民族戦争における中国共産党の地位 (一九三八年十月)
これは、毛沢東同志が党の第六期中央委員会第六回総会でおこなった報告である。この会議は、毛沢東同志をはじめとする党中央政治局の路線を承認した非常に重要な会議であった。毛沢東同志が報告のなかで、『民族戦争における中国共産党の地位』という問題を提起したのは、全党の同志に、抗日戦争を指導するわが党の重大な歴史的責務をはっきり理解させるとともに、しんけんにそれをになわせるためであった。総会は抗日統一戦線堅持の方針を確定すると同時に、統一戦線には団結もあるが、また闘争もあること、「すべては統一戦線を通じて」という問題の提起は中国の実情にあわないことを指摘し、こうして、統一戦線問題における迎合主義のあやまりを批判した。毛沢東同志が結論のなかでのべた『統一戦線における独立自主の問題』は、このことについての問題である。総会は、同時にまた、全党をあげて人民の抗日武装闘争を組織することがきわめて重要であることを確定し、党の主要な活動分野を戦区と敵の後方におくことを決定し、そして日本侵略者にうち勝つ希望を国民党の軍隊によせたり、人民の運命を国民党反動派の支配下の合法的運動に託したりするようなあやまった思想を批判した。毛沢東同志が結論のなかでのべた『戦争と戦略の問題』は、このことについての問題である。
同志諸君。われわれには輝かしい前途がある。われわれは、日本帝国主義に勝利しなければならず、新中国を建設しなければならないが、これらの目的はまたかならず達成できるものである。しかし、いまからその輝かしい前途にたっするまでには、苦難な道がよこたわっている。輝かしい中国のためにたたかう中国共産党と全国人民は、日本侵略者にたいし段どりを追ってたたかっていかなければならず、かれらをうちまかすには長期の戦争をする以外にない。この戦争の各方面の問題については、すでにたくさんのべてきた。われわれは、抗戦いらいの経験も総括したし、当面の情勢も評価したし、全民族の緊急任務も提起したし、長期の抗日民族統一戦線によって長期の戦争をささえる理由や方法も説明したし、国際情勢についても分析した。では、ほかにまだ、どんな問題があるだろうか。同志諸君、もう一つ問題がある。それは、中国共産党が民族戦争においてどのような地位にあるのかという問題であり、こんどの戦争を失敗させずに勝利するよう指導するには、共産党員がどのように自己を認識し、強め、団結させていかなければならないか、という問題である。
愛国主義と国際主義
国際主義者である共産党員が、同時にまた愛国主義者でもありうるか。われわれは、ありうるばかりでなく、またそうでなければならないとおもう。愛国主義の具体的内容は、それがどのような歴史的条件のもとにあるかによってきまる。日本侵略者やヒトラーの「愛国主義」もあれば、われわれの愛国主義もある。日本侵略者やヒトラーのいわゆる「愛国主義」にたいして、共産党員は断固として反対しなければならない。日本の共産党員やドイツの共産党員は、その国家が遂行する戦争においては敗北主義者である。あらゆる方法で日本侵略者やヒトラーの戦争を敗北に終わらせることが、日本人民やドイツ人民の利益であるし、敗北は徹底的であればあるほどよい。日本の共産党員やドイツの共産党員は、そうすべきであるし、かれらは現にそうしている。これは日本侵略者やヒトラーの戦争が、世界の人民に損害をあたえているばかりでなく、自国の人民にも損害をあたえているからである。中国の状況はこれとはちがい、中国は侵略されている国である。したがって、中国共産党員は愛国主義を国際主義と結びつけなければならない。われわれは国際主義者であり、また愛国主義者でもある。祖国防衛のため侵略者と戦おう、というのがわれわれのスローガンである。われわれにとって、敗北主義は罪悪であり、抗日の勝利をたたかいとることはさけることのできない責務である。なぜなら、祖国防衛のために戦わないかぎり、侵略者をうちやぶり、民族を解放することはできず、民族が解放されないかぎり、プロレタリア階級および勤労人民の解放は可能にならないからである。中国が勝利し、中国を侵略する帝国主義者がうちたおされることは、同時に外国の人民をたすけることでもある。したがって、愛国主義とは、民族解放戦争における国際主義の実践である。こうした理由から、共産党員はだれでも、最大の積極性を発揮し、勇敢に、決然と、民族解放戦争の戦場におもむき、銃口を日本侵略者にむけなければならない。こうした理由から、わが党は、すでに九・一八事変のときから、民族自衛戦争によって日本侵略者に抵抗せよ、というよびかけをだし、のちにまた抗日民族統一戦線の主張をかかげ、赤軍にたいしては抗日の国民革命軍に改編して前線におもむいて戦うよう命令し、自己の党員にたいしては抗日戦争の最前線にたって祖国防衛のために最後の血の一滴まで流して戦うよう命令した。これらの愛国主義の行動はいずれも正しいものであり、これこそ国際主義の中国での実現であり、少しも国際主義にそむくものではない。われわれのしていることがまちがっているとか、われわれが国際主義を放棄したとか、でたらめをいうのは、政治的なぼんくらか、あるいは下心をもつものだけである。
民族戦争における共産党員の模範的役割
上にのべた理由から、共産党員は民族戦争において高度の積極性をしめさなければならないし、その積極性をいろいろな面に具体的にしめさなければならない。つまりいろいろな面で前衛的な模範的な役割をはたさなければならない。われわれの戦争は、困難な環境のなかですすめられている。広範な人民大衆に民族的自覚、民族的自尊心と自信がたりないこと、大多数の民衆が組織されていないこと、軍事刀が強くないこと、経済がおくれていること、政治が民主的でないこと、腐敗現象や悲観的な気分があること、統一戦線の内部が団結していず、強固でないことなどが、こうした困難な環境を形成している。したがって、共産党員は全国人民を結集して、さまざまなよくない現象を克服する重大な責務を意識的にになわないわけにはいかない。このばあい、共産党員の前衛的役割と模範的役割が非常に重要である。共産党員は、八路軍と新四軍のなかでは、勇敢に戦う模範、命令執行の模範、規律遵守の模範、政治工作の模範、内部の団結と統一の模範となるべきである。共産党員は、友党、友軍との関係においては、団結して抗日する立場を堅持し、統一戦線の綱領を堅持し、抗戦任務を遂行する模範となるべきであり、いった以上かならずまもり、おこなう以上かならず断固としてやり、おごりたかぶらず、まごころをもって友党、友軍と相談し、協同して仕事をし、統一戦線内での各党の相互関係の模範となるべきである。共産党員は、政府の仕事のなかでは、きわめて廉潔で、縁故者を任用せず、仕事はたくさんし、報酬はすくなくもらうことで模範となるべきである。共産党員は、民衆運動では、民衆の上役ではなくて、民衆の友となるべきであり、官僚主義的な政客ではなくて、うむことなくおしえる教師となるべきである。共産党員は、いつでも、どこででも、個人の利益を第一位においてはならず、個人の利益を民族と人民大衆の利益にしたがわせるべきである。したがって、私利私欲、怠惰怠慢、汚職腐敗、売名主義などは、もっともいやしむべきことである。大公無私、積極的努力、滅私奉公、刻苦精励の精神こそ、尊敬すべきものである。共産党員は、党外のすべての先進的な人びとと一致協力して、全国人民を結集しさまざまなよくない現象を克服するために努力すべきである。共産党員は全民族のうちの小部分にすぎず、党外にはたくさんの先進的な人びとや活動家がおり、かれらと協同して仕事をしなければならないことを知るべきである。自分だけがよくて、他はみなだめだという考え方はまったくまちがっている。共産党員は、おくれた人びとにたいしては、かれらを軽く見たり、見くだしたりするのではなくて、かれらに近づき、かれらと団結し、かれらを説得し、かれらの前進を励ます態度をとるものである。共産党員は、活動のなかであやまりをおかした人びとにたいしては、救いようのないもののほかは、排斥する態度をとるのではなくて、かれらが翻然とあやまりをあらため、ふるいものをすてて新しくでなおすように忠告する態度をとるものである。共産党員は、事実にもとづいて真理を求める模範となるべきであり、また遠い見通しと、高い識見をもつことでも模範となるべきである。なぜなら、さだめられた任務を完成するには、事実にもとづいて真理を求める以外になく、前進の方向をみうしなわないためには、遠い見通しと、高い識見をもつ以外にないからである。したがって、共産党員はまた学習の模範となるべきであり、かれらにとっては、毎日が民衆の教師であるが、またその毎日が民衆の生徒でもある。民衆から学び、環境から学び、友党、友軍から学び、かれらを理解しないかぎり、事実にもとづいて真理を求める態度で活動し、前途にたいして遠い見通しと高い識見をもつことはできない。長期の戦争と困難な環境のなかでは、共産党員は友党、友軍および人民大衆のなかでのすべての先進的な人びとと協同し、その前衛的な模範的な役割を高度に発揮しないかぎり、全民族のいきいきとしたすべての力を動員して、困難を克服し、敵に勝利し、新中国を建設するために奮闘することはできない。
全民族の団結と、民族内部の敵のまわし者にたいする闘争
困難を克服し、敵に勝利し、新中国を建設するには、抗日民族統一戦線を拡大強化し、全民族内のいきいきとしたすべての力を動員する以外になく、これが唯一無二の方針である。しかし、われわれの民族統一戦線のなかには、破壊的なはたらきをしている敵のまわし者、つまり民族裏切り者、トロツキスト、親日派がいる。共産党員はつねにそれらの敵のまわし者に用心し、確実な証拠によってかれらの罪悪をあばき、かれらのわなにかからないよう人民に注意をうながすべきである。共産党員は、民族のなかの敵のまわし者にたいする政治的警戒心をたかめなければならない。共産党員は、敵のまわし者を摘発し、一掃することが民族統一戦線の拡大強化と切りはなせないものであることを知らなければならない。一方にだけ気をくばって他の一方をわすれるのは、まったくあやまりである。
共産党の拡大と、敵のまわし者の潜入防止
困難を克服し、敵に勝利し、新中国を建設するために、共産党は、革命に忠実な、党の主義を信じ、党の政策を支持し、しかもすすんで規律に服し、仕事に努力する広範な労働者、農民と青年活動家に門戸をひらいて、自己の組織を拡大し、党を大衆性のある偉大な党にしなければならない。このばあい、閉鎖主義的偏向はゆるされない。しかし同時に、敵のまわし者の潜入にたいする警戒心もけっして欠いてはならない。日本帝国主義の特務機関は、たえずわが党を破壊しようとたくらみ、かくれた民族裏切り者、トロツキスト、親日派、腐敗分子、投機分子を利用して、かれらに積極的な姿をよそおわせ、わが党内に潜入させようと、たえずたくらんでいる。これらの分子を警戒し、厳重に防止することを片時もゆるがせにしてはならない。敵のまわし者をおそれるあまり党の門をとざすべきではなく、大胆に党を拡大することはわれわれがすでにきめている方針である。だが、同時に、大胆に拡大するからといって、敵のまわし者や投機分子が機に乗じてもぐりこむことにたいする警戒をゆるめてはならない。一方にだけ気をくばって他の一方をわすれるとあやまりをおかす。「大胆に拡大するが、悪質分子は一人ももぐりこませない」、これこそ正しい方針である。
統一戦線の堅持と党の独立性の堅持
民族統一戦線を堅持してはじめて、困難を克服し、敵に勝利し、新中国を建設できることはまったく疑う余地のないところである。しかし同時に、統一戦線に参加する政党は、それが国民党であろうと、共産党であろうと、その他の政党であろうと、いずれの政党も、思想上、政治上、組織上での独立性をたもたなければならない。三民主義のなかの民権主義とは、政党の問題でいえば、各政党のあいだの連合をゆるすことであり、また各政党の独立的存在をゆるすことである。もし統一性をうんぬんするだけで独立性を否定するならば、それは民権主義にそむくものであり、われわれ共産党が同意できないだけでなく、どの政党も同意できないものである。もちろん、統一戦線における独立性は絶対的なものではなく、相対的なものでしかない。もし、それが絶対的なものだと考えるなら、それは団結して敵にあたるという全般的方針を破壊することになる。しかし、けっしてこのような相対的独立性を抹殺してはならず、思想的にも、政治的にも、組織的にも、各政党は相対的な独立性、つまり相対的な自由の権利をもっていなければならない。もし、この相対的な自由の権利を他から抹殺されるか、あるいはみずからこれを放棄するなら、それもまた団結して敵にあたるという全般的方針を破壊することになる。これは、共産党員の一人ひとりが、同時にまた友党の党員の一人ひとりが、知っていなければならないことである。
階級闘争と民族闘争との関係もやはりそうである。抗日戦争では、すべてが抗日の利益にしたがうべきであり、これは確固とした原則である。したがって、階級闘争の利益は、抗日戦争の利益にしたがうべきであって、抗日戦争の利益にそむいてはならない。だが、階級と階級闘争の存在は事実である。一部の人びとは、この事実を否定し、階級闘争の存在を否定するが、これはあやまりである。階級闘争の存在を否定しようとする理論は完全にあやまった理論である。われわれは、それを否定するのではなくて、それを調整するのである。われわれの提唱する互助互譲の政策は、政党の関係に適用されるばかりでなく、階級関係にも適用される。団結して抗日するためには、各階級の相互関係を調整する適切な政策を実行すべきであり、勤労大衆に政治上、生活上の保障が全然ないようであってはならないし、同時にまた、金持ちの利益をも考慮してやるべきで、こうすることによって、団結して敵にあたるという要求に合致させるのである。一方にだけ気をくばって他の一方に気をくばらなければ、抗日に不利になるであろう。
全局に気をくばり、多数に気をくばり、同盟者といっしょに仕事をすること
共産党員は、大衆を指導して敵とたたかうさいには、全局に気をくばり、多数に気をくばり、また同盟者といっしょに仕事をするという観点をもたなければならない。共産党員は、局部の必要を全局の必要にしたがわせるという道理をわきまえていなければならない。もしある意見が、局部的な状況からみて実行すべきものであっても、全局の状況からみて実行すべきでないものであれば、局部を全局にしたがわせなければならない。その反対のばあいもおなじで、局部の状況からみて実行すべきでないものであっても、全局の状況からみて実行すべきものであれば、やはり、局部を全局にしたがわせなければならない。これが全局に気をくばるという観点である。共産党員は、けっして、大衆の多数から浮きあがり、多数の人びとの状況をかえりみずに、少数の先進部隊をひきいて、単独で暴進すべきではなく、先進的な人びとと広範な大衆とのあいだの緊密な結びつきをつくりあげるよう心がけなければならない。これが、多数に気をくばるという観点である。われわれとの協力をのぞんでいる民主的党派や民主的な人びとのいるところでは、どこでも、共産党員はかれらといっしょに相談し、いっしょに仕事をする態度をとらなければならない。同盟者をそっちのけにして、独断でことをはこぶような態度は正しくない。りっぱな共産党員は、よく、全局に気をくばり、多数に気をくばり、また同盟者といっしょに仕事ができるようでなければならない。われわれには、これまで、これらの点で大きな欠陥があったが、それをあらためるよう心がけなければならない。
幹部政策
中国共産党は、数億人にのぼる大民族のなかでの偉大な革命闘争を指導する党であり、数多くの才徳兼備の指導的幹部がなければ、その歴史的任務を達成することはできない。この十七年らい、わが党はすでに多くの指導的人材を養成してきており、軍事、政治、文化、党活動、民衆運動のあらゆる分野に骨幹となる人びとをわれわれはもっているが、これは党の誇りであり、また全民族の誇りでもある。だが、いまある骨幹だけでは、まだ闘争という大建築物をささえるには十分でなく、もっとひろく人材を養成しなければならない。中国人民の偉大な闘争のなかで、多くの活動家がすでに続出したし、またげんに続出しつつある。われわれの責務は、かれらを組織し、養成し、愛護することであり、またかれらを上手につかうことである。政治路線が確定されたのちには、幹部が決定的な要因になる〔1〕。したがって大量の新しい幹部を計画的に養成することがわれわれの戦闘的任務である。
党員幹部に関心をよせるだけでなく、非党員幹部にも関心をよせなければならない。党外には多くの人材がおり、共産党はかれらを度外視してはならない。他を見くだす悪習をすてさり、非党員幹部といっしょに仕事をすることに習熟し、かれらをこころから援助し、あたたかい同志的な態度でかれらに接し、かれらの積極性を抗日と建国の偉大な事業のなかに組みいれることが、共産党員一人ひとりの責務である。
幹部を識別することに習熟しなければならない。幹部のある時期、あることがらについてみるだけでなく、幹部の全経歴と全活動をみなければならない。これが幹部を識別する主要な方法である。
幹部をつかうことに習熟しなければならない。指導者の責務は、結局のところ、主として案をだすこと、幹部をつかうことの二つである。すべての計画、決議、命令、指示などはみな「案をだす」ことのうちにはいる。これらすべての案が実行されるためには、幹部を結集し、かれらにその実行をうながさなければならず、これは「幹部をつかう」ことのうちにはいる。幹部をつかうという問題では、わが民族の歴史には、従来、二つの対立した路線がみられた。その一つは「任用は賢のみによる」路線であり、もう一つは「任用は縁故のみによる」路線である。前者は正道な路線であり、後者は邪道な路線である。共産党の幹部政策は、党の路線を断固として実行し、党の規律にしたがい、大衆と緊密なつながりをもち、ひとりだちで活動できる能力をもち、積極的に仕事をし、私利私欲をはからないことを基準とすべきである。これが「任用は賢のみによる」路線である。過去における張国燾①の幹部政策は、これとは反対で、「任用は縁故のみによる」ことを実行し、とりまき連中をだきこみ、分派をつくり、あげくのはては、党を裏切って去ってしまったが、これは大きな教訓である。張国燾およびかれに似たものの残した歴史上の教訓にかんがみ、幹部政策の問題では党の統一と団結を強化するために正道で公正な作風を堅持し、邪道で不公正な作風に反対することは、中央および各級の指導者の重要な責務である。
幹部を愛護することに習熟しなければならない。愛護する方法は、第一に、かれらを指導することである。それは、かれらが大胆に責任を負えるようおもいきって活動させることであり、同時にまた、かれらが党の政治路線のもとで創意性を発揮できるように、適時に指示をあたえることである。第二に、かれらをたかめることである。それは、かれらが理論のうえで、活動能力のうえで、いっそうたかまるようにかれらに学習の機会をあたえ、かれらを教育することである。第三に、かれらの活動を点検し、かれらが経験をしめくくり、成果をのばし、あやまりをただすよう援助することである。仕事をまかせておいて点検せず、重大なあやまりをおかしたときにはじめてそれに目をむけることは、幹部を愛護するやり方ではない。第四に、あやまりをおかした幹部にたいしては、一般的には説得の方法をとって、かれらがあやまりをただすのをたすけることである。重大なあやまりをおかしながら、なお指導をうけいれない人びとにたいしてだけ、闘争という方法をとるべきである。このばあい、辛抱づよいことが必要であって、軽々しく、「日和見主義」という大きなレッテルをはったり、「闘争を展開する」方法をとることはまちがいである。第五に、かれらの困難に気をくばってやることである。病気、生活、家庭などの面で困難をかかえている幹部にたいしては、可能な範囲内でこころから世話をしてやらなければならない。以上が幹部を愛護する方法である。
党の規律
張国燾の重大な規律破壊の行為にかんがみ、党の規律をもう一度のべておかなければならない。すなわち、(一)個人は組織にしたがい、(二)少数は多数にしたがい、(三)下級は上級にしたがい、(四)全党は中央にしたがう、という規律である。これらの規律をやぶるものは党の統一を破壊するものである。経験が証明しているように、規律を破壊するものには、党の規律とはなにかわからない人もいるが、また、張国燾のように、その悪だくみをとげるために、多くの党員の無知を利用し、承知のうえでわざと規律をやぶるものもいる。したがって、一般党員に規律をまもらせるだけでなく、党の指導的人物もいっしょに規律をまもるよう一般党員に監督させて、二度と張国燾事件がおこらないように、党員に党の規律についての教育をしなければならない。党内の関係を正しい軌道にのせるためには、うえにのべた四つのもっとも重要な規律のほかに、さらに、各級指導機関の行動を統一するためのもっと詳細な党内規定をつくらなければならない。
党内民主主義
偉大な闘争に直面している中国共産党は、勝利をかちとれるように、党の全指導機関、全党の党員および幹部が積極性を高度に発揮することを要求する。積極性の発揮というのは、指導機関、幹部および党員の創造力、責任感、仕事の活発さに、問題の提起「意見の発表、欠点にたいする批判の大胆なことと上手なことに、また指導機関と指導的幹部にたいする愛護の観点からでた監督の役割のうえに、具体的にあらわれなければならない。これらがなければ、積極性というものは中味がなくなる。そして、これらの積極性の発揮は党内生活の民主化にかかっている。党内に民主生活が欠けていれば、積極性の発揮という目的はたっせられない。また民主生活のなかでしか大量の有能な人材をつくりだすことはできない。わが国は小生産的な家父長制が優位をしめている国であり、また全国的範囲では、いまもなお民主的生活がないので、このような状況がわが党内に反映して、民主生活の不足という現象をうんでいる。この現象は全党の積極性の十分な発揮をさまたげている。同時に、それは統一戦線、民衆運動での民主生活の不足という影響をもたらしている。これがために、党員に、民主生活とはどんなものか、民主制と集中制の関係とはどんなものか、また民主集中制をどのように実行するかを理解させるよう、党内で民主生活についての教育をほどこさなければならない。こうすれば、党内の民主生活を確実にひろげることができる一方、極端な民主化にはしらず、規律を破壊する自由放任主義にはしらずにすむ。
わが軍隊内の党組織もまた、党員の積極性をたかめ、軍隊の戦闘力をたかめるよう、必要な民主生活をひろげなければならない。しかし、軍隊の党組織の民主主義は地方の党組織の民主主義よりもすくなくすべきである。軍隊でも、地方でも、党内民主主義は、規律と戦闘力をよわめるためのものではなくて、規律をつよめ戦闘力をたかめるためのものでなくてはならない。
党内民主主義の拡大は、党の強化と党の発展にとって必要な段どりであり、偉大な闘争のなかで党が活気にあふれ、りっぱに任務をはたし、新しい力をのばし、戦争の難関をのりさる一つの重要な武器とみなければならない。
わが党はすでに二つの戦線での闘争をつうじて強固になり、強大になった
この十七年らい、わが党は、一般的に、マルクス・レーニン主義の思想闘争の武器をつかって、一面では、右翼日和見主義とたたかい、もう一面では「左」翼日和見主義とたたかうという、二つの面から党内のあやまった思想とたたかうことを学びとった。
党の第六期中央委員会第五回総会以前には〔2〕、わが党は陳独秀の右翼日和見主義②と李立三同志の「左」翼日和見主義③とたたかった。この二回の党内闘争の勝利によって、党は偉大な進歩をとげた。第五回総会以後にも、また歴史的な意義をもつ二回の党内闘争がおこなわれたが、遵義会議④での闘争と張国燾を党から除名する闘争がそれである。
遵義会議は、五回目の反「包囲討伐」闘争のなかでおかした「左」翼日和見主義の性質をもつ重大な原則的あやまりを是正し、党ならびに赤軍を団結させ、これによって党中央と赤軍主力が長征を成功裏になしとげ、抗日の前進基地に移動し、抗日民族統一戦線の新しい政策を実行できるようになった。巴西会議〔3〕と延安会議〔4〕(張国燾路線との闘争は巴西会議にはじまり延安会議で完了した)が張国燾の右翼日和見主義とたたかったことによって、赤軍全部が合流し、全党がいっそう団結をつよめて、英雄的な抗日闘争をすすめることができるようになった。この二つの種類の日和見主義のあやまりは、いずれも国内革命戦争中にうまれたものであり、その特徴は戦争に関連するあやまりである。
この二回の党内闘争からえた教訓はどんな点にあるのか。それはつぎの点にある。(一)中国革命戦争の特徴を理解しないことからうまれ、五回目の反「包囲討伐」闘争のなかにあらわれた重大な原則的あやまりは、主観的、客観的条件をかえりみない、「左」翼的せっかち病の偏向をふくんでおり、この偏向は、革命戦争に極度の不利をもたらし、同時にまた、どのような革命運動にも不利をもたらすものである。(二)張国燾の日和見主義は革命戦争における右翼日和見主義であり、その内容はかれの退却路線、軍閥主義と反党行為の総合である。それを克服したことによってはじめて、本質はりっぱで、しかも長期の英雄的闘争をおこなってきた赤軍第四方面軍の広範な幹部と党員を、張国燾の日和見主義の支配下から解放し、党中央の正しい路線のもとにたちかえらせたのである。(三)十年の土地革命戦争⑤の時期の偉大な組織活動は、軍事建設の面でも、政府活動の面でも、民衆活動の面でも、党建設の面でも、大きな成果をあげたが、前線の英雄的戦闘と呼応するこうした組織活動がなかったならば、蒋介石に《チャンチェシー》たいする当時の苛烈な闘争をささえることはできなかったであろう。しかし、その後期には、党の幹部政策と組織政策の面で原則的な重大なあやまりがおかされ、それはセクト的偏向、懲罰主義および思想闘争におけるゆきすぎの政策となってあらわれた。これは、過去の李立三路線の残りかすがまだ一掃されていなかった結果であり、また当時の政治上の原則的あやまりの結果でもあった。これらのあやまりも遵義会議によって是正され、党を正しい幹部政策と正しい組織原則のほうにたちかえらせた。張国燾の組織路線にいたっては、共産党のあらゆる原則からまったくはなれ、党の規律をやぶり、分派活動から反党、反中央、反コミンテルンの行為にまで発展したのである。張国燾の犯罪的な路線上のあやまりと反党行為にたいして、党中央は、それを克服するのに、できるかぎりの努力をはらい、また張国燾自身をも救おうとした。だが、張国燾がそのあやまりをあくまでもあらためようとせず、二面的行動をとったばかりでなく、のちに党を裏切って国民党に身を投じたとき、党としては断固かれを除名せざるをえなかった。この処分は、全党の支持をえたばかりでなく、民族の解放事業に忠実なすべての人びとの支持をえた。コミンテルンも、この処分を承認したうえ、張国燾は逃亡兵であり裏切り者であると指摘した。
以上のような教訓と成功は、われわれに、今後全党を団結させ、思想的、政治的、組織的一致をつよめ、抗日戦争を成功裏にすすめるのに必要な前提をあたえた。わが党はすでに二つの戦線での闘争をつうじて強固になり、強大になった。
二つの戦線での当面の闘争
今後の抗日の情勢においては、政治上で右翼的悲観主義とたたかうことがいちばん重要なことになるであろうが、同時に、「左」翼的せっかち病とたたかうことにもやはり注意をはらわなければならない。統一戦線の問題、党の組織の問題、および民衆の組織の問題では、抗日諸党派との協力を実現し、共産党および民衆運動を発展させるために、ひきつづき「左」翼的閉鎖主義の偏向とたたかわなければならないが、同時に、無条件的な協力、無条件的な発展という右翼日和見主義の偏向とたたかうことにも注意をはらわなければならない。そうでなければ、協力をさまたげ、発展をさまたげることになり、投降主義的な協力と無原則的な発展になってしまう。
二つの戦線での思想闘争は、一具体的な対象の状態と合致していなければならず、けっして問題を主観的にみてはならず、過去のような「むやみにレッテルをはる」というわるい習慣を存続させてはならない。
偏向にたいする闘争では、二面的行動とたたかうことに、ふかく注意をはらわなければならない。なぜなら、二面的行動の最大の危険性は、それが分派行動に発展していく可能性があるからである。張国燾の経歴こそその証拠である。うわべでは服従しながら、かげでは違反すること、口と腹がちがうこと、目のまえではうまいことをいいながら、かげでは悪だくみをすること、これが二面的行動のあらわれである。党の規律を強化するには、二面的行動にたいする幹部と党員の注意力をたかめなければならない。
学習
一股的にいって、ある程度の研究能力をもつすべての共産党員は、マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンの理論を研究し、わが民族の歴史を研究し、当面の運動の状況となりゆきを研究しなければならず、また、かれらをつうじて文化水準の比較的ひくい党員を教育する。特殊的にいうと、幹部はこれらの研究に力をいれなければならず、とりわけ中央委員と高級幹部は研究を強めなければならない。偉大な革命運動を指導する政党が、革命の理論もなく、歴史の知識もなく、実際の運動にたいする深い理解もないとすれば、勝利をかちとろうとしてもできるものではない。
マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンの理論は「世界のどこにも適用する」理論である。その理論を教条としてあつかうべきではなく、行動の指針とすべきである。マルクス・レーニン主義は語句だけを学ぶのではなくて、それを革命の科学として学ぶべきである。マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンが広範な現実の生活と革命の経験の研究によってえた一般法則についての結論を理解するだけでなく、さらに、かれらが問題を観察し、問題を解決した立場と方法を学ぶべきである。こんにち、わが党のマルクス・レーニン主義についての素養は、過去にくらべていくらか進歩しているが、しかし、まだまだいきわたっていないし、深まってもいない。われわれの任務は、数億の人口をもつ大民族を指導して、かつてない偉大な闘争をおこなうことである。したがって、マルクス・レーニン主義の理論の研究をいきわたらせ深める任務は、われわれにとって、早急に解決しなければならないものであるとともに、その解決にはとくに力をいれなければならない大きな問題である。わたしは、今回の中央委員会総会ののち、だれがほんとうになにかを学びとったか、だれがより多く学んだか、だれがよりよく学んだかをみる全党的な学習競争をおこすことを希望する。主要な指導の責務をになうという観点からいえば、もしわが党に、マルクス・レーニン主義を断片的でなく系統的に、空虚でなく真実に身につけた同志が百人ないし二百人いるならば、わが党の戦闘力は大いにたかめられ、日本帝国主義にうち勝つわれわれの活動はいっそうはやめられる。
われわれの歴史的遺産を学び、マルクス主義の方法でこれを批判的に総括することは、われわれの学習のもう一つの任務である。わが民族には数千年の歴史があり、その特徴があり、多くの貴重なものがある。これらのことについては、われわれはまだ小学生である。こんにちの中国はこれまでの中国の発展であり、われわれはマルクス主義的歴史主義者であって、われわれは歴史を切断してはならない。孔子から孫中山にいたるまでを総括して、この貴重な遺産をうけつぐべきである。これは当面の偉大な運動を指導するのに、重要なたすけとなるものである。共産党員は国際主義的マルクス主義者であるが、しかし、マルクス主義を実現するには、わが国の具体的特徴と結びつけ、しかも、一定の民族的形式をつうじなければならない。マルクス・レーニン主義の偉大な力は、それがそれぞれの国の具体的な革命の実践とつながっていることにある。中国共産党としては、マルクス・レーニン主義の理論を中国の具体的環境に応用することを学びとらなければならないのである。偉大な中華民族の一部分であり、この民族と血肉のつながりをもつ共産党員でありながら、中国の特徴をはなれてマルクス主義を論じるとすれば、それは抽象的な空虚なマルクス主義にすぎない。したがって、マルクス主義を中国で具体化し、その一つ一つの表現のなかにそれがもつべき中国の特質をもたせること、すなわち中国の特徴にもとづいてマルクス主義を応用すること、これは全党が早急に理解し、また解決しなければならない問題である。洋八股〔5〕は廃止すべきであり、空虚で抽象的な調子で歌うことはすくなくすべきであり、教条主義は休みにすべきであって、新鮮でいきいきとした、中国の民衆によるこぼれる中国的作風や中国的気風をもって、それに変えなければならない。国際主義的内容を民族的形式から切りはなすのは、国際主義を少しも理解していないもののやり方であって、われわれはこの両者をしっかりと結びつけなくてはならない。この問題について、わが隊列内に存在している一部の重大なあやまりは、しんけんに克服しなければならない。
当面の運動の特徴はなにか。それはどんな法則性をもっているのか。この運動をどう指導するのか。これらはみな実際的な問題である。こんにちになっても、われわれは、まだ日本帝国主義のことが全部わかっているわけではなく、中国のこともまだ全部わかってはいない。運動は発展しており、さらに新しいものが前にあらわれてくるし、新しいものはつぎつぎに限りなくでてくる。この連動の総体およびその発展を研究することは、われわれがつねに心がけていなければならない大きな課題である。これらの問題を、しんけんに、綿密に研究することをこばむものがあれば、それはマルクス主義者ではない。
学習の敵は自己満足である。なにかをしんけんに学ぼうとするには、自己満足しないことからはじめなければならない。自分にたいしては「学びて厭わず」、他人にたいしては「人を誨えて倦まず」、これがわれわれのとるべき態度である。
団結と勝利
中国共産党内部の団結は、全国人民を団結させて抗日の勝利をたたかいとり、新中国を建設するもっとも基本的な条件である。十七ヵ年にわたってきたえられてきた中国共産党は、どのように自己の団結をかためるかについてすでに多くの方法を学びとり、ずっと老練になっている。こうして、われわれは、全国人民のなかに、強固な中核をつくりあげ、抗日の勝利をたたかいとり、新中国を建設することができる。同志諸君、われわれが団結できさえすれば、この目的はかならず達成できるのである。
〔注〕
〔1〕 一九三四年一月、スターリンはソ連共産党第十七回大会における報告のなかでつぎのようにのべている。「正しい政治路線があたえられたのちには、政治路線そのものの運命――その遂行、あるいは失敗――をふくめて、すべてが組織活動によって決定されるのである。」スターリンは、そこでは「人材の正しい選択」の問題にふれている。一九三五年五月「クレムリン宮における赤軍大学卒業式においておこなった演説で、スターリンは「幹部がすべてを決定する」というスローガンをかかけ、そしてこれに説明をくわえた。また、一九三九年三月のソ連共産党第十八回大会におけるスターリンの報告をも参照されたい。スターリンはこの報告のなかでつぎのようにのべている。「実践によってためされた正しい政治路線が作成されたのちは、党の幹部が、党ならびに国家の指導の、決定的な力となる。」
〔2〕 一九二七年八月の党の第五期中央委員会政治局緊急会議から、一九三四年一月の党の第六期中央委員会第五回総会までの時期をさす。
〔3〕 巴西会議とは、一九三五年八月、巴西でひらかれた中国共産党中央政治局会議のことである。巴西は、四川省西北部と甘粛省東南部との境にある一地方で、四川省松潘県の県都の西北部にくらいする。当時、張国燾は、赤軍の一部をひきいて党中央から分裂し、党中央の命令にしたがわず、しかも党中央に危害をあたえようとたくらんだ。党中央はこの会議で危険区域をはなれることを決定するとともに、命令にしたがう赤軍をひきいて陝西省北部にむかって前進した。張国燾は、かれにだまされた赤軍をひきいて、天全県、蘆山県、大金川、小金川および阿[”つちへん”+”雨”の下に”革+月”]地区に南下し、党にたいして反旗をひるがえし、別個に「中央」をもうけた。
〔4〕 延安会議とは、一九三七年四月、延安でひらかれた中国共産党中央政治局拡大会議のことである。このときまでには、張国燾にひきいられる赤軍のうちの広範な幹部と戦士は、すでに張国燾の欺瞞を知り、北方の陝西・甘粛辺区にむかって進軍していたが、そのうちの一部隊は、また中途で、あやまった指導のために、西方の甘州、涼州、粛州地区にむかって進軍し、その大半が敵に消滅されてしまった。残りの一小部隊は新疆にたっし、その後、やはり陝西・甘粛辺区にかえってきた。他の一部隊はずっとはやく陝西・甘粛辺区に到着し、中央赤軍に合流していた。張国燾自身も陝西省北部に到着し、この延安会議に参加した。この会議は、張国燾の日和見主義と党への裏切り行為について系統的な総括をおこなった。張国燾は表面的にはしたがうと表明したが、実際には党にたいする最後の裏切りを準備していた。
〔5〕 本選集第三巻の『党八股に反対しよう』のなかの洋八股についての説明を参照。
〔訳注〕
① 本選集第一巻の『日本帝国主義に反対する戦術について』注〔22〕を参照。
② 本題集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔4〕を参照。
③ 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔5〕を参照。
④ 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』訳注⑤を参照。
⑤ 本選集第一巻の『日本帝国主義に反対する戦術について』訳注⑤を参照。




