戦犯の和を乞うを評す (一九四九年一月五日)
これは、毛沢東同志が新華社にかわって書いた論評で、国民党が和平交渉を利用して反革命の力を温存しようとしていることを暴露した一連の論評のうちの最初のものである。その他の論評には、『四分五裂の反動派がなぜまた「全面的和平」の空念仏をとなえるのか』『国民党反動派は「和平のよびかけ」から戦争のよびかけに変わった』『戦争責任の問題にたいする国民党のいくつかの答案を評す』『南京政府はどこへいく』などがある。
中国の戦争犯罪人第一号である国民党匪賊一味の頭目蒋介石は、中国の反動勢力と中国におけるアメリカの侵略勢力を温存しようとして、ことしの元旦に、和平を乞いもとめる声明を発表した。戦犯蒋介石はこういっている。「和議が国家の独立・保全をそこなうことなく、人民の休養・生存に役立つかぎり、また神聖な憲法が余の故をもって犯されることなく、民主的憲政がそれによって破壊されることなく、中華民国の国体が確保され、中華民国の法的正統性が中断されず、軍隊が確実な保障をあたえられ、人民が自由な生活様式と当面の最低生活水準を維持しうるかぎり、余個人として他に求めるところはさらにない。」「平和がたしかに実現されるかぎり、個人の出処進退は、なんら拘泥するところでなく、ただ国民の総意に従うのみである。」戦犯が和平を乞いもとめるとはいささか滑稽だ、などと考えてはいけないし、こうした和平を乞いもとめる声明はまことにけしからぬ、などと考えてもいけない。戦犯第一号である国民党匪賊一味の頭目がおもてに立って和平を乞いもとめ、このような声明を発表したことは、中国人民が国民党匪賊一味とアメリカ帝国主義の腹黒い計画を知るうえで、たいへん有益であることを知らなければならない。このことから、中国人民は、いまさかんにさわがれている「和平」なるものこそ、凶悪な殺人犯蒋介石一味とその主人アメリカがさしせまって必要とするものであったことがわかるのである。
蒋介石は匪賊一味の全計画を白状した。その計画の要点はつぎのとおりである。
「国家の独立・保全をそこなわない」こと――これが何よりもたいせつなことである。「和平」も結構だが、「和平」のために四大家族と買弁・地主階級の国家の「独立・保全」がそこなわれるのでは、まっぴらごめんである。「和平」のために中米友好通商航海条約、中米空中輸送協定〔1〕、中米双務協定〔2〕などの条約がそこなわれ、中国における陸海空軍の駐屯、軍事基地の設置、鉱物資源の開発、貿易の独占などといったアメリカの特権がそこなわれ、中国をアメリカの植民地にすることがそこなわれるのでは、つまり一口にいって、「和平」のために蒋介石の反動国家の「独立・保全」をまもるこうしたすべての措置がそこなわれるのでは、いっさいごめんである。
「人民の休養・生存に役立つ」こと――「和平」は、すでにうち負かされてはいるがまだ消滅されてはいない中国反動派の休養・生存に役立たなければならない。よく休養してから勢いをもりかえし、革命を撲滅するのである。「和平」とは、そのためのものにほかならない。二年半も戦争をやってきたが、「走狗が大の用をなさない」ので、アメリカ人が腹を立てている。ほんのしばらくでも休養できたら、それでよい。
「神聖な憲法が余の故をもって犯されることなく、民主的憲政がそれによって破壊されることなく、中華民国の国体が確保され、中華民国の法的正統性が中断されない」こと 中国の反動階級と反動政府の支配的地位を確保し、この階級とこの政府の「法的正統性が中断されない」よう、これを確保するのである。この「法的正統性」は、どうあっても「中断」させてはならない。もし「中断」されたら、それこそ危険であって、買弁・地主階級全体が消滅され、国民党匪賊一味が滅亡し、大、中、小のあらゆる戦争犯罪人が逮捕、断罪されることになる。
「軍隊が確実な保障をあたえられる」こと これは買弁・地主階級の命の綱である。すでに、憎むべき人民解放軍によって何百万も殲滅されはしたが、まだ百何十万ものこっているから、是が非でも「保障」があたえられ、しかもそれが「確実」でなければならない。「保障」があたえられても、「確実」でなければ、買弁・地主階級は元手をうしなうことになり、「法的正統性」はやはり「中断」され、国民党匪賊一味はやはり滅亡し、大、中、小のあらゆる戦犯はやはり逮捕、断罪されることになる。大観園に住まう賈宝玉の命の綱は、首にかけた石ころだったが〔3〕、国民党の命の綱はその軍隊である。どうして、「保障」があたえられないでよいとか、あるいは「保障」があたえられても「確実」でなくてよいとかといえるだろうか。
「人民が自由な生活様式と当面の最低生活水準を維持しうる」こと――中国の買弁・地主階級は、全国人民を抑圧し搾取する自由と、いまのぜいたくきわまる享楽的な生活水準を維持しなければならないし、中国の勤労人民は、抑圧ざれ搾取される自由と、いまの飢えと寒さにあえぐ生活水準を維持しなければならない。これが戦犯の和平を乞いもとめる究極の目的である。もし戦犯たちとその階級が、抑圧し搾取する自由と、ぜいたくきわまる享楽的な生活水準を維持できないなら、和平が何の役にたつだろうか。そうしたものを維持するには、労働者、農民、知識人、公務員・教員のいまのような飢えと寒さにあえぐ「自由な生活様式と最低生活水準」を、当然、維持しなければならない。この条件が、ひとたびわれわれの愛すべき蒋総統から持ちだされれば、幾千万の労働者、手工業労働者、自由職業者、幾億の農民、幾百万の知識人や公務員・教員は、ただもういっせいに拍手し、地にひれ伏して、万歳をとなえるだけである。共産党がなおも和平をうけいれず、そのため、このようにすばらしい生活様式と生活水準が維持できなくなるとすれば、その罪は万死に値し、「今後のいっさいの責任は、すべて共産党が負わねばならぬ」ことになる。
以上のべたことで、一月一日の、戦犯の和平を乞いもとめる声明のなかのあらゆる逸品がみな出つくしたわけではない。まだ、もう一つ逸品がある。蒋介石が新年のあいさつのなかでのべている「南京・上海決戦」がそれである。どこにそんな「決戦」をやる力があるのだろうか。蒋介石は、「政府のこんにちの力は軍事、政治、経済のいずれの面におけるをとわず、共産党を数倍ないし数十倍しのぐことを知るべきである」といっている。いやはや、そんなにも大きな力では、どうして肝をつぶさずにおられよう。政治、経済両面の力はしばらくおくとして、「軍事力」の面だけをみても、人民解放軍はいま三百余万人いるのだから、この数を「しのぐ」とすると、二倍なら六百余万人、十倍なら三千余万人、「数十倍」では、いくらになることか。いちおう二十倍としても、六千余万人になる。蒋総統が「決戦に勝利する自信がある」というのも無理はない。それなら、なぜ和平を乞いもとめるのか。だんじて、戦えないからではない。六千余万人で押していけば、この世の中に共産党とかその他の政党とかが、万が一にも存在できるはずはなく、もちろん、ことごとくこっぱみじんになってしまう。これからもわかるように、和平を乞いもとめるのはひとえに「民のために命乞いをする」のであり、だんじてその他のためにするのではない。
では、万事が上々で、欠点はなにひとつないのだろうか。きけば、欠点もあるとのことである。どういう欠点か。蒋総統はいっている。「現在、遺憾とするところは、わが政府内の一部に、共産党の悪意ある宣伝をうけて、心理的に動揺し、ほとんど自信をうしなっているものがいることである。かれらは精神的に共産党の脅威をうけているため、敵の力しかみえず、敵に数十倍する大きな力がまだ自分にあることがみえないのである。」いつの年にもニュースはあるものだが、ことしのはとくにかわっている。六千余万の将校と兵士をもつ国民党員が、味方の六干余万は目にはいらず、あべこべに人民解放軍の三百余万が目につくとは、これこそ特別のニュースではなかろうか。
ところで、こうしたニュースはまだ市場で売れゆきがあるのだろうか。まだ目をくれる価値があるのだろうか。われわれが手にいれた北平市内からの報道によれば、「元旦の物価は午前やや下がったが、午後にはもとに復した」とのことである。外国の通信社は、「蒋介石の新年のあいさつにたいする上海の反響は冷淡である」ともつたえている。これが、戦犯蒋介石の売れゆきの問題にたいする回答である。われわれは前からいっている。蒋介石はすでに魂をうしなっており、一個の屍にすぎない、もうだれもかれを信じなくなっている、と。
〔注〕
〔1〕 蒋介石政府とアメリカ帝国主義の「中米空中輸送協定」は、一九四六年十二月二十日に調印された。蒋介石はこの協定のなかで、中国の全領空権の投げ売りをしている。この協定の規定によれば、アメリカの飛行機は中国のいたるところで、飛行、貨物の積みおろし、積みかえをしてもよいことになっており、中国の空輸事業は完全にその支配下におかれた。アメリカの飛行機はまた中国の領土内で、「非営業的な着陸の権利」すなわち軍事着陸権をもつことになっていた。
〔2〕 「中米双務協定」とは、いわゆる「中米間の経済援助にかんする協定」のことで、一九四八年七月三日、蒋介石政府とアメリカ帝国主義の双方の代表が南京で調印したものである。この協定には、アメリカ帝国主義は蒋介石政府の財政経済にたいして最高の監督権と決定権をもち、中国で直接監督にあたるアメリカの要員は「治外法権」のあつかいをうけること、アメリカ帝国主義はその必要とするいかなる戦略物資も中国で手にいれることができ、蒋介石政府は定期的にこれらの物資にかんする情報を提供しなければならないこと、蒋介石政府はアメリカ商品の中国へのダンピングを保証することなどが規定されている。
〔3〕 賈宝玉は一八世紀の中国の小説『紅楼夢』にでてくる人物で、大観園は賈宝玉の邸内にある庭園のことである。賈宝玉は生まれたとき、口に一つの玉をふくんでいた。その玉はかれの命の綱で、肌身はなさず首にかけていなければならず、なくしたら「魂魄を失う」というのである。




