episode2~邸主の本質~
アルフレッド達の反応とは他所に、ベッドに横たわる部屋の主、エドガーの体が大きく跳ね上がったのを見て、見習いバトラーが慌てふためいている。その気配を背中で感じながらも、アルフレッドは穏やかな物腰でエドガーのベッドサイドに膝をついた。
「おはようございます。わが主」
忠心が滲んだ声に呼応するように全身が痙攣し、大きな瞳が限界まで見開かれ、ぎろりと自分を凝視したことに見習いバトラーは、縋るようにアルフレッドの服裾を掴んだ。
「あ‥‥あ‥‥ある‥‥アルルル‥‥アルフレッド様!?」
「この邸に生涯仕える気があるのなら、この程度で狼狽えているようでは心臓が幾つあっても足りませんよ」
「でもでももでも!!!足もぴーんってしてるし!!指も!!こんなにぴーんって!!」
「静かになさい。もうすぐ落ち着きます」
アルフレッドの言葉通り、エドガーの体の小刻みな痙攣は徐々に治まっていく。代りに、開かれた唇の奥から小さな呼吸音が聞こえる。
「‥‥っは‥‥」
本体へと魂が戻り、息を吹き返したエドガーの体が、人間としての活動を始める。どくどくと波打つ血潮の音、心臓の音、首根の筋肉が軋む音、乾いた瞼を瞬きする音。様々な音が耳を通して、体を通して、奏でられているのが伝わってきた。
「ブン‥‥ケ」
開口一番に放たれた主の言葉に、アルフレッドたちは首をかしげる。徐々に開いていくエドガーの視界にもそれは映っていて、彼らの不思議そうな顔に向かって身を乗り出した。
「ブ‥‥ン‥‥文‥‥献に‥‥よると‥‥」
「はい」
「‥‥は‥‥ぁ‥‥よると‥‥だな‥‥」
「はい」
枕元で淡々と相槌を返す。アルフレッドの掌がエドガーの額に触れた。その冷たさに頭の中に充満していた熱が覚まされていく。
「眩暈は?」
「‥‥ない。と、おもう」
「一時的な知恵熱のようなものでしょう。スープは冷たいものをご用意して正解でしたね」
「‥‥アルフレッド。聞いてくれないか?」
「どうぞ。あなたの生存確認で多忙ですが、耳だけは空いていますので」
アルフレッドが目配せすると、見習いバトラーがワゴンと共に部屋の外へと消えていく。バタバタと何かを探す音が響いたのちに戻ってきた。彼の手には、水色の小さな玉のようなものが握られている。
「文献によると‥‥魂の重さは数グラムしかない‥‥と‥‥書いてあった‥‥だが‥‥わたしの推測なんだが‥‥それよりも‥‥重いぞ‥‥これは」
内臓、心臓、顔と順々に辿っていく。自分の体に魂が戻る過程を具に観察するようになぞるエドガーの指の行く末は、アルフレッドによって奪われる。
「それはそれは。100回目にして、世紀の大発見ですね?クレメンツ様が国王陛下に高覧に置かれるのも頷けます。スゴイスゴイ~」
エドガーの手を自分に引き寄せると、眼前へと顔を寄せる。アルフレッドは、主の唇を指で押し上げ、見習いバトラーから受け取った水色の玉を彼の口の中へと放り込んだ。水すら飲んでいない乾いた口の中に突如入りこんだ固形物に驚いたエドガーの瞳孔は、驚きと混乱で限界まで開かれる。
「ん‥‥ぐぐンンっ!?!ンン?!」
「やかましい方ですね。喉を通る前に消えますよ。回復玉です」
「ダ‥‥ダレガ‥‥ヅグッダ‥‥?」
「わたしです」
「オ?!‥‥オマ…エガ?!」
「お忘れですか?わたしも魔法が使えるんですよ」
「ジ‥‥ッテル‥‥」
ラムネのようにしゅわしゅわと口の中で溶けていく。淡い炭酸とほのかに甘い回復魔法を閉じ込めた即席の回復玉の力が体中に染み込むと、激しかった息切れが落ち着き、エドガーの目に力が戻っていく。
「‥‥はぁ‥‥死ぬかと思った」
「さっきまで死んでたようなものじゃないですか?はい、万歳して」
言われるままにエドガーが両手を上げると、アルフレッドは主の寝間着に手をかけながら素早い動きで脈拍、心拍を測っていく。
「身体に異常はございません。筋肉疲労は、まぁ、蘇生後の御愛嬌ということで」
「体が‥‥重い‥‥」
項垂れる体を抱き起し無理やり前を向かせたアルフレッドは、締まりのないエドガーの顔に冷えたタオルを当てながら、寝起きのでぱんぱんになった顔のむくみをとっていく。
「招待状は交流のある家柄の方に厳選し、計100通お送りいたしました」
「‥‥なんでそんなに‥‥ただの完済報告だろ」
「はい。ただの完済報告です。しかし、あなたが完済したお金は、170年もの間、一族の誰1人として返済できなかったまさに負の遺産。しかも、国10個分の国家予算に匹敵する金額でした。あなたは、歴史的な偉業を達成されたのです。国中から称賛されるべきだと判断しました」
タオルを剥がし素早く化粧水を塗り込みながら、アルフレッドは、淡々と賛辞を並べていく。普段辛辣、よくて辛辣な執事の口から甘言が続々と飛び出してくることに、エドガーの顔が穏やかに緩んでいく。
「王室付きの、しかも国王陛下御指名の魔法使いなど、500年続く国の歴史上においても前例すらない稀有な存在。座学、実戦、共に群を抜いた実力で、城内に覇権を築いたあなたの名を知らない者はいませんよ」
「て‥‥照れるだろ。やめろってアルフレッド‥‥」
「ですが、あなたはご友人が少ないですからね‥‥招待と言っても、クレメンツ家に縁のある方しかおられませんが‥‥」
アルフレッドの言葉にエドガーから漂う空気が変わった。そのことに気が付きながらも、手元においた手帳をめくりながら、目くじらを立てる主の尖った視線を看視していた。
「王室の人間は入れるな」
「‥‥心得ております」
エドガーの声音が酷く低い。釘を刺すような命令口調に驚いた見習いバトラーがぎくりと怯えたのを見て、アルフレッドが「ですが!」と大きな声で気を引いた。
「わたくしの見立てでは、招待状の3倍の来客数になる見込みですので、お食事はバンケット形式にいたします」
アルフレッドの言葉を聞いたエドガーの顔が絶望色に染まっていく。
「なぜ増える‥‥?」
「あなたが、20歳をとおに過ぎた独身貴族だからですよ」
冷めた目だ。すこしの軽蔑も感じる。エドガーは、アルフレッドから注がれるこの意を含んだ視線が苦手だった。この国の独身貴族は貴重だ。それも、王室に仕えていたという経歴は箔が付く。ゆえに、招待客の娘、孫、親戚、知り合い、その近所の知り合い‥‥など、パーティーと言う形式を利用したお見合い合戦が始まるのが定説であることを忘れていた。
「女性は苦手なんだ‥‥」
「おやまぁ、そんなに美しい顔を神から与えられておいて。一族の皆様が聞いたらどう思われるか」
「あいつらだって別に‥‥綺麗な顔‥‥なんじゃないのか‥‥?」
「あなたには劣ります」
食い気味で否定された。エドガーは、手鏡を手にして自分の顔を覗きこむ。父親譲りの瞳、母親譲りの鼻と口、そして髪の色は、伝説の竜の眷族と謳われた祖父の若い頃と同じ色だ。脳裏に焼き付いて離れないその厳かで美しい彼らの生き様をおもい返していた。だが、燻ぶる自分の侵した所業の数々が横切るたびに、エドガーの胸が鋭利ななにかで抉られたように痛み出す。
「わたしは‥‥美しくなど‥‥ない」
苦悶に悶えるような声色で言い聞かせるように呟く主の言葉を聞き入れながら、なおもアルフレッドは話続けた。
「竜の眷族は国、ひいては世界においても天下無双を誇る存在。枝分かれしたクレメンツ家の血を引く一族の中でも、特に竜の寵愛を受けたとされるあなたのおじいさまは、亡くなる寸前、あなたに全精力を託しました。あなたが本気を出せば、世界すら変えてしまう。ご自分が、世界中の列強国から畏怖されるほどの力を持っている存在であることをお忘れですか?」




