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中国革命戦争の戦略問題 第一~四章 (一九三六年十二月)

長くて文字制限が入ったので、最後の第五章は次に回しています。

 毛沢東同志のこの著作は、第二次国内革命戦争の経験を総括するために書かれたもので、当時陝西省北部に設立されていた赤軍大学で講演されたことがある。著者によれば、この著作は五章までを完成しただけで、このほかになお戦略的進攻、政治工作およびその他の問題があったが、西安事変が発生したために書きつづける時間がなくなり、筆をおいたままであるという。この著作は第二次国内革命戦争の時期に軍事問題について党内でおこなわれた一大論争の結果であり、一つの路線が他の路線に反対する意見を表明したものである。一九三五年一月におこなわれた党中央の遵義会議は、この路線上の論争について結論をくだし、毛沢東同志の意見を是認して、あやまった路線の意見を否定した。一九三五年十月、党中央が陝西省北部に移ってからまもなく、十二月に、毛沢東同志は、『日本帝国主義に反対する戦術について』という講演をおこない、第二次国内革命戦争の時期における党の政治路線上の問題を系統的に解決した。その翌年、すなわち一九三六年、毛沢東同志はさらにこの著作を書いて、中国革命戦争の戦略面にかんする諸問題について系統的に説明した。



第一章 戦争をいかに研究するか



     第一節 戦争の法則は発展するものである


 戦争の法則――これは戦争を指導するものが、だれでも研究しなければならない問題であり、解決しなければならない問題である。

 革命戦争の法則――これは革命戦争を指導するものが、だれでも研究しなければならない問題であり、解決しなければならない問題である。

 中国革命戦争の法則――これは中国革命戦争を指導するものが、だれでも研究しなければならない問題であり、解決しなければならない問題である。

 われわれは現在、戦争に従事している。われわれの戦争は革命戦争である。われわれの革命戦争は、中国という半植民地的・半封建的な国ですすめられている。したがって、われわれは戦争一般の法則を研究するだけではなく、特殊な革命戦争の法則も研究しなければならないし、さらに、いっそう特殊な中国革命戦争の法則をも研究しなければならない。

 周知のように、どんなことをするにも、そのことの状況、その性質、それとそれ以外のこととの関連がわからないと、そのことの法則もわからず、どういうふうにやるのかもわからず、また、それをなしとげることもできない。

 戦争――私有財産と階級があるようになってからはじまった、階級と階級、民族と民族、国家と国家、政治集団と政治集団とのあいだの、一定の発展段階での矛盾を解決するためにとられる最高の闘争形態である。その状況、その性質、それとそれ以外のこととの関連がわからないと、戦争の法則はわからず、戦争をどういうふうに指導するかもわからず、戦争で勝つこともできない。

 革命戦争――革命的な階級戦争と革命的な民族戦争は、戦争一般の状況と性質のほかに、その特殊な状況と性質をもっている。したがって、それには戦争の一般法則のほかに、いくつかの特殊な法則がある。これらの特殊な状況や性質がわからず、その特殊な法則がわからないと、革命戦争を指導することもできないし、革命戦争で勝つこともできない。

 中国革命戦争――国内戦争あるいは民族戦争をとわず、それは中国という特殊な環境のなかですすめるれているのであって、戦争一般、革命戦争一般にくらべると、その特殊な状況、特殊な性質をもっている。したがって、それには戦争一般および革命戦争一般の法則のほかに、なおいくつかの特殊な法則がある。これらのことがわからないと、中国革命戦争で勝つことはできない。

 したがって、われわれは戦争一般の法則を研究すべきであり、革命戦争の法則も研究すべきであり、最後に、さらに中国革命戦争の法則をも研究すべきである。

 つぎのような意見をもっているものがあるが、それはまちがっている。われわれはそのような意見をとうに反駁はんばくした。かれらは、戦争一般の法則さえ研究すればいいのだ、具体的にいえば、反動的な中国政府、あるいは反動的な中国の軍事学校で出版している軍事典範令のとおりにやりさえすればいいのだ、というのである。これらの典範令は、戦争一般の法則についてのものでしかなく、しかも、みな外国のもののまるうつしであり、もしわれわれがその形式や内容に少しも変更をくわえないで、そっくりそのまま使うとすれば、どうしても足をけずって靴にあわせることになり、戦争に負けるということを、かれらは知らない。かれらの言い分は、過去に血を流してえたものが、どうして役にたたないのか、というのである。過去に血を流してえた経験はもとより尊重すべきであるが、自分が血を流してえた経験もやはり尊重すべきであるということを、かれらは知らないのである。

 また、つぎのような意見をもっているものがあるが、それもまちがっている。われわれはそのような意見をも、とうに反駁した。かれらは、ただロシアにおける革命戦争の経験を研究しさえすればいいのだ、具体的にいえば、ソ連の国内戦争の指導法則とソ連の軍事機関が公布した軍事典範令のとおりにやりさえすればいいのだ、というのである。ソ連の法則や典範令には、ソ連の国内戦争とソビエト赤軍の特殊性がふくまれており、もしわれわれがなんの変更もゆるさないで、そっくりそのまま使うとすれば、これも同様に足をけずって靴にあわせることになり、戦争に負けるということを、かれらは知らない。この人たちの言い分は、ソ連の戦争は革命戦争であり、われわれの戦争も革命戦争である、しかもソ連では勝利している、それなのにどうして取捨の余地があろうか、というのである。ソ連の戦争の経験は、もっとも近代的な革命戦争の経験であり、レーニンとスターリンの指導のもとでえたものであるから、われわれは、もとより、とくに尊重すべきであるが、中国革命と中国赤軍にもまた多くの特殊な事情があるので、中国革命戦争の経験もやはり尊重すべきであることを、かれらは知らないのである。

 さらに、つぎのような意見をもっているものがあるが、それもまちがっている。われわれはそのような意見をも、とうに反駁した。かれらは、一九二六年から一九二七年の北伐戦争①の経験がいちばんよい、われわれはそれを学ぶべきだ、具体的にいえば、北伐戦争の長駆前進や大都市攻略を学ぶべきだ、というのである。北伐戦争の経験はまなぶべきであるが、しかし、われわれが現在やっている戦争の状況は、すでに変化しているので、それを型どおりにひきうつして使うべきでないということを、かれらは知らない。われわれは、北伐戦争のなかから、現在の状況のもとでなお適用できるものだけをとりいれるべきであり、現在の状況にもとづいて、われわれ自身のものを規定すべきである。

 このようにみてくると、戦争の状況のちがいが、異なった戦争指導法則を決定するのであり、それには、時間、地域および性質上の差異がある。時間的条件からすると、戦争と戦争指導法則は、いずれも発展するものであり、それぞれの歴史的段階には、その段階での特徴があるので、戦争の法則にも、それぞれの特徴があり、それを機械的に異なった段階に転用することはできない。戦争の性質についてみると、革命戦争と反革命戦争には、それぞれ異なった特徴があるので、戦争の法則にも、それぞれの特徴があり、それを機械的に転用しあうことはできない。地域的条件についてみると、それぞれの国、それぞれの民族、とくに大きな国、大きな民族には、いずれもその特徴があるので、戦争の法則にもそれぞれの特徴があり、これも同様に機械的に転用することはできない。われわれは、それぞれ異なった歴史的段階、それぞれ異なった性質、異なった地域や民族の戦争の指導法則を研究するさい、戦争問題における機械論に反対し、その特徴と、その発展に着眼すべきである。

 そればかりではない。ひとりの指揮員についていっても、はじめは小兵団しか指揮できなかったものが、のちにはさらに、大兵団を指揮できるようになれば、これは、その人にとって進歩であり、発展である。また一つの地域と、多くの地域とでもちがいがある。はじめは、よく知っている一つの地域でしか作戦を指揮できなかったものが、のちにはさらに、多くの地域でも作戦を指揮できるようになれば、これはまたその指揮員にとって進歩であり、発展である。敵味方の双方の技術、戦術、戦略の発展によって、一つの戦争でも、その各段階の状況にはちがいがある。低い段階でしか指揮できなかったものが、高い段階になっても、指揮できるようになれば、その指揮員にとって、いっそうの進歩であり、発展である。一定の兵団、一定の地方、戦争発展の一定段階にしか適応できないのをさして進歩も発展もないという。一つのわざやちょっとした見識にしがみついて、それ以上進歩のないような人は、革命にとって一定の場所と時期にはいくらか役割をはたしても、大きな役割ははたせない。われわれは、大きな役割をはたす戦争指導者を必要としている。すべての戦争指導法則は、歴史の発展にしたがって発展し、戦争の発展にしたがって発展するのであり、一定不変のものはない。



第二節 戦争の目的は戦争を消滅することにある


 戦争――人類がたがいに殺しあうこの怪物は、人類社会の発展が、終局的にはこれを消滅するし、しかも遠くない将来にこれを消滅するにちがいない。だが、それを消滅する方法はただ一つしかない。つまり、戦争をもって戦争に反対し、革命戦争をもって反革命戦争に反対し、民族革命戦争をもって民族反革命戦争に反対し、階級的革命戦争をもって階級的反革命戦争に反対することである。歴史上の戦争には、正義のものと不正義のものとの二種類しかない。われわれは正義の戦争を支持し、不正義の戦争に反対する。すべての反革命戦争は不正義のものであり、すべての革命戦争は正義のものである。人類の戦争生活の時代は、われわれの手で終わらせることになる。われわれがすすめている戦争は、疑いもなく最終的な戦争の一部分である。だが、われわれが直面している戦争は、また疑いもなくもっとも大きな、もっとも残酷な戦争の一部分である。もっとも大きな、もっとも残酷な不正義の反革命の戦争が、われわれの頭上にのしかかっており、われわれが、もしも正義の戦争の旗じるしをかかげないなら、人類の大多数はふみにじられてしまう。人類の正義の戦争の旗じるしは、人類を救う旗じるしであり、中国の正義の戦争の旗じるしは、中国を救う旗じるしである。人類の大多数と中国人の大多数がおこなう戦争は、疑いもなく正義の戦争であり、人類を救い、中国を救うこのうえもなく光栄な事業であり、全世界の歴史を新しい時代にうつらせるかけ橋である。人類の社会が、階級を消滅し、国家を消滅するところまで進歩したときには、どんな戦争もなくなる。反革命戦争はなくなるし、革命戦争もなくなる。不正義の戦争はなくなるし、正義の戦争もなくなる。これが人類の永遠の平和の時代である。われわれが革命戦争の法則を研究するのは、すべての戦争を消滅しようとするわれわれの願望からでており、これがわれわれ共産党員とすべての搾取階級とを区別する境界線である。



第三節 戦略問題とは戦争の全局についての法則を研究するものである


 戦争があるかぎりは、戦争の全局というものがある。世界が戦争の一つの全局になりうるし、一国も戦争の一つの全局になりうるし、また一つの独立した遊撃地域も、一つの大きな独立した作戦方面も、戦争の一つの全局になりうる。およそ各方面、各段階に配慮をくわえなければならないような性質をもったものは、すべて戦争の全局である。

 全局的な戦争指導法則を研究することが、戦略学の任務である。局部的な戦争指導法則を研究するのが、戦役学と戦術学の任務である。

 戦役指揮員や戦術指揮員にたいして、ある程度の戦略上の法則について理解をもつことを要求する必要があるのは、なぜだろうか。それは、局部的なものが全局的なものに従属しているので、全局的なものを理解すれば、局部的なものをいっそうよく使いこなせるからである。戦略的勝利が戦術的勝利によって決定されるという意見はあやまっている。なぜなら、このような意見は、全局と各段階にたいする配慮のよしあしが、戦争の勝敗を決定する主要な、そしてまず最初の問題であることを見ていないからである。もし、全局と各段階にたいする配慮に重大な欠陥、あるいはあやまりがあれば、その戦争はかならず失敗する。「一石のうちちがいで、全局がまける」というのは、全局的なもの、つまり全局に決定的な意義をもつ一石のことをいっているのであって、局部的なもの、つまり全局に決定的な意義をもたない一石のことではない。碁がそうであり、戦争もそうである。

 だが、全局的なものは、局部からはなれて独立できるものではなく、全局は、そのすべての局部からなりたっている。ときによっては、いくつかの局部が崩壊し、あるいは失敗しても、全局に重大な影響をおよぼさないことがあるのは、それらの局部が全局にたいして決定的な意義をもつものでないからである。戦争においては、いくつかの戦術上、あるいは戦役上の失敗または不成功が、戦争全局の悪化をひきおこすまでに至らないことがしばしばあるのは、これらの失敗が決定的な意義をもつものでないからである。だが、もし戦争の全局を構成する多数の戦役が失敗したばあい、あるいは決定的な意義をもつ一つ、二つの戦役が失敗したばあいには、ただちに全局に変化がおきる。ここでいう多数の戦役、および一つ、二つの戦役とは、すべて決定的なものである。戦争の歴史には、連戦連勝ののち、一つの敗戦によって、いままでの戦果のすべてが無に帰したこともあり、あるいはたくさんの敗戦をかさねたのち、一つの勝利によって、新しい局面が打開されたこともある。ここでいう「連戦連勝」と「たくさんの敗戦」は、いずれも局部的なもので、全局にたいしては決定的な作用をおよぼさないものである。ここでいう「一つの敗戦」および「一つの勝利」とは、いずれも決定的なものである。これらのことは、みな全局について配慮することの重要性をものがたっている。全局を指揮するものにとって、もっとも大事なことは、戦争の全局にたいする配慮に自分の注意力をそそぐことである。主要なことは、状況にもとづいて、部隊と兵団の編成問題②、二つの戦役のあいだの関係の問題、各作戦段階のあいだの関係の問題、味方の活動全体と敵の活動全体とのあいだの関係の問題に配慮をくわえることである。これらのことがもっとも骨の折れるところであり、もし、こうしたことをそっちのけにして、一部の副次的な問題に頭をつっこんでいると、損をするのはさげられない。

 全局と局部との関係についていうならば、戦略と戦役との関係がそうであるばかりでなく、戦役と戦術との関係もまたそうである。師団の行動と連隊・大隊の行動との関係、中隊の行動と小隊・分隊の行動との関係などは、その実例である。いかなる級の首長でも、その注意の重点は、かれが指揮する全局にとって、もっとも重要な、もっとも決定的な意義をもつ問題、または行動におくべきであり、他の問題、または他の行動におくべきではない。

 重要とか、決定的な意義をもつとかいうことは、一般的な、あるいは抽象的な状況によって規定してはならず、具体的な状況によって規定しなければならない。作戦にあたって、突撃方向や突撃点の選定は、当面している敵の状態、地形と味方の兵力の状況によってきめなければならない。給養の十分なところでは、兵士に食べすぎをさせないように注意しなければならず、給養の不足しているところでは、兵士を飢えさせないよう注意しなければならない。白色地域では、わずか一つの情報がもれたために、その後の戦闘を失敗にみちびくこともありうるが、赤色地域では、情報がもれるということは、ふつうもっとも重要な問題にはならない。あるいくつかの戦役では、高級指揮員みずから戦役に参加する必要があるが、他のばあいにはその必要がない。軍事学校でもっとも重要な問題は、校長および教員をえらぶことと教育の方針を規定することである。民衆集会では、主として、民衆をその集会に動員し、適切なスローガンを提起することに注意しなければならない、等々といったものである。要するに、全局にかかわる重要な環に注意すること、これが原則である。

 戦争の全局の指導法則を学ぶには、頭を使って考えることが必要である。なぜなら、このような全局的なものは、目には見えないので、頭を使って考えてはじめてわかるものであり、頭を使って考えなければわかるものではないからである。ところが、全局は局部からなりたっており、局部について経験をもっている人、あるいは戦役や戦術について経験をもっている人が、もし頭を使って考えようとするならば、そうしたより高級なものも理解することができる。戦略問題、たとえば、敵と味方との関係について配慮すること、各戦役、あるいは各作戦段階のあいだの関係について配慮すること、全局にかかわる(決定的意義をもつ)あるいくつかの部分について配慮すること、全般的な状況のなかの特徴について配慮すること、前線と後方とのあいだの関係について配慮すること、消耗と補充、作戦と休息、集中と分散、攻撃と防御、前進と後退、隠蔽いんぺいと暴露、主攻方面と助攻方面、突撃方面と牽制けんせい方面、集中指揮と分散指揮、持久戦と速決戦、陣地戦と運動戦、本軍と友軍、この兵種とほかの兵種、上級と下級、幹部と兵士、古参兵と新兵、高級幹部と下級幹部、ふるい幹部と新しい幹部、赤色地域と白色地域、旧地区と新地区、中心地区と周縁地区、暑いときと寒いとき、勝ちいくさと負けいくさ、大兵団と小兵団、正規軍と遊撃隊、敵を消滅することと大衆を獲得すること、赤軍の拡大と赤軍の強化、軍事工作と政治工作、過去の任務と現在の任務、現在の任務と将来の任務、ある状況のもとでの任務と他の状況のもとでの任務、固定した戦線と固定しない戦線、国内戦争と民族戦争、ある歴史的段階と他の歴史的段階などといった問題の区別や連係について配慮すること、これらはいずれも、目には見えないものであるが、頭を使って考えれば、みな理解することもでき、把握することもでき、精通することもできるのである。つまり、戦争あるいは作戦上のすべての重要な問題は、より高い原則にまでたかめて解決することができるということである。この目的を達成することが、戦略問題を研究することの任務である。



第四節 書要な問題はよく学ぶことにある


 なぜ赤軍を組織するのか。それを使って敵にうち勝つためである。なぜ戦争の法則を学ぶのか。それらの法則を戦争に使うためである。

 学ぶことは容易なことではなく、使うことはいっそう容易なことではない。戦争という学問は、教室や書物のうえでは、多くの人がたとえおなじように、もっともらしくならべたてても、いざ戦争をやってみると、勝ち負けのちがいがでてくる。戦争史も、われわれ自身の戦争生活もこのことを立証している。

 では、そのかぎはどこにあるのか。

 われわれは事実上の常勝将軍を求めることはできず、そういう人は昔からまれであった。われわれが求めるのは、戦争の過程において、一般的に勝ちいくさをする勇敢で聡明な将軍――すなわち知勇兼備の将軍である。知勇兼備になるには、学ぶときにも使うときにもそれによる一つの方法を学ばなければならない。

 どういう方法か。それは敵味方の双方の各方面の状況をよく知り、その行動の法則をみつけ、しかも、それらの法則を自分の行動に応用することである。

 多くの国で公布している軍事典範令には、いずれも「状況に応じて原則を活用する」ことの必要が指示されており、さらに、戦いに負けたときの処置方法が指示されている。前者は、指揮員が、原則をしゃくし定規に使って主観的なあやまりをおかさないようにするためのものであり、後者は、指揮員が主観的なあやまりをおかしたか、あるいは客観情勢に予想外の変化や不可抗力の変化がおきたときに、どう処置すればよいかを指揮員に教えているものである。

 なぜ主観上のあやまりをおかすくとになるのか。それは、戦争あるいは戦闘の部署配置と指揮が、その時、その場所の状況に合わないこと、主観的指導と客観的実際状況とがくい違っていて、合致しないこと、ことばをかえていえば、主観と客観とのあいだの矛盾を解決していないことによるものである。だれがどんな仕事をするばあいでも、こうした事情はさけがたいのであって、わりあいよくやれるかやれないかのちがいがあるだけである。仕事ではわりあいよくやることが要求され、軍事の面では、勝ちいくさをわりあい多くすることが要求される。逆にいえば、負けいくさをわりあいすくなくすることが要求されるのである。ここでの鍵は、主観と客観の両者をよく合致させることである。

 戦術の例をあげていおう。攻撃点を敵陣地のある一翼にえらび、しかもそこがちょうど敵の弱い部分であれば、突撃はそれによって成功する。これは主観が客観と合致したというのであり、つまり指揮員の偵察ていさつと判断と決心が、敵および敵の配置の実際状況に合致したというのである。もし攻撃点を他の一翼、あるいは中央部にえらび、その結果、ちょうど敵の強いところにぶちあたって、攻めこむことができないとすれば、それは合致しなかったという。攻撃の時機が当をえており、予備部隊の使用が早くもおそくもなく、各種の戦闘処置と戦闘行動が、みな味方に有利であり、敵に不利であったとすれば、それは全戦闘における主観的指揮と客観的状況がことごとく合致したことになる。ことごとく合致するということは、戦争や戦闘においては、ごくまれなことである。それは、戦争や戦闘をしている双方が、ともに集団をなした、武装している生きた人間であり、しかもたがいに秘密を保っているからで、これは静物や日常のことがらをとりあつかうのとは大いに異なる。しかし、指揮が大体において状況に合致しさえすれば、すなわち決定的意義をもつ部分が状況に合致しておれば、それが勝利の基礎となる。

 指揮員の正しい部署配置は、正しい決心からうまれ、正しい決心は、正しい判断からうまれ、正しい判断は、周到な、また必要な偵察と、さまざまな偵察材料をむすびつけた思索とからうまれる。指揮員は、あらゆる可能な、また必要な偵察手段をつかい、偵察でえた敵側の状況にかんするさまざまな材料にたいして、かすをすててすいをとり、偽をすてて真をのこし、これからあれへ、表面から内面へという思索をおこない、そのうえで、味方の状況をくわえて、双方の対比や相互の関係を研究し、それによって、判断をくだし、決心をかため、計画をたてる――これが軍事家の毎回の戦略、戦役、あるいは戦闘の計画をたてるにさきだっておこなう状況認識の全過程である。大ざっぱな軍事家は、こうはしないで、一方的な願望を基礎として軍事計画をたてるが、そのような計画は空想的な、実際と合致しないものである。向こうみずの、ただ情熱しかない軍事家が、どうしても敵からあざむかれ、敵の表面的な、あるいは一面的な状況にまどわされ、自分の部下の無責任な、洞察力に欠けた提案にあおられ、それでかべにつきあたるのをまぬがれないのは、かれらがどんな軍事計画でも、必要な偵察と敵味方の状況やその相互関係にたいする周到な思索を基礎としてたてるべきであることを知らないか、あるいは知ろうともしないからである。

 状況認識の過程は、軍事計画をたてる前だけでなく、軍事計画をたてたのちにも存在する。ある計画を実施するばあいには、実施しはじめたときから戦局の終わるときまでが、状況認識のもう一つの過程であり、すなわち実行の過程である。このときには、第一の過程のものが、実際の状況に合致しているかどうかを、あらためて点検する必要がある。もし、計画と状況とが合致しないか、あるいは完全には合致していないばあい、新しい認識にもとづいて新しい判断をくだし、あらたな決心をかため、新しい状況に適応するように既定の計画を変更しなければならない。部分的に変更することは、ほとんど毎回の作戦にみられることで、全面的に変更するようなこともたまにはある。向こうみず屋は、盲滅法にやるだけで、変更することを知らないか、あるいは変更しようとしないので、その結果は、またどうしてもかべにつきあたってしまう。

 以上のべたことは、一つの戦略での行動、あるいは一つの戦役と戦闘での行動についてである。経験をつんだ軍人で、もし、かれが謙虚にものを学ぶ人であり、自分の部隊(指揮員、戦闘員、武器、給養など、およびその全体)の気性をよく知り、また敵の部隊(同様に指揮員、戦闘員、武器、給養など、およびその全体)の気性もよく知り、戦争と関連のあるその他すべての条件、たとえば政治、経済、地理、気候などもよく知っている人であるならば、このような軍人の指導する戦争や作戦は、比較的に確実性があり、勝利をうることができる。これは、長い時間のあいだに、敵味方の双方の状況を認識し、行動の法則をさがしだし、主観と客観との矛盾を解決した結果である。この認識の過程は非常に重要であって、こういう長期の経験がなければ、戦争全体の法則を理解し、把握することは困難である。ほんとうに有能な高級指揮員には、かけだしのものや、たんに紙の上で戦争を論ずることに長じている人間ではなれるものでなく、そうなるには戦争のなかで学ばなければならない。

 すべての原則性をおびた軍事法則あるいは軍事理論は、みな昔の人あるいは今の人が過去の戦争の経験を総括したものである。これら過去の戦争がわれわれにのこしてくれた血の教訓は、とくに力をいれて学ぶべきものである。これが一つのことである。だが、もう一つのことがある。すなわち自分の経験のなかから、それらの結論を検証し、そのうちの使えるものはくみとり、使えないものはすて、自分特有のものをつけくわえていくことである。このもう一つのことは、非常に重要であって、こうしなければ、われわれは戦争を指導することができない。

 書物をよむことは学習であるが、使うことも学習であり、しかもより重要な学習である。戦争から戦争を学ぶ――これがわれわれの主要な方法である。学校にいく機会のなかった人でも、やはり戦争を学ぶことができる、つまり戦争のなかから学ぶのである。革命戦争は民衆のやることであって、先に学んでからやるのではなく、やりだしてから学ぶのが常であり、やることが学ぶことである。「民衆」から軍人までには距離があるが、それは万里の長城ではなく、急速になくすことのできるものである。革命をやり、戦争をやることが、その距離をなくす方法である。学ぶことと使うことが容易でないというのは、徹底的に学び、それを使いこなすことが容易でないということである。民衆がすぐに軍人になれるというのは、入門が別にむずかしいものではないということである。この二つのことを総合するならば、中国の古いことわざにあるように「世間に難事はなく、ただ心がけ次第だ」ということになる。入門がむずかしくないならば、ふかくきわめることもできるわけで、ただ心がけ次第であり、よく学びさえすればよいのである。

 軍事上の法則は、他の事物の法則とおなじように、客観的実際〔1〕のわれわれの頭脳への反映である。われわれの頭脳以外のすべては、客観的実際である。したがって、学習と認識の対象は敵と味方の二つの面をふくんでおり、この二つの面はいずれも研究の対象とみなすべきであって、研究の主体は、われわれの頭脳(思想)だけである。味方については明るいが、敵については暗い人がいる。また敵については明るいが、味方については暗い人もいる。こうした人たちは、いずれも戦争の法則を学ぶことと使うことの問題を解決することはできない。中国古代の大軍事学者孫武子〔2〕の書物には「かれを知り、おのれを知れば、百戦あやうからず」ということばがあるが、これは、学ぶことと使うことの二つの段階をふくめていったのであり、客観的実際における発展法則を認識することから、これらの法則にしたがって、自分の行動を決定し、当面している敵を克服することまでをふくめていったものであり、われわれは、このことばを軽視してはならない。

 戦争は、民族と民族、国家と国家、階級と階級、政治集団と政治集団とのあいだの相互の闘争の最高形態であり、戦争にかんするすべての法則は、いずれも戦争をする民族、国家、階級、政治集団が自己の勝利をたたかいとるために使うものである。戦争の勝敗が、主として戦う双方の軍事、政治、経済、自然などの諸条件によって決定されることはいうまでもない。だがそれだけではなく、戦う双方の主観的指導の能力によっても決定される。軍事家には物質的条件のゆるす範囲をこえて戦争の勝利をはかることはできないが、物質的条件のゆるす範囲内で、戦争の勝利をたたかいとることはできるし、またそうしなければならない。軍事家の活躍する舞台は、客観的物質的条件の上にきずかれているが、しかし軍事家は、この舞台一つで、精彩にとんだ、勇壮な多くの活劇を演出できるのである。したがって、われわれ赤軍の指導者は、既定の客観的な物質的基礎、すなわち軍事、政治、経済、自然などの諸条件の上で、われわれの威力を発揮し、全軍をひっさげて、民族の敵と階級の敵をうちたおし、このわるい世界を改造しなければならない。ここではわれわれの主観的指導の能力が使えるし、また使わなければならない。われわれは、赤軍のどんな指揮員にも、盲滅法にぶつかっていく向こうみず屋になることをゆるさない。われわれは、赤軍の指揮員の一人ひとりが、すべてを圧倒する勇気をもつだけでなく、戦争全体の変化、発展を駆使できる能力をもつ、勇敢で、聡明な英雄となることを提唱しなければならない。指揮員は、戦争という大海をおよいでいるのであって、沈まないようにし、確実に、段どりをおって、対岸に到達するようにしなければならない。戦争を指導する法則は、つまり戦争の水泳術である。

 以上がわれわれの方法である。



第二章 中国共産党と中国革命戦争


 一九三四年にはじまった中国革命戦争は、すでに二つの段階、すなわち一九二四年から一九二七年までの段階と、一九二七年から一九三六年までの段階を経過した。これからのちは抗日民族革命戦争の段階である。この三つの段階の革命戦争は、いずれも中国のプロレタリア階級とその政党である中国共産党が指導している。中国革命戦争の主要な敵は、帝国主義と封建勢力である。中国のブルジョア階級は、歴史のある時点では、革命戦争に参加することができても、その私利私欲性と、政治的、経済的に独立性を欠いていることによって、中国革命戦争を徹底的勝利の道にみちびくのをのぞまないし、またみちびくこともできない。中国の農民大衆と都市の小ブルジョア大衆は、革命戦争に積極的に参加することをのぞむとともに、また戦争を徹底的に勝利させることをのぞんでいる。かれらは革命戦争の主力軍である。だが、かれらの小生産者的特徴が、かれらの政治的視野を制約している(一部の失業者大衆は無政府的な思想をもっている)ので、かれらは戦争の正しい指導者になることはできない。したがって、プロレタリア階級がすでに政治の舞台にあらわれてきた時代では、中国革命戦争を指導する責任は、中国共産党の肩にかかってこざるをえない。このようなときには、どんな革命戦争でも、プロレタリア階級と共産党の指導がないか、あるいはその指導にそむけば、その戦争はかならず失敗する。なぜなら、半植民地的な中国の社会各階層と各種の政治集団のなかで、すこしも狭隘きょうあい性や私利私欲性をもたず、もっとも遠大な政治的視野と組織性をそなえており、しかも、もっとも謙虚に世界の先進的プロレタリア階級およびその政党の経験をとりいれて、それを自分の事業に用いることができるものは、プロレタリア階級と共産党以外にはないからである。したがって、プロレタリア階級と共産党だけが、農民、都市小ブルジョア階級とブルジョア階級を指導して、農民、小ブルジョア階級の狭隘性を克服し、失業著大衆の破壊性を克服することができ、またブルジョア階級の動揺と不徹底性を克服して(共産党が政策上であやまりをおかさなければ)、革命と戦争を勝利にみちびくことができるのである。

 一九二四年から一九二七年までの革命戦争は、基本的にいうと、国際プロレタリア階級と中国のプロレタリア階級およびその政党の、中国の民族ブルジョア階級およびその政党にあたえた政治的影響と政治的協力のもとですすめられたものである。ところが、革命と戦争が危急の瀬戸ぎわにたっしたとき、まず、大ブルジョア階級の裏切りによって、同時にまた革命の陣営内の日和見主義者が革命の指導権を自発的に放棄したことによって、このときの革命戦争は失敗した。

 一九二七年から現在までの土地革命戦争③は、新しい状況のもとですすめられた。戦争の敵は、たんに帝国主義だけでなく、大ブルジョア階級と大地王の同盟もそうであった。民族ブルジョア階級は大ブルジョア階級の追随者となった。この革命戦争を指導するものは、ただ共産党だけであり、共産党は革命戦争の絶対的な指導権をすでに確立した。共産党のこの絶対的な指導権が、革命戦争を最後まで堅持するもっとも主要な条件である。共産党のこのような絶対的な指導がなければ、革命戦争にこのような堅持性があるなどとは思いもおよばない。

 中国共産党は、中国の革命戦争を勇敢に断固として指導しており、十五年の長い年月をつうじて〔3〕、共産党こそが人民の友であって、人民の利益をまもるため、人民の自由と解放のために、一日として革命戦争の最前線に立たない日はなかったことを全国人民にしめしてきた。

 中国共産党は、苦難にめげず奮闘してきた自己の経歴によって、また何十万の英雄的な党員や何万の英雄的な幹部の流した血の犠牲によって、全民族数億のあいだで、偉大な教育的役割をはたしてきた。革命闘争における中国共産党の偉大な歴史的成果によって、こんにち、民族の敵の侵入という危急の瀬戸ぎわに立たされている中国は、滅亡から救われる条件をもつようになった。この条件とは、つまり大多数の人民から信任され、長期にわたって人民の考査をうけてえらびだされた政治指導者をもつようになったことである。現在、共産党のいうことは、他のどんな政党のいうことよりも人民によくうけいれられる。中国共産党の過去十五年にわたる苦難にめげない奮闘がなかったならば、あらたな亡国の危険を救うことは不可能である。

 中国共産党は、革命戦争のなかで、陳独秀チェントウシウ〔4〕の右翼日和見主義と李立三リーリーサンの「左」翼日和見主義〔5〕の二つのあやまりのほかに、さらに、つぎの二つのあやまりをも犯した。その一は、一九三一年から一九三四年までの「左」翼日和見主義〔6〕である。このあやまりは、土地革命戦争にきわめて重大な損失をあたえ、五回目の反「包囲討伐」④においては、敵にうち勝つことができなかったばかりか、逆に根拠地をうしない、赤軍をよわめる結果をまねいた。このあやまりは、一九三五年一月、遵義ツンイーでひらかれた拡大中央政治局会議⑤のときに是正された。その二は、一九三五年から一九三六年までの張国燾チャンクォタオの右翼日和見主義〔7〕である。このあやまりは、党と赤軍の規律を破壊するまでに発展し、一部の赤軍主力に重大な損失をあたえた。しかし、党中央の正しい指導と、赤軍内の党員、指揮員、戦闘員の自覚によって、ついにそのあやまりも是正された。これらすべてのあやまりは、われわれの党にとって、われわれの革命と戦争にとって、もちろん、不利なものであったが、ついには、われわれによって克服され、われわれの党と赤軍は、これらのあやまりを克服するなかで、いっそう強くきたえあげられた。

 中国共産党はあらしのような、光栄ある、勝利にかがやく革命戦争を指導してきたし、また指導しつづけている。この戦争は、中国を解放する旗じるしであるばかりでなく、国際的な革命的意義をもつものである。世界の革命的な人民の目はわれわれにそそがれている。新しい抗日民族革命戦争の段階で、われわれは、中国革命を達成にみちびくであろうし、また東方および世界の革命にたいしても深刻な影響をあたえるであろう。過去の革命戦争は、われわれが、マルクス主義の正しい政治路線を必要としているばかりでなく、マルクス主義の正しい軍事路線をも必要としていることを証明している。十五年にわたる革命と戦争によって、すでにこのような政治路線と軍事路線がねりあげられている。今後の戦争の新しい段階では、このような路線は、新しい環境にもとづいて、いっそう発展し、充実し、豊富になって、民族の敵にうち勝つ目的を達成するものとわれわれは信じている。歴史は、正しい政治路線と軍事路線が、自然に平穏裏に発生し発展するのではなくて、闘争のなかで発生し、発展するということをわれわれに教えている。一方で、それは「左」翼日和見主義と闘争しなければならないし、他方では、また右翼日和見主義とも闘争しなければならない。革命と革命戦争をあやうくするこれらの有害な偏向にたいして闘争し、それらを徹底的に克服しなければ、正しい路線の確立と革命戦争の勝利は不可能である。わたしがこのパンフレットでしばしばあやまったほうの意見にふれるのはそのためである。



第三章 中国革命戦争の特徴



     第一節 この問題の重要性


 中国革命戦争に特徴があることを認めず、知らす、あるいは知ろうともしないものは、赤軍が国民党軍と戦うことを戦争一般とおなじだとみなしているか、あるいはそれをソ連の国内戦争とおなじだとみなしている。レーニン、スターリンの指導したソ連の国内戦争の経験は世界的な意義をもっている。すべての共産党は、中国共産党も同様であるが、この経験と、レーニン、スターリンがこの経験を理論的に総合したものとを指針としている。だが、このことは、われわれの条件のもとで、この経験を機械的につかうべきだというのではない。中国の革命戦争は多くの面で、ソ連の国内戦争とは異なったそれ自身の特徴をもっている。こうした特徴を考慮にいれなかったり、あるいは否定したりすることは、もちろんあやまりである。この点は、われわれの十年にわたる戦争のなかですでに完全に証明されている。

 われわれの敵も、かつてそれに似たようなあやまりをおかした。かれらは赤軍と戦争するには、ほかの戦争とはちがった戦略と戦術が必要であることを認めなかった。かれらは、自分たちの各方面での優勢をたのみにして、われわれを軽視し、いつもの戦法を固執した。これが一九三三年の敵の四回目の「包囲討伐」の時期、およびそれ以前の状況であり、その結果は、かれらのたびかさなる失敗をまねいた。国民党軍のなかで、いちばんさきにこの問題について新しい意見をだしたのは、国民党の反動将軍柳維垣リウウェイユァンで、のちには戴岳タイユエがいる。かれらの意見はついに蒋介石チァンチェシーによって採用された。これが、蒋介石の盧山ルーシャン軍官訓練団〔8〕および五回目の「包囲討伐」で実施した反動的な新しい軍事原則〔9〕のうまれた過程である。

 ところが、敵がその軍事原則を赤軍との作戦状況に適応するように変えているとき、われわれの隊列には、逆に「いつものやり方」にもどる人たちがあらわれた。かれらは一般的な状況の方へもどることを主張した。そして、どのような特殊状況も理解することをこばみ、赤軍の血戦の歴史の経験をこばみ、帝国主義と国民党の力を軽視し、国民党軍の力を軽視し、敵が採用した反動的な新しい原則など、目にはいらないかのようであった。その結果は、陝西シャンシー甘粛カンスー辺区以外のすべての革命根拠地を失い、赤軍を三十万から数万に減少させ、中国共産党の党員を三十万から数万に減少させ、国民党地域における党の組織をほとんど全部失ってしまった。要するに、きわめて大きな歴史的懲罰をうけたわけである。かれらはマルクス・レーニン主義者と自称しているが、じつはマルクス・レーニン主義を少しも身につけていない。レーニンは、マルクス主義のもっとも本質的なものとマルクス主義の生きた魂は、具体的状況にたいする具体的分析にある〔10〕といっている。われわれのこれらの同志はまさにこの点をわすれていたのである。

 このことからわかるように、中国革命戦争の特徴を理解しなければ、中国革命戦争を指導することができず、中国革命戦争を勝利の道にみちびくことはできない。



第二節 中国革命戦争の特徴はなにか


 では、中国革命戦争の特徴はなにか。

 わたしは、主要な特徴が四つあるとおもう。

 第一の特徴は、中国が政治的、経済的発展の不均等な半値民地の大国であり、また、一九二四年から一九二七年までの革命をへていることである。

 この特徴は、中国革命戦争に発展と勝利の可能性があることをしめしている。一九二七年の冬から一九二八年の春にかけて、中国の遊撃戦争が発生してまもなく、湖南フーナン江西チァンシー両省の省境地域――井岡チンカンシャン山の同志のなかの一部のものから、「赤旗はいったいいつまでかかげられるか」という疑問がだされたとき、われわれはこのことを指摘した(党の湖南・江西省境地区第一回代表大会〔11〕)。なぜなら、これはもっとも基本的な問題であり、中国の革命根拠地と中国赤軍が存在し発展しうるかどうかという問題にこたえなければ、われわれは一歩も前進することができなかったからである。一九二八年の中国共産党第六回全国代表大会では、もう一度この問題についてこたえた。それいらい、中国の革命運動は、正しい理論的基礎をもつようになった。

 いま、この問題を分解して見ることにしよう。

 中国の政治的、経済的発展が不均等であること――貧弱な資本主義的経済と根づよい半封建的経済が同時に存在しており、近代的な若干の商工業都市と停滞している広大な農村が同時に存在しており、何百万かの産業労働者と古い制度の支配のもとにある何億もの農民、手工業労働者とが同時に存在しており、中央政府を統轄している大軍閥と各省を統轄している小軍閥が同時に存在しており、反動軍隊のなかには、蒋介石配下のいわゆる中央軍と各省の軍閥配下のいわゆる雑軍との、こうした二種類の軍隊が同時に存在しており、また若干の鉄道、航路、自動車道路と、いたるところにある一輪車しか通れない道、徒歩でしか通れない道、徒歩でさえ通りにくい道とが同時に存在している。

 中国は半植民地国であること――帝国主義の不統一が、中国の支配者集団のあいだの不統一をひきおこしている。いくつかの国が支配している半植民地国と、一国が支配している植民地とのあいだには、差異がある。

 中国は大国であること――「東が暗くても西は明るく、南で消えても北で燃えている」のであるから、動きまわる余地がないなどと心配することはない。

 中国は大革命を一度へていること――赤軍の種子が用意されており、赤軍の指導者、すなわち共産党が用意されており、また革命に一度参加したことのある民衆が用意されている。

 だから、われわれは、中国は革命を一度へた、政治的、経済的発展の不均等な半植民地の大国で、これが中国革命戦争の第一の特徴であるというのである。この時徴は、われわれの政治上の戦略と戦術とを基本的に規定しているばかりでなく、われわれの軍事上の戦略と戦術をも基本的に規定している。

 第二の特徴は敵が強大なことである。

 赤軍の敵である自民党は、どんな状況にあるのか。それは政権をうばいとっており、しかもその政権を相対的に安定させている政党である。それは全世界の主要な反革命諸国の援助をえている。それは、すでに自己の軍隊を、中国の歴史上のどの時代の軍隊とも異なった、世界の近代国家の軍隊とほぼおなじものに改造しており、武器やその他の軍需物資の供給が、赤軍よりずっとまさっているばかりでなく、兵員の多い点でも、中国の歴史上のどの時代の軍隊をもしのぎ、世界のどの国家の常備軍をもしのいでいる。その軍隊と赤軍をくらべると、じつに雲泥の差がある。国民党は全中国の政治、経済、交通、文化等の中枢あるいは命脈をにぎっており、その政権は全国的な政権である。

 中国の赤軍は、このような強大な敵を前にしている。これが中国革命戦争の第二の特徴である。この特徴は、赤軍の作戦が戦争一般や、ソ連の国内戦争や、北伐戦争とも多くのちがいをもたざるをえないようにしている。

 第三の特徴は赤軍が弱小なことである。

 中国の赤軍は、第一次大革命が失敗したのちにうまれ、遊撃隊からはじまったものである。それは、中国の反動的時期におかれていたばかりでなく、また、世界の反動的資本主義諸国が、政治的、経済的に比較的安定した時期におかれていた。

 われわれの政権は、山地あるいは僻地へきちにある分散し孤立した政権であり、いかなる外部からの援助もない。革命根拠地の経済的条件と文化的条件は、国民党地区にくらべるとおくれている。革命根拠地には農村と小さな町しかない。その地区は、はじめは非常に小さかったし、その後も、そう大きくなってはいない。しかも根拠地はつねに流動しており、赤軍にはほんとうに強固な根拠地はない。

 赤軍の数はすくなく、その武器はおとっており、食糧、被服などの物資の供給は非常に困難である。

 この特徴は、前にあげた第二の特徴とするどい対照をなしている。赤軍の戦略戦術は、こうしたするどい対照の上にうまれたのである。

 第四の特徴は、共産党の指導と土地革命である。

 この特徴は、第一の特徴の必然的な結果である。この特徴から、二つの面の状況がうまれている。一つの面では、共産党の指導と農民の援助があるので、中国革命戦争は、中国および資本主義世界の反動的時期におかれてはいても、勝利できるものである。われわれには農民の援助があるので、根拠地は小さいながらも大きな政治的威力をもっており、膨大な国民党政権に厳然と対立し、国民党の進攻にたいして、軍事上大きな困難をあたえている。共産党の指導のもとにある赤軍の成員は、土地革命のなかからうまれ、自分たちの利益のために戦っており、しかも、指揮員と戦闘員のあいだが政治的に一致しているので、赤軍は小さいながらも、強大な戦闘力をもっているのである。

 もう一つの面では、自民党がこれとするどい対照をなしていることである。自民党は土地革命に反対しているので、農民の援助がない。その軍隊は多いが、兵士大衆、小生産者出身の多くの下級幹部たちに、みずからすすんで国民党のために命をなげださせるようにすることはできない。将校と兵士のあいだは政治的にくいちがっており、これがその戦闘力をよわめている。



第三節 ここからわれわれの戦略戦術はうまれる


 大革命を一度へている、政治的、経済的に不均等な半植民地の大国、強大な敵、弱小な赤軍、土地革命――これらが中国革命戦争の四つの主要な特徴である。これらの特徴が、中国革命戦争の指導路線およびその戦略戦術上の多くの原則を規定している。第一の特徴と第四の特徴は、中国赤軍の発展が可能であり、また、敵にうち勝つことが可能であることを規定している。第二の特徴と第三の特徴は、中国赤軍が、急速に発展することが不可能であること、また、急速に敵にうち勝つことが不可能であること、すなわち戦争が持久的であること、しかもへたをすると失敗する可能性もあることを規定している。

 これが、中国革命戦争の二つの側面である。この二つの側面は同時に存在している。すなわち、有利な条件もあれば、また困難な条件もある。これが中国革命戦争の根本法則であり、数多くの法則はすべて、この根本法則からうまれたものである。十年にわたるわれわれの戦争の歴史は、この法則の正しさを証明している。目をあげていてもこれらの根本的性質をもつ法則の見えないものには、中国の革命戦争を指導することはできず、赤軍の戦いを勝利させることもできない。

 戦略方向を正しく規定して、進攻にあたっては冒険主義に反対し、防御にあたっては保守主義に反対し、移動にさいしては逃走主義に反対すること、赤軍の遊撃主義には反対するが、赤軍の遊撃性は認めること、戦役での持久戦と戦略での速決戦に反対し、戦略での持久戦と戦役での速決戦を認めること、固定した作戦線と陣地戦に反対し、固定しない作戦線と運動戦を認めること、撃破戦に反対し、殲滅せんめつ戦を認めること、戦略方向における二つのゲンコツ主義に反対し、一つのゲンコツ主義を認めること、大後方制度に反対し、小後方制度を認めること⑥、絶対的な集中指揮に反対し、相対的な集中指揮を認めること、軍事一点ばりの観点や流賊主義〔12〕に反対し、赤軍が中国革命の宣伝者であり、組織者であることを認めること、匪賊ひぞく主義〔13〕に反対し、厳格な政治的規律を認めること、軍閥主義に反対し、限度のある民主的生活と権威のある軍事規律を認めること、正しくないセクト主義の幹部政策に反対し、正しい幹部政策を認めること、孤立政策に反対し、すべての、可能性のある同盟者をかちとることを認めること、最後に、赤軍をふるい段階にとどめることに反対し、赤軍が新しい段階に発展するようたたかいとること これらすべての原則的問題を正しく解決することが要求されるのは、非常にあきらかである。われわれがこれからのべる戦略問題は、中国革命戦争の十年にわたる血戦史の経験にてらして、これらの問題を十分に説明するものである。



第四章 「包囲討伐」と反「包囲討伐」

          ――中国国内戦争の主要な形態


 十年このかた、遊撃戦争がはじまったその日から、どの独立の赤色遊撃隊、あるいは赤軍でも、またどの革命根拠地でも、その周囲では、いつも敵の「包囲討伐」にであった。敵は赤軍を怪物とみなして、あらわれるとすぐにつかまえようとする。数はいつも赤軍をつけまわし、とりかこもうとする。このような形態は、過去十年間、変わっていず、もし、民族戦争が国内戦争にとってかわらないなちは、敵が弱小となり、赤軍が強大となるその日まで、このような形態はやはり変わることはない。

 赤軍の活動は、反「包囲討伐」の形態をとっている。勝利というのは、主として反「包囲討伐」の勝利をいうのであり、これが、戦略と戦役での勝利である。一回の反「包囲討伐」が一つの戦役であって、それは通常大小いくつかの、ないし数十の戦闘からなりたっている。一回の「包囲討伐」を基本的にうちやぶらないかぎり、たとえ多くの戦闘で勝利をえたとしても、戦略上あるいは全戦役上で勝利したとはいえない。十年間の赤軍の戦争の歴史は、反「包囲討伐」の歴史であった。

 敵の「包囲討伐」と赤軍の反「包囲討伐」は、たがいに進攻と防御という二種類の戦闘形態をとっており、これは、古今東西のあらゆる戦争と変わりはない。だが、中国の国内戦争の特徴は、この二つの形態が長期にわたってくりかえされることにある。一回の「包囲討伐」において、敵は進攻をもって赤軍の防御にたちむかい、赤軍は防御をもって敵の進攻にたちむかう、これが反「包囲討伐」戦役の第一段階である。敵が防御をもって赤軍の進攻にたちむかい、赤軍が進攻をもって敵の防御にたちむかう、これが反「包囲討伐」戦役の第二段階である。いずれの「包囲討伐」にもこの二つの段階があり、しかも、それは長期にわたってくりかえされるのである。

 長期間のくりかえしとは、戦争と戦闘形態のくりかえしのことをいう。これは事実であって、だれにも一目ですぐわかることである。「包囲討伐」と反「包囲討伐」は、戦争形態のくりかえしである。敵が進攻をもってわれわれの防御にあたり、われわれが防御をもって敵の進攻にあたる第一段階と、敵が防御をもってわれわれの進攻にあたり、われわれが進攻をもって敵の防御にあたる第二段階とは、毎回の「包囲討伐」のなかでの戦闘形態のくりかえしである。

 戦争と戦闘の内容となると、それは単純にくりかえされるものではなく、毎回ちがうものである。このこともまた事実であって、だれにも一目ですぐわかることである。ここでの法則は、「包囲討伐」と反「包囲討伐」の規模が一回ごとに大きくなり、状況も一回ごとに複雑となり、戦闘も一回ごとにはげしくなることである。

 しかし、それに起伏がないわけではない。五回目の「包囲討伐」ののちは、赤軍の力がひどくよわまり、南方の根拠地が全部失われ、赤軍が西北にうつり、南方にいたときのように、国内の敵を脅かすもっとも重要な地位をしめなくなったので、「包囲討伐」の規模と状況と戦闘は、わりあいに、小さくなり、単純になり、緩和してきた。

 赤軍の失敗とは何か。戦略上からいえば、反「包囲討伐」が根本的に成功しなかったばあいにだけ失敗といえるのであって、しかも、それは、局部的な、一時的な失敗だとしかいえない。なぜなら、国内戦争の根本的な失敗とは、赤軍全体の壊滅ということであるが、そのような事実はないからである。広大な根拠地の喪失と赤軍の移動は、一時的な、局部的な失敗であって、その局部には、党と軍隊と根拠地の九〇パーセントがふくまれてはいたが、永久的な、全面的な失敗ではない。このような事実を、われわれは防御の継続とよび、敵の追撃を進攻の継続とよぶのである。これはつまり、「包囲討伐」と反「包囲討伐」の闘争において、われわれが防御から進攻に転ずることがなく、逆に、敵の進攻によって、われわれの防御がうちやぶられたので、われわれの防御は退却に変わり、敵の進攻は追撃に変わったということである。だが、赤軍が新しい地区に到達したとき、たとえば、われわれが江西省などの地方から陝西省にうつってきたとき、「包囲討伐」のくりかえしが、ふたたびあらわれた。だからわれわれは、赤軍の戦略的退却(長征)は、赤軍の戦略的防御の継続であり、敵の戦略的追撃は、敵の戦略的進攻の継続であるというのである。

 中国の国内戦争は、古今東西のどの戦争ともおなじように、基本的な戦闘形態には攻撃と防御の二種類しかない。中国の国内戦争の特徴は、「包囲討伐」と反「包囲討伐」の長期にわたるくりかえしと、攻撃と防御というこの二種類の戦闘形態の長期にわたるくりかえしであり、しかも、そのなかには、一万余キロにおよぶ偉大な戦略的移動(長征)〔14〕というようなものがふくまれている。

 敵の失敗というのも、こうしたものである。かれらの戦略的失敗とは、かれらの「包囲討伐」がわれわれにうちやぶられ、われわれの防御が進攻に変わり、敵が防御の地位に転じて、もう一度「包囲討伐」をするには、あらためて組織しなおさなければならないことである。敵は全国的な支配者であり、われわれよりずっと強大であるから、われわれのような一万余キロの戦略的移動というような状況はおこらない。しかし、部分的にはそういうことがあった。若干の根拠地で赤軍から包囲攻撃をうけた白色拠点内の敵が、その包囲を突破して、白色区に退却し、そこであらためて進攻を組織しなおすというようなことはおきたことがある。もし、国内戦争が長びき、赤軍の勝利する範囲がいっそう拡大したときには、このようなことは多くなるだろう。だが、かれらには人民の援助がなく、将校と兵士とのあいだも一致していないから、その結果は赤軍とくらべることはできない。かれらがもし赤軍の長距離移動をまねるならば、きっと消滅されてしまうにちがいない。

 一九三〇年の李立三路線の時期に、李立三同志は、中国の国内戦争の持久性がわからなかったので、中国の国内戦争が発展するなかで、「包囲討伐」につぐ「包囲討伐」、それにたいする粉砕につぐ粉砕という、長期にわたるくりかえしの法則(当時、すでに湖南・江西辺区の三回にわたる「包囲討伐」、福建フーチェン省の二回にわたる「包囲討伐」などがあった)をみいだせなかった。したがって、全国の革命を急速に勝利させようとはかり、赤軍がまだ幼少であった時期に、武漢攻撃を命令し、全国で武装蜂起をおこなうことを命令した。これで「左」翼日和見主義のあやまりをおかしたのである。

 一九三一年から一九三四年にあらわれた「左」翼日和見主義者も、「包囲討伐」のくりかえしというこの法則を信じなかった。湖北フーペイ河南ホーナン安徽アンホイ辺区根拠地では、いわゆる「補助軍」説がうまれた。ここの一部の指導的な同志は、三回目の「包囲討伐」に失敗したのちの国民党は、補助軍にすぎなくなったので、赤軍を攻撃するには、帝国主義がみずから出馬して主力軍を担当するほかないと考えた。こうした評価のもとでの戦略方針が、赤軍の武漢攻撃であった。このことは、江西省の一部の同志が赤軍に南昌ナンチャン攻撃をよびかけ、各根拠地を一つにつなぐ活動に反対し、敵をふかく誘いいれる作戦に反対し、省都および中心都市の奪取をその省での勝利の基点にしたこと、および「五回目の『包囲討伐』に反対する闘争は、革命の道と植民地の道との決戦である」とみなしたことなどと、原則的に一致するものである。この「左」翼日和見主義は、湖北・河南・安徽辺区の四回目の「包囲討伐」に反対する闘争と江西省中央地区の五回目の「包囲討伐」に反対する闘争におけるあやまった路線の根をつちかうことになり、敵のきびしい「包囲討伐」を前にして、赤軍を手も足もだせない状態に追いこみ、中国革命に非常に大きな損失をもたらした。

 「包囲討伐」のくりかえしを認めない「左」翼日和見主義と直接結びついて、赤軍はどうあっても防御手段をとるべきではないという意見もあるが、これもまた、まったくあやまりである。

 革命と革命戦争は進攻的である――このようないいかたには、もちろんそれなりの正しさがある。革命と革命戦争が、発生から発展へ、小から大へ、政権をもたない状態から政権の奪取へ、赤軍のない状態から赤軍の創設へ、また革命根拠地のない状態から革命根拠地の創設へとすすむには、どうしても進攻的でなければならない。保守的であってはならず、保守主義の偏向には反対すべきである。

 革命と革命戦争は進攻的ではあるが、また防御も後退もある――こうしたいいかたこそが完全に正しいのである。進攻のための防御、前進のための後退、正面へのための側面へ、直進のための迂回うかい、このようなことは、多くの事物の発展過程でさけることのできない現象であり、まして、軍事行動ではなおさらのことである。

 以上のべた二つの論断のうち、まえの論断は、政治のうえでいえば正しいことにもなるが、それを軍事のうえにもってくるとまちがいになる。政治のうえでも、それはある状況のとき(革命が前進するとき)にだけ正しいのであって、他の状況(革命が退却するとき、たとえば一九〇六年のロシア〔15〕、一九二七年の中国のような全面的退却のとき、また一九一八年のブレスト条約当時のロシア〔16〕にのような局部的退却のとき)にもってくるとまちがいになる。あとの方の論断だけが、全面的に正しい真理である。一九三一年から一九三四年までの「左」翼日和見主義が、軍事的防御手段をとることに機械的に反対したことは、非常に幼稚な考えにすぎない。

 「包囲討伐」のくりかえしという形態は、いつ柊わるのか。わたしの考えでは、もし国内戦争が長びくとすれば、それは敵と味方の強弱の対比に根本的な変化がおきたときである。もし赤軍がひとたび敵よりいっそう強大になったときには、こういうくりかえしは終わりをつげてしまう。そのときには、われわれが敵を包囲討伐し、敵は反包囲討伐をくわだてることになるが、しかし政治的、軍事的な条件は、敵に赤軍とおなじような反「包囲討伐」の地位をしめることをゆるさないだろう。そのときになれば、「包囲討伐」のくりかえしという形態は、たとえ完全に終わったとはいえなくても、一般的に終わったということは断言してよい。



 

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