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党の作風を整えよう (一九四二年二月一日)

 これは、毛沢東同志が中国共産党中央党学校の始業式でおこなった演説である。



 きょう、党学校の始業にあたり、わたしはこの学校が成果をあげることをのぞんでやまない。

 きょうは、わが党の作風の問題について、すこし話してみたい。

 なぜ革命の党が必要なのか。世界に人民を抑圧する敵がおり、人民が敵の抑圧をくつがえそうとするので、革命の党が必要なのである。資本主義と帝国主義の時代についていえば、共産党のような革命の党が必要なのである。共産党のような革命の党がなければ、人民が敵の抑圧をくつがえそうとしても、それはとうてい不可能である。われわれは共産党であり、人民を指導して敵をうちたおすには、われわれの隊列が整然とし、足なみが一致し、兵士がすぐれ、武器がよくなければならない。これらの条件がそなわらないなら、われわれは敵をうちたおすことはできない。

 いま、わが党には、まだどんな問題があるだろうか。党の総路線は正しく、問題がないし、党の活動も成果があがっている。党には数十万の党員がいて、人民を指導し、敵にたいしてこのうえない苦難にみちた闘争をおこなっている。このことはだれの目にもあきらかで、疑問の余地はない。

 では、いったい、わが党にはもう問題はないのだろうか。わたしにいわせれば、問題はやはりある。しかもある意味からいえば、それはかなり重大なものである。

 どんな問題なのか。それは、一部の同志の頭のなかに、まだあまり正しくなく、あまりまともでないとおもわれるものがいくつか存在していることである。

 つまり、われわれの学風にまだいくらか正しくないところがあり、われわれの党風にまだいくらか正しくないところがあり、またわれわれの文風にいくらか正しくないところがあるということである。学風がいくらか正しくないというのは、主観主義の欠陥があるということである。党風がいくらか正しくないというのは、セクト主義の欠陥があるということである。文風がいくらか正しくないというのは、党八股はっこ〔1〕の欠陥があるということである。これらの作風が正しくないといっても、冬の北風のように、空いっぱい吹きまくっているというわけではない。主観主義、セクト主義、党八股は、いまはもはや支配的地位をしめる作風ではなく、一陣の逆風であり、一陣の邪風であって、防空壕からとびだしてきたものにすぎない(笑声)。しかし、わが党内にまだこの種の風があるのは、好ましくないことである。われわれは、このような邪風をうむ穴をふさいでしまわなければならない。わが党はこぞってこの穴ふさぎの仕事をしなければならず、わが党学校もこの仕事をしなければならない。主観主義、セクト主義、党八股という三つの邪風には、その歴史的根源があり、いまは全党で支配的地位をしめていなくても、やはり、つねにわざわいしており、われわれをおそっている。したがって、これを排斥する必要があり、これを研究し、分析し、解明する必要がある。

 主観主義に反対して学風を整え、セクト主義に反対して党風を整え、党八股に反対して文風を整えること、これがわれわれの任務である。

 われわれが敵をうちたおす任務を達成するには、この党内の作風を整えるという任務を達成しなければならない。学風も文風も党の作風であり、いずれも党風である。わが党の作風が完全にまともなものになりさえすれば、全国人民はわれわれに見ならうようになる。党外にそうしたよくない気風をもつ人がいても、善良な人であるかぎり、われわれに見ならって、あやまりをあらためるようになるし、そうなれば、全民族に影響をあたえるようになる。わが共産党の隊列が整然としており、足なみが一致しており、兵士がすぐれた兵士であり、武器がよい武器でありさえすれば、われわれはどんな強大な敵をもうちたおすことができる。

 それでは、主観主義についてのべよう。

 主観主義はまともでない学風であり、それはマルクス・レーニン主義に反するもので、共産党とは共存できないものである。われわれが必要とするのはマルクス・レーニン主義の学風である。いわゆる学風とは、学校の学風であるだけでなく、全党の学風でもある。学風の問題は指導機関、全幹部、全党員の思想方法の問題であり、マルクス・レーニン主義にたいするわれわれの態度の問題であり、全党の同志の活動態度の問題である。そうである以上、学風の問題はひじょうに重要な問題であり、第一に重要な問題である。

 いま、いくつかのあいまいな考えが多くの人のあいだにひろがっている。たとえば、理論家とはなにか、知識人とはなにか、理論と実際の結びつきとはなにか、などの問題についてのあいまいな考えである。

 われわれは、まず、わが党の理論水準がはたして高いのか低いのかを問いたい。ちかごろ、マルクス・レーニン主義の書籍の翻訳が多くなり、読む人も多くなった。これは結構なことである。だからといって、すでにわが党の理論水準がおおいにたかまったといえるだろうか。たしかに、われわれの理論水準はこれまでよりいくらかたかまっている。しかし、中国の革命運動のゆたかな内容からいえば、理論戦線はまことにふつりあいで、両者をくらべると、理論面のひじょうなたちおくれがはっきりする。一般的にいって、われわれの理論はまだ、革命の実践と並行していくことができず、理論が実践の先をいくべきだなどとはなおさらいえたものではない。 われわれはまだ、ゆたかな実際を当然あるべき理論の水準にまではたかめていない。われわれはまだ、革命の実践のすべての問題、または重大な問題について考察し、これを理論の段階にまでひきあげてはいない。みたまえ、中国の経済、政治、軍事、文化について、理論といえるような理論、科学的形態といえるような、綿密な、おおざっばでない理論を創造したものがいったいわれわれのなかにどれだけいるだろうか。とくに経済理論の面では、アヘン戦争①から現在まで、中国の資本主義の発展がすでに百年もたっているのに、中国の経済発展の実際に合致した、真に科学的な理論書は、まだ一冊も出ていない。たとえば中国経済問題について、理論水準がすでに高いといえるだろうか。わが党には、すでにひとかどの経済理論家がいるといえるだろうか。まったくそうはいえない。われわれがマルクス・レーニン王義の本をたくさん読んだからといって、理論家がいることになるだろうか。そうはいえない。なぜなら、マルクス・レーニン主義は、マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンが実際にもとづいて創造した理論であり、かれらが歴史の実際と革命の実際のなかからひきだした全般的結論だからである。 われわれが、もし、たんにかれらの著作を読むにとどまり、さらにすすんで、かれらの理論にもとづいて中国の歴史の実際と革命の実際を研究せず、中国の革命の実践を理論的に考えようとしないなら、われわれはマルクス主義の理論家だなどと自称してはならないのである。われわれが中国共産党員でありながら、中国問題は目にはいらず、マルクス主義の書物にある個々の結論や個々の原理を暗唱することしかできないとしたら、理論戦線でのわれわれの成果はひどく悪いものになってしまう。もし、マルクス主義の経済学または哲学を暗唱することしか知らず、第三章から第十章まですらすら暗唱できても、まったく応用できないとしたら、そのような人をマルクス主義の理論家といえるだろうか。それではやはり理論家とはいえない。われわれが必要とする理論家はどのような人なのか。それは、マルクス・レーニン主義の立場、観点、方法にもとづいて、歴史のなか、革命のなかでおきた実際問題を正しく解釈することができ、中国の経済、政治、軍事、文化のさまざまな問題を科学的に解釈し、理論的に説明することのできる、そういう理論家である。われわれが必要とするのはこのような理論家なのである。このような理論家になるには、マルクス・レーニン主義の実質を真に会得し、マルクス・レーニン主義の立場、観点、方法を真に会得し、植民地革命と中国革命にかんするレーニン、スターリンの学説を真に会得し、しかもそれらを応用して、中国の実際問題をふかく科学的に分析し、その発展法則をさがしだせるようにしなければならない。そのような人こそ、われわれが真に必要とする理論家なのである。

 現在、わが党の中央は、われわれの同志たちにたいし、マルクス・レーニン主義の立場、観点、方法を応用して、しんけんに中国の歴史を研究し、中国の経済、政治、軍事、文化を研究し、その一つ一つの問題について詳細な資料にもとづく具体的な分析をしたうえで、理論的な結論をひきだすことを学びとるようよびかける決定をおこなった。この責任はわれわれの肩にかかっている。

 わが党学校の同志は、マルクス主義の理論を死んだ教条としてはならない。マルクス主義の理論については、それに精通し、それを応用できなければならないのであって、精通の目的はまったく応用にある。もしマルクス・レーニン主義の観点を応用して、実際の問題を一つでもニつでも説明できたなら、それは称賛されるべきであり、いくらかの成果をえたことになる。説明できたものが多ければ多いほど、広ければ広いほど、深ければ深いほど、その成果はますます大きいことになる。いま、わが党学校でも、学生がマルクス・レーニン主義を学んだのち、中国問題をどのようにみるかによって、つまり、はっきりつかんでいるか、つかんでいないか、よくつかめるか、つかめないかによって、優劣、よしあしをわけるというさまりを定める必要がある。

 つぎに、いわゆる「知識人」の問題についてのべよう。わが中国は半植民地・半封建の国であり、文化が発達していないので、知識人はとりわけたいせつにされている。党中央は、二年あまりまえ、革命的で抗日に参加することをのぞむものでありさえすれば、すべてこれを歓迎する態度をとり広範な知識人を獲得すべきであるという、知識人の問題についての決定〔2〕をおこなった。われわれが知識人を尊重するのはまったく当然なことであり、革命的知識人がいなければ、革命は勝利できない。しかし、われわれが知っているように、多くの知識人は、自分にはたいへん知識があるとおもいこんで、さかんにその知識をひけらかすが、こうした態度はよくないし、害があり、自分の進歩をさまたげるものであることがわかっていない。その実、多くのいわゆる知識人は、どちらかといえば、もっとも知識がなく、ときには労働者、農民のほうがむしろ知識が多いという真理を、かれらは知るべきである。こういえば、「おや、それはあべこべだ、でまかせをいっている」(笑声)という人がいるだろう。ところが、同志、あわててはいけない。わたしのいうことにはいくらか道理がある。

 知識とはなにか。階級社会があらわれてから、世界には二種類の知識しかない。一つは生産闘争の知識、もう一つは階級闘争の知識とよばれるものである。自然科学と社会科学がこの二種類の知識の結晶であり、哲学は自然の知識と社会の知識についての概括であり、総括である。このほかにどんな知識があるだろうか。ほかにはない。われわれはここで、一部の学生たち、つまり社会の実際活動から完全に遊離している学校をでた学生たちがどんな状態にあるかをみてみよう。このような小学校からこのような大学まで勉強して、そこを卒業すると、一応知識があるということになる。しかし、かれらは書物のうえの知識しかなく、まだ、どのような実際活動にも参加していないし、自分の学んだ知識を生活のどの分野にも応用していない。このような人が完全な知識人だといえるだろうか。わたしははなはだ無理だとおもう。というのは、その知識がまだ不完全だからである。比較的完全な知識とはどんなものだろうか。比較的完全な知識はすべて二つの段階からなりたっている。第一の段階は感性的知識、第二の段階は理性的知識であって、理性的知識は感性的知識のより高い発展段階である。学生たちのもっている書物のうえの知識はどんな知識だろうか。かれらの知識がかりにみな真理であったとしても、それはやはりかれらの先人たちが生産闘争と階級闘争の経験を総括して書きあげた理論であって、かれらがみずから体得した知識ではない。かれらがこれらの知識をうけいれることはぜひとも必要なことである。しかし、一定の状況からいえば、これらの知識はかれらにとってまだ一面的なものであること、それは他人が証明したものであって、かれらとしてはまだ証明していないものだということを知らなければならない。もっとも重要なことは、これらの知識を生活と実際のなかにうまく応用することである。したがって、わたしは、書物のうえの知識しかなくまだ実際と接していない人、あるいはまだ実際の経験が少ない人にたいして、自分の欠点をさとり、その態度をもうすこし謙虚にするようすすめる。

 こうした書物のうえの知識しかもたない人を、名実ともにそなわった知識人に変えるには、どんな方法があるだろうか。唯一の方法は、かれらを実際活動に参加させて実際の活動家にすること、理論活動にたずさわっている人びとを重要な実際問題の研究に従事させることである。このようにすれば目的を達成することができる。

 わたしがこんなふうにいうと、おそらく腹をたてる人もいるだろう。かれらは、「あなたのそうした説明によると、マルクスも知識人だとはいえないことになる」というだろう。わたしは、それはちがうと答える。マルクスは革命の実際運動に参加したばかりでなく、革命理論の創造もおこなった。かれは資本主義のもっとも単純な要素――商品からはじめて、資本主義社会の経済構造を綿密に研究した。商品というものは、何百何千万の人びとが、毎日それを見、それをつかっているが、ぜんぜん目にはいらない。それを科学的に研究したのはマルクスだけである。マルクスは商品の実際の発展について、膨大な研究活動をおこない、普遍的に存在するもののなかから完全に科学的な理論をさがしだしたのである。マルクスは、自然を研究し、歴史を研究し、プロレタリア革命を研究して、弁証法的唯物論、史的唯物論およびプロレタリア革命の理論を創造した。こうして、マルクスは、人類の最高の英知を代表するもっとも完全な知識人となったのであって、書物のうえの知識しかもたない人とは根本的にちがうのである。マルクスは、実際闘争のなかで、くわしい調査研究をおこない、いろいろなものを概括し、そうしてえた結論をさらに実際闘争のなかにもちこんで証明した。こうした活動を理論活動とよぶのである。わが党内でも、多くの同志がこうした活動をするのを学ぶ必要がある。いまわが党内には、こうした理論研究の活動にたずさわるのを学ぶことのできる同志がたくさんおり、かれらの大部分は、聡明そうめい、有為であって、われわれはかれらをたいせつにしなければならない。しかし、かれらの方針は正しくなければならないし、過去におかしたあやまりを、かれらはふたたびくりかえしてはならない。かれらは教条主義をすてさるべきであり、できあいの書物の字句のうえで足ぶみしていてはならない。

 真の理論は世界にただ一つしかない。それは、客観的実際からひきだされ、さらに客観的実際のなかで証明された理論であって、これ以外には、われわれのいう理論にあたいするものは何もない。スターリンは、実際から遊離した理論は対象のない理論である〔3〕といったことがある。対象のない理論は、役にたたず、正しくなく、すてさるべきである。このような対象のない理論を好んで口にするものにたいしては、あかんべいでもしてやるがよい。マルクス・レーニン主義は、客観的実際からうまれ、さらに客観的実際のなかで証明された、もっとも正しい、もっとも科学的な、もっとも革命的な真理である。ところが、マルクス・レーニン主義を学ぶ多くの人は、それを死んだ教条とみなし、そのために、理論の発展をさまたげ、自分をそこない、同志をもそこなっている。

 他方、実際活動にたずさわっているわれわれの同志も、もしその経験をまちがって用いるなら、やはり弊害をうむことになる。たしかに、こうした人びとはしばしば多くの経験をもっており、それはひじょうに貴重なものである。しかし、かれらがそれで自分の経験に満足しているなら、これもまたひじょうに危険である。かれらは、自分の知識が感性的なものかまたは局部的なものにかたよっていること、理性的な知識と普遍的な知識に欠けている、つまり理論に欠けていること、かれらの知識も比較的不完全であることを知らなければならない。革命の事業をりっぱにおこなうには、比較的完全な知識がなければだめである。

 こうみてくると、不完全な知識には二種類ある。一つはできあいの書物のうえの知識、もう一つは感性的な局部的なものにかたよった知識であって、両者はどちらも一面的である。この両者を結びつけなければ、りっぱな比較的完全な知識はうまれない。

 しかし、われわれの労働者、農民出身の幹部が理論を学ぶには、まずはじめに基礎教育を身につけなければならない。基礎教育なしには、マルクス・レーニン主義の理論を学びとることはできない。基礎教育を身につければ、いつでもマルクス・レーニン主義を学ぶことができる。わたしは幼年時代にはマルケス・レーニン主義の学校にはいったことがなく、学んだのは、「子曰く、学んで時にこれを習う、またよろこばしからずや」〔4〕といったようなものであった。このような学習の内容はふるくさいものではあったが、ここから字をおぼえたので、わたしにとってはためになるところもあった。まして、いま学んでいるのは、孔子さまではなく、新しい国語、歴史、地理、理科であって、これらの基礎教育の課目をよく学べば、どこででも役にたつのである。わが党中央は、現在、労働者、農民出身の幹部の基礎教育をとくに要求している。基礎教育を身につけておけば、政治、軍事、経済のどれをも学ぶことができるが、そうしなければ、労働者、農民出身の幹部は、たとえゆたかな経験をもっていても、理論を学ぶことができないからである。

 このことからわかるように、主観主義に反対するには、上述の二種類の人びとに、それぞれ自分のたりない面を充実させるとともに、これらの二種類の人びとを結合させなければならない。書物のうえの知識をもっている人は、実際の面へのびることによって、書物のうえにとどまらずにすみ、教条主義のあやまりをおかさずにすむのである。活動の経験をもっている人は、理論の面へ学習をすすめ、まじめに本を読むことによって、経験に系統性、総合性をもたせ、これを理論にまでひきあげることができ、こうしてはじめて局部的な経験を普遍的な真理だと誤認せずにすみ、経験主義のあやまりをおかざずにすむのである。教条主義と経験主義のこの二つはともに主観主義であり、異なった両極から生じたものである。

 したがって、わが党内の主観主義には二種類あって、一つは教条主義、もう一つは経験主義である。それらはともに、一面をみるだけで全面をみない。このような一面性の欠点に注意せず、またそのことを理解せず、そのうえ、それをあらためる努力をしなければ、あやまった道にふみこみやすい。

 しかし、この二種類の主観主義のうち、いまわが党内でいっそう危険なのは、やはり教条主義である。なぜなら、教条主義はよくマルクス主義の姿をよそおって、労働者、農民出身の幹部をおどかし、その召使としてかれらをとりこにするが、労働者、農民出身の幹部は、それがなかなか見やぶれないからである。また、教条主義は天真らんまんな青年をおどかし、かれらをとりこにすることもできるからである。われわれが教条主義を克服すれば、書物のうえの知識をもつ幹部は、経験のある幹部との結合や実際の事物の研究をのぞむようになり、理論と経験を結合したよい活動家が数多くうまれ、真の理論家がいくらかうまれるようになる。われわれが教条主義を克服すれば、経験のある同志は、よい教師をえて、自分の経験を理論にまでたかめ、経験主義のあやまりをおかさずにすむようになる。

 「理論家」と「知識人」についてあいまいな考えがあるほかに、毎日口にしている「理論と実際の結びつき」ということについても、多くの同志の考えはあいまいである。かれらは、毎日「結びつき」をとなえているが、実際には「ひきはなし」をとなえている。なぜなら結びつけようとはしていないからである。マルクス・レーニン主義の理論と中国革命の実際をどのようにして結びつけるのか。わかりやすいことばでいえば、「的があって矢をはなつ」ことである。「矢」とは弓矢の矢であり、「的」とは標的であって、矢をはなつには標的をねらわなければならない。マルクス・レーニン主義と中国革命との関係は、つまり矢と的との関係である。ところが、一部の同志は「的がなくて矢をはなち」、乱射している。このような人はともすると革命をぶちこわす。また、一部の同志は、矢を手にしてなでたりさすったりし、しきりに「よい矢だ、よい矢だ」とほめそやすばかりで、いつになってもその矢をはなとうとしない。このような人は骨董こっとう鑑賞家であって、革命とはおよそ関係がない。マルクス・レーニン主義の矢は、中国革命の的を射るためにつかわなければならない。この問題をはっきりさせないなら、わが党の理論水準は永久にたかまらず、中国革命も永久に勝利することはできない。

 われわれがマルクス・レーニン主義を学ぶのは、見てくれをよくするためでもなければ、それがなにか神秘的なものをもっているからでもなく、ただそれがプロレタリア階級の革命事業を勝利にみちびく科学だからだということを、われわれの同志たちは理解しなければならない。いまでもまだ、マルクス・レーニン主義の書物にある個々の字句をできあいの妙薬とみなし、これを手にいれさえすれば、骨もおらずに、まちがいなく万病をなおせるかのように思っているものが少なくない。これは幼稚な人びとの蒙昧さをしめすものであって、われわれはこれらの人びとにたいして啓蒙運動をおこなわなければならない。マルクス・レーニン主義を宗教的教条とみなしているものこそ、こうした無知蒙昧の人びとである。こうした人びとにたいしては、卒直に、きみの教条はなんの役にもたたない、といってやるべきである。マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンは、われわれの学説は教条ではなくて行動の指針である、とくりかえし説いている。さきにのべた人びとは、よりによってこの重要なうえにも重要なことばを忘れている。中国共産党員として、理論と実際を結びつけたといえるのは、マルクス・レーニン主義の立場、観点、方法をうまく応用し、レーニン、スターリンの中国革命にかんする学説をうまく応用し、さらにすすんで、中国の歴史の実際と革命の実際についてのしんけんな研究のなかから、中国の必要にかなった理論的な創造を各方面でおこなったばあいだけである。口先で結びつきをとなえるだけで、行動では結びつけないなら、百年となえようとも、やはりむだである。主観的、一面的に問題をみることに反対するには、教条主義の主観性と一面性をぜひうちやぶらなければならない。

 主観主義に反対して全党の学風を整えるという問題について、きょう話したいのはこれだけである。

 ではつぎに、セクト主義の問題についてのべよう。

 二十年の鍛練をへたので、いまわが党内には支配的な地位をしめるセクト主義はなくなっている。しかし、セクト主義の残りかすはまだ存在しており、党内にたいするセクト主義の残りかすもあれば、党外にたいするセクト主義の残りかすもある。党内にたいするセクト主義の傾向は、対内的な排他性をうみだして、党の統一と団結をさまたげ、党外にたいするセクト主義の傾向は、対外的な排他性をうみだして、党の全国人民を結集する事業をさまたげる。この二つの面の禍根をのぞかなければ、党は、全党の同志を結集し、全国の人民を結集するという偉大な事業のなかで、順調に前進することができないのである。

 党内のセクト主義の残りかすとはなにか。主要なものにつぎのいくつかがある。

 まずはじめに、独自性を主張してたてつくことである。一部の同志は、局部の利益だけをみて、全体の利益をみず、いつも、自分のうけもっている局部の仕事を不当にもとくに強調し、いつも、全体の利益を自分たちの局部の利益にしたがわせようとする。かれらは、党の民主集中制がわからないし、共産党には民主が必要であるだけでなく、とりわけ集中が必要であることを知らない。かれらは、少数は多数にしたがい、下級は上級にしたがい、局部は全体にしたがい、全党は中央にしたがうという民主集中制を忘れている。張国燾チャンクォタオ②は、党中央に独自性を主張してたてついたが、その結果、党を裏切り、特務になりさがった。いまのべているのは、これほど極端にひどいセクト主義ではないが、しかし、このような印象はあるかじめふせがなければならず、さまざまな不統一な現象を完全にとりのぞかなければならない。われわれは、大局に心をくばることを提唱しなければならない。一人ひとりの党員、それぞれの局部の仕事、一つ一つの言論または行動は、いずれも全党の利益を出発点とすべきであり、この原則にそむくことは絶対にゆるされない。

 こうした独自性を主張してたてつくものは、いつもその個人第一主義とはきりはなせず、個人と党の関係の問題ではつねに正しくない。かれらも口先では党を尊重するといっているが、実際には、個人を第一位におき、党を第二位においている。こういった人びとはなんのためにたてついているのか。名誉をつかみ、地位をつかみ、顔を売ろうというのである。かれらがある部分の仕事を担当するようになると、すぐ独自性を主張してたてつく。そのために一部の人をまるめこみ、一部の人をおしのけ、同志のあいだでほらをふいたり、おだてたり、ひっぱったり、だきこんだりして、ブルジョア政党の俗悪な作風をも共産党のなかにもちこんでくるのである。こうした人びとが失敗のうき目をみるのは誠実でないからである。われわれは誠実に仕事をすべきであり、世の中で、なにか仕事をやりとげるには、誠実な態度がなければとうていだめである、とわたしはおもう。誠実な人とはどんな人か。マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンが誠実な人であり、科学者が誠実な人である。誠実でない人とはどんな人か。トロツキー、ブハーリン、陳独秀、張国燾がもっとも誠実でない人であり、個人の利益のため、局部の利益のために独自性を主張してたてつく人も誠実でない人である。悪がしこい人、科学的態度でものごとを処理しない人はすべて、自分ではうまくいったとおもい、自分はとても聡明だとおもいこんでいるが、じつは、もっとも愚かであり、なんのよい結果もえられないのである。わが党学校の学生は、かならずこの問題に注意をはらわなければならない。われわれは、かならず集中し統一した党を建設しなければならす、無原則的な派閥闘争はすべて、きれいに一掃しなければならない。われわれ全党が整然と足なみをそろえ、一つの共同目標をめざして奮闘しようとすれば、われわれは、かならず個人主義とセクト主義に反対しなければならない。

 外来の幹部と地元の幹部は団結しなければならず、セクト主義の傾向に反対しなければならない。多くの抗日根拠地は八路軍、新四軍がきてから創設されたものであり、地方活動の多くは外来の幹部がきてから発展したものであるから、外来の幹部と地元の幹部の関係には十分に注意をはらわなければならない。このような条件のもとでは、外来の幹部と地元の幹部が完全に一致団結し、また地元の幹部が大量に成長し、抜てきされてはじめて、根拠地が強固になり、わが党がそこに根をおろすことができるのであって、さもなければ、それは不可能だということを、わが同志たちは理解すべきである。外来の幹部と地元の幹部には、それぞれ長所もあれば短所もあって、たがいに長所をとりいれ、短所をおぎなわなければ、進歩はありえない。状況にくわしいという点と大衆に結びついているという点では、外来の幹部は、地元の幹部にくらべてどうしてもいくらかおとっている。わたしにしてもそうである。わたしは陝西シャンシー省北部にきてからもう五、六年になるが、陝西省北部の状況にたいする理解にしても、陝西省北部の人民との結びつきにしても、陝西省北部の一部の同志にくらべて、はるかにおとっている。山西シャンシー省、河北ホーペイ省、山東シャントン省またはその他の抗日根拠地にいくわれわれの同志たちは、かならずこの問題に注意しなければならない。そればかりでなく、たとえ一つの根拠地のなかでも、地域によって発展にあとさきのちがいがあるため、幹部のあいだにはやはり外来と地元のちがいがある。よりすすんだ地域の幹部がよりおくれた地域にいけば、そこではやはり外来の幹部であり、地元の幹部をたすけるという問題にはやはり十分に注意しなければならない。一般の状況のもとでは、外来の幹部が指導の責務を負っているところで、もし地元の幹部との関係がうまくいかないとすれば、その責任は主として外来の幹部が負うべきである。主要な指導の責務を負う同志はよりいっそう責任が大きい。いま各地では、この問題にたいする注意がまだひじょうに不十分であり、一部の人びとは地元の幹部をみくびったり、あざけったりして、「地元のものになにがわかるものか、田舎っぺが」といっている。こうした人たちには、地元の幹部の重要性がまったくわからない。かれらは、地元の幹部の長所も知らなければ、自分の短所も知らないで、正しくないセクト主義的な態度をとっているのである。すべての外来の幹部はかならず地元の幹部を大事にし、つねにかれらをたすけるべきであって、かれらを嘲笑したり、打撃をあたえたりしてはならない。もちろん、地元の幹部も外来の幹部の長所を学び、あの不適当なせまい観点をすてきって、外来の幹部とすこしもわけへだてなく一つにとけあうようにし、セクト主義の傾向をさけなければならない。

 軍隊で活動している幹部と地方で活動している幹部の関係もまたそうである。両者は完全に一致団結しなければならず、セクト主義の傾向に反対しなければならない。軍隊の幹部は地方の幹部をたすけ、地方の幹部もまた軍隊の幹部をたすげなければならない。もしいざこざがおきたときには、双方がゆるしあい、それぞれが自分について正しい自己批判をおこなうべきである。軍隊の幹部が事実上指導的地位にあるところで、もし地方の幹部との関係がうまくいかないとすれば、一般の状況のもとでは、そのおもな責任は軍隊の幹部が負うべきである。軍隊の幹部に、まず自分の責任を理解させ、謙虚な態度で地方の幹部と接するようにさせないかぎり、根拠地における戦争と建設の仕事を順調にすすめる条件はえられないのである。

 いくつかの軍隊のあいだ、いくつかの地方のあいだ、いくつかの活動部門のあいだの関係もまたそうである。自分のほうのことばかり考えていて、他のもののことを考えない本位主義の傾向に反対しなければならない。他のものの困難には目もくれず、よそから自分のところの幹部をもとめられても、それを手ばなさなかったり、わるい幹部をまわしたりして、「りんってがくとなし」③、他の部門、他の地方、他の人のことをすこしも考えないような、こうした人びとを本位主義者とよぶのであり、これはまったく共産主義の精神をうしなったものである。大局をかえりみず、他の部門、他の地方、他の人にはなんら関心をよせないこと、これが本位主義者の特徴である。こうした人にたいしては、それがセクト主義の傾向であって、発展していくとひじょうに危険だということをわからせるため教育を強めなければならない。

 もう一つの問題は、ふるい幹部とあたらしい幹部の関係の問題である。抗戦いらい、わが党は大きく発展し、あたらしい幹部が大量にうまれたが、これはよい現象である。スターリン同志は、ソ連共産党第十八回大会での報告のなかで、「ふるい幹部はいつも少なく、必要な数より少ないものである。しかも、かれらは宇宙の自然法則によって、すでに一部は戦列からはなれはじめている」といっている。スターリンは、ここで幹部の状態について語り、また自然科学についても語っている。わが党に、もし数多くのあたらしい幹部とふるい幹部の一致協力がなければ、われわれの事業は中断してしまう。したがって、すべてのふるい幹部は、最大の熱情をもってあたらしい幹部を歓迎し、あたらしい幹部に関心をよせるべきである。なるほど、あたらしい幹部には欠点がある。かれらは、革命に参加してからまだ日があさく、経験もとぼしく、かれらのうちのあるものは、どうしてもまだ旧社会のよくない思想のしっぽ、すなわち小ブルジョア階級の個人主義思想の残りかすを身につけてくる。しかし、これらの欠点は、教育をつうじ、革命できたえられるなかで、しだいにとりさることができる。かれらの長所は、かつてスターリンがのべたように、新鮮な事物にたいして鋭敏な感覚をもっていること、したがって、高度の熱情と積極性をもっていることであり、しかもこの点こそ、一部のふるい幹部に欠けているものである〔5〕。新旧幹部は一致団結して共同の事業をおしすすめるため、たがいに尊重しあい、学びあい、長所をとりいれ短所をおぎなって、セクト主義の傾向をふせぐべきである。ふるい幹部が主要な指導の責務を負っているところで、もし、ふるい幹部とあたらしい幹部の関係がうまくいかないとすれば、一般の状況のもとでは、ふるい幹部がおもな責任を負うべきである。

 以上にのべたような、局部と全体の関係、個人と党の関係、外来の幹部と地元の幹部の関係、軍隊の幹部と地方の幹部の関係、軍隊と軍隊、地方と地方、ある活動部門と他の活動部門の関係、ふるい幹部とあたらしい幹部の関係、これらはすべて党内での相互関係である。わが党の隊列を整然とさせ、足なみを一致させる目的を達成して、戦闘を有利にするためには、これらのいろいろの面で、共産主義の精神をたかめ、セクト主義の傾向をふせぐべきである。これはひじょうに重要な問題であり、党の作風を整えるには、この問題を徹底的に解決しなければならない。セクト主義は主観主義が組織関係にあらわれたものである。われわれが主観主義をすて、事実にもとづいて法則性をもとめるマルクス・レーニン主義の精神を発揚しようとすれば、党内のセクト主義の残りかすを一掃し、党の利益が個人や局部の利益に優先するという点から出発して、党を完全な団結と統一の状態にまでたかめていかなければならない。

 セクト主義の残りかすは、党内関係において消滅すべきものであるが、覚外関係においても消滅すべきものである。その理由は、全党の同志を結集しただけではまだ敵にうち勝つことができず、敵にうち勝つには全国人民を結集しなければならないということにある。中国共産党は、このご十年らい、全国人民を結集する事業のなかでは、苦難にみちた偉人な活動をしており、抗戦いらい、この活動の成果はいっそう偉大なものとなっている。しかし、これはなにも、われわれの同志がみな人民大衆にたいして正しい作風をもつようになり、だれにもセクト主義の傾向がなくなったというのではない。そうではなく、一部の同志のあいだには、たしかにまだセクト主義の傾向があり、なかには相当ひどいものもいる。われわれの多くの同志は、党外の人びとにたいして尊大にふるまいたがり、人を軽視し蔑視べっしして、人を尊敬しようとせず、人の長所を理解しようとしない。これがセクト主義の傾向である。これらの同志は、マルクス主義の書物を何冊か読むと、いっそう謙虚になるのではなくて、いっそう傲慢ごうまんになり、きまって人のことはだめだというが、実際には自分こそなまはんかの知識しかもっていないということを知らないのである。われわれの同志は、一つの真理、つまり共産党員は党外の人びとにくるべて、いつでも少数だということを理解しなければならない。かりに、百人のうちにひとりの共産党員がいるとすると、全中国四億五千万人のなかには四百五十万の共産党員がいることになる。たとえこんなに大きな数にたっしたとしても、共産党員はやはり一パーセントをしめるにすぎず、九九パーセントは非党員である。われわれに非党員と協力しないどんな理由があろうか。われわれと協力することをのぞみ、また、協力することのできるすべての人びとにたいしては、これらの人びとと協力する義務こそあれ、排斥する権利は絶対にない。ところが、一部の党員はこの道理がわからず、われわれとの協力をのぞむ人びとを軽視し、さらには排斥さえする。これはなんら根拠のないことである。マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンは、われわれにこのような根拠をあたえただろうか。あたえてはいない。反対に、かれらは、いつもわれわれに、大衆からはなれることなく、大衆と緊密に結びつかなければならない、とくりかえしさとしている。中国共産党中央は、われわれにこのような根拠をあたえているだろうか。あたえてはいない。中央のすべての決議のなかには、われわれが大衆からはなれ、自分を孤立させてもよいといっている決議は一つもない。反対に、中央は、いつもわれわれに、大衆からはなれることなく、大衆と緊密に結びつかなければならないと教えている。したがって、大衆からはなれる行為はすべて、なんらの根拠もなく、それはわれわれの一部の同志が自分でつくりだしたセクト主義の思想がわざわいしているにすぎない。このようなセクト主義は一部の同志のあいだでは、いまでもかなりひどく、いまでも党の路線の実行をさまたげているので、われわれは、真正面からこの問題をとりあげて党内で広範な教育をすすめなければならない。なによりもまず、われわれの幹部に、この問題の重大さをほんとうに理解させなければならず、もし共産党員が党外の幹部および党外の人びとと連合しなければ、敵はけっしてうちたおせないし、革命の目的はけっしてたっせられないことを、理解させなければならない。

 セクト主義の思想はすべて、主観主義的なもので、革命の実際の要求に合致しない。したがって、セクト主義に反対する闘争と主観主義に反対する闘争は同時におこなうべきである。

 党八股の問題については、きょうは話せないので、別の会議でのべたいとおもう。党八股は、ちりあくたをつつみかくすものであり、主観主義とセクト主義の一つの表現形態である。それは人をそこない、革命を不利にするものであり、われわれはそれを一掃しなければならない。

 主観主義に反対するには、唯物論を宣伝し、弁証法を宣伝しなければならない。だが、わが党内には、唯物論の宣伝も重視せず、弁証法の宣伝も重視しない同志がまだたくさんいる。一部の同志は、他のものが主観主義を宣伝するのを放任し、平然として意に介しない。これらの同志は、自分ではマルクス主義を信じているつもりだが、唯物論の宣伝につとめず、主観主義的なものを見たり聞いたりしても、べつに考えもしなければ、意見もださない。このような態度は共産党員の態度ではない。このため、われわれの多くの同志は主観主義思想に毒され、無感覚になっている。したがって、主観主義、教条主義に迷わされているわれわれの同志を精神的に解放するため、われわれは党内で啓蒙運動をおこし、主観主義、セクト主義、党八股を排斥するよう、同志たちによびかけなければならない。これらのものはちょうど日本商品のようなもので、われわれがこのような悪いものを保存し、ひきつづきこれに迷わされることをのぞんでいるのは、われわれの敵だけである。だから、われわれは日本商品の排斥〔6〕と同様に、これらのものの排斥を提唱すべきである。われわれは、主観主義、セクト主義、党八股というあらゆるしろものを排斥して、それらが市場で売りさばかれるのを困難にし、党内の理論水準の低さに乗じて売りだされるのをゆるさないようにしなければならない。このためには、同志諸君が嗅覚をするどくする必要があり、どんなものでも鼻でかいでみて、そのよしあしをかぎわけてから、これを歓迎するか、排斥するかをきめる必要がある。共産党員は、どんなことがらについても、なぜかという問いを発してみる必要があり、なんでも自分の頭で綿密に考え、それが実際と合致するかどうか、ほんとうに道理があるかどうかを考える必要があり、絶対に盲従すべきではなく、絶対に奴隷主義をとなえるべきではない。

 最後に、われわれが主観主義、セクト主義、党八股に反対するにあたって、注意すべき二つのたてまえがある。第一に、「前のあやまりを後のいましめとする」こと、第二に、「病をなおして人を救う」ことである。後の活動をもっと慎重に、もっとりっぱなものにするため、前のあやまりにたいしては、情実にとらわれず、かならずこれを指摘し、科学的な態度で、過去のわるいものを分析し批判しなければならない。これが、「前のあやまりを後のいましめとする」という意味である。しかし、われわれが、あやまりを指摘し、欠点を批判する目的は、医者が病気をなおすのと同様、まったく人を救うためであって、死においこむためではない。だれかが盲腸炎をわすらったとしても、医者が盲腸をきればその人はたすかるのである。あやまりをおかした人はだれであろうと、病気をかくし、医者をきらい、あやまりを固執して、どうにも救えない状態にまでたちいたるのではなく、すなおに、ほんとうになおそうとし、あらためようとするのでありさえすれば、われわれはその人を歓迎し、よい同志になれるように、その病をなおすものである。この仕事は、けっして、一時の腹いせから、むちゃくちゃにやっつけることで効果のあがるものではない。思想上の病や政治上の病にたいしては、けっして、向こうみずな態度をとってはならず、「病をなおして人を救う」態度をとるべきであり、これこそが正しい効果的な方法である。

 きょう、見学校の始業の機会をかりて、いろいろと話したが、同志諸君がよく考えるよう希望する。(熱烈な拍手)



〔 ##注## 〕

〔1〕 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔37〕を参照。八股文とはまったく内容のない、もっぱら形式にとらわれて文字をもてあそぶものである。このような文章は、どの段落にも固定した格式がなければならす、宇数にも一定の制限があって、人びとはただ題目の字づらの意味にしたがって、それをひきのはして文章をつくるだけである。「党八股」とは革命陣営内の一部の人びとの書いた文章のことで、そのような文章は、事物について分析せず、ただ、でたらめにいくらかの革命的な名詞や術語をもちこむだけで、いささかも中味がなく、空論をならべたてるものであり、やはり上述の八股文とおなじものである。

〔2〕 一九三九年十二月の、知識人を吸収することについての中国共産党中央の決定をさす。本題集第二巻の『知識人を大量に吸収せよ』という論文がそれである。

〔3〕 スターリンの『レーニン主義の基礎について』の第三部分にみられる。

〔4〕 これは孔子とその弟子たちの語録である『論語』の冒頭の一句である。

〔5〕 スターリンの『第十八回党大会におけるソ連共産党ボリシェビキ中央委員会の活動にかんする総括報告』の第三部分の第二節にみられる。

〔6〕 日本商品の排斥とは、中国人民が二〇世紀の前半、日本帝国主義の侵略に反抗するためによくつかった闘争方式の一つであった。たとえば、一九一九年の五・四愛国運動の時期、一九三一年の九・一八事変ののち、および抗日戦争の期間に、中国人民は日本商品排斥の運動をおこなったことがある。

〔 ##訳注## 〕

① 本選集第二巻の『持久戦について』注〔6〕を参照。

② 本選集第一巻の『日本帝国主義に反対する戦術について』注〔21〕〔22〕を参照。

③ 「隣を以って壑となす」は『孟子』―「告子章句下」にみられることばで、原文は「は四海を以って壑となす。いま吾子ごしは隣国を以って壑となす」となっている。つまり隣国を大きなため池とみなし、自国の洪水の水をそこに流しこむという意味である。このことばは、のちに、自分の利益をはかるため人に損害をあたえ、災いを人に転嫁する意味につかわれている。


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