episode1
照らし出された部屋の中に散っている埃を指で払い、窓格子に手をかけた。
「本日も、死体が上がっております」
豪奢な細工が施された重々しい窓がアルフレッドの手で開け放たれ、朝の日差しを浴びた穏やかな春風。穏やかな空気が天井にまで流れ込んだが、部屋の主の顔は険しい。
「発見場所は?」
「リンドン川です」
「身元は?」
「アレンデイル伯爵のご長兄です」
「なんだ‥‥放蕩息子か」
「はい。放蕩息子らしく、鼠径部を断裂され、投げ捨てられたように川岸に浮いていたとのことです」
緊迫した空気を崩したのは、ドア外でカタカタと小刻みに震える見習いバトラーが、ワゴンの上に落とした銀食器の音だった。
執事長として彼の侵した不始末を一瞥しながらも、アルフレッドは粛々と準備を始める。
「さぁ、お体にお戻りください。本日は、あなた様にとって宿願成就のハレの日。《《お仕立》》は数が多ございますので、朝食も、滋養のつくものを厳選いたしました」
アルフレッドが目配せすると、金色のワゴンを押しながら見習いバトラーが入ってくる。四隅に紋章の入った純白のナプキンを張り、ワゴンから手早く食事を取り出し、長机に設置していく。次々と並べられる食事を眺めながら、エドガーはため息を一つ落とすと、胸元から漆黒色の杖を取り出し、自分の体へと向けた。
「解けろ」
杖の触れた場所からほのかな光が生まれ、やがて天井に張り付く大男と、ベッドに横たわるエドガー本体を光の帯がつなげていく。触手のように伸ばされた光は、二つの体をゆっくりと引き寄せていった。
「わぁ‥‥すごい‥‥」
呆気にとられたように立ちすくみ、零れる笑顔を抑えられずにいる。ワゴンを部屋外に押すという勤めすら忘れ、天井でキラキラと揺蕩うエドガーに見とれていた。
「きみ、手が止まっていますよ?」
「も、申し訳ございません!つい‥‥」
「魔法を見るのは初めてではないでしょう?」
「はい・・・・ですけど、クレメンツ様の魔法は、その‥‥別格っていうか。美しくて」
恍惚とした表情で眺める見習いバトラーの瞳がキラキラと輝いている。その純真な眼差しを見て、アルフレッドは観念したようにため息をついた。
「‥‥まぁ、見目への否定は、残念ながらできませんね」
非の打ち所がない。特に、見目は。それ以外ならば100個くらいは否定も論破もできるのに。目の前で美しい横顔がゆっくりと移動していくのを眺めながら、アルフレッドの眉根が悔し気に寄った。
「いや、顔とかじゃないんですよ!そういうのじゃなくて‥‥なんとなく、この世のものじゃないもの、みたいな。不思議な美しさがあって。見入っちゃうんですよね」
手づから教育してきた見習いバトラーの厳かな物言いを聞きながら、輝く砂塵の中、引き寄せられるように天井から剥がされていくエドガーが、ベッドに横たわる本体へと溶けるように重なっていく光景は幻想的で、どこか儀式めいて見えた。100日間飽きもせずに天井に張り付いているだけの奇々怪々な男には、見る者を引き寄せ、魅了する力があったことをアルフレッドは改めて自覚した。
「200年」
「‥‥えっ?」
「彼らは200年の間、この美しさと引き換えに、様々なものを犠牲にしてきた。その累代の清算が、今日、終わる。代々仕えてきたわたしの叔父たちも天上にて、さぞお喜びのことでしょうね」
彼は知らない。目の前の美しい男の体の中に流れる血脈の重さを。そして、彼の体を作りあげている細胞の一つ一つに宿る呪いと怨嗟の記憶を。知ってしまった今でさえ、言葉にすることすら憚られる。
自分が初めて出会ったエドガーが、縋るように自分の体を掴んで離さなかった。あの日の彼の切望を、彼の瞳の奥の懇願を、どう説明したらいい?この一族に纏わるすべての出来事を、200年続くクレメンツ一族の謂れを、執事として後継に伝えるべきなのだろうか。アルフレッドは逡巡したのち、持っていたナフキンに寄った皺を伸ばすことに集中した。だが、長年仕える主の生まれ変わった姿と、放つ魔法に見惚れる見習いバトラーのキラキラ輝く瞳を眺めながら、自分の口角が上がっていくのを抑えられないことに、自嘲気味に笑った。




