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杜聿明らに降伏をうながす書 (一九四八年十二月十七日)

これは、毛沢東同志が中原、華東の両人民解放軍司令部のために書いた放送原稿である。



 杜聿明トウユィミン将軍、邱清泉チゥチンチュアン将軍、李瀰リーミー将軍、ならびに邱清泉、李瀰両兵団の軍団長、師団長、連隊長諸君

 諸君はいまや絶体絶命の窮地にたたされている。黄維ホヮンウェイ兵団は十五日夜すでに全軍覆滅し、李延年リーイェンネン兵団はきびすを返して南へ逃げてしまった。諸君がかれらに近づこうとしてももはや望みはない。諸君は包囲を突破するつもりなのか。四方八方みな解放軍なのにどうして突破できるのか。諸君はここ数日、包囲突破をこころみてきたが、どんな結果に終わったか。諸君の飛行機や戦車も役にはたたない。われわれの飛行機、戦車のほうが諸君のより多いのだ。それは大砲と爆薬のことで、人びとはこれを手製飛行機、手製戦車とよんでいるが、諸君の舶来飛行機、舶来戦車より十倍もすごいではないか。諸君の孫元良スンユァンリァン兵団はすでにやられてしまったし、のこる諸君の二コ兵団もすでに半分以上が負傷したり捕虜になったりしている。諸君は、徐州シュイチョウからつれてきた雑多な機関要員や若い学生をおおぜいむりやり部隊に編入したが、こういうものにどうして戦争ができるのか。この十数日らい、われわれに十重二十重に包囲され、さんざんな打撃をうけて、諸君の陣地はぐっと縮小した。諸君にはたてよこわずか十数華里の小さな場所があるだけで、しかもおおぜいのものがひしめきあっているのだから、われわれは、一発の砲弾で、諸君をたばにしてたおすことができる。諸君の負傷兵や軍隊についてきた家族は、諸君のおかげでしきりに苦しみをうったえている。諸君の兵士や多くの幹部もみな、これ以上戦うのはまっぴらだとおもっている。副総司会として、兵団司令として、軍団長、師団長、連隊長として、諸君は部下や家族の気持ちをくみとり、その生命をたいせつにして、すこしでも早くかれらのために生きる道を見いだしてやるべきで、これ以上、かれらを無意味な犠牲にするのはやめたまえ。

 いまでは、黄維兵団は全部殲滅せんめつされ、李延年兵団は蚌埠パンプーに逃げきったので、われわれは、諸君の数倍の兵力を集中して諸君を攻撃することができる。われわれのこんどの戦いはわずか四十日間だったが、諸君の側はすでに黄伯韜ホヮンポータオの十コ師団、黄維の十一コ師団、孫元良の四コ師団、馮治安フォンチーアンの四コ師団、孫良誠スンリァンチョンの二コ師団、劉汝明リウルーミンの一コ師団および宿スー県にあった一コ師団、霊璧リンピーにあった一コ師団、あわせて三十四コ師団を師団ごとうしなっている。そのうち、何基[シ+豊]ホーチーフォン張克侠チャンコーシァが三コ師団半をひきいて蜂起し、廖運周リァオユンチョウが一コ師団をひきいて蜂起し、孫良識が一コ師団をひきいて帰順し、趙壁光チャオピーコヮン黄子華ホヮンツーホヮがそれぞれ半コ師団をひきいて帰順した〔1〕ほかは、他の二十七コ師団半はわが軍に完全に殲滅されてしまった。黄伯韜兵団、黄維兵団、孫元良兵団の末路は、諸君がすでにその目で見たはずである。諸君は長春チャンチュン鄭洞国チョントンクォ将軍を手本として見習い〔2〕、こんどの孫良誠軍団長、趙壁光師団長、黄子華師団長を手本として見習って、ただちに全軍に武器を捨てて抵抗をやめるよう命令すべきで、そうすれば、わが軍は諸君ら高級将領と全将兵の生命の安全を保障する。そうすることだけが諸君の唯一の活路である。よく考えてみるがよい。もし諸君がそうするのがよいと思うならば、そうしたまえ。もし諸君がまだ戦いたいなら、戦うがよかろう。諸君は結局かたづけられるのである〔3〕。


          中原人民解放軍司令部


          華東人民解放軍司令部




〔注〕

〔1〕 何基[シ+豊]、張克侠はいずれも国民党第三綏靖区副司令で、一九四八年十一月八日、淮海戦役の第一段階で、一コ軍団の司令部と三コ師団、一コ連隊あわせて二万余人をひきいて、徐州東北方の賈汪地区で蜂起した。廖運周は国民党第八十五軍団第百十師団の師団長で、一九四八年十一月二十七日、淮海戦役の第二段階で、同師団の師団司令部と二コ連隊全員あわせて五千五百人をひきいて、安徽省宿県西南方の羅集で蜂起した。孫良誠は国民党第一綏靖区副司令兼第百七軍団の軍団長で、一九四八年十一月十三日、淮海戦役の第一段階で、同軍団の軍団司令部と一コ師団あわせて五千八百人をひきいて、江蘇省[目+隹]寧の西北方で帰順した。趙壁光は国民党第四十四軍団第百五十師団の師団長で、一九四八年十一月十八日、淮海戦役の第一段階で、残存部隊二千余人をひきいて、江蘇省徐州東方の碾荘地区で帰順した。黄子華は国民党第八十五軍団第二十三師団の師団長で、一九四八年十二月、淮海戦役の第二段階で、同師団の師団司令部と二コ連隊の残存部隊をひきいて、安徽省蒙城東北方の双堆集で帰順した。

〔2〕 長春は、一九四七年の冬から東北人民解放軍に包囲されていた。一九四八年十月十九日、わが軍が錦州を攻略し、東北地方の全敵軍が動揺している情勢のもとで、長春の国民党最高指国官、東北「匪賊討伐総司令部」副総司令鄭洞国は、配下の第一兵団の直属機関・部隊および新第七軍団の全将兵をひきいて、武器をすてた。

〔3〕 杜聿明(国民党徐州「匪賊討伐総司令部」副総可令)、邱清泉(国民党第二兵団司令)、李瀰(国民党第十三兵団司令)の三人は、わが軍から降伏をうながす書をうけとってからも、死にもの狂いで抵抗したが、結果は、わが軍の強力な攻撃をうけて全軍覆滅され、杜聿明は捕虜になり、邱清泉は戦死し、李瀰たけが逃がれた。

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