陝西・甘粛・寧夏辺区政府 第八路軍広報留守本部 布告 (一九三八年五月十五日)
この布告は、毛沢東同志が陝西・甘粛・寧夏辺区政府と八路軍留守本部にかわって書いたもので、その目的は、蒋介石集団の破壊活動に対処することにあった。当時は国共合作が成立してまもないころであったが、蒋介石集団はもう共産党の指導する革命勢力を破壊しようとたくらんでいた。陝西・甘粛・寧夏辺区にたいする破壊活動は、こうした陰謀の一部であった。毛沢東同志は、革命の利益をまもるためには、決然とした立場をとらなければならないと考えた。この布告は、当時、党内の一部の同志が抗日統一戦線のなかで、蒋介石集団の陰謀活動にたいしてとっていた日和見主義の立場に打撃をあたえた。
布告事項。蘆溝橋事変いらい、わが全国の愛国的同胞は断固として抗戦をすすめている。前線の将兵は血をながし命を犠牲にしている。各党各派はまごころをもって団結している。各界の人民は救国のために協力している。これは中華民族の光明にみちた大道であり、抗日の勝利の確固たる保障である。わが国のすべての人びとは、この道を前進しなければならない。わが陝西・甘粛・寧夏辺区〔1〕の軍民は、政府の指導にしたがって、救国の事業に力をつくしている。実行していることはすべて公明正大である。みな苦難にめげず奮闘し、あえて労を口にしない。全国の人民は、異口同音にこれを称賛している。本政府および本留守本部は、その貫徹のために、全区の民衆にひきつづき努力するようひたすらはげましている。一人でも職責をはたきないものがあってはならず、一つでも救国に不利なことがあってはならない。しかるに、最近の調査によれば、辺区のなかには、大局をかえりみない輩が、さまざまな方法を利用して、すでに分配された土地や家屋の返還を農民に強要したり、すでに廃棄された債務〔2〕の返還を債務者に強要したり、すでに確立された民主主義制度の変更を人民に強要したり、すでに成立した軍事、経済、文化および民衆団体の組織を破壊したりしている。はなはだしさは、密偵になり、匪賊に通じ、部隊の反乱を扇動し、地図を作成し、ひそかに状況を調査し、辺区政府に反対する宣伝を公然とおこなっている。以上のさまざまな行為は、あきらかに、団結抗日の基本原則と、辺区人民の総意にそむくもので、内部の紛争をひきおこし、統一戦線を破壊し、人民の利益をそこない、辺区政府の威信を傷つけ、抗日への動員をいっそう困難にすることを企図するものである。その原因はほかでもなく、少数の頑迷分子が民族と国家の利益をかえりみず、悪事をほしいままにしていることにある。なかには、日本侵略者に利用され、さまざまな名目をつかってその陰謀活動をおおいかくす道具にしているものさえある。ここ数ヵ月、各県の人民はこれらのことについてしきりに報告し、その抑止を要求するもの、日に数件におよんで、応接にいとまがない。本政府および本留守本部は、抗日の力をつよめ、抗日の後方をかため、人民の利益をまもるために、さきにあげた行為を取り締まらざるをえない。よって、とりいそぎ、つぎのとおりはっきりと布告する。
(一)国内の平和がはじまったとき、辺区政府の管轄区域ですでに分配されていたすべての土地や家屋、廃棄されていたすべての債務については、本政府および本留守本部は、人民の既得の利益を保護し、勝手な変更をゆるさない。
(二)国内の平和がはじまったときすでに樹立されていて、その後抗日民族統一戦線の原則にもとづいて改善と発展をみた軍事、政治、経済、文化などの諸組織およびその他の民衆団体については、本政府および本留守本部は、その活動を保護し、その発展を促進し、破壊をたくらむすべての行為を禁止する。
(三)抗日救国に有利な事業であるかぎり、本政府および本留守本部は、『抗戦建国綱領』①を断固として実行するという原則のもとに、よろこんでこれをおしすすめるものである。好意的に協力する各界の人びとにたいしては、これを一律に歓迎する。だが、本政府または本留守本部の許可ならびに本政府または本留守本部の証明書なしに、外部から辺区にはいって滞在し活動するものにたいしては、詐称者を防ぎ、破壊分子を一掃するために、その活動の内容のいかんを問わず、一律に禁止する。
(四)抗戦の緊張しているこのとき、辺区で破壊活動をたくらんだり、ほしいままに攪乱したり、誘惑や扇動をおこなったり、軍事状況を内偵したりするものにたいしては、人民にその摘発をゆるす。証拠の確実なものは、その場で逮捕することをゆるす。取り調べの結果、それが事実であれば、一律に仮借なく厳罰に処する。
全辺区の軍隊と人民は、一律に右の四ヵ条をまもり、これにそむいてはならない。あえて攪乱をたくらむ不逞の徒があれば、本政府および本留守本部はかならず本布告にしたがって法的処分をおこなう。知らなかったということは抗弁の理由にはならない。以上のとおり布告する。
〔注〕
〔1〕 陝西・甘粛・寧夏辺区は、一九三一年以後、陝西皆北部の革命遊撃戦争のなかでしだいに発展してきた革命根拠地であった。中央赤軍が長征をへて陝西省北部に到達したのちは、革命の中心根拠地となり、同時に、中共中央の所在地となった。一九三七年、抗日民族統一戦線が成立してから陝西・甘粛・寧夏辺区と改称され、二十余県を管轄していたが、それは陝西・甘粛・寧夏三省がたがいに接している一部の地方からなっていた。
〔2〕 陝西・甘粛・寧夏辺区の大部分の地方では、地主の土地を没収して農民に分配し、農民が以前負っていた債務を廃棄するという政策を、すでに実施していた。一九三六年以後、中国共産党は広範な抗日民族統一戦線を結成するため、全国的に、地主の土地没収の政策のかわりに、小作料、利子引き下げの政策をとったが、農民が土地改革でえた成果にたいしては断固としてこれを保障した。
〔訳注〕
① 一九三八年三月、国民党は、武漢で臨時全国代表大会をひらき、『抗戦建国綱領』なるものを採択したが、そのなかには、総則、外交、軍事、政治、経済、民衆運動、教育など七項三十二ヵ条がふくまれていた。この綱領には、国民党の一党独裁、一面的抗戦のあやまった主張か依然としてつらぬかれていた。しかし当時、中国共産党と中国人民の強い圧力があったので、国民党はこの綱領のなかで、いくつかの臨機の措置を講じないわけにはいかなかった。たとえば、「国民参政機関を組織する」という決定や、「言論、出版、集会、結社について合法的な十分な保障をあたえる」とか「人民の生活改善に留意する」といった公約がそれである。これらの規定はたんなる空手形にすぎないとはいえ、中国人民は国民党にたいする闘争の道具として、これを利用することができた。




