九十九VS英星館(6) 試合終了
第4Q終盤。
体育館の空気は、まだ熱を失っていなかった。
勢いは英星館に戻りつつある。完成度の差は、こういう場面で露骨に出る。
九十九が浅葱のパスで繋いでも、英星館は崩れない。
板倉が外で撃つ。持田が中で受ける。蓮が全体を整える。
その一つ一つが、止まらない。
「まだ行ける」
熊谷が声を出す。浅葱は頷いた。
息はまだ少し苦しい。でも、足はもう動く。
紫苑の時ほどの凄まじさはない。けれど今の浅葱は、前より確かにコートを把握できていた。
視える。
空いている場所。三浦の踏み込み。犬飼の走る角度。熊谷のスクリーン。
その全部が、線のように繋がる。
「一条!」
犬飼が走る。
浅葱はすぐに反応した。
ボールを受ける。そのまま、視線を右へ流す。
三浦が反対側へ切れ込む。英星館のディフェンスが、一瞬だけそちらへ寄る。
その隙に、浅葱は犬飼へパスを出した。
速い。でも、速すぎない。
一番走りやすい位置。一番受けやすいタイミング。
犬飼が受ける。
「お、ナイス」
そのままレイアップ。
決まる。九十九ベンチが少し沸く。
浅葱は、ほんの少し息を吐いた。
さっきまでなら、プレーするのが怖かった。
でも今は違う。視えている。出せている。
その事実が、静かに胸を熱くした。
だが。
英星館はすぐに点を取り返した。
蓮だった。
無駄がない。少しのズレも逃さない。スクリーンの使い方。カットのタイミング。パスの高さ。
全部が正確だった。
「……やっぱ上手ぇな」
犬飼が苦笑する。
浅葱も頷いた。
でも、前半と違って、ただ見上げるだけじゃなかった。
英星館は強いが、九十九もまだ食らいつける。
浅葱のパスが通るたび、三浦のドライブが少しだけ生き返る。
熊谷が中で支える。犬飼も回す。
全体が、少しずつ噛み合い始めていた。
それでも。
最後の最後で、英星館は崩れなかった。
蓮、板倉、持田。そして、全員が最後の一押しを持っている。
浅葱たちは、その圧を最後まで受けていた。
残り1分。
九十九 82 ― 86 英星館。
四点差。
届くと思った。
あと少しだった。なのに。
英星館の完成度は、最後まで落ちなかった。
ブザーが鳴る。試合終了。
九十九 84 ― 89 英星館。
最後は届かなかった。
しかし。
静かな一瞬のあと。
体育館に拍手が広がった。敵味方関係なく、自然と手が鳴っていく。
「……すげぇ試合だった」
「練習試合なのに本気すぎる」
「第3Qなんだったんだ……」
「九十九、やばくね?」
観客のざわめきは、最初の興奮とは少し違っていた。
ただの勝敗じゃないものを見た、そんな空気だった。
*
整列が終わる。
英星館の選手たちは最後は淡々としていた。勝っても浮かれない。それがまた九十九との差を見せつける。
その中で、二宮蓮が浅葱を見ていた。浅葱も、その視線に気づく。
蓮が近づいてくる。穏やかだった。
さっきまで試合を支配していた時とは、違う温度に見えた。
「一条」
浅葱は少しだけ身構えた。
「うん……」
蓮は、言葉を探すようにしてから続けた。
「君は、本当に不思議な選手だ」
浅葱は瞬きをした。
「最初は普通の選手かと思った。でも、途中で別人みたいになる」
蓮はまっすぐ見てくる。
「その時の君は、高校生離れしたプレーをしていた。その時が一番厄介だと思った」
浅葱は何も言えない。実はNBA選手の霊に取り憑かれてます、なんて言えるわけがなかった。
どう答えるべきかも分からない。
少し間を置いて、蓮が静かに続ける。
「でも終盤のパスを見て、あれが君の真の力なのかもしれないとも思った」
浅葱は息を止めた。
自分のパス。誰かを活かすための、あの一瞬。
それを、蓮は見ていた。
「君は、コートとチームメイトを読むのが上手い」
蓮は淡々と言った。
「次に戦う時は、もっと厄介になるだろう」
その言い方は、ほとんど断定だった。
浅葱はただ頷くしかなかった。
蓮は少しだけ表情を緩める。
「今度は、冬の全国選手権でやろう」
そう言って、右手を差し出した。
浅葱は一瞬固まり、そして笑みを見せて、その手を握り返した。
「わかった」
英星館と九十九は違う県だ。県予選では対戦できない。
だから次は、全国のどこかでぶつかることになる。九十九が勝ち進めれば。
それが、蓮の言いたかったことだと浅葱は理解した。
握手は、すぐにほどけた。
でも、その感触は妙に残った。
*
英星館ご一行が引き上げたあと、九十九ベンチは、まだ熱を引きずっていた。
「いやでもさ!」
犬飼が興奮した声を出す。
「英星館と僅差って、俺ら普通にすごくない!?」
「脳天気なこと言ってんなよ」
三浦が即座に切り捨てた。
椅子に座ったまま、まだ不機嫌そうだった。というか、この男が上機嫌なときなんてほぼない。
「今回、英星館はベストメンバーじゃねぇよ。二宮、板倉、持田以外は基本控えの奴だった」
犬飼が目を丸くする。
「え、マジっすか?」
「マジだ。それで五点差だぞ。浮かれてんじゃねぇ」
空気が少し引き締まる。
熊谷が静かに口を開く。
「だが、うちも七瀬を出してない」
その一言で、犬飼が「あ」と声を漏らす。浅葱も思い出した。
まだ一度も本格的には見ていない、九十九のもう一人の主力。
三浦が舌打ちする。
「アイツ今日、見にきてもいねぇのか」
「模試らしい」
「高校生かよ」
「高校生だからな」
犬飼が吹き出した。少し空気が軽くなる。
ふと。
「そういえばさ」
犬飼が思い出したように浅葱を見る。
「途中、別人みたいになってたけど、あれは第3Q以外、本気じゃなかったってこと?」
浅葱は固まる。
「え……いや」
犬飼に悪気はなさそうだが、そんな見方もあるのか。
三浦が横目で見る。
「そんな感じには見えなかったけどな……」
浅葱は言葉に詰まった。
手を抜いていたわけじゃない。そもそも、あの時は自分ではなかった。でも、そんなことは言えない。
ただ曖昧に笑うしかなかった。
熊谷が、浅葱をまっすぐ見た。
「何にせよ、九十九に一条は確実に必要になる」
部室が静かになる。
熊谷は続けた。
「ウィンターカップ県予選では、別の関東四大エースを擁するチームとも戦うからな」
その言葉で、空気がまた変わった。
まだ知らない強敵。
九十九の次の戦いは、またすぐ始まろうとしていた。
浅葱はベンチの端で、ゆっくり息を吐いた。
ふいに紫苑が、浅葱の隣で笑う。
「......おい、浅葱」
「……?」
「バスケ、悪くないだろ」
浅葱は少しだけ頷く。
「......まあ、ね」
紫苑は満足そうに笑った。
浅葱は、自分の手を見る。
紫苑の力。自分自身の力。そのどちらも、まだ使いこなせていない。
だが、胸の奥は不思議と熱かった。




