党八股に反対しよう (一九四二年二月八日)
党八股に反対しよう
(一九四二年二月八日)
これは、毛沢東同志が延安の幹部大会でおこなった講演である。
ただいま凱豊同志がきょうの大会の趣旨をのべた。こんどはわたしから、主観主義とセクト主義がどのように党八股をその宣伝の道具または表現の形態としているかについてのべたいとおもう。われわれが主観主義とセクト主義に反対するにあたって、もし党八股もいっしょに清算してしまわなかったら、この二つはまだかくれ家があり、まだ身をひそめることができる。もしわれわれが党八股もいっしょに打倒したなら、主観主義、セクト主義にたいして最後の「王手をかける」ことになり、そのためこの二つの怪物は正体をあらわし、まるで「通りにでた鼠が袋だたきにあう」ようにたやすく退治される。
党八股を書いても、自分だけで読むなら、まだたいしたことはない。もしそれをだれかに読ませることになると、人数は倍になって、もはや害は少なくない。さらに壁にはったり、謄写版ですったり、新聞にのせたり、本にしたりすれば、それこそ問題は大きくなり、多くの人に影響をおよぼすことになる。ところが、党八股を書く人びとは、きまって多くの人に見せたがるものである。だからどうしてもそれを摘発し、打倒しなければならない。
党八股はつまり一種の洋八股でもある。乙の洋八股は魯迅がはやくから反対していたものである〔1〕。それなら、なぜわれわれは党八股とよぶのか。それはバタ臭いところがあるほかに、どろ臭いところもあるからである。これも一つの創作といえるだろう。われわれのあいだに創作がすこしもないなどとだれがいえるだろうか。これがその一つである! (爆笑)
党八股はわが党内ではもう長い歴史をもっており、とくに土地革命の時期には、ずいぶんひどくなったこともある。
歴史的にみれば、党八股は五・四運動にたいする一つの反動である。
五・四運動の時期には、一群の新しい人物が文語文に反対して口語文を提唱し、ふるい教条に反対して科学と民主主義を提唱した。これらはみな正しかった。当時、この運動は生気はつらつとした、前進的、革命的なものであった。当時の支配階級はみな孔子さまの道理を学生に教え、孔子さまのお説教を宗教の教条とおなじにみなしてその信奉を人民に強制し、文章を書く人はだれでも文語文をつかったのである。要するに、当時の支配階級とそのたいこもち連中の文章や教育は、その内容にしろ形式にしろ、いずれも八股式、教条式であった。これが旧八股、旧教条である。このような旧八股、旧教条のみにくい姿を人民のまえにあばきだし、旧八股・旧教条反対に立ちあがるよう人民によびかけたこと、これが五・四運動の時期のきわめて大きな功績の一つであった。五・四運動には、このほかにこれと結びついた帝国主義反対という大きな功績があったが、この旧八股・旧教条反対の闘争もやはりその大きな功績の一つであった。しかしあとになって、洋八股、洋教条がうまれた。わが党内のマルクス主義にそむいた一部の人は、この洋八股、洋教条を発展させて、主観主義、セクト主義、党八股というものにしてしまった。それらが新八股、新教条である。こうした新八股、新教条はわれわれの多くの同志の頭のなかに深く根をおろしていて、こんにちそれを改造するにはまだまだ大きな力をついやさなければならない。こうみてくると、封建主義的な旧八股、旧教条に反対した、「五・四」の時期の生気はつらつとした、前進的、革命的な運動が、のちに一部の人によってその反対の側に発展させられ、新八股、新教条がうまれたのである。それは、生気はつらつとしたものではなくて硬直したものであり、前進するものではなくて後退するものであり、革命的なものではなくて革命をさまたげるものである。つまり洋八股または党八股は五・四運動の本来の性質にたいする反動である。しかし五・四運動そのものにも欠点があった。当時の多くの指導的人物は、まだマルクス主義の批判精神をもたず、かれらの用いた方法は、一般的にはまだブルジョア的な方法すなわち形式主義の方法であった。かれらが旧八股、旧教条に反対し、科学と民主主義を主張したことは、たいへん正しかった。しかしかれらは、現状について、歴史について、外国の事物について、史的唯物論の批判精神をもたず、わるいとなると絶対にわるくて、なにもかもわるいし、よいとなると絶対によくて、なにもかもよいというふうであった。このように問題を形式主義的にみる方法は、この運動のその後の発展に影響をおよぼした。五・四運動は発展して、二つの流れにわかれた。一部の人は、五・四運動の科学的、民主主義的精神をうけつぎ、さらにマルクス主義を基礎にしてこれを改造した。これは共産党員と党外の若干のマルクス主義者のなしとげた仕事である。他の一部の人はブルジョア階級の道をあゆんだ。これは形式主義の石への発展である。だが、共産党内でも一致していたわけではなく、一部の人には、マルクス主義をしっかりとつかめず、形式王義のあやまりをおかすという偏向がうまれた。これは、主観主義、セクト主義、党八股であり、形式主義の「左」への発展である。こうみてくると、党八股というものは、なにも偶然のものではなく、一方では五・四運動の積極的な要素にたいする反動であり、他方ではまた五・四運動の消極的な要素の継承、継続または発展なのである。われわれがこの点を理解するのは有益なことである。「五・四」の時期に、旧八股、旧教条主義に反対することが革命的であり、必要であったように、こんにち、われわれがマルクス主義によって新八股、新教条主義を批判することもまた革命的であり、必要である。「五・四」の時期に、旧八股、旧教条主義に反対せずにいたら、中国人民の思想は、旧八股、旧教条主義の束縛から解放されず、中国には、自由独立の希望もありえなかったであろう。この仕事は、五・四運動の時期には、まだ発端にすぎなかった。全国人民を旧八股、旧教条主義の支配から完全にぬけださせるには、まだまだ大きな力をついやすことが必要で、それはやはり今後の革命的改造の途上における一大工事である。こんにち、われわれが新八股、新教条主義に反対せずにいたら、中国人民の思想はまた別の形式主義の束縛をうけるであろう。わが党内の一部(もちろん一部にすぎない)の同志があてられている党八股の毒、かれらがおかしている教条主義のあやまりとなると、もしそれをとりのぞかずにいたら、生気はつらつとした革命的精神を喚起することはできず、マルクス主義にたいして正しくない態度をとる悪風を一掃することはできず、真のマルクス主義をひろく伝え、発展させることはできない。また、全国人民のあいだにおける旧八股、旧教条の影響にたいし、全国の多くの人びとのあいだにおける洋八股、洋教条の影響にたいして、力づよい闘争をおこなうこともできず、これを粉砕し粛清する目的を達成することもできない。
主観主義、セクト主義、党八股、この三つはすべて反マルクス主義的なものであって、搾取階級には必要であるが、プロレタリア階級には必要でない。こういうものがわが党内にあるのは、小ブルジョア思想の反映である。中国はきわめて広範な小ブルジョア階級をもつ国で、わが党はこの広範な階級に包囲されている。しかもわが党のひじょうに多くの党員がこの階級の出身であって、かれらが長いにせよ短いにせよ、小ブルジョアのしっぽをひきずって党にはいってくるのはさけがたい。小ブルジョア階級の革命者の熱狂性と一面性は、もしそれを抑制し改造しなければ、主観主義、セクト主義をうみだしやすい。その表現形態の一つが洋八股または党八股なのである。
このようなものをとりのぞき、掃きすてるのは容易なことではない。それをおこなうには当をえなければならない。つまりよく道理を説くことである。もし道理の説きかたがじょうずで当をえたものなら、きっと効果があがる。道理を説く手はじめの方法は、患者にむかって大喝一声、「きみは病気だぞ!」といっておどろかせ、汗びっしょりにさせるというように強烈な刺激をあたえることである。そのあとでじっくりと治療させるのである。
では、党八股のわるい点はどこにあるのかを分析してみよう。われわれも、毒をもって毒を制し、八股文の筆法〔2〕にならってひとつ「八股」でいき、それを八大罪状とよぶことにしよう。
党八股の第一の罪状は、全編これ空論、いささかも中味なし、である。われわれの同志のなかには長い文章を書きたがるものがいるが、内容はなんにもなく、それこそ「ものぐさ女の纏足の布、長くてくさい」。どうして、そんなに長くてからっぽなものを書かなければならないのか。それは大衆に読ませまいと決心しているのだとしか解釈できない。長たらしくてからっぽときては、大衆はひと目みただけで首を横にふる。どうして読みとおす気になどなれようか。だから幼稚な人びとをなめてかかって、かれらのあいだにわるい影響をふりまき、わるい習慣をつくりだすぐらいがおちである。昨年の六月二十二日にソ連はあのような大規模な反侵略戦争にはいり、七月三日にスターリンが演説したが、それでさえわれわれの『解放日報』の社説ほどの長さしかなかった。もしわれわれの旦那がたが書いたとすれば、それこそたいへんで、最小限、数万字にはのぼったであろう。いまは戦争の時期であり、われわれはどのようにして文章を短く書き、ねれたものにするかを研究すべきである。延安ではまだ戦闘はおこなわれていないが、前線ではまいにち軍隊が戦っており、後方でも仕事のいそがしさが叫ばれているのに、文章が長すぎたらだれが読むだろうか。一部の同志は、前線でもこのんで長い報告を書く。かれらは、さんざん苦労して書き、それを送ってくる。その目的はわれわれに読ませることにある。だが、どうして読む気になれようか。長くてからっぽなのがよくないとすれば、短くてからっぽなのはよいだろうか。それもよくない。われわれはあらゆる空論を根だやしにすべきである。だが、主要な、そして第一の任務は、例の長くてくさい、ものぐさ女の纒足の布をさっさとごみ箱になげすてることである。『資本論』は長いではないか、あれはどうするのだ、という人がいるかもしれない。それは問題ない、読んでいけばよい。ことわざにも「あの山に登ればあの歌、この山に登ればこの歌」といい、「おかずにあわせて飯を食い、からだにあわせて服を裁つ」という。なにごとをするにも、その状況におうじて処置する必要があり、文章や演説もそうである。われわれが反対するのは、全編これ空論、いささかも中味なし、という八股調であって、なんでも短いほうがよいというのではない。戦争の時期には、もちろん短い文章が必要だが、とりわけ内容のある文章が必要である。いちばんいけない、いちばん反対しなければならないのは、いささかも中味なし、という文章である。演説もおなじで、全編これ空論、いささかも中味なし、という演説はやめなければならない。
党八股の第二の罪状は、虚勢をはり、以って人をおどす、である。党八股のなかにはたんに全編これ空論、というだけでなく、もったいぶって故意に人をおどそうとするものもあるが、これにはわるい毒素がふくまれている。全編これ空論、いささかも中味なしは、まだ幼稚だといえるが、虚勢をはり、以って人をおどすとなると、幼稚どころかまるでごろつきである。かつて魯迅はこのような人たちを批判して、「罵倒や威嚇はけっして戦闘ではない」〔3〕といった。科学的なものは、いつどんなときでも人の批判をおそれない。なぜなら科学は真理であり、けっして人に反ばくされるのをおそれないからである。それにひきかえ党八股式の文章や演説のなかにあらわれている主観主義的、セクト主義的なものは、人に反ばくされるのをたいへんおそれ、ひじょうに臆病なので、もったいぶって人をおどす。こうしておどせば、相手は口をつぐんでしまい自分は「勝ちほこって凱旋」できると考えるのである。このような虚勢をはったものは、真理を妨害するものであって、真理を反映することはできない。それが真理であれば、もったいぶって人をおどすのではなく、ただ誠実に語り、実行していけばよい。以前、多くの同志の文章や演説には、一つは「無慈悲な闘争」、もう一つは「容赦ない打撃」という二つのことばがよくつかわれたものである。こうした手段は、敵や敵対的な思想にたいしてはぜひとも必要であるが、自分の同志にたいしてとるのはあやまりである。『ソ連共産党歴史小教程』の結語の第四項にのべられているように、党内にもしばしは敵や敵対的な思想がまぎれこんでくる。これにたいしては、疑いもなく無慈悲な闘争または容赦ない打撃の手段をとるべきである。なぜなら、それらの悪人が党にたいしてこうした手段をとっているのに、それでもわれわれがかれらにたいして寛容であれば、悪人の悪だくみにかかることになるからである。しかし、偶然にあやまりをおかした同志にたいしては、それとおなじ手段をとってはならない。これらの同志にたいしては、批判と自己批判の方法、つまり『ソ連共産党歴史小教程』の結語の第五項にのべられている方法をとらなければならない。以前、われわれの一部の同志がこれらの同志にたいしても、さかんに「無慈悲な闘争」や「容赦ない打撃」をふりまわしたのは、一方では対象を分析しなかったからであり、他方では虚勢をはり、以って人をおどすためであった。どんな人にたいしても、虚勢をはり、以っておどすという方法はとるべきでない。なぜなら、このようなおどし戦術は、敵にたいしてはなんの役にもたたず、同志にたいしては害があるだけだからである。このようなおどし戦術は搾取階級やルンペン・プロレタリアの常套手段であって、プロレタリア階級はこうした手段を必要としない。プロレタリア階級にとって、もっとも鋭利な、もっとも効果的な武器はただ一つ、それは厳粛な戦闘的な科学的態度である。共産党は、人をおどすことによって飯をくうのではなく、マルクス・レーニン主義の真理によって飯をくい、事実にもとづいて正しく活動することによって飯をくい、科学によって飯をくうのである。虚勢をはって、名誉や地位をえようとするにいたっては、もっと下劣な考えであることはいうまでもない。要するに、どの機関が決定をおこない、指示をだすにしても、どの同志が文章を書き、演説をするにしても、すべてマルクス・レーニン主義の真理にたよらなければならないし、実際に役立つということにたよらなければならない。革命の勝利をたたかいとるにはこれにたよるほかはなく、その他のものはすべて無益である。
党八股の第三の罪状は、的なくして矢をはなち、対象を見ず、である。何年かまえに、延安の城壁に、「工人、農民は団結して抗日の勝利をたたかいとろう」というスローガンを見かけたことがある。このスローガンの意味はべつにわるくはないが、その工人の工の字は、第二画をまっすぐに書かないで、二度もまげてあった。人という字はどうか。右の方に三つのハネをつけてあった(電子版注:電子版では文章を若干変更)。これをお書きになった同志が昔の文人や大学者の門下であることは疑いないが、抗日の時期にこの延安というところの城壁にお書きになったとなるとちょっとわけがわからない。たぶんその人も民衆に見せまいと誓いをたてたのであろう。そうでないとしたら、どうにも解釈のしようがない。共産党員がほんとうに宣伝しようとおもうなる、対象を見なければならず、自分の文章、演説、談話、文字をどういう人に見せ、どういう人に聞かせるかを考えなければならない。そうしなければ、人に見せまい、聞かせまいと決心したのとおなじである。多くの人はしばしば、自分の書くこと話すことはだれが見てもよくわかりだれが聞いてもよくわかるものとおもいこんでいるが、実はまったくそうではない。その人の書くこと、話すことが党八股なのだから、人にわかるはずがない。「牛を相手に琴をひく」ということばには、相手を嘲笑する意味がふくまれている。もしその意味をとりさって、相手を尊重する意味をもりこめば、琴のひき手を嘲笑する意味しかのこらなくなる。なぜ相手を見ないでやたらに琴をひくのか。まして、これが党八股で、それこそからすの鳴き声なのに、わざわざ人民大衆にむかってがあがあとわめきたてようとする。矢をはなつには的を見さだめ、琴をひくには聴衆を見なければならないのに、文章を書き演説をするときは読者や聴衆を見なくてもよいのだろうか。われわれがどんな人と友だちになるにせよ、おたがいの気持ちがわからず、おたがいに心のなかでどんなことを考えているかを知らないとしたら、心の通う友になれるだろうか。宣伝活動をするものが、自分の宣伝対象について調査も、研究も、分析もせずに、やたらにしゃべるのは断じてよろしくない。
党八股の第四の罪状は、ことばに味なく、癟三〔4〕《ビエサン》のごとし、である。上海人が小癟三とよんでいるあの連中は、われわれの党八股にじつによく似ており、やせこけていて、たいへんみにくい格好をしている。もし、ある文章、ある演説が、どうひねくりまわしても、いつもおなじような用語、おきまりの「学生口調」ばかりで、すこしもいきいきとしたことばがないとしたら、それこそことばに味がなく、顔つきはにくにくしく、癟三そっくりではないだろうか。七歳で小学校にはいり、十何歳かで中学にはいり、二十何歳かで大学を卒業し、ずっと人民大衆と接触したことがない人なら、ことばが豊富でなく、きわめて単純なのもやむをえない。しかし、われわれは革命党で、大衆のために仕事をしているのだから、もし大衆のことばを学ばなかったら、仕事がうまくいくはずはない。いまわれわれのあいだには、宣伝活動をしていながらことばを学ばない同志がたくさんいる。かれらの宣伝は味もそっけもなく、その文章をよろこんで読む人はいくらもいないし、その演説をよろこんで聞く人もいくらもいない。なぜ、ことばを学ぶ必要があるのか、それも、ひじょうな努力をはらって学ぶ必要があるのか。それは、ことばというものはいいかげんで身につけるれるものではなく、苦労をかさねなければ身につけられないからである。第一に、人民大衆からことばを学ぶことである。人民のことばは実際の生活をあらわしていて、ひじょうにゆたかでいきいきとしている。われわれのあいだの多くの人はことばをよく身につけていないので、文章を書くにも演説をするにも、いきいきとした、力づよくてぴったりとしたことばはいくらもなく、ひからびたすじばかりで、癟三みたいにやせこけてみすぼらしく、見るからに健康な人ではない。第二に、外国のことばのなかからわれわれに必要なものを吸収することである。われわれは外国のことばをむりにとりいれたり、やたらにつかうのではなく、外国のことばのなかのよいもの、われわれに適するものを吸収しなければならない。それは、中国にもとからある語彙ではたりないからである。現在、われわれの語彙のなかには外国からたくさんのものが吸収されている。たとえば、きょうひらいている幹部大会の「幹部」という二字は、外国から学んだものである。われわれはもっともっと外国の新しいものを吸収する必要があり、かれらの進歩した理論を吸収するだけでなく、かれるの新鮮な用語も吸収しなければならない。第三に、われわれはさらに古人のことばのうち生命のあるものを学ぶことである。われわれは、ことばを学ぶことに努力していないために、古人のことばのうちまだ生気のあるたくさんのものを十分に合理的に利用してはいない。もちろん、われわれがすでに死んだ語彙や故事をつかうことにつよく反対するということ、これはきまりきっているが、よいもの、まだ役にたつものはやはりうけつぐべきである。現在、ひどく党八股の毒にあてられている人たちは、民間や外国や古人のことばのなかの役にたつものを苦労をかさねて学びとろうとしない。そのため、大衆はかれらの無味乾燥な宣伝を歓迎しないし、われわれもまたこのようなへたくそな、役にたたない宣伝家を必要としないのである。宣伝家とはなにか。教員が宣伝家であり、新聞記者が宣伝家であり、文学・芸術活動家が宣伝家であるというばかりでなく、われわれのすべての幹部も宣伝家である。たとえば軍事指揮員のばあい、かれらは、なにも外にたいして宣言を発表したりはしないが、兵士たちと話をし、人民と相談するのである。これが宣伝でなくてなんであろうか。だれでも人と話をしさえすれば、それは宣伝活動をしているのである。その人がおしでないかぎり、きっとなにかは話すものである。したがって、われわれの同志たちはみなぜひともことばを学ばなければならない。
党八股の第五の罪状は、甲乙丙丁と、漢方薬の店をひらく、である。諸君、漢方薬の店にいってみるとよい。そこの薬の戸だなには一つ一つ薬の名まえをはったたくきんのひきだしがあって、当帰、熟地、大黄、芒硝など、なんでもそろっている。この方法をわれわれの同志たちも学びとっている。文章を書くにも、演説をするにも、書物をあらわすにも、報告書を書くにも、第一には、むずかしい壱、弐、参、[長+聿]、第二には、ふつうの一、二、三、四、第三には、甲、乙、丙、丁、第四には、子、丑、寅、卯、とならべたて、さらに大文字のA、B、C、D、小文字のa、b、c、d、それにアラビア数字と、いくらでもある。古人や外国人がわれわれのためにこんなにたくさん符号をつくっておいてくれたおかげで、われわれは漢方薬の店をひらくのに、すこしも骨をおらないですむ。こうした符号でうずまっていて、問題を提起もせず、分析もせず、解決もせず、なにに賛成してなにに反対するかを表明もしない文章は、いくら書きまくってみても結局漢方薬の店で、ほんとうの内容などなにもない。わたしは、甲、乙、丙、丁などの文字をつかってはならないといっているのではなくて、問題をあつかうそうした方法がまちがっているというのである。現在、多くの同志はこの漢方薬の店をひらく方法に興味津々であるが、まったく低級、幼稚、卑俗きわまる方法である。こうした方法こそ形式主義の方法であって、事物の内部的なつながりによって分類するのではなく、外部的な目じるしによって分類するものである。たんに事物の外部的な目じるしにしたがい、内部的なつながりのない概念をたくさんならべたてて、文章とか演説とか報告とかにしあげるというやり方では、その人目身が概念の遊戯をしているばかりでなくも他人をもこうした遊戯にひきいれ、頭をはたらかせて問題を考えることもせず、事物の本質を考えることもしないで、甲乙丙丁といった現象の羅列に満足するようにしてしまう。問題とはなにか。問題とは事物の矛盾である。解決されていない矛盾があればそこに問題がある。問題がある以上、どうしても一方に賛成し他方に反対しなければならず、問題を提起しなければならない。問題を提起するには、まず、問題すなわち矛盾の二つの基本的側面についておおよその調査と研究をおこなう必要があり、そうしてこそ矛盾の性質がなんであるかがわかるのである。これが問題を発見する過程である。おおよその調査と研究によって問題を発見し、問題を提起することはできるが、まだ問題を解決することはできない。問題を解決するには、さらに系統的な綿密な調査活動と研究活動とをおこなわなければならない。これが分析の過程である。問題を提起するにも分析が必要である。そうしなければ、雑然、模糊とした、山ほどある現象をまえにして、問題すなわち矛盾がどこにあるかを知ることはできない。ここでいう分析の過程とは、系統的な綿密な分析過程のことである。問題は提起されたものの、まだ解決できないということがよくあるが、それは事物の内部的なつながりがまだ暴露されていないためであり、また、このような系統的な綿密な分析過程をへていないためである。だから問題の全貌がまだあきらかでなく、まだ総合の仕事ができず、したがって問題をうまく解決することもできないのである。ある文章または演説が重要な指導的性質をもつものであれば、それはどうしても、なにか問題を提起し、ついで分析をくわえ、そのうえでそれを総合して問題の性質をはっきりしめし、解決の方法をあたえなければならない。それをやるには、形式主義の方法ではかたづかない。幼稚、低級、卑俗で、頭をはたらかさない、こうした形式主義の方法がわが党内でたいへんはやっているので、どうしてもこれを暴露しなければ、マルクス主義の方法による問題の観察、提起、分析、解決をみんなに会得させることはできず、われわれの仕事をうまくはこぶことはできず、われわれの革命事業を勝利させることはできない。
党八股の第六の罪状は、無責任にして、いたるところ害をおよぼす、である。上にのべたような罪状は、一万では幼稚さからきているが、他方では責任感の不足からもきている。顔を洗うことにたとえると、われわれは毎日顔を洗うのだが、それもかなりの人は一回どころではなく、洗い終わってからも鏡にうつして、どこかおかしなところがありはしないかと、ひとしきり調査研究してみる(爆笑)。見たまえ、なんと責任感のつよいことか。われわれが文章を書き、演説をするばあいにも、顔を洗うときのように責任感がありさえすれば、まずまちがいがない。人まえにだせないものはださないほうがよい。文章や演説は、他人の思想や行動に影響をあたえるものだということを知らなくてはならない。たまたま一日か二日、顔を洗わないのももちろんよくないし、洗ってもまだ一つ二つ汚れがのこっているのももちろん体裁のいいものではないが、これはさして大きな危険があるわけではない。文章を書き演説をするとなるとちがってくる。これはもっぱら人に影響をあたえるためのものなのに、われわれの同志たちは、かえってそれをおざなりにやっている。これこそ事の軽重をとりちがえたものである。多くの人は文章を書き演説をするのに、あらかじめ研究も準備もしなければ、文章を書きあげたのちも、顔を洗ったあと鏡にうつしてみるように何べんも読みかえすこともしないで、いいかげんに発表してしまう。その結果はとかく「筆をくだすこと千言、題をはなれること万里」となり、いかにも才子のようだが、実際はいたるところ害をおよぼすのである。責任感の弱い、このようなわるい習慣はぜひあらためたほうがよい。
第七の罪状は、全党を毒し、革命を害す、である。第八の罪状は、伝わり広まって、国と民とにわざわいをなす、である。このニヵ条は意味がおのずからあきらかであり、多くをのべる必要はない。つまり党八股を改革せず、はびこるままにまかせると、重大な結果をまねき、ひじょうにわるい事態をひきおこすにいたるであろう。党八股のなかにかくれているのは主観主義、セクト主義の毒物であり、この毒物が伝わり広まると、党を害し国を害することになる。
以上のべた八ヵ条が、党八股を糾弾するわれわれの檄である。
党八股という形式は、革命精神を表現するのに適さないばかりでなく、革命精神をひじょうに窒息させやすい。革命精神を発展させるには、党八股をすてて、生気はつらつとした、新鮮で力づよいマルクス・レーニン主義の文風を採用しなければならない。このような文風ははやくからあるが、まだ充実しておらず、まだ普遍的に発展するところまでいっていない。われわれが洋八股と党八股をうちこわしたあかつきには、新しい文風は充実され、普遍的に発展し、党の革命事業も推進されるであろう。
文章や演説のなかに党八股があるばかりでなく、会議にもそれがある。「一、開会、二、報告、三、討論、四、結論、五、散会」というのがそれである。どこの、どの会議も、大小にかかわりなくみなこの型にはまった順序でやるとすれば、これまた党八股ではないだろうか。会議で「報告」をするとなると、いつも「一、国際、二、国内、三、辺区、四、当部門」といったぐあいで、会議はいつも朝から晩までつづき、なにもいうことのない人までがなにか話さなくては義理がわるいかのように一席しゃべる。要するに、実際の状況をみないで、型どおりのふるい形式、ふるい習慣にしがみつくこうした現象も改革すべきではないだろうか。
現在、多くの人が民族化、科学化、大衆化を提唱しているが、これはけっこうなことである。しかし、「化」とは、徹頭徹尾、徹内徹外をいうのである。ところが、一部の人は「ほんのすこし」さえ実行していないのに「化」を提唱している。だから、わたしがこれらの同志にすすめたいのは、まず「ほんのすこし」でもやって、それから「化」をやることである。そうでないと、あいかわらず教条主義と党八股からぬけだせない。これが目は高きをのぞめど腕ともなわず、志大にして才うとしということで、それではなんの結果もえられるものではない。口で大衆化をとなえながら、実際には小衆化をやっているような人たちは、おおいに用心すべきである。そうした人がもしある日、道で大衆のだれかにであい、「先生、ひとつ『化』をやってみせてください」といわれたら、それで王手をかけられたことになるだろう。たんに口先で提唱するだけでなく、大衆化をほんとうに実行しようとする人なら、実地に民衆から学ばなければならない。そうでないと、依然として「化」をやることはできない。毎日大衆化をさけんでいながら、二言三言の民衆のことばさえ話せないのは、その人たちが民衆から学ぶ決意をしたことのない証拠で、実際に考えているのはやはり小衆化なのである。
きょう、会場で「宣伝の手引き」というパンフレットをくばったが、それには四つの文章がのせてある。わたしは、同志諸君がこれを何べんも読むようにすすめたい。
第一の文章は、『ソ連共産党歴史小教程』から抜粋したもので、レーニンがどのように宣伝をおこなったかということが書いてある。そこには、レーニンがビラを書いたときの模様がつぎのようにのべられている。「レーニンの指導のもとに、ペテルブルグの『労働者階級解放闘争同盟』は、ロシアではじめて社会主義と労働運動との結合を実現した。どこかの工場でストライキがおこると、自分たちのサークル員をつうじて企業の事情をよくつかんでいた『闘争同盟』は、すぐさまピラをだし、社会主義的な檄をだしてこれにこたえた。これらのビラでは、工場主の労働者にたいする虐待の事実が暴露され、労働者は自分の利益のためにどのようにたたかわなければならないかということが説明され、労働者の要求が掲げられていた。これらのビラは、資本主義の潰瘍、労働者の窮乏した生活、十二時間ないし十四時間という過度の労働、かれらの無権利状態などの真相をあますところなく暴露した。それにはまた適切な政治的要求も提起されていた。」
見たまえ、「よくつかんでいた」のだ。「あますところなく暴露した」のだ。
「一八九四年末に、レーニンは労働者バブシュキンの協力をえて、はじめてこのような扇動ビラを書き、またストライキ中のペテルブルグのセミヤンニコフ工場の労働者にあてたメッセージを書いた。」
ビラ一枚書くにも状況をよくつかんでいる同志と相談しなければならない。レーニンはこのような調査と研究をもとにして文章を書き、活動をしたのである。
「こうしたビラは、どれもこれも労働者を大いに元気づけた。労働者は、社会主義者がかれらを援助し、かれらを擁護していることを知った。」〔5〕
われわれは、レーニンに賛成か。もし賛成なら、レーニンの精神にもとづいて活動しなければならない。全編これ空論、いささかも中味なし、ではなく、的なくして矢をはなち、対象を見ず、でもなく、また、ひとりよがりにして、長広舌を振るう、でもなくて、レーニンのとおりにすることである。
第二の文章は、ディミトロフがコミンテルン第七回大会でおこなった報告からの抜粋である。ディミトロフはなんといっているだろうか。かれはつぎのようにいっている。「書物の上の公式のことばではなくて、大衆の事業のために闘争している戦士のことばで大衆と話をすることを身につけなければならない。このような戦士のことばの一つ一つ、思想の一つ一つは、みな、何百何千万の大衆の思想や気分を反映したものである。」
「われわれが、大衆に理解できることばで話すことを身につけなければ、広範な大衆はわれわれの決議を理解することができない。われわれはいつでも、大衆になじまれているわかりやすい形で、簡単に、具体的に話をすることにまだまだ習熟していない。われわれはまだ、棒暗記した抽象的な公式をすてることができないでいる。実際、もし諸君がわれわれのビラ、新聞、決議、またはテーゼを点検してみるなら、一般労働者はもちろんのこと、わが党の活動家でさえ理解しにくいほどのむずかしいことばで書かれていることがよくある。」
どうだろう、われわれの欠陥をずばりとついているではないか。たしかに、党八股は中国にもあれば外国にもある。だから共通した病気だということがわかる(笑声)。だが、われわれはなんとしてもディミトロフ同志の指示にしたがって、われわれ自身の欠陥をはやくなおさなければならない。
「われわれはみなつぎの最低限の規則を定律として、ボリシェビキの定律として、しっかり身につけなければならない。すなわち書いたり話したりするときには、いつも一般の労働者の一人ひとりが諸君のいうことを理解し、諸君のよびかけを信じ、諸君について進むようになることを念頭におかなくてはならない。諸君はいったいだれのために書き、だれにむかって話をしているかを念頭におかなくてはならない。」〔6〕
これがつまり、コミンテルンがわれわれの病をなおすためにくれた処方であり、かならず遵守しなければならないものである。これは「規則」なのだ。
第三の文章は、『魯迅全集』からえらんだものである。これはどのように文章を書くかを論じたもので、魯迅が「北斗雑誌社」〔7〕におくった返信である。かれはどういっているか。魯迅は文章を書くばあいの規則として八ヵ条をあげているが、わたしは、ここでそのうちのいくつかをぬきだして話してみよう。
第一条「いろいろなことがらに気をくばり、よく見ること。ちょっと見ただけで筆をとってはならない。」
ここでいっているのは、一つや二つのことがらではなしに、「いろいろなことがらに気をくばる」ことである。ひと目やふた目だけ見るのではなしに、「よく見る」ことである。われわれはどうか。かれとはまったく反対に、ちょっと見ただけで筆をとっているのではないだろうか。第二条「書けないときにはむりに書かないこと。」
われわれはどうか。頭のなかになんにもないことがはっきりしているのに、むりに書きまくろうとしているのではないだろうか。調査もせず研究もせずに筆をとって「むりに書く」。これは無責任な態度である。
第四条「書き終わってから少なくとも二へんは読みかえし、あってもなくてもよい字句や段落は、惜しげもなくできるだけけずること。むしろ小説にできるほどの材料をスケッチにちぢめるとしても、けっしてスケッチの材料を小説にひきのばしてはならない。」
孔子は「再思」〔8〕を提唱し、韓愈も「行は思に成る」〔9〕とのべているが、それは昔のことである。こんにちのことがらはきわめて複雑な問題をふくんでおり、なかには三、四回考えてもまだたりないことさえある。魯迅は「少なくとも二へんは読みかえす」といっているが、では多いときは何べんか。かれはそれにはふれていないが、わたしの考えでは、重要な文章なら十回以上読みかえしてもさしつかえなく、しんけんに添削をくわえたうえで発表したほうがよい。文章は客観的事物の反映であり、事物は曲折した複雑なものであって、それを適切に反映するにはくりかえし研究しなければならない。この点をおろそかにするのでは、文章を書く最低限の知識もわきまえないということになる。
第六条「自分以外にはだれにもわからないような形容詞のたぐいをむりにこしらえないこと。」
われわれが「むりにこしらえた」ものはあまりにも多く、要するに「だれにもわからない」。一句が四、五十字にものぼる長いものがあり、そのなかには、「だれにもわからないような形容詞のたぐい」がいっぱいつめこまれていろ。口をひらけば魯迅を支持するといっている多くの人が、じつは魯迅にそむいているのだ。
最後の文章は、中国共産党第六期中央委員会第六回総会で宣伝の民族化についてのべたものである。この総会は一九三八年にひらかれたが、そのときわれわれは、「中国の特徴をはなれてマルクス主義を論じるとすれば、それは抽象的な空虚なマルクス主義にすぎない」とのべた。それは、つまりマルクス主義について空論することに反対しなければならす、中国で生活している共産党員は、中国の革命の実際に結びつけてマルクス主義を研究しなければならないということである。
「洋八股は廃止すべきであり、空虚で抽象的な調子で歌うことは少なくすべきであり、教条主義は休みにすべきであって、新鮮でいきいきとした、中国の民衆によろこばれる中国的な作風や中国的な気風をもってそれに変えなければならない。国際主義的内容を民族的形式から切りはなすのは、国際主義をすこしも理解していないもののやり方であって、われわれはこの両者をしっかりと結びつけなくてはならない。この問題についてわれわれの隊列内に存在している一部の重大なあやまりは、しんけんに克服しなければならない。」
ここでは、洋八股を廃止するようにといっているのに、実際にはまだそれを提唱している同志がいる。ここでは、空虚で抽象的な調子で歌うことを少なくしようといっているのに、それをどうしても多く歌おうとする同志がいる。ここでは、教条主義はお休みにしようといっているのに、それを起こそうとする同志がいる。要するに、第六期中央委員会第六回総会で採択された報告を聞き流し、わざとこれにさからっているかのような人がたくさんいるのである。
中央がこんど、党八股や教条主義のたぐいを徹底的になげすてなければならないと決定したので、わたしはたくさんのことを話した。同志諸君がわたしの話したことについて考え、それを分析してみると同時に、それぞれ自分のことについても分析するよう希望する。一人ひとりが自分についてじっくり考え、自分で考えてはっきりしたことを心の通う友と話しあい、まわりの同志と話しあって、自分の欠陥を着実にあらためるべきである。
〔 ##注## 〕
〔1〕 洋八股は五・四運動以後、一部の浅薄なブルジョア知識人および小ブルジョア知識人が発展させたものであり、またかれらを通じてひろめられ、長いあいだ革命の文化隊列内に存在しつづけた。魯迅は、その多くの著作のなかで、革命の文化隊列内の洋八股に反対し、こうした洋八股を批判してつぎのようにいっている。「八股文は新旧をとわず掃討すべきだが、……たとえば『罵倒』、『威嚇』、はては『判決』を下すだけで、科学でえられた公式を具体的に適切に応用して、日々の新しい事実、新しい現象を解釈しようとせず、ただ公式を敷き写しにして、それを一切の事実にやたらにあてはめる、これも一種の八股である。」(「祝秀侠への返信」)
〔2〕 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔37〕を参照。
〔3〕 魯迅の『南腔北調集』中の文章の題名。一九三二年に書かれたもので、『魯迅全集』第五巻にある。
〔4〕 解放前、正当な職業をもたず、こじきや盗みをはたらいてくらしていた都市のルンペンを、上海の人は癟三とよんでいた。かれらはたいていひじょうにやせていた。
〔5〕 『ソ連共産党歴史小教程』第一章第三節にみられる。
〔6〕 ディミトロフがコミンテルン第七回大会でのべた結語『ファシズムに反対する労働者階級の統一のために』の第六の部分「正しい路線だけではまだ不十分である」にみられる。
〔7〕 『北斗雑誌』は、中国左翼作家連盟が一九三一年から一九三二年にかけて発行していた月刊誌である。「北斗雑誌社の問いに答う」は『魯迅全集』第四巻の『二心集』におさめられている。
〔8〕 『論語』の「公冶長第五」にみられる。
〔9〕 韓愈は八世紀から九世紀にかけての人で、中国唐代の著名な大著述家である。かれは「進学解」という文章のなかで、「行は思に成り、随に毀る」といっている。それは、思が成功するのは思考したことにより、失敗するのは思考しなかったことによる、という意味である。




