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遼瀋戦役〔1〕の作戦方針について (一九四八年九月、十月)

 これは、毛沢東同志が中国共産党中央革命軍事委員会のために書いた、林彪、羅栄桓らの同志あての電報である。毛沢東同志がこくで提起している遼瀋戦役についての作戦方針は、のちに完全に実現された。遼瀋戦役の結果はつぎのとおりであった。(一)敵四十七万人を殲滅し、これにくわえて当時人民解放軍がその他の各戦場で勝利をおさめたため、人民解放軍は数のうえでも国民党軍より優勢になった。(二)東北地方全域を解放するとともに、北平、天津および全華北を解放するための条件をととのえた。(三)わが軍は大規模な殲滅戦をおこなう経験をつんだ。(四)東北地方か解放された結果、解放戦争にとって戦略上強固な、一定の工業の基礎をもった後方がえられ、党と人民は、しだいに経済復興の活動に転ずるうえで有利な条件を獲得した。遼瀋戦役は、中国人民解放戦争のなかで決定的な意義をもつ三つのもっとも大きな戦役の最初の一つであった。他の二つは淮海戦役と平津戦役であった。この三大戦役は、あわせて四ヵ月と十九日間にわたっておこなわれ、敵の正規軍百四十四コ師団(旅団)、非正規章二十九コ師団、計百五十四万余人を殲滅した。この期間に、他の戦場の人民解放軍もすべて攻撃を展開して、大量の敵を殲滅した。戦争のはじめの二年間に、人民解放軍は月平均約八コ旅団の敵を殲滅したが、この時期になると、人民解放軍の敵軍殲滅数はすでに、月平均八コ旅団ではなく、三十八コ旅団となった。この三六戦役で、国民党が反革命の内戦をひきおこすにあたって頼みとしていた精鋭部隊は基本的に消滅され、解放戦争の全国的な勝利の到来が大いにはやめられた。淮海戦役と平津戦役については、本巻の『淮海戦役の作戦方針について』と『平津戦役の作戦方針について』を見られたい。




     一 九月七日の電報


 われわれは五年前後(一九四六年七月からかそえて)〔2〕で国民党を根本的に打倒するつもりでいるが、これは可能性がある。われわれが毎年国民党の正規軍を約百コ旅団殲滅し、五年間で約五百コ旅団殲滅しさえすれば、この目的は達成することができる。この二年間に、わが軍は敵の正規車あわせて百九十一コ旅団、平均して、毎年九十五コ旅団半、毎月八コ旅団弱を殲滅した。今後三年間に、敵の正規章三百コ旅団以上を殲滅することが必要である。われわれは、ことし七月から来年六月までに、敵の正規軍約百十五コ旅団を殲滅することを期待している。この数を各野戦軍と各兵団〔3〕にわりあてる。華東野戦軍には、約四十コ旅団(七月に殲滅した七コ旅団をふくむ)を殲滅し、済南チーナンおよび江蘇チァンスー省北部、河南ホーナン省東部、安徽アンホイ省北部のいくつかの大・中・小都市を攻略することを要求する。中原野戦軍には、約十四コ旅団(七月に殲滅したニコ旅団をふくむ)を殲滅し、湖北フーペイ、河南、安徽三省のいくつかの都市を攻略することを要求する。西北野戦軍には、約十二コ旅団(八月に殲滅した一コ旅団半をふくむ)を殲滅することを要求する。華北の徐向前シュイシァンチェン周士チョウスーティ第兵団には、閻錫山イェンシーシャンの約十四コ旅団(七月に殲滅した八コ旅団をふくむ)を殲滅し、太原タイユァンを攻略することを要求する。諸君には、羅瑞卿ルォロイチン楊成武ヤンチョンウー両兵団とあい呼応して、衛立煌ウェイリーホヮン傳作義フーツォイー両軍の約三十五コ旅団(七月に楊成武が殲滅した一コ旅団をふくむ)を殲滅し、北平ペイピン、天津、瀋陽の三点をのぞく北平=瀋陽鉄道、北平=包頭パオトウ鉄道、北平=承徳チョントー鉄道、北平=保定パオティン鉄道沿線のすべての都市を攻略することを要求する。この目的を達成するには、戦役の部署配置と指揮が適切であること、戦闘と休養の調整が適切であることが決定的な鍵になる。諸君が九、十の二ヵ月あるいはそれよりいくらか長い期間内に、錦州から唐山にいたる線の敵を殲滅するとともに、錦州、山海関シャンハイコヮン、唐山の諸点を攻略することができるならば、約十八コ旅団の敵を殲滅する目的は達成される。これらの敵を殲滅するため、諸君は、長春チャンチュン、瀋陽両地の敵にはかまわず、いまただちに主力をこの線にあてる準備をするとともに、錦州攻撃のさい、長春、瀋陽から錦州に増援される可能性のある敵を殲滅する準備をすべきである。それは、錦州、山海関、唐山の三点およびその付近の敵がたがいに孤立しているので、これを攻撃殲滅して勝利をおさめることは比較的確実であり、錦州攻撃のさい増援部隊をたたくことも比較的望みがあるからである。だが、もし諸君が長春、瀋陽から出てくる敵を攻撃しようとして、主力を新民シンミンおよびその以北の地区に配置するなら、この敵は諸君からひじょうに大きな脅威をうけるので、あえて出てこようとはしないだろう。一方では、長春、瀋陽の敵は出てこないだろうし、他方では、錦洲、山海関、唐山の諸点およびその付近の敵(十八コ旅団)は、諸君の出す兵力が少なすぎるので、しりぞいて錦州、唐山の二点に集結してしまって攻撃しにくくなり、かといってまた攻撃しないわけにもいかず、時間と精力をついやすことになり、自身を受動的な立場においこむ可能性がある。それより長春、瀋陽面地の敵にはかまわず、もっぱら錦州、山海関、唐山のほうに力をそそぐほうが適切である。諸君はまた、ことし九月から来年六月までの十ヵ月間に、大戦役を三回おこなう準備をしなければならず、一回に約二ヵ月、計約六ヵ月をついやし、のこりの四ヵ月を休養の期間にあてるようにしなければならない。諸君が錦州・山海関・唐山戦役(第一回目の大戦役)をすすめているあいだに、長春、瀋陽の敵が全力をかたむけて錦州へ増援にむかうならば(諸君の主力が新民ではなく錦州付近に配置されているので、衛立煌もあえて増援にやってくるのである)、諸君は錦州、山海関、唐山の線をはなれずに敵の増援部隊をつづけざまに大量に殲滅し、衛立煌の全軍をその場で殲滅するようにすることができる。これがもっとも理想的な状況である。そこで、諸君はつぎの点に心がけなければならない。(一)錦州、山海関、唐山の三点を攻略し、この綿全体を制圧する決意をかためること。(二)これまでやったことのない大殲滅戦をやる決意をかためること、すなわち、衛立煌の全軍が増援にきたばあいには、果敢にこれと戦うこと。(三)上にのべた二つの決意に即応させるために、作戦計画を再検討するとともに、全軍の軍需(食糧、弾薬、新しい兵員など)と捕虜の処置について手配すること。以上の意見について、考慮のうえ返電されたい。



     二 十月十日の電報


 (一)諸君が錦州攻撃を開始する日からのちの一時期は、そちらの戦局が緊迫するときなので、二日または三日に一度、敵の状況(錦州を守備する敵の抵抗力、葫蘆島フールータオ錦西チンシーからの敵増援部隊と瀋陽からの敵増援部隊の進みぐあい、長春の敵軍の動向)とわが方の状況(都市攻撃の進みぐあい、都市攻撃ならびに増援阻止にさいしての死傷の程度)をわれわれに電報されたい。

 (二)この時期の戦局は、諸君がかつてのべたように、きわめて有利な情勢へと発展する可能性、すなわち、綿州守備の敵を殲滅できるだけでなく、葫蘆島、錦西からの敵増援部隊の一部を殲滅し、さらに長春から逃げる敵の一部または大部分を殲滅できる可能性がひじょうに大きい。もし瀋陽からの敵増援部隊が大凌河ターリンホー以北の地区まで進んだとき、諸君がすでに錦州攻略を終え、兵力を移動させてこの敵を包囲できるようになっているならば、瀋陽からの敵増援部隊を殲滅することも可能である。これらすべての鍵は、一週間内外で錦州攻略をやりとげることである。

 (三)わが軍の錦州攻撃の進みぐあいと東西両路の敵増援部隊の進みぐあいによって、増援阻止の部署配置の方法をきめる。もし瀋陽からの敵増援部隊の進みかたがわりにおそく(諸君が錦州を攻撃しているあいだに長春の敵が包囲突破をおこない、そしてわが第十二縦隊などの部隊に捕捉ほそく殲滅されるならば、瀋陽からの敵増援部隊はこれにまどわされて、進みかたがおそくなるか、進むのをやめるか、長春の敵を救援するためひき返すかする可能性がある)、葫蘆島、錦西からの敵増援部隊の進みかたがわりにはやいばあいには、諸君は総予備隊を第四縦隊、第十一縦隊の方面にくわえて、葫蘆島、錦西からの敵増援部隊の一部を殲滅し、まずこの敵の前進をおしとどめるようにしなければならない。もし葫蘆島、錦西からの敵増援部隊がわが第四縦隊、第十一縦隊などの部隊に牽制けんせいされ、阻止されて、進みかたがきわめておそくなるかあるいは進むのをやめ、長春の敵が包囲突破をおこなわず、瀋陽からの敵増援部隊の進みかたがわりにはやく、しかも錦州の敵がすでに大部分殲滅され、全市の攻略がまちかにせまっているばあいには、諸君は瀋陽の敵を大凌河以北にふかくひきいれて、時をうつさず兵力を移動させてその敵を包囲し、そのうえでおもむろに殲滅すべきである。

 (四)諸君は主な注意力を錦州作戦にむけ、できるかぎりすみやかに同市を攻略しなければならない。たとえ、その他のすべての目的がみな達成されなくても、錦州を攻略しさえすれば、諸君は主動権をにぎることになるのであって、これは偉大な勝利である。前にのべた諸点については、諸君に相応の注意をはらうようのぞんだにすぎない。とくに錦州作戦のはじめの数日間は、東西からの敵増援部隊が大きく動くことはありえないので、諸君は全精力を錦州方面の作戦にそそがなければならない。




〔注〕

〔1〕 遼瀋戦役は、一九四八年九月十二日から十一月二日にかけて、東北人民解放軍が遼寧省西部と瀋陽、長春地区でおこなった大戦役である。この戦役がはじまるまえの東北地方における国民党の総兵力は四コ兵団、計十四コ軍団―四十四コ師団で、それぞれ長春、瀋陽、錦州の三つの孤立した地区にひっこんでいた。東北人民解放軍は敵をのこらす東北地方で殲滅し、すみやかに全東北地方を解放するため、一九四八年九月に、主力十二コ縦隊と砲兵一コ縦隊および地方武装部隊あわせて五十三コ師団七十余万人を集結し、東北地方の広範な人民の支援のもとに、遼瀋戦役を開始した。北平=瀋陽鉄道の錦州は、東北地方と華北地方を結ぶ戦略上の要地であった。錦州地区の守備にあたっていた敵は、東北「匪賊討伐総司令部」副総司令范漢傑指揮下の八コ師団十万人あまりであった。錦州攻略は遼瀋戦役のかなめであった。東北人民解放軍は、毛沢東同志の指示にもとづいて、一コ縦隊と七コ独立師団をひきつづき長春の敵の包囲にあてるほか、六コ縦隊と砲兵一コ縦隊、戦車一コ大隊を錦州の包囲攻撃にあて、ほかに二コ縦隊を錦州西南の塔山・高橋地区に配置し、三コ縦隊を黒山・大虎山・彰武地区に配置して、それぞれ錦西、葫蘆島方面と瀋陽方面から錦州へ増援にむかう敵を阻止することにした。錦州地区の戦闘は九月十二日からはじまった。わが軍が義県を攻略し、錦州周辺の敵を掃討していたとき、蒋介石はあわてて東北地方に飛び、みずから指揮をとるとともに、北平=瀋陽鉄迫沿線の華北「匪賊討伐総司令部」の五コ師団と山東省の二コ師団を急速増援のためさしむけ、錦西にいた四コ師団とあわせて十一コ師団で十月十日から塔山のわが陣地に猛攻馨をくわえてきたが、ついにわが軍の陣地を突破することはできなかった。廖耀湘兵団(国民党第九兵団)の十一コ師団と騎兵三コ旅団は瀋陽から錦州救援にかけつけたが、黒山と大虎山の東北方地区でわが軍に阻止された。十月十四日、わが軍は錦州攻撃を開始し、三十一時間にわたる激戦ののち、敵を完全に殲滅し、東北「匪賊討伐総司令部」制総司令范漢傑、第六兵団司令蘆濬泉をはじめ十万余人を捕虜にした。錦州の解放によって、長春の敵は一部が蜂起し、その他は全部降伏した。東北地方の国民党軍の全軍覆滅の運命はこのとききまった。だが、蒋介石はあいかわらず、錦州の奪回、東北地方と華北地方の連絡打開を夢み、廖耀湘兵団にひきつづき錦州へ前進するよう厳命した。東北人民解放軍は錦州を攻略してのち、ただちに東北方にとってかえし、黒山と大虎山の南北両翼から廖耀湘兵団を包囲した。十月二十六日には、廖兵団を黒山・大虎山・新民地区で包囲し、二日一晩の激戦をへて完全に殲滅し、兵団司令廖耀湘、軍団長李濤、向鳳武、鄭庭笈をはじめ十万余人を捕虜にした。わが軍は勝利に乗じて猛烈な追撃をおこない、十一月二日には瀋陽、営口を解放し、さらに敵十四万九干余人を殲滅した。こうして、ついに全東北地方が解放された。この全戦役で、総計四十七万余人の敵を殲滅した。

〔2〕 本巻の『状況についての通報』注〔6〕を参照。

〔3〕 一九四八年十一月一日、中国共産党中央革命軍事委員会は、中国共産党中央政治局の九月会議の決定にもとづいて、これまでの各大戦路区の部隊を野戦部隊、地方部隊、遊撃部隊の三種類にわけた。野戦部隊は野戦軍に編成された。野戦軍は兵団を統轄し、兵団は軍団(すなわちもとの縦隊)を統轄し、軍団は師団を統轄し、師団は連隊を統轄した。各野戦軍はその所在地区によって、中国人民解放軍四北野戦軍、中原野戦軍、華東野戦軍、東北野戦軍、華北野戦軍にわけられた。各野戦軍に所属する兵団、軍団、師団の数は、各大戦略区の具体的な状況によってさだめられた。のちに、西北野戦軍は第一野戦軍とあらためられて二コ兵団を統轄し、中原野戦軍は第二野戦軍とあらためられて三コ兵団を統轄し、華東野戦軍は第三野戦軍とあらためられて四コ兵団を統轄し、東北野戦軍は第四野戦軍とあらためられて四コ兵団を統轄するようになった。華北野戦軍の三コ兵団は中国人民解放軍総司令部の直属となった。



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