抗日遊撃戦争の戦略問題 (一九三八年五月)
抗日戦争の初期には、遊撃戦争の重大な戦略的役割を軽視し、正規戦争、とくに国民党軍隊の戦いにだけ希望をかけているものが、党内にも党外にもたくさんいた。毛沢東同志はこのような観点を論駁すると同時に、この論文を書いて、抗日遊撃戦争の発展の正しい道をさししめした。その結果、抗日の期間中、一九三七年にはわずか四万余人しかなかった八路軍と新四軍は、一九四五年の日本降伏のときまでに百万の大軍に発展し、たくさんの革命根拠地を創設して、抗日戦争のなかで偉大な役割をはたした。そのため、抗日の期間中、蒋介石は日本に投降することも全国的規模の内戦を引きおこすこともできなくなり、一九四六年蒋介石が全国的規模の内戦を引きおこしたときには、八路軍と新四軍によって編成された人民解放軍は、その進攻にたちむかう力をもつまでになっていた。
第一章 なぜ遊撃戦争の戦略問題を提起するのか
抗日戦争では、正規戦争が主要なもので、遊撃戦争は補助的なものである。この点については、われわれはすでに正しく解決している。それならば、遊撃戦争には戦術問題しかないのに、どうして戦略問題を提起するのか。
もしわが国が小国であって、遊撃戦争が正規軍の戦役的作戦で近距離の直接的な呼応の役割をいくらかはたすだけであるなら、もちろん戦術問題があるだけで戦略問題などはない。また、もし中国がソ連のように強大で、敵が侵入してきてもすぐにそれを追いだすことができるか、あるいはかなり時間がかかっても占領されている地区がひろくはなく、遊撃戦争がやはり戦役的呼応の役割しかはたさないなら、もちろん戦術問題があるだけで戦略問題などはない。
遊撃戦争の戦略問題はつぎのような状況のもとでうまれるのである。すなわち中国は小国でもなければソ連のような国でもなく、大きくて弱い国である。この大きくて弱い国が、他の小さくて強い国から攻撃をうけているが、しかし、この大きくて弱い国の方は進歩の時代にある。ここからすべての問題がうまれるのである。このような状況のもとでは、敵の占領地域は非常にひろいという現象がうまれ、戦争の長期性がうまれる。敵はわれわれのこの大国において非常にひろい地域を占領しているが、かれらの国は小国で、兵力が不足し、占領区に多くの空白地帯を残している。したがって、抗日遊撃戦争は主として、内線で正規軍の戦役的作戦に呼応するのではなく、外線で単独作戦をするのである。そのうえ中国が進歩していること、つまり共産党の指導する強固な軍隊と広範な人民大衆とが存在することによって、抗日遊撃戦争は小規模なものではなくて、大規模なものとなる。そこで、戦略的防御、戦略的進攻などという一連のものが発生する。戦争の長期性とそれにともなう残酷性によって、遊撃戦争では普通とちがったことをたくさんしなくてはならないことが規定されている。そこで根拠地の問題、運動戦へ発展する問題などもおきてくる。そこで、中国の抗日遊撃戦争は、戦術の範囲からとびだし、戦略の門をたたいて、遊撃戦争の問題を戦略的観点から考察することを要求する。とくに注意しなければならないのは、このような大規模な、また持久的な遊撃戦争は、全人類の戦争史においても、たいへん目あたらしいことがらだということである。このことは、時代が二〇世紀の三、四十年代にまですすんできているということと切りはなせないし、共産党および赤軍の存在と切りはなせないのであって、ここに問題の焦点がある。われわれの敵は、おそらくまだ元朝が宋朝を滅ぼし、清朝が明朝を滅ぼし、イギリスが北アメリカとインドを占領し、ラテン系の諸国が中南米を占領したときのような甘い夢をみているのであろう。そんな夢は、こんにちの中国ではもはや現実的な価値はない。なぜなら、こんにちの中国には、上述のような歴史にくらべていくつかのものがふえているからであり、遊撃戦争というたいへん目あたらしいものがその一つである。もしわれわれの敵がこの点をみおとすなら、ひどい目にあうにちがいない。
これが、抗日遊撃戦争は抗日戦争全体のなかで依然として補助的な地位にあるにもかかわらず、それを戦略的観点から考察しなければならない理由である。
では、なぜ抗日戦争の一般的戦略問題のなかのものを遊撃戦争に適用しないのか。
抗日遊撃戦争の戦略問題は、もともと抗日戦争全体の戦略問題と緊密につながっており、多くの点で両者は一致している。だが、遊撃戦争はまた正規戦争とはちがって、それ自身の特殊性をもっているので、遊撃戦争の戦略問題は、かなり多くの特殊なものをもっており、抗日戦争の一般的戦略問題のなかのものを、けっして特殊な状況のもとにある遊撃戦争にそのまま適用してはならない。
第二章 戦争の基本原則は自己を保存し敵を消滅することである
遊撃戦争の戦略問題を具体的にのべるまえに、戦争の基本問題についてのべなければならない。
あらゆる軍事行動の指導原則は、できるかぎり自己の力を保存し、敵の力を消滅するという基本原則にもとづいている。この原則は、革命戦争においては基本的な政治原則と直接につながっている。たとえば、中国の抗日戦争の基本的政治原則すなわち政治目的は、日本帝国主義を駆逐し、独立、自由、幸福の新中国を樹立することである。それを軍事の面で実行すれば、軍事力で祖国を防衛し、日本侵略者を駆逐するということになる。この目的をたっするため、軍隊自身としては、一万では自己の力をできるかぎり保存し、他方では敵の力をできるかぎり消滅するという行動をとる。戦争のなかで勇敢な犠牲を提唱することを、どう解釈したらよいか。どの戦争でも代価を、ときには非常に大きな代価を支払わなければならないが、これは「自己保存」と矛盾しないだろうか。じつは少しも矛盾しない。もう少し正確にいうならば、それはたがいに反しあいながら、たがいに成りたたせあっているのである。なぜなら、このような犠牲は、敵の消滅に必要であるばかりでなく、自己の保存にも必要である――部分的、一時的に「保存しない」 (犠牲になるか代価を支払う)ことは、全体的、永久的に保存するために必要だからである。この基本的な原則から、軍事行動全体を指導する一連のいわゆる原則がうまれてくる。射撃の原則(身体を隠蔽すること、火力を発揮すること、前者は自己を保存するためのもの、後者は敵を消滅するためのもの)から、戦略原則にいたるまでのすべてが、この基本原則の精神によってつらぬかれている。すべての技術的、戦術的、戦役的、戦略的な原則は、この基本原則を実行するときの条件である。自己を保存し、敵を消滅するという原則は、あらゆる軍事原則の根拠である。
第三章 抗日遊撃戦争の六つの具体的戦略問題
ここで、自己を保存し、敵を消滅するという目的をたっするには、抗日遊撃戦争の軍事行動で、どんな方針あるいは原則をとらなければならないかをみることにしよう。抗日戦争の(ひいては、あらゆる革命戦争の)遊撃隊は、一般に無から有に、小から大に発展するものであるから、自己を保存することのほかに、もう一つ自己を発展させるということがつけくわえられなければならない。したがって問題は、自己を保存または発展させ、敵を消滅するという目的をたっするには、どんな方針あるいは原則をとらなければならないかということである。
まとめていえば、主要な方針としてつぎの各項目がある。(一)防御戦中の進攻戦、持久戦中の速決戦、内線作戦中の外線作戦の主動的、弾力的、計画的実行。(二)正規戦争との呼応。(三)根拠地の樹立。(四)戦略的防御と戦略的進攻。(五)運動戦への発展。(六)正しい指揮関係。この六項目は、抗日遊撃戦争の全般的な戦略綱領であり、自己を保存し発展させ、敵を消滅し駆逐し、正規戦争と呼応して、最後の勝利をたたかいとるための必要な道である。
第四章 防御戦中の進攻戦、持久戦中の速決戦、内線作戦中の外線作戦の主動的、弾力的、計画的実行
ここで、またつぎの四点にわけてのべることができる。(一)防御と進攻、持久と速決、内線と外線の関係。(二)すべての行動で主動的地位にたつこと。(三)兵力の弾力的な使用。(四)すべての行動の計画性。
まず、第一の点についてのべよう。
抗日戦争全体は、日本侵略者が強国で進攻しており、われわれが弱国で防御していることによって、われわれの方が戦略的には防御戦と持久戦をとるということが規定されている。作戦線についていうならば、敵は外線作戦であり、われわれは内線作戦である。これが状況の一面である。だが、他の一面はまったく逆になっている。敵軍は強い(兵器、兵員のもっているいくつかの素質、その他のいくつかの条件で)が、その数は多くなく、わが軍は弱い(おなじく、たんに兵器、兵員のもっているいくつかの素質、その他のいくつかの条件で)が、その数は非常に多い。そのうえ、敵はわが国に侵入してきた異民族であり、われわれは自国で異民族の侵入に抵抗しているという条件がくわわることによって、つぎのような戦略方針が規定される。すなわち戦略上の防御戦のなかで戦役上戦闘上の進攻戦をとることができるし、またとらなければならないこと、戦略上の持久戦のなかで戦役上戦闘上の速決戦をとることができるし、またとらなければならないこと、戦略上の内線作戦のなかで戦役上戦闘上の外線作戦をとることができるし、またとらなければならないことである。これは、抗日戦争全体がとらなければならない戦略的方針である。正規戦争もそうであり、遊撃戦争もそうである。遊撃戦争のちがうところは、その程度または形態の問題だけである。遊撃戦争は、一般に襲撃の形態で進攻をおこなうのである。正規戦争でも襲撃戦をとるべきであるし、またとることができるが、敵の意表にでる程度は比較的小さい。遊撃戦では、速決性がつよく要求されるが、戦役と戦闘で敵を包囲する外線圏は小さい。これらが正規戦とちがう点である。
このことからもわかるように、遊撃隊の作戦では、できるだけ多くの兵力を集中し、秘密で神速な行動をとり、敵の意表に出て襲撃し、すみやかに戦闘をかたづけることが要求され、消極的防御を極力いましめ、時間の長びくのを極力いましめ、戦いにのぞんで兵力を分散させることを極力いましめなければならない。もちろん遊撃戦争では、戦略上に防御があるだけでなく、戦術上にも防御がある。戦闘にさいしての牽制と警戒の面、敵を消耗、疲労させるための、隘路、要害、河川、村落などにおける抵抗の配置、退却時の掩護部隊などはすべて、遊撃戦争における戦術上の防御の部分である。だが、遊撃戦争の基本方針は進攻的なものでなければならず、正規戦争とくらべて、その進攻性はいっそう大きい。しかも、その進攻はかならず奇襲でなければならず、これみよがしに、鳴り物入りで自己を暴露することは、正規戦以上にゆるされない。遊撃戦争でも、ある孤立無援の小部隊の敵を攻撃するときのように、数日にわたって戦闘を堅持するばあいがあるが、一般の作戦では、正規戦以上に戦闘をすみやかにかたづけることが要求される。これは敵が強くて味方が弱いという状況によって規定されているのである。遊撃戦争はもともと分散的なものであるから、いたるところにひろがる遊撃戦になるのである。しかも、攪乱、牽制、破壊および大衆活動などの多くの任務においては、みな兵力の分散を原則とする。しかし、一つの遊撃部隊あるいは遊撃兵団についてみれば、敵を消滅する任務を遂行するばあい、とくに敵の進攻をうちやぶるために努力するばあいには、やはりその主要な兵力を集中しなければならない。「大きな力を集中して、敵の小部分をうつ」ことは、やはり遊撃戦争の戦場での作戦原則の一つである。
このことからもわかるように、抗日戦争全体からみると、正規戦と遊撃戦における戦役上戦闘上の進攻戦を数多くつみかさねたばあい、つまり進攻戦において数多くの勝ちいくさをしたばあいにはじめて、戦略的防御の目的をたっして、最後に日本帝国主義にうち勝つことができる。戦役上戦闘上の速決戦を数多くつみかさねたばあい、つまり戦役上戦闘上の数多くの進攻戦で戦闘をすみやかにかたづけることによって勝利をおさめたばあいにはじめて、抗戦の力を強める時間をかせぐ一方、国際情勢の変化と敵の内部崩壊をうながし、それをまつという戦略的持久の目的をたっして、戦略的反攻をおこない、日本侵略者を中国から駆逐することができるのである。また、戦略的防御の時期であろうと戦略的反攻の時期であろうと、毎回の戦いで優勢な兵力を集中し、一律に戦役上戦闘上の外線作戦をとり、敵を包囲して消滅し、全部は包囲できないまでもその一部を包囲し、包囲した敵の全部は消滅できないまでもその一部を消滅し、包囲した敵を大量にいけどることはできないまでもそれを大量に殺傷する。このような殲滅戦をたくさんつみかさねたばあいにはじめて、敵と味方の形勢を逆転させ、敵の戦略的包囲すなわち敵の外線作戦の方針を根本からうちやぶり、最後に、国際的な力および日本人民の革命闘争と呼応して、共同で日本帝国主義を包囲攻撃し一挙にそれを消滅することができるのである。こうした結果は、主として正規戦によってえられるものであり、遊撃戦ではそれにつぐ成果しかあげられない。だが、たくさんの小さな勝利をつみかさねて大きな勝利にしていくことは、正規戦と遊撃戦に共通したものである。遊撃戦争が抗日の過程ではたす偉大な戦略的役割とは、この点をいうのである。
つぎに、遊撃戦争の主動性、弾力性、計画性の問題についてのべよう。
遊撃戦争の主動性とはなにか。
すべての戦争では、敵味方の双方が戦場、戦地、戦区、さらに戦争全体の主動権を懸命にうばいあうが、この主動権とは、軍隊の自由権のことである。軍隊が主動権をうしない、受動的地位においこまれると、その軍隊は自由でなくなり、消滅されるかうちやぶられるかの危険におちいる。もともと、戦略的な防御戦と内線作戦では主動権をかちとることはわりあいに困難であり、進攻的な外線作戦では主動権をかちとることはわりあいに容易である。だが、日本帝国主義には、兵力が不足しており、外国で戦っているという二つの基本的な弱点がある。そのうえ、中国の力にたいする評価の不足と日本軍閥の内部矛盾によって、多くの指揮上のあやまり、たとえば兵力を逐次投入していること、戦略的な協同が欠けていること、ある時期には主攻方向がないこと、一部の作戦では時機を逸すること、包囲しても殲滅できないことなどがうまれており、これが三番目の弱点だといえる。このように、兵力が不足している(国が小さいこと、人口がすくないこと、資源が不足していること、封建的な帝国主義であることなどがふくまれる)、外国で戦争している(戦争の帝国主義的性質と野蛮性などがふくまれる)、指揮がまずい、ということによって、日本軍閥は進攻戦と外線作戦という有利な地位にありながら、その主動権は日に日に弱まっている。日本は、いまのところ、まだ戦争を終わらせようとのぞんでもいなければ、終わらせることもできず、その戦略的進攻もまだ停止してはいないが、大勢のおもむくところ、その進攻には一定の限度があり、これは三つの弱点がうんだ必然の結果である。全中国を際限なく併呑することは不可能である。日本が完全に受動的地位にたつ日はいつかやってくるのであって、そのような状況が、現在すでにみえはじめている。中国の側は、戦争がはじまったころ、かなり受動的であったが、現在では、すでに経験をつみ、新しい運動戦の方針、すなわち戦役上戦闘上の進攻戦、速決戦および外線作戦の方針をとりつつあり、そのうえ、遊撃戦をいたろところでくりひろげる方針をとっているので、主動的な地位は日一日と確立されつつある。
遊撃戦争における主動権の問題は、いっそう重大な問題である。なぜなら、遊撃隊の多くは、無後方作戦の状態、敵が強く味方が弱い状態、経験に欠けている状態(これはあたらしくできた遊撃隊についていうのである)、不統一の状態など、きびしい環境におかれているからである。だが、遊撃戦争は主動権を確立することができるのであって、そのための主要な条件は、さきにのべた敵の三つの弱点をとらえることである。敵の兵力の不足(戦争全体からいって)につけいれば、遊撃隊は広大な活動地区をおもうぞんぶんたたかいとることができる。かれらが異民族で、極度に野蛮な政策を実行しているということにつけいれば、遊撃隊は何百何千万という人民の支持をおもうぞんぶんたたかいとることができる。かれらの指揮のまずさにつけいれば、遊撃隊は自分たちの聡明さをおもうぞんぶん発揮することができる。敵のもっているこれらすべての弱点は、正規軍もそれをとらえて敵にうち勝つ元手にしなければなるないが、遊撃隊は、とくにそれをとらえるよう心がけるべきである。遊撃隊自身の弱点は、闘争のなかでだんだんすくなくしていくことができる。そのうえ、その弱点が、ときにはかえって主動的地位をかちとるための条件となる。たとえば遊撃隊は弱小だからこそ、敵の後方で神出鬼没の活動をするのに有利であり、敵はそれをどうすることもできないのである。このような大きな自由は、膨大な正規軍ではえられるものではない。
敵が数路にわかれて包囲攻撃をかけてきたばあいには、遊撃隊の主動権は掌握しにくく、喪失しやすい。このようなばあい、判断と処置が不正確だと受動的になりやすく、したがって、敵の包囲攻撃をうちやぶることができなくなる。敵が守勢をとり、わが方が攻勢をとっているときにも、このような事情がおこる。だかち、主動権は正確な状況(敵味方双方の状況)の判断と正しい軍事的政治的処置からうまれてくるのである。客観状況に合致しない悲観的な判断や、それにともなう消極的な処置をするなら、疑いもなく主動権をうしない、自己を受動的地位におとしいれてしまう。だが同様に、客観状況に合致しないあまりにも楽観的な判断や、それにともなう冒険(不必要な冒険)的な処置をしたばあいも、主動権をうしない、ついには、悲観論者とおなじ道をあゆむことになる。主動権は、なにも天才がうまれつきもっているものではなく、聡明な指導者が客観状況を謙虚に研究し、正確に判断し、軍事的政治的行動を正しく処理することによってのみうまれるものである。したがって、それは既成のものではなく、意識的にたたかいとらなければならないものである。
判断と処置のあやまり、あるいは不可抗力の圧力によって、受動的地位においこまれてしまったばあい、このときの任務は、受動からぬけでるように努力することである。どのようにぬけでるかは、状況によってきめなければならない。多くのばあいは「立ち去る」ことが必要である。立ち去るということを上手にやるのが、遊撃隊の特徴である。立ち去るということは、受動をぬけでて主動をとりもどす主要な方法である。だが、方法はこれだけに限らない。往々にして、敵がもっとも得意になり味方がもっとも困難なときこそ、敵が不利になりはじめ味方が有利になりはじめるときである。往々にして、有利な状況と主動性の回復は「もうひとふんばり」の努力のなかからうまれるものである。
つぎに、弾力性についてのべよう。
弾力性とは、主動性の具体的なあらわれである。弾力的に兵力を使用することは、正規戦争よりも遊撃戦争の方がいっそう必要である。
弾力的な兵力の使用は、敵と味方の形勢を変え、主動的地位をたたかいとるもっとも重要な手段であるということを、遊撃戦争の指導者に理解させなければならない。遊撃戦争の特質から、兵力の使用は任務および敵情、地形、住民などの条件に応じて弾力的に変えていかなければならない。その主要な方法は兵力の分散的使用、集中的使用および転移である。遊撃戦争の指導者が遊撃隊を使用するばあいには、ちょうど漁師が投網をうつように、ひろげるともできれば、たぐりよせることもできなければならない。漁師が投網をうつときには、水の深さ、流れの速さ、障害物の有無をみなければならないが、遊撃隊を分散的に使用するばあいにも、状況がわからず、行動をあやまったために損失をうけることのないよう注意しなければならない。漁師が投網をたぐりよせるには、手綱をにぎっていなければなるないが、部隊を使用するにも、通信、連絡をたもつとともに、相当の主力を自己の手もとに保持していなければならない。漁をするにはつねに場所を変えなければならないが、遊撃隊のばあいもつねにその位置を変えなければならない。分散、集中および移動は、遊撃戦争において弾力的に兵力を使用する三つの方法である。
一般的にいって、遊撃隊の分散的使用、すなわち「一つにまとまっているものを細かくする」ことは、おおよそつぎのようないくつかの状況のもとに実行される。(一)敵が守勢をとっているので、当分のあいだ集中して戦う可能性がなく、敵にたいし正面からひろい範囲にわたって脅威をあたえるばあい、(二)敵の兵力の薄弱な地区で、いたるところ攪乱と破壊をおこなうばあい、(三)敵の包囲攻撃をうちやぶることができず、目標を小さくして敵から脱しようとするばあい、(四)地形あるいは給養の制約をうけるばあい、(五)広大な地区で民衆運動をおこなうばあい。だが、どんな状況にあろうとも、分散行動をとるばあいには、つぎのことに注意しなければならない。(一)適当な機動地区にやや大きな部分の兵力を保持しておき、絶対的な平均分散をしないこと。それは、一つには、おこりうる事変に対処しやすくし、二つには、分散して任務を遂行するさいの重心をもうけるためである。(二)分散した各部隊に明確な任務、行動の地区、行動の時期、集合の地点、連絡の方法などをしめすこと。
兵力の集中的使用、すなわち「細かくしたものを一つにまとめる」という方法は、その多くが、敵が進攻してきたさいこれを消滅するためにとられるが、敵が守勢をとっているさいに一部の駐止している敵を消滅するためにとられることもある。兵力の集中といっても、絶対的な集中ではなく、ある重要な方面に主力を集中してつかい、その他の方面には、牽制、攪乱、破壊などのため、あるいは民衆運動をおこなうために、一部の兵力をのこすかあるいは派遣するのである。
状況に応じて弾力的に兵力を分散させたり兵力を集中したりすることは遊撃戦争の主要な方法ではあるが、なお弾力的に兵力を転移(移動)させることも知っていなければならない。敵は自分にとって遊撃隊が大きな危険であると感じたときには、軍隊を派遣して弾圧するか、あるいは進攻をおこなう。したがって、遊撃隊は状況を考えなければならす、戦ってもよいときにはその地で戦うが、戦ってはならないときには時機を逸せず迅速に他の方向に転移すべきである。ときには、敵を各個撃破するため、たったいまここで敵を消滅したばかりでも、ただちに他の方向に転移して敵を消滅する。また、ここでは戦闘に不利だとみれば、ただちにその敵からはなれて他の方向に転移して、そちらで戦闘することもある。もし敵からの脅威がとくにきびしければ、遊撃部隊は一つのところに長くとどまるべきではなく、急流疾風のように迅速にその位置を移すべきである。兵力の転移は、一般に秘密に迅速におこなわなければならない。敵をあざむき、おびきよせ、まどわせるために、つねに巧妙な方法をとらなければならない。たとえば、東を撃つとみせて西を撃つとか、南にいくかとおもえは北にいくとか、攻撃をくわえるやいなやざっと引くとか、夜間に行動するとか、などがそれである。
分散、集中および転移の弾力性は、遊撃戦争における主動性の具体的なあらわれであり、しゃくし定規で、動きがにぶければ、かならず受動的地位におちいり、不必要な損失をこうむることになる。だが、指導者の聡明さは、弾力的な兵力の使用の重要さを理解することにあるのではなく、具体的な状況に応じてときを移さず兵力の分散、集中および転移を上手におこなうことにある。たくみに情勢を判断し、時機を選択するという、このような聡明さをもつことは、容易なことではなく、謙虚に研究し、考察と思索につとめる人でなければ、それを身につけることはできない。弾力性をもつことが盲動におちいらないためには、状況を慎重に考える必要がある。
最後に、計画性の問題についてのべよう。
遊撃戦争で勝利をおさめるには、計画性がなければならない。がむしゃらにやろうとする考え方は、遊撃戦争をもてあそぶにすぎないか、遊撃戦争の門外漢のすることである。遊撃区全体の行動にしても、単独の遊撃部隊または遊撃兵団の行動にしても、まえもって、できるかぎり厳密な計画をたてておかなくてはならない。これがあらゆる行動のための準備活動である。状況の掌握、任務の確定、兵力の配置、軍事教育と政治教育の実施、給養物資の調達、装備の整理および民衆の呼応などは、いずれも、指導者たちの綿密な考慮、着実な実行、実行の程度の点検活動などにふくまれなければならない。この条件がなかったなら、主動とか弾力とか進攻とかいうものは、なに一つ実現できない。もちろん、計画性は正規戦争の方が高度であって、遊撃戦争の条件のもとでは、それほど高度なものはゆるされず、もし遊撃戦争のなかで高度の厳密な計画をたてようとするなら、それはあやまりである。だが、客観条件のゆるす範囲で、できるかぎり厳密な計画をたてることは必要である。敵との闘争は遊びごとではないことを知っておかなければならない。
以上のべた点は、遊撃戦争の戦略原則の第一の問題――防御のなかの進攻戦、持久のなかの速決戦、内線作戦のなかの外線作戦を主動的、弾力的、計画的に遂行するということを説明したものである。これは遊撃戦争の戦略原則のもっとも中心的な問題である。この問題が解決されれば、遊撃戦争の勝利は軍事指導のうえで重要な保障をえたことになる。
ここではたくさんのことをのべたが、それらはすべて戦役上戦闘上の進攻をめぐる問題である。主動的地位は、進攻が勝利したのちでなければ、最後的にかちとることはできない。すべての進攻戦はまた、主動的に組織すべきであって、せまられておこなうようであってはならない。弾力的な兵力の使用も、進攻戦のためにという中心をめぐっておこなわれるし、計画性が必要なのも、主として進攻の勝利のためである。戦術上の防御手段は、進攻を直接または間接にたすけることをはなれては、少しも意義がない。速決とは進攻の時間についていい、外線とは進攻の範囲についていうのである。進攻は敵を消滅する唯一の手段であるとともに、自己を保存する主要な手段でもある。単純な防御と退却は、自己を保存するのに一時的、部分的な役割をはたすだけで、敵を消滅するにはまったく役にたたない。
この原則は、正規戦争も遊撃戦争も、基本的にはおなじで、ただ形態に程度のちがいがあるだけである。だが、遊撃戦争では、このちがいに注意することが重要であり、また必要である。この形態がちがっているからこそ、遊撃戦争の作戦方法は正規戦争の作戦方法と区別されるのであって、この形態のちがいを混同すれば、遊撃戦争は勝利をおさめることができない。
第五章 正規戦争との呼応
遊撃戦争の戦略問題の第二の問題は、正規戦争との呼応の問題である。つまり、遊撃戦争の具体的行動の性質にもとづいて、遊撃戦争と正規戦争との作戦上の関係をあきらかにすることである。この関係を認識することは、敵を効果的にうちやぶるうえで重要な意義がある。
遊撃戦争の正規戦争との呼応には、戦略上、戦役上、戦闘上の三種類がある。
遊撃戦争全体が、敵の後方で敵を弱め、敵を牽制し、敵の輸送を妨害する役割をはたすこと、全国の正規軍と全国の人民に精神的激励をあたえることなどは、いずれも戦略上で正規戦争に呼応するものである。たとえば東北三省の遊撃戦争のばあい、全国的抗日戦争がはじまるまでは、もちろん呼応の問題はおこらなかったが、抗日戦争がはじまってからは、呼応の意義がはっきりあらわれてきた。そこの遊撃隊が敵兵をひとりでも多くうち殺し、敵の弾丸を一発でも多く消耗させ、敵兵をひとりでも多く牽制して万里の長城以南に侵入させないようにすることは、抗日戦争全体にたいしてそれだけ力を増大させたことになる。また、敵軍と敵国の全体に精神上不利な影響をあたえ、わが軍とわが人民の全体に精神上よい影響をあたえるということは、だれの目にもあきらかである。北平=婦綏、北平=漢□《ハンコウ》、天津=浦口、大同=風陵渡、正定=太原、上海=杭州などの鉄道沿線で、遊撃戦争がはたしている戦略上の呼応の役割にいたっては、いっそうあきらかである。遊撃隊は、現在のように敵が戦略的進攻をおこなっているとき、正規軍と呼応して戦略的防御の役割をはたしているばかりでなく、また、敵が戦略的進攻を終わって占領地の保持に転じたとき、正規軍と呼応して敵の保持を妨害するばかりでなく、さらに、正規車が戦略的反攻をおこなうとき、正規軍と呼応して敵軍を撃退し、すべての失地を回復するであろう。遊撃戦争が戦略上ではたす偉大な呼応の役割は、けっして軽視してはならない。遊撃隊と正規軍の指導者たちは、その役割をはっきり認識しなければならない。
そればかりでなく、遊撃戦争にはまだ、戦役上の呼応の役割がある。たとえば、太原北方の忻口鎮の戦役のとき、雁門関南北の遊撃戦争が、大同==風陵渡鉄道、平型関の自動車道路、楊万口の自動車道路などを破壊して戦役上はたした呼応の役割は大きいものであった。また、敵が風陵渡を占領したのち、山西省のいたるところでおこなわれていた遊撃戦争(主として正規軍によっておこなわれた)が、陝西省の黄河西岸、河南省の黄河南岸の防御戦と呼応して戦役上はたした呼応の役割は、いっそう大きいものであった。さらに、敵が山東省南部を攻撃したとき、華北五省全体の遊撃戦争も、山東省南部のわが軍の戦役的作戦と呼応するうえで、相当な力を発揮した。こうした任務では、敵の後方にある遊撃根拠地の指導者や臨時に派遣された遊撃兵団の指導者はすべて、自己の兵力をうまく配置し、おのおのがその時その地の状況に応じた方法をとって、敵のもっとも危険を感じている点やその弱い点にたいして積極的に行動をおこし、これによって敵を弱め、敵を牽制し、敵の輸送を妨害し、また内線で戦役的作戦をしている各部隊の士気を鼓舞するという目的をたっするようにし、戦役的呼応の責任をはたさなければならない。各遊撃区あるいは各遊撃隊が、戦役作戦上の呼応を考えず、めいめいのことしかやらないなら、戦略作戦全体としては依然として呼応の役割をうしなっていないとしても、戦役作戦上の呼応がないため、戦略的呼応の意義はよわめられてしまう。この点は、すべての遊撃戦争の指導者のよく注意しなければならないことである。この目的をたっするには、比較的大きな遊撃部隊や遊撃兵団のすべてに無線電信を設置しておくことが、どうしても必要である。
最後に、戦闘上の呼応、すなわち戦場作戦での呼応は、内線戦場の近くにいるすべての遊撃隊の任務である。もちろん、これは、正規軍の近くにいる遊撃隊または臨時に正規軍から派遣された遊撃隊にかぎる。このようなばあい、遊撃隊は正規軍の指導者の指示にしたがって、通常、一部の敵の牽制、敵の輸送の妨害、敵情の偵察、道案内など、指定された任務を担当しなければならない。正規軍の指導者からの指示がないときでも、遊撃隊はすすんでこれらのことをしなければならない。見ていてもなにもしない、遊動もしなければ攻撃もしない、遊動はしても攻撃はしないというような態度があってはならない。
第六章 根拠地の樹立
抗日遊撃戦争の戦略問題の第三の問題は、根拠地樹立の問題である。この問題の必要性と重要性は、戦争の長期性と残酷性からくるものである。なぜなら、失地の回復は全国的な戦略的反攻のときを待たなければできないが、それまでは、敵の前線がわが国の中部にふかくくいこみ、それを縦断し、国土の半分ちかく、ひいては半分以上が敵におさえられて敵の後方になるからである。われわれは、そのように広大な被占領地区で遊撃戦争を広範に展開し、敵の後方も敵の前線に変えて、敵がその全占領地で戦争を停止できないようにしなければならない。われわれが戦略的反攻をおこない、失地を回復する日がくるまでは、敵の後方における遊撃戦争を堅持しなければならない。その時間ははっきり断定できないが、相当長いことは疑いない。これが戦争の長期性である。同時に、敵は占領地での利益を確保するため、かならず日ましにやっきになって遊撃戦争に対処し、とくに戦略的進攻を停止したのちは、遊撃隊に残酷な弾圧をくわえるにちがいない。このように、長期性のうえに残酷性がくわわるので、敵の後方における遊撃戦争は、根拠地なしにはもちこたえることができない。
遊撃戦争の根拠地とはなにか。それは、遊撃戦争が自己の戦略的任務を遂行し、自己の保存と拡大、敵の消滅と駆逐という目的をたっするための戦略的基地である。このような戦略的基地がなければ、あらゆる戦略的任務の遂行と戦争目的の達成はよりどころをうしなってしまう。敵の後方における遊撃戦争は、国の大後方からはなれているので、もともと無後方作戦がその特徴である。だが、遊撃戦争は、根拠地なしには長期間存続し、発展することができない。このような根拠地が、つまり遊撃戦争の後方である。
歴史上には、流賊主義的な農民戦争がたくさんあった①が、いずれも成功しなかった。交通および技術の進歩したこんにち、流賊主義で勝利をえようとすることは、なおさらなんの根拠もない幻想である。だが、流賊主義はこんにちの破産した農民のあいだになお存在しており、かれらの意識が遊撃戦争の指導者たちの頭に反映すると、根拠地を必要としない思想、あるいはそれを重視しない思想となる。したがって、遊撃戦争の指導者たちの頭から流賊主義をとりのぞくことが、根拠地樹立の方針を確立する前提である。根拠地を必要とするかどうか、根拠地を重視するかどうかの問題、いいかえると、根拠地思想と流賊主義思想との闘争の問題は、どんな遊撃戦争においてもうまれるものであり、抗日遊撃戦争においてもある程度まぬかれない。したがって、流賊主義との思想闘争は、欠くことのできない過程である。流賊主義を徹底的に克服し、根拠地樹立の方針を提起し、それを実行してこそ、長期間遊撃戦争をもちこたえるのに有利なのである。
根拠地の必要性と重要性をあきらかにしたが、つぎに、根拠地を樹立するさい、ぜひとも認識し、解決しなければならない問題がある。それらの問題とは、いくつかの種類の根拠地、遊撃区と根拠地、根拠地樹立の条件、根拠地の強化と発展、敵と味方のあいだのいくつかの種類の包囲である。
第一節 いくつかの種類の根拠地
抗日遊撃戦争の根拠地は、だいたい、山岳地帯、平原地帯および河川・湖沼・港湾・川股地帯の三つの種類をでない。
山岳地帯での根拠地の樹立が有利なことは、だれにもあきらかであり、長白山〔1〕、五台山〔2〕、太行山〔3〕、泰山〔4〕、燕山〔5〕、茅山〔6〕などで、すでにつくられているか、いまつくられつつあるか、これからつくられようとしている根拠地が、それである。これらの根拠地は、抗日遊撃戦争をもっとも長期間もちこたえていける場所であり、抗日戦争の重要なとりでである。われわれは、敵の後方にあるすべての山岳地帯にいって遊撃戦争をくりひろげるとともに、根拠地をうちたてなければならない。
平原地帯が山岳地帯よりいくらかおとることはもちろんだが、けっして、遊撃戦争をくりひろげることができないわけではないし、またどんな根拠地もつくれないというのでもない。河北省の平原、山東省の北部と西北部の平原では、すでに広い地域にわたって遊撃戦争をくりひろげており、これは平原地帯で遊撃戦争をくりひろげることができる証拠である。平原地帯でも、長期間もちこたえられる根拠地を樹立することができるかどうかは、現在のところ、まだ証明されていない。だが、臨時的な根拠地の樹立、小部隊の根拠地または季節的な根拠地の樹立については、前者は現在すでに証明されているが、後者も可能だというべきである。なぜなら、一方では、敵は配置する兵力に不足し、また、かつてない野蛮な政策を実行しているということ、他方では、中国には広大な土地があり、また抗日の人民がたくさんいるということ、これらのことが平原地帯に遊撃戦争をくりひろげ、また臨時の根拠地をうちたてることのできる客観的な条件をあたえている。もしそのうえに、指揮の適切という条件がくわわれば、小部隊の、固定しない、長期の根拠地をうちたてることも当然可能だというべきである〔7〕。だいたい、敵がその戦略的進攻を終わり、占領地の保持の段階にうつってくると、遊撃戦争のすべての根拠地にたいする残酷な進攻がはじまるのは疑いのないことで、平原の遊撃根拠地は、おのずから、まっさきにその矢面にたたされる。そうしたとき、平原地帯で活動している大きな遊撃兵団は、もとのところで長期間作戦をもちこたえることができなくなり、状況に応じて、だんだん山岳地帯に転移していかなければならない。たとえば、河北平原から五台山と大行山に転移し、山東平原から泰山と膠東半島に転移するというようにする。だが、多くの小さな遊撃部隊を保持し、それらを広大な平原の各県に分散させて、流動作戦の方法、つまりときにはこちら、ときにはあちらという根拠地引っ越しの方法をとることは、民族戦争という条件のもとでは、可能性がないといえない。夏には見渡すかぎりのこうりゃん畑、冬には河川の結氷を利用する季節的な遊撃戦争となると、疑いもなく可能である。敵は現在手がまわりかねており、将来手がまわるにしても十分にゆきとどかないという条件のもとで、われわれが、現在は、平原の遊撃戦争を広範に展開し、臨時の根拠地を樹立するという方針、将来は、小部隊の遊撃戦争、すくなくとも季節的な遊撃戦争を堅持し、固定しない根拠地を樹立するという方針を確定することは、ぜひとも必要である。
河川・湖沼・港湾・川股をよりどころにして遊撃戦争をくりひろげ、また根拠地を樹立する可能性は、客観的にいうと、山岳地帯よりやや小さいが、平原地帯よりは大きい。歴史上のいわゆる「海賊」や「水賊」は無数の武勇劇を演じており、赤軍時代の洪湖の遊撃戦争は数年もの長いあいだもちこたえられたが、これらは河川・湖沼・港湾・川股地帯で遊撃戦争をくりひろげ、また根拠地を樹立することのできる証拠である。だが、抗日の各政党や抗日の人民は、いまになってもこの方面にあまり注目していない。まだ主体的条件がそなわっていないとはいえ、それに注目すべきであり、またそれを実行にうつすべきであるということは疑いがない。長江北部の洪沢湖地帯、長江南部の太湖地帯、大きな川や海岸にそった敵の占領地区にあるすべての港湾・川股地帯では、遊撃戦争を十分に組織し、河川・湖沼・港湾・川股およびその付近に恒久的な根拠地を樹立して、遊撃戦争を全国にくりひろげていく一つの方面とすべきである。この方面が欠けていることは、敵に水上交通の便をあたえるのと同じで、抗日戦争の戦略計画の一つの欠陥であり、すみやかにおぎなうべきである。
第二節 遊撃区と根拠地
敵の後方で作戦する遊撃戦争にとって、遊撃区と根拠地にはちがいがある。周囲はすでに敵に占領され、なかはまだ占領されていないかあるいは占領されたがまた奪回したという地区――五台山地区(山西・察哈爾・河北辺区)のいくつかの県がそれであり、大行山地区と泰山地区にもそのような状況がある――こうした地区はいずれも既成の根拠地であって、遊撃隊がそこをよりどころにして遊撃戦争をくりひろげるのにたいへん都合がよい。だが、これらの地区のその他のところ、たとえば五台山地区の東部と北部すなわち河北省西部と察哈爾省南部のある部分、および保定以東・滄州以西一帯の多くの地方は、そうではない。そこでは、遊撃戦争のはじめの時期には、まだその地方を完全には占領することができず、たびたび遊撃しにいくだけで、遊撃隊がいくと遊撃隊のものになるが、遊撃隊が去ってしまうとまたかいらい政権のものになる。このような地区はまだ遊撃戦争の根拠地ではなくて、いわゆる遊撃区である。このような遊撃区は、多数の敵の消滅または撃破、かいらい政権の粉砕、民衆の積極性の発揚、民衆の抗日団体の結成、民衆の武装組織の拡大、抗日政権の樹立などといった遊撃戦争の必要な過程をへて、根拠地に転化するのである。これらの根拠地をまえからある根拠地にくわえることを、根拠地を発展させるというのである。
あるところの遊撃戦争は、その活動地区全体が、はじめのうち遊撃区であった。たとえば河北省東部の遊撃戦争がそうである。そこには、すでに長期にわたってかいらい政権が存在しており、その地方で蜂起した民衆武装組織と五台山から派遣された遊撃支隊は、その活動地区全体が、はじめのうち遊撃区であった。かれらが活動をはじめたときには、この地区内によい地点をえらんで臨時の後方とするほかなかった。これが臨時の根拠地ともよばれるものである。敵を消滅し、民衆を立ちあがらせる活動を展開したのちでなければ、遊撃区の状態をなくして、比較的安定した根拠地にすることはできない。
このことからもわかるように、遊撃区から根拠地になるのは、困難な創造の過程であり、遊撃区がすでに根拠地の段階にうつったかどうかは、敵を消滅し、民衆を立ちあがらせた程度いかんによってきまる。
多くの地区は、長期にわたって遊撃区の状態がつづくだろう。そこでは、敵は懸命にその支配につとめてはいるが、安定したかいらい政権を樹立することができず、われわれも懸命に遊撃戦争の発展につとめてはいるが、抗日政権樹立の目的をたっすることができない。たとえば、敵の占領している鉄道沿線、大都市の近郊地区、一部の平原地区がそうである。
敵が強大な力でおさえている大都市、鉄道駅および一部の平原地帯になると、遊撃戦争は、その付近にまで近づくことができるだけで、そのなかに侵入することはできず、そこには比較的安定したかいらい政権がつくられている。これがもう一つの状況である。
われわれの指導のあやまりかあるいは敵の強大な圧力によって、さきにのべたような状況に反対の変化がおこる、つまり根拠地が遊撃区となり、遊撃区が敵の比較的安定した占領地になることがある。このような状況のうまれる可能性があるから、遊撃戦争の指導者たちはとくに警戒する必要がある。
したがって、敵の占領している全地区は、遊撃戦争および敵味方双方の闘争の結果、つぎの三種類の地区に変わる。第一はわが方の遊撃部隊とわが方の政権に掌握されている抗日根拠地、第二は日本帝国主義とかいらい政権に掌握されている被占領地、第三は双方で争奪しあう中間地帯、すなわち遊撃区といわれるもの。遊撃戦争の指導者の責務は、第一と第三の地区を極力拡大し、第二の地区を極力縮小することである。これが遊撃戦争の戦略的任務である。
第三節 根拠地樹立の条件
根拠地樹立の基本的条件は、抗日の武装部隊をもっとともに、この部隊をつかって敵にうち勝ち、民衆を立ちあがらせることである。だから、根拠地を樹立する問題は、なによりもまず武装部隊の問題である。遊撃戦争に従事している指導者たちは、全精力をそそいで一つないしたくさんの遊撃部隊を創設し、闘争のなかでそれをしだいに遊撃兵団に発展させ、さらに正規の部隊および正規の兵団に発展させなければならない。武装部隊を創設することは、根拠地を樹立するもっとも基本的な環であり、これがないか、あっても無力であるなら、なに一つできるものではない。これが第一の条件である。
根拠地の樹立と切りはなすことのできない第二の条件は、武装部隊をつかい、民衆と呼応して敵にうち勝つことである。敵におさえられているところはすべて、敵の根拠地であって、遊撃戦争の根拠地ではない。敵の根拠地を遊撃戦争の根拠地に変えることは、敵にうち勝たないかぎり実現できるものではなく、これは自明の理である。遊撃戦争でおきえているところでも、敵の進攻を粉砕せず、敵にうち勝たなかったら、それが敵のおさえるところに変わり、根拠地を樹立することもできない。
根拠地の樹立と切りはなすことのできない第三の条件は、武装部隊の力をふくむあらゆる力をあげて、民衆を抗日闘争に立ちあがらせることである。このような闘争をつうじて人民を武装化しなければならない。すなわち自衛軍や遊撃隊を組織しなければならない。このような闘争をつうじて民衆団体を組織しなければならない。労働者、農民、青年、婦人、児童、商人、自由職業者などのすべてを、かれらの政治的自覚と闘争意欲のもりあがりの程度に応じて、必要な抗日諸団体のなかに組織するとともに、それらの団体をしだいに拡大しなければならない。民衆は、組織されなければ抗日の力を発揮することはできない。このような闘争をつうじて、公然たる、あるいは潜伏している民族裏切り者を一掃しなければならない。そのことをなしとげるにも、民衆の力にたよる以外にない。とくに重要なことは、このような闘争のなかで、民衆を動員して、その地方の抗日政権を樹立し、または強化することである。もとからの中国の政権がまだ敵に破壊されていないところでは、広範な民衆の支持を基礎としてそれを改造し強化する。もとからの中国の政権がすでに敵に破壊されたところでは、広範な民衆の努力を基礎としてそれを回復する。この政権は、抗日民族統一戦線政策を実行するものであり、すべての人民の力を結集して、唯一の敵日本帝国主義とその手先民族裏切り者、反動派と闘争しなければならない。
すべての遊撃戦争の根拠地は、抗日の武装部隊をつくり、敵にうち勝ち、民衆を立ちあがらせるという三つの基本的な条件がしだいにととのってきたのちにはじめて、ほんとうに樹立されるのである。
このほかに、なお指摘しなければならないのは、地理的、経済的条件である。地理的条件の問題は「いくつかの種類の根拠地」について説明したとき、二つのちがった状況を指摘しておいたので、ここではただ主要な要求、つまり地区の広大さということだけをのべよう。四方あるいは三方を敵に包囲されているなかで、長期間もちこたえる根拠地を樹立するには、もちろん、山岳地帯がもっとも条件にめぐまれているが、主要なことは遊撃隊の機動する余地、つまり広大な地区がなければならないということである。広大な地区という条件があれば、平原地帯でも遊撃戦争をくりひろげ、もちこたえることができる。河川・湖沼・港湾・川股地帯なら、なおさらいうまでもない。中国は領土が広く、敵は兵力が不足しているので、中国の遊撃戦争には、一般にこの条件がそなわっている。遊撃戦争の可能性からいうなら、それは一つの重要な条件であり、いちばん重要な条件でさえある。小国、たとえばベルギーなどの国には、こういう条件がないので、遊撃戦争の可能性はきわめてすくなく、皆無でさえある。ところが中国では、この条件は、これからたたかいとる条件でもなければこれから解決する問題でもなく、自然にそなわっていて利用しさえすればよいのである。
経済的条件は、自然の面からみれば、地理的条件と同じような性質をもっている。いま論議しているのは、敵の後方に根拠地を樹立することであって、砂漠のなかに根拠地を樹立することではない。砂漠には敵などいない。敵がやってくることのできるところなら、もちろん、もとから中国人がいて、もともと食っていける経済的基礎があるから、根拠地樹立の面では、経済的条件を選択する問題はおこらない。中国人がいて敵もいるというところなら、その経済的条件のいかんをとわず、できるかぎり遊撃戦争をくりひろげるとともに、永久的な、あるいは臨時的な根拠地を樹立しなければならない。しかし、政治の面からみるとそうではなくて、問題が存在している。それは経済政策の問題であって、根拠地を樹立するうえで重大性をおびている。遊撃戦争の根拠地での経済政策としては、合理的な負担と商業の保護という抗日民族統一戦線の原則を実施しなければならない。地元の政権と遊撃隊はけっしてこの原則をやぶってはならず、さもないと根拠地の樹立および遊撃戦争の堅持に影響してくる。合理的な負担とは「金のあるものは金をだす」ことを実行することであるが、農民もまた一定量の食糧を遊撃隊に提供しなければならない。商業の保護では、遊撃隊の厳格な規律をつらぬくべきで、確実な証拠のあがった民族裏切り者のほかは、商店一軒でも勝手に没収してはならない。これは困難なことであるが、実行しなければならない確固とした政策である。
第四節 根拠地の強化と発展
中国に侵入してきた敵を少数の拠点、つまり大都市と交通幹線のなかにとりかこんでおくため、各根拠地の遊撃戦争を極力その根拠地の周辺にむけて発展させ、敵のあらゆる拠点に肉薄して、その生存に脅威をあたえ、士気を阻喪させなければならない。それは、とりもなおさす遊撃戦争の根拠地を発展させることになり、きわめて必要なことである。ここでは、遊撃戦争における保守主義に反対しなければならない。保守主義は、それが安逸をむさぼることからうまれたものであろうと、敵の力を過大に評価することからうまれたものであろうと、いずれも抗日戦争に損失をもたらし、また、遊撃戦争とその根拠地自身にとっても不利である。他方、根拠地の強化をわすれてはならず、そのための主要な活動は、民衆を動員し、民衆を組織し、遊撃部隊と地方武装組織を訓練することである。このような強化は、長期の戦争をもちこたえていくためにも、また発展させていくためにも必要であって、強化しなければ有力に発展させていくことはできない。発展させるばかりで強化をわすれた遊撃戦争は、敵の進攻にたえることができず、その結果、発展できないばかりか、根拠地そのものも危うくするおそれがある。正しい方針は、強化しながら発展させていくことであり、それは進んでは攻め、退いては守ることのできるよい方法である。長期の戦争である以上、根拠地の強化と発展という問題はそれぞれの遊撃隊がつねにぶつかる問題である。具体的に解決するときには、状況に応じてきめなければならない。ある時期には、その重点を発展の面におくが、それは遊撃区を拡大し、遊撃隊を増大する活動である。他の時期には、重点を強化の面におくが、それは民衆を組織し、部隊を訓練する活動である。この二つのものは性質が異なっており、その軍事上の措置と活動の段どりもそれに応じてちがってくるので、状況に応じ、時期によって、重点のおきどころをかえなければ、この問題をうまく解決することはできない。
第五節 敵と時方のあいだのいくつかの種類の包囲
抗日戦争全体からみると、敵が戦略的進攻と外線作戦をとり、わが方が戦略的防御と内線作戦の地位におかれていることによって、疑いもなく、わが方は敵の戦略的包囲のなかにある。これは敵のわが方にたいする第一種の包囲である。わが方が量的に優勢な兵力をもって、外線から数路にわかれて前進してくる敵にたいし、戦役上戦闘上の進攻と外線作戦の方針をとることによって、各路にわかれて進んでくる一つ一つの敵はわが方の包囲下におかれる。これはわが方の敵にたいする第一種の包囲である。つぎに、敵の後方にある遊撃戦争の根拠地についてみると、孤立した一つ一つの根拠地は、四方または三方を敵に包囲されている。前者は五台山地区、後者は山西省西北地区がその例である。これは、敵のわが方にたいする第二種の包囲である。だが、各根拠地をつないでみれば、また遊撃戦争のそれぞれの根拠地と正規軍の戦線とをつないでみれば、わが方も多くの敵を包囲している。たとえば、山西省では、わが方は大同=風陵渡鉄道を三方(鉄道の東西両側および南端)から包囲し、太原市を四方から包囲している。河北省、山東省などにも、このような包囲がたくさんみられる。これは、わが方の敵にたいする第二種の包囲である。敵もわが方も、それぞれ相手にたいして二種類の包囲をおこなっており、それはだいたい、碁〔8〕をうつようなもので、敵のわが方にたいする、またわが方の敵にたいする戦役上戦闘上の作戦は石のとりあいに似ており、敵の拠点とわが方の遊撃根拠地はちょうど目のようなものである。この「目をつくる」ということに、敵の後方にある遊撃戦争の根拠地のもつ戦略的役割の重大さがしめされている。この問題を抗日戦争にもってくると、それは、一方では全国の軍事当局が、また他方では各地の遊撃戦争の指導者たちが、敵の後方で遊撃戦争をくりひろげ、またあらゆる可能なところで根拠地を樹立するという任務を、その議事日程にのぼせ、戦略的任務として遂行しなければならない、ということである。もしわれわれが、外交上で太平洋反日戦線を結成して、中国をその一つの戦略単位とし、またソ連およびその他の参加可能な国ぐにをそれぞれ一つの戦略単位とすることができるならば、われわれは、敵よりも包囲をもう一重ふやし、太平洋での外線作戦を形成して、ファッショ日本を包囲討伐することができるのである。もちろんこの点はいまのところまだ実践的意義をもたないが、そういう前途がないわけではない。
第七章 遊撃戦争の戦略的防御と戦略的進攻
遊撃戦争の戦略問題の第四の問題は、遊撃戦争の戦略的防御と戦略的進攻の問題である。これは、第一の問題のなかでのべた進攻戦の方針を、抗日遊撃戦争が防御態勢または進攻態勢にあるときどのように具体的に応用するかという問題である。
全国的な戦略的防御と戦略的進攻(正確にいえば、戦略的反攻)のなかでは、遊撃戦争の一つ一つの根拠地でも、またその周囲でも、やはり小規模な戦略的防御と戦略的進攻とがある。前者は敵が攻勢をとり、わが方が守勢をとっているときの戦略的情勢と戦略的方針であり、後者は敵が守勢をとり、わが方が攻勢をとっているときの戦略的情勢と戦略的方針である。
第一節 遊撃戦争の戦略的防御
遊撃戦争がすでにおこり、そして、それが相当発展したのち、とくに敵がわが全国にたいする戦略的進攻を停止し、占領地を保持する方針をとったときには、遊撃戦争の根拠地にたいする敵の進攻は必至である。この必然性を認識することは必要であって、さもなければ、遊撃戦争の指導者たちは全然用意がなく、ひとたび敵からきびしい進攻をうける情勢に直面すると、かならずあわてふためき、敵にうちやぶられてしまう。
敵は遊撃戦争とその根拠地を消滅するという目的をたっするため、よく包囲攻撃の方法をとる。たとえば、五台山地区はすでに四、五回もいわゆる「討伐」をうけており、敵は毎回、三路、四路ないし六路、七路に兵力を配置し、同時に計画的に前進してくる。遊撃戦争の発展規模が大きくなればなるほど、その根拠地のおかれている地位が重要になればなるほど、敵の戦略基地と交通要路への脅威が大きくなればなるほど、遊撃戦争とその根拠地にたいする敵の進攻もますますはげしくなっていく。したがって、遊撃戦争にたいする敵の進攻がはげしければはげしいほど、そこの遊撃戦争はそれだけ成果をあげており、正規戦争にたいする呼応の役割もそれだけ大きいということが証明される。
敵が数路から包囲攻撃をくわえている状況のもとでは、遊撃戦争の方針は、反包囲攻撃の形態をとって、その包囲攻撃をうちやぶることである。もし、敵が数路から前進してきても、その一路一路の部隊は、大きいにせよ小さいにせよただ一つだけで、後続部隊もなく、沿道に兵力を配置したり、堡塁を構築したり、自動車道路を修築したりすることができないという状態にあるならば、このような包囲攻撃をうちやぶることはたやすい。このときには、敵は進攻と外線作戦で、わが方は防御と内線作戦である。わが方の部署は、副次的な兵力をもって敵の数路を牽制する一方、主要な兵力をもって敵の一路に対処し、戦役上戦闘上の襲撃戦法(主として伏兵戦)をとり、敬が行動しているときにそれを襲撃することである。敵は強くても、何回も襲撃をうければ弱まり、往々にして中途で撤退するが、このとき、遊撃隊はまた、敵を追撃しながら襲撃をつづけて、さらにかれらを弱めることができる。敵がまだ進攻を停止しないか、あるいは退却しないときには、かれらはいつも根拠地内の県都やその他の町を占拠するので、わが方はこれらの県都やその他の町を包囲して、その食糧供給源と交通連絡を断ちきるべきであり、敵がどうにももちこたえられなくなって後退したとき、その機に乗じてこれを追撃する。一路の敵をうちやぶってから、さらに兵力を転移して他の路の敵をうちやぶる。こうして、敵の包囲攻撃を各個撃破していく。
たとえば五台山地区のように、大きな根拠地では、一つの「軍区」が四つか五つ、あるいはそれ以上の「軍分区」にわかれ、各軍分区ごとにそれぞれ独立して作戦する武装部隊がある。そこでは、上述の作戦方法によって、しばしば、同時にあるいはあい前後して、敵の進攻をうちやぶったのである。
反包囲攻撃の作戦計画では、わが方の主力は、一般に内線におかれる。だが、兵力に十分ゆとりのある条件のもとでは、副次的な力(たとえば県や区の遊撃隊、ないしは主力から分遣された一部の部隊)を外線につかい、そこで敵の交通線を破壊し、敵の増援部隊を牽制することが必要である。もし敵が根拠地内に長くとどまって去ろうとしないなら、わが方は上述の方法を逆につかう。すなわち一部の兵力を根拠地内にのこしてその敵をとりかこむ一方、主力を用いて数がもといた地方一帯を攻撃し、そこで大いに活動させ、いままで長くとどまっていた敵がわが主力を攻撃するためそこを出ていくようにしむける。これが、「魏を囲んで、趙を救う」〔9〕というやり方である。
反包囲攻撃の戦いでは、その地の人民の抗日自衛軍とすべての民衆組織は、みな立ちあがって戦争に参加し、さまざまな方法でわが軍をたすけ、敵とたたかうべきである。敵とたたかう活動のなかでは、地方の戒厳とできる範囲の竪壁清野という二つのことが重要である。前者は民族裏切り者を弾圧し、敵に情報を入手させないためであり、後者は戦いをたすけ(竪壁)、敵に食糧を入手させない(清野)ためである。ここでいっている清野とは、穀物がみのるころ、早めに刈り入れるという意味である。
敵は退却するさい、遊撃戦争の根拠地を破壊する目的で、しばしば、それまで占拠していた県都の家屋や沿道の村に火をつけて焼きはらうが、それは同時に、敵が二回目に進攻してきたときに住む家もなければ食べる物もなく、かれら自身を苦しめることになる。これがいわゆる、一つのことがらに二つのたがいに矛盾する意義がふくまれている、ということの具体的な例証の一つである。
何回か反包囲攻撃をかさねて、そこではどうしてもきびしい包囲攻撃をうちやぶることはできないということが証明されたときでなければ、遊撃戦争の指導者は、そこをすてて他の根拠地にいくようなことをくわだててはならない。このばあい、悲観的な気持ちがうまれるのを防止するよう注意しなければならない。指導のうえで、原則的なあやまりをおかしさえしなければ、ふつう山岳地帯なら、きっと包囲攻撃をうちやぶり、根拠地を守りぬくことができる。平原地帯だけは、きびしい包囲攻撃をうけたばあい、具体的な情勢に応じて、つぎの問題を考えなければならない。すなわち多くの小さな遊撃部隊をそこにのこして分散活動をさせる一方、大きな遊撃兵団を一時山岳地帯に転移させ、敵の主力が他に移動したのちにふたたびそこにもどって活動するようにさせるのである。
中国は領土が広く、敵は兵力が不足しているというこの矛盾した状況によって、敵は一般に、中国の内戦の時期に国民党がとったような堡塁主義②をとることはできない。だが、敵の要所をとくにおびやかしている一部の遊撃根拠地では、敵がかなりの程度の堡塁主義をとる可能性のあることを見通しておかなければならず、そのような状態のもとでも、やはり、そこの遊撃戦争を堅持する用意をしておかなくてはならない。内戦のときでさえ遊撃戦争が堅持できたという経験からすれば、民族戦争においては、なおさら堅持できることは疑う余地がない。なぜなら、たとえ兵力の対比において、一部の根拠地では敵が質のうえだけでなく、量のうえでもきわめて優勢な兵力を使用できるとしても、敵とわれわれのあいだの民族的矛盾は解決できず、敵の指揮上の弱点はさけられないからである。わが方の勝利は、深く根をおろした民衆活動と弾力的な作戦方法のうえにうちたてられている。
第二節 遊堅戦争の戦略的進攻
敵の進攻をうちやぶってから、敵の新しい進攻がはじまるまでは、敵が戦略的守勢をとり、わが方が戦略的攻勢をとるときである。
このようなとき、わが方の作戦方針は、防御陣地をかたく守っていて、うちやぶることのむずかしい敵を攻撃することではなく、計画的に、一定の地区において、遊撃隊の力でかたづけられる小部隊の敵や民族裏切り者の武装組織を消滅、駆逐して、わが方の占領地区を拡大し、民衆的な抗日闘争を燃えあがらせ、部隊を補充、訓練し、新しい遊撃隊を組織することである。これらの任務完遂の面でだいたい目鼻がついたのち、敵がまだ守勢をとっておれば、わが方の新しい占領地区をさらに拡大し、敵の力の弱い町と交通線を攻撃し、そのときの状況によって長期にあるいは一時的にそれを占領する。これらはみな戦略的進攻の任務であり、その目的は、敵が守勢をとっているときに乗じて、自己の軍事力と民衆の力を効果的にのばし、敵の力を効果的に小さくするとともに、さらに敵がふたたびわが方に進攻してきたときにもそれを計画的に力強くうちやぶることができるよう準備する、ということにある。
部隊の休息と訓練は必要であり、敵が守勢をとっているときは、わが方にとって休息と訓練のもっともよい機会である。それは、なにもせず、もっぱら門を閉ざして休息と訓練をするというのではなく、占領地を拡大し、小部隊の敵を消滅し、民衆動員の活動をやりながら、時間をかせいで休息と訓練をするのである。給養、被服などの困難な問題を解決するのも、しばしば、こういうときである。
大規模に敵の交通線を破壊し、敵の輸送を妨害し、正規軍の戦役的作戦を直接援助するのも、またこのときである。
このときが、全体の遊撃根拠地、遊撃区、および遊撃部隊にとっては、喜びにわきかえるときである。敵にふみにじられた地区も、しだいに整理され、活力を回復する。敵に占領されている地区の民衆もまた大いに喜び、遊撃隊の威望がいたるところにひろがっていく。敵とその手先民族裏切り者の内部は、一方では、恐怖感と瓦解がひろがっていき、他方ではまた、遊撃隊と根拠地にたいする憎しみがつのり、遊撃戦争に対処する準備を強化する。したがって、遊撃戦争の指導者たちは戦略的進攻のなかで有頂天になって、敵を軽視し、内部の団結、根拠地の強化、部隊の強化の活動をわすれるようなことがあってはならない。このようなときには、よく敵の動静を観察し、敵がふたたび進攻してくるきざしがあるかどうかみなければならない。そうすれば、敵が進攻してきても、わが方は適当なところで戦略的進攻をうちきって戦略的防御に転じ、そして、戦略的防御のなかで敵の進攻を粉砕することができる。
第八章 運動戦への発展
抗日遊撃戦争の戦略問題の第五の問題は、運動戦への発展の問題であり、それが必要であり可能であることは、やはり、戦争の長期性と残酷性からくるものである。もし、中国が急速に日本侵略者にうち勝ち、急速に失地を奪回することができ、なにも持久戦ではなく、また残酷な戦争でもないなら、遊撃戦が運動戦へ発展する必要はない。ところが、事情はまったく反対であって、戦争は長期でしかも残酷であるため、このような戦争に適応するには、遊撃戦が運動戦に発展する以外にない。戦争が長期で残酷であることから、遊撃隊は必要な鍛練をうけ、しだいに正規の部隊に変わっていくことができ、したがって、その作戦方式もしだいに正規化して、遊撃戦が運動戦に変わるのである。遊撃戦争の指導者たちが、運動戦への発展の方針を堅持し、それを計画的に遂行するには、このような必要性と可能性をはっきり認識しなければならない。現在、多くの地方の遊撃戦争は、たとえば五台山などのそれのように、正規軍が強力な支隊を派遣しておこさせたものである。そこの作戦は、ふつう遊撃戦であるが、はじめから運動戦の要素をふくんでいた。戦争が長びくにつれて、このような要素はしだいに増加していく。これは、こんにちの抗日遊撃戦争の長所であって、遊撃戦争を急速に発展させるばかりでなく、それを急速にたかめるものであり、それは東北三省の遊撃戦争にくらべて、条件がはるかにすぐれている。
遊撃戦をおこなう遊撃部隊を運動戦をおこなう正規部隊に変えていくには、量の拡大と質の向上という二つの条件をととのえなければならない。前者については、部隊にはいるよう人民を直接動員するほかに、小部隊を集中する方法をとってもよいが、後者については、戦争のなかでの鍛練と武器の質の向上に依存する。
小部隊を集中するには、一方では、地方の利益だけを考えて集中をさまたげる地方主義を防止しなければならず、他方では、地方の利益を考えない軍事一点ばり主義をも防止しなければならない。
地方主義は地方の遊撃隊および地方政府のなかに存在している。それらの人は、とかく全局の利益をわすれて地方の利益だけを考え、あるいは集団生活になじまず分散活動に夢中になる。主力の遊撃部隊または遊撃兵団の指導者たちは、このような事情に注意して、地方にひきつづき遊撃戦争をくりひろげていく余力を保たせるように、しだいにまた部分的に集中していくという方法をとらなければならず、また、小集団を大集団に融合させるように、まず協同の行動をとらせ、そのあとで、もとの編制をこわさずその幹部もかえないで一つに編成していくという方法をとらなければならない。
軍事一点ばり主義は、地方主義とは反対で、主力部隊の人たちが、自己の拡充だけをはかり、地方武装組織にたいする援助を考えないあやまった観点である。遊撃戦の運動戦への発展は、遊撃戦を廃止するのではなく、遊撃戦を広範にくりひろげていくなかで運動戦のできる主力をしだいに形成していくのであって、この主力をめぐるものはやはり数多くの遊撃部隊であり、広範な遊撃戦争でなくてはならないということを、かれらは知らないのである。そのような数多くの遊撃部隊は、この主力の有力な手足となるもので、この主力をひきつづき拡大させるためのつきることのない源泉でもある。したがって、主力部隊の指導者は、もし自分が地方民衆と地方政府の利益を考えない軍事一点ばり主義のあやまりをおかしたならば、それを克服して、主力の拡大と地方武装組織の増大にそれぞれ適当な位置を占めさせなければならない。
質を向上させるには、政治、組織、装備、技術、戦術、規律などのそれぞれの面で改善をくわえ、しだいに、正規軍を手本にし、遊撃隊の作風をすくなくしていかなければならない。政治のうえでは、指揮員や戦士たちに遊撃隊から正規軍へと一歩たかめていく必要性を認識させ、そのために努力するようにみんなをはげますとともに、政治工作によってそれを保障しなければならない。組織のうえでは、正規の兵団に必要な軍事と政治の機関、軍事と政治の要員、軍事と政治の活動方法、および補給と医療などの恒常的な制度を、しだいにととのえていかなければならない。装備の面では、武器の質の向上と種類の増加をはかり、必要な通信器材をふやさなければならない。技術と戦術の面では、遊撃部隊の技術と戦術を、正規の兵団に必要な技術と戦術にまでたかめなければならない。規律の面では、整然とした統一的な制度が実施され、命令や禁止が厳格に守られる程度にまでたかめ、自由、放漫な現象をなくしていかなければならない。これらすべてのことをやりとげるには、長い努力の過程が必要であり、一朝一夕にやれる仕事ではないが、この方向に発展することはどうしても必要である。こうしなければ、遊撃戦争の根拠地での主力兵団をつくりあげることはできず、敵にいっそう効果的な打撃をあたえる運動戦の方式を出現させることはできない。このような目的は、正規軍が支隊または幹部を派遣したところでは、比較的順調に達成することができる。したがって、すべての正規軍には、遊撃隊の正規部隊への発展をたすける責任がある。
第九章 指揮関係
抗日遊撃戦争の戦略問題の最後の問題は、指揮関係の問題である。この問題を正しく解決することは、遊撃戦争を順調に発展させる条件の一つである。、
遊撃戦争の指揮方法は、遊撃部隊が低い段階の武装組織であり、分散して行動する特質をもっているというところから、正規戦争の指揮方法とおなじような高度の集中主義はゆるされない。正規戦争の指揮方法を遊撃戦争につかおうとすれば、遊撃戦争の高度の活発さをしばり、遊撃戦争を少しも生気のないものにしてしまうにちがいない。高度の集中的指揮と遊撃戦争の高度の活発さとは、まったくあい反するものである。このような高度の活発さをもった遊撃戦争には、高度の集中的な指揮制度をつかうべきでないばかりか、つかうこともできない。
だが、遊撃戦争は、いかなる集中的指揮もせずに順調に発展できるものではない。広範な正規戦争があり、同時にまた広範な遊撃戦争があるという状況のもとでは、この両者の呼応作戦を適当におこなわせることが必要である。したがって、正規戦争と遊撃戦争との呼応作戦にたいする指揮が必要となる。これが戦略的作戦にかんする国家参謀部と戦区司令官の統一的指揮である。一つの遊撃区あるいは遊撃根拠地には、多数の遊撃隊が存在し、そのなかに、しばしば主力となっている一つないしいくつかの遊撃兵団(ときには正規の兵団もある)と、補助的な力として大小多数の遊撃部隊があり、さらに、生産をはなれない広範な人民武装組織がある。そこにいる敵もしばしば一つの局面を形づくって、統一的に遊撃戦争に対処する。したがって、このような遊撃区または根拠地内では、統一的指揮つまり集中的指揮の問題がおこる。
したがって、遊撃戦争の指揮原則は、一方では絶対的な集中主義に反対し、他方では絶対的な分散主義に反対することで、戦略上では集中的指揮、戦役上戦闘上では分散的指揮でなければならない。
戦略上の集中的指揮には、国家の遊撃戦争全体にたいする計画と指導、各戦区における遊撃戦争と正規戦争との呼応作戦、各遊撃区全体あるいは各根拠地全体の抗日武装組織にたいする統一的指導がふくまれる。これらの面での不協調、不統一、不集中は有害なものであり、できるかぎり協調、統一、集中をはからなければならない。一般的なことがら、つまり戦略的性質をもつことがらについては、協同行動の効果をあげるように、下級は上級に報告するとともに、上級の指導をうけなければならない。だが、集中はこの程度にとどめるべきであり、この限度をこえて下級の具体的なことがら、たとえば戦役上戦闘上の具体的な部署配置などに干渉することは、同様に有害である。なぜなら、こうした具体的なことがらは、ときによって変わり、ところによって異なるという具体的状況にもとづいておこなわなければならず、遠くはなれた上級機関では、そうした具体的状況を知るすべもないからである。これが戦役上戦闘上の分散的指揮の原則である。この原則は一般に正規戦争の作戦にも適用されるのであり、とくに通信設備の完備していない状況のもとではそうである。一口にいえば、それは、戦略的統一のもとでの独立自主の遊撃戦争である。
遊撃根拠地が一つの軍区を構成していて、その下がいくつかの軍分区にわかれ、軍分区の下がいくつかの県にわかれ、県の下がいくつかの区にわかれる状況のもとでは、軍区司令部、軍分区司令部、県政府、区政府という系統は上下関係であって、武装部隊はその性質に応じてそれぞれに所属する。それらのあいだの指揮関係については、上述の原則にもとづいて、一般的な方針は上級に集中し、具体的行動は具体的状況に応じておこない、下級が独立自主の権限をもつ。上級が下級の一部の具体的行動について意見をもっておれば、「訓令」として出すことができるし、また出すべきであって、けっして変更することのできない「命令」として出すべきではない。地区がひろくなり、状況が複雑になり、上級と下級との距離が遠くなればなるほど、そうした具体的行動のうえでは、ますます独立自主の権限をひろげ、地方性を多くもたせ、地方の状況の要求によく合致させなければならない。そうすることによって、複雑な環境に対処し、遊撃戦争を勝利のうちに発展させることのできるというような、独立活動の能力を下級および地方要員に身につけさせるのである。もし、集中的に行動する部隊または兵団なら、状況がはっきりしているので、その内部の指揮関係には集中的指揮の原則が適用される。だが、その部隊あるいは兵団がひとたび分散的行動にはいれば、具体的な状況をはっきり知ることができないので、一般的には集中、具体的には分散という原則が適用される。
集中すべきものを集中しなかったら、上の者は職責をはたさないということになり、下の者は勝手なふるまいをするということになる。これはどんな上級下級の関係でもゆるされないことであり、とくに軍事関係ではそうである。分散すべきものを分散しなかったら、上の者は一手代行をやるということになり、下の者は主動性がないということになる。これもまた、どんな上級下級の関係でもゆるされないことであり、とくに遊撃戦争の指揮関係ではそうである。この問題を正しく解決する方針としては、さきにのべた原則以外にない。
〔注〕
〔1〕 長白山は中国の東北の辺境にある山脈である。九・一八事変ののち、長白山区は中国共産党指導下の抗日遊撃根拠地となった。
〔2〕 五台山は山西、察哈爾、河北三省の省境にある山脈である。一九三七年十月、中国共産党に指導される八路軍は、五台山区を中心として山西・察哈爾・河北辺区の抗日根拠地を創設しはじめた。
〔3〕 大行山は山西、河北、平原(この首は一九五二年に撤廃され、その管轄地区はそれぞれ河北、山東、河南の三省に編入された――訳者)省の省境にある山脈である。一九三七年十一月、八路軍は太行山区を中心として山西省東南抗日根拠地を創設した。
〔4〕 泰山は山東省中部にあり、泰沂山脈の主峰の一つである。一九三七年の冬、中国共産党に指導される遊撃隊は、泰沂山区を中心として山東省中部根拠地を創設しはじめた。
〔5〕 燕山は河北省と熱河省(この省は一九五五年に撤廃され、その管轄地区はそれぞれ河北省、遼寧省および内蒙古自治区に編入された――訳者)の省境にある山脈である。一九三八年の夏、八路軍が燕山山区を中心として河北省東部抗日根拠地を創設した。
〔6〕 茅山は江蘇省南部にある。一九三八年六月、中国共産党に指導される新四軍が、茅山山区を中心として江蘇省南部抗日根拠地を創設した。
〔7〕 抗日戦争発展の経験によって、平原地帯で長期の根拠地を樹立することができ、しかもそのうちの多くは固定した根拠地になりうるということが証明された。これは、地域が広いこと、人口が多いこと、共産党の政策が正しいこと、人民の動員が普遍的におこなわれていること、敵の兵力が不足していることなどの条件によるものである。毛沢東同志は、その後、具体的な指示のなかでこの点をはっきり肯定している。
〔8〕 囲碁は、中国にひじょうに古くからある棋の一種である。双方の石がたがいに包囲しあい、こちらの一石または一群の石が相手の石に囲まれると、「取られ」てしまう。だが、包囲された一群の石のなかに必要な空地(「目」)かのこされていれば、この一群の石は「取られ」ないで、なお「活き」ているのである。
〔9〕 西紀前三五三年、魏軍は趙国の首都邯鄲を包囲攻撃した。斉国の国王は田忌、孫臏に、軍をひきいて趙の救援におもむくよう命じた。孫臏は魏国の精鋭部隊が趙にあり、本国内部は手薄であるとみて、兵を率いて魏を攻めた。魏軍は自国を救うためにひきかえしてきた。斉軍は魏軍の疲れているのに乗じ、桂陵(いまの山東省菏沢県の東北部――訳者)で戦い、大いに魏軍をやぶったので、趙国の包囲はついに解けた。それ以後中国の軍事家は、「魏を囲んで趙を救う」ということばをつかって、これに似た戦法を説明するようになった。
〔訳注〕
① 本題集第一巻の『党内のあやまった思想の是正について』注〔2〕、注〔3〕を参照。
② 本選集第一巻の『大衆の生活に関心をよせ、活動方法に注意せよ』注〔4〕を参照。




