13人の賢者
大聖堂へ続く大理石の廊下を歩いているのは、エドガー1人だけだ。
カツカツと甲高い足音が鳴り響くたびに、等間隔に配置された兵士の視線がエドガーに突き刺さる。現時点で、城内の権限すら失いつつあるエドガーは、彼らの視線を逃れるように足早に奥へと進んだ。
「長廊がすぎる‥‥」
どれくらい歩いたかも定かではない程の道のりを経てたどり着いた巨大な扉には、人間の屍が積み上がるサマを掘り上げた意匠が施されている。
エドガーは、この不気味な扉の前に立つたびに色々な意味で憂鬱にさせられたことを思い起こしていた。
「拝命初日の若造だったわたしを拘束し、半日かけて城内1000箇条が作られた背景を武勇伝をはさみながら説法する連中だ。咎め詰められるに違いない」
親友であるディルハルトが王座に就任した日に呼びつけられ、賢者たちによる適性審査と言う名の井戸端会議に付き合ったのは10年も前のことだったが、この世界で1000歳を超える年月を生きてきた彼らの人外的思考は、純粋無垢な若かりしエドガーの脳を焼き切るくらいのトラウマを与えるには充分だった。
「なにしろ、キャラが濃い」
彼らの気配は強く、そして気高い。重厚な扉の隙間から漏れ出すその魔力には、並の魔法使いならば簡単に気圧される力がある。それも、再起不能なほどに。
「魔法使いは、心を疲弊しやすい生き物だ。あまりにも強い彼らの気に当てられ、自信喪失。または、感化されて錯乱する者もいる」
魔法学校時代、嫌と言うほど味わった苦い過去がじわりと喉奥に広がる。だからこそ、城の中枢に彼らの居場所を坐したのだというディルハルトの言い分は最もだとおもった。
「聖堂とはよく言ったものだ。彼らを神格化させるため、賢者を模した彫像まで作らせた大聖堂があれば、封建主義も確固たるものになるし、王の権威も保たれる。一石二鳥だ」
戦の無い国。かつては戦を行って領土を広げた過去もあったそうだが、エドガーの記憶の中では、13人の賢者たちに護られた世界一平和な国であるという過去でしかない。
1つの国の平和を1000年以上護ってきた賢者たちの存在は、この国に置いてもはや神と同義だ。
「賢者も元は人間だ。何千回と転生を繰り返し、魂の輪廻を巡って、賢者になったと聞いたことがある。所詮は化学物質の集合体が電気信号で動いているだけ‥‥わたしと同じ物質で出来上がった肉塊を何千回と経験しているだけ‥‥それだけの違いだ‥‥」
この世にあるすべての理由で心の中の己を説き伏せると、10年前と同じく、エドガーは小さく息を吸い込み、扉に向かって頭を垂れる。
「エドガー・クレメンツでございます」
エドガーの放った声が大理石の中へと溶けるように響いたあと、巨大な観音開きの扉が大きな音を立てて動き出す。開かれた先には、室内とは思えない世界が広がっていた。
部屋の中央には、天に向かって伸び上がる螺旋階段が聳え立ち、その行く末をカモフラージュするように雲海が漂っている。その周囲を囲むのは、夜と昼を真っ二つに割ったような世界が広がっていた。
13本の柱が立ち並ぶその頂には、大理石で彫られた賢者たちの彫像が飾られていて、今にも動き出しそうなリアルさを放っている。室内にも拘らず、室外でもお目にかかることができない幻想のような光景と、エドガーの立つ室外とはまさに別世界だった。
靴先を漂うホタルのような光の根源に出会うのすら久々だった。確かな魔力を有した光球を眺めながら、エドガーは緊張の面持ちで口を開く。
「失礼いたします」
荘厳な空気で溢れ返る室内へ断りを入れるエドガーに向かって、優しげな声が返ってきた。
「おやおや。久しぶりですね。エドガー」
品の良いティーカップを持った妙齢の男は、黒髪の前髪の下にある深青の瞳を優し気に細めながら、エドガーの元へと歩いてきた。
「ディルハルトと喧嘩でもしたんですか?」
関節の半分もはまっていない手袋の甲には、大きな円環と小さな点でできた紋章が描かれている。その紋章に「格」があることを、この瞬間まで忘れていたエドガーは、上げていた顔を再び地面へと戻した。
「面目次第もございません」
「いいんですよ。今日は長丁場になりそうですから、覚悟しておきましょうね?」
細い指が労うように肩にかかると同時に、エドガーの脳裏から10年前の彼らとの思い出が呼び起こされ小さく絶望する横で、いつのまにか自分を射貫くように見つめる視線に気づいたエドガーが振り返ると、気怠そうに首をもたげながら自分を見下げる男がいた。
「おまえは、麩菓子だ」
告げられた開口一番にエドガーの頭の中には疑問符のみが浮かんでいたが、彼の研ぎ澄まされたように鋭い目つきに気圧され、即座に言葉を探した。
「‥‥‥‥麩菓子のような男で、申し訳ございませんでした」
「意味解って言ってんのか?」
「‥‥‥‥精進イタシマス」
「答えになってねーよ」
心底から吐き出したような深いため息をつく。薄い茶色の髪の間から金の瞳で凝視され、その奥に在る訝しげな気配がエドガーは苦手だった。片耳についたカフスに刻印されている湾曲した三日月の紋章が、この荘厳な場において、彼のみが気怠い態度でも赦される証だ。
「セオドア、謎かけはお手柔らかに」
「ルキウスは黙っててくれる?」
掠れた低音には制止させるだけの温度が宿っていた。これは自分とエドガーだけの会話だといわんばかりの虚勢すら漂う空気の中、エドガーが口を開く。
「わたしが‥‥腑抜けているって‥‥こと‥‥ですよね?」
「‥‥‥‥」
エドガーの応えに平淡な顔色で返した後、何事もなかったように部屋の中央へと戻っていく。ちなみに、いつも答はない。一旦タガが外れると感情の起伏が青天井になるセオドアの癪に触っていなかったことに、エドガーがそっと胸をなでおろしていると、中央から豪圧な視線が自分に注がれていることに気が付く。
「来たか。エドガー・クレメンツ」
聞く者の本能を奮うような低音がエドガーの名前を呼ぶ。自分の名前が罪を犯した戦犯のような気さえする。エドガーは意を決し、畏怖すら感じる男の元へと足を踏み出した。
エドガーが歩くたびに周囲に増えていく雫形のランプが、13の顔を映し出していく。
「久しぶりですね、エドガー」
「ノア・フェルマー先生。お久しぶりです」
「元気そうで何よりだ」
「はい、おかげさまで」
穏やかな微笑みがエドガーの緊張をほぐしていく。流れる金髪と不規則に頬の上に並んだ点が彼の紋章だ。モノクロメガネの奥に在る太陽のような瞳と、常に携えている魔導書が自分の矜持なのだと語ってくれた。魔法学校の恩師としての顔で自分に語り掛けてくれたことに、エドガーは小さく安堵する。
「ノア。彼は法授業の成績が良くなかったんだよね?」
横やりを入れるように入ってきたのは、端正な顔立ちの男だった。おくれ毛一本も残さずにきっちりと固めた茶色の髪の毛が、荘厳な室内に置いても際立っている。首筋に彫るように刻まれた2本線の紋章に気づいた瞬間、エドガーの肩がびくりと震えたのを見た男は、こげ茶色の瞳でエドガーを見据えた。
「だからおまえはこうなった」
「‥‥おっしゃる通りでございます」
「ユリウス。それとこれとは話が別ですよ」
一方的に食って掛かるユリウスをノアが諫めながらエドガーから引き離す。この光景すら、彼にとっては、まるで散歩中の犬同士のようなじゃれ合いに見えたのだろうか。青白い肌色を引き立たせる紫と髪と瞳を持つ男が、エドガーたちに向かって高笑いを注いだ。
「美しい顔をしているのに、性根は金欲に薄汚れていたなんて傑作だね!」
笑い声が放たれた口の根元には、未完成の円を描いた紋章が刻印されている。彼の得体のしれなさに久々に触れたエドガーの背筋がぞわりと毛羽立ったが、事を荒立てんと考えた末、彼に向かって頭を下げる。
「お返しする言葉すらございません。賢者アドリアン・メルツ」
歯向かわない者は男でも女でも好物である質を見通しての対応だった。だが、アドリアンの征服欲は留まることを知らない。
「だろうねぇ~!男娼でもするかい?!竜の力を持つ男と寝られるなんて、貴族の女なら冥利に尽きる栄誉だろうし!」
「気色の悪いことを垂れるな。耳が穢れる」
突然聞こえた声と同時に、アドリアンの口元に突き付けられた指先には、何重にも描かれた円が刻印されている。下手な真似をすれば指先から魔法が放たれることくらいは理解していた。アドリアンは注意深げに指の主を据え見る。
「レオンハルト。きみはって人は、相変わらず冗談が通じないねぇ」
「冗談でも、言っていいことと、悪いことがあるだろ」
白金の長髪が逆立つように揺れた。前髪の奥にある瞳は、乱反射したように様々な色を映し出し、彼の本音を汲み取ることは不可能だった。ただ、レオンハルトの瞳にある確かな怒りだけはその場にいる全員に伝わっていて、彼に向けられる空気が嫌悪に変わった頃、アドリアンはふんと鼻を鳴らしながら、傍に在る椅子に背を向け座りこむ。
何も仕掛けてこない。アドリアンがおとなしくなったことを見送ると、レオンハルトは満面の笑みでエドガーを迎えた。
「10年ぶりか」
「はい。ご無沙汰しています」
「困ったときは、いつでも来いと言っただろう?」
「申し訳ございませんでした」
「お前の責務は承知している。王直属の魔法使いの存在は、どの時代も蔑まれていたからな。だが、おまえはよくやっていると風の噂で聞いていた。だから、我々も安心していたんだ。すまなかった」
労う声音が耳の奥を抜けて心の中へと伝わってくるのがわかる。10年前は煩わしかった賢者たちの言葉が、時を経た自分にやさしく浸透していくことがエドガーは不思議だったが、この優しい空気も悪くないなと思った。
ふと視線を外した先。そこにある文机に突っ伏した見慣れた背中の紋章が二つの円であるという事実に、エドガーの胸が高鳴り、勝手に唇が呼んでいた。
「賢者エリアス・グラーフ!!」
弾む声で名前を呼ばれても起き上がる気配がない。むしろ寝息が大きくなり、やがてそれはいびきとなって賢者たちの耳を劈いた。その様子を眺めていた男が、痺れを切らした顔でエリアスの元へと走っていく。燃えるような赤い髪の男は、黒曜石のような瞳で文机の主を覗き込んだ。
「おい。エリアス。起きろって」
「んー?うるさいですよーマティアス‥‥ぼくは、いま、かみんちゅー‥‥なんでスゥ‥‥」
「二度寝すな。エドガーが来たぞ」
「ん‥‥えどがぁ?」
「そうだ」
「どこのえどがぁ?」
「エドガーっつったらクレメンツしかいないだろうが」
「くれめんつ‥‥クレめんつ‥‥クレ‥‥クレメンツ‥‥!?」
がバリと勢いよく起き上がった。柔らかな栗色の巻き毛がほよほよと弾み、淡緑の瞳がエドガーの姿を忙しなく探している。
「ここです!」
犬のような機敏さで反応し、エドガーの姿を瞳に捕らえた瞬間、エリアスは満面の笑みを浮かべ叫んだ。
「エドガー・クレメンツ!愛しい我が弟子よ!!」
大腕を振って走ってくるエリアスにエドガーの顔も歓びで染まっていた。
「大きくなりましたねぇ。10年ぶりですか!」
「はい。ご無沙汰していました」
心配そうに細められるエリアスの瞳にエドガーの胸が苦しくなる。エドガーにとって、10年の歳月の前、ディルハルトと共に学んだ魔法学校時代に先生と生徒として彼らとの対面を果たしている賢者たちの存在も、この城に入ることへの拒否感が生まれない理由だったからだ。王直属の魔法使いとして立派に勤めることで成長した自分を見せたい。そう誓った10年前の自分は今や、嘆願書を突きつけられ、今やクビ待ったなしの状況になってしまった。
こんなザマを見せたくなかった。苛まれるエドガーの耳に、大理石の地面を打つ甲高い足音が響く。
「再会劇はここまでにしていただけますか?虫唾が走るので♪」
深緑の長髪を揺らしながらエドガーの前へと立ちすくむ、左右の色が異なる双眼を持った男。服すらも左右で色が別れ、靴も色違いという奇抜な服装は、突飛な賢者たちの中においても異彩を放つ。彼の胸元に描かれた二枚羽の紋章に、エドガーの喉奥が思い出したように息苦しく詰まる。
「エルンストンか。きみもいたんだったね」
エドガーの様子を眺めながら、これ以上は彼に触れさせまいと振舞うように、エリアスが男の名前を言い放つと、不快な表情でエリアスの顔を窺う。
「なぁに?ぼくがいたらダメなわけ?」
「いいえ。別に。ただ、寂しい人だなぁって」
「‥‥遠回しだな。言いたいことがあるなら言えって」
エリアスへと間合いを詰めながら、今にも掴みかかる形相のエルンストの首根を白い指が掴んで引き戻す。
「くっ‥‥バカ力で掴むなよ!!イマ!!」
「早く、始めて、ほしい、から」
肩まである色素の薄い白髪は僅かな光でも輝いていた。柔らかく美しい顔と、乳白色の瞳がエルンストに向いているが、その中に生気は伺えない。右目の瞳孔には、円の中央が欠けたような刻印が刻まれている。異彩を放つ綺麗な顔が、ゆっくりとエルンストの耳横へと寄り添っていく。
「お利口にしないと。お仕置きするよ」
耳元で告げられたイマの言葉に、エルンストの臓と言う臓が跳ね上がったのが見て伝わる。おずおずと振り返って見せるエルンストの瞳に映るのは、平淡だが、確かに怒りを浮かべるイマの顔だけだ。
「はやく座につけ」
乱れた襟を正しながらエルンストが歩き進んだ先には、足を組み、腕を組んだまま静かに目を閉じる男と、こちらを凝視する男が座っていた。
目の前の長机には、彼らの紋章が刻まれた13脚の椅子と、意匠のない椅子が一脚が備えられている。その中からエドガーが選んだのは、意匠の無い椅子だ。椅子に手をかけた瞬間、凝視していた男がわざとらしく咳ばらいをする。
「あなたはまだ座らないで。儀式があります」
「‥‥失礼いたした」
初歩的な間違いを犯した自分に我に返ったエドガーは、優しい声音で諫める灰色の髪の男に向かって素早く頭を下げた。くすくすと小さい笑いが降り注ぎ、頭を上げた先にある深い茶色の瞳が弧を描いていることにほっと息を吐く。
「忘れてしまったのですか?」
「はい‥‥久々なもので」
「あなたは王直属の魔法使いなのですから。儀礼や所作の類は重んじて頂かないと」
「申し訳ございません。賢者ベルトラム」
品の良い笑顔の目の奥が笑まないのは10年前から変わっていない。喉ぼとけを覆う肌の上を渦状の紋章が這うように刻まれている。エドガーは、この国の軍師とも名高い彼の手腕が、自分の処遇へと延びるのは時間の問題だなと考えながら、ベルトラムの横にいる男を一瞥した。
「なんだ。まだ、おれのことが怖いのか?小僧」
唸るような低音にエドガーの心臓が跳ね上がった。自分の姿を見据えるために開いた灰色の瞳が揶揄るように笑んでいることに、背筋に汗がしたたり落ちる。
「賢者アウレリウス・クレイン‥‥滅相もございません」
エドガーの引き攣った笑顔ににやりと笑う。白銀の長髪は腰まで伸びながらサラサラと糸のように流れ、濃い灰色の瞳と端正な顔つきだけをみれば中性的だが、その威厳漂う声と空気は、勝利を重ねた男だけが持つことを赦された称号であることは一目瞭然で、エドガーは、この圧倒的な雰囲気を前にして、彼に意見を仕掛けたことはない。
「カイ・ミラビリス。返事をしろ」
エドガーの様子を他所に、アウレリウスが名前を呼ぶ。これは命令だと言わんばかりの圧に、長机の下から出てきたのは淡い金髪の頭だった。
「はーい。ぼくはここだよー」
「‥‥ずっとそこにいたのか?」
「うん。魔法陣の練習をしたくって」
ひょこりと出した顔の至る所に黒墨が付いている。アウレリウスの口からため息が漏れていくのを見届けながら、青色の瞳できょろきょろと周囲を窺っている。そして、エドガーの姿を捕えた瞬間、弧を描いたように細くなった。
「ひさしぶりだねー!!エドガー・クレメンツー!」
大きく振った腕の至る所に大きな点のような紋章が刻まれていた。立ち上がり、今にもエドガーの元へと走り出しそうな体を、アウレリウスに羽交い絞められ拘束されたカイは、バタバタと手足を動かしている。だが、そんな彼の耳元に最終通告が告げられる。
「これは、遊びではない。仕事なんだ。カイ・ミラビリス」
低く唸るように諫められたカイは、観念したような顔で静かになった。
「皆、各々の椅子の前へ」
アウレリウスの号令で、椅子前に佇んでいる賢者たちが一斉に紋章を指差した。ある者は体に、ある者は臓に、ある者は着衣に。各々の指す紋章が光を帯びだすのを見て、エドガーも自分の指にはまっている指輪に手をかざした。
「エドガー・クレメンツの異端審問、並びに、竜討伐作戦会議を始める」




