでした」
本人でもないのについ本人の代わりに謝罪をしてしまう。仕方ないじゃないか、この体はレギュラスのものなんだから、本当にさ。
「だから、だからっ! わたし、お兄様と他愛もないお話が出来ることが本当にうれしいのです!」
「……そっかぁ」
興奮したエリアスの頭をシュベルツは優しく撫でる。
(ごめん、ごめんな。俺はレギュラスじゃないんだ)
シュベルツは心の中でもう一度謝る。ウソをついて騙していることへの謝罪、一時の夢を見させてしまっていることへの謝罪。謝り出したらきっと、きりがないだろう。
「お兄様が優しくなって下さって、わたし、とってもうれしいの! 沢山、沢山、お話ししましょうね!」
シュベルツが作業に没頭している横で、エリアスはシュベルツの手先に夢中になっている。
彼女がシュベルツに問い掛けた、「なにかあったか」という言葉。本当は色々、そりゃもう語りたいのに語れない程のことが我が身に降りかかっている。が、真実を語ろうとすれば口が縫い付けられて話せない。
「実は君のお兄さんの中身が平民の出の者と入れ替わっているんだよ」。なーんて、言えるわけもなく。目をきらきらと輝かせる愛くるしい少女に複雑な思いを抱く。
一昨日来た時はうさぎの編みぐるみを持って来てくれてその後は大泣きして、昨日来た時はグレンさんにベッタリで、怯えていた子が打って変わって今日は興味津々と言わんばかりにシュベルツの手元をジッと見ている。
手に穴が開くのではないかというぐらい見られた。
「お嬢さま、そろそろお戻りになりませんと……」
ロゼは時計の針を確認しエリアスに声をかける。エリアスは名残惜しそうにしながらも椅子から立ち上がり、シュベルツに振り返る。
「わかったわ。お兄様、明日も来てよろしいですか?」
「え? 別に、いいけど。ね、グレンさん」
「ええ、構いませんよ」
「グレン様。今日のようなことがないようにお願い申し上げますわ」
お嬢さまにあのような見苦しいものを御見せになられませんよう、十分なご配慮をなさいませ。
「ええ、承知いたしておりますとも」
侍女ロゼの鋭い視線をものともせず屈託のない笑みを浮かべるグレンに。シュベルツとロゼはジト目を送り、互いに肩をすくめた。
部屋を去るエリアスを見送り、シュベルツは肩が凝ったと再び椅子に腰を掛ける。
「エリアスって手芸とかに興味があるのかな?」
「刺繍の練習をしていると聞いていますよ。淑女の教養ですから」
「へぇ」
だからあんな熱心に。食い入るように見ていたのか。
まぁ、明日の夜には領地に戻る身だ。気にしても仕方がない。シュベルツは編み物を籠に戻し、ケルヴィンに出された宿題に取り掛かった。
十六日間の滞在というものは過ぎてみれば早いもので、シュベルツは既にまとめられた荷物を見下ろした。朝食をとっていた間に使用人たちがまとめてくれたようだ。
息が詰まるような休暇で、この地に名残惜しさなど一切感じない。
実は領地に戻る日程が早まり、今日の夜に立つはずが朝食後直ぐとなってしまったのを寝起きに聞かされ使用人たちが大慌てて荷造りをしてくれたのだ。
「レギュラス」
「あ、ケルヴィンさん」
昨日の晩ロードンと入れ違いで戻って来たケルヴィンは、荷物を運び出すから入り口を塞ぐなとレギュラスを端に移動させる。続いてグレンも入ってくるなり、荷物を持って部屋を行ったり来たりと忙しそうだ。
「ケルヴィンさんは手伝わないんですか?」
「私はお前の見張りだ」
「なるほど」
「……なにか」
「はい?」
「なにかやっておくべきことはあるか?」
「……いえ、なにも」
「そうか」
もう行くぞ。ケルヴィンはそう言ってレギュラスを部屋から連れ出した。
随分と見慣れた階段を下り、ホールを抜け外に出て馬車に乗り込もうとしたその時、後ろから声を掛けられた。
「お嬢さま! お待ちください! 立派な淑女は走ってはなりませんわ!」
「レギュラスお兄様っ!」
追って来たのはエリアス本人で、侍女の言葉など振り払い一目散にレギュラスに駆け寄る。防寒具を身に纏わず着の身着のまま出てきたのか、後ろで侍女が声を荒げて忙しそうだ。
「もう、もう領地に戻ってしまわれるのですか! 約束しましたわ、今日もお話ししましょうって!」
「えー、うん。ごめんね、約束守れなくて。俺も急に変更になったのを今朝聞いてさ」
「もっとこっちに居てくださいませ! ね、お兄様。お願い!」
「公爵……父上が決めたことだから」
「なら、わたしがお父様にお話ししますわ! 必ず、お父様を説得して見せますからっ!」
エリアスはシュベルツの服にしがみ付き、頭を横に振るう。
「エリアス……」
「やっと、やっと仲良くなれたんです! なのに、こんなの……そうだわ。わたしも領地に戻ればいいんだわ! ロゼ! 荷造りしてちょうだい!」
「なりません、お嬢さま」
「どうして!」
「エリアスお嬢さまは王都で学ばなければならないことが山ほどあるのです。旦那様も奥様も、今お嬢さまが領地に戻ることを絶対に許されることはないでしょう。いまはそれだけ、大事な時期なのです」
「……!」
はっきりと言い切ったロゼの言葉にエリアスは悲痛の表情を浮かべた。
それでも尚引き下がらないエリアスに、シュベルツは馬車に先に積んでおいてもらった編み物籠の中から、白銅色の肩掛けを取り出して少女の小さな肩にそれをそっと羽織らせた。
「わっ」
「寒いだろ。エリアスには大きすぎたかな?」
自分用にと作った肩掛けは幼いエリアスには大きすぎたのか、膝丈までしっかりと覆い隠してしまう。
「これ、お兄様が?」
「うん」
「すごい……!」
エリアスは感嘆の声を上げ、それからポツリポツリと喋り出す。
「わたし、お裁縫が苦手なの。でも物を作るのが本当は好きなのよ! お母様もあまりお上手ではなくて教えてくださらないし、先生も簡単な刺繍だけ出来ればいいと編み物のたぐいはやらせてくださらないの」
「うん」
「だからお兄様の手が魔法みたいで、とても感動して……わたし、嬉しくって」
――ああ、これ以上はだめだわ。
少女は心の中で自身を叱咤する。
目を閉じて鼻をすすり、エリアスは呼吸を整える為に白い息をゆっくりと吐き出した。そして睫毛を震わせながら瞼を持ち上げて再び目を開く。
「わがままを言いました。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
「エリアス?」
打って変わった抑揚のない声に完璧な微笑、シュベルツは少女の急激な変化に驚く。
「わたしはもう大丈夫ですわ。道中お気を付けくださいませ。レギュラスお兄様」
――そうよ。これでいいのよ。わたしはアッヘンヴェルバッハ家長女、エリアス・フォン・アッヘンヴェルバッハ。はしたない姿はこれ以上見せられない。見せちゃいけない。
普段ならば思っても声に出さなかったのに。
あぁ、今日のわたしはなんだか、変だわ。
本当に……。
思っていることと全く正反対の言葉がこんなにもすらすらと出てくる。その苦笑ですら、顔に貼り付けた笑みで隠せてしまう。
だが、そんな彼女と違ってシュベルツの面持ちは真剣な物へと変わる。
「エリアス」
「はい。なんでしょうか」
笑みを絶やさない少女にシュベルツは両の手を伸ばし、持ち上げ、そのまま抱きかかえた。
「え、きゃっ!」
「レギュラス様!?」
「お嬢様!」
エリアスは小さく悲鳴を上げ、周囲の使用人は突然の事態に声を上げた。そんな周囲の様子を無視してシュベルツはエリアスに問い質す。
「わがままってなんだ」
「な、なんでも、ございませんわ。本当に……なんでも」
「君が兄と話したいと思うことか? 君がもっと裁縫の勉強をしたいと思ってることか? 君がもっと、母親に構ってほしいと思っていることか?」
「――ッ!」
「そんなことはわがままじゃない! わがままなんて言わない! 当然のことだ!」
少女の身体を抱きしめ、強い思いを込めてシュベルツは自分の言葉を伝える。
「親に構ってほしいと思う子どもなんて、全然、我がままじゃないんだ。当たり前の感情だ。やりたいことがあるんだろう? なら諦めなくていい、君みたいなまだ幼い子が、そう簡単に夢を諦めるなんてことはしなくていいんだ!」
「いけませんわ……なりませんの。わたしは、アッヘンヴェルバッハ家の長女なのですからっ」
「だからなんだ! 長男のレギュラスだって散々やらかしてるんだ! 今更君がなにかやらかしたって、可愛いものさ! そうだろう!?」
シュベルツは周囲に佇む使用人に声を掛ければ、曖昧な返事だが、「まぁ、少しは……」と、なんとも頼りない答えだが返って来た。
「ほら、見ろ! 貴族には貴族の役割がある。俺も勉強中の身だが、理解はしている。だけど、君はまだ十歳の女の子だ。君ぐらいの年の子の我がままなら、俺は大歓迎だ! 約束しよう。話しがしたいならキャンベルから君に手紙を送ろう。エリアス、約束だ!!」
「やく、そく」
「そうだよ。もし俺が領地から王都に戻れたら、一緒にレースを編もう。俺も教えてあげるから、エリアスも頑張って勉強しよう!」
「でも……」
「ケルヴィンさん! グレンさん! いいですよね!?」
突然話を振られた二人は、やれやれと言わんばかりに口角を上げている。
「ええ、構いませんよ。もともとカリキュラムが無事終われば、公爵はレギュラス様を王都に呼び戻す予定でしたから」
「手紙の方は私が公爵に言及しよう」
「ほらな!」
二人から色よい返事が聞け、シュベルツはエリアスに振り返る。
「良いのですか?」
「いいんだ!」
「本当に?」
「本当だ!」
「わ、わたし……夢みたいっ」
「夢じゃない!」
シュベルツはエリアスを目の合う高さまで抱え直し、目が合うと、同時に笑い合った。額を互いに合わせて、言葉を交わす。
「お手紙、たくさん書きますわ! だからお兄様もお手紙いっぱい書いてくださいね!」
「勿論だ!」
「うん!」
その光景は兄妹の仲睦まじいもので、多くの使用人は二人の様子に目を見開いて驚いた。
普段ならば聞き訳の良いエリアスが我がままを零した事も、あの狡猾なレギュラスが誰かに優しくし、あまつさえ半分とは言え血の繋がった妹を抱きかかえているなんて。
まるで信じられないものを見たと、どよめき。そのどよめきはあっと言う間に屋敷中に広がることだろう。
シュベルツはエリアスを地面に降ろして、指切りを交わす。
「あ、そうそう。因みに、カリキュラムの方はあと四ヶ月ほど残っておりますので」
仲睦まじい光景に水を差したのは、あっけらかんとした表情のグレン・ヴェスマ。
「え?」
「えっ!」
「お、お兄様?」
「だ、大丈夫! 兄ちゃんがんばるから!!」
「兄ちゃん?」
「しまったあ! つい!」
つい素で自分のことを「兄ちゃん」と呼んでしまった。
今まで気を付けていたのと、双子の兄妹はあくまでも他人だと思い込んでいた為にボロを出さずに済んでいたが、ひょんなことから気が緩んでしまった。
シュベルツはいつの間にか彼女を自分の妹のように扱ってしまったことに、慌てて口を塞ぐ。
ここ数日、彼女と接する度に故郷の弟と妹たちを思い出しては枕を濡らしかけていた。特に思い出していたのは、気弱な四男のルカと男気に溢れる次女のジュディ。
ルカとジュディは、ジークとエリアスと同じく双子で、年も同い年。
だからだろう、あまり関わらないようにと努めてきたが、そう上手くいかなかった。関わりがある度に、故郷の家族が脳裏に色濃く浮かびあがってしまう。
シュベルツが自分の発言に悔いている一方で、エリアスは頬を紅潮させ嬉しそうにシュベルツを見上げる。
「お兄ちゃん! なんだが、本当に仲の良い兄妹みたいだわ! わたしの友人のアリシアがね、そのように呼んでいたのよ! わたしも、お兄様のことをそう呼んでもいいかしら?」
「あ、ああ。勿論、構わないけど」
「ふふっ! お兄ちゃん!」
エリアスはシュベルツの手を取って喜びを隠さない。シュベルツは、まぁ大したことはないかと一人納得し、首を縦に振るう。
「レギュラス様そろそろ」
「あ、ああ。じゃあ、またな。エリアス」
「はい! そうだわ、これはお返ししますわ」
エリアスは肩掛けを脱ごうとしたが、シュベルツは首を横に振るう。
「待って待って、寒いだろ? あげるよ」
「え……でも、よろしいのですか?」
「ああ」
「あ、ありがとうございます!」
シュベルツは笑顔の絶えないエリアスに見送られ、王都を後にした。少しの名残惜しさを感じながらもシュベルツは、振り返ることなく今後の事を考える。
強制性格更生学習計画はあと四ヶ月で終わる予定だと先程聞かされた。順調にいけばの話しだが。
「グレンさん」
「はいはい、なんでしょうか?」
「学習計画が終わったら王都に呼び戻すって」
さっき言ってましたよね。初耳なんですけど。
そう問い掛けても、グレンさんはいつものしれっとした表情を浮かべて教えてくれる。
「ええ、レギュラス様に初めてお伝えしましたとも」
「王都に戻ったら俺はなにをするんですか?」
「さぁ? もう一度学園にでも放り込まれるのでは? な、ケルヴィン」
「お前の減量が成功した暁には婚約者と顔合わせをさせたいと公爵は言っていたな」
「へぇ、婚約者に……こんやくしゃ? 誰の? ケルヴィンさんの?」
なんでケルヴィンさんの婚約者と俺が顔合わせないといけないんだ? そんな風に首を傾げているとケルヴィンさんの睨みが凄くなった。
「馬鹿か。お前の婚約者に決まっているだろうが」
「俺の?」
へぇ、俺の婚約者にって…………え? えええ――!?




