灰色の残響 第12話
崩れ落ちる儀式の間を背に、僕たちは暗い廊下を走り続けた。
天井から落ちる石片が肩をかすめ、粉塵が視界を曇らせる。
澪は息を切らしながらも、僕の手を離さなかった。
「……まだ追ってくる……?」
「来る。あいつは儀式を失った。もう理性なんて残ってない」
三枝が前を走りながら言った。
その声は冷静だったが、緊張が滲んでいた。
背後から、赤い光が壁を照らす。
──来ている。
玲奈が振り返り、震える声で言った。
「……あれ……赤い主の光……?」
「見るな!」
三枝が叫ぶ。
「目を合わせるな。あれは“主”の力の残滓だ。精神を侵される」
僕たちは角を曲がり、階段を駆け上がった。
だが、館の奥へ進むほど、空気は重く、冷たくなっていく。
まるで館そのものが、僕たちを閉じ込めようとしているようだった。
「……出口は……?」
澪が息を切らしながら言う。
「この階層にはない。だが──」
三枝は立ち止まり、壁の一部を叩いた。
コン、コン……
音が違う。
「ここだ。隠し扉がある」
僕が壁に手を当てると、冷たい石の裏に空洞の気配があった。
「どうやって開ける?」
「“主”が使っていた通路だ。必ず仕掛けがある」
そのとき、足元で何かが光った。
小さな紙片。
赤い矢印が描かれている。
玲奈が息を呑む。
「……影の主……?」
「そうだ」
三枝が紙を拾い上げた。
「影の主が、最後に残した道だ」
僕は壁を押した。
ギィ……と音を立てて、隠し扉が横にスライドした。
その瞬間、背後の廊下が赤く染まった。
澪が叫ぶ。
「来た!!」
赤い光の主が、ゆっくりと廊下の奥から姿を現した。
フードの奥で赤い光が揺れ、まるで炎のように揺らめいている。
「……逃げても無駄だ……」
その声は、もはや人間のものではなかった。
「罪は……捧げられねばならない……儀式は……終わっていない……」
僕は澪を隠し扉の中へ押し込んだ。
「行け!!」
「でも……!」
「いいから行け!」
三枝が僕の肩を掴んだ。
「お前も来い。ここで死ぬ気か!」
僕たちは隠し通路へ飛び込み、扉を閉めた。
直後、外側から赤い光が扉を焼くように照らした。
澪が震える声で言う。
「……あれ……本当に人なの……?」
「もう人じゃない」
三枝が低く言った。
「儀式の力を取り込みすぎた。“主”としての形を保てなくなっている」
隠し通路は狭く、湿った空気が漂っていた。
壁には古いランプが等間隔で並び、弱々しい光を放っている。
玲奈が前を指さした。
「……見て……!」
通路の奥に、もう一枚の紙が落ちていた。
赤い矢印とともに、黒い文字が書かれている。
『最深部へ行け。“主”を終わらせる鍵はそこにある』
澪が息を呑む。
「……影の主……最後まで……」
「行こう」
僕は言った。
「影の主が命を懸けて示した道だ。ここに“終わり”がある」
通路を進むと、やがて階段が現れた。
下へ続く、長い階段。
澪が僕の手を握り直す。
「……怖い……でも……行く……あなたと一緒なら……」
僕は頷いた。
「必ず終わらせる。もう誰も犠牲にしない」
階段を降りると、広い空間に出た。
そこは──館の最深部。
天井は高く、壁には古い紋章が刻まれている。
中央には黒い石の台座があり、その上には──一冊の古い本が置かれていた。
玲奈が震える声で言う。
「……これ……儀式の“原典”……?」
三枝が本に手を伸ばした。
「ここに“主”の正体が書かれているはずだ。そして──“どう終わらせるか”も」
その瞬間、背後の通路が赤く染まった。
澪が叫ぶ。
「来た! 赤い主が……!」
赤い光が通路を満たし、
ゆっくりと“主”が姿を現した。
「……逃げ場はない……罪は……ここで捧げられる……」
僕たちは最深部で追い詰められた。
だが、終わらせるための鍵は、目の前にある。
赤い光が通路を満たし、ゆっくりと“主”が姿を現した。
その歩みは遅いのに、迫ってくる圧力は息を奪うほど強い。
「……逃げ場はない……罪は……ここで捧げられる……」
その声は、もはや人間の声ではなかった。
低く、濁り、何か別のものが混じっている。
澪が僕の腕を掴んだ。
「……来ないで……お願い……」
「澪、下がれ。ここは俺が前に立つ」
僕は澪を背にかばい、赤い主と向き合った。
だが、その存在感は“敵”というより、“災害”に近かった。
三枝が原典の本を開き、ページをめくる。
「……あった。“主”の力の源……そして……“終わらせる方法”も」
玲奈が息を呑む。
「本当に……書いてあるの……?」
「断片的だがな。だが、これで十分だ」
三枝は本を読み上げた。
「“主”とは、罪を集め、罪を糧に形を保つ存在。罪が自覚され、罪が消えるとき──“主”は形を失う”」
澪が震える声で言った。
「……じゃあ……私が罪を認めたから……儀式が崩れたの……?」
「そうだ」
三枝は頷いた。
「そして──“主”を終わらせるには、最後の条件がある」
赤い主が低く笑った。
「……無駄だ……その条件は……“罪を抱えた者には果たせない”……」
「黙れ」
三枝は本を握りしめた。
「最後の条件は──“罪を抱えた者が、罪を抱えた者を救うこと”」
僕は息を呑んだ。
「……それって……」
「そうだ」
三枝は僕を見た。
「お前と澪だ」
澪が僕の手を握り返す。
「……私……あなたに救われたよ……あの日のこと……言えたのは……あなたがいたから……」
赤い主が叫んだ。
「やめろ! それ以上言うな! 罪は……捧げられねばならない!」
赤い光が爆ぜ、最深部の空間が震えた。
壁に刻まれた紋章が砕け、天井から砂が降り注ぐ。
「時間がない!」
三枝が叫ぶ。
「澪、言うんだ。“罪を抱えた自分を、誰が救ったのか”」
澪は涙をこぼしながら、僕を見つめた。
「……私を救ったのは……あなた……」
その瞬間、赤い主が絶叫した。
「黙れぇぇぇ!」
赤い光が澪へ向かって放たれた。
「澪!」
僕は咄嗟に澪を抱き寄せ、光の前に立ちはだかった。
光が僕の身体を貫く──そう思った瞬間、光は僕の目の前で弾け、霧のように消えた。
赤い主が後ずさる。
「……なぜ……なぜ効かない……?」
三枝が叫んだ。
「効くわけがない! “罪を抱えた者が、罪を抱えた者を守った”その瞬間──お前の力は消える!」
赤い主の身体が揺らぎ、輪郭が崩れ始めた。
「……やめろ……私は……主だ……罪を……糧に……」
玲奈が震える声で言った。
「……もう終わりだよ……あなたの時代は……」
赤い主は崩れゆく身体を支えながら、最後の力で僕たちに手を伸ばした。
「……罪を……返せ……返せぇぇぇ……!」
だが、その手は僕たちに届く前に、光の粒となって崩れ落ちた。
赤い光が消え、最深部に静寂が戻る。
澪が僕の胸に顔を埋め、震える声で言った。
「……終わった……? 本当に……?」
僕は澪の背中を抱きしめた。
「終わったよ。もう大丈夫だ」
三枝が原典の本を閉じた。
「“主”は消えた。罪を糧にする存在は、もうどこにもいない」
玲奈が涙を拭いながら言った。
「……影の主さん……見てる……? 私たち……終わらせたよ……」
最深部の空気が、静かに揺れた気がした。
僕たちは崩れた儀式の間を背に、ゆっくりと地上へ向かって歩き始めた。
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