第36話:資金流出
「……やられましたね」
その結論から、一日。
違和感は、すぐに“現実”へと変わった。
◇
「おかしい」
エリシアが、帳簿を睨みながら呟く。
「数字が合わない」
「どの部分です?」
「全部」
短く、強く言い切る。
「収入は増えてる」
「取引も増えてる」
「なのに――」
紙を叩く。
「残らない」
俺は黙って隣に立ち、帳簿を覗き込んだ。
【売上:増加】
【取引数:増加】
【流通量:回復】
表面は、まだ“良い”。
だが――
【純利益:減少】
【資金残高:低下】
「……」
すでに始まっている。
ゆっくりと。
だが確実に。
「これ、どういうこと?」
エリシアの声に、焦りが混じる。
「原因は分かっています」
俺は静かに答えた。
「契約です」
「……やっぱり」
「はい」
◇
机に契約書を並べる。
一つずつ開き、指で追う。
「この条項」
「価格調整」
「利益再分配」
「手数料上乗せ」
一つ一つは小さい。
だが――
「全部足すと?」
エリシアが低く言う。
「削られる」
「そうです」
頷く。
「じわじわと、確実に」
しかも。
「気づきにくい形で」
それが最悪だった。
◇
「ねえ」
エリシアが顔を上げる。
「これ、止められないの?」
「難しいです」
「なんで!?」
「契約だからです」
即答する。
「こちらが同意している」
「……」
「破れば違約金」
「守れば削られる」
「どっちも地獄です」
沈黙。
重い沈黙。
◇
「……いくら?」
しばらくして、エリシアが聞いた。
「どれくらい抜かれてるの?」
「現時点で」
計算を走らせる。
すぐに出る。
「一割弱」
「……まだ大丈夫じゃない?」
「いえ」
首を振る。
「問題は“速度”です」
別の紙を出す。
推移表。
「このままいくと?」
エリシアが息を呑む。
「三日で二割」
「一週間で三割」
「……嘘でしょ」
「現実です」
淡々と告げる。
「そして」
一拍。
「その頃には、止められない」
なぜなら。
「回っているからです」
市場が。
契約が。
構造が。
止めるには――
「全部止めるしかない」
「……」
それは、街の死を意味する。
◇
そのとき、扉が開いた。
「報告です!」
駆け込んできた男が、息を切らしながら叫ぶ。
「資材の支払い、滞り始めています!」
「……もう?」
エリシアが固まる。
「はい!」
「入ってはいるんですが……」
「足りません!」
予想より早い。
いや――
(想定通りか)
向こうの計算通りだ。
「次は?」
俺は短く聞く。
「人件費にも影響が出ます!」
「このままだと……」
言葉が続かない。
だが、分かる。
崩壊の順番だ。
物資。
支払い。
そして――人。
◇
報告が終わり、部屋に静寂が戻る。
「……最悪だね」
エリシアが、ぽつりと呟く。
「ええ」
否定はしない。
これはもう、“ミス”ではない。
完全な戦略だ。
しかも――
(こちらの動きを前提にした)
だから、抜け出しにくい。
「どうするの?」
エリシアがこちらを見る。
その目には、明確な不安があった。
「止める?」
「続ける?」
どちらも正解ではない。
どちらも地獄だ。
俺は一瞬だけ目を閉じた。
そして、開く。
答えはまだ出ない。
だが――
状況だけは、はっきりしている。
もう、表面の問題じゃない。
内側から削られている。
血が流れるように。
止められずに。
静かに、確実に。
俺は帳簿を見下ろしながら、低く呟いた。
「資金が、消えていく」




