襲来は、突然に
労うようにアルフレッドの肩を軽く叩きながら。
「わたしにも、色々あったからな」
朝食の置いてある長机の前で背伸びをしながら大きな欠伸をした。朝日の光量はいつもより多い。もう、夏は近い。脳裏で筆を走らせるように、季節の移ろいを言葉に変えながら、エドガーは穏やかな心地で椅子に座った。
目の前に置かれたティーカップからは、湯気と共にベルガモットの香りが立ち上っている。
「本日の朝食は、ベーコンとレタスのマフィン。ポーチドエッグ。フルーツの盛り合わせ。夏野菜のグリル。スコーンでございます」
アルフレッドの解説を聞き入れながら紅茶で喉を潤し、片方の手でスコーンを頬張る。クリームもジャムもつけずに立ったまま食べるのがエドガーの作法だ。
「ぱっさぱさじゃございませんので?」
「あぁ、この、ぱっさぱさが、逆に良い」
「変人」そう言いたげなアルフレッドの視線が背中に注がれていることをエドガーは気が付いていた。だが、二人の仲睦まじい空気は、扉をノックすることも忘れ、どたばたと部屋に走り込んできた、メイドの雄たけびによって引き裂かれる。
「あのぉおぉぉぉおおおおお!!!!!」
だが、部屋の外、扉ギリギリでメイドの理性が持ちこたえる。許可なく主の部屋に入ってはいけない。執事長であるアルフレッドから言い聞かせられたご法度と、部屋の中で給仕するアルフレッドの体から放たれる徒ならぬ怒りのオーラは、この邸で働く者たちの血となり肉となって刻み込まれているからだ。
「どうしましたか?」
あくまでも静謐に、淡々としたテンポを崩さないアルフレッドのに対して、黒と白を基調としたメイド服を身にまとったショートカットの妙齢のメイドが、汗を垂らし、瞳孔を開きながら自分たちを見つめている――――尋常ではないと覚ったアルフレッドの本能が動いた。
「質問に応えなさい。人が死にましたか?」
「いいえっ‥‥!!」
「では、邸に侵入者でも?」
「いや‥‥?侵入者ではございません!!ですが!!人が!!」
「‥‥人が?」
「人が!!!」
アルフレッドに向かってメイドが告げようとしたその時。邸の下から爆発音が鳴り響いた。地響きすら誘発するほどのそれは、エドガーの部屋のカーテン、シャンデリア、目の前のカップに入った紅茶まで波立たせるほどの威力を持っていた。
「クレメンツ様、シェルタールームに移動を!!!」
前職の敵襲か、もしくは家名を狙う不届き者か。そのどちらもだとして、アルフレッドのやることは一つだった。だが、振り返った先にいる主、エドガー・クレメンツは、長机に寄りかかりながら、にやりと笑っている。
「侵入者?殺し屋?‥‥良い度胸だな」
鋭い切っ先を裁断したような眼光。王室に仕えていたエドガーの姿を唯一知っているアルフレッドは、エドガーの様相の変わり様に、そして「昔」に戻りつつある姿に、ごくりとつばを飲み込んだ。
「アルフレッド。使用人を一か所に移動させろ。神機官に通達、至急捕縛令状の発令を申請しろ」
「畏まりました」
決まれば早かった。阿吽の呼吸で散らばる二人を呆然と見ている見習いバトラーに向かって、エドガーが微笑みを向けると、ジワリと涙を滲ませる。
「お前の仕事は、わたしが部屋に帰るまで、ポットの中に入った紅茶の温度を下げないことだ。これは、重要な任務となる。任されてくれるか?」
「‥‥お、お、お任せください!ご主人様っ!!」
しゃくりあがった言葉に笑みを深めたエドガーは、既に勤めを果たすために旅立った執事長に次いで、振り返ることなく部屋を走り出る。
敷かれた赤い絨毯を踏みしめ走り抜ける。数々の調度品、クレメンス家代々の肖像画、そして紋章旗を飾っている玄関へと降りると、辺り一面が煙に覆われていた。注視し、観察する。
「‥‥爆薬の匂いがしない。煙にも一定量の魔力がある。魔道具を使ったか‥‥はたまた‥‥」
「ご主人様!!こちらです!!こちらに!!人が!!!」
部屋まで走ってきたメイドがエドガーに声をかけた。その周囲には、心配そうに、そして縋るようにエドガーを見つめる執事、メイドたちの姿があった。
「アルフレッドの指示に従ってくれ」
「はいっ!!ご主人様も、お気をつけて!!」
主人に声をかけられ安堵したのか皆の瞳が涙で光る。メイドに促されるままエドガーが進んだ先は、玄関の奥。つまり、邸の外だ。
「邸の中にいなさい。わたしがいく」
「お気をつけて!!」
エドガーはメイドを下がらせ、数百年の間、この邸の安寧を守り続け、年季の入った扉を開け放った。
「わたしの領地で爆発とは!!その心意気は称賛してやる!さぁ、褒美を受けとりにこい!」
威勢ある声が、クレメンス家が誇る庭園に響き渡った。だが、返ってくるのは、エドガーのこだまだけだった。
「怖気づいたか!ならば、わたしから行くぞ‥‥」
鋭い視線に変わった。帷が落ちた様な闇。瞳の奥からあふれ出すような剣気が、エドガーの纏う空気を変えたとき。
――――むにょ。
踏み込んだ先は石畳。だが、足元にあるのはその場所にはありえない感触だった。むにょっとした、ふわふわのパンを、むちむちした魔物を、ぷにぷにした食べ物を、踏んでいるかのような感触に、エドガーは足で観察した。ピカピカに磨かれた靴先で踏み倒していく。
「形状は‥‥円い‥‥大きいな?そして‥‥所々突起物がついている‥‥?お?さらさらとした糸のようなものが巻き付いていて‥‥これは‥‥髪‥‥?髪の毛‥‥」
全身の身の毛が弥立った。やがて足元の丸いむにょむにょは微かに動き始める。
「‥‥んん‥‥なんだぁ?もう朝ぁ?」
「‥‥喋った‥‥」
どこからか風が吹き、足元を覆っていた煙が晴れていく。エドガーの足元に現れたのは、予想通り、人間だった。だが、その足元に在る顔を見た途端、エドガーの表情が凍り付く。
「王子‥‥」
「はぁい?」
「ひる‥‥ひるめす‥‥」
「はぁい、ヒルメスおーじれぇーす」




