九月会議にかんしての中国共産党中央の通達 (一九四八年十月十日)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草した党内通達である。一九四八年九月の会議は河北省平山県西柏坡村でひらかれた。これは、日本の降伏以後参会者のもっとも多い中央政治局会議であった。これ以前には、中央委員のほとんどか各解放区に分散して解放戦争に忙殺されていたし、交通もきわめて不便だったので、こういう大きな会議をひらくことはできなかった。
(一)一九四八年九月に、党中央は政治局会議をひらいたが、これには政治局員七名が出席し、中央委員と中央委員候補十四名および重要幹部十名が参加した。このなかには華北、華東、中原、西北地方の党と軍隊の主な責任者の同志がふくまれている。これは、日本の降伏以後参会者のもっとも多い中央政治局会議であった。会議は、これまでの時期の活動を点検し、今後の時期の活動任務をきめた。
(二)一九四五年四月の党の第七回全国代表大会以後、中央委員会と全党の指導的骨幹は、抗日の時期にくらべていっそうりっぱな団結ぶりをしめしてきた。こうした団結によって、わが党は、日本降伏後の三年間に国の内外におこった多くの重大な事件に対処することができたし、またこれらの事件のなかで中国革命を大きく前進させることができた。つまり中国の広範な人民のあいだにおけるアメリカ帝国主義の政治的影響をうちくだき、国民党の再度の裏切り〔1〕とたたかい、その軍事的進攻を撃退し、人民解放軍を防御から進攻に転じさせたのである。
一九四六年七月から一九四八年六月までの二年間の戦いで、人民解放軍は敵二百六十四万を殲滅し、そのうち捕虜は百六十三万にのぼった。二年間の主な鹵獲品のうちわけは、小銃約九十万ちょう、重・軽機関銃六万四千余ちょう、軽砲八千余門、歩兵砲五千余門、山砲、野砲、重砲千百余門である。二年間に人民解放軍は百二十余万から二百八十万に増加した。そのうち、正規軍は百十八コ旅団から百七十六コ旅団に増加し、正規軍の兵力は六十一万から百四十九万に増加した。解放区の現在の面積は二百三十五万平方キロで、全国の総面積九百五十九万七千平万キロの二四・五パーセントをしめ、人口はすでに一億六千八百万にたっし、全国の総人口四億七千五百万の三五・三パーセントをしめ、県都以上の大・中・小の都市は五百八十六で、全国の都市総数二千九の二九パーセントをしめている。
わが党がだんこ農民を指導して土地制度の改革を実現したので、いまでは約一億の人口をもつ地域で土地問題が徹底的に解決され、地主階級と旧式富農の土地はほぼ均等に農村の人民、まず貧農・雇農に分配された。
わが党の党員は、一九四五年五月の百二十一万から、現在では三百万に増加している(わが党の党員は一九二七年の国民党の裏切り以前は五万で、一九二七年に国民党が裏切ってのちは約一万にへり、一九三四年には土地革命が順調に発展したため三十万にふえ、一九三七年には南方の革命が失敗した〔2〕ため約四万にへり、一九四五年には抗日戦争が順調に発展したため百二十一方に増加し、さらに現在では反蒋戦争と土地革命が順調に発展しているため三百万に増加している)。党はここ一年間、一方では、党内にある程度存在する階級構成の不純(地主・富農分子)、思想の不純(地主・富農思想)、作風の不純(官僚主義と命令主義)というよくない現象を基本的に克服するとともに、ひきつづき克服につとめている。他方では、農民大衆を大規模に立ちあがらせて土地問題を解決する闘争をすすめたことにともなってうまれた、部分的にではあるが相当多くみられる中農の利益の侵害、一部の私営商工実の破壊、および一部の地方での反革命弾圧における政策上の若干の限界からの逸脱などの「左」翼的なあやまりをすでに克服するとともに、ひきつづき克服につとめている。これまでの三年間、とりわけこの一年間の偉大なはげしい革命闘争をへて、また自己のあやまりをしんけんに是正したことによって、全党の政治的成熟の度合いは大きく前進した。
国民党地域における党の活動は大きな成果をおさめている。このことは、各大都市で広範な労働者、学生、教師、教授、文化人、市民、民族資本家をわが党の側に獲得し、すべての民主政党、人民団体をわが党の側に獲得して、国民党の圧迫をはねかえし、国民党を完全に孤立化させていることにあらわれている。南方のいくつかの大きな地域(福建・広東・江西辺区、湖南・広東・江西辺区、広東・広西辺区、広西・雲南辺区、雲南省南部地区、安徽・浙江・江西辺区、浙江省の東部地区と南部地区)では、遊撃戦争の根拠地をうちたてて、これらの地域の遊撃部隊を三万人以上に拡大した。
この二年のあいだに、とりわけこの一年のあいだに、人民解放軍のなかでは、秩序だった、指導のある、戦闘員も指揮員も全員参加する民主運動をおこない、自己批判をくりひろげ、軍隊内における官僚主義を克服するとともに、ひきつづき克服につとめており、かつて一九二七年から一九三二年まで実施されて効果をおさめたが、のちに廃止されていた軍隊内における各級党委員会制度と中隊内における兵士委員会制度を復活した。そのため、軍隊の指揮員、戦闘員の政治的積極性と自覚は大いに高まり、戦闘力と規律性は大いに強まり、国民党軍からきたおよそ八十万の捕虜を解放戦士〔3〕に改造して、その銃口を国民党にむけかえさせた。この二年間に解放区から、土地を手にいれた農民およそ百六十万人を人民解放軍に動員した。
われわれはすでにかなり多くの鉄道、鉱山、工業をもっており、わが党はいま工業の管理、商業の経営について大規模な学習をすすめている。ニ年間に、われわれの軍事工業はかなりのびてきた。しかし、まだ戦争の需要を満たすまでにはいたっていない。われわれには苦千の重要な原料と機械が欠乏しており、鋼鉄はまだほとんどつくれない。
われわれは、華北の四千四百万の人口をもつ地域に常と党外民主人士との協力による統一的な人民政府をすでに樹立し、また前線支援を有利にするために、この政府によって華北、華東(人口四千三百万)、西北(人口七百万)の三つの地域の経済、財政、商業、金融、交通、軍事工業の指導と管理の仕事を統一することを決定しており、さらにちかい将来、東北、中原両地域でのこれらの仕事も統一する予定である。
(三)中央政治局会議は、この二年間の戦いの成果と敵味方の情勢全般からみて、五百万の人民解放軍を建設し、五年前後(一九四六年七月から数えて)のあいだに、敵の正規軍五百コ旅団(師団)前後(年平均百コ旅団前後)を殲滅し、敵の正規軍、非正規軍、特種部隊あわせて七百五十万前後(年平均百五十万前後)を殲滅し、国民党の反動支配を根本からくつがえすことがじゅうぶん可能であると考える。
国民党の軍事力は、一九四六年七月には四百三十万であったが、二年間に三百九万が殲滅され、あるいは逃亡し、二百四十四万が補充されて、現在三百六十五万である。今後三年間にまだ三百万は補充できるであろうが、このあいだに殲滅されたり逃亡したりするものは四百五十万前後にたっするものと予想される。そうすると、五年間の戦いの結果として、国民党の軍事力は二百万前後のこるだけとなろう。わが軍は現在二百八十万であるが、今後三年間に捕虜のなかから百七十万(捕虜総数の六〇パーセントとして算出)をわが軍に参加させ、二百万人の農民を軍隊に動員するつもりなので、五年間の戦いの結果、わが軍は損耗分をさしひいても五百万ちかくにたっするであろう。五年間戦ってこのような結果がうまれれば、国民党の反動支配はわれわれによって根本からくつがえされたといえる。
この任務を達成するためには、毎年敵の正規軍百コ旅団(師団)前後を殲滅し、五年間にあわせて敵の正規車五百コ旅団(師団)前後を殲滅しなければならない。これがすべての問題を解決する鍵である。われわれが、第一年目に殲滅した敵の正規軍は九十七コ旅団(師団)に相当し、第二年目に殲滅した敵の正規軍は九十四コ旅団(師団)に相当しており、この状況からみると、こうした目標は達成できるばかりか、超過達成することもできる。国民党の現有軍事力三百六十五万のうち七〇パーセントは第一線(長江と巴山山脈の線以北、蘭州と賀蘭山脈の線以東、承徳と長春の線の以南)にいて、後方(長江と巴山山脈の線以南、蘭州と賀蘭山脈の線以西をふくむ)にはおよそ三〇パーセントしかいない。国民党の現有正規軍二百八十五コ旅団百九十八万人のうち、第一線にいるのは二百四十九コ旅団百七十四万二千人(北部戦線に九十九コ旅団六十九万四干人、南部戦線に百五十コ旅団百四万八千人)で、後方には三十六コ旅団二十三万八千人しかおらず、しかも大部分が新しく編成された部隊で、戦闘力に欠けている。したがって、党中央は、人民解放軍が第三年目もやはり全部長江以北と華北、東北地方で戦うことを決定した。敵殲滅の任務を遂行するためには、計画的に慎重に、解放区から人民を軍隊に動員するほか、大量の捕虜をつかわなければならない。
(四)わが党、わが軍はこれまで長いあいだ、敵に分割された、遊撃戦争の、しかも農村という環境にあったので、各地方の党と軍の指導機関に大きな自治権をもつことを認めた。こうした状況は、各地方の党組織と軍隊が自発性と積極性を発揮し、長期にわたる重大な難局をのりきるのを可能にしたが、同時にまた、ある種の無規律状態と無政府状態、地方主義と遊撃主義をうみ、革命事業に損害をあたえた。当面の情勢は、わが党がこれらの無規律状態と無政府状態を克服し、地方主義と遊撃主義を克服することに最大の努力をはらい、そして集中することの可能な、また集中すべきいっさいの権力を党中央とその代表機関の手に集中し、戦争を遊撃戦の形態から正規戦の形態へ移行させるようもとめている。この二年間に、軍隊と作戦の正規化の度合いは一歩すすんだが、まだ不十分で、第三年目にはさらに大きく前進させなければならない。そのためには、あらゆる努力をはらって鉄道、自動車道路、汽船などの近代的な交通機関を修理し、つかいこなし、都市と工業にたいする管理の仕事をつよめ、党の活動の重心をしだいに農村から都市へ移していかなければならない。
(五)全国の政治権力を奪取するという任務は、わが党に軍事、政治、経済、党務、文化・教育などの諸活動にたずさわることのできる多くの幹部を早急に計画的に養成するようもとめている。戦争の第三年目のうちに、三万人ないし四万人の下級、中級、高級の幹部を用意しておかなければならない。これによって第四年目に軍隊が前進するときに、これらの幹部が軍隊といっしょに前進し、およそ五千万ないし一億の人口をもつ、新しくひらかれる解放区を秩序ただしく管理できるようにする。中国は土地がきわめて広く、人□がきわめて多く、革命戦争の発展がきわめてはやいのに、われわれの用意している幹部だけではまだまだ足りず、これは大きな困難である。第三年目のうちに用意する幹部は、大部分を旧解放区にたよらなければならないが、同時にまた、国民党の支酷する大都市からもこれを吸収するように心がけなければならない。国民党地域の大都市には、われわれの活動に参加できる多くの労働者と知識人がおり、その文化水準は一般的に、旧解放区の労働者・農民の文化水準にくらべていくぶん高い。国民党の経済、財政、文化、教育機関で働いている人びとは、反動分子をのぞいて、大量につかうべきである。解放区の学校教育は、回復させ発展させなければならない。
(六)政治協商会議招集のスローガン〔4〕は、国民党地域のすべての民主政党、人民団体、無党派民主人士をわが党の周囲に結集させた。現在、われわれは、国民党地域のこれらの政党、団体の代表的人物が解放区にくるよう手配しており、一九四九年には中国のすべての民主政党、人民団体、無党派民主人士の代表たちの会議をひらいて、中空人民共和国臨時中央政府を樹立するつもりである。
(七)解放区の工業生産と農業生産を回復させ発展させることは、戦争を支援し、国民党反動派にうち勝つうえでの重要な環である。中央政治局会議は、一方では、人民解放軍の国民党地域への進攻を勝利のうちに進展させて、戦争に必要な人的資源と物的資源を国民党側と国民党地域から大量に入手しなければならず、他方では、あらゆる努力をかたむけて、旧解放区の工業生産と農業生産を回復させ発展させて、それを現在の水準よりいくらか増大させなければならないと考える。この二つの面の任務をともにやりとげてはじめて、国に党反動支肘の打倒は保証されるが、そうでなければ不可能である。
この二つの面の任務を遂行するにあたって、われわれには多くの困難がある。われわれの大軍が国民党地域にはいって、後方がないかまたは半ば後方のない作戦を遂行するとなると、あらゆる軍事上の需要は全部または大部分を現地でまかなわなければならない。また工業生産と農業生産を回復させ発展させるには、わりあいすぐれた組織活動が必要である。解放区内の市場をよく指導し、外部との商取り引きを統制し、一部の機械や原料の不足の問題を解決し、なによりもまず交通、運輸の問題および鉄道、自動車道路、水路の修復という問題を解決する必要がある。当面、解放区の経済と財政は大きな困難をかかえている。われわれの困難は国民党の困難にくらべればずっと小さいが、困難のあることはたしかである。それは主として、物資と兵員が戦争の需要を満たすにいたらず、通貨の膨脹がかなりの程度にたっしていることで、われわれの組織活動、とりわけ財政・経済面の組織活動の不十分なことがこうした困難をうみだす原因の一つとなっている。われわれは、これらの困難は克服できると信じているし、またこれらの困難をかならず克服しなければならない。困難を克服する闘争のなかで、かならず浪費に反対し、節約を励行しなければならない。すなわち、前線では鹵獲品を公のものとし、自己の兵員を大切にし、兵器を大切にし、弾薬を節約し、捕虜を保護するよう心がけること、後方では、政府の支出をへらし、すぐには必要としない人力、畜力の動員をへらし、会議についやす時間をへらし、農期を逸しないよう農業の季節に注意をはらい、工業生産の生産費をきりつめ、労働の生産性をたかめ、全党をあげて工業生産と農業生産の管理や商業経営を学び、できるかぎり各解放区の経済を適切に組織して市場の盲目性を克服し、また投機をはたらき市場を操縦するすべてのものにたいして必要な闘争をおこなうことである。これらすべてのことに着手していけば、われわれの当面する困難はかならず克服することができる。
(八)幹部の理論水準をたかめ、党内の民主生活を拡大することが、上述の任務を達成するうえでの重要な環である。中央政治局会議は、党内の民主生活の拡大についての特別の決議〔5〕を採択した。幹部の理論水準をたかめる問題についても討議をおこない、会議に出席した同志の注意をうながした。
(九)第六回全国労働大会がすでに成功裏に開催されて、中華全国総工会が成立した〔6〕。来年の上半期には、全国婦人代表大会をひらいて全国民主婦人連合会を成立させ〔7〕、全国青年代表大会をひらいて全国青年連合会を成立させ〔8〕、また新民主主義青年団〔9〕をつくることになっている。
〔注〕
〔1〕 国民党の最初の裏切りは一九二七年であった。ここにいう「再度の裏切り」とは、抗日戦争が終わったのち国民党が反革命の全面的内戦をおこしたことをさす。
〔2〕 南方の革命の失敗とは、王明に代表される党内の第三次「左」翼路線によってもたらされた、一九三四年の赤軍の五回目の反「包囲討伐」戦争の失敗と、南方の各革命根拠地からの赤軍主力の撤退をさす。
〔3〕 人民解放軍の捕虜となり、国民党反動軍隊のくびきから解放され、教育をうけて、わが軍に参加したもと国民党軍の兵士をさす。
〔4〕 政治協商会議開催のスローガンは毛沢東同志が提起したものである。一九四八年五月一日に中国共産党中央が公表した「メーデー記念スローガン」のなかに、毛沢東同志の提案にもとづいて、「人民代表大会の招集と民主連合政府の樹立について討議し、これを実現させるため、各民主政党、各人民団体、賢明達議の土はすみやかに政治協商会議を開催せよ」というスローガンがかかげられた。このスローガンはたちまち、国民党支配地域の民主政党、人民団体、無党派民主人士のあいだに熱烈な反響をよびおこした。政治協商会議は、のちに新政治協商会議とよばれ、その後さらに中国人民政治協商会議と改称された。本巻の『新政治協商会議準備会での演説』注〔1〕を参照。
〔5〕 「党の各級代表大会と代表会議開催についての中国共産党中央の決議」をさす。この決議は、党内の正常な民主生活を拡大し確立する問題について、つぎのように規定している。すなわち、各級党委員会は党規約にしたがって党の各級代表大会と代表会議を定期的にひらくこと、このような会議にたいしては党規約にさだめられている一切の権限をあたえ、これをおかさないこと、会議はじゅうぶんな準備をととのえたうえでひらくこと、党内に意見のちかいから論争がおこったはあいには、ときをうつさずにありのまま上級に報告し、そのうち重要な論争は党中央に報告すること。このほかさらに、党委員会制度を健全化するために、各級党委員会は、重要問題を個人で決定すべきではなく、党委員会の集団討議にかけて決定する制度をかならず実行すること、集団指導と個人責任制のどちらも欠いてはならないことを規定している。
〔6〕 第六回全国労働大会は、一九四八年八月に哈爾浜でひらかれた。この大会で、中国労働者階級の統一的な全国組織である中華全国総工会が再建された。そのまえの五回の全国労働大会は、一九二二年、一九二五年、一九二六年、一九二七年、一九二九年にひらかれた。
〔7〕 全国婦人代表大会第一回大会は、一九四九年三月に北平でひらかれた。この大会で、全国の婦人の大衆組織の指導機関である中華全国民主婦人連合会が成立した。この連合会はのちに中華全国婦人連合会と改称された。
〔8〕 全国青年代表大会第一回会議は、一九四九年五月に北平でひらかれた。この大会で、中華全国民主青年連合総会が成立した。この連合総会はのちに中華全国青年連合会と改称された。
〔9〕 新民主主義青年団は、一九四九年一月に中国共産党中央の決定によってつくられた。その第一回全国代表大会は、一九四九年四月に北平でひらかれた。一九五七年五月、町の第三回代表大会のさい、新民主主義青年団は共産主義青年団と改称された。




