第35話:罠
「勝てるかもしれません」
その言葉から、二日。
街は――順調に見えた。
取引は戻り、
市場は安定し、
空気も軽くなっている。
まるで、何もなかったかのように。
だが――
(おかしい)
違和感は、消えなかった。
◇
「順調だね」
エリシアが書類をめくりながら言う。
「契約も増えてるし、価格も安定してる」
「ええ」
俺は頷く。
だが視線は、別の数字を追っていた。
【契約数:増加】
【流通量:回復】
【価格:正常化】
表面は、完璧だ。
だが――
【利益率:低下】
「……」
指が止まる。
「どうしたの?」
「利益が落ちてます」
「え?」
エリシアが身を乗り出す。
「どれくらい?」
「じわじわと」
数値を指でなぞる。
「契約は増えているのに、利益が減っている」
「そんなのある?」
「あります」
即答する。
「条件です」
◇
「……これか」
契約書を広げる。
先日取り返したはずの契約。
その細部。
細かい条文。
そこに、違和感があった。
「何これ」
エリシアが眉をひそめる。
「“調整条項”? こんなのあった?」
「ありました」
静かに答える。
「ただし、軽く見ていた」
そこに書かれているのは――
価格変動に応じた“再調整”。
一見、合理的だ。
だが。
「これ、向こうに有利じゃない?」
「ええ」
頷く。
「暴落時は守られる」
「だが回復時は、利益が吸われる」
「……そんな」
「つまり」
一拍。
「回復するほど、こちらの取り分が減る」
沈黙。
空気が一気に冷える。
「でも、それって……」
「はい」
エリシアの言葉を引き取る。
「“最初から仕込まれていた”」
◇
別の書類を開く。
次の契約。
その次。
――全部同じだ。
「全部、同じ構造です」
「……嘘でしょ」
「偶然ではありません」
「全部、繋がってる」
市場回復。
契約増加。
価格安定。
全部――
(誘導されている)
「ねえ」
エリシアの声が、わずかに震える。
「これって……」
「はい」
俺は静かに頷いた。
「罠です」
◇
「じゃあ、この回復は……」
「“回復させられている”」
即答する。
「こちらが立て直したんじゃない」
「向こうが、“立て直させた”」
「……なんでそんなこと」
「利益を吸うためです」
単純な話だ。
「崩壊させるより、効率がいい」
「回して、吸い続ける」
「……最悪」
「ええ」
同意する。
しかも。
「こちらは気づかない」
「むしろ“勝っている”と思う」
その状態が、一番危ない。
「……」
エリシアが言葉を失う。
当然だ。
今までの手応えが、全部ひっくり返った。
「じゃあ、どうするの?」
ようやく出てきた言葉。
だが――
「簡単ではありません」
俺は正直に言った。
「すでに契約は結ばれている」
「流れもできている」
「ここから崩すには」
一拍。
「相当な犠牲が出ます」
「……」
「しかも」
視線を落とす。
「まだ全部じゃない」
「え?」
「この構造、もっと広がってます」
市場全体に。
街全体に。
じわじわと。
「つまり……」
「まだ深いです」
沈黙。
完全に、状況が変わった。
これはもう――
“対抗”じゃない。
“掌の上”だ。
◇
俺はゆっくりと息を吐いた。
そして、書類を閉じる。
理解した。
全部、繋がった。
あの男の余裕。
あの言葉。
あの視線。
全部、これだ。
最初から。
ずっと。
俺たちは――
誘導されていた。
だから。
はっきりと言い切る。
「……やられましたね」




