第30話:価格崩壊
「……止められましたね」
あの一言から、一日。
状況は――悪化した。
◇
「入ってきた」
朝一番、エリシアが報告してきた。
「物資、入ってきたよ!」
「……そうですか」
俺は顔を上げる。
予想外ではない。
だが、タイミングが早い。
「街道が開いたの?」
「違う」
エリシアは首を振る。
「別ルート」
「知らない商人が持ってきた」
――来たな。
「量は?」
「かなり多い」
「倉庫が埋まるくらい」
「……なるほど」
俺は立ち上がった。
「見に行きましょう」
◇
市場は、異様な熱気に包まれていた。
「安い! 全部安いぞ!」
「今だけだ、買え!」
「こんな値段、二度とねぇぞ!」
怒号にも似た呼び声。
そして――
(多すぎる)
商品が、溢れている。
麦。
肉。
布。
木材。
どれも山積みだ。
【供給量:異常増加】
【価格:暴落】
【利益率:消失】
完全に、意図的な投下。
「これ……」
エリシアが言葉を失う。
「昨日まで止まってたのに」
「今日いきなりこれ?」
「ええ」
俺は静かに頷いた。
「流れは一つです」
「止めて、溜めて、流す」
「……」
「価格を壊すために」
沈黙。
理解が追いついた瞬間だった。
「ねえ」
エリシアが低く言う。
「これ、まずくない?」
「かなりまずいですね」
即答する。
なぜなら――
「安いのはいいことじゃないの?」
「短期なら、です」
俺は視線を市場に向けたまま答える。
「でもこれは違う」
「“安すぎる”」
適正価格を完全に下回っている。
「これだと?」
「誰も儲からない」
それが問題だ。
「売る側は赤字」
「作る側も赤字」
「続ければ、全員潰れます」
「……でも買う側は得でしょ?」
「最初だけです」
きっぱりと言う。
「供給元が潰れたら、次は?」
「……」
「価格は逆に跳ね上がる」
支配される。
完全に。
「じゃあ、これって……」
「はい」
答えは決まっている。
「市場の破壊です」
◇
そのとき。
「おい!」
怒鳴り声が響いた。
「こんな値段で売れるかよ!」
地元の商人が叫んでいる。
「こっちは原価割ってんだぞ!」
「知らねぇな!」
別の商人が笑う。
「嫌なら売らなきゃいい!」
「……っ」
空気が荒れる。
当然だ。
守ってきた価格が、一瞬で壊された。
「どうするの?」
エリシアが聞く。
その声は、明らかに焦っている。
「止める?」
「無理ですね」
俺は即答した。
「この量は止められない」
「じゃあ……」
「乗るしかないです」
「は?」
「同じ価格帯で出す」
「損するよ!?」
「ええ」
あっさり認める。
「でも出さないと、もっと損する」
市場から弾かれる。
それが一番致命的だ。
「……きついね」
「ええ」
短く答える。
これはもう、防戦だ。
勝ちではない。
「ねえ」
エリシアが、ぽつりと呟く。
「これ、どこまで続くの?」
「分かりません」
正直に答える。
「相手次第です」
つまり。
終わりは、向こうが決める。
その構図自体が、すでに不利だ。
俺はもう一度、市場を見渡した。
活気はある。
人も多い。
だが――
(中身が死んでいる)
数字だけが動いている。
利益が消えている。
持続性がない。
これは、経済じゃない。
ただの“消耗”だ。
そして。
その消耗に、巻き込まれている。
俺は小さく息を吐いた。
そして、静かに呟く。
「利益が、消えてる……」




