当面の情勢とわれわれの任務 (一九四七年十二月二十五日)
これは、毛沢東同志が、一九四七年十二月二十五日から二十八日まで陝西省北部の米脂県楊家溝でひらかれた中国共産党中央の会議でおこなった報告である。この会議には当時出席することのできた中央委員と中央委員候補のほかに、陝西・甘粛・寧夏辺区と山西・綏遠辺区の責任者も参加した。この会議では、毛沢東同志のこの報告と、毛沢東同志の書いた『当面の国際情勢についてのいくつかの評価』(本巻一〇五ページ)が討議され、採択された。毛沢東同志の報告について、会議の決定はつぎのように指摘している。「この報告は、蒋介石反動支配集団を打倒し、新民主主義の中国をうち建てる全時期をつうじて、政治、軍事、経済の各方面で綱領的性質をもつ文献である。全党、全軍はこの文献を、一九四七年の双十節の各文献(一九四七年十月十日に公布された『中国人民解放軍宣言』『中国人民解放軍のスローガン』『三大規律・八項注意をあらためて公布することについての訓令』『中国土地法大綱』『中国土地法大綱の公布にかんする中国共産党中央の決議』をさす)と結びつけて、徹底した教育をおこなうとともに、実践のなかでこれを厳格に遵守、実施しなければならない。各地の政策実施の過程に、この報告で指摘されている原則とあわないところがあれば、ただちにあらためなければならない。」この会議ではこのほか、つぎの重要な決定がわこなわれた。(1)中国人民の革命戦争を完全な勝利にまでたえず発展させるよう努力すべきであり、敵が、時間をかせぐ策謀(和平交渉)によって、休養と整備・訓練の時間をかせいだうえで、ふたたび人民に襲いかかるのを許してはならない。(2)革命的中央政府をつくる時機はいまのところまだ熟していない。この問題は、わが軍がさらに大きな勝利をおさめたのち、あらためて考慮すべきであり、憲法の発布はなおさら将来の問題である。会議ではまた、当時党内にあった偏向および土地改革と大衆運動におけるいくつかの具体的政策についての問題がくわしく討議された。討議の結果は、のちに毛沢東同志によって、『当面の党の政策におけるいくつかの重要問題について』(本巻二三九ページ)のなかにまとめられた。この文章から一九四八年三月二十日の『状況についての通報』まではみな、陝西省北部の米脂県楊家溝で書かれたものである。
一
中国人民の革命戦争は、いまや一つの転換点にたっしている。つまり、中国人民解放軍はすでにアメリカの手先蒋介石の数百万の反動軍隊の進攻を撃退するとともに、進攻に転じたのである。一九四六年七月から一九四七年六月にいたるこの戦争の最初の一年間に、人民解放軍ははやくもいくつかの戦場で蒋介石の進攻を撃退して、蒋介石を防御の地位に追いこんだ。そして、戦争第二年目の第一・四半期、すなわち一九四七年の七月から九月にかけて、人民解放軍は全国的規模の進攻に転じて、戦争をひきつづき解放区にもちこみ解放区を徹底的に破壊しようとする蒋介石の反革命計画を粉砕した。いま、戦争はすでに主として解放区のなかではなく、国民党支配区でおこなわれており、人民解放軍の主力はすでに国民党支配区に攻め入っている〔1〕。中国人民解放軍はすでに、この中国という大地のうえで、アメリカ帝国主義とその手先蒋介石匪賊一味の反革命の車輪を逆転させて、これを覆滅の道にむかわせ、自己の革命の車輪をおしすすめて、これを勝利の道にむかわせている。これは歴史の転換点である。これは、蒋介石の二十年にわたる反革命支配が発展から消滅にむかう転換点である。これは、中国における帝国主義の百余年にわたる支配が発展から消滅にむかう転換点である。これは偉大なできごとである。このできごとが偉大であるのは、それが四億七干五百万の人口を擁する国でおこったからであり、このできごとは、ひとたびおこった以上、かならず全国的な勝利へとすすむからである。このできごとが偉大であるのは、また、それが世界の東方でおこったからであり、ここでは十億以上の人口(人数の半ばをしめる)が帝国主義の抑圧をうけているからである。中国人民の解放戦争が防御から進攻に転じたことは、これらの被抑圧民族を喜びにわきたたせ、ふるいたたせずにはおかない。同時に、いまたたかっているヨーロッパとアメリカ大陸の諸国の被抑圧人民にたいする援助でもある。
二
蒋介石が反革命戦争をひきおこしたその日から、われわれは、蒋介石をうち破らなければならす、またうち破ることができる、といってきた。われわれが蒋介石をうち破らなければならないのは、蒋介石のひきおこした戦争が、アメリカ帝国主義の指摘のもとでの、中国の民族独立と中国人民の解放に反対する反革命の戦争だからである。中国人民の任務は、第二次世界大戦が終わり、日本帝国主義がうち倒されたのちに、政治、経済、文化の面で新民主主義的改革を完成し、国家の統一と独立を実現し、農業国を工業国にかえることであった。ところが、反ファシズムの第二次世界大戦が勝利をもって終わったそのときから、アメリカ帝国主義と各国におけるその手先は、ドイツ・日本帝国主義およびその手先にとってかわり、反動陣営を結成して、ソ連に反対し、ヨーロッパの人民民主主義諸国に反対し、資本主義諸国の労働運動に反対し、各植民地・半植民地の民族運動に反対し、中国人民の解放に反対してきた。このようなときに、蒋介石をかしらとする中国の反動派は、日本帝国主義の手先汪精衛とまったく同様に、アメリカ帝国主義の手先になりさがって、中国をアメリカに売りわたし、戦争をひきおこして、中国人民に反対し、中国人民の解放事業の前進をはばんできた。このようなときに、もしわれわれに断固立ちあがって革命戦争によって反革命戦争に反対する勇気がなく、弱腰をみせ、後退でもしたならば、中国は暗黒の世界と化し、わが民族の前途はほうむりさられたであろう。中国共産党は、中国人民解放軍を指導して、断固として愛国・正義・革命の戦争をおこない、蒋介石の進攻とたたかった。中国共産党は、マルクス・レーニン主義の科学をよりどころにして、冷静に国際・国内情勢を評価しており、内外反動派のあらゆる攻撃をうち破らなければならず、またうち破ることができることを知っている。空に暗雲があらわれたとき、われわれは、これは一時の現象にすぎない、暗黒はまもなくすぎさるだろう、暁の光はすぐ目のまえにきている、と指摘した。一九四六年七月、蒋介石匪賊一味が全国的規模の反革命戦争をひきおこしたとき、かれらは、三ヵ月から六ヵ月もあれば、人民解放軍をうち破ることができるとおもっていた。かれらは、自分たちは正規軍二百万、非正規軍百余万、後方の軍事機関と部隊百余万、計四百余万の軍事力をもっている、自分たちはすでに、時間を有効につかって、進攻の準備を完了している、自分たちはふたたび大都市を支配している、自分たちは三億以上の人口をもっている、自分たちは中国侵略の日本軍百万人の装備をぜんぶ接収している、自分たちはアメリカ政府から、軍事上、財政上の莫大な援助をえている、と考えていた。かれらはまた、中国人民解放軍は八年の抗日戦争でひどく戦いつかれており、そのうえ、数のうえでも、装備のうえでも、国民党の軍隊にはるかにおよばない、中国の解放区はまだ一億をすこしこえる人口しかもたず、そのうち大部分の地区では反動的な封建勢力がまだ一掃されておらず、土地改革がまだゆきわたっていないし、徹底していない、つまり、人民解放軍の後方はまだかたまっていない、と考えていた。こうした評価から出発して、蒋介石匪賊一味は、中国人民の平和への願いをかえりみず、一九四六年一月に結ばれた国共両党間の休戦協定および各政党の政治協商会議の決議を最後的にふみにじって、冒険的な戦争をひきおこした。そのとき、われわれは、蒋介石の軍事力の優勢は一時の現象にすぎず、一時的に作用する要因にすぎない、アメリカ帝国主義の援助もまた一時的に作用する要因にすぎない、それにひきかえ、蒋介石の戦争の反人民的な性格、人心の向背は、恒常的に作用する要因であり、この面では、人民解放軍が優勢をしめている、といった。愛国・正義・革命の性格をもつ人民解放軍の戦争は、かならず全国人民の支持を得るのである。これが蒋介石にうち勝つ政治的基礎である。十八ヵ月間の戦争の経験は、われわれの断定をあますところなく実証した。
三
十七ヵ月間(一九四六年七月から一九四七年十一月までで、十二月の分はまだ計算にいれていない)の作戦で、蒋介石の正規軍と非正規軍あわせて百六十九万人を殺傷し、あるいは捕虜にしたが、そのうち、殺傷したものは六十四万人、捕虜にしたものは百五万人である。こうして、わが軍は蒋介石の進攻を撃退し、解放区の基本的な地域を保持するとともに、進攻に転じた。われわれがこのようになしえたのは、軍事面からいえば、正しい戦略方針を実行したからである。われわれの軍事原則はつぎのとおりである。(1)さきに、分散し孤立した敵を攻撃し、あとで、集中した強大な敵を攻撃する。(2)さきに、小都市、中都市および広大な農村を奪取し、あとで、大都市を奪取する。(3)敵の兵員の殲滅を主な目標とし、都市や地域の保持あるいは奪取を主な目標とはしない。都市や地域の保持あるいは奪取は、敵の兵員を殲滅することによってえられる結果であって、何度もくりかえさなければ最後的に保持あるいは奪取できないばあいが多い。(4)どの戦いでも、圧倒的に優勢な兵力(敵の兵力のニ倍、三倍、四倍、ときには五倍あるいは六倍もの兵力)を集中して、四万から敵を包囲し、一兵も逃がさないよう、極力、完全殲滅をはかる。特殊な状況のもとでは、敵に殲滅的な打撃をあたえる方法をとる。すなわち、全力を集中し、敵の正面とその一翼あるいは両翼を攻撃して、その一部を殲滅し、他の一部を撃破する目的をとげ、それによって、わが軍が迅速に兵力を移動させて、他の敵軍を殲滅しあるいは打撃をあたえることができるようにする。損得のつぐなわない、あるいは損得相半ばするような消耗戦は極力さける。そうすれば、われわれは、全体的には劣勢(数のうえからいって)であっても、個々の局部、個々の具体的な戦役では圧倒的優勢となり、戦役の勝利が保障される。そして、ときがたつにつれて、われわれは全体的にも優勢に転じ、ついには、すべての敵を殲滅するようになるのである。(5)準備のない戦いはせず、勝算のない戦いはしない。どの戦いでも、できるかぎり、十分に準備をととのえ、敵味方の条件を比較したうえで、十分に勝利の確信をもてるようにしなければならない。(6)勇敢に戦い、犠牲をおそれず、疲労をおそれず、連続的に戦う(すなわち、短期間内に、休まず、たてつづけにいくつもの戦闘をする)という作風を発揮する。(7)できるかぎり、敵を運動のなかで殲滅するようにする。同時に、陣地攻撃の戦術を重視し、敵の拠点や都市を奪取する。(8)都市の攻略の問題では、敵の守備の手薄な拠点や都市はすべて、断固として奪取する。敵の守備が中程度で、まわりの条件からいっても奪取してよい拠点や都市はすべて、機をみて奪取する。敵の守備の強固な拠点や都市はすべて、条件の熟するのをまって奪取する。(9)敵から図捜した兵器のすべてと、捕虜にした兵員の大部分で自己を補充する。わが軍の人力物力の補給源は主として前線にある。(10)二つの戦役のあいまをたくみに利用して、部隊の休養と整備・訓練をおこなう。休養と整備・訓練の時間は、できるだけ敵に息ぬきの時間をあたえないために、一般に長すぎてはならない。以上の諸点は、人民解放軍が蒋介石をうち破る主要な方法である。これらの方法は、人民解放軍が内外の敵との長期にわたる戦いの鍛練のなかでうみだしたものであって、完全にわれわれの現在の状況にかなった方法である。蒋介石匪賊一味やアメリカ帝国主義の在中国軍事要員は、われわれのこれらの軍事方法をよく知っている。蒋介石は、これまで幾度となく、かれの将官、佐官たちを集めて訓練し、かれらにわれわれの軍事書籍や戦争のなかで手にいれた文書をあたえて研究させ、これに対処する方法をみつけだそうとした。アメリカの軍事要員も、蒋介石に、人民解放軍を消滅するための戦略戦術をあれこれと提案し、また、蒋介石のために軍隊を訓練し、軍事装備を補給した。だが、あらゆるこれらの努力も、蒋介石匪賊一味の敗北を救うことはできない。それは、われわれの戦略戦術が人民戦争という基礎のうえにうちたてられたものであって、いかなる反人民の軍隊も、われわれの戦略戦術を応用することができないからである。人民解放軍は、人民戦争の基礎のうえに、軍隊と人民の一致団結、指俺員と戦闘員の一致団結、敵軍の瓦解などの原則の基礎のうえに、自己の強力な革命的政治工作をうちたてており、これが、われわれが敵に勝利する重要な要因である。われわれが、優勢な敵からの致命的な打撃をさけるとともに、兵力を移動させて敵を運動のなかで殲滅するために、みずからすすんで多くの都市を放棄したとき、われわれの敵は有頂天になった。かれらは、これこそかれらの勝利であり、われわれの敗北であると考えた。かれらは一時的な勝利なるものにすっかりのぼせあがってしまった。張家口が占領されたその日の午後、蒋介石は、ただちに自己の反動的な国民大会の招集を命じたが、まるで、かれの反動支配が、これからさきは泰山のように安泰であるかのようであった。アメリカ帝国主義者たちもすっかりうかれてしまい、まるで、中国をアメリカの植民地にしようとするかれらの気違いじみた計画が、これからさきはなんのさまたげもなく実現できるかのようであった。だが、ときがたつにつれて、蒋介石やその主人であるアメリカのことばの調子にも変化が生じた。いまでは、内外のあらゆる敵が悲観的な気分に支配されている。かれらはため息をつき、さかんに危機をさけんでおり、うきうきした様子はみじんもみられなくなった。十八ヵ月のあいだに、蒋介石の前線高級指揮官は大部分が戦敗のかどで更迭された。そのなかには、鄭州の劉峙、徐州の薛岳、江蘇省北部の呉奇偉、山東省南部の湯恩伯、河南省北部の王仲廉、瀋陽の杜聿明、熊式輝、北平の孫連仲などがいる。作戦全体の指揮の任にあたった蒋介石の参謀総長陣誠も指揮権をとりあげられて、東北戦場の指揮官に格下げされた〔2〕。ところが、蒋介石自身が陳誠にかわって全体の指揮にあたるようになった期間に、かえって、蒋介石軍が進攻から防御に転じ、人民解放軍が防御から進攻に転ずるという局面がうまれたのである。蒋介右反動集団とその主人であるアメリカは、いまこそ自分自身のあやまりに気づくべきである。かれらは、日本降伏後長いあいだ、中国共産党が中国人民の願いを代表して、平和をめざし内戦に反対してきたあらゆる努力を、臆病と力の弱さのあらわれだとみていた。かれらは、自己の力を過大評価し、革命の力を過小評価して、冒険的に戦争をひきおこし、その結果、みずからしかけた落とし穴におちこんでしまった。われわれの敵の戦略的な企図は徹底的に失敗したのである。
四
現在では、十八ヵ月前にくらべて、人民解放軍の後方もずっとかたまっている。これは、わが党が断固として農民の側にたって、土地改革を実行した結果である。抗日戦争の時期には、国民党との抗日統一戦線をうちたて、また、当時まだ日本帝国主義に反対することのできる人びとを結集するために、わが党はみずからすすんで、地主の土地を没収して農民に分配するという抗日以前の政策を、小作料と利子の引き下げの政策にあらためたが、これはまったく必要なことであった。日本降伏後、農民が切実に土地を要求したので、われわれは、時をうつさず土地政策をあらためる決定をおこない、小作料と利子の引き下げを、地主階級の土地を没収して農民に分配することに変更した。わが党中央が一九四六年五月四日に出した指示〔3〕は、こうした変更をしめすものである。一九四七年九月、わが党は全国土地会議を招集し、中国土地法大綱〔4〕を制定するとともに、これをただちに各地であまねく実施した。この措置は、昨年の「五・四指示」の方針を確認したばかりでなく、さらに、「五・四指示」のなかにあった若干の不徹底さをもはっきりとあらためている。中国土地法大綱は、封建的・半封建的搾収の土地制度を消滅して、耕すものに土地をあたえる土地制度を実行するという原則のもとに、人口におうじて土地を平均分配すること〔5〕を規定している。これは、封建制度をもっとも徹底的に消滅する方法であり、中国の広範な農民大衆の要求に完全に合致するものである。断回として徹底的に土地改革をおこなうためには、土地改革をおこなう合法機関として、農村に雇農、貧農、中農からなるもっとも広範な大衆性をもつ農民協会およびそれが選出する委員会をつくるだけでなく、まず、貧農、雇農大衆からなる貧農団およびそれが選出する委員会をつくらなければならず、しかも、貧農団がすべての農村闘争の指導的骨幹とならなければならない。われわれの方針は、貧農に依拠し、かたく中農と連合して、地主階級と旧式富農の封建的・半封建的搾取制度を消滅することである。地主、富農の収得する土地や財産は、農民大衆より多くてはならない。しかしまた、一九三一年から一九三四年の期間に実施した、「地主には土地をあたえず、富農には悪い土地をあたえる」という極左的なあやまった政策をくりかえしてもならない。農村人口のなかで地主、富農がしめる割合は、ところによって多い少ないのちがいはあるが、一般的な状況についていえば、だいたい八パセーント前後(戸を単位に計算して)にすぎない。だが、かれらの所有する土地は、一般的な状況からいえば、土地全体の七〇ないし八〇パーセントにたっしている。したがって、われわれが土地改革でたたかう対象はごく少数であり、それにひきかえ、農村で土地改革の統一戦線に参加できる、また当然参加すべき人数(戸数)は、およそ九〇パーセント以上という大きな数である。ここで、つぎの二つの基本原則に注意しなければならない。第一に、貧農と雇農の要求を満足させなければならない。これは土地改革のもっとも基本的な任務である。第二に、中農の利益をそこなってはならず、断固として中農と団結しなければならない。この二つの基本原則をつかんでさえいれば、われわれはかならず土地改革の任務を成功裏になしとげることができるだろう。平均分配の原則からみて余分な旧式富農の土地および財産の一部が分配ざれなければならないのは、中国の富農が一般に、きわめて濃厚な封建的・半封建的搾取の性質をもち、そのほとんどが同時に、土地を小作にだしたり、高利貸しをしたりしており、労働力の雇用条件も半封建的だからである〔6〕。それに、かれらの所有する土地は比較的多く、質もよい〔7〕ので、平均分配をしなければ、貧農、雇農の要求を満足させることができないからである。だが、土地法大綱の規定にしたがって、富農のとりあつかいと地主のとりあつかいとは、一般に区別されなければならない。土地改革で中農が平均分配に賛成するのは、平均分配が中農の利益をそこなわないからである。平均分配にあたって、一部の中農は土地の変動がなく、一部の中農は土地がふえる。ただ一部の富裕中農にわずかながら余分の土地があるが、かれらもそれを平均分配のために提供することに同意する。それは、平均分配後、かれらの土地税の負担も軽くなるからである。そうではあるが、各地で土地の平均分配をおこなうさいは、やはり、中農の意見をよく聞き、中農が同意しなければ、中農に譲歩しなければならない。封建搾取階級の土地・財産を没収分配するさいは、一部の中農の要求に心をくばらなければならない。階級所属をきめるさいは、もともと中農にぞくするものを、あやまって富農のわくにいれないよう注意しなければならない。農民協会の委員会にも、政府にも、中農の積極的な人びとをいれて仕事に参加させなければならない。土地税や戦争支援の負担では、公正と合理の原則をとらなければならない。これらは、わが党がかたく中農と連合するという戦略的任務を遂行するうえでとらなければならない具体的な政策である。全党は、土地制度の徹底的な改革が、現段階の中国革命の基本的任務であることを理解しなければならない。普遍的に徹底的に土地問題を解決することができれば、われわれは、すべての敵にうち勝つのに十分な、もっとも基本的な条件をえたことになる。
五
土地改革を断固として徹底的に実行し、人民解放軍の後方をかためるためには、党の隊列をととのえなければならない。抗日戦争の時期のわが党内の整風運動は、一般的には成果をおさめた。その成果は、主として、われわれの指導機関および広範な幹部と党員に、マルクス・レーニン主義の普遍的真理と中国革命の具体的実践との統一という基本的な方向をいっそうしっかりと把握させたことである。この点では、わが党は、抗日前のいくつかの歴史的時期にくらべて、大きく進歩した。だが、党の地方組織の面、とくに党の農村基礎組織の面に存在する、階級構成の不純と作風の不純という問題は、まだ解決されていない。一九三七年から一九四七年までの十一年間に、わが党の組織は数万の党員から二百七十万の党員にまで発展したが、これはきわめて大きな躍進である。これによって、わが党は、中国の歴史上かつてない強大な党になった。これによって、われわれは、日本帝国主義をうち破るとともに、蒋介石の進攻を撃退し、一億以上の人口をもつ解放区と二百万の人民解放軍を指導することができるようになった。だが、それにともなって欠点もうまれた。つまり、多くの地主や富農、ごろつきが、機に乗じてわが党にまぎれこんだのである。かれらは農村で党や政府、民衆国体の多くの組織をにぎって、いばりちらし、人民をいじめ、党の政策をゆがめ、これらの組織を大衆からうきあがらせ、徹底的に土地改革をおこなうのをさまたげている。このような重大な事態が、党の隊列をととのえるという任務をわれわれのまえに提起したのである。この任務が解決されなければ、われわれは農村で前進することができない。党の全国土地会議は、この問題を徹底的に討議するとともに、適切な措置と方法をきめた。これらの措置と方法は、現在、土地の平均分配の決定とともに、各地で断固として実地にうつされている。そのうちでも、まず第一に重要なことは、党内で批判と自己批判をくりひろげ、各地の組織にみられる、党の路線からはずれたあやまった思想やゆゆしい現象を徹底的に暴露することである。この党内不純の問題を解決し、党の隊列をととのえることによって、党がもっとも広範な勤労大衆と完全におなじ方向にたち、かれらの前進を倍導できるようになることが、土地問題を解決し、長期の戦争を支援する決定的な環であることを、全党の同志は理解しなければならない。
六
封建搾取階級の土地を没収して農民の所有に移し、蒋介石、宋子文、孔祥煕、陳立夫をかしらとする独占資本を没収して新民主主義国家の所有に移し、民族商工業を保護する。これが新民主主義革命の三大経済綱領である。蒋、宋、孔、陳の四大家族は、かれらが権力をにぎっていた二十年間に、すでに百億ドルないし二百億ドルにたっする膨大な財産をかきあつめ、全国の経済動脈を独占した。この独占資本は、国家権力と結びついて、国家独占資本主義となった。この独占資本主義は、外国帝国主義、自国の地主階級および旧式富農と緊密に結びついて、買弁的、封建的な国家独占資本主義となった。これが蒋介石反動政権の経済的土台である。この国家独占資本主義は労働者・農民を抑圧するだけでなく、都市小ブルジョア階級を抑圧し、中層ブルジョア階級をもいためつけている。この国家独占資本主義は、抗日戦争の期間および日本降伏後に頂点にたっしたが、それはまた新民主主義革命のために十分な物質的条件を準備した。この資本は、中国ではふつう官僚資本とよばれている。このブルジョア階級は、官僚ブルジョア階級とよばれるもので、つまり中国の大ブルジョア階級である。新民主主義革命の任務は、帝国主義の中国における特権を廃止するほかに、国内で、地主階級と官僚ブルジョア階級(大ブルジョア階級)の搾取と抑圧を消滅し、買弁的、封建的な生産関係をあらため、束縛されている生産力を解放することである。これらの階級とその国家権力によって抑圧され、いためつけられている小ブルジョア階級の上層や中層ブルジョア階級もやはりブルジョア階級であるが、新民主主義革命に参加し、あるいは中立をまもることができる。かれらは、帝国主義とはつながりがなく、あっても比較的すくなく、真の民族ブルジョア階級である。新民主主義の国家権力のおよぶところでは、これらの階級を、断固として、いささかもためらうことなく保護しなければならない。蒋介石支配区の小ブルジョア階級の上層や中層ブルジョア階級は、そのうちの一部少数のもの、すなわちこれらの階級の右翼分子が反動的な政治傾向をもっており、かれらは、アメリカ帝国主義と蒋介石反動集団のために幻想をふりまき、人民民主主義革命に反対している。かれらの反動的傾向がなお大衆に影響をおよぼしうるようなばあいには、われわれは、かれらの影響をうけている大衆のあいだでかれらを暴露し、大衆のなかにあるかれらの政治的影響に打撃をくわえて、大衆をかれらの影響下から解放しなければならない。しかし、政治上の打撃と経済上の消滅とは別の問題であって、この二つを混同するとあやまりをおかすことになる。新民主主義革命が消滅する対象は、封建主義と独占資本主義だけであり、地主階級と官僚ブルジョア階級(大ブルジョア階級)だけであって、資本主義一般を消滅するのではなく、小ブルジョア階級の上層や中層ブルジョア階級を消滅するのではない。中国の経済はおくれているので、広範な小ブルジョア階級の上層や中層ブルジョア階級が代表する資本モ義経済は、革命が全国で勝利したのちにおいても、やはり、長いあいだその存在を許さなければならないし、また、国民経済の分業からいって、そのうちの国民経済に有益なすべての部分はなおある程度発展させる必要がある。それは、国民経済全体のなかでやはり欠くことのできない一部分である。ここでいう小ブルジョア階級の上層とは、労働者または店員をやとっている小規模の商工業者のことである。このほか、なお労働者または店員をやとっていない広範な自営小商工業者がいるが、これらの小商工業者は、いうまでもなく、断固として保護しなければならない。革命が全国で勝利したのちは、新民主主義国家は、官僚ブルジョア階級から接収した、全国の経済動脈を支配する巨大な国家企業をもち、また、封建制度から解放された、なおかなり長期にわたって基本的には依然として分散的で小私有的ではあるが、将来はしだいに協同組合の方向に発展させることのできる農業経済をもつので、こうした条件のもとでは、この種の中小の資本主義的要素が存在し発展することは、なにも危険ではない。土地改革ののち農村に必然的に発生する新しい富農経済もまたそうである。小ブルジョア階級の上層や中層ブルジョア階級などの経済的要素にたいしては、わが党が一九三一年から一九三四年にかけてとったような極左的なあやまった政策(たかすぎる労働条件、たかすぎる所得税率、土地改革にさいしての商工業者にたいする侵害、生産の発展、経済の繁栄、公私兼顧、労資両利を目標とせず、近視眼的な一面的な勤労者福祉なるものを目標とした)を絶対にくりかえしてはならない。これらのあやまりをくりかえすならば、かならず、勤労大衆の利益と新民主主義国家の利益をそこなうだろう。中国土地法大綱には、「商工業者の財産とその合法的な営業は、侵害されないよう保護される」という規定がある。ここでいう商工業者とは、すべての自営小商工業者およびすべての中小の資本主義的要素のことである。以上を要約すれば、新中国の経済構成はつぎのとおりである。(1)国営経済、これが指導的な要素である。(2)小私有からしだいに集団化の方向に発展する農業経済。(3)自営小商工業者の経済および中小の私的資本主義経済。これらのものが、新民主主義の国民経済の全体である。そして、新民主主義の国民経済の指導方針は、生産の発展、経済の繁栄、公私兼顧、労資両利という総目標にぴったりとそっていかなければならない。この総目標をはなれた方針、政策、方法はすべてあやまりである。
七
一九四七年十月、人民解放軍は宣言を発表したが、そのなかでつぎのようにのべている。「労働者、農民、兵士、知識面、商工業者など各被抑圧階級、各人民団体、各民主政党、各少数民族、各地の華僑およびその他の愛国者と連合して民族統一戦線を結成し、蒋介石の専制政府を打倒して、民主連合政府を樹立する。」これが人民解放軍の、同時にまた中国共産党のもっとも基本的な政治綱領である。表面的にみれば、現在の時期は、抗日の時期にくらべて、われわれの革命的民族統一戦線は縮小したかのようにみえる。だが、実際には、現在の時期においてこそ、蒋介石が民族の利益をアメリカ帝国主義に売りわたし、反人民的な全国的規模の国内戦争をひきおこしたのちにおいてこそ、アメリカ帝国主義と蒋介石反動支配集団の罪悪が中国人民の目のまえであますところなく暴露ざれたのちにおいてこそ、われわれの民族統一戦線はほんとうに拡大したのである。抗日の時期には、蒋介石と国民党は、中国人民のあいだでまだ完全には威信をうしなっていなかったし、まだいろいろとごまかしがきいた。だが、いまはちがっている。かれらのすべてのごまかしはすでにかれら自身の行動によって暴露されており、かれらはもはやどのような大衆をももっておらず、完全に孤立しているのである。国民党とは反対に、中国共産党は、解放区においてもっとも広範な人民大衆の信頼をえているばかりでなく、国民党支配区、国民党が支配している大都市においても、広範な人民大衆の支持をえている。一九四六年には、蒋介石支配下の小ブルジョア階級の上層や中層ブルジョア階級の知識人のうちの一部に、まだいわゆる第三の道〔8〕という考え方があったが、現在では、すでにこのような考え方は破産してしまっている。徹底した土地政策をとったことによって、わが党は、抗日の時期よりはるかに広範な農民大衆の心からの支持をえている。アメリカ帝国主義の侵略と蒋介石の抑圧によって、また、わが党の断固として大衆の利益を保護する正しい方針によって、わが党は、蒋介石支配区の労働者階級、農民階級、都市小ブルジョア階級および中層ブルジョア階級の広範な大衆の共鳴をえている。これらの大衆は、飢えにせまられているために、政治的に抑圧されているために、蒋介石の反人民的な内戦によって人民の生きる道がすべてうばいさられているために、たえず、アメリカ帝国主義と蒋介石反動政府に反対する闘争をまきおこしている。かれらの基本的なスローガンは、飢餓反対、迫害反対、内戦反対およびアメリカの中国内政干渉反対である。抗日の以前においても、抗日の時期においても、また日本降伏後のある時期においても、かれらの自覚はこれほどまでにはなっていなかった。だから、われわれは、われわれの新民主主義の革命的統一戦線が、いまはこれまでのいずれの時期よりも広範なものになり、これまでのいずれの時期よりも強固なものになっている、というのである。このことは、われわれの土地政策や都市政策とつながりがあるばかりでなく、人民解放軍が勝利し、蒋介石が進攻から防御に転じ、人民解放軍が防御から進攻に転じ、中国革命がすでに新たな高揚期にはいったという全般的な政治情勢と密接なつながりがある。現在、人びとは、蒋介石支配の滅亡がすでに避けがたいものであることを見てとっており、そのために、中国共産党と人民解放軍にのぞみを託しているが、これはきわめて当然なことである。中国の新民主主義革命の勝利は、全民族の圧倒的多数の人口をふくむもっとも広範な統一戦線がなければ不可能である。それだけでなく、この統一戦線は、中国共産党の確固とした指導のもとにおかれなければならない。中国共産党の確固とした指導がなければ、どのような革命的統一戦線も勝利することはできない。一九二七年、北伐戦争が高揚期をむかえたとき、わが党指導機関の投降主義者は、みずからすすんで、農民大衆、都市小ブルジョア階級、中層ブルジョア階級にたいする指導権を放棄し、とくに武装力にたいする指導権を放棄したため、そのときの革命を失敗に終わらせてしまった。抗日戦争の時期には、わが党は、こうした投降主義思想に似かよった思想、すなわち、国民党の反人民政策に譲歩し、人民大衆を信頼する以上に国民党を信頼し、思いきって大衆闘争をおこす勇気がなく、日本占領地区で解放区を拡大し、人民の軍隊を拡大する勇気がなく、抗日戦争の指導権を国民党に進呈する、といった思想に反対した。わが党は、マルクス・レーニン主義の原則にそむいたこのような軟弱無能な腐敗した思想にたいして、断固たる闘争をおこない、「進歩勢力を発展させ、中間勢力を獲得し、頑迷勢力を孤立させる」という政治路線を断固として実行し、解放区と人民解放軍を断固として拡大した。これによって、わが党は日本帝国主義の侵略の時期に、日本帝国主義に勝利することを保障されたばかりでなく、日本降伏後、蒋介石が反革命戦争をおこなった時期にも、人民革命戦争によって蒋介石の反革命戦争に反対する道に、順調に損害をうけることなく転ずることができ、短期間のうちに偉大な勝利をおさめることを保障されたのである。これらの歴史の教訓を、全党の同志はしっかりと心にとめておかなければならない。
八
蒋介石反動集団が、一九四六年に全国的規模の反人民的な国内戦争をひきおこし、あえて冒険にでたのは、かれら自身の優勢な軍事力をたのみにしていたからだけでなく、主として、かれらが「とてつもなく強大」で「天下無敵」だと考えていた、手に原子爆弾をもったアメリカ帝国主義をたのみにしていたからである。かれらは、一方では、アメリカ帝国主義がかれらの軍事上、財政上必要とするものを湯水のようにつぎこんでくれると考えており、他方では、「米ソはかならず戦う」「第三次世界大戦はかならず勃発する」と妄想していた。このようにアメリカ帝国主義にたよることは、第二次世界大戦が終わってのちの世界各国の反動勢力に共通した特徴である。このことは、第二次世界大戦が世界の資本主義にあたえた打撃の深刻さをしめし、各国の反動派の力の弱さと恐怖感、自信の喪失をしめし、全世界の革命勢力の強大さのために、各国の反動派がアメリカ帝国主義の援助にたよる以外にまったく活路がないと感じていることをしめしている。だが、実際のところ、第二次世界大戦後のアメリカ帝国主義は、ほんとうに、蒋介石や各国の反動派が考えているほど強大だろうか。ほんとうに、蒋介石や各国の反動派に湯水のようにつぎこむことができるだろうか。そんなわけにはいかない。第二次世界大戦の時期に膨脹したアメリカ帝国主義の経済力は、不安定な、日ましに縮小する国内市場と国際市場に直面している。このような市場の縮小がさらにすすめば、経済恐慌の勃発をひきおこすことになる。アメリカの戦争景気は一時的な現象にすぎない。その強大さは表面的、一時的なものにすぎない。内外の調和しがたい各種の矛盾は、火山のように毎日アメリカ帝国主義をおびやかしており、アメリカ帝国主義はこの火山の上にすわっているのである。こうした事情にせまられて、アメリカの帝国主義者たちは、世界奴隷化の計画をたて、野獣のようにヨーロッパ、アジアその他の地域をかけずりまわり、各国の反動勢刀や、人民にはきすてられたかすをかき集めて帝国主義と反民主主義の陣営を結成し、ソ連を先頭とするすべての民主勢力に反対し、戦争を準備し、将来、遠い先のいつの日にか第三次世界大戦をひきおこして民主勢力をうち破ろうとたくらんでいる。これは気違いじみた計画である。全世界の民主勢力はこの計画をうち破らなければならず、また完全にうち破ることができる。全世界の反帝国主義陣営の力は、帝国主義陣営の力をしのいでいる。優勢は、敵の側にではなく、われわれの側にある。ソ連を先頭とする反帝国主義陣営はすでに形成されている。恐慌のない、発展しつつある、全世界の広範な人民大衆から愛護されている社会主義のソ連の力は、いまや、恐慌の重大な脅威をうけ、没落しつつある、全世界の広範な人民大衆から反対されている帝国主義のアメリカをしのいでいる。ヨーロッパの人民民主主義諸国は、いまその内部をかためるとともに、たがいに団結しつつある。フランス、イタリアをはじめとするヨーロッパの資本主義諸国の人民の反帝国主義の力は発展しつつある。アメリカの内部にも、日ごとに強大になっている人民の民主勢力がある。ラテン・アメリカの人民もげっしてアメリカ帝国主義に従順な奴隷ではない。全アジアには偉大な民族解放運動がおこっている。反帝国主義陣営のすべての勢力は団結しつつあり、発展しつつある。ヨーロッパの九ヵ国の共産党と労働者党は、すでに情報局をもうけ、全世界の人民に、帝国主義の奴隷化計画に反対して立ちあがれというよびかけ〔9〕を発表している。このよびかけは、全世界の被抑圧人民をふるいたたせ、かれらに闘争の方向をさししめし、かれらに勝利への確信をかためさせている。全世界の反動派は、このよびかけを前にしてあわてふためいている。東方諸国のあらゆる反帝国主義勢力も、東方の十億をこえる被抑圧人民の解放を奮闘目標に、団結して、帝国主義と国内の反動派の抑圧とたたかわなければならない。われわれ自身の運命は、当然われわれ自身の手に握らなければならない。われわれは、自己の内部にあるあらゆる軟弱無能な思想を一掃しなければならない。敵の力を過大評価し、人民の力を過小評価する見方はすべてあやまりである。われわれと全世界の民主勢力がひとつになり、ともに努力しさえすれば、かならず帝国主義の奴隷化計画をうち破り、第三次世界大戦がおこりえないようにし、あらゆる反動派の支配をくつがえし、人類の永遠の平和の勝利をかちとることができるだろう。われわれのすすむ道には、なお、さまざまな障害、かずかずの困難があることをわれわれははっきりと知っている。われわれは、内外のあらゆる敵の最大限の抵抗とあがきに対処する準備をしておかなければならない。しかし、われわれがマルクス・レーニン主義の科学を把握し、大衆を信頼し、大衆としっかりとひとつになり、かれらの前進を指導することができるかぎり、われわれは完全に、いかなる障害をものりこえ、いかなる困難にもうち勝つことができるのである。われわれの力は無敵である。いまは、全世界の資本主義と帝国主義が滅亡にむかい、全世界の社会主義と人民民主主義が勝利にむかう歴史的時代である。暁の光は目のまえにある。われわれは努力しなければならない。
〔注〕
〔1〕 人民解放軍が各戦場でつぎつぎと進攻に転じ、国民党支配区に攻め入った状況については、本巻の『西北地方の大勝利を評し、あわせて解放軍の新しい型の整軍運動論ず』注〔1〕を参照。
〔2〕 劉峙は元国民党鄭州綏靖公署主任で、一九四六年九月の定陶戦役で敗北したため、十一月に解職された。薛岳は元国民党徐州綏靖公署主任で、その指揮下の国民党軍が一九四六年十二月の宿遷県北部戦役、一九四七年一月の山東省南部戦役および同年二月の莱蕪戦役でたてつづけに惨敗を喫したため、三月に解職された。呉奇偉は元国民党徐州綏靖公署副主任で、一九四六年十二月の宿遷県北部戦没で敗北したため、一九四七年三月に解職された。湯恩伯は元国民党第一兵団司令官で、一九四七年五月、孟良[”やまかんむり”に”固”]戦役で国民党改編第七十四師団が殲滅されたため、六月に解職された。王仲廉は元国民党第四兵団司令官で、一九四七年七月の山東省西南部戦役で敗北したため、八月に解職された。杜聿明は元国民党東北保安司令長官、熊式輝は元国民党東北行轅主任で、いずれも一九四七年六月、東北地方におけるわが軍の夏季攻勢のさい惨敗を喫したため解職された。孫連仲は元国民党第十一戦区司令長官で、一九四七年六月の青県・滄県戦役、保北(保定以北の徐水地区)戦役で敗北したため、保定綏靖公署主任にまわされた。陳誠は蒋介石の元参謀総長で、山東省のいくつもの戦役を指揮して、つづけざまに敗北したため、一九四七年八月、東北行政長官に転出させられた。
〔3〕 中国共産党中央の一九四六年五月四日の「土地問題についての指示」のこと。本巻の『三ヵ月の総括』注〔5〕を参照。
〔4〕 中国共産党全国土地会議は、一九四七年九月に河北省平山県西柏坡村でひらかれた。この会議で九月十三日に採択された「中国土地法大綱」は、同年十月十日、中国共産党中央によって公布された。土地法大綱はつぎのように規定している。「封建的・半封建的搾取の土地制度を廃止して、耕すものに土地をあたえる土地制度を実行する」、「村のすべての地主の土地および公有地は村の農民協会が接収し、村のその他のすべての土地とあわせて、村の全人口におうじて男女老幼のべつなく統一的に平均分配する」、「村の農民協会は地主の役畜、農具、家屋、食糧およびその他の財産を接収するとともに、富農からも上述の財産のうちの余分な部分を徴収して、これらの財産をもたぬ農民およびその他の貧民にこれを分配し、また地主にもこれとおなじだけのものを分配する」。こうして、土地法大綱は、一九四六年の「五・四指示」がうちだした「地主の土地を没収して農民に分配する」という原則を確認したばかりでなく、「五・四指示」のなかにあった、一部の地主にたいする過度の配慮という不徹底さをもあらためた。
〔5〕 「中国土地法大綱」に規定された土地中均分配の方法は、その後の実施の過程でいくらかあらためられた。一九四八年二月、中国共産党中央は、「旧解放区および準旧解放区での土地改革活動および整党活動の遂行についての指示」のなかで、つぎのことを規定した。封建制度がすでにくつがえされているすべての旧解放区と準旧解放区では、ふたたび土地を平均分配するということはやらずに、ただ、必要なばあいにのみ、多いほうからさいて、すくないほうを補い、よいほうからさいて、悪いほうを補うという方法をとって、一部の土地その他の生産手段を調整し、これをまだ徹底的には解放されていない貧農、雇農にあたえるとともに、中農には、一般の貧農が収得する土地の平均より多い土地の保有を許す。封建制度がなお存在しているところでも、平均分配の重点は、やはり、地主の土地・財産や旧式富農の余分の土地・財産の面にかぎられる。いずれの地区でも、中農と新式富農の余分の土地については、たしかに調整の必要があり、また本人がたしかに同意したばあいにたけ、それをさいて調整にまわすことが許される。新解放区の土地改革では、中農の土地はすべて手をつけない。
〔6〕 中世の土地改革における富農の問題は、中国の具体的な歴史的・経済的条件のもとで形成された特殊な問題である。中国の富農は一般に濃厚な封建的・半封建的搾取の性質をもっているが、こうした富農経済は、全国の農業経済のなかで重要な地位をしめてはいない。この二つの点はいずれも、多くの資本主義国の富農とは異なっている。中国における地主階級の封建的搾取に反対する闘争のなかで、広範な貧農、雇農は、富農の封建的・半封建的搾取をも同時に一掃するよう要求した。解放戦争の時期には、中国共産党は、富農の余分の土地と財産を徴収して農民に分配する政策をとったことによって、広範な貧農、雇農の要求をみたし、人民解放戦争の勝利を保障した。戦争が勝利のうちに発展するにともない、一九四八年二月に、中国共産党中央は、新解放区で土地改革を実行するための新しい政策をさだめた。それは、新解放区の土地改革を二つの段階にわけ、第一の段階では、富農を中立化させ、もっぱら地主に打撃をあたえ、まず大地主に打撃をあたえる、第二の段階で、地主の土地を分配するさいには、富農が小作にだしている土地やかれらの余分の土地も分配するが、富農のとりあつかいと地主のとりあつかいとでは区別をつけろ、というものであった(本巻の『新解放区における土地改革の要点』を参照)。中華人民共和国の成立後、中央人民政府は、一九五〇年六月に土地改革法を公布し、土地改革のさい、富農からはその小作にだしている土地の一部または全部を徴収するだけで、富農のその他の土地および財産はこれを保護すると規定した。その後の社会主義革命の段階では、農業協同化運動の深化と農村経済の発展にともない、富農経済はもはや存在しなくなった。
〔7〕 ここで、富麗の土地が比較的多く、質もよいというのは、富農一戸あたりのしめる土地を、貧農一戸あたりのそれと比較していっているのである。全国的にみれば、中国の富農の所有する生産手段とそれによって生産される農産物の量は、いずれもわすかなものである。富農経済は、全面農村経済のなかで、重要な地位をしめてはいない。
〔8〕 人民解放戦争の初期に、一部の民主的な人びとは、国民党の大地主・大ブルジョア階級の独裁と中国共産党の指導する人民民主主義独裁のほかに、いわゆる第三の道を見いだそうと幻想をいだいていた。この道は実際には英米式のブルジョア独裁の道にほかならない。
〔9〕 共産党・労働者党情報局は、一九四七年九月にポーランドのワルシャワでおこなわれたブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、ポーランド、ソ連、フランス、チェコスロバキア、イタリア、ユーゴスラビアの九ヵ国の共産党と労働者党の代表者会議の決議によってうまれた。のちにユーゴスラビア共産党は、その反マルクス・レーニン主義的立場を固執したことと反ソ、反社会主義陣営の態度をとったことによって、一九四八年六月、ルーマニアでひらかれた情報局会議で、情報局からの除名を宣告された。毛沢東同志がここでのべている、帝国主義の奴隷化計画に反対して立ちあがれという情報局発表の全世界人民へのよびかけとは、情報局が一九四七年九月の会議で採択した『国際情勢にかんする宣言』のことである。




