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持久戦について (一一一~結論)(一九三八年五月)

 兵士と人民は勝利のもとである


 (一一一)日本帝国主義は、革命的な中国をまえにして、けっしてその進攻と弾圧の手をゆるめるものではなく、その帝国主義的本質がこれを規定している。中国が抵抗しなければ、日本は一発の弾丸も使わずに、らくらくと中国を占領できるのであり、東北四省の喪失がその前例である。中国が抵抗すれば、日本はくの抵抗力に圧迫をくわえ、その圧力が中国の抵抗力をしのげなくなるまでは停止しない。これは必然の法則である。日本の地主・ブルジョア階級の野心はきわめて大きく、南は東南アジアを攻撃し、北はシベリアを攻撃するために、中間突破の方針をとり、まず中国を攻撃しているのである。日本は華北と江蘇、淅江一帯を占領してしまえば、適当に停止するだろうと考えている人びとは、新しい段階に発展して死線に近づいてきた日本帝国主義が、もはや過去の日本とは異なっていることを全然みていないのである。われわれが、日本の出兵数と進攻点には一定の限界があるというのは、つぎのことを意味している。すなわち、日本の側は、その力の基礎のうえでは、さらに他の方面にも進攻するとともに、別の方面の敵をも防御する必要があるため、中国を攻撃するのに一定程度の力しかさくことができず、しかもその力のおよびうる限度までしか攻撃できないということ、一方中国の側は、自己の進歩と頑強な抵抗力をしめしており、一日本が猛攻するだけで中国には必要な抵抗力がないなどとは考えられないということである。日本は全中国を占領することはできないが、その力のおよびうる地区では、全力をあげて中国の抵抗を弾圧し、その内外の条件によって日本帝国主義が墓場においこまれる直接的な危機がやってくるまでは、このような弾圧を停止することはありえない。日本の国内政治には二つの道しかない。その一つは、権力をにぎる階級全体が急速に崩壊し、政権が人民の手にわたり、それによって戦争が終わることであるが、当分その可能性はない。もう一つは、地主・ブルジョア階級が日ましにファッショ化していき、自己の崩壊の日がくるまで戦争を持続していくことであり、日本がすすんでいるのはまさにこの道である。このほかに第三の道はない。日本のブルジョア階級の穏健派がでてきて戦争をやめさせるだろうと望むのは、たんなる幻想にすぎない。日本のブルジョア階級の穏健派は、すでに地主と独占金融資本のとりこになっており、これが長年の日本の政治の実際である。日本が中国を攻撃してのち、もし中国の抗戦がまだ日本に致命的な打撃をあたえず、日本にまだ十分な力があるとすれば、日本はさらに東南アジアまたはシベリアを攻撃するにちがいないし、ひいてはその両方とも攻撃するかもしれない。ヨーロッパで戦争がおこれば、日本はこの挙にでるであろう。日本の支配者の皮算用は非常にけたが大きい。もちろん、ソ連が強大なことや、日本が中国での戦争で大いに弱まることから、日本がもとのシベリア進攻計画を中止して、シベリアにたいする根本的な守勢をとらざるをえなくなる可能性もある。しかし、このような状況があらわれたときには、日本は中国への進攻をゆるめるのではなくて、逆に中国への進攻をつよめるであろう。なぜならそのときには、日本には弱者を餌食えじきにする道しか残っていないからである。そのときには、中国の抗戦堅持、統一戦線堅持、持久戦堅持の任務は、なおさら、重大さをまし、いささかのたるみもゆるされなくなる。

 (一一二)このような状況のもとで、中国が日本に勝利する主要な条件は、全国的に団結することと、各方面でこれまでより十倍も百倍も進歩することである。中国はすでに進歩の時代にあり、すでに偉大な団結もできているが、現在の程度ではまだ非常に不十分である。日本の占領する土地がこのように広いのは、一方では日本の強さ、地方では中国の弱さによるが、この弱さはまったく百年らい、ことにこの十年らいのいろいろな歴史的あやまりがつみかさなった結果であって、これが中国の進歩的要素を今日の状態に限定しているのである。現在、このような強敵にうち勝つには、長期にわたる大きな努力なしには、不可能である。努力すべきことはたくさんあるが、わたしは、ここではただもっとも根本的な二つの面、すなわち軍隊の進歩と人民の進歩についてだけのべよう。

 (一一三)軍制の革新には、その近代化、技術的条件の増強がなくてはならず、この点がなければ、敵を鴨緑江の向こう側においだすことはできない。軍隊を使用するには進歩的な、弾力的な戦略戦術が必要であり、この点がなければ、やはり勝利することはできない。しかし、軍隊の基礎は兵士であって、進歩的な政治精神を軍隊にそそぎこまなければ、それをそそぎこむための進歩的な政治工作がなければ、将校と兵士とのあいだの真の一致は達成できず、将兵の抗戦の熱情を最大限に燃えたたせることはできず、すべての技術や戦術もそれにふさわしい効力を発揮する最良の基礎はえられなくなる。日本は技術的条件はすぐれているが最後にはかならず失敗するというのは、われわれがかれらに殲滅や消耗の打撃をあたえるということのほかに、その軍隊の士気がわれわれの打撃につれて、ついにはかならず動揺して、武器と兵員との結合がしっくりいかなくなるということである。われわれはその逆で、抗日戦争の政治目的では、将兵ともに一致している。この点にすべての抗日軍隊の政治工作の基礎がある。軍隊では、一定限度の民主化を実行すべきであり、主として、なぐったりどなったりするような封建主義的な制度を廃止して、将兵が苦楽をともにするようにすべきである。こうすれば、将兵の一致という目的がたっせられ、軍隊はこのうえなく戦闘力をまし、長期の残酷な戦争がささえられない心配はなくなる。

 (一一四)戦争の偉力のもっとも深い根源は民衆のなかにある。日本がわれわれをあなどるのは、主として中国の民衆が無組織の状態にあるからである。この欠点が克服されれば、日本侵略者は火の海にとびこんできた野牛のように、立ちあがったわれわれ数億の人民の面前にひきすえられ、われわれの一喝でとびあがり、かならず焼け死んでしまう。われわれの側では、軍隊はたえまなく補充しなければならないが、現在地方ででたらめにやられている「兵隊狩り」、「身代わり兵買い」〔25〕をただちに禁止して、広範な熱烈な政治的動員にきりかえるべきであり、そうすれば、数百万人を軍隊に参加させることも容易である。抗日のための財源には大きな困難があるが、民衆を動員すれば、財政も問題にならない。このように土地が広く、人口の多い国で財政窮乏を憂える理由などがどこにあろうか。軍隊は、民衆から自分の軍隊とみなされるよう、民衆と一体になるべきである。そうなれば、この軍隊は天下無敵となり、日本帝国主義ぐらいをうちやぶるのは物の数ではなくなる。

 (一一五)将兵関係、軍民関係がうまくいかないのは、方法がまちがっているからだとおもっている人がたくさんいるが、わたしは、つねにかれらに、それは兵士を尊重し人民を尊重するという根本的な態度(あるいは根本的なたてまえ)の問題であるといってきた。この態度からいろいろの政策、方法、方式がうまれるのである。この態度がなければ、政策、方法、方式もかならずまちがってくるし、将兵のあいだ、軍民のあいだの関係もけっしてうまくいかない。軍隊の政治工作の三大原則は、第一が将兵一致であり、第三が軍民一致であり、第三が敵軍瓦解である。これらの原則を効果的に実行するには、兵士の尊重、人民の尊重、すでに武器を放棄した敵軍の捕虜の人格の尊重という根本的な態度から出発しなければならない。これらのことを根本的な態度の問題ではなくて、技術的な問題だと考える人びとは、まったく考えちがいをしているのであって、ぜひ改めなければならない。

 (一一六)武漢地方の防衛が緊急任務となっているこのさい、全軍隊、全人民のすべての積極性をふるいたたせて戦争をささえていくことは、非常に重大な任務である。武漢地方を防衛する任務は、疑うまでもなく、しんけんにこれを提起し遂行しなければならない。しかし、はたして、確実に防衛できるかどうかは、主観的な願望によってきまるのではなくて、具体的な条件によってきまる。全軍隊、全人民が奮起するよう政治的に動員することが、もっとも重要な具体的な条件の一つである。すべての必要な条件をかちとることに努力しないなら、それどころか必要な条件の一つでも欠けるなら、いきおい、南京などをうしなった二の舞いを演じることになる。中国のマドリード⑬がどこになるかは、どこにマドリードの条件がそなわるかにかかっている。これまでは一つのマドリードもなかったが、今後はいくつかのマドリードをつくりだすよう努めるべきで、それはまったく条件いかんにかかっている。条件のうちのもっとも基本的なるのは全軍隊、全人民の広範な政治的動員である。

 (一一七)すべての活動において、抗日民族統一戦線の全般的方針を堅持すべきである。なぜなら、この方針によってのみ、抗戦を堅持し、持久戦を堅持することができ、将兵関係、軍民関係を広く深く改善することができ、全軍隊、全人民のすべての積極性をふるいたたせて、まだうしなわれていないすべての地区を防衛し、すでにうしなわれたすべての地区を奪回するために戦うことができ、そして最後の勝利をたたかいとることができるからである。

 (一一八)軍隊と人民を政治的に動員するという問題は、実際あまりにも重要である。われわれが重複をいとわず、この点についてのべてきたのは、実際、この点がなければ勝利がえられないからである。他の多くの必要なものがなければ、もとより勝利はえられないが、しかしこの点が勝利のもっとも基本的な条件である。抗日民族統一戦線は、けっしていくつかの政党の本部や党員たちだけの統一戦線ではなく、全軍隊、全人民の統一戦線である。全軍隊、全人民を統一戦線に参加させることこそ、抗日民族統一戦線結成の根本目的である。



結論


 (一一九)結論はなにか。結論はこうである。「どのような条件のもとで、中国は日本帝国主義の武力にうち勝ち、これを消滅することができるのでしょうか。三つの条件が必要です。第一は中国抗日統一戦線の達成、第二は国際抗日統一戦線の達成、第三は日本国内の人民と日本の植民地の人民の革命運動のもりあがりです。中国人民の立場からいえば、三つの条件のうち、中国人民の大連合が主要なものです。」「この戦争はどのくらい長びくでしょうか。それは、中国の抗日統一戦線の力と中日両国の他の多くの決定的な要素のいかんによってきまります。」「もしこれらの条件がすぐに実現しなければ、戦争は長びくでしょう。だが、結果はやはりおなじで、日本はかならず敗北し、中国はかならず勝利します。ただそれだけ犠牲が大きくなり、ひじょうに苦しい時期を経過するだけのことです。」「われわれの戦略方針は、主力を、たえず変動する長い戦線での作戦に用いるべきだということです。中国の軍隊が勝利するには、ひろい戦場での高度の運動戦が必要です。」「訓練された軍隊を配置して運動戦をおこなうほか、さらに農民のあいだに多くの遊撃隊を組織しなければなりません。」「戦争の過程で、……中国の軍隊の装備をしだいに強化していくこともできます。したがって、中国は戦争の後期には陣地戦をおこない、日本の占領地にたいして陣地攻撃をおこなうことができます。このようにして、日本は、中国の抗戦による長期の消耗によって、経済は崩壊し、無数の戦いに疲弊して、士気はおとろえていくでしょう。中国の側では、抗戦の潜在力が日ましに大きくたかまり、大量の革命的民衆がぞくぞくと前線におもむき、自由のために戦うでしょう。これらすべての要素が他の要素と結びつくと、われわれは、日本の占領地の堡塁や根拠地にたいして最後の致命的な攻撃をくわえ、日本の侵略軍を中国から駆逐することができます。」(一九三六年七月、スノウとの談話)「中国の政治情勢は、このときから新しい段階にはいった。……この段階でのもっとも中心的な任務は、あらゆる力を動員して抗戦の勝利をかちとることである。」「抗戦の勝利をかちとる中心の鍵は、すでに口火のきられた抗戦を全面的な全民族の抗戦に発展させることである。このような全面的な全民族の抗戦でなければ、抗戦は最後の勝利をおさめることはできない。」「当面の抗戦にはまだ重大な弱点があるので、今後の抗戦の過程では、挫折、退却、内部分化、裏切り、一時的、局部的な妥協など、多くの不利な状況がうまれる可能性がある。したがって、この抗戦は、苦難にみちた持久戦になることを見てとるべきである。だが、われわれは、すでに口火のきられた抗戦が、かならずわが党と全国人民の努力によって、あらゆる障害をつきやぶってひきつづき前進、発展することを確信する。」(一九三七年八月、「中国共産党中央の当面の情勢と党の任務についての決定」)これらの点が結論である。亡国論者は敵を神わざをもつもののように考え、自分をちりあくたのように考えており、速勝論者は敵をちりあくたのように考え、自分を神わざをもつもののように考えているが、これはどちらもあやまりである。われわれの意見はその反対である。すなわち抗日戦争は持久戦であり、最後の勝利は中国のものである――これがつまりわれわれの結論である。

 (一二〇)わたしの講演はこれで終わる。偉大な抗日戦争がいま、まさに展開されており、その全面的な勝利をかちとるために、経験の総括されることを多くの人びとが望んでいる。わたしがのべたのは、この十ヵ月の経験のなかの一般的なものにすぎないが、これも一つの総括といえよう。この問題は広範な注意と討議をひきおこすに値するものであり、わたしがのべたのは一つの概論にすぎないので、諸君の研究、討議によって、訂正、補足されるよう希望する。




〔注〕

〔1〕 こうした亡国論は国民党の見解である。かれらは抗日を望まなかったのであり、のちにやむなく抗日したのである。蘆溝橋事変以後、蒋介石一派は不本意ながら抗日に参加したが、汪精衛一派は亡国論を代表して、日本への投降を準備し、はたしてのちには投降してしまった。だが、亡国論の思想は国民党内に存在していたばかりでなく、一部の中間層、ひいては一部のおくれた勤労人民にさえも影響をおよぼしていたのである。これは、腐敗無能な国民党政府が、抗日戦争のなかでつぎつぎに失敗をかさね、しかも日本軍がまっしぐらに侵入して、戦争の一年目に武漢付近にまで進撃したため、一部のおくれた人民のあいだに、深刻な悲観的気分が生じたからである。

〔2〕 ここにあげられている見解はみな共産党内のものである。抗日戦争の最初の半年間、党内には、日本は一撃にも値しないと考える、敵を軽視する傾向があった。そのわけは共産党の指導する軍隊と組織された民衆の力が、当時、まだ小さいことを知っていたかれらとして、自己の力が大きいと感じたからではない。国民党が抗日したので、かれらは、国民党が共産党と呼応して日本を効果的にたたくだけの大きな力をもっていると感じたからである。かれらは、国民党の反動的な、腐敗した面をわすれて、国民党の一時的な抗日の面だけをみていたので、あやまった評価をおこなったのである。

〔3〕 これは蒋介石らの見解である。蒋介石国民党は抗戦を余儀なくされると、ひたすら外国からのすみやかな援助にのぞみをかけた。かれらは自己の力を信じなかったし、それにもまして人民の力を信じなかった。

〔4〕 台児荘は山東省南部の町である。一九三八年三月、中国軍隊と日本侵略軍とが台児荘一帯で会戦した。中国軍隊は四十万の兵力で七、八万の日本軍に対抗し、それで勝利をおさめた。

〔5〕 これは、当時、国民党の政学系の新聞『大公報』が社説でのべた論調である。かれらは持久戦の過程で人民の力を動員することによって、自分たちの階級の安全がおびやかされることのないように、僥倖ぎょうこうをたのむ気持ちかち、台児荘のような勝利を何回かかさねて日本をうちやぶることにのぞみをかけた。国民党全体に、当時、こうした僥倖をたのむ気持ちがあった。

〔6〕 一八世紀の末から数十年間、イギリスは中国向けのアヘン輸出を日ましにふやしていった。アヘンの輸入で、中国人民はひどい害毒をうけ、中国の銀は大量に奪いさられた。アヘン貿易は、中国の反対にあった。一八四〇年、イギリス政府は、通商の保護を口実に、派兵して中国を侵略した。中国軍隊は、林則徐の指導のもとに侵略に抵抗する戦争をおこなった。広州の人民は、自然発生的に「平英団」を組織して、イギリス侵略軍に大きな打撃をあたえた。一八四二年、腐敗した清朝政府は、イギリス侵略者と「南京条約」を結んだ。この条約は賠償金を支払い、香港を割譲するほか、上海、福州、廈門、寧波、広州を通商港として開放し、また、中国の輸入するイギリス商品にたいする税率を中英両国が共同で議定することを規定している。

〔7〕 戊戌維新とは、戊戌の年(一八九八年)におこった改良主義運動をさす。この運動は、一部の自由主義ブルジョア階級と開明地主の利益を代表し、康有為、梁啓超、譚嗣同らが中心になってすすめたもので、光緒皇帝の賛助をえたが、人民大衆のなかに基盤をもっていなかった。当時、武力をにぎっていた袁世凱が頑固派の首領西太后に維新派の機密をうりわたしたので、西太后はふたたび政権をにぎり光緒皇帝を幽閉するとともに、譚嗣同ら六人を殺した。この運動は、こうしてみじめな失敗に終わった。

〔8〕 一九三八年一月十六日、日本の内閣は、武力によって中国を滅ぼすという方針をあきらかにする声明を発表すると同時に、国民党政府が「依然として抗戦の策動をつづける」以上、日本政府としては「爾後じご国民政府を対手とせず」、中国に新しいかいらい政権をもりたてると公言し、国民党政府にたいして威嚇と投降勧誘をおこなった。

〔9〕 ここでは、主として、アメリカをさす。

〔10〕 イギリス、アメリカ、フランスなどの帝国主義諸国の政府をさす。

〔11〕 毛沢東同志がここで予言している、抗日戦争の対特段階における中国側の上向きの変化は、中国共産党の指導下にある解放区で完全に実現された。国民党支配区では、蒋介石をかしらとする支配集団が、抗日には消極的で、反共、反人民には積極的であったために、上向きにならなかったばかりでなく下向きになった。だが、こうした状況も広範な人民の反抗と自覚をよびおこすことになった。毛沢東同志の『連合政府について』にあるこれらのすべての事実にかんする分析を参照。

〔12〕 「唯武器論」は中国の武器は日本におとるから、戦争ではかならず中国が敗北すると考える論調である。国民党反動派の頭目たちは(蒋介石をもふくめて)みなこのような見方をしていた。

〔13〕 如来仏は仏教の創始者釈迦牟尼をさす。孫悟空は一六世紀の中国の神話小説『西遊記』のなかの英雄である。この神話小説によると、孫悟空は猿であって、もんどりを一つうてば、十万八千里もとぶことができる。しかし、如来仏のたなごころのなかでは、どんなにもんどりうっても、たなごころからとびだすことができず、逆に如来仏がたなごころをびるがえしておさえると、五本の指が五行山と化して、孫悟空を下敷きにしてしまう。

〔14〕 一九三五年八月、ディミトロフ同志はコミンテルン第七回代表大会でおこなった『反戦・反ファシスト闘争における当面の諸問題』という報告のなかで、「ファシズムとは傍若無人な排外主義であり侵略戦争である」といった。一九三七年七月、ディミトロフ同志はまた『ファシズムとは戦争である』と題する論文を発表した。

〔15〕 レーニンの『社会主義と戦争』の第一章と『第二インターナショナルの崩壊』の第三節にみられる。

〔16〕 『孫子』巻三「謀攻」編にみられる。

〔17〕 城濮は平原省濮県内(現在の河南省范県内――訳者)にある。西紀前六三二年、晉と楚の両国がここで大規模な戦争をおこなった。戦争のはじめには、楚軍が優勢をしめた。晉軍は、九十華里退却し、楚軍の力の手うすな左右両翼をえらんで手痛い打撃をあたえた。楚軍はついに大敗した。

〔18〕 西紀前二〇四年、漢の将軍韓信のひきいる軍勢は井[”こざとへん”+坙]で、趙王の歇と大規模な戦いをまじえた。趙の軍勢は二十万と号し、漢の軍勢に数倍していた。韓信は背水の陣をしき、軍勢をひきいて奮戦し、同時に超軍の防備の手薄な後方に兵をおくってこれを襲撃、占領させ、前後からはさみうちして趙軍を大いに破った。

〔19〕 一八世紀末から、一九世紀のはじめにかけて、フランスのナポレオンはイギリス、プロシア・オーストリア、ロシアおよびヨーロッパのその他の多くの国ぐにと戦った。何回もの戦争で、ナポレオンの部隊は、数のうえでは敵軍におとっていたが、いずれも勝利をおさめた。

〔20〕 西紀三八三年、まえから晉軍をみくびっていた秦王苻堅は兵をだして、晉を攻めた。晉軍は安徽省の寿陽、洛澗の地方で秦軍の先陣をうちやぶり、水陸両面から前進をつづけた。苻堅は寿陽城にのぼって、遠くからこれをながめ、晉兵の布陣が整然としているのをみ、また遠くの八公山上の草木をみて、これをみな晉兵だとおもいこみ、強敵に出会ったようにおそれを抱きはじめた。本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔29〕を参照。

〔21〕 蒋介石、汪精衛らが、一九二七年、国共間の第一次民族民主統一戦線を裏切ってから、十年にわたって反人民戦争をすすめ、中国人民が広範に組織されるのを不可能にしたことをさす。この歴史的あやまりは蒋介石をかしらとする国民党反動派がその責任を負うべきである。

〔22〕 宋の襄公は西紀前七世紀の春秋時代の宋国の君主である。西紀前六三八年、宋国は強大な楚国と戦った。宋兵はすでに列を組んで陣をしき、楚兵はちょうど河を渡るところであった。宋国のある役人は、楚兵は多く、宋兵は少ないとみて、楚兵の渡河が終わらない機会をとらえて撃ってでるよう主張した。しかし、宋の襄公は、「それはいけない。君子は他人がこまっているのに乗じて人を撃つようなことはしない」といった。楚兵が河を渡って、まだ兵の布陣が終わらないとき、宋の役人が撃ってでるようふたたび願いでた。宋の襄公はまたも、「それはいけない。君子は陣容をととのえていない隊伍を攻撃するようなことはしない」といった。楚兵がすっかり準備ができたとき、はじめて、宋の襄公は出撃命令をくだした。その結果、宋国は大敗し、宋の襄公自身も負傷した。この物語は『左伝』債公二十二年にみられる。

〔23〕 一九三七年、日本侵略軍は、北平、天津を占領すると、天津=浦口鉄道にそって南下し、山東省に進攻した。多年山東省を支配していた国民党軍閥韓復榘は戦わずに山東からずっと河南にまで逃げた。

〔24〕 一八一二年、ナポレオンは五十万の大軍をもってロシアに進攻した。ロシア軍はモスクワを放棄し、それを焼きはらった。このため、ナポレオンの軍隊は、飢えと寒さにおそわれ、後方連絡線をかきみだされ、四方から包囲される羽目におちいって、撤退しなければならなくなった。ロシア軍は、機に乗じて反攻にで、ナポレオンの軍隊は逃げられたものわずかに二万余であった。

〔25〕 国民党の軍隊拡充のやり方は、軍隊や警官を四方にくりだして人民をとらえてきて兵隊にするもので、とらえた兵隊は囚人同様、なわでしばられていた。多少金のある人は、国民党の官吏に賄賂をつかい、金で人を買って身代わりにした。

〔訳注〕

① 一九三七年七月七日の蘆溝橋事変ののち、日本帝国主義は、全中国を滅ぼす方針をつらぬくため、侵略戦争をさらに拡大して、同年八月十三日、上海方面でも大規模な軍事的進攻をおこした。これが、ここでいう上海戦争である。

② 本選集第一巻の『日本帝国主義に反対する戦術について』注〔33〕にみられる。

③ 本選集第一巻の『湖南省農民運動の視察報告』注〔3〕にみられる。

④ 『孟子―告子章句下』にみられる。その原文は「先生の志は大なり。先生の説は不可なり」となっている。

⑤ 『抗日救国十大綱領』とは、抗日戦争勃発後の一九三七年八月二十五日、洛川でひらかれた中国共産党中央政治局拡大会議で採択された綱領である。これは、全面的抗戦の路線を貫徹して、日本帝国主義に徹底的に勝利するための救国綱領である。この綱領の全文は、本巻の『すべての力を動員して抗戦の勝利をかちとるためにたたかおう』にみられる。

⑥ 本巻の『陝西・甘粛・寧夏辺区政府、第八路軍後方留守本部布告』訳注①にみられる。

⑦ 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔24〕にみられる。

⑧ 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔25〕にみられる。

⑨ 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔26〕にみられる。

⑩ 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔27〕にみられる。

⑪ 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔28〕にみられる。

⑫ 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔29〕にみられる。

⑬ 本巻の『すべての力を動員して抗戦の勝利をかちとるためにたたかおう』注〔13〕にみられる。

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