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視えるパス

 英星館学園。


 その名前が出た時から、体育館の空気はどこか落ち着かなかった。


 練習は続いている。ボールの音も響いている。


 だが、いつもより声が少ない。


 浅葱はコート端でストレッチをしながら、その空気を感じていた。


 関東最強。二宮蓮のいる高校。


 先日まで画面の向こう側だった場所が、急に現実になった。


「ビビってる?」


 横から犬飼が笑う。


 今日はジャージ姿だった。タオルを首にかけながら、器用にボールを回している。


「……ちょっと」


「素直だな」


「だって相手、英星館だよ」


「まあなぁ」


 犬飼は苦笑した。


「普通、練習試合組める相手じゃないし」


 浅葱は視線を上げる。


 コート中央では、三浦が一人でシュートを打っていた。


 フォームは荒い。だが速い。リズムが独特だった。


 踏み込みも切り返しも、一つ一つが鋭い。


 素人目でも分かる。強い。


 紫苑がぼそっと言う。


「身体能力だけなら高校トップクラスだな」


「……そんなに?」


「だから余計タチ悪ぃ」


 言いながら笑う。


 その時、犬飼がふと思い出したように言った。


「七瀬先輩いたら、もうちょい形になるんだけどな」


 浅葱は首を傾げた。


「七瀬先輩?」


「ああ。二年」


 犬飼がボールを指で回す。


「うちで一番シュート上手い人」


「へぇ……」


「来れば強い」


「来れば?」


 犬飼が遠い目をした。


「半分レアキャラだから」


「何それ」


「部活より学業優先なんだ」


 後ろから声。熊谷だった。


 タオルで汗を拭きながら歩いてくる。


「模試だの講習だので、来ない日も多い」


 犬飼が肩をすくめる。


「なのに普通にレギュラーなんだよなぁ」


 浅葱は少し驚いた。


「そんな人いるんだ」


「いる」


 即答したのは熊谷だった。


「実力が本物だからな」


 その言葉だけで、浅葱にも何となく分かった。


 かなり信頼されている。


「チッ」


 露骨な舌打ちをしたのは三浦だった。


 シュートを外したボールを乱暴に拾いながら、不機嫌そうに近づいてくる。


「勉強サマサマの優等生サマだろ」


「また始まった」


 犬飼が苦笑する。


 三浦は眉を寄せた。


「練習にも来ねぇ奴が、デカい顔してんの気に入らねぇんだよ」


「でも強いじゃないすか」


「……それが余計ムカつく」


 犬飼が笑う。


 浅葱は少しだけ安心した。


 三浦は怖い。でも、このやり取りを見る限り、完全に孤立しているわけでもないらしい。


 その時だった。熊谷が手を叩く。


「集まれ」


 部員たちが集まる。熊谷は全員を見渡した。


「英星館戦まで時間は少ない。今日は実戦中心でやる」


 空気が変わる。浅葱も自然と背筋を伸ばした。


 熊谷の視線が動く。


「一条」


「……はい」


「お前、白組入れ」


 浅葱は目を瞬いた。


 犬飼がニヤつく。


「お、実戦デビュー」


 熊谷は続けた。


「三浦と組め」


 空気が止まった。


「は?」


 三浦が露骨に顔をしかめる。


「なんで俺がコイツと」


「英星館相手に、個人プレーだけじゃ詰む」


 熊谷の声は低かった。


「今のうちに合わせろ」


 三浦は舌打ちした。露骨に不満そうだったが、逆らいはしない。


 浅葱は胃が痛くなった。



 紅白戦が始まる。


 浅葱はPG。犬飼がSF。三浦はPF寄り。


 開始一分で、浅葱は理解した。


 噛み合わない、と。


 浅葱がパスを出した。


 三浦がどうにかキャッチし、勝手に突っ込む。


 速い。一瞬で抜く。


 そのままレイアップ。決まる。


 強い。だが。


「今の、もっと早く出せただろ」


 三浦が戻りながら言う。


 浅葱は言葉に詰まる。確かに、一歩目の時点で前は空いていた。


 だが。


「いや今、急に行ったから……」


「見ろよ」


 即答だった。


「PGなら」


 空気が少し張る。浅葱は黙る。


 紫苑だけが後ろで笑っていた。


「三浦とは息合ってねぇなあ」


 次のプレー。


 今度は浅葱がドライブする。三浦が左へ流れる。


 犬飼が逆サイドへ開く。


 一瞬、視えた。


 ディフェンスのズレ。


 浅葱は反射的にボールをさばく。


 ノールック。


 低い弾道。鋭いパス。


 犬飼が受け取る。


「お」


 そのままシュート。決まる。


 体育館が少し静まった。


 犬飼が笑う。


「今のうま」


 浅葱自身も少し驚いていた。


 自然に見えた。空間が。人の動きが。


 紫苑が腕を組む。


「……なるほどな」


 その声だけ少し真面目だった。


 だが。


「ナイス!」


 犬飼が笑った次の瞬間、三浦が露骨に顔をしかめる。


「なんでそっち出すんだよ」


「え?」


「今、俺空いてただろ」


「いやでも犬飼の方が――」


「ビビって安全な方選んだだけだろ」


 空気がまた少し張る。


 浅葱は黙った。図星だった。


 犬飼が慌てて割って入る。


「いやいや、今の普通に良かったって」


「うるせぇ」


 三浦は苛立ったように髪をかき上げた。


「中途半端なんだよコイツ」


 浅葱の胸が少し痛む。言い返せなかった。その通りだと思ったから。


 紫苑は静かだった。


 プレー再開。


 今度は三浦がボールを持つ。


 細かいドリブル。速い。重心が低い。


 一気に抜く。そのまま二人抜き。


 歓声。


 だが、最後は無理に突っ込みすぎた。


 囲まれ、ボールが浮く。


 その瞬間。


 浅葱の身体が反応した。


 落下地点。空いたスペース。


 全部、視えた。走る。キャッチ。


 そのまま、背後へ弾くようなパス。


「は?」


 犬飼が素っ頓狂な声を出す。


 完全に意識外だった。だが身体は反応する。


 キャッチ。シュート。


 決まる。


 数秒、体育館が静まった。


 犬飼が目を丸くする。


「今の見えてた?」


 浅葱も驚いていた。考える前に出ていた。


 紫苑が笑う。


「やっぱそっちか」


「……え?」


「お前、俺と同じタイプじゃねぇ」


 浅葱は顔を上げる。


 紫苑はコートを見ながら言った。


「お前の武器、“視る力”だ」


「視る……?」


「人の動き。空間。ズレ」


 紫苑は少しだけ笑った。


「お前は自分で点取るより使う方が向いてる」


 浅葱は言葉を失った。そんなこと、考えたこともなかった。


 その時。


「チッ」


 また三浦の舌打ち。


「勝手に拾って勝手に出してんじゃねぇよ」


「いや今のは――」


「俺に返せ」


 強い声だった。浅葱は思わず黙る。


 三浦はイラついたままボールを掴んだ。


「お前とやってっとテンポ狂う」


 そのままコートを離れる。空気が微妙に冷える。


 犬飼が苦笑した。


「まあ……三浦先輩、ああいう人だから」


 熊谷は黙って見ていた。その目だけが静かに鋭い。



 *



 練習後。


 浅葱は一人で片付けをしていた。


 モップを動かしながら、ぼんやり今日のプレーを思い出す。


 上手くいかなかった。でも、少しだけ見えた気がした。


 自分に何ができるのか。


 紫苑が近くで寝転がる。


「ま、悪くなかった」


「珍しく褒めるじゃん」


「勘違いすんな。まだ全然なのは大前提」


 言い方はいつも通りだった。でも少しだけ、機嫌が良さそうだった。


 その時。


 体育館入口で熊谷が誰かと電話していた。


「……ああ。英星館戦だ」


 浅葱は何となく耳を向ける。


 熊谷は続けた。


「お前も来い、七瀬」


 少し間があり、熊谷が小さく息を吐く。


「分かった」


 電話が切れる。犬飼が近づいた。


「来ます?」


 熊谷は短く答える。


「……来ない」


 三浦が鼻で笑った。


「だと思った」


 だが熊谷は静かに言う。


「ただ――」


 その目が少しだけ細くなる。


「英星館の名前は、気になってたみたいだ」


 七瀬という二年生のことが、浅葱は妙に気になった。

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