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革命を最後まで遂行せよ (一九四八年十二月三十日)

これは、毛沢東同志が新壁社にかわって書いた一九四九年の年明の辞である。



 中国人民は偉大な解放戦争で最後の勝利をかちとろうとしている。この点については、いまわれわれの敵でさえ疑ってはいない。

 戦争はまがりくねった道をたどってきた。国民党反動政府が反革命戦争をおこした当時、その軍隊の兵員数は人民解放軍のほぼ三倍半にあたり、その軍隊の装備や人的・物的資源にいたっては、人民解放軍をはるかにしのいでいた。かれらは、人民解放軍に欠けている現代工業や現代交通機関をもっていたし、アメリカ帝国主義から大量の軍事的、経済的援助をうけていたし、しかも長いあいだ準備をしていたのである。戦争の第一年目(一九四六年七月から一九四七年六月まで)が国民党の進攻と人民解放軍の防御となってあらわれたのは、こうした事情によるものである。国民党は一九四六年に、東北地方では、瀋陽シェンヤン四平スーピン長春チャンチュン吉林チーリン安東アントンなどの都市および遼寧リァオニン遼北リァオペイ、安東などの省〔1〕の大部分を占領し、黄河ホヮンホー以南では、淮陰ホヮイイン菏沢ホーツォーなどの都市および湖北フーペイ河南ホーナン安徽アンホイ解放区、江蘇チァンスー・安徽解放区、河南・安徽・江蘇解放区、山東シャントン省西南部解放区の大部分を占領し、長城以北では承徳チョントー集寧チーニン張家口チャンチァコウなどの都市および熱河ローホー綏遠スイユァン察哈爾チャーハールの諸省の大部分を占領し、その勢いあたるべからざるものがあった。人民解放軍が、地域の保持を主としないで、国民党の兵員の殲滅せんめつを主とする正しい戦略方針をとり、国民党正規軍を月平均ほぼ八コ旅団(現在の師団に相当)殲滅したので、国民党はついに、全面的進攻の計画を放棄し、一九四七年の上半期には進攻の重点を南部戦線の両翼、すなわち山東省と陝西シャンシー省北部地区に局限せざるをえなくなった。戦争には、二年目(一九四七年七月から一九四八年六月まで)に根本的な変化がおきた。大量の国民党正規軍を消滅した人民解放軍は南部戦線でも北部戦線でも防御から進攻に転じ、国民党側は進攻から防御に転ぜざるをえなくなった。人民解放軍は、東北地方、山東省、陝西省北部地区でほとんどの失地を回復したばかりでなく、戦線を長江チャンチァン渭水ウェイショイ以北の国民党支配区にまでのばした。また石家荘シーチァチョワン運城ユンチョン、四平、洛陽ルオヤン宜川イーチョワン宝鶏パオチーウェイ県、臨汾リンフェン開封カイフォンなどの都市にたいする攻略作戦で、堅塁攻略の戦術〔2〕を身につけた。人民解放軍は自己の砲兵と工兵を編成した。忘れてならないのは、人民解放軍には飛行機や戦車はないが、人民解放軍に国民党軍をしのぐ砲兵と工兵が編成されてからは、国民党の防御体制が、その飛行機や戦車までふくめて、とるに足らないものになったことである。人民解放軍は運動戦ばかりでなく、陣地戦もおこなえるようになった。戦争の三年目のはじめの半年間(一九四八年七月から十二月まで)に、もう一つの根本的な変化がおきた。人民解放軍が兵員数でも、長期にわたる劣勢から優勢に転じたのである。人民解放軍はすでに、国民党が堅固な防備をほどこしている都市を攻略することができるばかりでなく、いちどに十万ないし数十万にものぼる国民党の強大な精鋭兵団を包囲し、殲滅することができるようになった。人民解放軍の国民党兵力殲滅の進度はひじょうにはやくなった。ここで、敵正規軍部隊のうち一コ大隊以上を殲滅された分(蜂起した敵軍をふくむ)を統計してみると、第一年目は九十七コ旅団に相当し、そのうち四十六コ旅団は旅団全員、二年目は九十四コ旅団に相当し、そのうち五十コ旅団は旅団全員、三年目のはじめの半年間は、おおまかな統計によっても百四十七コ師団に相当し、そのうち百十一コ師団は師団全員〔3〕となっている。この半年間に師団全員を殲滅された敵の師団数は、過去二年間のそれよりも十五コ師団多くなっている。敵の戦略上の戦線はすっかり瓦解している。東北地方の敵は完全に消滅されたし、華北の敵は完全に消滅されようとしており、華東と中原の敵はわずかしかのこっていない。国民党の主力が長江以北で消滅されたことは、人民解放軍がこんご長江をわたって南進し全中国を解放する戦いをすすめるのをひじょうに有利にしている。軍事戦線での勝利とともに、中国人民は政治戦線、経済戦線でも偉大な勝利をかちとった。このため、いまでは、帝国主義のあらゆる新聞をふくむ全世界の世論は、中国人民解放戦争の全国的な勝利についてまったく論争がなくなった。

 敵がみずから消滅することはありえない。中国の反動派にせよ、中国におけるアメリカ帝国主義の侵略勢力にせよ、自分からすすんで歴史の舞台をひきさがることはありえない。かれらは、中国人民解放戦争の全国的な勝利がたんなる軍事闘争の方法ではもはや阻止できないことを見てとったからこそ、日一日と政治闘争の方法を重視するようになっている。中国反動派とアメリカ侵略者はいま、反動勢力を温存し革命勢力を破壊するために、一方では、現存の国民党政府を利用して「和平」の陰謀をすすめるとともに、他方では、中国反動派やアメリカ侵略者とのつながりもあれば革命陣営とのつながりもある一部の人びとをつかい、かれらをそそのかし、けしかけて、うまく立ちまわらせ、極力革命陣営にまぎれこませ、革命陣営のなかのいわゆる反対派を形成するようにさせる策謀をすすめている。確実な情報によれば、アメリカ政府はこのような陰謀計画を決定し、すでに中国でそうした活動をはじめている。アメリカ政府の政策は、たんなる国民党の反革命戦争支持から、二つの方式による闘争へと転換している。その第一は、国民党の残存軍事力といわゆる地方勢力を組織して、長江以南の地域がよび辺境の諸省で人民解放軍にたいする抵抗をつづけさせることであり、第二は、革命陣営内で反対派を組織して、革命を極力現在の線にふみとどまらせ、さらに前進するとしても、温和な巴色いをもたせ、なんとしても帝国主義とその手先の利益をあまり侵害させないようにすることである。イギリスとフランスの帝国主義者は、アメリカのこの政策の支持者である。こうした事態を、いまのところ多くの人がまだはっきり見てとっていないが、そう遠くないうちにこのことをはっきり見てとるであろう。

 いま中国人民、各民主政党、各人民団体の直面している問題は、革命を最後まで遂行するか、それとも革命を中途でやめるか、ということである。革命を最後まで遂行するとすれば、それは革命的な方法をもちいて、すべての反動勢力を断固として、徹底的に、きれいに、のこらず消滅し、帝国主義の打倒、封建主義の打倒、官僚資本主義の打倒をゆるぎなく堅持し、全国的範囲で国民党の反動支配をくつがえし、全国的範囲で、プロレタリア階級の指導する、労農同盟を主体とした人民民主主義独裁の共和国を樹立することである。そうすれば、中華民族の一大解放を実現して、半植民地を真の独立国にかえることができ、中国人民の一大解放を実現して、その頭上にのしかかっている封建的抑圧と官僚資本(すなわち中国の独占資本)の抑圧をいちどにはねのけることができるし、またそれによって、統一された民主的な平和の局面をつくりだし、農業国を工業国にかえるための前提条件をつくりだし、人が人を搾取する社会から社会主義社会に発展する可能性をつくりだすことができるようになる。革命を中途でやめるとすれば、それは人民の意志にそむき、外国侵略者と中国反動派の意志をうけいれることになり、国民党が痛手をいやす機会をえたうえで、いつの日にか突然おそいかかってきて革命をしめ殺し、全国を暗黒の世界にひきもどすのを許すことになる。現在、問題は、こんなにもはっきりと、こんなにもするどく提起されている。二つの道のうち、いったいどちらを選ぶか。中国のどの民主政党、どの人民団体もすべて、この問題について考えなければならないし、自己の歩む道を選ばなければならないし、自己の態度をはっきりさせなければならない。中国の各民主政党、各人民団体が、中途で仲間割れすることなく、心から協力することができるかどうかは、かれらがこの問題について一致した見解をとるかどうか、中国人民の共同の敵を打倒するために一致した歩調をとることができるかどうかにかかっている。ここで必要なのは、一致であり、協力であって、「反対派」なるものを結成することでもなければ、「中間路線」〔4〕なるものを歩むことでもない。

 一九二七年四月十二日の反革命クーデターからこんにちまでの二十余年にわたる長い年月をつうじて、蒋介石チァンチェシーらをかしらとする中国の反動派は、満身血にまみれた、人を殺しても顔色ひとつ変えない殺人鬼の一味であるということが、まだ証明されていないとでもいうのだろうか。かれらが職業的な帝国主義の手先、売国奴の一味であることがまだ証明されていないとでもいうのだろうか。一九三六年十二月の西安事変いらい、一九四五年十月の重慶交渉と一九四六年一月の政治協商会議いらい、中国人民が、かれらとのあいだに国内平和をうちたてようとして、この匪賊一味にどれほど道義のかぎりをつくしてきたかをおもいおこしてもらいたい。しかし、すべての善良な願望はかれらの階級的本性を爪の垢ほどでもかえさせただろうか。これら匪賊どもの歴史は、なにひとつとして、アメリカ帝国主義と切りはなせるものはない。かれらはアメリカ帝国主義にたよって四億七干五百万の同胞をかつてない残酷な一大内戦に投げこんだのであり、かれらはアメリカ帝国主義から供給された爆撃機、戦闘機、大砲、戦車、バズーカ砲、自動小銃、ナパーム弾、毒ガス弾などの殺人兵器で幾百万もの老若男女を殺したのである。そしてアメリカ帝国主義はかれらにたよって、中国の領土権、領海権、領空権、内政航行権、商業上の特権、内政外交上の特権をはじめ、人をうち殺し、ひき殺し、婦女子に暴行をくわえてもなんら処罰されない特権までも奪いとったのである。中国人民は、こんなに長いあいだ血みどろの戦争をやらされても、これら凶悪無比の敵を徹底的に消滅し駆逐しないで、これらの敵にたいして温柔であり愛情をしめすべきだ、とでもいうのだろうか。中国の反動派を徹底的に消滅し、アメリカ帝国主義の侵略勢力を中国から駆逐してこそ、中国は独立をかちとることができ、民主主義をかちとることができ、平和をかちとることができるのである。この真理が、まだはっきりしないとでもいうのだろうか。

 注目すべきことは、いま中国人民の敵が、急に、さも害のないような、しかもあわれっぽい格好をよそおうのにおおわらわになっていることである(今後もこうしたあわれっぽい格好をよそおうであろうことを、読者は心にとめておいていただきたい)。最近国民党の行政院長になった孫科スンコーは、昨年六月、「軍事面では、最後まで戦いさえすれば、結局は解決できる」と公言したのではなかったか。ところが、こんど登場すると、「政府は平和をもとめるために努力したが、平和が実現できなかったのでやむなく武力をもちいた。武力をもちいた究極の目的はやはり平和の回復をはかることにある」などといって、「栄えある平和」なるものをまくしたてた。十二月二十一日の上海シャンハイ発UP電はすぐに、孫料の声明は「アメリカの官辺筋や国民党内の自由主義的人士のあいだで、きわめてひろい称賛を博するだろう」と予測した。アメリカの官辺筋は、現在、中国の「和平」に熱心であるばかりでなく、一九四五年十二月のモスクワのソ米英三国外相会議のときからアメリカは「中国の内政への不干渉政策」をまもってきたとくりかえし表明している。こうした君子国の先生方にはどう対処したらよいのか。それには、古代ギリシアのつぎのような寓話がよい参考になる。「冬のある日、一人の農夫が、凍えきった一匹の蛇を見かけた。農夫は蛇をたいへんあわれんで、さっそく自分のふところにいれてやった。すると蛇はぬくもりで息をふきかえし、やがて本性をとりもどすと、自分の恩人にかみついて致命傷をおわせた。農夫は死ぬまぎわに、おれは悪い奴をあわれんだのだから、こんな悪い報いをうけるのも当然だ、といった。」〔5〕外国と中国の毒蛇どもは、中国人民がこの農夫とおなじように死んでいくことをねがい、中国共産党、中国のあらゆる革命的民主派がみなこの農夫とおなじように毒蛇にたいして情け深いことをねがっている。しかし、中国人民、中国共産党、中国の真の革命的民主派は、この勤労者がいいのこしたことばを聞いているし、またよくおぼえている。まして、中国の国土のあちこちにとぐろを巻いている大蛇や小蛇、黒蛇や白蛇、毒牙どくがをむきだした蛇や美女に化けた蛇どもは、すでに冬の脅威は感じていても、まだ凍えきってはいないのだ。

 中国人民は、蛇とおなじような悪人をけっしてあわれみはしないし、また、甘言を弄して、こういう悪人どもをあわれんでやりなさい、そうでないと国情にあわないし、偉大さに欠けます、などという連中は、けっして中国人民の忠実な友ではない、と卒直に考えている。蛇とおなじような悪人を、なぜあわれまなければならないのか。いったい労働者のだれが、農民のだれが、兵士のだれがこんな悪人をあわれめなどと主張しているのだろうか。中国人民にたいして、アメリカや国民党の「和平」をうけいれるべきだとすすめる「国民党内の自由主義的人士」または非国民党員の「自由主義的人士」がいることもたしかである。つまり、かれらは帝国主義、封建主義、官僚資本主義という後生大事のしろものが世界であとを絶つことのないように、その残存物を神様としてまつるべきだというのである。しかし、かれらはけっして労働者、農民、兵士でもなければ、労働者、農民、兵士の友でもないのである。

 われわれは、中国人民の革命陣営は拡大されなければならないし、当面の革命事業に参加することをのぞむすべての人びとを包容しなければならない、と考えている。中国人民の革命事業には主力軍が必要であるし、また同盟軍も必要であって、同盟軍のない軍隊は敵にうち勝つことはできない。革命の高揚のなかにある中国人民は、自己の友を必要としており、自己の友をおぼえておくべきであって、かれらを忘れてはならない。人民の革命事業に忠実な友、人民の利益をまもることに努力し敵の利益をまもることに反対する友が、中国に少なからずいることは疑いのないところであり、またそれらの人びとをただの一人でも忘れたり、冷淡にあつかったりしてはならないことも疑いのないところである。われわれはまた、中国人民の革命陣営は強化されなければならず、悪質分子の侵人を許してはならず、あやまった主張が勝利するのを許してはならないと考えている。革命の高揚のなかにある中国人民は、自己の友をおぼえておくと同時に、自己の敵や敵の友をしっかりとおぼえておかなければならない。うえにのべたように、敵がいま、「和平」の手段と革命陣営にもぐりこむ手段にうったえて、自己の陣地を保持し強化しようとたくらんでいる以上、しかも人民の根本的利益が、すべての反動勢力を徹底的に消滅し、アメリカ帝国主義の侵略勢力を中国から駆逐することを要求している以上、敵をあわれみ、反動勢力を温存するよう人民にすすめる連中はみな、人民の友ではなくて敵の友である。

 中国革命の窓出席は社会の各階層に自己の態度の決定をせまっている。中国の階級間の力関係には、いま新しい変化がおこりつつある。おびただしい人民がぞくぞく、国民党の影響と支配を脱して革命陣営の側に立つようになっており、中国の反動派はまったく孤立無援の窮地におちいっている。人民解放戦争が最後の勝利に近づけば近づくほど、すべての革命的な人民とすべての人民の友は、ますますしっかりと一致団結し、中国共産党の指導のもとに、全中国の範囲で人民民主共和国をうちたて統一された民主的な平和を実現するまで、徹底的に反動勢力を消滅し徹底的に革命勢力を発展させることをだんこ主張するであろう。それとは反対に、アメリカ帝国主義者、中国反動派およびかれらの友は、しっかりと一致団結することはできないにしても、また、はてしない相互のあいだの□論、悪罵、非難、背反はおこるにしても、ある一点では、つまり、さまざまの手段にうったえて革命勢力を破壊し、反動勢力を温存しようとはかる点では、やはりたがいに協力するであろう。かれらは、公然または秘密の、直接または遠まわしの、さまざまの手段にうったえるであろう。しかし、かれらの政治的陰謀がその軍事的進攻と同様の失敗をなめるであろうことは、断言してよい。すでにじゅうぶんな経験をつんでいる中国人民とその参謀本部である中国共産党はかならず、敵の軍事的進攻を粉砕したと同様に敵の政治的陰謀を粉砕し、偉大な人民解放戦争を最後まで遂行するであろう。

 一九四九年には、中国人民解放軍は長江以南にむかって進軍し、一九四八年よりもさらに偉大な勝利をかちとるであろう。

 一九四九年には、われわれは経済戦線で、一九四八年よりもさらに偉大な成果をおさめるであろう。われわれの農業生産と工業生産は、これまでよりもいちだんと高まり、鉄道と自動車道路の交通は全部回復するであろう。人民解放軍の主力兵団の作戦は、まだのこっているある種の遊撃性を脱して、正規化の度合いをいっそう高めるであろう。

 一九四九年には、反動分子の参加しない、人民革命の任務の完遂を目標とする政治協商会議を招集し、中華人民共和国の成立を宣言するとともに、共和国の中央政府を組織することとなろう。この政府は、中国共産党の指導する、各民主政党、各人民団体の適当な代表的人物の参加する民主連合政府となるであろう。

 これらが、中国人民、中国共産党、中国のすべての民主政党と人民団体が一九四九年にその実現のため努力しなければならないおもな具体的任務である。われわれはどのような困難もおそれず、一致団結してこれらの任務を達成するであろう。

 数千年らいの封建的抑圧、百年らいの帝国主義的抑圧は、われわれの奮闘をつうじて徹底的にくつがえされるであろう。一九四九年はきわめて重要な年である。われわれはいちだんと努力しなければならない。




〔注〕

〔1〕 一九四五年に日本が降伏したのち、国民党政府はもとの東北三省(遼寧、吉林、黒竜江)を遼寧、遼北、安東、吉林、合江、松江、黒竜江、嫩江、興安の九省に区画した。一九四九年に、わが東北行政委員会は東北三省の行政区画を調整して、遼東、遼西、吉林、黒竜江、松江の五省とし、これに熱河省をくわえて、東北六省とよんだ。一九五四年に、中央人民政府委員会は遼東省、遼西省を合併して遼寧省とあらため、松江省と黒竜江省を合併して黒竜江省とし、吉林省はもとのままとすることを決定した。一九五五年には熱河省が廃止され、その管轄区域は河北、遼寧の二省と内蒙古自治区にくみいれられた。

〔2〕 石家荘は一九四七年十一月十二日に、運城は一九四七年十二月二十八日に、四平は一九四八年三月十三日にそれぞれ攻略され、洛陽は一九四八年三月十四日と四月五日の二回にわたって攻略され、宜川は一九四八年三月三日に、宝鶏は一九四八年四月二十六日に、濰県は一九四八年四月二十七日に、臨汾は一九四八年五月十七日に、開封は一九四八年六月二十二日にそれぞれ攻略された。これらの都市はすべて、大量のトーチカ群をそなえ、あるいはそのほかに高い城壁をもそなえ、さらにその外側にいく重もの外濠、鉄条網、逆茂木などの補助防御施設がほどこされていた。当時、わが軍には、飛行機も戦車もなく、砲兵もまったくないかまたはごくわずかしかなかった。上にのべた都市を攻略するなかで、わが軍は一連の堅塁攻略戦術を身につけた。その戦術とはつぎのようなものであった。(1)連続爆破――敵の各種防御施設を爆薬で連続的に爆破する。(2)坑道作業――ひそかに敵のトーチカまたは城壁の下まで坑道を掘り、爆薬で爆破すると同時に、猛烈な突撃を開始する。(3)対壕作業、つまり近接作業――敵の堅固な防御工事にたいして、壕を掘り隠蔽して敵に近接し、不意に突撃を敢行する。(4)爆薬包の投擲――擲弾筒または追撃砲を利用して爆薬包を発射し、敵の防御施設を破壊する。(5)兵力、火力を集中し、一点を突破して突入、分断する「突入戦法」をおこなう。

〔3〕 ここでいう「旅団全員」「師団全員」とは、全員が殲滅された国民党軍の旅団および師団のことである。ここでいう旅団とは、再編成後の旅団のことであり、師団とは再編域後の師団ではなくて、再編成前の国民党軍の師団のことである。両者は実際にはおなじものである。

〔4〕 「中間路線」とは、いわゆる第三の道のことである。本巻の『当面の情勢とわれわれの任務』注〔8〕を参照。

〔5〕 『イソップ物語』のなかの「農夫と蛇」にみられる。

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