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上海、太原陥落後の抗日戦争の情勢と任務 (一九三七年十一月十二日)

これは、毛沢東同志が一九三七年十一月、延安でひらかれた党の活動者会議でおこなった報告要綱である。党内の右翼日和見主義分子はそのときからこの要綱に反対してきたが、一九三八年十月、党の第六期中央委員会第六回総会になって、この右翼的傾向は基本的に克服された。


     一 当面の情勢は一面的抗戦から全面的抗戦への過渡期にある


 (一)われわれは、たとえ一面的抗戦であっても、日本帝国主義の進攻とたたかう抗戦であるならば、すべて支持する。なぜなら、それは無抵抗主義よりは一歩すすんでおり、革命性をもっており、また祖国防衛のためにたたかうものだからである。

 (二)だが、われわれは早くから(今年四月、延安イェンアンでひらかれた党の活動者会議、五月にひらかれた党の全国代表会議、八月におこなわれた中央委員会政治局の決議〔1〕において)つぎのことを指摘してきた。人民大衆を参加させない、政府だけの一面的抗戦は、かならず失敗する。なぜなら、それは完全な民族革命戦争ではないからであり、大衆による戦争ではないからである。

 (三)われわれは、全国の人民を総動員した完全な民族革命戦争、つまり全面的抗戦とよばれるものを主張する。なぜなら、そのような抗戦だけが大衆による戦争であり、祖国防衛の目的をとげることができるからである。

 (四)国民党の主張する一面的抗戦も、民族戦争であり、革命性をもってはいるが、その革命性はきわめて不十分である。一面的抗戦は、かならず戦争を敗北にみちびくものであって、けっして祖国を防衛することはできない。

 (五)これが、共産党の抗戦の主張と現在の国民党の抗戦の主張との原則的な相違である。共産党員がこの原則性をわすれるなら、抗日戦争を正しく指導することはできず、国民党の一面性を克服する力をもたなくなり、共産主義者を無原則的な立場にひきおろし、共産党を国民党の水準までひきさげることになる。そうすることは、神聖な民族革命戦争と祖国防衛の任務にたいして罪をおかすものである。

 (六)完全な民族革命戦争、つまり全面的抗戦では、共産党の提起した抗日救国十大綱領を実行しなければならす、またこの綱領を完全に実行する政府と軍隊がなければならない。

 (七)上海シャンハイ太原タイユワン陥落後の情勢はつぎのとおりである。

 1 華北では、国民党を主体とする正規の戦争は終わりをつげ、共産党を主体とする遊撃戦争が主要な地位をしめるようになった。江蘇チァンスー淅江チョーチァン両省では、国民党の戦線がすでに撃破され、日本侵略者は南京ナンチンおよび長江チャンチァン流域にむかって進攻しつつある。国民党の一面的抗戦はもはやもちこたえられないことをしめしている。

 2 イギリス、アメリカ、フランスなどの政府は、かれら自身の帝国主義的な利益のために、小国援助を表明しているが、まだ口先だけの同情にすぎず、なにも実力援助はしていない。

 3 ドイツ、イタリアのファシストは、日本帝国主義を極力援助している。

 4 国民党は、一面的抗戦をすすめるための一党独裁と民衆にたいする統制政策とを、まだ原則的にはあらためようとしていない。

 これらが一方の状況である。

 他方では、つぎの点がみられる。

 1 共産党と八路軍の政治的影響は、きわめて大きく早くひろがり、「民族の救い主」という声が全国につたわっている。共産党と八路軍は、全国を防衛し、日本侵略者の中原地方と西北地方への進攻を牽制けんせいするために、華北の遊撃戦争を堅持する決意をかためている。

 2 民衆運動が一歩前進した。

 3 民族ブルジョア階級が左傾している。

 4 国民党のなかに、現状の故事を主張する勢力が大きくなりつつある。

 5 日本に反対し中国を援助する世界人民の運動が発展しつつある。

 6 ソ連が中国に実力援助をあたえる準備をしている。

 これらがもう一方の状況である。

 (八)したがって、いまは一面的抗戦から全面的抗戦への過渡期にある。一面的抗戦はもうもちこたえる力がなくなり、全面的抗戦はまだ実現していない。これは端境はざかい期のような、重大な危機をはらんだ過渡期である。

 (九)この期間には、中国の一面的抗戦は三つの方向に発展する可能性がある。

 第一の方向は、一面的抗戦をやめて、全面的抗戦をおこなうことである。これは国内の大多数の人びとの要求であるが、国民党はまだその決意をしていない。

 第二の方向は、抗戦をやめて、投降することである。これは日本侵略者、民族裏切り者および親日派の要求であるが、中国の大多数の人びとから反対されている。

 第三の方向は、抗戦と投降が中国に並存することである。これは、日本侵略者、民族裏切り者および親日派が、第二の方向を実現できないため、中国の抗日戦線を分裂させようとする陰謀術策の結果である。かれらはいまそれを策動している。この危険は深刻に存在している。

 (一〇)当面の情勢からみると、国内的にも国際的にも、投降主義をのさばらせない要因が優勢である。それらの要因とは、あくまで中国を滅ぼそうとする日本の方針によって、中国が戦わざるをえない立場におかれていること、共産党と八路軍が存在していること、中国人民の要求があること、自民党内の多数の党員の要求があること、イギリス、アメリカ、フランスが国民党の投降は自分たちの利益をそこなうものだと心配していること、ソ連が存在していることと中国援助の方針をとっていること、中国人民がソ連にたいして大きな期待(それはむなしい期待ではない)をよせていることなどである。これらの要因がうまく組織されれば、投降と分裂の要因が克服されるばかりでなく、一面的抗戦にとどまろうとする要因も克服される。

 (一一)したがって、一面的抗戦から全面的抗戦への転換という前途がある。この前途の実現をかちとることは、すべての中国共産党員、すべての中国国民党内の進歩的な人びと、すべての中国人民にとって共通のさしせまった任務である。

 (一二)中国の抗日民族革命戦争は、いま重大な危機に立っている。この危機は、長びくかもしれないし、比較的早くのりこえられるかもしれない。決定的な要因は、中国の国内では、国民党と共産党の協力およびこの協力を基礎とする国民党の政策の転換であり、労農大衆の力であり、国外では、ソ連の援助である。

 (一三)国民党は、政治の面、組織の面で改造する必要があるし、その可能性もある〔2〕。それは主として、日本の圧迫、中国共産党の統一戦線政策、中国人民の要求、国民党内部の新しい勢力の増大によるのである。われわれの任務は、政府の改造、軍隊の改造の基礎として、国民党にこのような改造を実現させることである。この改造は、もちろん国民党中央の賛同をえなければならず、われわれは提案者の立場にある。

 (一四)政府を改造すること。われわれは臨時国民大会を招集する方針を提起したが、これも必要な、また可能なことである。この改造も、もちろん国民党の賛同をえなければならない。

 (一五)軍隊改造の任務は、新しい軍隊を創設し、ふるい軍隊を改造することである。もし半年ないし一年のあいだに、新しい政治意識をもった二十五万から三十万の軍隊を創設することができるなら、抗日の戦場には一転機が見えはじめるにちがいない。このような新しい軍隊は、すべてのふるい軍隊に影響をあたえ、それらを結集するだろう。これは、抗日戦争が戦略的反攻にうつる軍事的基礎である。この改造も、同様に国民党の賛同をえなければならない。八路軍はこの改造の過程で模範的な役割をはたさなければならない。八路軍自身は拡大されなければならない。



二 党内でも全国でも投降主義に反対しなければならない


   党内では、他階級にたいする階級的投降主義に反対する


 (一六)一九二七年、陳独秀チェントウシウの投降主義は、当時の革命を失敗にみちびいた。共産党員の一人ひとりは、この歴史上の血の教訓をわすれてはならない。

 (一七)党の抗日民族統一戦線の路線についていうと、蘆溝橋ルーコウチァオ事変までの党内のおもな危険な偏向は「左」翼日和見主義、つまり閉鎖主義であった。これは、主として国民党がまだ抗日していなかったことによる。

 (一八)蘆溝橋事変のあと、党内のおもな危険な偏向は、もはや「左」翼閉鎖主義ではなく、右翼日和見主義、つまり投降主義の側に転じた。これは、主として国民党が抗日するようになったことによる。

 (一九)四月に延安でひらかれた党の活動者会議のとき、五月にひらかれた党の全国代表会議のとき、とくに八月におこなわれた中央委員会政治局会議(洛川ルオチョワン会議)のとき、われわれはすでにつぎの問題を提起した。統一戦線では、プロレタリア階級がブルジョア階級を指導するのか、それともブルジョア階級がプロレタリア階級を指導するのか。国民党が共産党をひきつけるのか、それとも共産党が国民党をひきつけるのか。当面の具体的な政治的任務のなかでは、この問題は、つまり自民党を共産党の主張する抗日救国十大綱領と全面的抗戦にまでひきあげるのか、それとも共産党を国民党の地主・ブルジョア階級の独裁と一面的抗戦にまでひきさげるのか、ということである。

 (二○)どうしてこんなにするどく問題を提起するのか。それはこういうわけである。

 一方では、中国のブルジョア階級が妥協性をもっていること、国民党が実力の面で優勢であること、国民党中央執行委員会第三回全体会議がその宣言と決議のなかで、共産党を中傷し侮辱し、「階級闘争をやめよ」とわめきたてていること、国民党が「共産党の投降」を心からのぞみ、それをひろく宣伝していること、蒋介石チァンチェシーが共産党を統制しようとたくらんでいること、国民党が赤軍を制限し弱化する政策をとっていること、国民党が抗日民主根拠地を制限し弱化する政策をとっていること、国民党が七月の廬山ルーシャン訓練班〔3〕で「抗日戦争中に共産党の力を五分の三によわめる」陰謀計画をもちだしたこと、国民党が官位、金銭、酒色、享楽で共産党の幹部を誘惑していること、一部の小ブルジョア急進分子に政治的投降の動きがある(その代表は章乃器〔4〕)こと、などの状況がみられる。

 他方では、共産党内の理論水準にでこぼこがあること、多くの党員が北伐戦争時期の国共両党合作の経験に欠けていること、党内に小ブルジョア階級出身者がたくさんいること、一部の党員にこれまでの苦しい闘争生活をつづけたがらない気分があること、統一戦線のなかに国民党に迎合する無原則的な傾向があること、八路軍のなかに新しい軍閥主義の偏向がうまれていること、共産党が国民党の政権に参加する問題がうまれていること、抗日民主根拠地のなかに迎合的傾向がうまれていること、などの状況がみられる。

 こうした両方のきびしい状況からして、だれがだれを指導するかという問題をするどく提起しなければならず、投降主義に断固反対しなければならない。

 (二一)ここ数ヵ月、主として抗戦いらい、共産党の中央および各級の組織では、すでにうまれている、またうまれる可能性のあるこうした投降主義の偏向にたいして、はっきりした断固たる闘争をおこない、必要な予防策をとり、しかも成果をあげてきた。

 政権に参加する問題については、党中央から決議案草案がだされた〔5〕。

 八路軍のなかでは、新しい軍閥主義の偏向にたいする闘争をはじめている。この偏向は、赤軍の編成がえがおこなわれたのち、少数の個々のものが、厳格に共産党の指導をうけることをいやがり、個人英雄主義をつのらせ、国民党から任命されることを光栄におもう(任官することを光栄におもう)などの現象としてあらわれている。この新しい軍閥主義の偏向は、人をなぐったり、どなりつけたり、規律をやぶったりするなどの現象としてあらわれる、ふるい軍閥主義の偏向とおなじ根(共産党を国民党の水準までひきさげること)をもち、おなじ結果(大衆から遊離すること)をもたらすものであるが、それは国共両党の統一戦線の時期にうまれたもので、とくに大きな危険性をもっている。したがって、とくに注意をはらい、断固として反対する必要がある。国民党の干渉によって廃止された政治委員制度や、国民党の干渉によって政訓処と改められた政治部の名称は、現在すでに復活している。「独立自主の山岳地帯遊撃戦」という新しい戦略原則を提起し、断固実行しているので、八路軍の作戦上、活動上の勝利が基本的に保障されている。国民党がその派遣する党員を八路軍の幹部にしてほしいという要求を拒否し、八路軍にたいする共産党の絶対的指導という原則を堅持している。それぞれの革命的な抗日根拠地では、おなじように「統一戦線における独立自主」という原則を提起している。「議会主義」的偏向(もちろん第二インターナショナルの議会主義ではない。そういう議会主義は中国の党内にはない)〔6〕を是正し、匪賊ひぞく、スパイ、破壊分子にたいする闘争を断固すすめている。

 西安シーアンでは、両党関係における無原則的な傾向(迎合的傾向)を是正し、ふたたび大衆闘争をくりひろげている。

 甘粛カンスー省東部では、西安とほぼおなじ状況である。

 上海では、「よびかけを少なくし、献策を多くする」という章乃器主義を批判し、救国活動における迎合的傾向を是正しはじめている。

 南方の各遊撃区――これは、われわれが国民党との十年にわたる血戦でたたかいとった成果の一部であり、抗日民族革命戦争の南方各省における戦略的支点であり、国民党が西安事変後もなお「包囲討伐」政策で滅ぼそうとし、蘆溝橋事変後はさらにおびきだし政策にあらためてよわめようとしている勢力である――では、われわれの注意力はつぎの点に集中される。(1)無条件の集結(それらの支点をとりのぞこうとする国民党の要求にかなっている)を防止すること、(2)国民党の人員派遣を拒否すること、(3)何鳴ホーミンのばあいのような危険(国民党に包囲されて武装解除される危険)〔7〕を警戒すること。

 『解放週刊』〔8〕では、厳正な批判の態度を堅持している。

 (二二)抗戦を堅持し、最後の勝利をたたかいとるためには、また一面的抗戦を全面的抗戦に変えていくためには、抗日民族統一戦線の路線を堅持し、統一戦線を拡大し強化しなければならない。国共両党の統一戦線を分裂させるどんな主張もゆるされない。「左」翼閉鎖主義はひきつづき防止しなければならない。だが同時に、統一戦線のすべての活動は、独立自主の原則とかたく結びついたものでなければならない。われわれが国民党およびその他のいかなる政党とむすぶ統一戦線も、一定の綱領を実行することを基礎とした統一戦線である。この基礎をはなれてはどんな統一戦線もありえず、そういう協力は無原則的な行動となるのであって、投降主義のあらわれである。したがって、「統一戦線における独立自主」の原則を説明し、実践し、堅持することは、抗日民族革命戦争を勝利の道にみちびく中心的な環である。

(二三)われわれがそうする目的はどこにあるのか。一つは、自分がすでにたたかいとった陣地を保持することにある。これは、われわれの戦略的出発点であり、この陣地をうしなえば、なにもかもおしまいである。だが、主要な目的は、もう一つの方にある。つまり、陣地を発展させるためであり、「何百何干方の大衆を抗日民族統一戦線に参加させて、日本帝国主義をうちたおす」というこの積極的な目的を実現するためである。陣地を保持することと陣地を発展させることとは切りはなせない。ここ数ヵ月らい、いっそう広範な小ブルジョア階級の左翼大衆がわれわれの影響下に結集しており、国民党陣営内の新しい勢力も大きくなりつつあり、山西シャンシー省の大衆闘争も発展したし、多くの地方では党の組織も発展した。

 (二四)だが、はっきり知っておかなければならないのは、全国では、党組織の力が一般的にいってまだ弱いということである。全国の大衆の力もまだ非常に弱く、全国の労農基本大衆はまだ組織されていない。これらのことはすべて、一方では、国民党の統制と抑圧の政策によるものであるが、他方では、われわれ自身が働きかけなかったか、あるいは働きかけが不十分だったためである。これは、現在の抗日民族革命戦争におけるわが党のもっとも基本的な弱点である。この弱点を克服しなければ、日本帝国主義にうち勝つことはできない。この目的を達成するには、かならず「統一戦線における独立自主」の原則を実行し、投降主義または迎合主義を克服しなければならない。



全国では、他民族にたいする民族的投降主義に反対する


 (二五)以上にのべたのは、他階級にたいする階級的投降主義である。それは、プロレタリア階級をブルジョア階級の改良主義と不徹底性に適応するようにみちびくものである。この偏向を克服しなければ、抗日民族革命戦争を勝利のうちにすすめることもできず、一面的抗戦を全面的抗戦に変えることもできず、祖国を防衛することもできない。

 だが、もう一つの投降主義がある。それは、他民族にたいする民族的投降主義であって、中国を日本帝国主義の利益にかなうようにみちびき、中国を日本帝国主義の植民地に変え、すべての中国人を亡国の民に変えるものである。この偏向は、現在、抗日民族統一戦線の右派集団のなかにうまれている。

 (二六)抗日民族統一戦線の左派集団は共産党にひきいられた大衆であり、それにはプロレタリア階級、農民、都市小ブルジョア階級の大衆がふくまれている。われわれの任務は、あらゆる努力をはらって、この集団を拡大し強化することである。この任務を達成することが、国民党を改造し、政府を改造し、軍隊を改造する基本的条件であり、統一的な民主共和国をうちたてる基本的条件であり、一面的抗戦を全面的抗戦に変える基本的条件であり、日本帝国主義をうちたおす基本的条件である。

 (二七)抗日民族統一戦線の中間集団は民族ブルジョア階級と小ブルジョア階級上層である。上海の各大新聞が代表する階層は左傾しており〔9〕、復興社では一部のものが動揺しはじめ、CC団でも一部のものが動揺している〔10〕。抗戦している軍隊は深刻な教訓をえており、そのうちの一部のものは改造にとりかかったか、あるいはとりかかろうとしている。われわれの任務は、中間集団の進歩と転換をかちとることである。

 (二八)抗日民族統一戦線の右派集団は大地主と大ブルジョア階級であって、それは民族的投降主義の大本営である。かれらは、一方では戦争で自分の財産が損害をうけるのをおそれ、他方では民衆が立ちあがるのをおそれており、かれらの投降への傾斜は必然的である。かれらのうちで、しっかりしているのは、個々の特殊な状況にあるものだけで、多くのものは、すでに民族裏切り者になったか、すでに親日派になったか、親日派になろうとしているか、いま動揺しているかである。かれらのなかの一部のものが一時的に民族統一戦線にはいったのは、仕方なしに、しぶしぶはいったのである。一般的にいって、かれらが抗日民族統一戦線から分裂して出ていく日は遠くない。いま、大地主と大ブルジョア階級のなかの多くのもっとも悪質な分子は、抗日民族統一戦線を分裂させる策動をしている。かれらはデマの製造元であり、「共産党の暴動」とか「八路軍の退却」とかいうデマは、今後も日ましにふえるだろう。われわれの任務は、民族的投降主義に断固反対し、しかもこの闘争のなかで、左派集団を拡大し強化し、中間集団の進歩と転換をかちとることである。



階級的投降主義と民族的投降主義との関係


 (二九)抗日民族革命戦争では」階級的投降主義は、事実上民族的投降主義の予備軍であり、右派陣営をたすけて戦争を失敗させるもっとも悪質な偏向である。中華民族と勤労大衆の解放をたたかいとるには、また民族的投降主義との闘争を断固として強力におしすすめるには、共産党の内部とプロレタリア階級の内部にある階級的投降の偏向とたたかい、この闘争を各分野の活動のなかでくりひろげなければならない。




〔注〕

〔1〕 一九三七年八月二十五日、中国共産党中央委員会政治局が陝西省北部でひらいた洛川会議において採択した「当面の情勢と党の任務についての決定」をさす。全文はつぎのとおり。「(一)蘆溝橋における戦争挑発と北平、天津の占領は、日本侵略者が中国中心部に大挙進攻する手始めにすぎない。日本侵略者は、すでに全国の戦時動員をはじめた。かれらが口にする「不拡大」の宣伝は、その進攻をおおいかくす煙幕でしかない。(二)南京政府は日本侵略者の進攻と人民の憤激におされて、抗戦の決意をかためはじめた。全体的な国防の配置と各地における実際の抗戦もすでにはじまっている。中国と日本との大戦はさけられない。七月七日の蘆溝橋の抗戦は中国の全国的な抗戦の出発点となった。(三)中国の政治情勢は、このときから新しい段階、つまり抗戦を実行する段階にはいった。抗戦の準備段階はすでにすぎた。この段階でのもっとも中心的な任務は、あらゆる力を動員して抗戦の勝利をかちとることである。これまでの段階では、民主主義をかちとる任務は、国民党がそれをのぞまず、民衆の動員がたりなかったので達成されなかったが、これは今後、抗戦の勝利をかちとる過程で達成しなければならないものである。(四)この新しい段階では、われわれと国民党およびその他の抗日諸派との区別および論争は、いかに抗戦の勝利をかちとるかの問題であって、もはや抗戦すべきかどうかの問題ではない。(五)こんにち、抗戦の勝利をかちとる中心の鍵は、すでに口火のきられた抗戦を全面的な全民族の抗戦に発展させることである。このような全面的な全民族の抗戦でなければ、抗戦は最後の勝利をおさめることはできない。こんにち、わが党の提起している抗日救国の十大綱領こそ、抗戦の最後の勝利をかちとる具体的な道である。(六)こんにちの抗戦には、きわめて大きな危険性がふくまれている。それは主として、国民党がまだ全国人民を抗戦に立ちあがちせることをのぞんでいないためである。逆に、かれらは、抗戦を政府だけの仕事と考え、人民の参戦運動をことごとに恐れ、制限し、政府や軍隊が民衆とむすびつくのをさまたげ、人民に抗日救国の民主主義的権利をあたえず、政府を全民族的な国防政府にするための徹底的な政治機構の改革をおこなおうとしない。このような抗戦では、局部的な勝利をかちとることはできても、けっして最後的な勝利をかちとることはできない。逆に、このような抗戦には重大な失敗をまねく恐れがある。(七)当面の抗戦にはまだ重大な弱点があるので、今後の抗戦の過程では、挫折、返却、内部分化、裏切り、一時的局部的な妥協など、多くの不利な状況かうまれる可能性がある。したがって、この抗戦は、苦難にみちた持久戦になることを見てとるべきである。だが、われわれは、すでに口火のきられた抗戦が、かならずわが党と全国人民の努力によって、あらゆる障害をつきやぶってひきつづき前進、発展することを確信する。われわれは、あらゆる困難を克服し、わが党が抗戦の勝利をかちとるために提起した十大綱領の実現をめざして断固たたかうべきである。この綱領にそむくすべてのあやまった方針に断固反対すると同時に、悲観的、失望的な民族敗北主義にも反対する。(八)共産党員およびその指導下にある民衆と武装力はもっとも積極的に闘争の最前線に立ち、みずから全国抗戦の中核となり、全力をあげて抗日の大衆運動を発展させるべきである。大衆に宣伝し、大衆を組織し、大衆を武装化するのに、わずかな時間もちょっとした機会ものがしてはならない。何百回千万の大衆をほんとうに民族統一戦線に組織できさえすれば、抗日戦争の勝利は疑いない。」

〔2〕 抗日戦争の初期、国民党と蒋介石は、人民の力におされて改革についてのさまざまな約束をしたが、その後、それを一つ一つ破棄していった。当時、全国の人民が希望していた国民党の改革の「可能性」は、実現されなかった。それは、のちに毛沢東同志が『連合政府について』のなかでつぎのように説明しているとおりであった。「当時、全国人民、われわれ共産党員、その他の民主政党は、みな国民党政府にきわめて大きな期待をよせていた。つまり、国民党政府がこの民族の危機と人心奮起の時機にあたって、民主改革を断行し、孫中山先生の革命的三民主義を実行にうつすことを期待していたのである。だが、この期待ははずれてしまった。」

〔3〕 廬山訓練班とは、蒋介石がその反動支配の骨幹を養成するため江西省の廬山でひらいた、国民党の党・政府関係の高級・中級幹部の訓練班をいう。

〔4〕 当時、章乃器は「よびかけを少なくし、献策を多くする」ことを主張した。事実、国民党が人民を抑圧している状況のもとでは、たんに国民党に「献策する」だけでは役にたたない。国民党と闘争するよう、直接民衆に「よびかけ」なければならない。そうしないかぎり、抗日を堅持することも、国民党の反動に抵抗することもできない。だから、章乃器のこの主張はまちがっていた。のちには、かれはしだいにその誤りを知るようになった。

〔5〕 一九三七年九月二十五日にだされた「共産党が政府に参加する問題についての中国共産党中央の決定草案」をさす。全文はつぎのとおり。「(一)こんにちの抗戦の情勢からすれば、有利に抗日民族革命戦争を指導し、日本帝国主義にうち勝つには全民族的な抗日民族統一戦線政府がさしせまって必要である。共産党はこのような政府に参加する用意があり、つまり直接に公然と政府の行政責任をおい、そのなかで積極的な役割をはたす用意がある。しかし、こんにち、まだこのような政府はない。こんにちあるのは、やはり国民党一党独裁の政府だけである。(二)国民党一党独裁の政府を全民族的な統一戦線の政府に変えたとき、つまりこんにちの国民党政府が、(イ)わが党の提起した抗日救国十大綱領の基本内容をうけいれ、この内容にもとづいて施政綱領を公表したとき、(ロ)実際の行動のうえでこの綱領を実現する誠意と努力をしめしはじめ、この面で相当の成績をあげたとき、(ハ)共産党の組織の合法的存在をゆるし、共産党に大衆を動員し、大衆を組織し、大衆を教育するという自由を保障したとき、そのときはじめて、中国共産党はこれに参加する。(三)党中央が中央政府に参加することを決定するまでは、共産党員は、一般に、地方政府に参加してはならず、政府行政機関に付属する、中央および地方のすべての行政会議および委員会に参加してはならない。なぜなら、そうしたものに参加することは、いたずらに共産党員としての姿をあいまいにし、国民党の独裁支配を長びかせ、統一的な民主政府の樹立をうながすのに有害無益だからである。(四)しかし、特殊な地区の地方政府、たとえば戦区の地方政府で、従来の支配者が、いままでどおり支配をおこなうことができず、基本的に共産党の主張を実行しようとしており、共産党もすでに公然たる活動の自由をえているばあい、しかも、当面の緊迫した情勢から、共産党の参加が人民と政府のいずれからも必要とされるにいたったばあいには、共産党はこれに参加してもよい。日本侵略者が占領している地域では、共産党は、なおさら公然と抗日統一戦線政権の組織者になるべきである。(五)共産党が公然と政府に参加する以前でも、全国国民大会のような、民主憲法や救国の方針を討議する代議機関に参加することは、原則的にゆるされる。したがって、共産党は、できるかぎり自己の党員を国民大会に当選させ、その演壇を利用して、共産党の主張を宣伝すべきであり、そうすることによって、人民を動員し、人民を共産党のまわりに組織し、統一的な民主政府の樹立を促進するのである。(六)共産党の中央および地方の組織は、国民党の中央および地方の党部とともに、一定の共同綱領にもとづき、完全な平等の原則にしたがって、各種連合委員会(たとえば国民革命同盟会、大衆運動委員会、戦地動員委員会など)のような統一戦線の組織をつくってもよい。共産党は、国民党とのこのような共同行動をつうじて、国共両党の協力を実現すべきである。(七)赤軍が国民革命軍と改称され、赤色政権機関が特別地区政府にあらためられたのちには、その代表者は、すでに獲得した合法的な地位によって、抗日救国に有利なすべての軍事的な機関や大衆的な機関に参加してもよい。(八)もとの赤軍およびすべての遊撃隊のなかでは、共産党が絶対的な独立した指導権を保持することは、完全に必要である。共産党員はこの問題でいかなる原則上の動揺もゆるされない。」

〔6〕 当時、党内の一部の同志が主張した、革命根拠地内の人民代表会議の政権制度をブルジョア国家の議会制度に変えようとする意見をさす。

〔7〕 一九三四年十月、中央赤軍が北上したのち、南方の江西、福建、広東、湖南、湖北、河南、淅江、安徽の八省の十四の地区にのこっていた赤軍遊撃隊は、極度に困難な状況のもとで遊撃戦争を堅持していた。抗日戦争が勃発すると、かれらは、中国共産党中央の指示にもとづいて、内戦を停止し一つの軍団に編成して(これがのちに長江南北で抗日を堅持した新四軍である)抗日のため前線へ出動するということについて、国民党と交渉した。ところが、蒋介石は、交渉を利用してこれらの遊撃隊を消滅しようとたくらんだ。福建・広東省境地区は当時の十四の遊撃区の一つであり、何鳴はこの地区の遊撃隊の責任者の一人であった。何鳴は、蒋介石の陰謀にたいして警戒を怠ったため、そのひきいていた一千余名の遊撃隊員が集結したのちに、国民党に包囲され、武装解除された。

〔8〕 『解放週刊』は中国共産党中央の機関誌であった。一九三七年、延安で創刊されたが、一九四一年、『解放日報』が発行されたので、停刊になった。

〔9〕 当時の『申報』などの新聞によって代表された一部の民族ブルジョア階級をさす。

〔10〕 復興社とCC団は、蒋介石と陳立夫をかしちとする、国民党内の二つのファシスト組織であり、大地主、大ブルジョア階級の寡頭支配の利益を代表していた。しかし、そのなかにいた小ブルジョア分子の多くは、強制されるか、だまされるかしてはいったものであった。ここでいう復興社の一部のものとは、おもに、当時の国民党軍隊の一部の中級・下級将校をさす。CC団の一部のものとは、おもに、その当時実権をにぎっていなかったものをさす。

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