灰色の残響 第10話
礼拝堂を飛び出した僕たちは、赤い矢印が続く廊下を走っていた。
背後では、二人の“主”の衝突音がまだ響いている。
澪が息を切らしながら言った。
「……大丈夫……? 怪我してない……?」
「平気だ」僕は短く答えた。だが胸の奥はざわついていた。
──三人目は俺だ。
──いや、違う。
──どちらが真実なんだ。
三枝が前を走りながら言った。
「影の主が言った“儀式の間”へ向かうぞ。そこに真実がある」
赤い矢印は、地下のさらに奥へ続いていた。
湿った空気が肌にまとわりつき、呼吸が重くなる。
玲奈はまだ弱っていたが、必死に僕たちの後を追っていた。
「……ごめん……私……もっと早く言うべきだった……本当の三人目は……」
「言わなくていい」
三枝が遮った。
「今は生き延びることが先だ」
玲奈は唇を噛んだ。
──彼女は何かを知っている。
──だが、それを言えば“儀式”が動く。
そんな気配があった。
やがて、廊下の突き当たりに重い鉄扉が現れた。
扉の中央には古い紋章が刻まれている。
澪が息を呑む。
「……ここ……?」
「間違いない」
三枝が扉を押した。
「“儀式の間”だ」
ギィ……と軋む音を立てて扉が開く。
中は広い円形の部屋だった。
天井は高く、壁には古い文字が刻まれている。
中央には、黒い石で作られた円形の台座。
澪が震える声で言った。
「……ここ……本当に儀式の場所なんだ……」
僕は台座に近づいた。
表面には、三つの円が刻まれている。
そのうち二つには、赤い印がついていた。
「……これ……一人目と二人目……?」
「そうだ」
三枝が台座を調べながら言った。
「三つ目の円が“空白”になっている。つまり──三人目がまだ確定していない証拠だ。」
僕は息を呑んだ。
「じゃあ……俺じゃない……?」
「断言はできん」
三枝は冷静に言った。
「だが、儀式を進めたい側の主は“お前にしたい”。理由があるはずだ」
そのとき、部屋の奥で“カサッ”と音がした。
僕たちは一斉に振り返った。
薄暗い影が、壁際に立っていた。
澪が叫ぶ。
「誰……!?」
影はゆっくりと歩み出た。
その姿は──影の主だった。
だが、ローブは破れ、肩で息をしている。
「……間に合った……」
影の主は壁に手をつきながら言った。
「急げ……“儀式を進めたい側”が……来る……」
澪が駆け寄る。
「大丈夫……? 怪我してる……!」
「構うな……」
影の主は僕を見た。
「お前に……伝えなければならない……」
僕は息を呑んだ。
「……三人目は……俺じゃないんだろ……?」
影の主はゆっくりと首を振った。
「違う……だが……“儀式を進めたい側”は……お前を三人目に仕立て上げようとしている……」
「どうして……?」
影の主は苦しげに息を吐いた。
「三人目は……“罪を最も深く抱えた者”……だが……罪とは……行動ではない……“心”だ……」
澪が震える声で言った。
「心の……罪……?」
「そうだ……」
影の主は続けた。
「お前たちの中に……“自分でも気づいていない罪”を抱えた者がいる……それが……儀式を完成させる鍵になる……」
玲奈が小さく震えた。
「……だから……観察されてたんだ……行動じゃなくて……“心”を……」
影の主は頷いた。
「だが……儀式を進めたい側は……“本当の三人目”を隠し……お前を選ぼうとしている……理由は……“お前が最も動揺しやすいから”だ……」
僕は息を呑んだ。
「……俺を……操るため……?」
「そうだ……儀式は……“恐怖”と“罪”で完成する……お前は……そのための“器”にされようとしている……」
そのとき──鉄扉が激しく叩かれた。
ドンッ!!!
ドンッ!!!
澪が叫ぶ。
「来た……!!! 儀式を進めたい側の主……!」
三枝が構える。
「時間がない。影の主、三人目は誰なんだ。はっきり言え!」
影の主は苦しげに顔を上げた。
「三人目は……“罪を隠している者”……その罪は……“誰かを救えなかった後悔”……そして……“誰かを見捨てた記憶”……」
澪が息を呑んだ。
「それって……」
影の主はゆっくりと、ある人物を指さした。
その指先の先にいたのは──玲奈だった。
影の主の指先が、震えながらも確かに──玲奈を指していた。
澪が息を呑む。
「……玲奈さん……? どうして……?」
玲奈はその場に崩れ落ち、肩を震わせた。
その震えは恐怖ではなく、
“覚悟”に近いものだった。
「……ごめん……本当は……ずっと言わなきゃいけなかった……でも……怖くて……」
三枝が低く言った。
「玲奈。お前の“罪”は何だ」
玲奈は唇を噛み、震える声で言った。
「……私……人を……見捨てたの……」
澪が目を見開く。
「見捨てた……?」
「ううん……正確には……助けられたのに、助けなかった……」
玲奈の声は、礼拝堂の石壁に吸い込まれるように響いた。
「……私……前に……事故に遭った人を見たの……夜道で……倒れてて……でも……怖くて……近づけなくて……そのまま……逃げた……」
僕は息を呑んだ。
「……それが……罪……?」
「ううん……本当の罪は……そのことを“誰にも言わず”、“何もなかったふり”をしたこと……」
玲奈の声は震えていたが、
その瞳はどこか覚悟を決めたように澄んでいた。
「……ずっと……胸の奥で腐っていくみたいで……でも……向き合うのが怖くて……逃げ続けて……その“後悔”が……私の罪……」
影の主が静かに言った。
「──罪とは、行動ではなく“心”だ」
玲奈は涙をこぼしながら頷いた。
「……だから……“主”は……私を三人目に選んだ……私が……一番……“罪を抱えている”から……」
その瞬間──鉄扉が激しく叩かれた。
ドンッ!
ドンッ!
赤い光が扉の隙間から漏れ出す。
澪が叫ぶ。
「来た……! 儀式を進めたい側の主……!」
三枝が玲奈の前に立つ。
「玲奈。お前は三人目じゃない。罪を抱えているのは事実だが──“儀式のための罪”とは別だ」
玲奈は首を振った。
「違う……私は……“選ばれた”の……この館に来た時から……ずっと……“主”に見られてた……」
影の主が苦しげに言った。
「違う……本当の三人目は……“まだ決まっていない”……儀式を進めたい側が……お前を利用しようとしているだけだ……」
玲奈は影の主を見つめた。
「……じゃあ……私の罪は……何のために……?」
「罪は……“儀式の材料”ではない……“儀式を止める鍵”だ……」
玲奈が息を呑む。
「止める……鍵……?」
影の主は頷いた。
「三人目は“罪を抱えた者”ではなく、“罪を自覚し、向き合った者”だ」
僕は息を呑んだ。
「……じゃあ……玲奈は……“儀式を壊せる存在”……?」
「そうだ……」
影の主は言った。
「だから……儀式を進めたい側は……お前を“犠牲”にしようとしている……儀式を完成させるために……」
その瞬間、鉄扉が破られた。
ガシャァン!!
赤い光の主が姿を現した。
フードの奥で、赤い光が揺れている。
「──儀式は完成する。三人目は“玲奈”だ」
玲奈が震える。
「……やっぱり……私……?」
赤い光の主はゆっくりと歩み寄った。
「罪を抱え、後悔し、逃げ続けた者。その心こそ、儀式の核となる」
影の主が立ち上がり、玲奈の前に立つ。
「違う……玲奈は……罪と向き合った……だから……“儀式を壊す者”だ……!」
赤い光の主が叫ぶ。
「黙れ、裏切り者!!!」
赤い光が礼拝堂を満たす。
三枝が叫ぶ。
「伏せろ!!!」
僕たちは床に身を投げた。
光が収まったとき──影の主は倒れていた。
玲奈が叫ぶ。
「やめて! 私を三人目にしないで! 私は……罪を……認める……! 逃げない……!」
赤い光の主が動きを止めた。
その声は、儀式の“条件”を揺るがす言葉だった。
影の主が震える声で言った。
「……言っただろう……“罪を自覚した者”は……儀式の核にはならない……」
赤い光の主が叫ぶ。
「黙れ! 儀式は……完成する!」
その瞬間──礼拝堂の床が震えた。
黒い台座の“第三の円”が、赤く光り始めた。
澪が叫ぶ。
「誰かが……三人目に……選ばれた……!」
僕は息を呑んだ。
──玲奈ではない。
──俺でもない。
──じゃあ……誰だ。
赤い光の主が、ゆっくりと、ある人物を指さした。
その指先の先にいたのは──澪だった。
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