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持久戦について (一)~(一一一) (一九三八年五月)

これは、毛沢東同志が一九三八年五月二十六日から六月三日にかけて、延安の抗日戦争研究会でおこなった講演である。


     問題の提起


 (一)偉大な抗日戦争の一周年記念日、七月七日がまもなくやってくる。全民族が力を結集して、抗戦を堅持し、統一戦線を堅持し、敵にたいする英雄的な戦争をすすめて、やがて一年になる。この戦争は、東方の歴史において空前のものであり、世界の歴史においても偉大なものとなるであろうし、全世界の人民はみなこの戦争に関心をよせている。戦争の災いを身にうけて、自己の民族の生存のために奮闘している中国人の一人ひとりは、戦争の勝利を一日として心からのぞまない日はない。しかし、戦争は、いったいどういう過程をたどるのか。勝利できるのか、できないのか。速勝できるのか、できないのか。多くの人は持久戦を口にするが、なぜ持久戦なのか。どのようにして持久戦をすすめるのか。多くの人は最後の勝利を口にするが、なぜ最後の勝利がえられるのか。どのようにして最後の勝利をかちとるのか。これらの問題については、だれもが解決しているわけではなく、むしろ大多数の人がいまなお解決していない。そこで、敗北主義の亡国論者がとびだしてきて、中国は滅びる、最後の勝利は中国のものではないという。また一部のせっかちな友人もとびだしてきて、中国はすぐに勝てる、大して骨を折らなくてもよいという。これらの論議ははたして正しいだろうか。われわれはこれまでずっと、これらの論議はまちがっているといってきた。しかし、われわれのいっていることは、まだ大多数の人びとに理解されていない。その理由の一半は、われわれの宣伝と説明の活動がまだ不十分なことにあり、他の一半は、客観的事態の発展がまだその固有の性質をすっかりさらけだしていず、まだその姿を人びとのまえにくっきりとあらわしていないため、人びとがその全体のなりゆきや前途を見通しようがなく、したがって、自分たちの系統だった方針と方法を決定しようもなかったところにある。いまはもうよくなった。抗戦十ヵ月の経験は、なんの根拠もない亡国論をうちやぶるのに十分であり、せっかちな友人の速勝論を説得するにも十分である。このような状況のもとで、多くの人びとは総括的な説明をもとめている。とくに持久戦にたいしては、亡国論、速勝論という反対の意見があるし、また中味のないからっぽな理解もある。「蘆溝橋ルーコウチァオ事変いらい、四億の人びとがひとしく努力しており、最後の勝利は中国のものである。」こうした公式が、広範な人びとのあいだにひろまっている。この公式は正しいが、それを充実させる必要がある。抗日戦争と統一戦線が堅持できるのは、つぎのような多くの要素によるのである。すなわち共産党から国民党にいたる全国の政党、労働者、農民からブルジョア階級にいたる全国の人民、主力軍から遊撃隊にいたる全国の軍隊、それに、社会主義国から正義を愛する各国人民にいたるまでの国際事情、敵国内の一部の反戦的な人民から前線の反戦兵士にいたるまでの敵国事情がそれである。要するに、これらすべての要素が、われわれの抗戦のなかでさまざまな程度で寄与しているのである。良心のある人なら、かれらに敬意を表すべきである。われわれ共産党員が他の抗戦諸政党や全国人民とともにすすむ唯一の方向は、悪逆無道の日本侵略者にうち勝つため、すべての力を結集するよう努力することである。今年の七月一日は、中国共産党の創立一七周年記念日である。共産党員の一人ひとりが抗日戦争のなかで、よりよく、より大きく努力できるようにするためにも、とくに持久戦の研究に力を入れる必要がある。したがって、わたしはこの講演で持久戦について研究してみたい。持久戦という題目に関連する問題は、みなふれるつもりであるが、一つの講演でなにもかもいいつくせるものではないから、全部話すことはできない。

 (二)抗戦十ヵ月らいのすべての経験は、つぎの二つの観点がまちがっていることを立証している。一つは中国必亡論、もう一つは中国速勝論である。前者は妥協の傾向をうみ、後者は敵を軽視する傾向をうむ。かれらの問題の見方は主観的、一面的であり、一言でいえば、非科学的である。

 (三)抗戦以前には、亡国論的論議がたくさんあった。たとえば、「中国は兵器がおとっているから、戦えばかならず負ける」、「もし抗戦すれば、きっとエチオピアになってしまう」というのがそれである。抗戦以後、公然とした亡国論はなくなったが、かげでは存在しており、しかもかなり多い。たとえば妥協的空気の消えたりあらわれたりするのがそれで、妥協論者の根拠は「これ以上戦えばかならず滅びる」〔1〕という点にある。ある学生が湖南省からよこした手紙ではつぎのようにいっている。「田舎では何ごとにも困難を感じます。たった一人で宣伝活動をしていますので、機会あるごとに人に話しかけるよりほかありません。相手はみな知識のない愚民というわけではなくて、多少はわかっており、わたしの話にとても興味をもっています。けれどもわたしの親戚たちときたら、きまって『中国は勝てない、滅びる』といいます。まったく困ったものです。かれらはよそにふれまわらないからまだよいものの、そうでなければとんでもないことになります。もちろん、農民はかれらの方をいっそう信頼しているのです。」このたぐいの中国必亡論者が、妥協の傾向をうむ社会的基礎である。このたぐいの人びとは中国各地におり、したがって、抗日陣営のなかにいつでもでてくる可能性のある妥協という問題は、おそらく戦争の終局までなくならないであろう。徐州シュイチョウをうしない、武漢ウーハンが急をつげているいま、こうした亡国論に痛烈な論ばくをくわえることは、無益ではないとおもう。

 (四)抗戦十ヵ月らい、せっかち病をしめすいろいろな意見もうまれた。たとえば抗戦の当初には、なんの根拠もない楽観的な傾向が多くの人にみられた。かれらは日本を過小評価し、日本は山西シャンシー省に攻めこむことはできまいとさえ考えた。ある人びとは、抗日戦争における遊撃戦争の戦略的地位を軽視して、「全体的には、い運動戦が主要なもので、遊撃戦は補助的なものであるが、部分的には、遊撃戦が主要なもので、運動戦は補助的なものである」という主張に疑いをしめした。かれらは、「基本的には遊撃戦であるが、有利な条件のもとでの運動戦もゆるがせにしない」という八路軍の戦略方針を「機械的」な観点であるとしてこれに賛成しなかった〔2〕。上海シャンハイ戦争①のとき、ある人びとは、「三ヵ月も戦えば、国際情勢がきっと変化し、ソ連がきっと出兵し、戦争はかたがつく」といい、抗戦の前途を主として外国の援助に託した〔3〕。台児荘タイアルチョワンの勝利〔4〕ののち、ある人びとは、これまでの持久戦の方針は改めるべきだといって、徐州戦役を「準決戦」とみなすべきだと主張した。そして「この一戦こそ敵の最後のあがきである、「われわれが勝てば、日本の軍閥は精神的に足場をうしない、おとなしく最後の裁きを待つほかなくなる」〔5〕などといった。平型関ピンシンコヮンの勝利は、一部の人をのぼせあがらせ、さらに台児荘の勝利は、いっそう多くの人をのぼせあがらせた。そこで、敵が武漢に進攻するかどうかが疑問になった。多くの人は「そうとはかぎらない」と考え、また他の多くの人は「断じてありえない」と考えている。このような疑問はすべての重大な問題にかかわってくる。たとえば、抗日の力が十分だろうかということについては、然りと答えるだろう。いまの力でも敵のこれ以上の進攻を不可能にしているのに、これ以上力をふやしてどうするかというわけである。たとえば、抗日民族統十戦線を拡大、強化せよというスローガンが依然として正しいだろうかということについては、否と答えるだろう。統一戦線のいまの状態でも敵を撃退できるのに、どうしてこれ以上拡大と強化の必要があるかというわけである。たとえば、国際外交と国際宣伝の活動をもっと強化すべきだろうかということについても、否と答えるだろう。たとえば、軍隊制度の改革、政治制度の改革、民衆運動の促進、国防教育の励行、民族裏切り者とトロツキストの弾圧、軍事工業の発展、人民生活の改善をしんけんにおこなうべきだろうか、また、たとえば、武漢の防衛、広州コヮンチョウの防衛、西北地方の防衛、敵の後方での遊撃戦争の猛烈な発展というスローガンが依然として正しいだろうか、これらのことについてもすべて否と答えるだろう。それどころか、ある人びとは、戦争の形勢がいくらか好転してくると、外に向いている目を内に向けさせるために、国共両党間の摩擦をつよめようとする。このような状況は、比較的大きな勝利をおさめるたびに、あるいは敵の進攻が一時足ぶみしたときには、ほとんどいつも発生する。上述のすべてを、われわれは政治上、軍事上の近視眼とよぶ。かれらのいうことは、筋がとおっているようにみえて、実際にはなんの根拠もない、まやかしの空論である。こうした空論の一掃は、抗日戦争を勝利をもってすすめるのに、当然役立つものである。

 (五)そこで問題は、中国は滅びるかということで、答えは、滅びない、最後の勝利は中国のものである。中国は速勝できるかということで、答えは、速勝できない、抗日戦争は持久戦だということである。

 (六)これらの問題の主要な論点は、二年もまえにわれわれが一般的に指摘した。すでに一九三六年七月十六日、すなわち西安シーアン事変の五ヵ月まえ、蘆溝橋事変の十二ヵ月まえに、アメリカの記者スノウ氏との談話のなかで、わたしは、中日戦争の情勢に一般的な判断をくだすとともに、勝利をかちとるための各種の方針を提起した。念のために、数ヵ所を抜きがきしておこう。


 問 どのような条件のもとで、中国は日本帝国主義の武力にうち勝ち、これを消滅することができるのでしょうか。

 答 三つの条件が必要です。第一は中国抗日統一戦線の達成、第二は国際抗日統一戦線の達成、第三は日本国内の人民と日本の植民地の人民の革命運動のもりあがりです。中国人民の立場からいえば、三つの条件のうち、中国人民の大連合が主要なものです。

 問 この戦争はどのくらい長びくでしょうか。

 答 それは、中国の抗日統一戦線の力と中日両国の他の多くの決定的な要素のいかんによってきまります。すなわち、主として中国自身の力によるほかに、中国にあたえられる国際的援助と日本国内の革命による援助も大いにこれと関連があります。もし中国の抗日統一戦線が強力に発展し、横の面でも縦の面でも効果的に組織されるなら、もし日本帝国主義に自分の利益を脅かされていることを知った各国政府と各国人民が、中国に必要な援助をあたえることができるなら、またもし日本に革命がはやくおこるなら、こんどの戦争はすみやかに終わりをつげ、中国はすみやかに勝利するでしょう。もしこれらの条件がすぐに実現しなければ、戦争は長びくでしょう。だが、結果はやはりおなじで、日本はかならず敗北し、中国はかならず勝利します。ただそれだけ犠牲が大きくなり、ひじょうに苦しい時期を経過するだけのことです。

 問 政治上と軍事上からみて、この戦争は将来どう発展するでしょうか。

 答 日本の大陸政策はすでに確定しています。中国の領土と主権をもうすこし犠牲にして、日本と妥協すれば、日本の進攻をやめさせることができるとおもっている人びと、こういう人びとの考え方はたんなる幻想にすぎません。われわれは、長江チャンチァン下流地域や南方各港までがすでに日本帝国主義の大陸政策にふくまれていることを確実に知っています。そのうえ、日本はさらにフィリピン、シャム、インドシナ、マレー半島およびオランダ領東インドを占領し、外国を中国から切りはなし、西南太平洋を独占しようと考えています。これは、また日本の海洋政策であります。このような時期には、中国は疑いもなく極度に困難な状況におかれるでしょう。だが、大多数の中国人は、このような困難は克服できると信じています。ただ大商港地の金持ちだけが財産の損失をおそれて敗北論者であるにすぎません。ひとたび中国の海岸が日本に封鎖されれば、中国は戦争を継続できなくなると考えている人もかなりいますが、これはばかげたことです。かれらを論ばくするには、赤軍の戦争史をあげてみるのもよいでしょう。抗日戦争で中国かしめる優勢な地位は、内戦当時に赤軍がしめていた地位よりもはるかにすぐれています。中国は非常に大きな国であって、たとえ日本が中国の人口一億ないし二億をしめる地域を占領しえたとしても、われわれの敗北にはほど遠いものがあります。われわれには依然として日本と戦うだけの大きな力がありますが、日本は戦争の全期間をつうじて、つねにその後方で防御戦をおこなわなければなりません。中国経済の不統一、不均等は、抗日戦争にとってむしろ有利です。たとえば、上海が中国のほかの地方から切りはなされたばあいに中国のうける損失は、けっして、ニューヨークがアメリカのほかの地方から切りはなされたばあいにアメリカのうける損失ほど深刻ではありません。日本が中国の沿岸を封鎖したとしても、中国の西北、西南および西部は、日本にとって封鎖のしようもありません。したがって、問題の中心はやはり全中国人民が団結して、挙国一致の抗日陣営をつくることです。これは、われわれがはやくから提起していることです。

 問 日本を完全にはうちやぶれず、戦争が長びくようなら、共産党は講和に同意し、日本の東北支配を承認することができますか。

 答 できません。中国共産党は、全国の人民とおなじように、日本か中国の一寸の土地も保持することを許しません。

 問 あなたのご意見では、こんどの解放戦争の主要な戦略方針はどういうものですか。

 答 われわれの戦略方針は、主力を、たえず変動する長い戦線での作戦に用いるべきだということです。中国の軍隊が勝利するには、迅速な前進と迅速な後退、迅速な集中と迅速な分散というひろい戦場での高度の運動戦が必要です。これは、塹壕ざんごうを深くし、堡塁ほるいを高くし、いくえにも防備して、もっぱら防御設備にたよるという陣地戦ではなく、大規模な運動戦のことです。だからといってすべての重要な軍事地点を放棄せよというのではなく、有利でさえあれば、これらの地点に陣地戦の配置をすべきです。しかし、全局面を転換させる戦略方針は、どうしても運動戦でなければなりません。陣地戦も必要ですが、これは補助的な性質をもった第二の方針です。地理的に戦場がこのようにひろいので、われわれがもっとも効果的な運動戦をおこなうのは可能なことです。わが軍の猛烈な行動にあえば、日本軍は慎重にかまえざるをえません。かれらの戦争機構は鈍重で、行動は緩慢であり、効果は知れています。もしわれわれが兵力をせまい陣地に集中して消耗戦的な抵抗をするとすれば、わが軍は地理上、経済機構上の有利な条件をうしない、エチオピアのようなあやまりをおかすことになります。戦争の前期には、われわれは大きな決戦をすべてさけ、まず運動戦によって敵軍の士気と戦闘力をしだいに破壊していくようにしなければなりません。

 訓練された軍隊を配置して運動戦をおこなうほか、さらに農民のあいだに多くの遊撃隊を組織しなければなりません。東北三省の抗日義勇軍は、全国の農民のなかの動員しうる抗戦潜在力のほんの一部をしめすものにすぎないことを知らなくてはなりません。中国の農民には大きな潜在力があり、組織と指揮が適切でさえあるなら、四六時中、日本の軍隊を奔命に疲れさせることができます。この戦争は中国でおこなわれているということを心にとめておかなければなりません。つまり、日本軍かかれらに敵対する中国人にすっかり包囲されるということ、日本軍が自分たちの必要とする軍需品を運んでこなければならず、しかも自分で見張っていなければならないということ、大きな兵力をさいて交通線を防備し、つねに襲撃を警戒していなければならないということです。そのほか、かれらは大量の兵力を満州と日本内地に配置する必要があります。

 戦争の過程で、中国は多くの日本兵を捕虜にし、多くの兵器、弾薬を奪いとって自分を武装することができますし、外国の援助をかちとって、中国の軍隊の装備をしだいに強化していくこともできます。したがって、中国は戦争の後期には陣地戦をおこない、日本の占領地にたいして陣地攻撃をおこなうことができます。このようにして、日本は、中国の抗戦による長期の消耗によって、経済は崩壊し、無数の戦いに疲弊ひへいして、士気はおとろえていくでしょう。中国の側では、抗戦の潜在力が日ましに大きくたかまり、大量の革命的民衆がぞくぞくと前線におもむき、自由のために戦うでしょう。これらすべての要素が他の要素と結びつくと、われわれは、日本の占領地の堡塁や根拠地にたいして最後の致命的な攻撃をくわえ、日本の侵略軍を中国から駆逐することかできます。(スノウ著『中国の赤い星』)


 抗戦十ヵ月の経験は、上述の論点の正しさを立証しているし、今後もひきつづき立証するであろう。

 (七)蘆溝橋事変がおこって一ヵ月あまりのちの一九三七年八月二十五日、すでに中国共産党中央は、「当面の情勢と党の任務についての決定」のなかで、つぎのようにはっきり指摘した。


蘆溝橋における戦争挑発と北平ペイピン天津ティエンチンの占領は、日本侵略者が中国中心部に大挙進攻する手始めにすぎない。日本侵略者は、すでに全国の戦時動員をはじめた。かれらが口にする「不拡大」の宣伝は、その進攻をおおいかくす煙幕でしかない。

 七月七日の蘆溝橋の抗戦は中国の全国的な抗戦の出発点となった。

 中国の政治情勢は、このときから新しい段階、つまり一抗戦を実行する段階にはいった。抗戦の準備段階はすでにすぎた。この段階でのもっとも中心的な任務は、あらゆる力を動員して抗戦の勝利をかちとることである。

 抗戦の勝利をかちとる中心のかぎは、すでに口火のきられた抗戦を全面的な全民族の抗戦に発展させることである。このような全面的な全民族の抗戦でなければ、抗戦は最後の勝利をおさめることはできない。

 当面の抗戦にはまだ重大な弱点があるので、今後の抗戦の過程では、挫折ざせつ、退却、内部分化、裏切り、一時的、局部的な妥協など、多くの不利な状況かうまれる可能性がある。したがって、この抗戦は、苦難にみちた持久戦になることを見てとるべきである。だが、われわれは、すでに口火のきられた抗戦が、かならずわが党と全国人民の努力によって、あらゆる障害をつきやぶってひきつづき前進、発展することを確信する。


 抗戦十ヵ月の経験は、同様に、上述の論点の正しさを立証したし、今後もひきつづき立証するであろう。

 (八)戦争の問題における観念論的、機械論的な傾向は、すべてのあやまった観点の認識論上の根源である。かれらの問題の見方は主観的、一面的である。かれらは、少しも根拠をもたずに純主観的にのべたてるか、あるいは問題の一側面、一時期のあらわれだけにもとづいて、同様に主観的にそれを誇張して、全体とみなすのである。しかし、人びとのあやまった他点は、二種類にわけることができる。一つは根本的なあやまりであって、一貫性をおびており、これは是正しにくい。もう一つは偶然的なあやまりであって、一時的性質をおびており、この方は是正しやすい。だが、ともにあやまりである以上、どちらも是正する必要がある。したがって、戦争の問題における観念論的、機械的的な傾向に反対し、客観的な観点と全面的な観点で戦争を考察することによって、はじめて戦争の問題について正しい結論がえられるのである。



問題の根拠


 (九)抗日戦争はなぜ持久戦なのか。最後の勝利はどうして中国のものなのか。その根拠はどこにあるのか。

 中日戦争は他のいかなる戦争でもなく、半植民地・半封建の中国と帝国主義の日本とが二〇世紀の三十年代におこなっている生死をかけた戦争である。問題の根拠はすべてここにある。それぞれについてのべると、戦争している双方には、つぎのようなあい反した多くの特徴がある。

 (一〇)日本側。第一に、日本は強い帝国主義国であって、その軍事力、経済力、政治組織力は東方第一級のものであり、世界でも五つか、六つの著者な帝国主義国のうちの一つである。これが日本の侵略戦争の基本条件であり、戦争が不可避で、中国の速勝が不可能なのは、この日本という国家の帝国主義制度とその強い軍事力、経済力、政治組織力からきている。しかし、第二に、日本の社会経済の帝国主義的性質から、日本の戦争の帝国主義的性質がうまれ、その戦争は退歩的な野蛮やばんなものとなっている。二〇世紀の三十年代にいたって、日本帝国主義は、内外の矛盾から、空前の大規模な冒険戦争をおこなわざるをえなくなったばかりでなく、最後的崩壊の前夜においやられている。社会発展の過程からいえば、日本はもはや繁栄する国ではない。戦争は日本の支配階級が期待している繁栄をもたらすことはできず、かれらの期待とは反対のもの――日本帝国主義の死滅をもたらすであろう。これが日本の戦争の退歩性というものである。この退歩性のうえに、さらにもう一つ、日本が軍事的・封建的な帝国主義であるという特徴がくわわって、その戦争の特殊な野蛮性がうまれている。このため、その国内における階級対立、日本民族と中国民族との対立、日本と世界の大多数の国ぐにとの対立が最大限にひきおこされる。日本の戦争の退歩性と野蛮性は日本の戦争の敗北が必至である主要な根拠である。そればかりではない。第三に、日本の戦争は、強い軍事力、経済力、政治組織力を基礎としておこなわれているとはいえ、同時にまた先天的に不足しているという基礎のうえでおこなわれている。日本の軍事力、経済力、政治組織力は強いが、量の面では不足している。日本は国土が比較的小さく、人力、軍事力、財力、物力にいずれも欠乏を感じており、長期の戦争にはたえられない。日本の支配者は戦争をつうじてこれらの困難な問題を解決しようとしているが、それはやはりおなじように、かれらの期待とは反対のものをもたらすであろう。つまり、日本の支配者はこの困難な問題を解決するために戦争をおこしたが、その結果は戦争によって困難が増大し、もとからもっていたものまで消耗してしまうであろう。最後に、第四に、日本は国際ファシスト諸国の援助をうることはできるが、同時に、その国際的な援助の力をうわまわる国際的な反対の力にぶつからざるをえない。この後者の力はしだいに増大して、結局は前者の援助の力を相殺するばかりでなく、日本自身にもその圧力をくわえるであろう。これは、道にそむくものには援助が少ないという法則であり、日本の戦争の本質からうまれたものである。要するに、日本の長所はその戦力の強さにあるが、短所はその戦争の本質の退歩性、野蛮性にあり、その人力、物力の不足にあり、国際関係において援助が少ないということにある。これらが日本側の特徴である。

 (一一)中国側。第一に、わが国は半植民地・半封建の国である。アヘン戦争〔6〕から太平天国②、戊戌ウーシュイ維新〔7〕、辛亥シンハイ革命③そして北伐戦争にいたるまでの、半植民地・半封建的地位からぬけだそうとするすべての革命的または改良的な運動が、いずれも重大な挫折をこうむったために、この半植民地・半封建的地位は依然としてそのままである。わが国は依然として弱国であり、軍事力、経済力、政治組織力などの面で敵におとっている。戦争が不可避で、中国の速勝が不可能である根拠は、この面にもある。しかし、第二に、中国ではこの百年らい解放運動がつみかさぬられて今日にいたっており、もはや歴史上のいかなる時期ともちがっている。内外のさまざまな反対勢力は解放運動に重大な挫折をこうむらせはしたが、同時に中国人民をきたえた。今日の中国の軍事、経済、政治、文化は、日本ほど強くはないが、中国自身について比較してみれば、歴史上のいかなる時期よりもずっと進歩した要素をもっている。中国共産党とその指導下にある軍隊はこの進歩的な要素を代表している。中国の今日の解放戦争は、まさにこのような進歩を基礎として、持久戦と最後の勝利の可能性を獲得したのである。中国はさしのぼる朝日のような国で、日本帝国主義の没落状態とはまったく対照的である。中国の戦争は進歩的であり、この進歩性から、中国の戦争の正義性がうまれている。この戦争は正義の戦争であるために、全国的な団結をよびおこし、敵国人民の共鳴をうながし、世界の多数の国ぐにの援助をかちとることができる。第三に、中国はまた大きな国で、土地が広く、物産は豊かで、人口が多く、兵力も多いので、長期の戦争をささえることができ、この点もまた日本と対照的である。最後に、第四に、中国の戦争の進歩性、正義性ということから、国際的に広範な援助がえられるのる、道にそむくものには援助が少ないという日本とはまったく逆である。要するに、中国の短所は戦力の弱さにあるが、長所はその戦争の本質の進歩性と正義性にあり、大国ということにあり、国際関係において援助が多いということにある。これらがすべて中国の特徴である。

 (一二)このようにみてくると、日本は軍事力、経済力、政治組織力は強いが、その戦争は退歩的で野蛮であり、人力、物力も不十分で、国際関係でも不利な立場におかれている。反対に、中国は軍事力、経済力、政治組織力は比較的弱いが、まさに進歩の時代にあり、その戦争は進歩的で正義のものであり、そのうえ、持久戦を十分にささえうる大国という条件をもっており、世界の多数の国ぐにも中国を援助するであろう。――これらが、中日戦争でたがいに矛盾している基本的特徴である。これらの特徴は、双方の政治上の政策と軍事上の戦略戦術のすべてを規定してきたし、また規定しており、戦争の持久性と最後の勝利が日本のものではなくて、中国のものであることを規定してきたし、また規定している。戦争とはこれらの特徴の競争である。これらの特徴は、戦争の過程でそれぞれその本質にしたがって変化するのであって、ここからすべてのことが発生する。これらの特徴は、欺瞞ぎまん的な捏造ねつぞうしたものではなくて、事実上存在するものであり、不完全な断片的なものではなくて、戦争の基本的要素のすべてであり、あってもなくてもよいものではなくて、双方の大小すべての問題とすべての作戦段階をつらぬくものである。中日戦争を観察するのに、これらの特徴を忘れるなら、まちがうのは必然的である。たとえ一部の意見が一時はひとから信じられ、まちがいのないものにみえても、戦争がすすむにつれて、きっとそれがまちがいであることが立証されるであろう。では、われわれののべようとするすべての問題を、これらの特徴にもとづいて説明しよう。



亡国論を反ばくする


 (一三)亡国論者は敵とわが方の強弱の対比という要素だけをみて、以前は「抗戦すれば、かならず滅びる」といい、現在はまた「これ以上戦えば、かならず滅びる」といっている。もしわれわれが、敵は強いが小国であり、中国は弱いが大国である、というだけなら、かれらを説きふせるのに十分ではない。かれらは、小さくて強い国が大きくて弱い国を滅ぼすことができ、しかもたちおくれた国が進んだ国を滅ぼしうろことを立証するために、元朝が宋朝を滅ぼし、清朝が明朝を滅ぼした歴史上の証拠をもちだすであろう。もしわれわれが、それはふるい時代のことで、よりどころにはならないといえば、かれらは、小さくて強い資本主義国が大きくて弱いたちおくれた国を滅ぼしうることを立証するために、さらに、イギリスがインドを滅ぼした事実をもちだすであろう。したがって、すべての亡国論者を心服させて、その口を封じるには、また、宣伝活動にたずさわるすべての人びとに、まだわかっていない人びとや、まだしっかりしていない人びとを説得し、かれらの抗戦への信念をかためさせるための十分な論拠をもたせるには、もっとほかの根拠をあげなければならない。

 (一四)このあげなければならない根拠とはなにか。それは時代の特徴である。この特徴は、具体的には、日本の退歩と、援助が少ないということ、中国の進歩と、援助が多いということにあらわれている。

 (一五)われわれの戦争は他のいかなる戦争でもなく、中日両国が二〇世紀の三十年代におこなっている戦争である。敵の側についていえば、第一に、それはまもなく死滅しようとしている帝国主義であり、すでに退歩の時代にあり、それは、インドを滅ぼした当時のイギリスがまだ資本主義の進歩の時代にあったのとちがうばかりでなく、二十年まえの第一次世界大戦のときの日本ともちがう。こんどの戦争は、世界の帝国主義、なによりもまずファシスト諸国の大崩壊の前夜におこったものであって、まさにこのために、敵も最後のあがきの性質をおびる冒険戦争をおこなっているのである。したがって、戦争の結果、滅亡するのは中国ではなくて、日本帝国主義の支配者集団であり、これはさけられない必然性である。そのうえ、日本が戦争をおこなっているこの時期は、まさに世界各国がすでに戦争にみまわれたか、またはまもなくみまわれようとしているときであって、すべてのものが野蛮な侵略に抵抗して戦っているか、または戦う準備をしており、しかも中国というこの国は世界の多数の国ぐにおよび多数の人民と深い利害関係をもっているのである。このことこそ、日本が世界の多数の国ぐにと多数の人民の反対をすでにひきおこし、またもっと強くひきおこすであろうことの根源である。

 (一六)中国の側はどうか。中国はもはや歴史上のいかなる時期とも比較できないものになっている。半植民地、半封建の社会であることが中国の特徴であり、したがって、弱国といわれている。だが、同時にまた、中国は歴史的には進歩の時代にあり、これが日本に勝利することのできる主要な根拠である。抗日戦争を進歩的だというのは、普通一般の進歩ではなく、エチオピアのイタリアにたいする抵抗戦争のような進歩でもなく、太平天国や辛亥革命のような進歩でもなくて、今日の中国の進歩をさしていうのである。今日の中国の進歩はどういう点にあるのか。それは、中国がもはや完全な封建国家ではなくて、すでに資本主義があり、ブルジョア階級とプロレタリア階級があり、すでに目ざめたか、あるいは目ざめつつある広範な人民があり、共産党があり、政治的に進歩した軍隊、すなわち共産党の指導する中国赤軍があり、数十年の伝統ある革命の経験、とりわけ中国共産党創立いらい十七年間の経験がある、という点にある。これらの経験が中国の人民を教育し、中国の政党を教育し、それがちょうど今日の団結抗日の基礎となっているのである。もしロシアに、一九〇五年の経験がなければ、一九一七年の勝利はありえなかったというなら、われわれも、この十七年らいの経験がなければ、抗日の勝利もありえないといえるであろう。これが国内的な条件である。

 国際的な条件は中国を戦争のなかで孤立しないものとしており、この点も史上空前のことである。歴史上では、中国の戦争にしても、インドの戦争にしても、みな孤立していた。ただ、今日のばあいは、世界ですでにおこり、あるいはおこりつつある空前の広さと空前の深さをもった人民運動と、それの中国への援助がみられる。ロシアの一九一七年の革命にも世界の援助があり、それによってロシアの労働者と農民は勝利したが、その援助の規模はまだ今日ほど広くはなかったし、その性質も今日ほど深くはなかった。今日の世界の人民運動は、まさに空前の大きな規模と深さをもって発展している。まして、ソ連の存在は今日の国際政治における非常に重要な要素であり、ソ連はきわめて大きな熱意をもって中国を援助するにちがいない。こういう現象は二十年まえにはまったくなかったことである。これらすべてが、中国の最後の勝利にとって欠くことのできない重要な条件をつくりだしたし、またつくりだしつつある。大量の直接的援助はいまはまだなく、これからのことになるが、中国には進歩と大国という条件があるので、戦争の期間を長びかせ、国際的援助をうながすとともに、それを持つことができるのである。

 (一七)そのうえに、日本は小国で、土地もせまく、物産も少なく、人口も少なく、兵力も少ないが、中国は大国で、土地もひろく、物産も豊かで、人口も多く、兵力も多いという条件があり、そこから強弱の対比のほかに、さらに小国、退歩、援助が少ないということと、大国、進歩、援助が多いということとの対比がでてくる。これが中国のけっして滅びることのない根拠である。強弱の対比によって、日本は中国で一定期間、一定程度横暴にふるまうことができ、中国はどうしても一時期苦難の道を歩まなければならないこと、抗日戦争が速決戦ではなくて、持久戦であることが規定されるが、しかし、また小国、退歩、援助が少ないということと大国、進歩、援助が多いということの対比によって、日本はいつまでも横暴にふるまうことはできず、かならず最後の失敗をなめ、中国はけっして滅びることがなく、かならず最後の勝利を得ることが規定される。

 (一八)エチオピアはなぜ滅びたのか。第一には、弱国であったばかりでなく、小国でもあった。第二には、中国ほど進歩していず、奴隷制から農奴制にうつりつつあるふるい国で、資本主義もなければブルジョア政党もなく、まして共産党もなければ中国のような軍隊もなく、まして八路軍のような軍隊はなおさらなかった。第三には、国際的援助を待つだけの余裕がなく、その戦争は孤立していた。第四には、これが主要な点であるが、イタリアへの抵抗戦争の指導の面にあやまりがあった。エチオピアはこのために滅びたのである。しかし、エチオピアではまだかなり広範な遊撃戦争がおこなわれており、もしそれを堅持することができれば、それをよりどころにして将来の世界的変動のなかで祖国を回復することができる。

 (一九)もし亡国論者が、「抗戦すれば、かならず滅びる」とか、「これ以上戦えば、かならず滅びる」ということを立証するために、中国の近代における解放運動の失敗の歴史をもちだすなら、われわれの答えも、時代がちがうという一言につきる。中国自身も、日本の内部も、国際環境も、みな以前とはちがっている。日本は以前よりいっそう強くなっているが、中国は半植民地、半封建的地位が依然として変わらず、その力は依然としてかなり弱い。この状態は深刻である。日本は、なおしばらくのあいだは、国内の人民を統制できるし、国際間の矛盾を対華侵略の手段に利用することもできる、これらはみな事実である。しかし、長期の戦争の過程で、かならず逆の変化がおこるであろう。この点はいまはまだ事実とはなっていないが、将来はかならず事実となる。亡国論者はこの点をすててかえりみない。中国はどうか。十余年まえと大いにちがって、いまではすでに新しい人間、新しい政党、新しい軍隊、新しい抗日政策があるばかりでなく、これらはいずれもかならず発展していくにちがいない。歴史上の解放運動がたびかさなる挫折をこうむったため、中国は、今日の抗日戦争のためにより大きな力をたくわえることができなかった――これは非常におしむべき歴史的教訓であり、今後はいかなる革命の力をも、二度と自分でふみにじってはならない――とはいえ、既存の基礎のうえでも、それに大きな努力をくわえれば、かならずしだいに前進し、抗戦の力を強めていくことができる。偉大な抗日民族統一戦線こそ、この努力の全般的方向である。国際的援助の面では、当面まだ大量かつ直接的な援助はみられないが、国際的な局面はすでにこれまでとは根本的に変わっており、大量かつ直接的な援助が醸成されつつある。中国近代の無数の解放運動の失敗には、いずれも客観的原因と主観的原因があったのであって、今日の状況にくらべることはできない。今日では、敵は強くわれわれが弱いこと、敵の困難はまだはじまったばかりで、われわれの進歩がまだ不十分であることなど、抗日戦争が苦難にみちた戦争であることを規定する多くの困難な条件はあるが、しかし、敵にうち勝つ有利な条件も多く、これに主観的努力さえくわえれば、困難を克服して勝利をかちとることができる。これらの有利な条件についていえば、歴史上で今日にくらべられるような時期はなく、これこそ、抗日戦争がけっしてこれまでの歴史上の解放運動のように失敗に終わることのない理由である。



妥協か抗戦か、腐敗か進歩か


 (二〇)亡国論に根拠がないことは以上にのべたとおりである。しかし、このほかに亡国論者ではなく、愛国の士ではあるが、時局をひどく憂慮している人も多い。かれらは二つの問題をかかえている。一つは日本と妥協するのではないかという危惧きぐ、もう一つは政治の進歩が不可能ではないかという疑念である。この二つの憂慮すべき問題は、広範な人びとのあいだで論議されているが、解決のいとぐちが見いだされていない。そこで、この二つの問題について研究してみよう。

 (二一)さきにのべたように、妥協の問題には社会的根源があって、その社会的根源が存在するかぎり、妥協の問題がうまれないはずはない。だが、妥協は成功するものではない。この点を立証するには、やはり日本、中国、国際の三つの面にその根拠をもとめるほかない。第一は日本の面である。抗戦の当初から、われわれはすでに、妥協の空気がつくりだされる時機のやってくること、つまり敵が華北と江蘇チァンスー省、淅江チョーチァン省を占領すれば、投降勧告の手段に出るだろうということを見通していた。その後、はたしてその手がうたれたが、危機はすぐにすぎさった。その原因の一つは、敵がいたるところで野蛮な政策をとり、公然たる略奪をおこなったことである。中国が投降すれば、だれもが亡国の民になってしまう。敵のこの略奪政策、つまり中国を滅ぼそうとする政策は、物質的な面と精神的な面との二つにわけられるが、どちらもすべての中国人にたいしておこなわれる。それは下層の民衆ばかりでなく、上層の人びとにたいしてもおこなわれる――もちろん、後者にたいしてはいくぶんひかえ目ではあるが、それも程度のちがいだけで、べつに原則的なちがいはない。だいたいにおいて、敵は東北三省でおこなってきた例のやり方をそのまま中国中心部にもちこむ。物質的には、一般人民の衣食まで略奪して広範な人民を飢えと寒さに泣かせ、生産用具を略奪して中国の民族工業を破滅と隷属化においこむ。精神的には、中国人民の民族意識をふみにじる。日章旗のもとでは、あらゆる中国人は隷属の民となり、牛馬となるよりほかはなく、中国人としての気概をもつことはいささかもゆるされない。敵のこの野蛮な政策は、さらに奥地ふかく実施されようとしている。敵の食欲はひどく旺盛で、戦争をやめようとはしない。一九三八年一月十六日に日本の内閣が宣言した方針〔8〕は、いまなおこれをあくまで実施しているし、また実施せざるをえない。そのことが、あらゆる階層の中国人を憤激させている。これは敵の戦争の退歩性、野蛮性からくるもので、「厄運やくうんはのがれがたく」、そこで絶対的な敵対が形成された。ある時機がくれは、敵の投降勧告の手段がまたもやあらわれようし、一部の亡国論者がまたもやうごめき、そのうえ、ある種の国際勢力(イギリス、アメリカ、フランスの内部にはそうした人間がいる、とくにイギリスの上層分子がそうである)と結託して悪事をはたらくこともあろう。しかし、大勢のおもむくところ、投降などやれはしない。日本の戦争の執拗さと特殊な野蛮さとがこの問題の一つの面を規定している。

 (二二)第二は中国の面である。中国が抗戦を堅持する要素は三つある。一つは共産党で、これは人民の抗日を指導する、たよりになる力である。もう一つは国民党で、かれらはイギリス、アメリカに依存しているため、イギリス、アメリカが投降させなければ、かれらも投降しないであろう。もう一つは他の政党で、その大多数は妥協に反対し、抗戦を支持している。この三者はたがいに団結していて、もし妥協するなら民族裏切り者の側に立つことになり、だれでもこれに懲罰をくわえることができる。民族裏切り者となることをのぞまないものはみな、団結して、最後まで抗戦を堅持せざるをえず、妥協は実際上成功しがたい。

 (二三)第三は国際的な面である。日本の同盟国と資本主義諸国の上層分子の一部とをのぞけば、その他はすべて中国の妥協にとって不利であり、中国の抗戦にとって有利である。この要素は中国の期待に関係してくる。今日、全国の人民には、国際勢力がしだいに中国への援助を強めるにちがいないという期待がある。この期待はむなしいものではない。とくに、ソ連の存在が、中国の抗戦を力づけている。かつてないほど強大になっている社会主義のソ連は、これまで中国と苦楽をともにしてきた。ソ連は、あらゆる資本主義国の上層分子の我利我利亡者とは根本的にちがって、すべての弱小民族と革命戦争を援助することをその本分としている。中国の戦争の非孤立性は、一般的に国際的援助全体のうえになりたっているばかりでなく、とくにソ連の援助のうえになりたっている。中ソ両国は地理的に接近しており、この点が日本の危機を増大させているし、中国の抗戦を有利にしている。中日両国の地理的近接は、中国の抗戦の困難さを増大させている。ところが、中ソの地理的近接は、中国の抗戦の有利な条件となっている。

 (二四)これらの点からえられる結論は、妥協の危機は存在するが、それは克服できるということである。なぜなら、敵の政策はたとえある程度改められても、根本的に改められることは不可能である。中国の内部には妥協の社会的根源はあるが、妥協に反対するものが大多数をしめている。また、国際勢力にしても、一部には妥協に賛成するものがあるが、主要な勢力は抗戦に賛

成しているからである。この三つの要素が結びつけば、妥協の危機を克服して、抗戦を最後まで堅持することができる。

 (二五)こんどは、第二の問題に答えよう。国内政治の改善は、抗戦の堅持ときりはなせないものである。政治が改善されればされるほど、抗戦はますます堅持できるし、抗戦が堅持されればされるほど、政治はますます改善できる。だが、根本的には抗戦の堅持にかかっている。国民党の各方面にはよくない現象が深刻に存在しており、これらの不合理な要素は歴史的につみかさねられたものであって、広範な愛国の士のあいだに大きな憂慮と苦悶をうんでいる。だが、抗戦の経験は、この十ヵ月の中国人民の進歩が過去の長年の進歩にも匹敵しており、なんら悲観すべき根拠がないことをすでに立証している。歴史的につみかさねられた腐敗の現象は、人民の抗戦力の増大の速度をひどく阻害して、戦争での勝利を少なくし、戦争での損失をまねいてはいるが、中国、日本および世界の大勢は、中国人民を進歩させずにはおかない。進歩を阻害する要素、すなわち腐敗の現象が存在するため、この進歩は緩慢である。進歩と進歩の緩慢性は当面の時局の二つの特徴であり、後者の特徴は戦争の切迫した要求とあまりにもかけはなれており、これが愛国の士を大いに心配させている点である。しかし、われわれは革命戦争のなかにおかれている。革命戦争は抗毒素であって、それはたんに敵の毒素を排除するばかりでなく、自己の汚れをも洗いきよめるであろう。革命的な正義の戦争というものは、その力がきわめて大きく、多くの事物を改造することができるか、または事物を改造する道をきりひらくのである。中日戦争は中日両国を改造するであろう。中国が抗戦を堅持し、統一戦線を堅持しさえすれば、かならず、ふるい日本を新しい日本に変え、ふるい中国を新しい中国に変え、中日両国は人も物もことごとく今度の戦争のなかで、また戦争のあとで改造されるであろう。われわれが抗戦を建国と結びつけて見るのは正しい。日本も改造されるというのは、日本の支配者の侵略戦争が失敗して、日本人民の革命がおこる可能性があるという意味である。日本人民の革命の勝利の日こそ、日本が改造されるときである。これは中国の抗戦と密接につながっており、この前途は見通しておくべきである。



亡国論はまちがっており、速勝論もまちがっている


 (二六)われわれはすでに強弱、大小、進歩と退歩、援助の多少など、敵とわが方のあいだの矛盾するいくつかの基本的特徴を比較研究して、亡国論を論ばくし、なぜ妥協が容易でないか、なぜ政治的進歩が可能かという問題に答えた。亡国論者は強弱という矛盾だけを重くみ、それを誇張してすべての問題の論拠にし、その他の矛盾をみのがしている。強弱の対比という点にしかふれないのは、かれらの一面性であり、この一面的なものを誇張して全体とみなすのは、これまたかれらの主観性である。したがって、全体的にいって、かれらには根拠がないし、あやまっている。また、亡国論者ではなく、一貫した悲観主義者でもないが、ただ一時的、局部的な、敵とわが方の強弱の状況あるいは国内の腐敗の現象にまどわされて、一時的に悲観的な気持ちになっている人びとにたいしても、われわれは、かれらの観点がやはり一面的、主観的な傾向からきていることを指摘してやらなければならない。しかし、かれらは愛国の士であって、そのあやまりは一時的なものであるから、改めるのは比較的容易で、注意してやりさえすればすぐにわかるのである。

 (二七)ところが、速勝論者もまちがっている。かれらは、強弱というこの矛盾をまったく忘れてしまって、その他の矛盾しかおぼえていないか、中国の長所を誇張して、ほんとうの状況からはなれ、別のものにしてしまうか、あるいは一時期、一地方の強弱の現象を全体における強弱の現象におきかえてしまい、あたかも一枚の葉に目をおおわれて泰山がみえなくなるのとおなじように、自分ではそれを正しいと考えている。要するに、かれらには敵が強くわが方か弱いという事実を認める勇気がないのである。かれらはしばしばこの点を抹殺まっさつし、したがって真理の一つの面を抹殺する。かれらはまた自己の長所の限界性を認める勇気がなく、したがって真理のもう一つの面を抹殺する。このことから、かれらは大なり小なりあやまりをおかすのであって、ここでもまた、主観性と一面性が災いしている。こうした友人は善意をもった人たちで、やはり愛国の士である。だが、「先生の志は大なり」④としても、先生の見方はまちがっており、そのとおりにことをはこぶと、かならず壁につきあたってしまう。判断が真実に合致していないので、その行動は目的を達成できないのである。しいて行動すれば、戦いに負け、国を滅ぼし、結果は、敗北主義者とちがわなくなる。したがって、これもだめである。

 (二八)われわれは亡国の危険を否定するのか。否定しない。中国の前には解放と亡国という二つの可能な前途がよこたわっており、両者がはげしく闘争していることを、われわれは認める。われわれの任務は解放を実現して、亡国をまぬかれることである。解放を実現する条件は、基本的には、中国の進歩であり、同時に敵の困難と世界の援助とがくわわる。亡国論者とはちがって、われわれは客観的かつ全面的に、亡国と解放という二つの可能性が同時に存在することを認め、解放の可能性が優勢をしめていることと解放を達成するための条件をつよく指摘し、これらの条件をかちとるよう努力する。亡国論者は主観的、一面的に亡国という一つの可能性だけを認め、解放の可能性を否定するもので、まして解放の条件を指摘したり、これらの条件をかちとるために努力したりするはずはない。われわれは妥協の傾向と腐敗の現象も認めるが、その他の傾向とその他の現象をもみてとっており、また両者のうち、後者が前者にたいして一歩一歩優勢をしめていくこと、両者がはげしく闘争していることを指摘するとともに、後者を実現する条件をも指摘して、妥協の傾向を克服し腐敗の現象を変えるために努力する。したがって、われわれは悲観しない。悲観的な人たちは、それとは反対である。

 (二九)われわれも速勝をよろこばないわけではなく、あすの朝にも「鬼ども」をおいだしてしまうことにはだれしも賛成である。だが、一定の条件がないかぎり、速勝は頭のなかに存在するだけで、客観的には存在せず、幻想とえせ理論にすぎないことを、われわれは指摘する。したがって、われわれは客観的かつ全面的に敵とわが方のあらゆる状況を判断して、戦略的な持久戦だけが最後の勝利をかちとる唯一の道であることを指摘し、なんの根拠もない速勝論をしりそげるのである。われわれは最後の勝利に必要なすべての条件をかちとるために努力するよう主張する。条件がすこしでも多くそなわり、一日でもはやくそなわれば、勝利の保障はそれだけ多くなり、勝利の時期もそれだけはやくなる。われわれは、戦争の過程をちぢめるには、こうする以外にないと考えており、安易に考え空論にふける速勝論をしりそげる。



なぜ持久戦なのか


 (三〇)つぎに、われわれは持久戦の問題を研究しよう。「なぜ持久戦なのか」、この問題の正しい答えを得るには、敵とわが方の対比される基本的要素全体に立脚する以外にない。たとえば、敵は帝国主義の強国で、わが方は半植民地、半封建の弱国であるというだけでは、亡国論におちいる危険性がある。なぜなら、たんに弱者が強者に手向かうという点だけでは、理論的にも、実際的にも、持久という結果はうまれないからである。たんなる大小とか、たんなる進歩退歩とか、援助の多少とかいうようなことも、同様である。大が小を併呑へいどんしたり、小が大を併呑したりすることはよくある。進歩的な国または事物でも、力が強くなければ、大きくて退歩的な国または事物に滅ぼされることはよくある。援助の多少は重要な要素ではあるが、付随的な要素であり、敵とわが方のそれ自体の基本的要素いかんによってその作用の大小がきまる。したがって、われわれが抗日戦争は持久戦だというのは、敵とわが方の要素全体の相互関係からうまれた結論である。敵が強くてわが方が弱ければ、わが方には滅亡の危険性がある。しかし、敵にはなお他の短所があり、わが方にはなお他の長所がある。敵の長所はわが方の努力によって弱めることができるし、敵の短所もわが方の努力によって拡大することができる。これとは逆に、わが方の長所はわが方の努力によって強めることができるし、短所はわが方の努力によって克服することができる。したがって、わが方は最後には勝利し、滅亡をまぬかれることができるが、敵は最後には敗北し、その帝国主義制度全体の崩壊をまぬかれることができないのである。

 (三一)敵は長所が一つだけで、あとはみな短所であり、わが方は短所が一つだけで、あとはみな長所であるのに、どうして均衡のとれた結果が得られないで、反対にいまのような敵の優勢、わが方の劣勢がもたらされたのだろうか。物事をこのように形式的にみてはならないことは明らかである。事実は、いま敵とわが方の強弱の差があまりにも大きいこと、敵の短所は当分はまだその強さの要素を減殺できるほどには発展していないし、また発展することもできないこと、わが方の長所も当分はまだその弱さの要素をおぎなえるほどには発展していないし、また発展することもできないことから、均衡があらわれずに、不均衡があらわれているのである。

 (三二)敵が強くてわが方が弱く、敵が優勢でわが方が劣勢であるという状態は、わが方の抗戦堅持と統一戦線堅持の努力によって変化してはいるが、まだ基本的な変化はうまれていない。したがって、戦争の一定段階では、敵は一定程度の勝利をおさめることができ、わが方は一定程度の敗北をなめるであろう。しかし、敵もわが方も、一定段階での一定程度の勝利または敗北に限定され、それをこえて完勝または完敗までにはなりえない。それはなぜか。一つには、敵が強くてわが方が弱いというもとからの状態が絶対的なものではなくて、相対的なものだからであり、二つには、わが方の抗戦堅持と統一戦線堅持の努力によって、ますますこの相対的な形勢がつくられていくからである。もとからの状態についていえば、敵は強いとはいえ、その強さはすでに他の不利な要素によって減殺されており、まだこのときには敵の優勢がやぶられるほどには減殺されていないだけである。わが方は弱いとはいえ、その弱さはすでに他の有利な要素によっておぎなわれており、まだこのときにはわが方の劣勢を改めうるほどにはおぎなわれていないだけである。そこで、敵が相対的に強くて、わが方が相対的に弱く、敵が相対的に優勢で、わが方が相対的に劣勢であるという状態が形成されている。双方の強弱、優劣は、もともと絶対的なものではなく、そのうえ戦争の過程にはわが方の抗戦堅持と統一戦線堅持の努力もあるので、これが敵とわが方のもとからの強弱、優劣の形勢をいっそう変えており、したがって、敵もわが方も一定段階での一定程度の勝利または敗北に限定され、持久戦という局面がつくりだされているのである。

 (三三)しかし、状況はひきつづき変化するものである。戦争の過程で、わが方が軍事上、政治上の正しい戦術を運用し、原則的なあやまりをおかさず、最善の努力をつくしさえすれば、敵の不利な要素とわが方の有利な要素は、戦争が長びくにつれて発展し、かならず敵とわが方のもとからの強弱の程度をひきつづき変えていき、敵とわが方の優劣の形成をひきつづき変えていくことができる。そして新しい一定段階かきたとき、強弱の程度と優劣の形勢に大きな変化がおこり、敵の敗北、わが方の勝利という結果になるであろう。

 (三四)当面、敵はまだ自分の強さの要素をなんとか利用することができるし、わが方の抗戦もまだ敵を基本的に弱めてはいない。敵の人力、物力の不足という要素はまだその進攻を阻止するまでにはいたっておらず、反対に、その進攻を一定程度まで維持することができる。自国での階級対立と中国の民族的抵抗を激化させうる要素、すなわち戦争の退歩性と野蛮性という要素も、まだその進攻を根本的に阻害するほどの状態にはいたっていない。敵の国際的孤立という要素も変化し発展しつつはあるが、まだ完全に孤立するまでにはいたっていない。わが方をたすけることを表明した多くの国ぐにでも、兵器や戦争資材をあつかう資本家は、なお利益の追求に専念して、日本に大量の軍需物資を供給しており〔9〕、かれらの政府〔10〕もいまのところ、ソ連といっしょに日本に制裁をくわえる実際的な方法をとろうとはしていない。これらのすべては、わが方の抗戦が速勝できず、持久戦でしかありえないことを規定している。中国の側では、弱さの要素が軍事、経済、政治、文化の各方面にあらわれており、十ヵ月の抗戦である程度の進歩はみられたが、敵の進攻を阻止し、わが方の反攻を準備するところまでには、まだまだほど遠い。そのうえ量の面では、ある程度弱まらざるをえなかった。中国の各種の有利な要素は、いずれも積極的な作用をしてはいるが、敵の進攻をくいとめ、わが方の反攻を準備するところまでいくには、なお大きな努力が必要である。国内では、腐敗の現象を克服し、進歩の速度を増大させ、国外では、日本をたすける勢力を克服し、反日勢力を増大させることも、まだ当面の現実とはなっていない。これらのすべてもまた、戦争が速勝でさす、持久戦でしかありえないことを規定している。



持久戦の三つの段階


 (三五)中日戦争が持久戦であり、また最後の勝利が中国のものである以上、この持久戦が具体的には三つの段階としてあらわれることは論理的に想定することができる。第一段階は、敵の戦略的進攻、わが方の戦略的防御の時期である。第二段階は、敵の戦略的保持、わが方の反攻準備の時期である。第三段階は、わが方の戦略的反攻、敵の戦略的退却の時期である。三つの段階の具体的状況は予測できないが、当面の条件からみて、戦争のなりゆきの若干の大すじは指摘することができる。客観的現実の進行過程は非常に内容豊富な、曲折変化にとむものとなり、だれも中日戦争の「運勢録」をあみだすことはできない。だが、戦争のなりゆきについて輪郭を描いておくことは、戦略的指導のために必要なことである。したがって、たとえ描かれたものが将来の事実に完全には合致せず、事実によって修正されようとも、確固として、目的をきめて持久戦の戦略的指導をおこなうため、その輪郭を描いてみることは、やはり必要なことである。

 (三六)第一段階は現在まだ終わっていない。敵の企図は広州、武漢、蘭州ランチョウの三地点を攻略し、この三地点をつなぐことである。敵はこの目的をとげるため、少なくとも五十コ師団、約百五十万の兵員を派遣し、一年半ないし二年の時間をかけ、百億円以上の費用をあてることとなろう。このように奥深くはいってくれば、敵の困難は非常に大きく、その結末は想像をこえるものがあろう。さらに広州=漢□《ハンコウ》鉄道、西安・蘭州道路の完全占領となると、非常に危険な戦争をへても、その企図が完全にたっせられるとはかぎらない。だが、われわれの作戦計画は、敵がこの三地点、さらにはこの三地点以外のある一部の地区を占領し、それらをたがいに結びつける可能性があることを前提として、持久戦の配備をおこなうべきであり、そうすれば、たとえ敵がそうした行動に出たとしても、わが方にはそれに対処できる方策がある。この段階でわが方がとる戦争形態は、運動戦が主要なもので、遊撃戦と陣地戦が補助的なものである。この段階の第一期には、国民党軍事当局の主観的なあやまりによって、陣地戦が主要な地位におかれたが、この段階全体からみれば、やはり補助的なものである。この段階では、中国はすでに広範な統一戦線を結成し、空前の団結を実現した。敵は、その速決計画の安易な実現、中国の全面的征服をくわだてて、卑劣で恥知らずな投降勧告の手段をとったし、これからもとるであろうが、それはいままでも失敗したし、今後も成功しがたい。この段階では、中国はかなり大きな損失をこうむるが、同時にかなり大きな進歩をとげ、この進歩が第三段階でひきつづき抗戦する主要な基礎となる。この段階では、ソ連はすでにわが国に大量の援助をおこなっている。敵側では、すでに士気がおとろえはじめ、敵の陸軍の進攻は、この段階の中期にはもはや初期のような鋭さはなく、末期にはますますおとろえるであろう。敵の財政経済はゆきづまりの状態をみせはじめ、人民や兵士の厭戦気分もうまれはじめており、戦争指導集団の内部では、「戦争の苦悶」があらわれはじめ、戦争の前途にたいする悲観的な考えがひろがっている。

 (三七)第二段階は、戦略的対峙たいじの段階と名づけることができる。第一段階の終わりには、敵の兵力の不足とわが方の頑強な抵抗によって、敵は一定の限界での戦略的進攻の終点を決めざるをえなくなり、この終点に到達すると、戦略的進攻を停止し、占領地保持の段階に転ずるであろう。この段階での敵の企図は、占領地を保持することであって、かいらい政府をつくるという欺瞞的なやり方でそれを確保し、中国人民からできるかぎり収奪することである。しかし、かれらのまえには頑強な遊撃戦争がまちかまえている。遊撃戦争は、第一段階で敵の後方の手薄に乗じていたろところに発展し、数多くの根拠地がうちたてられて、敵の占領地保持を基本的に脅かすようになり、したがって、第二段階でもやはり広範な戦争がおこなわれるであろう。この段階でのわが方の作戦形態は遊撃戦が主要なもので、運動戦が補助的なものである。このときには、中国はなお大量の正規軍を保有するが、一方では敵がその占領する大都市や主要な交通線で戦略的守勢をとっており、他方では中国の技術的条件がまだしばらくは完備されないために、急速に戦略的反攻をおこなうことはまだむずかしい。正面の防御部隊のほかに、わが軍は、大量の部隊を敵の後方に転入させて、比較的分散した配置をとり、敵がまだ占領していないすべての地域をよりどころとし、民衆の武装組織に呼応して、敵の占領地にむけて広範かつ激烈な遊撃戦争を展開するとともに、できるだけ敵をひきまわして、運動戦のなかでそれを消滅する。いま山西省でおこなわれているのがその手本である。この段階での戦争は残酷であり、各地は重大な破壊をこうむるであろう。しかし、遊撃戦争は勝利することができ、うまくおこなえば、敵はわずかに占領地の三分の一前後の地域を保持できるだけで、三分の二前後は依然としてわれわれのものであろう。そうなれば敵の大敗北であり、中国の大勝利である。そのときには敵の占領地全体は三種類の地区にわけられる。第一は敵の根拠地、第二は遊撃戦争の根拠地、第三は双方が争奪しあう遊撃区である。この段階の長短は敵とわが方の力の増減変化の度合いと、国際情勢の変動いかんによってきまるが、だいたいにおいて、われわれはこれに比較的長い時間をかける心がまえがなければならず、この段階の苦難の道をたえぬくことが必要である。これは中国にとってきわめて苦しい時期となり、経済面の困難と民族裏切り者の攪乱かくらんとが二つの大きな問題となるであろう。敵は中国の統一戦線の破壊に狂奔するであろうし、敵占領地のすべての民族裏切り者の組織は合流していわゆる「統一政府」を組織するであろう。われわれの内部でも、大都市の喪失と戦争の困難とのために、動揺分子が大いに妥協論をとなえ、悲観的気分が大いにつのるであろう。このときのわれわれの任務は、全国の民衆を動員し、心を一つにして、けっして動揺することなく戦争を堅持し、統一戦線を拡大強化し、すべての悲観主義や妥協論を排除し、苦難にめげぬ闘争を提唱し、新しい戦時政策を実行して、この段階の苦難の道をたえぬくことである。この段階では、統一的な政府をあくまで維持し、分裂に反対するよう全国によびかけ、作戦技術を計画的にたかめ、軍隊を改造し、全人民を動員し、反攻を準備しなければならない。この段階では、国際情勢は、日本にとってさらに不利になり、チェンバレン流のいわゆる「既成事実」に迎合する「現実主義」的論調があらわれる可能性はあるが、主要な国際勢力は中国をいっそう援助するようになるであろう。東南アジアとシベリアにたいする日本の脅威は、これまでよりいっそうきびしくなり、新しい戦争さえ勃発するであろう。敵側では、中国の泥沼におちこんだ数十コ師団をひきぬくことができない。広範な遊撃戦争と人民の抗日運動はこの大量の日本軍を疲れはてさせ、一方ではこれを大量に消耗させ、他方ではかれらの郷愁、厭戦の気分をいっそうつのらせ、反戦の気分にまで発展させて、この軍隊を精神的に瓦解させるであろう。中国における日本の略奪はぜったいに成果があがらないとはいえないが、日本は資本に欠乏しているうえに、遊撃戦争になやまされるので、にわかに大量の成果をあげることは不可能である。この第二段階は戦争全過程での過渡的段階であり、またもっとも困難な時期となるであろうが、しかし、それは転換のかなめである。中国が独立国になるか、それとも植民地になりさがるかは、第一段階で大都市を喪失するかどうかによってきまるのではなく、第二段階での全民族の努力の程度によってきまる。もし抗戦を堅持し、統一戦線を堅持し、持久戦を堅持することができれば、中国はこの段階で弱者から強者に転ずる力を獲得するであろう。中国抗戦の三幕劇では、これが第二幕である。全出演者が努力すれば、もっとも精彩ある終幕をみごとに演出できるであろう。

 (三八)第三段階は、失地回復の反攻段階である。失地回復で主として依拠するのは、前段階で準備され、この段階でひきつづき成長する中国自身の力である。しかし、自己の力だけではなお不十分であり、さらに国際勢力の援助と敵国の内部的変化によるたすけに依拠しなければならず、それがなければ勝利は不可能である。したがって、中国の国際宣伝と外交活動の任務が重くなる。この段階では、戦争はもはや戦略的防御ではなくて、戦略的反攻に変わり、現象的には、戦略的進攻としてあらわれるであろう。それはもはや戦略的内線ではなくて、しだいに戦略的外線に変わっていく。鴨緑江ヤールーチァンの岸辺まで進撃していって、はじめてこの戦争が終わることになる。第三段階は持久戦の最後の段階であり、抗戦を最後まで堅持するというのは、この段階の全過程を歩み終えることである。この段階でわが方のとる主要な戦争形態はやはり運動戦であるが、陣地戦が重要な地位にひきあげられるであろう。第一段階の陣地防御が、その時の条件からして、重要なものとみなしえないとすれば、第三段階での陣地攻撃は、条件の変化と任務の必要から、かなり重要なものになるであろう。この段階での遊撃戦は、それが第二段階で主要な形態になるのとはちがって、やはり運動戦と陣地戦を補助し、戦略的呼応の役割をはたすことになろう。

 (三九)このようにみてくると、戦争が長期性とそれにともなう残酷性をおびることは、明らかである。敵は中国を全部併呑することはできないが、相当長期にわたって中国の多くの地方を占領することができる。中国も急速に日本を駆逐することはできないが、大部分の土地は依然として中国のものであろう。最後には敵が敗北し、わが方が勝利するが、それには苦難の道をたどらなければならない。

 (四〇)中国の人民は、こうした長期の残酷な戦争のなかで、大いに鍛えられるであろう。戦争に参加する各政党も鍛えられ、ためされるであろう。統一戦線は堅持しなければならない。戦争を堅持するには、統一戦線を堅持する以外にはなく、最後の勝利をかちとるには、統一戦線を堅持し、戦争を堅持する以外にはない。ほんとうにそうするなら、あらゆる困難を克服することができる。戦争の苦難の道を歩み通したのちには、たんたんとした勝利の道がひらける。これが戦争の必然の論理である。

 (四一)三つの段階における敵とわが方の力の変化は、つぎのような道をたどるであろう。第一段階では、敵が優勢で、わが方は劣勢である。わが方のこうした劣勢については、抗戦以前からこの段階の終わりにいたるまでのあいだに、二つの異なった変化がおこることを見通しておかなければならない。第一は下向きの変化である。中国のもとからの劣勢は、第一段階での消耗をへていっそうひどくなるであろう。それは、土地、人口、経済力、軍事力、文化機関などの減少である。第一段階の終わりになると、それらは、とりわけ経済の面では、かなり大きく減少するかもしれない。この点は、亡国論と妥協論の根拠として利用されるであろう。しかし、第二の変化、すなわち上向きの変化もみなければならない。それは、戦争での経験、軍隊の進歩、政治の進歩、人民の動員、文化の新方向への発展、遊撃戦争の出現、国際的援助の増大などである。第一段階では、下向きに変化するものはふるい量と質であり、主として量の面にあらわれる。上向きに変化するものは新しい量と質であり、主として質の面にあらわれる。この第二の変化は、われわれに、持久ができ、最後の勝利がえられる根拠をあたえてくれるのである。

 (四二)第一段階では、敵側にも二つの変化がおこる。第一は下向きの変化で、数十万人の死傷、武器弾薬の消耗、士気の阻喪、国内の民衆の不満、貿易の減少、百億円以上の支出、国際世論の非難などの面にあらわれる。この面でも、われわれに、持久ができ、最後の勝利がえられる根拠をあたえてくれる。しかし、敵の第二の変化、すなわち上向きの変化も見通しておかなければならない。それは領土、人口、資源の拡大である。この点からは、またわれわれの抗戦が持久戦で、遠勝できないという根拠かうまれてくるし、同時に、それはまた亡国論や妥協論の根拠として一部の人に利用されるであろう。だが、われわれは、敵のこの上向きの変化が一時的、局部的なものであることを見通さなければならない。敵は崩壊しようとしている帝国主義者であり、かれらが中国の土地を占領するのは一時的である。中国の遊撃戦争の猛烈な発展によって、かれらの占領区は、実際上、せまい地帯に局限されるであろう。そのうえ、敵が中国の土地を占領したことによって、さらに日本と他の外国との矛盾がうまれ、深まっている。さらに、東北三省の経験によると、日本にとっては、相当長い期間が、一般的には資本を投下するだけで、収益をあげる時期にはならない。これらのすべては、またわれわれが亡国論と妥協論を撃破し、持久論と最後勝利論を確立する根拠である。

 (四三)第二段階では、上述の双方の変化はひきつづき発展するであろう。その具体的状況は予測できないが、だいたいにおいて日本はひきつづき下向きに変化し、中国はひきつづき上向きに変化するであろう〔11〕。たとえば、日本の軍事力、財力は中国の遊撃戦争で大量に消耗され、国内の民衆の不満はいっそうつのり、士気はますますおとろえ、国際的にはますます孤立感を深める。中国は、政治、軍事、文化および人民の動員の面でますます進歩し、遊撃戦争がますます発展し、経済の面でも、奥地の小規模工業と広大な農業に依拠してある程度の新しい発展をとげ、国際的援助もしだいに増大し、現在の状況にくらべて大いにその面目を改めるであろう。この第二段階は、相当長い期間を要するかもしれない。この期間には、敵とわが方の力の対比に大きなあい反する変化がおこり、中国はしだいに上昇していくが、日本はしだいに下降していくであろう。そのときには、中国は劣勢から脱し、日本は優勢をうしない、まず均衡の状態にたっして、さらに優劣の関係が逆になるであろう。それからは、中国はだいたいにおいて戦略的反攻の準備を終えて、反攻をすすめ、敵を国土から駆逐する段階にうつる。くりかえして指摘すべきことは、劣勢を優勢に変え、反攻の準備を終えるということのなかには、中国自身の力の増大、日本の困難の増大、および国際的援助の増大がふくまれており、これらの力を総合すれば中国の優勢が形成され、反攻の準備が完成されるということである。

 (四四)中国の政治と経済の不均等状態によって、第三段階の戦略的反攻は、その前期には全国がそろった画一的な様相を呈するのではなく、地域性をおびた、地域的起伏のある様相を呈するであろう。さまざまの分裂手段をとって中国の統一戦線を破壊しようとする敵のたくらみは、この段階では弱まることはない。したがって、中国の内部の団結をかためる任務はますます重要となり、内部の不和のため、戦略的反攻が腰くだけにならないようにつとめるべきである。この時期には、国際情勢は中国にとって、ひじょうに有利になるであろう。中国の任務は、このような国際情勢を利用して、自己の徹底的解放をかちとり、独立した民主主義国家を樹立することであるが、それは同時に世界の反ファシズム運動を援助することでもある。

 (四五)中国は劣勢から均衡に、それからさらに優勢にたっし、日本は優勢から均衡に、それからさらに劣勢にうつる、中国は防御から対峙に、それからさらに反攻にたっし、日本は進攻から保持に、それからさらに退却にうつる――これが中日戦争の過程であり、中日戦争の必然のなりゆきである。

 (四六)そこで、問題と結論はつぎのようになる。中国は滅びるだろうか。答、滅びない、最後の勝利は中国のものである。中国は速勝できるだろうか。答、速勝することはできない、持久戦でなければならない。この結論は正しいか。わたしは正しいとおもう。

 (四七)ここまでのべてくると、亡国論者と妥協論者がまたとびだしてきていうだろう。中国が劣勢から均衡にたっするには、日本と同等の軍事力と経済力をもつ必要があり、均衡から優勢にたっするには、日本をうわまわる軍事力と経済力をもつ必要がある。だが、それは不可能なことだ。したがって、上述の結論は正しくない、と。

 (四八)これはいわゆる「唯武器論」〔12〕であり、戦争問題における機械論であり、問題を主観的、一面的にみる見解である。われわれの見解はこれとは反対で、武器をみるだけでなく、人間の力もみるのである。武器は戦争の重要な要素ではあるが、決定的な要素ではなく、決定的な要素は物ではなくて人間である。力の対比は軍事力および経済力の対比であるばかりでなく、人力および人心の対比でもある。軍事力と経済力は人間がにぎるものである。中国人の大多数、日本人の大多数、世界各国の人びとの大多数が抗日戦争の側に立つとすれば、日本の少数のものが力ずくでにぎっている軍事力と経済力は、それでもなお優勢だといえるだろうか。それが優勢でないとすれば、比較的劣勢な軍事力と経済力をにぎっている中国が優勢になるではないか。中国が抗戦を堅持し、統一戦線を堅持しさえすれば、軍事力と経済力がしだいに強化されることは疑いないところである。他方、われわれの敵は、長期の戦争と内外の矛盾によって弱まっていき、その軍事力や経済力もまた必然的に逆の変化をする。このような状況のもとでも、中国は優勢に転じえないのだろうか。それだけではない。われわれは他国の軍事力と経済力を大量に公然と自分の側の力とみなすことはいまはできないが、将来もできないのだろうか。もし、日本の敵が中国一国にとどまらないなら、また、将来さらに一国あるいは数ヵ国が、相当大量の軍事力と経済力をもって日本にたいし公然と防御または攻撃をおこない、公然とわれわれを援助するなら、われわれの側がいっそう優勢になるではないか。日本は小国で、その戦争は退歩的で野蛮なものであり、その国際的地位はますます孤立したものとなる。中国は大国で、その戦争は進歩的で正義のものであり、その国際的地位はますます援助の多いものとなる。これらのすべてが長期にわたって発展しても、敵とわが方の優劣の形勢が確実に変化するとはいえないだろうか。

 (四九)速勝論者は、戦争が力の競争であることをわきまえず、戦争する双方の力の対比に一定の変化がおこらないうちに戦略的決戦をおこなおうとし、解放への道を短縮しようとするが、これも根拠のないことである。かれらの見解が実行されれば、かならず壁につきあたらざるをえない。かれらは、あるいはほんとうにやるつもりはなく、空論をして悦に入っているだけである。だが、最後には、事実という先生がとびだしてきて、これらの空論家に冷水をあびせかけ、かれらが安易に事をはこび、あまり骨を折らずに多くの収穫をあげようとする空論主義者にすぎないことを立証するであろう。このような空論主義は、これまでもあったし、いまもあるが、まだそんなに多くはない。戦争が対峙の段階と反攻の段階に発展していけば、空論主義は多くなるであろう。だが同時に、もし第一段階での中国の損失がかなり大きく、第二段階がかなり長びけば、亡国論と妥協論がいっそうさかんになるであろう。したがって、われわれの火力は、主として亡国論と妥協論にむけ、空論主義的速勝論には副次的な火力をもって反対すべきである。

 (五〇)戦争の長期性は確定的であるが、戦争がはたしてどれだけの年月を要するかは、だれも予測できない。これは、まったく敵とわが方の力の変化の度合いによってきまるのである。戦争の期間をちぢめようと考えているすべての人びとは、自己の力の増大、敵の力の減少に努力する以外に方法はない。具体的にいえば、勝ちいくさを多くして、敵の軍隊を消耗させること、遊撃戦争を発展させて、敵の占領地を最小の範囲にくいとめること、統一戦線を拡大強化して全国の力を結集すること、新しい軍隊を建設し新しい軍事工業を発展させること、政治、経済、文化の進歩をうながすこと、労働者、農民、商工業者、知識層各界の人民を動員すること、敵軍を瓦解させ敵軍兵士を獲得すること、国際宣伝によって国際的援助を獲得すること、日本の人民およびその他の被抑圧民族の援助を獲得すること、こうしたことに努力する以外にない。これらすべての点をやりぬいてこそ、戦争の期間をちぢめることができるのであって、これ以外に、なにもうまくやれるこつなどありはしない。



犬歯錯綜した戦争


 (五一)持久戦としての抗日戦争は、人類の戦争史に光栄ある特殊な一ページをかざるであろうと断言できる。犬歯錯綜さくそうした戦争の形態がそのかなり特殊な点で、これは日本の野蛮さと兵力不足、中国の進歩と土地の広大さという矛盾した要素からうまれたものである。犬歯錯綜した戦争は歴史上にもあったことで、ロシア十月革命後の三年間の内戦にはこうした状況があった。だが、中国での特徴はその特殊な長期性と広大性とにあり、これは歴史の記録をやぶろものとなろう。このような犬歯錯綜した形態は、つぎのいくつかの状況にあらわれている。

 (五二)内線と外線――抗日戦争は、全体としては内線作戦の地位におかれている。しかし、主力軍と遊撃隊との関係では、主力軍が内線、遊撃隊が外線にあって、敵を挾撃きょうげきするという奇観を呈している。各遊撃区の関係もまたそうである。それぞれの遊撃区はみな自己を内線、その他の各区を外線として、これもまた、敵を挾撃する多くの火線を形成している。戦争の第一段階では、戦略上の内線作戦をおこなう正規軍は後退するが、戦略上の外線作戦をおこなう遊撃隊は、広く敵の後方にむかって大きく前進し、第ニ段階ではいっそう猛烈に前進して、後退と前進との特異な形態を形成するであろう。

 (五三)後方の有無――国の大後方を利用して、作戦線を敵占領地の最後の限界までのばすのは主力軍である。大後方をはなれて、作戦線を敵の後方までのばすのは遊撃隊である。だが、各遊撃区にもまたそれぞれ小規模な後方があり、それによって固定しない作戦線がつくられる。これと異なるのは、各遊撃区からその区の敵の後方におくりこまれて臨時に活動する遊撃隊であり、かれらには後方がないばかりか、作戦線もない。「無後方作戦」は、領土が広く、人民が進歩的で、先進的な政党と先進的な軍隊をもっている状況のもとでの新しい時代の革命戦争の特徴である。それは、おそれるべきものではなくて、大いに利点があり、疑うべきではなくて、提唱すべきである。

 (五四)包囲と反包囲――戦争全体からみれば、敵が戦略的進攻と外線作戦をとり、わが方が戦略的防御と内線作戦の地位におかれていることによって、疑いもなく、わが方は敵の戦略的包囲のなかにある。これはわが方にたいする敵の第一種の包囲である。わが方が量的に優勢な兵力をもって、戦略上の外線から数路に分かれて前進してくる敵にたいし、戦役上戦闘上の外線作戦の方針をとることによって、各路に分かれて進んでくる一路または数路の敵をわが方の包囲のなかにおくことができる。これが敵にたいするわが方の第一種の反包囲である。さらに、敵の後方にある遊撃戦争の根拠地についてみれば、孤立した一つ一つの根拠地は、四方または三方を敵に包囲されており、前者の例としては五台山ウータイシャン地区、後者の例としては山西省西北地区がある。これがわが方にたいする敵の第二種の包囲である。だが、もし各遊撃根拠地をつないでみれば、そしてまたそれぞれの遊撃根拠地と正規軍の陣地とをつないでみれば、わが方も多くの敵を包囲している。たとえば山西省では、大同タートン風陵渡フォンリントウ鉄道を三方(鉄道の東西両側および南端)から包囲し、太原タイユヮン市を四方から包囲している。河北省、山東省などにもこのような包囲がたくさんみられる。これはまた、敵にたいするわが方の第二種の反包囲である。このようにして、敵とわが方はそれぞれ相手方にたいして二種類の包囲をおこなっているが、それはだいたい碁をうつようなもので、敵のわが方にたいする、またわが方の敵にたいする戦役上戦闘上の作戦は、石のとりあいに似ており、敵の拠点(たとえば太原市)とわが方の遊撃根拠地(たとえば五台山)は、ちょうど「目」のようなものである。もし、世界的な囲碁をも計算にいれるなら、さらに敵とわが方の第三種の包囲があり、侵略戦線と平和戦線との関係がそれである。敵は前者によって中国、ソ連、フランス、チェコスロバキアなどを包囲しており、わが方は後者によってドイツ、日本、イタリアを反包囲している。だが、わが方の包囲は如来のたなごころのように、宇宙にまたがる五行山となって、なん人かの今様の孫悟空――ファシスト侵略主義者を最後にはその山の下敷きにし、永劫えいごうに身動きもできないようにしてしまうであろう〔13〕。もしわが方が外交的に太平洋反日戦線を結成し、中国を一つの戦略単位とし、またソ連やその他の参加可能な国ぐにをそれぞれ一つの戦略単位とし、さらに日本人民の運動をも一つの戦略単位として、ファシスト孫悟空が逃げ場のないように天地にまたがる大綱を張りめぐらすことができるなら、それは敵の死滅するときである。実際には、日本帝国主義が完全に打倒される日は、かならずこの天地にまたがる大綱がだいたいにおいて張りめぐらされたときである。これはけっして冗談ではなく、戦争の必然的ななりゆきである。

 (五五)広い地域とせまい地域――敵の占領地区が中国中心部の大半をしめ、中国中心部のなかで無傷の地域は半分たらずになる可能性がある。これが一つの状況である。しかし、敵の占領する大半のところでは、東北三省などをのぞいて、じっさいに占領しうるのは大都市、主要な交通線、および一部の平地だけであり、それらは重要性からいえば第一級のものではあるが、面積や人口からみれば敵占領区の半分以下にすぎず、普遍的に発展している遊撃区のほうがかえって大半をしめる可能性がある。これもまた一つの状況である。もし中国中心部の範囲をこえて、蒙古モンクー新疆シンチァン青海チンハイ、チベットをも計算にいれれば、面積のうえでは、中国はまだ占領されていない地区がなお大半をしめ、敵の占領地区は東北三省をふくめても半分以下でしかない。これもまた一つの状況である。無傷の地域はもちろん重要であり、その経営に大きな力をそそぐべきで、それはたんに政治、軍事、経済の面にかぎらず、文化の面でもたいせつである。敵はわれわれの過去の文化の中心地を文化的におくれた地域に変えてしまったが、われわれは、これまでの文化的におくれていた地域を文化の中心地に変えなければならない。同時に、敵の後方にある広大な遊撃区の経営もまた非常にたいせつで、それらの地区の各方面も発展させるべきであり、またその文化活動も発展させるべきである。全体としてみれば、中国は、広い地域をしめろ農村が進歩した光明ある地区に変わり、せまい地域をしめる敵占領区、とくに大都市が、一時的におくれた暗黒の地区に変わるであろう。

 (五六)このようにみてくると、長期でしかも大規模な抗日戦争は、軍事、政治、経済、文化の各方面での犬歯錯綜した戦争であって、これは戦争史上の奇観であり、中華民族の壮挙であり、天地をゆるがす偉業である。この戦争は、中日両国に影響し、両国の進歩を大いにうながすばかりでなく、世界にも影響をおよぼして、各国の進歩、まず第一にインドなどの被抑圧民族の進歩をうながすであろう。全中国人はみなこの犬歯錯綜した戦争に自覚をもって身を投ずべきである。これこそ中華民族がみずから自己を解放するための戦争形態であり、半植民地の大国が二○世紀の三十年代と四十年代におこなっている解放戦争の特殊な形態である。



永遠の平和のために戦おう


 (五七)中国の抗日戦争の持久性は、中国と世界の永遠の平和をかちとることときりはなせないものである。今日ほど戦争が永遠の平和に近づいたことは歴史上いまだかつてなかった。階級が出現して以来、数千年にわたる人類の生活は戦争にみちており、あるいは民族集団内部で戦い、あるいは民族集団相互間で戦い、どの民族もどれほど多くの戦争をしてきたかわからない。戦いは、資本主義社会の帝国主義時代になると、とくに大規模で残酷なものになった。三十年まえの第一次帝国主義大戦は、それまでの歴史では空前のものであったが、まだ絶後の戦争ではなかった。いまはじまっている戦争こそが、最後の戦争に近づいており、つまり人類の永遠の平和に近づいているのである。いま世界では、三分の一の人口が戦争にまきこまれている。見たまえ、イタリアのつぎが日本で、エチオピアのつぎがスペイン、それから中国だ。戦争に参加しているこれらの国ぐにをあわせれば、ほとんど六億の人口にたっし、世界総人口のほぼ三分の一をしめている。いまの戦争の特徴は、たえまがないという性質と、永遠の平和に近づくという性質をもっていることである。たえまがないというのはなぜか。イタリアがエチオピアと戦ったのにつづいて、イタリアがスペインと戦い、ドイツも一枚くわわり、つづいてまた日本が中国と戦っている。これにつづくのはだれか。つづいてヒトラーが諸大国と戦うことは疑いない。「ファシズムとは戦争である」〔14〕。まったくそのとおりだ。いまの戦争が世界大戦に発展するまでは、たえまがないであろうし、人類が戦争の災いをうけることはまぬかれえない。では、こんどの戦争が永遠の平和に近づいているというのはなぜか。こんどの戦争は、第一次世界大戦のときにすでにはじまった世界資本主義の全般的危機の深まりを基礎としておこったものであり、この全般的危機によって、資本主義諸国はあらたな戦争にかりたてられており、まず第一に、ファシスト諸国があらたな戦争の冒険にかりたてるれている。われわれは、こんどの戦争の結果、資本主義が救われるのではなく、崩壊にむかうことを予見できる。こんどの戦争は、二十年まえの戦争よりいっそう大規模で、残酷であり、すべての民族がこれに不可避的にまきこまれ、戦争は非常に長びき、人類は大きな苦痛をなめさせられるであろう。だが、ソ連の存在と世界人民の自覚のたかまりによって、こんどの戦争には疑いもなくすべての反革命戦争に反対する偉大な革命戦争があらわれて、こんどの戦争に永遠の平和のために戦う性質をもたせることとなろう。たとえその後になお戦争の一時期があるとしても、もはや世界の永遠の平和から遠くはない。人類がひとたび資本主義を消滅すれば、永遠の平和の時代に到達し、そのときにはもはや戦争は必要でなくなる。そのときには軍隊の必要もなければ、軍艦の必要もなく、軍用機の必要もなければ、毒ガスの必要もなくなる。それからのちは、人類は何億万年も戦争にみまわれることがなくなる。すでにはじまっている革命戦争は、この永遠の平和のためにたたかう戦争の一部分である。五億以上の人口をしめる中日両国間の戦争は、この戦争のなかで重要な地位をしめ、中華民族の解放はこの戦争をつうじてかちとられるであろう。将来の解放された新しい中国は、将来の解放された新しい世界ときりはなすことはできない。したがって、われわれの抗日戦争には、永遠の平和をかちとるために戦う性質がふくまれている。

 (五八)歴史上の戦争は二つの種類にわけられる。一つは正義の戦争であり、もう一つは不正義の戦争である。進歩的な戦争はすべて正義の戦争であり、進歩をはばむ戦争はすべて不正義の戦争である。われわれ共産党員は、進歩をはばむ不正義の戦争にはすべて反対するが、進歩的な正義の戦争には反対しない。後者にたいしては、われわれ共産党員は反対するどころか、積極的に参加する。前者、たとえば第一次世界大戦では、双方とも帝国主義の利益のために戦ったので、全世界の共産党員は断固としてその戦争に反対した。反対する方法は、戦争が勃発するまでは、極力その勃発を阻止することであるが、勃発したのちには、可能であるかぎり、戦争によって戦争に反対し、正義の戦争によって不正義の戦争に反対することである。日本の戦争は進歩をはばむ不正義の戦争であって、日本人民をもふくめた全世界の人民は、これに反対すべきであり、またげんに反対している。わが中国では、人民から政府にいたるまで、共産党から国民党にいたるまで、みな正義の旗をかかげて、侵略に反対する民族革命戦争をおこなってきた。われわれの戦争は神聖で、正義のものであり、進歩的で、平和を求めるものである。一国の平和を求めるばかりでなく、世界の平和をも求め、一時的な平和を求めるばかりでなく、永遠の平和をも求めるのである。この目的をたっするには、決死の戦いをすすめるべきで、どんな犠牲をはらっても、最後まで戦いぬく用意がなければならず、目的をたっするまでけっしてやめてはならない。犠牲は大きく、時間は長びくだろうが、永遠の平和と永遠の光明の新しい世界はすでにあざやかにわれわれの前によこたわっている。戦いにたずさわるわれわれの信念は、永遠の平和と永遠の光明の新しい中国と新しい世界をかちとるということのうえにきずかれている。ファシズムと帝国主義は戦争を無期限にひきのばそうとするが、われわれは戦争をそう遠くない将来に終わらせようとする。この目的のために、人類の大多数はきわめて大きな努力をはらうべきである。四億五千万の中国人は全人類の四分の一をしめており、もしわれわれがともに努力して、日本帝国主義を打倒し、自由平等の新しい中国を創造することができたなら、全世界の永遠の平和をかちとるうえでの貢献が、非常に偉大なものとなることは疑いない。このような希望はむなしいものではない。全世界の社会経済の発展過程はすでにそれに近づいており、これに多数の人びとの努力がくわわりさえすれば、何十年かのうちにはきっと目的はたっせられるのである。



戦争における能動性


 (五九)以上にのべたのは、なぜ持久戦なのか、なぜ最後の勝利は中国のものなのかを説明したもので、だいたいにおいて「何々である」、「何々ではない」ということについてのべたのである。つぎに、「どのようにする」、「どのようにはしない」という問題の研究にうつることにしよう。どのようにして持久戦をすすめ、どのようにして最後の勝利をかちとるか。これがこれから答えようとする問題である。このために、われわれは順序をおって、つぎの問題を説明していこう。すなわち戦争における能動性、戦争と政治、抗戦のための政治的動員、戦争の目的、防御のなかでの進攻、持久のなかでの速決、内線のなかでの外線、主動性、弾力性、計画性、運動戦、遊撃戦、陣地戦、殲滅せんめつ戦、消耗戦、敵のすきに乗ずる可能性、抗日戦争の決戦の問題、兵士と人民は勝利のもとという問題である。では、能動性の問題からのべていこう。

 (六〇)われわれが問題を主観的にみることに反対するというのは、人間の思想が客観的事実にもとづかず、それに合致しなければ、それは空想で、えせの理論であり、もしそれにもとづいておこなえば失敗する、だから反対しなければならない、ということである。だが、物事はすべて人間がおこなうもので、持久戦と最後の勝利も、人間がおこなわなければ実現しない。うまくおこなうには、まずだれかが客観的事実にもとづいて、思想、道理、見解をひきだし、ついで計画、方針、政策、戦略、戦術を提起しなければならない。思想その他は主観にぞくするものであり、おこなうこと、あるいは行動することは主観が客観にあらわれたものであって、どちらも人類の特殊な能動性である。このような能動性はわれわれが「自覚的能動性」と名づけるもので、それは人間が物と区別される特徴である。客観的事実にもとづく、またそれに合致する思想はすべて正しい思想であり、正しい思想にもとづいておこなうこと、あるいは行動することはすべて正しい行動である。われわれはこのような思想と行動を発揚し、このような自覚的能動性を発揚しなければならない。抗日戦争は帝国主義をおいだし、ふるい中国を新しい中国に変えるものであり、この目的をたっするには、全中国の人民を動員して、ひとりのこらず抗日の自覚的能動性を発揚させなければならない。じっとすわっていれば、滅亡あるのみで、持久戦もなければ、最後の勝利もない。

 (六一)自覚的能動性は人類の特徴である。人類は戦争のなかでこのような特徴を強くあらわす。戦争の勝敗は、もちろん双方の軍事、政治、経済、地理、戦争の性質、国際的援助などの条件によってきまるのであるが、しかし、たんにこれらの条件だけできまるのではない。これらの条件だけでは、まだ勝敗の可能性があるというにすぎず、それ自身としては勝敗はきまってはいない。勝敗がきまるには、さらに主観的努力がくわわらなければならない。これが戦争の指導と戦争の実行であり、戦争における自覚的能動性である。

 (六二)戦争を指導する人びとは、客観的条件のゆるす限度をこえて戦争の勝利を求めることはできないが、しかし、客観的条件の限度内で、戦争の勝利を能動的にかちとることはできるし、またそうしなければならない。戦争の指揮員の活躍する舞台は、客観的条件のゆるす範囲内できすかれなければならないが、しかし、かれらはその舞台一つで精彩にとむ、勇壮な多くの劇を演出することができる。あたえられた客観的物質を基礎にして、抗日戦争の指揮員はその威力を発揮し、全軍をひっさげて、民族の敵をうちたおし、侵略と抑圧をうけているわが社会と国家の状態を改めて、自由平等の新中国をつくりだすべきであるが、ここでは、われわれの主観的指導能力がつかえるし、またつかわなければならない。抗日戦争のいかなる指揮員であろうと、客観的条件からはなれて、盲滅法にぶつかっていく向こうみず屋になることには賛成しないが、しかし、われわれは抗日戦争の指揮員の一人ひとりが勇敢で聡明な将軍になるよう提唱しなければならない。かれらは敵を圧倒する勇気をもたなければならないばかりでなく、また戦争全体の変化発展を駆使できる能力をももたなければならない。指揮員は、戦争という大海を泳いでいるのであって、沈まないようにし、確実に、段どりをおって、対岸に到達するようにしなければならない。戦争指導の法則としての戦略戦術は、戦争という大海での水泳術である。



戦争と政治


 (六三)「戦争は政治の継続である」、この点からいえば、戦争とは政治であり、戦争そのものが政治的性質をもった行動であって、昔から政治性をおびない戦争はなかった。抗日戦争は全民族の革命戦争であり、その勝利は、日本帝国主義を駆逐し、自由平等の新中国を樹立するという戦争の政治目的からきりはなせないし、抗戦の堅持と統一戦線の堅持という全般的方針からも、全国人民の動員ということからも、将兵の一致、軍民の一致、敵軍の瓦解などの政治原則からも、統一戦線政策のりっぱな遂行ということからも、文化面での動員ということからも、国際勢力と敵国人民の援助をかちとる努力からもきりはなすことはできない。一言でいえば、戦争は片時も政治からきりはなせないものである。抗日軍人のなかに、もし、戦争を孤立させて、戦争絶対主義者になるような政治軽視の傾向があるなら、それはあやまりであり、是正すべきである。

 (六四)だが、戦争にはその特殊性がある、この点からいえば、戦争がそのまま政治一般ではない。「戦争は別の手段による政治の継続である」〔15〕。政治が一定段階にまで発展し、もうこれまでどおりには前進できなくなると、政治の途上によこたわる障害を一掃するために戦争が勃発する。たとえば、中国の半独立の地位が、日本帝国主義の政治的発展の障害となり、日本はそれを一掃しようとして、侵略戦争をおこした。中国はどうか。帝国主義の抑圧がはやくから中国のブルジョア民主主義革命の障害となっていたので、この障害を一掃するために、いくどとなく解放戦争がおこった。いま日本が戦争による抑圧で中国革命の進路を完全に断とうとしているので、われわれはこの障害を一掃しようと決意して抗日戦争をおこなわざるをえなくなっている。障害が一掃され、政治目的が達成されると、戦争は終わる。障害がすっかり一掃されないうちは、目的をつらぬくために、戦争は依然として継続されるべきである。たとえば抗日の任務がまだ終わらないのに、妥協を求めようとしても、けっして成功しはしない。なぜなら、たとえなんらかの理由で妥協したとしても、広範な人民はけっして承服せず、かならず戦争を継続して戦争の政治目的をつらぬこうとするから、戦争はまたおこるのである。したがって、政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治であるといえる。

 (六五)戦争の特殊性から、戦争には一連の特殊な組織、特殊な方法、特殊な過程というものがある。その組織とは、軍隊およびそれに付随するいっさいのものである。その方法とは、戦争を指導する戦略戦術である。その過程とは、敵対する軍隊がたがいに自己に有利で敵に不利な戦略戦術を用いて、攻撃もしくは防御をおこなう特殊な社会活動の形態である。したがって、戦争の経験は特殊なものである。戦争に参加するすべての人びとは、ふだんの習慣から脱して戦争になれなければ、戦争の勝利をかちとることはできない。



 抗日のための政治的動員


 (六六)このように偉大な民族革命戦争は、ゆきわたった、浸透した政治的動員なしには、勝利することができない。抗日以前に、抗日のための政治的動員がみられなかったことは、中国の大きな欠陥であり、すでに敵に一手をとられたのである。抗日以後も、政治的動員はまったくゆきわたっておらず、まして浸透したなどとはいえない。人民の大多数は、敵の砲火や飛行機の爆弾から戦争の消息を聞いたのである。これも一種の動員ではあるが、敵がかわりにやってくれたもので、われわれ自身がやったものではない。辺鄙へんぴな地方にいて砲声を耳にしない人びとは、いまでもなお、静かに生活している。このような状態は改めなければならない。そうしなければ、生死をかけた戦争に勝利することはできない。けっして二度と敵に一手をとられてはならず、反対に、この政治的動員の一手を大いに発揮して敵に勝ちを制する必要がある。この一手は関係するところがきわめて大きい。武器その他が敵におとっているのは二のつぎで、この一手がなによりもいちばん重要である。全国の民衆を動員すれば、敵をすっぽり沈めてしまう洋々たる大海原がつくられ、武器その他の欠陥をおぎなう補強条件がつくられ、戦争のあらゆる困難をのりきる前提がつくられる。勝利するには、抗戦を堅持し、統一戦線を堅持し、持久戦を堅持しなければならない。しかし、これらのすべては、民衆を動員することからきりはなすことはできない。勝利をのぞみながらも政治的動員を無視するのは「南へいくのに、車を北に走らせる」というものであって、その結果は、かならず勝利をすてることになる。

 (六七)政治的動員とはなにか。それは、第一に、戦争の政治目的を軍隊と人民におしえることである。兵士と人民の一人ひとりに、なぜ戦わなければならないか、戦争はかれらとどんな関係があるかをぜひわからせることである。抗日戦争の政治目的は「日本帝国主義を駆逐し、自由平等の新中国を樹立する」ことである。この目的をすべての軍人や人民におしえなければ、数億の人民が心を一つにして、戦争にすべてをささげるよう、抗日の波を大きくもりあげることはできない。第二に、たんに目的を説明するだけではまだ不十分で、さらにこの目的を達成するための段どりや政策についての説明、すなわち政治綱領が必要である。いまでは、すでに『抗日救国十大綱領』⑤があり、さらに『抗戦建国綱領』⑥があるが、それらを軍隊と人民に普及し、さらにそれを実行にうつすよう、すべての軍隊と人民を動員すべきである。明確で具体的な政治綱領がなければ、抗日をやりぬくよう全軍隊、全人民を動員することはできない。第三に、どのようにして動員するのか。口頭、ビラや布告、新聞や書籍、演劇や映画、学校、民衆団体、幹部をつうじて動員するのである。いま国民党支配地区で、いくらかおこなわれているが、大海の一滴のようなもので、方法も民衆のはだにあわず、態度も民衆からかけはなれており、これは確実に改めなければならない。第四に、抗日戦争のための政治的動員は恒常的なものであって一回で十分というものではない。これは政治綱領を暗唱して民衆に聞かせることではないし、そんな暗唱はだれも聞くものではない。戦争の発展の状況に結びつけ、兵士と民衆の生活に結びつけて、戦争のための政治的動員を恒常的な運動にしなければならない。これはきわめてたいせつなことで、戦争の勝利はなによりもまずこのことにかかっている。



戦争の目的


 (六八)ここでは、戦争の政治目的のことをいうのではない。抗日戦争の政治目的が「日本帝国主義を駆逐し、自由平等の新中国を樹立する」ことである点は、すでにまえにのべた。ここでいうのは、人類の血を流す政治としての戦争、つまり、両軍がたがいに殺しあう戦争の根本的目的は何かということである。戦争の目的はほかでもなく、「自己を保存し、敵を消滅する」(敵を消滅するとは、敵のすべてを肉体的に消滅することではなくて、敵の武装を解除すること、つまり「敵の抵抗力をうばう」ことをいう)ことである。古代の戦争では矛と盾がつかわれた。矛は攻撃するもので、敵を消滅するためのものであり、盾は防御するもので、自己を保存するためのものであった。今日の兵器も、やはりこの両者の延長である。爆撃機、機関銃、長距離砲、毒ガスは矛の発展であり、防空施設、鉄かぶと、コンクリート構築陣地、防毒マスクは盾の発展である。戦車は矛と盾とを一つに結合した新しい兵器である。攻撃は敵を消滅する主要な手段であるが、防御もなくてはならない。攻撃は直接には敵を消滅するためのものであるが、敵を消滅しないと、自己が消滅されてしまうから、同時に自己を保存するためのものでもある。防御は直接には自己を保存するためのものであるが、同時に攻撃を補助するか、または攻撃に転ずる準備をする手段でもある。退却は防御の一種であり、防御の継続である。そして、追撃は攻撃の継続である。戦争の目的のうちでは、敵を消滅することが主要なもので、自己を保存することは第二義的なものだということをここで指摘しなければならない。効果的に自己を保存するには、敵を大量に消滅するほかはないからである。したがって、敵を消滅する主要な手段としての攻撃が主要なもので、敵を消滅する補助的手段、また自己を保存する一つの手段としての防御は第二義的なものである。戦争の実際においては、防御が主となることも多く、その他のばあいには攻撃が主となるが、しかし、戦争全体をつうじてみれば、攻撃がやはり主要なものである。

 (六九)戦争のなかで勇敢な犠牲を提唱するのをどう解釈したらよいか。それは「自己を保存する」ことと矛盾するのではないか。矛盾しない。それはたがいに反しあいながら、たがいに成りたたせあっているのである。戦争は血を流す政治であり、それは代価を、ときにはきわめて大きな代価を支払わなければならない。部分的一時的な犠牲(保存しないこと)は、全体的永久的な保存のためである。基本的には敵を消滅するためである攻撃手段のなかにも、同時にまた自己を保存する作用がふくまれていると、われわれがいう理由はここにある。防御は同時に攻撃をともなわなければならず、単純な防御であってはならないことも、またこうした道理からである。

 (七〇)自己を保存し、敵を消滅するという戦争の目的こそ戦争の本質であり、すべての戦争行動の根拠であって、技術的行動から戦略的行動にいたるまで、すべてがこの本質によってつらぬかれている。戦争の目的は戦争の基本原則であって、すべての技術的、戦術的、戦役的、戦略的な原理原則は、これから少しもはなれることはできない。射撃の原則である「身体を隠蔽いんぺいし、火力を発揮する」というのはどういう意味か。前者は自己を保存するためであり、後者は敵を消滅するためである。前者のために、地形や地物を利用したり、躍進運動をおこなったり、隊形を疎開させたりするなどさまざまな方法がうまれる。後者のために、射界を清掃したり、火網を組織したりするなどさまざまな方法がうまれる。戦術上の突撃隊、牽制けんせい隊、予備隊のうち、第一のものは敵を消滅するためのものであり、第二のものは自己を保存するためのものであり、第三のものは状況に応じて二つの目的――突撃隊を増援したり、追撃隊になったりして、敵を消滅すること、または牽制隊を増援したり、掩護えんご隊になったりして、自己を保存することに用いようとするものである。このように、すべての技術的、戦術的、戦役的、戦略的原則、すべての技術的、戦術的、戦役的、戦略的行動は、戦争の目的から少しもはなれることのできないものであり、この目的は戦争全体にゆきわたり、戦争の初めから終わりまでつらぬいている。

 (七一)抗日戦争の各級の指導者は、中日両国間のたがいに対立する各種の基本的要素をはなれて戦争を指導してはならないし、またこの戦争の目的をはなれて戦争を指導してはならない。両国間のたがいに対立する各種の基本的要素は、戦争の行動のなかで展開されて、自己を保存し、敵を消滅するための相互の闘争に変わる。われわれの戦争は、戦いのたびごとに、大小を問わず勝利をかちとるようにつとめ、戦いのたびごとに、敵の一部の武装を解除し、敵の一部の人馬器物を損傷させるようつとめることにある。敵を部分的に消滅するという成果をつみかさね、これを大きな戦略的勝利にすることによって、最後には敵を国土から駆逐し、祖国を防衛し、新中国を建設するという政治目的を達成するのである。



防御のなかでの進攻、持久のなかでの速決、内線のなかでの外線


 (七二)つぎに抗日戦争での具体的な戦略方針を研究しよう。われわれは、抗日の戦略方針は持久戦であるといったが、そのとおりで、これはまったく正しい。だが、これは一般的な方針であって、まだ具体的な方針ではない。どのように具体的に持久戦をすすめるか。これがいまわれわれの論じようとする問題である。われわれの答えはこうである。第一と第二の段階、すなわち敵の進攻と保持の段階では、それは戦略的防御のなかでの戦役上戦闘上の進攻戦、戦略的持久のなかでの戦役上戦闘上の速決戦、戦略的内線のなかでの戦役上戦闘上の外線作戦でなければならない。第三段階では、それは戦略的反攻戦でなければならない。

 (七三)日本が帝国主義の強国であり、われわれが半植民地・半封建の弱国であることから、日本は戦略的進攻の方針をとり、われわれは戦略的防御の地位にある。日本は戦略的速決戦をとろうとくわだてているが、われわれは意識的に戦略的持久戦をとるべきである。日本は戦闘力のかなり強い数十コ師団の陸軍(現在すでに三十コ師団にたっしていろ)および一部の海軍をもって陸海両面から中国を包囲、封鎖し、さらに空軍をもって中国を爆撃している。現在、日本の陸軍はすでに包頭パオトウから杭州ハンチョウまでの長い戦線を占領し、海軍は福建フーチェン省、広東コヮントン省まできて、大きな範囲の外線作戦を形づくっている。われわれは内線作戦の地位におかれている。これらはすべて、敵が強く、わが方が弱いという特徴によってもたらされたものである。これが一つの面の状態である。

 (七四)しかし、もう一つの面では、ちょうどそれと逆である。日本は強いが、兵力が足りない。中国は弱いが、土地が広く、人口も多く、兵力も多い。ここから二つの重要な結果がうまれる。第一に、敵は少ない兵力をもって大国にのぞんでいるので、一部の大都市、主要な交通線および若干の平地しか占領できない。このために、その占領地域では、占領のしようがない広大な土地を空白のまま残しており、このことが中国の遊撃戦争に広大な活動の地盤をあたえている。全国では、たとえ敵が広州、武漢、蘭州の線、およびその付近の地区を占領できても、それ以外の地区を占領するのはむずかしく、このことが中国に、持久戦をおこない、最後の勝利をかちとるための大後方と中枢根拠地をあたえている。第二に、敵は少ない兵力をもって多くの兵力にたちむかっているので、多くの兵力の包囲のなかにおかれている。敵が数路にわかれてわが方に進攻しているので、敵は戦略的外線にたち、わが方は戦略的内線にたっており、敵は戦略的進攻をおこない、わが方は戦略的防御をおこなっており、みたところ、わが方は非常に不利である。しかし、わが方は土地が広く兵力が多いという二つの長所を利用して、陣地を固守するような陣地戦をおこなわずに、弾力的な運動戦を採用し、数コ師団で敵の一コ師団にあたり、数万人で敵の一万人にあたり、数路の部隊で敵の一路の部隊にあたり、戦場の外線から、突如、敵の一路の部隊を包囲し攻撃することができる。そこで、敵の戦略上の作戦における外線と進攻は、戦役上戦闘上の作戦では、内線と防御に変わらざるをえない。わが方の戦略上の作戦における内線と防御は、戦役上戦闘上の作戦では、外線と進攻に変わる。一路の敵にたいしてもそうであるし、他の路の敵にたいしてもそうである。以上の二つの点は、いずれも敵が小さく、わが方が大きいという特徴からうまれるものである。また、敵の兵力は少ないが、強い(兵器および将兵の訓練の程度)、わが方の兵力は多いが、弱い(これも兵器および将兵の訓練の程度だけをさすのであって、士気をさすのではない)という点から、戦役上戦闘上の作戦では、わが方は、多数をもって少数をうち、外線から内線をうつだけでなく、さらに速決戦の方針をとるべきである。速決戦をおこなうには、一般には、駐止中の敵をうつべきではなくて、運動中の敵をうつべきである。わが方は、敵のかならず通る道のかたわらに大兵をあらかじめ隠蔽、集結し、敵の運動しているときに突如前進し、これを包囲攻撃し、敵が手をくだす間もないうちに、迅速に戦闘をかたづけるのである。戦いがうまくいけば、全部か、大部分か、または一部分の敵を消滅できるし、うまくいかなくても、敵に多くの死傷をあたえることができる。一つの戦いでもそうであるし、他の戦いでもすべてそうである。たとえ多くなくても、毎月一回、平型関、台児荘の戦いのような比較的大きな勝ちいくさができれば、大いに敵の気勢をくじき、わが軍の士気をふるいたたせ、国際的声援をよびおこすことができる。このようにして、わが方の戦略的持久戦は、戦場での作戦になると速決戦に変わるのである。敵の戦略的速決戦は、多くの戦役上戦闘上の負けいくさをへて、持久戦にきりかえざるをえなくなるのである。

 (七五)上述のような戦役上戦闘上の作戦方針は、一言でいえば、「外線的速決的な進攻戦」である。これは、わが方の戦略方針である「内線的持久的な防御戦」とは反対のものであるが、しかし、またこのような戦略方針を実現するのにまさに必要な方針なのである。もし、戦役上戦闘上の方針も抗戦当初にとられたような「内線的持久的な防御戦」であるなら、それは敵が小さくてわが方が大きく、敵が強くてわが方が弱いというこの二つの状況にまったく適さないものであり、それではけっして戦略目的は達成されず、全般的な持久戦は達成されないで、敵にうちやぶられてしまう。したがって、われわれは、これまでも、全国でいくつかの大きな野戦兵団を編成して、それに敵の各野戦兵団の兵力の二倍、三倍または四倍の兵力をもたせ、上述の方針をとって、広大な戦場で敵とわたりあうよう主張してきた。この方針は、正規戦争につかえるだけでなく、遊撃戦争にもつかえるし、またつかわなければならない。それは戦争のある段階に適用されるだけでなく、戦争の全過程にも適用される。戦略的反攻の段階になって、わが方の技術的条件が強化され、弱をもって強にあたるような状況が全然なくなっても、わが方が依然として多くの兵力をもって外線から速決的進攻戦をおこなうなら、なおさら多くの捕虜と戦利品を獲得する効果をあげることができる。たとえば、わが方が二つ、三つまたは四つの機械化師団をもって敵の一つの機械化師団にあたれば、いっそう確実にその師団を消滅することができる。数人の大男が一人の大男にたやすく勝てるのは、常識のなかにふくまれる真理である。

 (七六)もしわれわれが、戦場作戦での「外線的速決的な進攻戦」を断固として採用するなら、戦場における敵とわが方のあいだの強弱、優劣の形勢を変えるばかりでなく、しだいに全体の形勢を変えることとなろう。戦場では、わが方が進攻し、敵が防御すること、わが方が多くの兵力で外線にたち、敵が少ない兵力で内線にたつこと、わが方が速決でいくので、敵が持久によって援軍を待とうとしても、かれらのおもいどおりにならないこと、こうしたことのために、敵側は強者から弱者に変わり、優勢から劣勢に変わるが、わが車は逆に弱者から強者に変わり、劣勢から優勢に変わる。多くのこのような勝ちいくさをすると、敵とわが方の全体の形勢に変化がおこる。つまり、多くの戦場作戦の外線的速決的な進攻戦の勝利をつみかさねていくと、しだいに自己を強め、敵を弱めていくようになり、そこで全体的な強弱、優劣の形勢が、その影響をうけて変化をおこさざるをえなくなる。そのとき、われわれ自身のもつ他の条件とあいまって、さらに敵の内部の変動および国際的に有利な情勢とあいまって、敵とわが方の全体の形勢を均衡に転じ、均衡からさらにわが方の優勢、敵の劣勢に転じさせることができる。そのときこそ、反攻にでて敵をわが国土から駆逐する時機である。

 (七七)戦争は力の競争であるが、力は戦争の過程でその本来の状態を変えていく。そのばあい、主観的努力、つまり勝ちいくさを多くし、あやまりを少なくすることが決定的な要素である。客観的要素には、このような変化の可能性がそなわっているが、この可能性を実現するには、正しい方針と主観的努力とが必要である。そのときには、主観の役割が決定的なものとなる。



主動性、弾力性、計画性


 (七八)以上にのべた戦役上戦闘上の外線的速決的な進攻戦は、進攻という点にその中心がある。外線とは進攻の範囲をさし、速決とは進攻の時間をさすところから、それを「外線的速決的な進攻戦」とよぶのである。これは持久戦をおこなう最良の方針であり、また運動戦というものの方針でもある。だがこの方針を実行するには、主動性、弾力性、計画性をはなれることはできない。そこで、つぎにこの三つの問題を研究してみよう。

 (七九)さきに自覚的能動性についてのべたのに、なぜまた主動性についてのべるのか。自覚的能動性とは、自覚的な活動と努力のことであり、人間が物と区別される特徴であって、人間のこのような特徴は、戦争のなかでとりわけ強くあらわれるが、これらの点についてはさきにのべた。ここでいう主動性とは、軍隊の行動の自由権のことで、これは、不自由の状態においこまれることとは区別されるものである。行動の自由は軍隊の生命であり、この自由をうしなえば、軍隊は敗北または消滅に近づくことになる。ある兵士が武装を解除されるのは、この兵士が行動の自由をうしない、受動的地位においこまれた結果である。ある軍隊が戦いにやぶれるのも同じである。この理由から、戦争する双方はどちらも受動性をさけ、主動性をにぎろうとつとめる。われわれの提起した外線的速決的な進攻戦と、この進攻戦を実現するための弾力性、計画性は、いずれも敵を受動的地位においやり、自己を保存し敵を消滅する目的を達成できるように主動権をかちとるためだといってよいのだが、主動か受動かということは、戦力が優勢か劣勢かということと不可分である。したがって、それはまた、主観の指導が正しいかあやまっているかということとも不可分である。そのほかに、また敵の錯覚と不意に乗じて自己の主動性をかちとり、敵を受動的な地位においやるばあいもある。つぎにこれらの点を分析してみよう。

 (八〇)主動は戦力の優勢ときりはなせないし、受動は戦力の劣勢ときりはなせない。戦力の優勢または劣勢は、主動または受動の客観的基礎である。戦略上の主動的地位は、もちろん戦略的進攻戦のばあい、わりあいによく掌握し発揮することができるが、しかし、始めから終わりまで、どこででも主動的地位をしめること、つまり絶対的な主動権をにぎることができるのは、絶対的優勢をもって絶対的劣勢にあたるときだけである。体の丈夫なものと重病患者との格闘では、前者が絶対的な主動権をにぎる。もし日本に克服できない多くの矛盾がないなら、たとえばかれらが一度に数百万から一千万にのぼる大兵をくりだすことができ、財源が現在の何倍もあり、民衆や外国からの敵対もなく、また野蛮な政策を実行して中国人民の必死の抵抗をまねくようなことがないとすれば、かれらは一種の絶対的な優勢を保持できるし、始めから終わりまで、どこででも一種の絶対的な主動権をにぎるであろう。だが、歴史上、このような絶対的優勢というものは、戦争と戦役の終局においては存在するが、戦争と戦役の当初にはまれである。たとえば、第一次世界大戦で、ドイツが屈服する前夜には、当時の連合国側が絶対的嬢勢に転じ、ドイツが絶対的劣勢に転じた結果、ドイツが敗北し、連合国が勝利した。これは戦争の終局に絶対的な優勢と劣勢が存在する例である。また台児荘における勝利の前夜には、当時その地に孤立していた日本車が苦戦をかきねたのちに絶対的な劣勢におちいり、わが軍が絶対的な優勢をつくりあげた結果、敵が敗北し、わが方が勝利した。これは戦役の終局に絶対的な優勢と劣勢が存在する例である。戦争でも、戦役でも、相対的な優劣または均衡状態のままで終結することがあるが、そのばあい、戦争では妥協があらわれ、戦役では対峙があらわれる。だが、一般的には、絶対的な優劣によって勝敗がきまることが多い。これらすべては、戦争または戦役の当初のことではなくて、戦争または戦役の終局のことである。中日戦争の終局については、日本が絶対的劣勢をもって敗北し、中国が絶対的優勢をもって勝利することは予断できる。しかし、いまのところ、双方の優劣はいずれも絶対的ではなくて相対的である。日本は強い軍事力、経済力、政治組織力という有利な要素をもつことによって、われわれの弱い軍事力、経済力、政治組織力にたいして優勢をしめ、それがかれらの主動権の基礎となっている。だが、かれらの軍事力その他は量的に少ないし、他に多くの不利な要素もあるので、かれらの優勢はかれら自身の矛盾によって減殺されている。そして中国にやってくると、中国の広大な土地、膨大な人口、膨大な兵力、頑強な民族的抗戦にぶつかって、その擬勢はさらに減殺された。そこで「全体としては、かれらの地位は相対的な優勢に変わり、したがって、その主動権の発揮や維持も制約され、相対的なものになってしまった。中国側は、力の強さのうえでは劣勢であり、したがって、戦略上のある種の受動的様相が形成されているが、地理、人口、兵員数のうえでは、また人民および軍隊の敵愾心てきがいしんと士気のうえでは優勢であり、このような優勢にさらにその他の有利な要素がくわわって、自己の軍事力、経済刀などの劣勢の程度は減殺され、戦略上の相対的な劣勢に変わっている。したがって、受動の程度も減少し、戦略上の相対的な受動的地位におかれているにすぎない。しかし、受動はなんといっても不利であり、それからぬけだすよう努めなければならない。軍事上の方法としては、断固として外線的速決的な進攻戦をおこない、また敵の後方での遊撃戦争をおこし、戦役上の運動戦と遊撃戦で、敵を圧倒する多くの局部的な優勢と主動的地位とを獲得することである。このような多くの戦役上の局部的な優勢と局部的な主動的地位をとおして、戦略上の優勢と戦略上の主動的地位とがしだいにつくられ、戦略上の劣勢と受動的地位をぬけだすことができるようになる。これが主動と受動、優勢と劣勢のあいだの相互関係である。

 (八一)このことからも、主動または受動と主観の指導とのあいだの関係がわかる。上述のように、わが方の相対的な戦略上の劣勢と戦略上の受動的地位は、ぬけだすことのできるものであり、その方法は、人為的にわれわれの多くの局部的な優勢と局部的な主動的地位をつくりだして、敵の多くの局部的な優勢と局部的な主動的地位を奪いとり、敵を劣勢と受動的地位になげこむことである。これらの局部的なものをつみかさねていけば、われわれの戦略上の優勢と戦略上の主動になり、敵の戦略上の劣勢と戦略上の受動になる。このような転化は主観の正しい指導にかかっている。なぜか。わが方も優勢と主動をもとめるし、敵もまたこれをもとめるのであって、この点からみれば、戦争は両軍の指揮員が軍事力、財力などの物質的基礎を土台にして、たがいに優勢と主動を奪いあう主観の能力の競争である。競争の結果、一方が勝ち他方が負けるが、これは、客観的物質条件の対比のほかに、かならず勝者は主観の指揮の正しさにより、敗者は主観の指揮のあやまりによるものである。われわれは、戦争という現象が他のどのような社会現象よりも、いっそうとらえにくく、確実性が少ないこと、すなわち「蓋然がいぜん性」というものをいっそうおびたものであることを認める。だが、戦争は神のしわざではなく、やはり世の中の一種の必然的運動であり、したがって、孫子の法則、「かれを知り、おのれを知れば、百戦するも危うからず」〔16〕は、やはり科学的真理である。あやまりは彼我についての無知から生ずるし、戦争の特質もまた、多くのばあい彼我を完全に知ることをさまたげるので、そこから戦争状況、戦争行動の不確実性がうまれ、あやまりと失敗がうまれる。しかし、どのような戦争状況、戦争行動であろうと、その大略を知り、その要点を知ることは可能である。まずはじめに各種の偵察手段により、つぎには指揮員の聡明な推論と判断とによって、あやまりを少なくし、一般的に正しい指導を実現するのは、できることである。われわれがこの「一般的に正しい指導」を武器にすれば、多くの勝ちいくさをすることができ、劣勢を優勢に変え、受動を主動に変えることができる。これは主動または受動と主観の指導が正しいかどうかということとのあいだの関係である。

 (八二)主観の指導が正しいかどうかが優勢、劣勢および主動、受動の変化に影響することは、強大な軍隊が敗北し、弱小な軍隊が勝利するという歴史的事実をみれば、いっそううなずける。内外の歴史には、こうした例がたくさんある。中国では、たとえば、晉と楚の城濮じょうぼくの戦い〔17〕、楚と漢の成皐せいこうの戦い⑦、韓信が趙軍をやぶった戦い〔18〕、新と漢の昆陽の戦い⑧、袁紹えんしょう曹操そうそうの官渡の戦い⑨、呉との赤壁の戦い⑩、呉としょく彝陵いりょうの戦い⑪、秦と晉の[シ+肥]水ひすいの戦い⑫など、外国では、たとえば、ナポレオンのおこなった数多くの戦役〔19〕、十月革命後のソ連の内戦などは、みな少数で多数をうち、劣勢で優勢にあたって勝利したものである。これらはみな、まず自分の局部的な優勢と主動をもって、敵の局部的な劣勢と受動にあたり、一戦に勝利して、それをさらに他におよぼし、各個撃破し、それによって全局面が優勢に転じ、主動に転じたのである。これとは逆に、もともと優勢と主動とをしめていた敵も、その主観のあやまりと内部矛盾によって、きわめて良好な、または比較的良好な優勢と主動的地位を完全にうしない、敗軍の将、亡国の君になることがある。このことからわかるように、戦力の優劣そのものは、もとより主動か受動かを決定する客観的基礎ではあるが、それはまだ現実の主動または受動ではなく、事実上の主動または受動は、闘争をつうじ、主観の能力の競争をつうじないかぎりあらわれはしない。闘争のなかでは、主観の指導が正しいかあやまっているかによって、劣勢を優勢に変え、受動を主動に変えることもできるし、優勢を劣勢に変え、主動を受動に変えることもできる。すべての支配王朝が革命軍にうち勝つことができなかったことからも、たんにある種の優勢だけでは、主動的地位がきまるものではなく、まして、最後の勝利がきまるものでないことがわかる。主動と勝利は、劣勢と受動的地位にあるものが、実際の状況にもとづき、主観の能力のはたらきをつうじ、一定の条件をかちとることによって、優勢で主動的地位にあるものの手から奪取できるものである。

 (八三)錯覚と不意のために、優勢と主動をうしなうことがある。したがって、計画的に敵に錯覚をおこさせ、不意うちをかけることは、優勢をつくりあげ、主動をうばいとる方法であり、しかも重要な方法である。錯覚とはなにか。「八公山の草木みな兵なり」〔20〕というのは錯覚の一例である。「東を撃つとみせて西を撃つ」というのは、敵に錯覚をおこさせる一つの方法である。情報がもれるのを防げるようなすぐれた民衆的基盤があるばあい、敵をあざむくいろいろな方法をとれば、しばしば効果的に、判断をあやまり行動をあやまるような苦境に敵をおとしいれ、これによって敵の優勢と主動をうしなわせることができる。「兵法はいつわりをいとわず」というのは、このことをさすのである。不意とはなにか。それは準備のないことである。優勢ではあるが準備がないなら、真の優勢ではなく、また主動性もない。この点がわかっていれば、劣勢ではあるが準備のある軍隊は、しばしば、敵にたいし不意の攻勢にでて、優勢な敵をうちやぶることができる。われわれが運動中の敵は攻撃しやすいというのは、敵が不意、つまり準備のない状態にあるからである。この二つのこと――敵に錯覚をおこさせることと、不意うちをかけることは、敵には戦争の不確実性をあたえ、自分はできるだけ大きな確実性をつかみ、これによってわが方の優勢と主動をかちとり、わが方の勝利をかちとることである。これを実現するには、すぐれた民衆組織が前提条件となる。したがって、敵に反対するすべての民衆を立ちあがらせ、かれらをことごとく武装して、広範に敵を襲撃させる一方、それによって情報を封じ、わが軍を掩護させてわが軍がどこで、いつ攻撃にでるかという手がかりを敵につかませないようにし、敵が錯覚をおこし、不意をくらう客観的基礎をつくりだすこと、これは非常に重要である。かつての土地革命戦争時代の中国赤軍が、弱小な軍事力でいつも勝ちいくさをしたのは、組織され武装化した民衆の力に負うところが非常に大きかった。民族戦争は、道理からいって、土地革命戦争よりもいっそう広範な民衆の援助をかちとることができるはずである。しかし、歴史的あやまり〔21〕のために、民衆はばらばらで、すぐにはわれわれの役にたたせることがむずかしいばかりか、ときには敵から利用されることもある。戦争のすべての必要を無限にみたすには、断固として、ひろく、全民衆を立ちあがらせる以外にはない。このことは、敵に錯覚をおこさせ、敵の不意をついてこれにうち勝つというこの戦法においても、きっと大きな役割をはたすことになる。われわれは宋の襄公ではなく、かれのようなばかげた仁義道徳を必要としない〔22〕。自己の勝利をかちとるためには、われわれは、敵の目と耳とをできるだけ封じて、かれらを肓とつんぼにし、敵の指揮員の頭をできるだけ混乱させて、かれらを気狂いにしてしまわなければならない。これらのこともすべて、主動または受動と主観の指導とのあいだの相互関係である。日本に勝利するにはこうした主観の指導は欠くことのできないものである。

 (八四)だいたいにおいて日本は、その進攻の段階では、その軍事力の強さや、わが方の歴史上および現在における主観のあやまりを利用することによって、一般的には主動的地位にたっている。しかし、こうした主動は、すでに、それ自身がもつ多くの不利な要素、かれらが戦争のなかでおかしたいくつかの主観のあやまり(この点はのちにくわしくのべる)、そしてまた、わが方にそなわる多くの有利な要素によって、部分的に弱まりはじめている。敵の台児荘での失敗や、山西省での苦境は、そのあきらかな証拠である。敵の後方でのわが方の遊撃戦争の広範な発展は、敵占領地の守備軍を完全に受動的地位にたたせている。敵はいまなお主動的な戦略的進攻をおこなってはいるが、その主動は、その戦略的進攻がやむにつれて終わりをつげるであろう。敵が兵力の不足から、無制限に進攻をおこなう可能性がないことは、敵が主動的地位を保ちつづけることのできない第一の根源である。わが方の戦役的進攻戦、敵の後方での遊撃戦争、およびその他の条件は、敵が一定の限度で進攻をやめなければならず、また主動的地位を保ちつづけることのできない第二の根源である。ソ連の存在とその他の国際情勢の変化は第三の根源である。このことからわかるように、敵の主動的地位には限界があり、またうちやぶることのできるものである。中国が、もし作戦方法のうえで主力軍による戦役上戦闘上の進攻戦を堅持し、敵の後方での遊撃戦争を猛烈に発展させるとともに、政治の面でも大いに民衆を立ちあがらせることができれば、わが方の戦略上の主動的地位はしだいに確立していくことができる。

 (八五)つぎに弾力性についてのべよう。弾力性とはなにか。それは主動性を作戦のなかで具体的に実現していくものであり、つまり兵力を弾力的に使用することである。兵力を弾力的に使用することは、戦争指揮の中心任務であり、またそれをうまくやるのは、もっともむずかしいことである。戦争という事業は、軍隊を組織し教育し、人民を組織し教育することなどをのぞけば、軍隊を戦闘に使用することであって、これらはすべて戦闘の勝利のためである。軍隊を組織することその他は、もとより困難ではあるが、軍隊を使用することはいっそう困難であり、弱をもって強にあたっている状況のもとではとくにそうである。そうするためには、きわめて大きな主観の能力が必要であり、戦争のもつ特質のうちの混乱、暗黒および不確実性を克服して、そのなかから条理、光明および確実性をさがしだすことが必要である。そうしてはじめて、指揮のうえでの弾力性を実現することができるのである。

 (八六)抗日戦争における戦場作戦の基本方針は、外線的速決的な進攻戦である。この方針を遂行するには、兵力の分散と集中、分進と合繋、攻撃と防御、突撃と牽制、包囲と迂回うかい、前進と後退などさまざまの戦術または方法がある。これらの戦術を知るのはたやすいが、これらの戦術を弾力的につかいこなし、きりかえていくのは容易なことではない。そこには、時機、地点、部隊という三つのかなめがある。その時をえず、その所をえず、部隊の状態が当をえていないならば、いずれも勝利することはできない。たとえば、運動中のある敵を攻撃するさい、攻撃がはやすぎれば、自己を暴露し、敵に防備の条件をあたえることになるが、攻撃がおくれれば、敵は集中、駐止してしまい、手ごわい相手となる。これが時機の問題である。突撃点を左翼にえらべば、ちょうど敵の弱い部分にあたって、容易に勝利をうるが、右翼にえらべば、敵の強い部分にぶつかって、効を奏することができない。これが地点の問題である。わが方のある部隊にある任務を実行させれば、容易に勝利をうろが、他の部隊におなじ任務を実行させても効果をあげにくい。これが部隊の状態の問題である。戦術をつかいこなすだけでなく、戦術をきりかえなければならない。敵とわが方の部隊や地形の状況にもとづいて、適時、適切に、攻撃を防御に、防御を攻撃に、前進を後退に、後退を前進に、牽制隊を突撃隊に、突撃隊を牽制隊にきりかえ、また包囲迂回などを相互にきりかえること、これが弾力的な指揮の重要な任務である。戦闘の指揮もそうであるし、戦役上戦略上の指揮もまたそうである。

 (八七)「運用の妙は一心に存す」という古人のことばのこの「妙」を、われわれは弾力性とよぶのであり、それは聡明な指揮員の創作である。弾力性は盲動ではなく、盲動は拒否すべきである。弾力性とは、聡明な指揮員が客観的状況にもとづいて、「時機と形勢を判断し」 (この形勢には、敵の形勢、わが方の形勢、地勢などがふくまれる)、適時、適切に処置をとる才能、つまり「運用の妙」というものである。この運用の妙にもとづくならば、外線的速決的な進攻戦は、より多くの勝利をかちとり、敵とわが方の優劣の形勢を転化させ、敵にたいするわが方の主動権を実現し、敵を圧倒してこれを撃破することができ、最後の勝利はわれわれのものとなる。

 (八八)つぎに、計画性についてのべよう。戦争に特有な不確実性のために、戦争で計画性を実現することは、他の事業で計画性を実現するよりもはるかに困難が多い。しかし、「およそ事は前もって準備すれば成り、準備せざれば成らず」で、事前の計画と準備がなければ、戦争の勝利をかちとることはできない。戦争には、絶対的な確実性はないが、ある程度の相対的な確実性がないわけではない。われわれの側のことは比較的確実である。敵側のことはきわめて不確実であるが、探索すべき兆候もあれば、察知すべきいとぐちもあり、思考に供すべき前後の現象もある。これがある程度の相対的確実性というものを構成しており、そこに戦争の計画性の客観的基礎がある。近代技術(有線電信、無線電信、飛行機、自動車、鉄道、汽船など)の発達が、さらに戦争の計画性をいっそう可能にしている。しかし、戦争には、かなり程度が低くて時間の短い確実性しかないので、戦争の計画性が完全かつ固定的であることはむずかしく、それは戦争の運動(または流動、推移)につれて運動し、また戦争の範囲の大小によって程度のちがいがうまれる。戦術計画、たとえば小兵団や小部隊の攻撃計画、または防御計画は、一日のうちに数回変えなければならないことがよくある。戦役計画、すなわち大兵団の行動計画は、だいたいにおいて、戦役の終局までつづくが、その戦役のなかで、計画の部分的な変更はよくあるし、全面的な変更もときにはある。戦略計画は、戦争する双方の全般的状況にもとづいてたてられるもので、固定の程度はより大きいが、やはり一定の戦略段階に適用されるだけであり、戦争が新しい段階に移れば変更する必要がある。戦術計画、戦役計画、および戦略計画を、それぞれその範囲とその状況に応じて確定し変更することは、戦争指揮の重要なかなめであり、戦争の弾力性を具体的に実行することでもあり、また実際的な運用の妙でもある。抗日戦争の各級の指揮員は、この点に心をくばるべきである。

 (八九)一部の人は、戦争の流動性を理由に、戦争の計画、または戦争の方針の相対的固定性を根本から否定し、そのような計画または方針は「機械的」なものだという。このような見解はあやまりである。前項でのべたように、戦争の状況はたんに相対的な確実性しかもたず、戦争は迅速に流動する(または運動し、推移する)ものであるから、戦争の計画または方針にも、相対的固定性しかあたえられず、状況の変化と戦争の流動にもとづいて、これを適時に変更または修正しなければならない、そうしなければ機械主義者になってしまう、このことをわれわれは完全に認めるものである。しかし、一定期間内の相対的に固定した戦争の計画または方針をけっして否定することはできない。この点を否定するならば、すべてを否定することになり、戦争そのもの、そういっている人自身までも、否定することになる。戦争の状況と行動にはいずれも相対的固定性があるので、それに応じてうまれる戦争の計画または方針にも、相対的固定性をあたえなければならない。たとえば、華北の戦争の状況と八路軍の分散作戦の行動には一定段階内での固定性があるので、この一定段階内では、「基本的には遊撃戦であるが、有利な条件のもとでの運動戦もゆるがせにしない」という八路軍の戦略的作戦方針に、相対的固定性をあたえることが、ぜひとも必要である。戦役方針は、さきにのべた戦略方針にくらべると、適用の期間がいくらか短いし、戦術方針はそれよりももっと短いが、しかし、どちらも一定期間の固定性はもっている。この点を否定したら、戦争はやりようがなく、あれでもなく、これでもないとか、あれでもよく、これでもよいという、まったく定見のない、戦争の相対主義になってしまう。たとえある一定期間内に適用される方針でも、それは流動するものであって、このような流動がなければ、その方針の廃止および他の方針の採用もありえないということは、だれも否定しない。しかし、この流動は制約のある流動、つまりこの方針を遂行する各種のことなった戦争行動の範囲内での流動であって、この方針の根本的性質の流動ではない、つまり質的な流動ではなくて、量的な流動である。このような根本的性質は、一定期間内はけっして流動するものではなく、われわれのいう一定期間内の相対的固定性とは、この点をさすのである。絶対的に流動している戦争全体の長い流れの過程には、それぞれの特定段階における相対的な固定性がある――これが戦争の計画または戦争の方針の根本的性質についてのわれわれの見解である。

 (九〇)戦略上の内線的持久的な防御戦と戦役上戦闘上の外線的速決的な進攻戦についてのべ、主動性、弾力性、計画性についてものべたので、われわれは、つぎのようにしめくくることができる。抗日戦争は計画的におこなわれるべきである。戦争の計画、すなわち戦略戦術を具体的に運用するにあたっては、戦争の状況に適応するようそれに弾力性をもたせなければならない。また、敵とわが方のあいだの形勢を改めるために、劣勢を優勢に変え、受動を主動に変えることをつねに心がけなければならない。そして、これらはすべて、戦役上戦闘上の外線的速決的な進攻戦にあらわれるし、同時にまた戦略上の内線的持久的な防御戦にもあらわれる。



運動戦、遊撃戦、陣地戦


 (九一)戦争内容としての戦略的内線、戦略的持久、戦略的防御のなかでの戦役上戦闘上の外線的速決的な進攻戦は、戦争形態のうえでは運動戦としてあらわれる。運動戦とは、正規兵団が長い戦線と広い戦区で戦役上戦闘上の外線的速決的な進攻戦をおこなう形態である。同時に、それはこの進攻戦遂行の便宜のために、ある必要な時機に遂行されるいわゆる「運動的な防御」をもふくむとともに、補助的役割をはたす陣地攻撃および陣地防御をもふくんでいる。運動戦の特徴は、正規兵団、戦役と戦闘での優勢な兵力、進攻性と流動性である。

 (九二)中国は国土が広く、兵員も多いが、軍隊の技術と訓練が不足している。敵は兵力が不足しているが、技術と訓練とは比較的すぐれている。こうした状況のもとでは、疑いもなく、進攻的な運動戦を主要な作戦形態とし、他の形態を補助として、全体としての運動戦を構成すべきである。このばあい、「後退するだけで前進しない」という逃走主義に反対しなければならないし、同時に「前進するだけで後退しない」という体当たり主義にも反対しなければならない。

 (九三)運動戦の特徴の一つは、その流動性であって、野戦軍の大幅の前進と後退がゆるされるばかりでなく、またそれが要求ざれる。しかし、これは韓復榘ハンフーチュイ流の逃走主義〔23〕とはなんの共通点もない。戦争の基本的要求は敵の消滅であり、もう一つの要求は自己の保存である。自己を保存する目的は敵を消滅することにあり、敵を消滅するのはまた自己を保存するもっとも効果的な手段である。したがって、運動戦はけっして韓復榘のたぐいの口実にはならないし、けっして後退運動だけで前進運動がないというものではない。そのような「運動」は、運動戦の基本となる進攻性を否定するもので、それを実行すれば、いくら中国が大きくても、「運動」しつぶされてしまうであろう。

 (九四)しかし、もう一つの考え、すなわち前進するだけで後退しない体当たり主義もまちがっている。われわれは戦役上戦闘上の外線的速決的な進攻戦を内容とする運動戦を主張するが、このなかには補助的役割をはたす陣地戦もふくまれるし、「運動的な防御」と退却もふくまれており、これらがなければ、運動戦は十分に遂行できない。体当たり主義は軍事上の近視眼であり、その根源は往々にして土地の喪失をおそれるところにある。体当たり主義者は運動戦の特徴の一つが流動性であって、野戦軍の大幅の前進と後退がゆるされるばかりでなく、またそれが要求されるということを知らないのである。積極面からいえば、敵を不利におとしいれ、わが方の作戦を有利にするためには、つねに、敵が運動中にあることが要求され、また、有利な地形、攻撃に通した敵情、情報を封ずることのできる住民、敵の疲労および不意など、わが方に有利な多くの条件が要求される。そのためには、敵の前進が要求されるのであり、一時的に一部の土地をうしなっても、惜しくはない。なぜなら、一時的、部分的な土地の喪失は、全面的、永久的な土地の保持と土地の回復の代価だからである。消極面からいえば、不利な地位においこまれ、軍事力の保存が根本から危うくなったばあいには、軍事力を保存して、新しい時機にふたたび敵に打撃をくわえるため大胆に退却すべきである。体当たり主義者はこの道理がわからず、決定的に不利な状況にあることがはっきりしているのに、なおも一都市、一地区の得失をあらそい、その結果は、都市も地区もうしなうだけでなく、軍事力さえも保存できなくなる。われわれがこれまで「敵を深く誘いいれる」ことを主張してきたのは、それが戦略的防御の立場にある弱軍が強軍と戦うもっとも効果的な軍事政策だからである。

 (九五)抗日戦争の作戦形態のうち、主要なものは運動戦であり、そのつぎには遊撃戦があげられる。われわれが戦争全体をつうじて運動戦が主要なものであり、遊撃戦は補助的なものであるというのは、戦争の運命を決するものが主として正規戦、なかでも運動戦であって、遊撃戦は戦争の運命を決する主要な責任をになうことができないということである。しかし、このことは、抗日戦争における遊撃戦の戦略的地位が重要でないという意味ではない。遊撃戦の補助がなくては、敵にうち勝つこともできないから、抗日戦争全体における遊撃戦の戦略的地位は、運動戦につぐにすぎない。それは、遊撃戦を運動戦に発展させるという戦略的任務をふくめてこういっているのである。長期の残酷な戦争のなかで、遊撃戦はもとの地位にとどまらず、それ自身を運動戦にたかめていくであろう。このように、遊撃戦の戦略的役割にはニつの面がある。一つは正規戦を補助すること、もう一つは自らをも正規戦に変えていくことである。中国の抗日戦争における遊撃戦の空前の広大さと空前の持久性という意義からいえば、その戦略的地位はなおさら軽視できないものである。したがって、中国では、遊撃戦そのものに、戦術問題だけでなく、特殊な戦略問題もふくまれている。この問題については、すでにわたしは『抗日遊撃戦争の戦略問題』のなかでのべておいた。さきにのべたように、抗日戦争の三つの戦略段階での作戦形態としては、第一段階では、運動戦が主要なもので、遊撃戦と陣地戦が補助的なものである。第二段階では、遊撃戦が主要な地位にのぼり、運動戦と陣地戦がこれを補助する。第三段階では、運動戦がふたたび主要な形態となり、陣地戦と遊撃戦がこれをたすける。しかし、この第三段階での運動戦は、もはやもとの正規車がすべてを担当するのではなく、もとの遊撃軍が遊撃戦を運動戦にまでたかめて、その一部、おそらく相当重要な一部を担当するであろう。三つの段階からみて、中国の抗日戦争での遊撃戦は、けっして、あってもなくてもよいものではない。それは人類の戦争史に、空前の偉大な一幕を演ずるであろう。こうした理由から、全国の数百万の正規軍のうち、少なくとも数十万を指定し、かれらを敵のあらゆる占領地区に分散させて、民衆を武装化させ、これに呼応して遊撃戦争をおこなわせることが、ぜひとも必要である。それに指定された軍隊は、自覚をもってこの神聖な任務をになうべきであり、大きな戦いをあまりしないため、一時は民族英雄らしくみえないところから、格がさがるかのように考えてはならない。これはあやまった考え方である。遊撃戦争は正規戦争のような迅速な成果と派手な名声はないが、「道遠くして馬の力を知り、事久しくして人の心を知る」といわれるように、長期の残酷な戦争のなかでその大きな威力をあらわすであろう。それはじつになみたいていな事業ではないのである。そのうえ、正規軍は分散して遊撃戦をおこなうが、集結すれば運動戦をおこなうこともできるのであって、八路軍はまさにそのようにしている。八路軍の方針は、「基本的には遊撃戦であるが、有利な条件のもとでの運動戦もゆるがせにしない」というものである。この方針はまったく正しく、この方針に反対する人びとの観点は正しくない。

 (九六)防御的、攻撃的な陣地戦は、中国の今日の技術的条件のもとでは、どちらも一般におこなうことのできないものであり、これはわれわれの弱さのあらわれでもある。そのうえ、敵は中国の土地が広いという点を利用して、われわれの陣地施設をよけるのである。したがって、陣地戦は重要な手段として採用できず、まして主要な手段として採用できないことはいうまでもない。しかし、戦争の第一、第二の二つの段階では、運動戦の範囲にふくまれていて、戦役作戦のうえで補助的役割をはたす局部的な陣地戦をおこなうことは、可能であり、必要でもある。一歩ごとに抵抗して敵を消耗させ時間的余裕をかちとるという目的で、半陣地戦的ないわゆる「運動的な防御」を採用するのは、なおさらのこと運動戦の必要な部分である。中国は、戦略的反攻の段階で十分に陣地攻撃の任務をはたせるよう、新式兵器の増加に努力すべきである。戦略的反攻の段階では、疑いもなく、陣地戦の地位はたかまるであろう。なぜなら、その段階では、敵は陣地を固守するであろうし、わが方としても運動戦に呼応する強力な陣地攻撃をおこなわなければ、失地回復の目的をたっすることができないからである。そうはいっても、第三段階では、われわれはやはり運動戦を戦争の主要な形態とするように努めなければならない。なぜなら、第一次世界大戦の中期以後における西ヨーロッパのような陣地戦となると、戦争の指導芸術と人間の積極性は、おおかた役にたたなくなってしまうからである。そして、広大な国土をもつ中国の領土内での戦いでは、相当長期にわたって、中国側には、依然として技術的に貧弱という事情がつづくので、「戦争を塹壕から解放する」ということがおのずからあらわれる。第三段階でも、中国の技術的条件は改善されるとはいえ、やはり敵をしのぐことができるとは限らず、したがって、どうしても、高度の運動戦に力をそそがなければ、最後の勝利の目的はたっせられない。このように、抗日戦争全体をつうじて、中国は陣地戦を主要な形態とすることはありえず、主要な、また重要な形態は運動戦と遊撃戦である。これらの戦争形態では、戦争の指導芸術と人間の積極性を十分に発揮する機会があたえられる。これはまたわれわれにとって不幸中の幸いでもある。



 消耗戦、殲滅戦


 (九七)まえにものべたように、戦争の本質すなわち戦争の目的は、自己を保存し、敵を消滅することである。そして、この目的をたっするための戦争形態には、連動戦、陣地戦、遊撃戦の三つがあるが、これが実現されたさいの効果に程度のちがいがあることから、一般的には、いわゆる消耗戦と殲滅戦の区別がある。

 (九八)まず第一に、抗日戦争は消耗戦であると同時に、殲滅戦でもあるといえる。なぜか。敵の強さの要素がまだ作用しており、敵の戦略上の優勢と主動性が依然として存在しているので、戦役上戦闘上の獺減戦をつうじなければ、効果的に迅速に敵の強さの要素を減殺し、敵の優勢と主動性をうちやぶることはできない。わが方の弱さの要素も依然として存在しており、戦略上の劣勢と受動性からまだぬけきっていないので、国内的、国際的な条件を強化し、自分の不利な状態を改める時間をかちとることも、戦役上戦闘上の殲滅戦をつうじなければ、できるものではない。したがって、戦役上の殲滅戦は、戦略上の消耗戦という目的をたっするための手段である。この点からいえば、殲滅戦はすなわち消耗戦である。中国が持久戦をおこなうことができるのは、殲滅で消耗をはかることを主要な手段とするからである。

 (九九)だが、戦略的消耗の目的をたっするものとしては、このほかに戦役上の消耗戦がある。だいたいにおいて、運動戦は殲滅の任務を遂行するもの、陣地戦は消耗の任務を遂行するもの、遊撃戦は消耗の任務を遂行すると同時に殲滅の任務をも遂行するものであって、この三者のあいだにはちがいがある。この点からいえば、殲滅戦は消耗戦と異なる。戦役上の消耗戦は補助的なものではあるが、やはり持久作戦に必要なものである。

 (一〇〇)理論上また必要上からいえば、中国は防御段階では、敵を大量に消耗させる戦略目的をたっするため、運動戦のもつ主要な殲滅性、遊撃戦のもつ部分的な殲滅性を利用し、それにくわえて、補助的性質の陣地戦のもつ主要な消耗性と、遊撃戦のもつ部分的な消耗性を利用すべきである。対特段階では、さらに、敵を大量に消耗させるため、遊撃戦と運動戦のもつ殲滅性と消耗性をひきつづき利用する。すべてこれらは、戦局を持久させ、しだいに敵とわが方の形勢を変化させて、反攻の条件を準備するためである。戦略的反攻のさいには、最終的に敵を駆逐するために、ひきつづき殲滅で消耗をはかるのである。

 (一〇一)だが、事実上、十ヵ月の経験では、いくたの、それどころか大多数の運動戦の戦役が消耗戦になってしまい、遊撃戦のもつべき殲滅の役割も、一部の地区では、まだそれにふさわしい程度にまでたっしなかった。このような状況の長所は、なにはともあれ、われわれが敵を消耗させたことであって、それは持久作戦と最後の勝利にとって意義があり、われわれの血はむだに流されたのではないということである。しかし、欠点は、一つには、敵を消耗させることが不十分であったこと、二つには、われわれ自身、消耗が比較的多く、戦利品が比較的少なくならざるをえなかったことである。このような状況の客観的原因、つまり敵とわが方の技術および兵員の訓練の程度の相異は認めるべきであるが、しかし、理論的にも、実際的にも、あらゆる有利なばあいに、主力軍はつとめて殲滅戦をおこなうべきことを、どうしても提唱しなければならない。遊撃隊は、破壊や攪乱などの多くの具体的任務を遂行するために、単純な消耗戦をおこなわなければならないとはいえ、やはり、敵を大量に消耗させしかも自己を大量に補充する目的をたっするよう、戦役上戦闘上のあらゆる有利なばあいの殲滅的な戦いを提唱し、その実行に努力すべきである。

 (一○二)外線的速決的な進攻戦のいわゆる外線、速決、進攻、そしてまた運動戦のいわゆる運動は、戦闘形態のうえでは、主として包囲と迂回の戦術をとるものであり、したがって優勢な兵力を集中しなくてはならない。だから、兵力を集中して、包囲迂回の戦術をとることは、運動戦、つまり外線的速決的な進攻戦を実行するのに必要な条件である。そして、すべてこれらは敵を殲滅するという目的のためである。

 (一○三)日本軍隊の長所は、その武器にあるばかりでなく、さらにその将兵の訓練――その組織性、過去に敗戦したことがないためにうまれた自信、天皇や神にたいする迷信、傲慢不遜ごうまんふそん、中国人にたいする蔑視などにある。これらの特徴は、日本軍閥の多年の武断的教育と日本の民族的慣習によってつくられたものである。わが軍は日本軍にきわめて多くの死傷者をださせたが、捕虜にしたのはきわめて少なかったという現象のおもな原因はここにある。この点については、これまで多くの人びとの評価は不十分であった。こうしたものをうちこわすには、長い過程が必要である。なによりもまずわれわれがこの特徴を重視し、そのうえで、辛抱強く、計画的に、政治、国際宣伝、日本人民の運動など多くの面から、この点にたいしてはたらきかける必要がある。そして軍事上の殲滅戦もその方法の一つである。ここで、悲観主義者はこの点をよりどころにして亡国論にもっていくだろうし、消極的な軍事家はまたこの点をよりどころにして殲滅戦に反対するだろう。これとは反対に、われわれのみるところ、日本軍隊のこのような長所はうちこわせるものであり、しかもうちこわされはじめている。うちこわす方法は、主として政治の面からかちとることである。日本の兵士にたいしては、その自尊心をきずつけるのではなくて、かれらの自尊心を理解し、それを正しくみちびくことであり、捕虜を寛大に取り扱うやり方からはじめて、日本の支配者の反人民的な侵略主義を理解できるようにかれらをみちびくことである。もう一つの面では、かれらのまえに、中国軍隊と中国人民の不屈の精神と英雄的な頑強な戦闘力をしめすこと、すなわち殲滅戦による打撃をあたえることである。作戦上からいえほ、十ヵ月の経験は殲滅が可能なことを立証しており、平型関、台児荘などの戦役がその明らかな証拠である。日本軍の士気は動揺をみせはじめ、兵士は戦争目的がわからず、中国軍隊と中国人民の包囲のなかにおちいって、突撃の勇気は中国兵よりはるかにおとっているなど、これらはみなわが方が殲滅戦をおこなうのに有利な客観的条件であり、これらの条件は戦争の持久にともない日ましに発展していくであろう。殲滅戦によって敵軍の気勢をそぐという点からいえば、殲滅はまた戦争の過程をちぢめ、日本の兵士と日本の人民を解放する時期をはやめる条件の一つでもある。世の中には、猫と猫が仲よしになることはあっても、猫と鼠が仲よしになるようなことはない。

 (一〇四)もう一つの面では、技術および兵員の訓練の程度のうえで、現在われわれが敵におよばないことを認めるべきである。したがって、最大限度の殲滅、たとえば全部または大部分を捕虜にすることは、多くのばあい、ことに平原地帯での戦闘では困難である。速勝論者のこの面での過大な要求もまちがっている。抗日戦争の正しい要求は、できるかぎりの殲滅戦をおこなうことでなければならない。有利なばあいにはすべて、一つ一つの戦いで優勢な兵力を集中して、包囲迂回の戦術をとる――その全部を包囲できなくてもその一部を包囲し、包囲した全部のものを捕虜にできなくても包囲したものの一部を捕虜にし、包囲したものの一部を捕虜にできなくても包囲したものの一部に大量の死傷者をださせる。しかし、殲滅戦をおこなうのに不利なばあいにはすべて、消耗戦をおこなう。前者のばあいには兵力集中の原則をもちい、後者のばあいには兵力分散の原則をもちいる。戦役上の指揮関係では、前者のばあいには集中的指揮の原則をもちい、後者のばあいには分散的指揮の原則をもちいる。これらが、とりもなおさず抗日戦争における戦場作戦の基本方針である。



敵のすきに乗ずる可能性


 (一〇五)敵にうち勝つことができる基礎は、敵の指揮の面にもある。むかしから、あやまりをおかさない将軍はない。ちょうどわれわれ自身も手落ちをさけがたいのと同様、利用される手落ちは敵にもあり、敵のすきに乗ずる可能性は存在する。戦略上戦役上からいえば、敵は十ヵ月の侵略戦争中に、すでに多くのあやまりをおかした。そのうち大きなものをあげると五つある。第一は、兵力を小出しにふやしたこと。これは敵の中国にたいする評価の不十分さからきたもので、またかれら自身の兵力不足という原因もある。敵は、従来われわれをみくびり、東北四省のことでうまい汁を吸ってから、さらに河北省東部、察哈爾チャーハール省北部をも占領したが、これらは敵の戦略的偵察とみることができよう。かれらのえた結論は、中国人はばらばらの砂だということであった。そこから、かれらは、中国は一撃にも値しないとおもいこみ、いわゆる「速決」の計画をたてて、わずかばかりの兵力をくりだし、われわれをおどかしてつぶそうとくわだてた。十ヵ月らい、中国がしめしたこれほど大きな団結とこれほど大きな抵抗力を、かれらは予想もしなかったし、中国がすでに進歩の時代にあること、中国にはすでに先進的な政党、先進的な軍隊および先進的な人民があることを念頭においていなかった。いよいよだめだとなると、十数コ師団からつぎつぎと小出しに三十コ師団に増兵した。さらに前進するには、もっと増兵しなければならない。しかし、ソ連との対立により、またかれらの人力、財力の先天的な不足によって、日本の最大の出兵数と最後の進攻点はどちらも一定の制約をうけざるをえない。第二は、主攻方向がないこと。台児荘戦役以前は、敵は華中、華北にだいたい兵力を均分しており、両者の内部でもそれぞれ兵力を均分していた。たとえば、華北では天津=浦口プーコウ鉄道、北京=漢□鉄道、大同=風陵渡鉄道の三路に兵力を均分していたが、各路とも死傷者を一部だし、占領地の駐屯守備に一部をさいたので、それ以上前進する兵力はなかった。台児荘の敗北後は、その教訓を総括して、主力を徐州方面に集中したので、このあやまりは、ひとまず一時的に改められた。第三は、戦略的協同がないこと。敵の華中、華北の両集団のうち、それぞれの集団内部にはだいたい協同があるが、両集団間には協同がきわめて少ない。天津=浦口鉄道の南部区間の部隊が小[虫+”邦の「へん」”]埠シァオパンプーを攻撃したさいには、北部区間の部隊は動かず、北部区間の部隊が台児荘を攻撃したさいには、南部区間の部隊が動かなかった。両方面ともに苦杯をなめたのち、陸軍大臣が視察にやってきたり、参謀総長が指揮のためにやってきたりして、ひとまず一時的には協調ができた。日本の地主・ブルジョア階級および軍閥の内部にはかなり深刻な矛盾があって、この矛盾は発展しつつあり、戦争における協同の欠如がその具体的なあらわれの一つである。第四は、戦略的時機を逸したこと。この点は南京ナンチン、太原両地占領後の停頓に顕著にあらわれているが、それは主として兵力が不足し、戦略的追撃隊がなかったからである。第五は、包囲は多いが殲滅が少ないこと。台児荘戦役以前には、敵は上海、南京、滄州ツァンチョウ保定パオティン南口ナンコウ忻口シンコウ臨汾リンフェンの諸戦役で、撃破は多かったが、捕虜と戦利品は少なく、ここに指揮のまずさがあらわれている。この五つの点――兵力を小出しにふやしたこと、主攻方向がないこと、戦略的協同がないこと、時機を逸したこと、包囲は多いが殲滅が少ないこと、これが台児荘戦役以前、日本の指揮のまずかった点である。台児荘戦役以後、多少は改められたが、その兵力の不足や内部矛盾の諸要素のため、あやまりをくり返すまいとしてもそれは不可能である。そのうえ、こちらで得れば、あちらでうしなうというありさまである。たとえば、華北の兵力を徐州に集中すると、華北の占領地には大きな空白が生じて、遊撃戦にぞんぶんに発展する機会をあたえることになった。以上は、敵が自分でしでかしたあやまりであって、われわれがあやまらせたのではない。わが方はなお、意識的に敵のあやまりをつくりだすこと、すなわち自己の聡明で効果的な行動によって、組織された民衆の掩護のもとに、敵に錯覚をおこさせ、敵をわれわれの土俵にひきいれることができる。たとえば、東を撃つとみせて西を撃つなどがそれであるが、こうしたことの可能性についてはまえにのべた。これらすべては、わが方の戦争の勝利が敵の指揮の面にもある種の根源を見いだせることを説明している。もちろん、われわれはこの点をわが方の戦略計画の重要な基礎とすべきではなく、反対に、わが方の計画はむしろ敵があまりあやまりをおかさないという仮定のうえに立てるべきであり、これこそたしかなやり方である。しかも、わが方が敵のすきに乗ずるとすれば、敵もわが方のすきに乗ずることができるわけで、敵に利用されるようなすきをできるだけあたえないことが、われわれの指揮の面での任務でもある。しかし、敵の指揮のあやまりは、事実上あったし、また今後もおこるであろうし、そのうえ、わが方の努力によってつくりだすこともできる。これらはいずれもわが方に利用できるもので、抗日の将軍たちは極力それをとらえるようにしなければならない。敵の戦略上戦役上の指揮にはまずいところが多いが、その戦闘の指揮、すなわち部隊の戦術や小兵団の戦術には、かなりすぐれたところがあり、この点についてはわれわれはかれらに学ぶべきである。



抗日戦争における決戦の問題


 (一〇六)抗日戦争における決戦の問題はつぎの三つにわけることができる。すなわち勝算のあるすべての戦役と戦闘では断固として決戦をおこなうべきこと、勝算のないすべての戦役と戦闘では決戦をさけるべきこと、国の運命をかける戦略的決戦は絶対にさけるべきことである。抗日戦争が他の多くの戦争と異なる特徴は、この決戦の問題にもあらわれている。第一、第二の段階では、敵が強くてわが方が弱いので、敵はわが方が主力を集中して敵と決戦することを要求する。これとは逆に、わが方の要求は、平型関、台児荘、その他の多くの戦闘のように、有利な条件をえらび、優勢な兵力を集中して、戦役上戦闘上の勝算のある決戦をおこない、彰徳チャントーなどの戦役でとられた方針のように、不利な条件のもとでの勝算のない決戦をさけることである。国の運命をかける戦略的決戦は断じておこなわない。最近の徐州撤退はその例である。こうして、敵は「速決」計画をやぶられ、われわれにひきずられて持久戦をおこなわざるをえなくなる。このような方針は、領土の狭い国ではとれないし、政治的にひどくおくれた国でもなかなかとれない。われわれは大国であり、そのうえ進歩の時代にあるので、これが実現できるのである。もし戦略的な決戦をさけたならば、「青山あるかぎり、たきぎに心配なく」、若干の土地をうしなっても、なお、広大な機動の余地があって、国内の進歩、国際的増援および敵の内部的崩壊をうながし、これを待つことができる。これが抗日戦争の上策である。せっかち病の速勝論者は、持久戦の苦難な道のりをたえぬくことができないで、連勝をくわだて、形勢がすこしでも好転してくると、すぐに戦略的決戦の声をはり上げるが、もしそのようにすれば、抗戦全体が大損害をこうむって、持久戦はそのために葬りさられ、まんまと敵の奸計にひっかかってしまう。これはまったく下策である。決戦しない以上、土地を放棄しなければならなくなることは疑問の余地がないが、さけることのできない状況のもとでは(またこのような状況のもとでだけ)、大胆に放棄するほかない。このような状況になったばあいには、いささかも未練をのこすべきでなく、これは土地を時間ととりかえる正しい政策である。歴史上では、ロシアは決戦をさけて、大胆に退却し、一世を風靡ふうびしたナポレオンにうち勝った〔24〕。現在、中国もまたそうすべきである。

 (一〇七)「無抵抗」と他人に非難されるのをおそれないのか。おそれない。全然戦わず、敵と妥協すること、これは無抵抗主義であって、非難すべきであるばかりか、まったくゆるせない。断固として抗戦するが、敵の奸計をさけ、わが軍の主力が敵の一撃のもとについえさって、抗戦の継続にひびくことがないようにするため、一言でいえば、亡国をさけるために、そうすることはぜひとも必要である。この点に疑いをさしはさむのは、戦争問題における近視眼であって、その結果はかならず亡国論者の仲間入りをすることになる。われわれが、「前進するだけで後退しない」という体当たり主義を批判したのは、このような体当たり主義が一般の風潮となれば、その結果は、抗戦の継続を不可能にし、最後には亡国にみちびく危険があるからである。

 (一〇八)われわれは、戦闘であろうと、大小の戦役であろうと、有利な条件のもとではすべて決戦をおこなうことを主張し、この点では、どのような消極性もゆるさない。敵を殲滅し、敵を消耗させる目的をたっするには、このような決戦をおこなう以外になく、抗日軍人はだれでもみな、断固としてそうしなければならない。この目的のためには、部分的な、かなり大量の犠牲が必要であり、どのような犠牲をもさけようとする観点は臆病者と恐日病患者の観点であって、それには断固として反対しなければならない。李服膺リーフーイン、韓復榘らの逃走主義者を死刑に処したが、それは正しかった。戦争において勇敢な犠牲、英雄的な前進の精神と行動を提唱することは、正しい作戦計画のもとでは絶対に必要なことであり、持久戦および最後の勝利ときりはなすことができない。われわれが「後退するだけで前進しない」という逃走主義をきびしく非難し、厳格な規律の励行を支持したのは、こうした正しい計画のもとでの英雄的決戦をおこなわないかぎり強敵にうち勝つことができないからであり、逃走主義は亡国論の直接の支持者だからである。

 (一〇九)さきに英雄的に戦っておいて、あとで土地を放棄するのは、自己矛盾ではないか。これらの英雄的な戦闘員の血は、むだに流されたことにならないか。これはまったく当をえない問題提起である。さきに飯をたべておいて、あとで便所にいくのでは、たべた飯がむだにならないか。さきに眠っておいて、あとで起きるのでは、眠ったのがむだにならないか。問題をこんなふうに提起できるであろうか。わたしはできないとおもう。飯をたべれはずっとたべつづけ、眠ればずっと眠りつづけ、英雄的に戦えばずっと鴨緑江の岸辺まで戦いつづけるというのは、主観主義と形式主義の幻想であって、実際生活には存在しない。だれでも知っているように、時間をかちとり、反攻を準備するために血を流して戦ったことによって、たとえ一部の土地の放棄はさけられなかったとしても、時間はかちとられ、敵を殲滅し、敵を消耗させる目的はたっせられ、わが方の戦闘経験はえられ、これまで立ちあがらなかった人民は立ちあがり、国際的地位はたかまった。このような血はむだに流されたのだろうか。少しもむだに流されたのではない。土地を放棄するのは軍事力を保存するためであり、またまさに土地を保存するためでもある。なぜなら、不利な条件のもとにありながら土地を部分的に放棄することをせず、勝算のまったくない決戦を盲目的にやるならば、その結果は、軍事力を喪失したのち、かならず、つづいて全部の土地を喪失し、失地回復どころの話ではなくなってしまうからである。資本家が商売をするには元手が必要で、すっかり破産してしまえば、もう資本家ではなくなる。ばくちうちにも元がいり、一か八か有り金を全部張ってしまって、運わるくあたらなければ、それ以上賭けようがなくなる。事物は思いどおりにまっすぐ進むものではなく、反復したり、曲折したりするものであり、戦争もこれとおなじであって、この道理に納得がいかないのは、形式主義者だけである。

 (一一〇)わたしの考えでは、戦略的反攻の段階での決戦においてもまたおなじである。そのときには、敵が劣勢で、わが方は優勢にたつが、やはり「有利な決戦をおこない、不利な決戦をさける」という原則が適用され、鴨緑江の岸辺に進撃していくまですべてそうである。このようにすれば、わが方は終始主動にたつことができるのであり、敵の「挑戦ちょうせん状」や、他の人の「けしかけの手」は、すべてたな上げにし、無視すべきで、すこしでもそれに動かされてはならない。抗日の将軍たちは、このような確固としたところがなければ、勇敢で聡明な将軍とはいえない。これは「れるとすぐびあがる」ような人間には、縁のないことである。第一段階では、わが方はある程度の戦略的受動にあるが、戦役のうえではすべて、主動にたつべきであり、その後のどの段階においても主動にたつべきである。われわれは、ばくちうちのような一か八か論者ではなく、持久論者であり、最後勝利論者である。



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