ソ連の利益と人類の利益との一致 (一九三九年九月二十八日)
偉大な十月社会主義革命の二二周年記念日をまぢかにひかえて、中ソ文化協会から文章を書くように求められた。わたしは、自分の観察にもとづいて、ソ連と中国のどちらにも関係のあるいくつかの問題を説明しようとおもう。というのは、これらの問題がいま中国の広範な人民のあいだで論議されており、まだはっきりした結論をえていないようにみえるからである。こうしたときに、これらの問題についていくらか意見をのべ、欧州大戦と中ソ関係に関心をもつ人びとの参考にしてもらうのも、無益ではないとおもう。
一部の人はつぎのようにいっている。ソ連は世界大戦の勃発によって有利になるので、世界平和の存続を求めていない。こんどの大戦の勃発は、ソ連がイギリス、フランスと相互援助条約を締結しないで、ドイツと相互不可侵条約を締結したことによって促されたものだ、と。わたしは、このような意見は正しくないとおもう。なぜなら、これまで長いあいだ、ソ連の対外政策は一貫して、ソ連の利益を世界人類の大多数の利益と結びつけた平和政策であったからである。これまで、ソ連は、自己の社会主義建設のために平和を必要とし、反ソ戦争のおこらないよう世界各国との平和関係を強化することを必要としたばかりでなく、世界的範囲での平和をたたかいとるため、ファシスト諸国の侵略を阻止し、いわゆる民主主義諸国の戦争挑発行為を阻止し、帝国主義世界大戦の勃発をできるだけひきのばすことをも必要としてきた。長年のあいだ、ソ連は世界の平和事業にたいして大きな努力をはらってきた。たとえば、ソ連は国際連盟に加盟したし〔1〕、フランスとも、チェコスロバキアとも相互援助協定を締結したし〔2〕、イギリスおよび平和をねがうすべての国ぐにとも、極力、安全保障の条約を締結しようとした。ドイツとイタリアが連合してスペインを侵略し、イギリス、アメリカ、フランスが名目上は「不干渉」といいながら、実際にはドイツとイタリアの侵略を放任する政策をとったとき、ソ連は、ドイツ、イタリアに反抗するスペイン政府軍を積極的に援助し、イギリス、アメリカ、フランスの「不干渉」政策に反対した。日本が中国を侵略し、イギリス、アメリカ、フランスがおなじような「不干渉」政策をとったとき、ソ連は、中国と相互不可侵条約を締結したばかりでなく、中国の抗日を積極的に援助した。イギリス、フランス両国がオーストリアとチェコスロバキアを犠牲にしてヒトラーの侵略を容認したとき、ソ連は、ミュンヘン政策の内幕を極力暴露し、イギリス、フランスにたいして、侵略のいっそうの拡大を阻止するよう提案した。ことしの春から夏にかけて、ポーランド問題が緊迫し、世界大戦がすぐにも勃発しそうになったとき、チェンバレン、ダラディエになんら誠意がなかったにもかかわらず、ソ連は大戦の勃発を阻止するため、イギリス・フランス・ソ連相互援助条約を締結しようとして、やはりイギリス、フランスと四ヵ月あまりの交渉をおこなったのである。遺憾ながら、これらすべてがイギリス、フランス政府の帝国主義政策、つまり戦争容認、戦争挑発、戦争拡大の政策によってさまたげられたため、世界の平和事業は最後的に挫折し、帝国主義の世界大戦はついに勃発した。イギリス、アメリカ、フランスの各国政府には大戦の勃発を阻止する誠意がなく、逆に、かれらが大戦の勃発を促したのである。かれらがソ連と妥協するのを拒否し、ソ連とのあいだに、平等互恵を基礎にした真に有効な相互援助条約を締結するのを拒否したことは、かれらが平和をのぞまず、戦争だけをのぞんでいることを立証している。周知のように、現在の世界で、ソ連を拒否することは、平和を拒否することである。この点は、イギリスのロイド・ジョージというブルジョア階級の代表的人物でさえ知っている〔3〕。このような状態のもとで、このようなときに、ドイツは反ソを停止し、「防共協定」を放棄し、ソ連国境の不可侵を認める意向があったので、ソ連・ドイツ相互不可侵条約が締結されたのである。イギリス、アメリカ、フランスの計画は、ドイツをうごかしてソ連を進攻させ、かれら自身は、ソ連とドイツをへとへとになるまで戦わせ、「山上に坐して相うつ虎の倒るるを待ち」、時局収拾にのりだすことであった。こうした陰謀はソ連・ドイツ相互不可侵条約によってうちやぶられた。人びとがこうした陰謀に注意せず、イギリス、フランス帝国主義の戦争容認、戦争挑発および世界大戦の勃発促進の陰謀に注意しないのは、まったく、これらの陰謀家の言葉たくみな宣伝にのったものである。これらの陰謀家は、スペイン問題でも、中国問題でも、オーストリアとチェコスロバキアの問題でも、侵略を阻止する意思がすこしもなかったばかりか、逆に、侵略を容認し、戦争を挑発し、他人をシギとハマグリにして、自分は漁夫になろうとしたのであり、それをいかにも聞こえよく「不干渉」といっているのであるが、実際には「山上に坐して相うつ虎の倒るるを待つ」ものであった。世界の多くの人は、チェンバレンやその仲間たちの甘い演説にまどわされて、かれらの笑顔のかげにかくされている剣のおそろしさを知らないでいるし、また、チェンバレン、ダラディエがソ連を拒否する決意をし、帝国主義戦争をする決意をしたときにはじめてソ連がドイツと相互不可侵条約を結んだのだということを知らないでいる。いまは、これらの人びとも目ざめるべきである。ソ連がこのように最後の一瞬まで世界平和を維持しつづけたということは、ソ連の利益が人類の大多数の利益と一致していることのあらわれである。これがわたしのいおうとする第一の問題である。
一部の人は、第二次帝国主義世界大戦が勃発した以上、ソ連は戦争の一方の側に参加するかもしれないといっている、つまりソビエト赤軍がもうすぐドイツ帝国主義側の戦線に参加するかのようにいっている。わたしは、このような意見は正しくないとおもう。いま勃発している戦争は、イギリス、フランス側からいっても、ドイツ側からいっても、不正義の、略奪的な、帝国主義の戦争である。世界各国の共産党、世界各国の人民は、みな立ちあがってこの戦争に反対すべきであり、戦争する双方の帝国主義的性質、すなわち世界の人民にとって害こそあれ利益はすこしもないというこの性質を暴露すべきであり、帝国主義戦争を支持してプロレタリア階級の利益を裏切っている社会民主主義政党の犯罪行為を暴露すべきである。ソ連は、社会主義国であり、共産党が政権をにぎっている国であるから、戦争にたいして、つぎのようなはっきりした二つの態度をとるのは当然である。(1)不正義の、略奪的な、帝国主義の戦争には断じて参加せず、戦争する双方にたいして厳正中立をまもる。したがって、ソビエト赤軍はけっして無原則的に帝国主義戦線に参加することはありえない。(2)正義の、非略奪的な、解放のための戦争を積極的に援助する。たとえば十三年まえには中国人民の北伐戦争を援助したし、一年まえにはドイツ、イタリアに抵抗するスペイン人民の戦争を援助したし、ここ二年らいは中国人民の抗日戦争を援助し、ここ数ヵ月らいはモンゴル人民の抗日戦争を援助している。さらに、将来も、その他の国家、その他の民族におこりうる人民解放の戦争および民族解放の戦争をかならず援助し、平和擁護に有利な戦争をかならず援助するにちがいない。この点については、ソ連の過去二十二年間の歴史がすでに証明しているし、今後の歴史もひきつづき証明するであろう。一部の人は、ソ連が、ソ連・ドイツ通商協定にもとづいてドイツと商取引をしているのを、ドイツ側の戦線に参加する行動だとみているが、これは通商と参戦を混同したためで、このような意見も正しくない。通商と参戦を混同してはならないばかりでなく、通商と援助も混同してはならない。たとえばスペイン戦争中、ソ連はドイツ、イタリア両国と通商していたが、人びとはソ連がドイツ、イタリアのスペイン侵略を援助したとはいわないで、ソ連がドイツ、イタリアの侵略にたいするスペインの抵抗を援助したといっている。これは、ソ連がたしかにスペインを援助したからである。また中日戦争中、ソ連はやはり日本と通商しているが、人びとはソ連が日本の中国侵略を援助しているといわないで、ソ連が日本の侵略にたいする中国の抵抗を援助しているといっている。これはソ連がたしかに中国を援助しているからである。現在、世界大戦をおこなっている双方は、みなソ連と通商関係をもっているが、こうした事実は、双方のいずれにたいしても援助とはいえないし、参戦とはなおさらいえない。戦争の性質が変化し、ある一国もしくはある数ヵ国の戦争が一定の必要な変化をへて、ソ連と世界人民に有利になったときはじめて、援助または参戦の可能性があるのであって、そうでなければこの可能性はない。交戦諸国のソ連にたいする態度が親ソ的であるか反ソ的であるかのちかいによって、ソ連のそれら諸国にたいする通商には、どうしても貿易額や取り扱いに差がつくことになるが、これは交戦諸国自身の態度の問題であって、ソ連側の問題ではない。しかし、たとえある一国またはある数ヵ国が反ソ的な態度をとったとしても、八月二十三日以前のドイツのように、かれらが、ソ連にたいして宣戦するのではなくて、外交関係を維持し、通商条約を結ぶことをのぞむかぎり、ソ連もまたかれらと通商関係を断絶するようなことはない。このような通商関係は援助ではないし、なおさら参戦ではない。これははっきり認識すべきである。これがわたしのいおうとする第二の問題である。
ソ連がポーランドに出兵した〔4〕問題で、わが国の多くの人びとはとまどっている。ポーランド問題は、ドイツの側、イギリス、フランスの側、ポーランド政府の側、ポーランド人民の側、およびソ連の側のいくつかの面にわけてみるべきである。ドイツの側についてみると、それはポーランド人民を略奪するために戦争しているのであり、イギリス、フランス帝国主義戦線の一翼をうちやぶるために戦争しているのである。この戦争の性質は、帝国主義的であり、反対すべきであって、賛同することはできない。イギリス、フランスの側についてみると、それはポーランドをイギリス、フランス金融資本の略奪の対象の一つにしており、かれらの贓品が世界的範囲でドイツ帝国主義に再分配されるのを拒否するためにポーランドを利用しているのであり、ポーランドを自己の帝国主義戦線の一翼とみなしている。したがって、イギリス、フランスのすすめている戦争は帝国主義戦争であり、イギリス、フランスのいわゆるポーランド援助とはポーランドにたいする支配権をドイツとあらそっているにすぎず、これも同様に反対すべきであって、賛同することはできない。ポーランド政府の側についてみると、それはファシスト政府であり、ポーランドの地主・ブルジョア階級の反動政府であって、労働者、農民を苛酷に搾取し、ポーランドの民主主義者を抑圧している。それはまた、ポーランド民族以外の多くの少数民族にたいし、すなわちウクライナ人、白ロシア人、ユダヤ人、ゲルマン人、リトワニア人など千余万の人口をもつ非ポーランド民族にたいして、残酷な民族的抑圧をおこなっているから、大ポーランド主義の政府である。この政府はそれ自身が帝国主義の政府である。こんどの戦争では、ポーランド反動政府は、甘んじてポーランド人民をイギリス、フランス金融資本の肉弾としてかりたて、みずからは甘んじて国際金融資本の反動戦線の一構成部分となっている。ここ二十年らい、ポーランド政府は、一貫してソ連に反対しており、イギリス、フランス、ソ連の交渉にあたっては、ソ連の軍隊の援助をかたくなに拒否した。しかも、この政府はきわめて無能な政府で、百五十万以上の大軍をもちながら、一撃にもたえきれず、わずか二週間のうちに、自国を葬ってしまい、ポーランド人民をドイツ帝国主義にふみにじらせることになった。これらすべては、ポーランド政府のこのうえなく大きな罪悪であって、われわれがこのような政府に賛同するなら、それはまちがいである。ポーランド人民の側についてみると、かれらは犠牲者であり、ドイツ・ファシストの抑圧に反対し、自国の反動的な地主・ブルジョア階級に反対して、独立、自由のポーランド民主国家を樹立するために立ちあがるべきである。われわれがポーランド人民の側に賛同すべきであることは、疑う余地がない。ソ連の側についてみると、それは完全に正義の行動をとっている。当時、ソ連が直面していたのはつぎの二つの問題であった。第一の問題は、全ポーランドをドイツ帝国主義の支配下におくか、それとも東部ポーランドの少数民族に解放をもたちすかということであった。この問題では、ソ連はあとの道をえらんだ。白ロシア民族とウクライナ民族の居住する広大な地域は、一九一八年のブレスト条約締結のとき、すでに当時のドイツ帝国主義によって、幼年のソ連の手からむりにもぎとられ、その後また、ベルサイユ条約によってむりやりにポーランド反動政府の支配下におかれた。いま、ソ連は過去にうしなった土地をとりかえし、抑圧されている白ロシア民族とウクライナ民族を解放するとともに、かれらにドイツの抑圧をうけさせないようにしたまでである。ここ数日らいの外電は、これらの少数民族がどのようによろこんで赤軍をむかえ、赤軍を自分たちの救いの星とみているかを明らかにしている。ところが、ドイツ軍の占領している西部ポーランド地方、フランス軍の占領している西部ドイツ地方には、このようなニュースはすこしもない。このことは、ソ連の戦争が正義の、非略奪的な、解放のための戦争であり、弱小民族の解放を援助し、人民の解放を援助する戦争であること、ドイツの戦争、イギリス・フランスの戦争は、みな、不正義の、略奪的な、帝国主義の戦争であり、他国の民族を抑圧し、他国の人民を抑圧する戦争であることをあらわしている。ソ連はこのほかにも、第二の問題に直面していたが、それは、チェンバレンが反ソのふるい政策を続けようとしていたことである。チェンバレンの政策は、一方では、ドイツの西側を大がかりに封鎖して、ドイツの西部を圧迫することであり、他方では、ドイツを孤立させるため、アメリカと連合し、イタリアを買収し、日本を買収し、北欧諸国を買収して、自分の側につけることであり、さらにもう一方では、ドイツを誘惑するため、ポーランドを贈り物にし、ハンガリーやルーマニアさえも贈り物にしようとしていることである。要するに、脅迫、誘惑などさまざまな方法をつかって、ソ連・ドイツ相互不可侵条約の放棄をドイツにうながし、銃口の向きをかえて、ソ連を攻撃させようとしているのである。このような陰謀は、過去と現在に存在しているばかりでなく、将来もつづけられるにちがいない。ソ連の大軍がポーランドの東部に進出したのは、自己の国土を奪回し、弱小民族を解放するためであったし、同時にまた、ドイツ侵略勢力の東への拡張を阻止して、チェンバレンの陰謀をうちやぶるための具体的な段どりでもあった。この数日らいのニュースからみると、ソ連のこの方針はきわめて大きな成功をおさめている。このことは、ソ連の利益が世界人類の大多数の利益と一致しており、ポーランド反動支配下の被抑圧人民の利益と一致していることの具体的なあらわれである。これがわたしのいおうとする第三の問題である。
ソ連・ドイツ相互不可侵条約締結後の全般的情勢は、日本に大きな打撃をあたえ、中国に援助をあたえ、中国の抗戦派の地位をつよめ、投降派に打撃をあたえた。中国人民がこの協定を歓迎していることは正しい。だが、ノモンハン停戦協定〔5〕が締結されたのち、イギリス、アメリカの通信社から、日ソ相互不可侵条約がまもなく締結されるだろうというニュースがさかんにつたわってくると、中国人民のあいだにはある種の憂慮がうまれ、一部の人は、ソ連は中国を援助しなくなるのではないかと考えるようになった。わたしは、このような観察は正しくないとおもう。ノモンハン停戦協定の性質は、過去の張高峰停戦協定〔6〕とおなじである。つまり、日本の軍閥が膝を屈して、ソ連およびモンゴルの国境の不可侵を認めたものである。このような停戦協定によって、ソ連の中国にたいする援助は、ふえる可能性はあっても、減ることはない。いわゆる日ソ相互不可侵条約についていうと、何年もまえに、ソ連は日本にその締結を要求していたが、日本は終始これを拒否してきた。いま、日本の支配階級内の一派は、ソ連にこの条約の締結を要求しているが、ソ連がそれをのぞむかどうかは、この条約がソ連の利益および世界人類の大多数の利益に合致するかどうかという基本原則によってきまる。具体的にいうと、この条約が中国の民族解放戦争の利益と衝突しないかどうかにかかっているのである。わたしのみるところでは、今年の三月十日のソ連共産党第十八回大会におけるスターリンの報告によっても、今年の五月三十日のソ連最高会議におけるモロトフの演説によっても、ソ連がこの基本原則を変更するはずはない。たとえ、日ソ相互不可侵条約が締結される可能性があっても、ソ連は、けっして条約のなかで自己の中国援助の行動を拘束するようなことはありえない。ソ連の利益と中国の民族解放の利益は、けっして衝突するものではなく、永久に一致するものである。この点、ぜったいに疑問はないとおもう。反ソ的な偏見をもっている一部の人は、ノモンハン停戦協定の締結と日ソ相互不可侵条約のうわさとを利用して、風波をたたせ、中ソ二大民族間の感情に水をさしている。こうしたことは、イギリス、アメリカ、フランスの陰謀家のあいだにも、中国の投降派のあいだにも存在しているが、これは重大な危険であり、その内幕を徹底的に暴露すべきである。きわめて明らかなように、中国の外交政策は抗日の外交政策でなければならない。この政策は、自力更生を主とするが、同時に獲得できるすべての外国の援助も放棄するものではない。外国の援助というのは、帝国主義世界大戦が勃発している状況のもとでは、主としてつぎの三方面からのものである。(1)社会主義のソ連、(2)世界の資本主義諸国の人民、(3)世界の植民地、半植民地の被抑圧民族。これらだけが信頼できる援助者である。このほかのいわゆる外国の援助は、たとえありうるとしても、部分的、一時的なものとしかみなされない。もちろん、これらの部分的、一時的な外国の援助も獲得すべきではあるが、けっして、それにたよりすぎてはならないし、信頼できる援助とみなしてはならない。帝国主義戦争の交戦諸国にたいしては、中国はいずれの一方にも参加しないで、厳正中立をまもるべきである。中国はイギリス、フランスの帝国主義側の戦線に参加すべきだとする意見は、投降派の意見であり、抗日にとっても、中華民族の独立と解放にとっても不利な意見であって、あたまから拒否すべきものである。これがわたしのいおうとする第四の問題である。
以上にのべたこれらの問題は、人びとがいまさかんに論議している問題である。人びとは、国際問題の研究に注意をはらい、帝国主義世界大戦と中国の抗日戦争との関係に注意をはらい、ソ連と中国との関係に注意をはらっているが、その目的は中国の抗日を勝利させるためであって、これはよい現象である。わたしはいま、以上にのべたそれぞれの問題についていくつかの基本的観点を提起したが、これが当をえているかどうかは、読者のご教示をあおぎたい。
〔 ##注## 〕
〔1〕 国際連盟は第一次世界大戦後、イギリス、フランス、日本などの帝国主義者が、世界分割の協議と相互間の矛盾の一時的調節のためにもうけた組織である。日本帝国主義は一九三一年に中国の東北地方を占領したのち、侵略行動を拡大する便宜上から、一九三三年には国際連盟の脱退を宣言した。ドイツのファシスト政党は一九三三年に政権をにぎると、侵略戦争を準備する便宜上から、これも国際連盟から脱退した。ファシスト侵略戦争の脅威が日ましに大きくなったこうした時期の一九三四年に、ソ連は国際連盟に加入した。それによって国際連盟は、帝国主義間で世界分割を協議する道具から、平和にとって有利になりうる道具に変わった。一九三五年、イタリアはエチオピアを侵略し、これも国際連盟から脱退した。
〔2〕 ソ連・フランスとソ連・チェコスロバキアの二つの相互援助協定は、いずれも一九三五年に締結された。
〔3〕 ロイド・ジョージは、イギリスブルジョア階級の自由党の指導者の一人であった。イギリス、フランス、ソ連が交渉していたとき、かれは議会で、「ソ連の提案を拒否することは、平和を拒否することにひとしい」と言明したことがある。
〔4〕 一九三九年九月一日、ドイツは出兵してポーランドに侵入し、ポーランド国土の大部分を占領した。十七日、ポーランド反動政府は国外に逃亡した。ソ連は自己の領土を奪回し、抑圧されていたウクライナ民族と白ロシア民族を解放するため、またドイツ・ファシストの東への侵入を防止するため、九月十七日、ポーランド東部に出兵した。
〔5〕 日本・「満州国」(かいらい満州国)軍は、一九三九年五月から、「満州国」・モンゴル境界のノモンハン地方で、ソ連とモンゴル人民共和国の軍隊への進攻を開始した。ソ連とモンゴル軍の勇敢な自衛によって、日本・「満州国」軍は惨敗を喫し、ソ連に停戦を求めた。九月、ノモンハン停戦協定がモスクワで調印された。そのおもな内容はつぎのとおりである。一、双方はただちに停戦すること。二、日本・「満州国」とソ連・モンゴルの双方は、それぞれの代表二名からなる委員会を組織Lて、衝突のおこった地帯の「満州国」・モンゴルの境界線を調査確定すること。
〔6〕 一九三八年七月末から八月はじめにかけて、日本軍は中国、ソ連、朝鮮の国境にある張高峰地方で、ソ連軍に挑発した。ソ連軍の力づよい反撃にあって、日本は失敗し、停戦を求めた。八月十一日、モスクワで張高峰停戦協定が調印され、双方はただちに停戦すること、双方の境界線の最終的画定は、ソ連代表二名と日本・「満州国」代表二名からなる混成委員会を組織して、調査、処理することを規定した。




