『共産党人』発刊のことば (一九三九年十月四日)
党中央は早くから党内刊行物の発行を計画していたが、こんどそれが実現されることになった。全国的範囲の、ひろい大衆性のある、思想的、政治的、組織的に完全に強固な、ボリシェビキ化された中国共産党を建設するためには、このような刊行物が必要である。いまの時点において、その必要性は、いっそう明らかである。いまの時点の特徴は、一方では、抗日民族統一戦線内での投降の危険、分裂の危険、後退の危険が日ましに増大していること、他方では、わが党がすでに狭いわくからぬけだして、全国的な大きな党になったことである。党の任務は、投降の危険、分裂の危険、後退の危険を克服するよう、大衆を動員するとともに、おこりうる突発事件のなかで党と革命に予期しない損害をこうむらせないように、そうした突発事件にそなえることである。このような時点に、このような党内刊行物を発行することは、ぜひとも必要である。
この党内刊行物は『共産党人』と名づけられる。その任務はなにか。どういうものが掲載されるのか。党のほかの機関紙とどうちがうのか。
その任務とは、全国的範囲の、ひろい大衆性のある、思想的、政治的、組織的に完全に強固な、ボリシェビキ化された中国共産党の建設をたすけることである。中国革命の勝利のためにはこのような党を建設することがさしせまって必要であるが、このような党を建設する主観的客観的条件も、すでにだいたいそなわっているし、この偉大な建設工事もげんに進行中である。この偉大な工事の進行をたすける任務は、一般の党機関紙がにないうるものではなく、どうしても専門の党機関紙がなければならない。これが『共産党人』発行の理由である。
わが党は、ある程度からいって、すでに全国的な党になっており、また大衆的な党になっている。しかも、指導の骨幹についてみても、一部の党員についてみても、総路線についてみても、革命の活動についてみても、すでに思想的、政治的、組織的に強固な、ボリシェビキ化された党になっている。
それでは、いま新しい任務を提起する理由はどこにあるのか。
その理由はつぎの諸点にある。すなわち、現在、われわれはたくさんの新しい党員からなる多くの新しい組織をもっているが、これらの新しい組織は、まだひろい大衆性をもったものとはいえず、まだ思想的、政治的、組織的に強固なものではなく、まだボリシェビキ化されてはいない。同時に、ふるい党員についても、その水準をたかめるという問題がうまれており、ふるい組織についても、思想的、政治的、組織的にこれをもっと強固にし、もっとボリシェビキ化するという問題がうまれている。党のおかれている環境と党のになっている任務は、現在では過去の国内革命戦争の時期と大いにちがっており、現在の環境ははるかに複雑で、現在の任務ははるかに困難なものである。
現在は民族統一戦線の時期であり、われわれはブルジョア階級と統一戦線をうちたてている。現在は抗日戦争の時期であり、わが党の武装力は、前線で友軍と呼応して、敵と苛烈な戦争をおこなっている。現在はわが党が全国的な大きな党に発展している時期であり、党はもう以前のようなものではない。これらの状況を結びつけてみるならば、われわれの提起した「全国的範囲の、ひろい大衆性のある、思想的、政治的、組織的に完全に強固な、ボリシェビキ化された中国共産党を建設する」ということが、いかに光栄な、しかも重大な任務であるかがわかるであろう。
われわれは、いまそのような党を建設しようとしているが、いったい、どのようにそれをすすめるべきであろうか。この問題の解決は、わが党の歴史、わが党の十八年にわたる闘争の歴史と切りはなすことができない。
わが党の歴史は、一九二一年の第一回全国代表大会のときから、こんにちまですでにまる十八年になる。この十八年のあいだに、党はかずかずの偉大な闘争をへてきた。党員、党の幹部、党の組織は、それらの偉大な闘争のなかで、みずからをきたえてきた。かれらは、偉大な革命の勝利をへてきたし、重大な革命の失敗もへてきた。ブルジョア階級と民族統一戦線をうちたてたこともあるし、また、この統一戦線の決裂によって、大ブルジョア階級およびその同盟者ときびしい武装闘争をおこなったこともある。最近の三年間は、またブルジョア階級との民族統一戦線結成の時期におかれている。このように、中国革命と中国共産党は、中国ブルジョア階級との複雑な関係のなかで、その発展の道をたどってきたのである。これは一つの歴史的特徴であって、いかなる資本主義国の革命の歴史にもみられない、植民地・半植民地の革命の過程における特徴である。さらに、中国は半植民地・半封建の国であり、政治、経済、文化の各方面の発展の不均等な国であり、半封建的経済が優位をしめ、しかも広大な国土をもつ国であって、このことが、中国の現段階の革命の性質はブルジョア民主主義革命であり、革命の主要な対象は帝国主義と封建主義であり、革命の基本的な原動力はプロレタリア階級、農民階級および都市小ブルジョア階級であり、そして一定の時期に、一定の程度において民族ブルジョア階級もそれに参加することを規定するばかりでなく、中国の革命闘争の主要な形態は武装闘争であることを規定している。わが党の歴史は、ほかでもなく武装闘争の歴史であるといえる。スターリン同志はいっている。「中国では、武装した革命が武装した反革命とたたかっている。これは、中国革命の特徴の一つであり、その長所の一つでもある。」〔1〕この指摘はきわめて正しい。この時徴、この半植民地の中国の特徴は、やはり、資本主義諸国の共産党が指導する革命の歴史にはみられないか、あるいはそれらの国とはちがったものである。したがって、(一)プロレタリア階級がブルジョア階級と革命の民族統一戦線をうちたてるか、あるいはそうした統一戦線の分裂をよぎなくされること、(二)革命の主要な形態が武装闘争であること――これが中国ブルジョア民主主義革命の過程における二つの基本的特徴となっている。ここではわれわれは、党と農民階級、党と都市小ブルジョア階級との関係を基本的特徴としてはいないが、それは、第一に、このような関係は世界各国の共産党にとって原則的にはおなじであり、第二に、中国では、武装闘争といえばそれは実質的には農民戦争であり、党と農民戦争との密接な関係は、とりもなおざず党と農民との関係だからである。
この二つの基本的特徴から、そしてまさにこれらの基本的特徴からして、わが党の建設過程、わが党のボリシェビキ化の過程は、特殊な状況におかれている。党の失敗と勝利、党の後退と前進、党の縮小と拡大、党の発展と強化は、いずれも党とブルジョア階級との関係ならびに党と武装闘争との関係につながらざるをえない。わが党の政治路線が、ブルジョア階級と統一戦線をうちたてるか、あるいは統一戦線の分裂をよぎなくされるという問題を正しく処理したばあいには、わが党の発展、強化およびボリシェビキ化は一歩前進するが、ブルジョア階級との関係を正しく処理しないばあいには、わが党の発展、強化およびボリシェビキ化は一歩後退する。同様に、わが党が革命の武装闘争の問題を正しく処理したばあいには、わが党の発展、強化およびボリシェビキ化は一歩前進するが、この問題を正しく処理しないばあいには、わが党の発展、強化およびボリシェビキ化は一歩後退する。十八年らいの党の建設過程、党のボリシェビキ化の過程は、このように党の政治路線と密接につながっており、党が統一戦線の問題や武装闘争の問題を正しく処理したか、正しく処理しなかったかということと密接につながっている。この断定は、すでに十八年間の党の歴史によってはっきりと証明されている。逆にいえば、党がよりいっそうボリシェピキ化したとき、またそのときにこそ、党はより正しく党の政治路線を処理し、より正しく統一戦線の問題と武装闘争の問題を処理することができるのである。この断定も、十八年らいの党の歴史によってはっきりと証明されている。
したがって、統一戦線の問題、武装闘争の問題、党建設の問題は、中国革命におけるわが党の三つの基本問題である。この三つの問題とその相互関係を正しく理解したら、中国革命の全体を正しく指導したことになる。十八年間の党の歴史を通じて、われわれの豊富な経験、つまり失敗と成功、後退と前進、縮小と発展についての深刻な、豊富な経験によって、われわれはすでに、この三つの問題について正しい結論をくだせるようになった。すなわち、われわれはすでに、統一戦線の問題を正しく処理し、また武装闘争の問題を正しく処理し、さらに党建設の問題を正しく処理することができるようになった。つまり十八年間の経験を通じて、われわれは統一戦線、武装闘争、党建設が、中国革命において中国共産党が敵にうち勝つための三つの宝――三つの主要な宝であることを知った。これは中国共産党の偉大な成果であるとともに、中国革命の偉大な成果でもある。
ここで、この三つの宝、三つの問題について、それぞれおおまかにのべてみよう。
十八年のあいだに、中国のプロレタリア階級と中国のブルジョア階級やその他の階級との統一戦線は、一九二四年から一九二七年までの第一次大革命の段階、一九二七年から一九三七年までの土地革命戦争の段階、およびこんにちの抗日戦争の段階という三つのちがった状況、三つのちがった段階をへて発展してきている。この三つの段階の歴史は、つぎのような法則を証明している。(一)中国のうけている最大の抑圧が民族的抑圧であることから、中国の民族ブルジョア階級は、一定の時期に、一定の程度において、反帝国主義および反封建軍閥の闘争に参加することができる。したがって、プロレタリア階級は、この一定の時期には民族ブルジョア階級と統一戦線をうちたて、しかもできるだけそれを維持すべきである。(二)また、中国の民族ブルジョア階級は、その経済的、政治的な軟弱性のために、他の歴史的環境のもとでは、動揺し変節する。したがって、中国革命の統一戦線の内容は終始同一のものではありえず、変化するものである。ある時期には、民族ブルジョア階級がそれに参加するが、他の時期には民族ブルジョア階級はそれに参加はしない。(三)買弁性をおびた中国の大ブルジョア階級は、直接帝国主義に奉仕するとともに、かれらに養われている階級である。したがって、買弁性をおびた中国の大ブルジョア階級は従来から革命の対象であった。ところが、買弁性をおびた中国の大ブルジョア階級の各集団は、それそれちがった帝国主義を背景にしているので、各帝国主義間の矛盾が先鋭化したばあい、革命のほこさきが主としてある一つの帝国主義にむけられたばあい、他の帝国主義の系統に属する大ブルジョア階級の集団が、一定の程度、一定の時期、ある一つの帝国主義に反対する闘争に参加する可能性もある。このような一定の時期には中国のプロレタリア階級は、敵をよわめ、自己の予備勢力を強めるために、そのような大ブルジョア階級の集団と可能な統一戦線をうちたててよいし、また革命に有利であることを条件として、できるだけそれを維持する。(四)買弁的な大ブルジョア階級は、統一戦線に参加し、プロレタリア階級といっしょに共同の敵とたたかっているときでも、やはり非常に反動的である。かれらは、プロレタリア階級とその政党の思想的、政治的、組織的発展にあくまで反対し、それに制限をくわえ、欺瞞、誘惑、「溶解」、打撃などといった破壊政策をとるとともに、それらの破壊政策によって敵に投降し、統一戦線を分裂させる用意をする。(五)プロレタリア階級のゆるぎない同盟者は農民である。(六)都市の小ブルジョア階級もまた信頼しうる同盟者である。以上の法則の正しさは、第一次大革命の時期と土地革命の時期に証明されたばかりでなく、現在の抗日戦争のなかでも証明されつつある。したがって、プロレタリア階級の党はブルジョア階級(とくに大ブルジョア階級)と統一戦線を結成する問題では、二つの戦線での断固とした、厳然たる闘争をおこなわなければならない。一方では、ブルジョア階級が一定の時期、一定の程度において、革命闘争に参加する可能性のあることを無視するというあやまりに反対しなければならない。このようなあやまりは、中国のブルジョア階級を資本主義国のブルジョア階級とおなじものとみなし、このため、ブルジョア階級と統一戦線をうちたて、この統一戦線をできるだけ維持するという政策を無視するもので、これが「左」翼閉鎖主義である。他方では、プロレタリア階級の綱領、政策、思想、実践などをブルジョア階級のそれとおなじものとみなし、そのあいだの原則的な差異を無視するというあやまりに反対しなければならない。このようなあやまりは、ブルジョア階級(とくに大ブルジョア階級)が、小ブルジョア階級および農民に影響をあたえるばかりでなく、プロレタリア階級と共産党にも影響をあたえようとつとめ、プロレタリア階級と共産党の思想的、政治的、組織的独自性をおしつぶし、プロレタリア階級と共産党をブルジョア階級とその政党の付属物にかえ、革命の成果をブルジョア階級の一党一派のものにしようとやっきになっている事実を無視すること、また、ブルジョア階級(とくに大ブルジョア階級)は革命がその一党一派の利益と衝突するようになると、革命を裏切るという事実を無視することにある。この面を無視するならば、それは右翼日和見主義である。過去の陳独秀の右翼日和見主義の特徴は、プロレタリア階級をブルジョア階級の一党一派の利益に適応させるようにみちびいたことであって、これが第一次大革命を失敗させた主体的な原因でもあった。ブルジョア民主主義革命における中国ブルジョア階級のこのような二重性が中国共産党の政治路線と党建設にあたえた影響はきわめて大きく、中国ブルジョア階級のこのような二重性を理解しなければ、中国共産党の政治路線と党建設を理解することはできない。中国共産党の政治路線の重要な部分は、つまりブルジョア階級と連合し、またこれと闘争するという政治路線である。中国共産党の党建設の重要な部分は、つまりブルジョア階級と連合し、またこれと闘争するなかで発展し、きたえあげられてきたのである。ここでいう連合とは、ブルジョア階級との統一戦線のことである。闘争とは、ブルジョア階級と連合しているときには、思想的、政治的、組織的におこなう「平和的」な「血を流さない」闘争のことであり、ブルジョア階級との分裂をよぎなくされたときには、それが武装闘争に転化する。もしわが党が、一定の時期にブルジョア階級と連合することを知らないならば、党は前進することができず、革命は発展することができない。もしわが党が、ブルジョア階級と連合しているときに、同時にブルジョア階級にたいして、断固とした、厳然たる「平和的」闘争をおこなうことを知らないならば、党は思想的、政治的、組織的にくずれさり、革命は失敗するであろう。さらに、もしわが党が、ブルジョア階級との分裂をよぎなくされたときに、ブルジョア階級にたいして、断固とした、厳然たる武装闘争をおこなわないならば、同様に、党はくずれさり、革命も失敗するであろう。これらはすべて過去十八年の歴史のなかで証明されたことである。
中国共産党の武装闘争とは、プロレタリア階級に指導された農民戦争のことである。その歴史も、三つの段階にわけることができる。第一の段階は北伐戦争への参加である。当時、わが党は、すでに武装闘争の重要性がわかりかけてはいたが、まだその重要性を徹底的には理解しておらず、まだ武装闘争が中国革命の主要な闘争形態であることを理解していなかった。第二の段階は土地革命戦争である。当時、わが党は、すでに独自の武装部隊をつくりあげ、独自の戦争の芸術を身につけ、人民政権と根拠地をうちたてた。わが党は、すでに武装闘争というこの主要な闘争形態を、他の多くの必要な闘争形態と直接あるいは間接に呼応させることができるようになった。すなわち武装闘争を、労働者の闘争、農民の闘争(これが主要なものである)、青年、婦人などすべての人民の闘争、権力のための闘争、経済戦線での闘争、奸徒粛清戦線での闘争、思想戦線での闘争などといった闘争形態と、全国的範囲で直接あるいは間接に呼応させたことである。このような武装闘争が、プロレタリア階級に指導された農民の土地革命闘争であった。第三の段階は現在の抗日戦争の段階である。この段階では、われわれは、過去の第一段階、とくに第二段階での武装闘争の経験を活用することができ、武装闘争の形態を他のさまざまな必要な闘争形態とたがいに呼応させる経験を活用することができるようになった。このような武装闘争の全般的概念が、当面においては遊撃戦争である〔2〕。遊撃戦争とはなにか。それは、おくれた国において、半植民地の大国において、人民の武装部隊が武装した敵にうち勝ち、自己の陣地をつくりあげるために、長期にわたって依拠しなければならない、したがって、またもっともよい闘争形態である。これまでわが党の政治路線と党建設は、この闘争形態と緊密なつながりをもってきた。武装闘争をはなれ、遊撃戦争をはなれては、われわれの政治路線を理解することもできないし、われわれの党建設を理解することもできない。われわれの政治路線の重要な部分は武装闘争である。十八年らい、わが党は、しだいに武装闘争を身につけてきたし、またそれを堅持してきた。中国では、武装闘争をはなれては、プロレタリア階級の地位はなく、人民の地位はなく、共産党の地位はなく、革命の勝利はないことをわれわれは理解している。十八年らい、わが党の発展、強化およびボリシェビキ化は、革命戦争のなかですすめられており、武装闘争なしには、こんにちの共産党はありえない。血をもってあがなわれたこの経験を、全党の同志はわすれてはならない。
党建設の過程、党の発展、強化およびボリシェビキ化の過程にも、同じく、三つの段階の特徴がある。第一の段階は党の幼年期である。この段階の初期と中期には、党の路線は正しく、党員大衆と党幹部の革命にたいする積極性は非常に高かったので、第一次大革命の勝利がえられた。しかし、当時の党は、なんといってもまだ幼年の党であって、統一戦線、武装闘争、党建設という三つの基本問題について経験のない党であり、中国の歴史と社会の状況、中国革命の特徴、中国革命の法則についてもあまりわかっていない党であり、マルクス・レーニン主義の理論と中国革命の実践をまだ全体的に、統一的に理解していない党であった。したがって、党の指導機関のなかで支配的地位をしめていた成員は、この段階の末期、この段階の重大な瀬戸ぎわに、革命の勝利をかためるよう全党を指導することができず、ブルジョア階級にだまされて革命を失敗させた。この段階では、党の組織は拡大したが、強固になっておらず、党員と党の幹部を思想的に政治的に確固としたものにすることができなかった。新しい党員は非常に多かったが、必要なマルクス・レーニン主義の教育がほどこされなかった。活動の経験もすくなくはなかったが、それをよく総括することができなかった。党内には大量の投機分子がもぐりこんでいたが、それを一掃していなかった。党は敵や同盟者の陰謀術策の包囲のなかにおかれていたが、警戒心をもたなかった。党内にはたくさんの活動家がうまれたが、それを党の中堅的骨幹にそだてあげる余裕がなかった。党の手中には若干の革命的武装力があったが、それをしっかりにぎることができなかった。これらの状態はすべて、経験がなかったこと、革命にたいするふかい認識に欠けていたこと、マルクス・レーニン主義の理論を中国革命の実践と結びつけるのに未熟であったこと、などによるものである。これが党建設の第一の段階である。第二の段階は、土地革命戦争の段階である。第一段階での経験があったこと、中国の歴史と社会の状況、中国革命の特徴、中国革命の法則についての理解が一歩ふかまったこと、またわれわれの幹部が、マルクス・レーニン主義の理論をいっそう多く身につけ、マルクス・レーニン主義の理論を中国革命の実践と結びつけることをより多く習得したことによって、わが党は、勝利にかがやく十年の土地革命闘争をすすめることができた。ブルジョア階級が裏切ったにもかかわらず、党は農民にしっかり依拠することができた。党の組織はふたたび拡大したばかりでなく、しかも強固になった。敵は毎日のようにわが党を内部から破壊していたが、党はその破壊分子を駆逐した。党内にはふたたびおおぜいの幹部がうまれ、しかも党の中心的骨幹となった。党は人民政権の道をきりひらき、それによって、治国安民の芸術を身につけた。党は堅固な武装部隊をつくりあげ、それによって、戦争の芸術を身につけた。これらのことは、すべて党の大きな進歩であり、大きな成功であった。だが、この偉大な闘争のなかで、一部の同志は、日和見主義のどろ沼におちこんでしまったか、あるいはかつておちこんだことがある。これはやはり、かれらが過去の経験から謙虚に学びとろうとせず、中国の歴史と社会の状況、中国革命の特徴、中国革命の法則がわからず、マルクス・レーニン主義の理論と中国革命の実践を統一的に理解していなかったことからきたものである。このために、党の指導機関の一部の人びとは、この全段階を通じて、正しい政治路線と組織路線をしっかり把握することができなかった。党と革命は、ある時期には、李立三同志の「左」翼日和見主義の危害をこうむり、また他の時期には、革命戦争のなかでの「左」翼日和見主義と白色地区での活動における「左」翼日和見主義の危害をこうむった。遵義会議(一九三五年一月、貴州省の遵義でひらかれた党中央政治局会議)ののちになって、党ははじめて徹底的にポリシェビキ化の道をあゆむようになり、その後張国燾の右翼日和見主義にうち勝ち抗日民族統一戦線をうちたてるための基礎をすえた。これが党の発展過程における第二の段階である。党の発展過程における第三の段階は、抗日民族統一戦線の段階である。この段階はすでに三ヵ年すぎており、この三年間の闘争は非常に偉大な意義をもっている。党は、過去の二つの革命段階における経験、党の組織の力と武装力、全国人民のあいだにおける党の高い政治的な威信をよりどころにし、マルクス・レーニン主義の理論と中国革命の実践をいっそうふかめ、いっそう統一させた党の理解をよりどころにして、抗日民族統一戦線をうちたてたばかりでなく、偉大な抗日戦争をすすめてきた。党の組織はすでに狭いわくからぬけでて全国的な大きな党になった。党の武装力も、日本侵略者との闘争のなかでふたたび強大になり、いっそう堅固なものになってきた。全国人民のあいだにおける党の影響はいっそうひろまった。これらはいずれも偉大な成功である。だが、たくさんの新しい党員はまだ教育をうけておらず、多くの新しい組織はまだ強固になっておらず、ふるい党員、ふるい組織とのあいだにはまだ大きな差がある。たくさんの新しい党員と新しい幹部は、まだ革命の経験が十分でない。かれらは、中国の歴史と社会の状況、中国革命の特徴、中国革命の法則がまだわかっていないか、あるいはあまりわかっていない。そしてマルクス・レーニン主義の理論と中国革命の実践を完全に、統一的に理解するまでにはまだほど遠い。これまで党組織を拡大する活動において、党中央が「大胆に拡大するが、悪質分子は一人ももぐりこませない」というスローガンをつよく提起したにもかかわらず、実際には、多くの投機分子や敵の破壊分子がもぐりこんできた。統一戦線が結成され、しかも三年間も堅持されているが、ブルジョア階級、とくに大ブルジョア階級は、四六時中わが党を破壊しようとたくらんでおり、大ブルジョア階級の投降派と頑迷派のさしずする重大な摩擦闘争①が全国的におこなわれているし、反共のわめきはたえたことがない。大ブルジョア階級の投降派と頑迷派は、またこれによって、日本帝国主義に投降し、統一戦線を分裂させ、中国を後退させる用意をしている。大ブルジョア階級は、思想的には共産主義を「溶解」し、政治的、組織的には共産党を解消し、辺区を解消し、党の武装力を解消しようとたくらんでいる。このような状況のもとで、われわれの任務は疑いもなく、このような投降、分裂、後退の危険を克服し、できるだけ民族統一戦線を維持し、国共合作を維持して抗日、団結、進歩の継続をたたかいとること、それと同時に、おこりうる突発事件のなかで党と革命におもいがけない損害をこうむらせないように、そうした突発事件にそなえることである。この目的を達成するためには、党の組織をかため、党の武装力をかためるとともに、投降、分裂、後退に反対する断固たる闘争をすすめるよう、全国の人民を動員しなければならない。この任務は、全党の努力およびすべての党員、党の幹部、各地各級の党組織の不撓不屈の、ますます力強い闘争に依拠して達成されるのである。十八年間の経験をもつ中国共産党は、経験をつんだふるい党員、ふるい幹部と新鮮な血液をもった、生気はつらつとした新しい党員、新しい幹部との相互協力によって、また荒波にきたえられてきた、ボリシェビキ化された党中央と地方組織との相互協刀によって、またその堅固な武装力と進歩的な人民大衆との相互協力によって、これらの目的を達成できるものとわれわれは信ずる。
以上が、十八年にわたるわが党の主要な歴程と主要な問題である。
十八年間の経験がわれわれに教えているように、統一戦線と武装闘争は敵にうち勝つ二つの基本的な武器である。統一戦線は、武装闘争を実行する統一戦線である。そして党の組織は、統一戦線と武装闘争というこの二つの武器をにぎって敵陣に突入する勇敢な戦士である。これが三者の相互関係である。
こんにち、われわれは、どのようにしてわが党を建設しなければならないか。どのようにすれば、「全国的範囲の、ひろい大衆性のある、思想的、政治的、組織的に完全に強固な、ボリシェビキ化された中国共産党」を建設することができるのか。この問題は、わが党の歴史を考えてみるならば、わかることであり、党建設の問題を統一戦線の問題、武装闘争の問題と結びつけてみるならば、党建設の問題を、ブルジョア階級と連合しまたこれと闘争するという問題、八路軍、新四軍が抗日遊撃戦争を堅持し抗日の根拠地を樹立するという問題と結びつけてみるならば、わかることである。
マルクス・レーニン主義の理論と中国革命の実践との統一という理解にもとづいて、十八年間の経験と当面の新しい経験を集中し、これを全党につたえ、党を鉄のように強固にして、過去におかしたあやまりをくりかえざないこと――これがわれわれの任務である。
〔 ##注## 〕
〔1〕 スターリンの『中国革命の見通しについて』から引用。
〔2〕 毛沢東同志がここで、中国革命の武装闘争の全般的概念は遊撃戦争である、といっているのは、第二次国内革命戦争から抗日戦争の初期までの中国革命戦争の経験を総括したものである。中国共産党か指導した武装闘争は、第二次国内革命戦争の時期の長い期間、すべて遊撃戦争であった。この時期の後の段階では、赤軍の力か伸びるにつれて、遊撃戦は遊撃性をおびた運動戦(毛沢東同志はこのような運動戦を、高められた遊撃戦争と規定している)に転じた。だが、抗日戦争の期間中は、敵情の変化によって、遊撃性をおびたこの運動戦は、ふたたび遊撃戦争に転じた。抗日戦争の初期には、右翼日和見主義のあやまりをおかした党内の同志たちは、党の指導する遊撃戦争を軽視し、自分の望みを国民党軍隊の作戦に託した。毛沢東同志は、『抗日遊撃戦争の戦略問題』、『持久戦について』および『戦争と戦略の問題』などの著作のなかで、そのような観点を論ばくし、また、この論文のなかで、長期にわたって中国革命の武装闘争が遊撃戦争の形態をとった経験について、理論的に総括をした。中国共産党の指導する武装闘争は、抗日戦争の後期、とくに第三次国内革命戦争の時期になると、革命勢力のあらたな成長と敵情のあらたな変化によって、戦争の主要な形態が、遊撃戦争から正規戦争に転じた。そして第三次国内革命戦争の後期には、さらに、大量の重火器を使用し、かつ攻城戦をふくめた大兵団作戦に発展した。
〔 ##訳注## 〕
① 本巻の『投降の策動に反対せよ』注〔8〕を参照。




