九十九VS英星館(5) 浅葱の兆し
第3Q、残り三分。
紫苑は、コートを支配していた。
浅葱は外から見ていて圧倒されていた。
速い。上手い。それだけじゃない。
相手の技を見て少しだけ形を変え、さらに完成度を上げて返してくる。
それが紫苑の最大の能力なのだろう。まるで、相手のプレーを吸って自分のものに変えているみたいだった。
即興で最適な形に組み替える。圧倒的な再現能力。
必要なら誰かを使うこともできる。パスも当然上手い。けど、基本的には自分で決める。
1on1最強。“個”の完成形。
千石紫苑はそういう選手だ。
「……本当に天才かよ」
浅葱は、思わず喉の奥で呟いた。
紫苑がプレーするごとに、英星館の選手たちの顔が変わっていく。最初は驚き。次に困惑。彼らの士気が落ちていく。
自分たちの技が、自分たちより上手く使われる。それは、想像以上に心を削るらしい。
板倉は顔をしかめ、持田は目を逸らした。
英星館ベンチの空気も揺れている。
だが。
二宮蓮は違った。蓮だけが、最後まで目を逸らさなかった。
その視線を、紫苑もちゃんと見ていた。
コート中央。蓮と紫苑が、一瞬だけ視線を絡める。
紫苑は笑った。
「いいね」
低く、楽しそうに。
「お前だけはまだ壊れてねぇ」
*
第3Q残り2分。
九十九 62 ― 62 英星館
同点。
その時だった。
浅葱の感覚にひどい違和感が走る。
紫苑の動きが一瞬だけ鈍る。浅葱は外側から、それを見逃さなかった。
「……チッ」
浅葱の声で、紫苑が小さく舌打ちした。
気づけば、視界が揺れていた。
「……っ」
落ちる。そんな感覚だった。視界の輪郭が、一瞬ぼやける。
「……あ」
紫苑の口から小さく声が漏れる。
次の瞬間。
浅葱の意識が、身体に引き戻された。
膝が崩れる。
「っ……!」
コートの上で、浅葱は大きくよろめいた。
視界が揺れる。呼吸が浅い。全身が熱い。
限界だった。
「……おいおい、ここまでかよ」
紫苑のその声すら遠い。
浅葱は何とか踏みとどまろうとするが、脚に力が入らない。
その異変に、最初に気づいたのは犬飼だった。
「一条!?」
三浦も驚く。
「おい、どうした」
英星館側も動きを止める。
蓮は、少し眉をひそめて浅葱を見ていた。
浅葱は荒い息を吐く。
身体が重い。さっきまで自分のものじゃなかった反動みたいだった。
熊谷が駆け寄ってくる。
「一条、大丈夫か」
「……だ、いじょうぶ……です」
全然大丈夫じゃない声だった。
犬飼が珍しく真顔になる。
「顔色少しやばいって」
三浦も舌打ちしつつも近づいてきた。
「……無茶しすぎだろ」
その言葉には、これまでの刺々しさが少しだけ薄れていた。
浅葱は肩で息をしながら、ベンチへ下がる。
観客席もざわついていた。
「急に止まった……?」
「ケガ?」
「いやでも、さっきまで……」
あまりにも別人だった。急激な失速が不気味に見えたに違いない。
コートでは試合が再開された。
紫苑が消えたことで、英星館は少しだけ落ち着きを取り戻していく。
だが、さっきまでの“恐怖”は残っていた。
板倉のシュートがわずかに短い。持田のポストも慎重になっている。
蓮は、何かを考えるように時折、九十九ベンチを見ていた。
浅葱は、全身から力が抜けたような状態でベンチに座っていた。
紫苑が低く呟く。
「……やっぱ時間制限あるか」
「時間、制限……?」
「まだお前の身体じゃ、俺の動きに長時間耐えられねぇ」
紫苑の声が珍しく真面目だった。
「無理やり出力上げた状態だった。そりゃ壊れる」
つまり。
紫苑の力は、ずっと使えるわけじゃない。少なくとも今日はもう。
浅葱の指先が震える。
でも。
前回とは違った。
ストリートで初めて憑依された時みたいに、“完全に動けない”わけじゃない。
呼吸は苦しい。脚も重い。それでも、回復は以前より早い。身体がわずかに慣れ始めていた。
紫苑がそれを見て少し笑う。
「適応してきてんな」
「……嬉しくない」
「悪くねぇだろ」
第3Q終了。
九十九 68 ― 68 英星館
同点。
十七点差あった試合とは思えない空気だった。
*
第4Q開始。
英星館は、すぐに勢いを取り戻してきた。
さっきまでの動揺が完全に消えたわけではない。
だが関東王者だ。まだ強い。
完成度の高さは変わらない。
パスが通る。スクリーンが機能する。板倉のスリーが入る。持田のフックが決まる。蓮が、コートを整え直していく。
点差はじわじわと開き始めた。
九十九は少しだけ息が乱れている。
熊谷が声を出す。
「焦るな!」
犬飼が走る。三浦は、まだ噛みつくように前へ出ていた。
だが、英星館の圧は戻ってきている。
浅葱は、ベンチで拳を握ったままだった。
悔しい。
そのまま、残り5分。
熊谷が浅葱を見る。
「一条」
「……はい」
「出られるか」
浅葱は目を見開いた。
「え」
「お前が繋げ」
短い言葉だった。
拒めなかった。浅葱はコートへ向かう。
ベンチから出た瞬間、空気が少し変わった。
さっきの化物だ。まだ周りはそう思ってる。それだけで、観客も相手も戸惑う。
しかし、浅葱の動きを見てすぐに気づく。
さっきまでの異次元のプレーがない、と。
「……何だ、あれ。本当に同じ奴か」
板倉が小さく言った。
蓮は何も言わない。ただ、浅葱を見ていた。
観客席にも、その違和感は伝わった。
「え、戻った?」
「さっきの人じゃないよな」
「なんか普通.......」
拍子抜けしたような声。
さっきまでの熱が、急に静まっている。
それでも浅葱は、ボールを受けた。
深呼吸。
視る。コート全体を。
どこが空いているか。誰が走れるか。誰が今、一番嫌な位置にいるか。
紫苑のようには動けない。
でも、視える。
浅葱は、ボールを持ち直した。
犬飼が外に開く。三浦が、それに連動して動く。
その時。三浦との一瞬のアイコンタクト。
視えた。
三浦の、ゴール方向への切り込み。
ゼロから百へ切り替わる、あの瞬間。
今だ。
浅葱は、迷わなかった。
三浦が、最も加速に乗れる場所。最も踏み込みやすい角度。最も欲しいタイミング。
そこへ――パスを放った。
「……っ」
三浦がボールを受けた。
英星館のディフェンスが遅れた。
もう、止められない。
三浦が、一気に加速した。
一歩。二歩。三歩で抜ける。
そのまま、リングへ叩き込んだ。
歓声。九十九ベンチが沸く。
浅葱は、自分でも驚いていた。今のは、たぶん半分以上マグレだ。
でも、通った。
三浦は何も言わず、戻る時、浅葱を一度だけ見た。
そして、小さく頷いた。
それは三浦が、一条浅葱を初めて認めた瞬間だったのだ。




