灰色の残響 第4話
階段を降りるたび、足元から冷気が這い上がってくるようだった。
地下へ向かう空気は重く、湿っていて、まるで“何か”が息を潜めているように感じられる。
金属を叩くあの音──
カン……カン……
それが、僕たちを誘うように一定の間隔で響いていた。
「……この音、やっぱり誰かが意図的に出してますよね」
澪が小さく呟く。
「そうだろうな。隠れる気がない」
三枝が前を歩きながら答える。
「むしろ、俺たちに“来い”と言っている」
その言葉に、僕は胸の奥がざわつくのを感じた。
“偽の主”は、僕たちの動きを完全に読んでいる。
そして、僕たちはその誘導に逆らえないまま、暗闇へ足を踏み入れている。
階段を降り切ると、薄暗い廊下が伸びていた。
壁に取り付けられた古いランプが揺れ、影が不規則に踊る。
その影の揺れが、人の形に見える瞬間があった。
澪が僕の袖を掴む。
「……今、誰か……」
「気のせいじゃない」
三枝が低く言う。
「この廊下、誰かが歩いた跡がある」
足元を見ると、薄く積もった埃に、靴跡が続いていた。
それは、地下倉庫のほうへ向かっている。
僕たちはその跡を辿った。
廊下の突き当たりに、重い鉄扉があった。
“12”の番号が刻まれている。
佐伯が倒れていた地下倉庫だ。
扉の前で、金属音が止んだ。
静寂が落ちる。
まるで、扉の向こうで“何か”が息を潜めているようだった。
「開けるぞ」
三枝が扉に手をかけた。
ギィ……と重い音を立てて扉が開く。
倉庫の中は薄暗く、古い木箱が並んでいる。
その中央に、佐伯が横たえられていた場所がある。
だが、彼の姿はもうなかった。
「……佐伯さんがいない」
澪が息を呑む。
「誰かが運んだんだ」
三枝が言う。
「自力で歩ける状態じゃない。つまり、“偽の主”が動いた」
倉庫の奥から、冷たい風が吹きつけた。
僕はその風に混じる、微かな匂いに気づいた。
──血の匂い。
「……何か、あります」
僕は倉庫の奥へ歩いた。
木箱の影に、赤いものが落ちていた。
近づくと、それは──
赤いインクで描かれた数字『1』の紙片だった。
「……“一人目”の印……?」
澪が震える声で言う。
「いや、これは……」
僕は紙片を拾い上げた。
裏側に、黒いインクで文字が書かれている。
『一人目は、まだ終わっていない』
澪が青ざめる。
「……どういう意味ですか? 佐伯さんは生きていて……でも……」
「“終わっていない”ということは、まだ“処刑”が完了していないという意味だろう」
三枝が言う。
「つまり、佐伯さんはまだ生きている。だが、“偽の主”は彼をどこかへ連れ去った」
そのとき、倉庫の奥──
暗闇のさらに奥から、かすかな音がした。
カサ……
カサ……
何かが動いている。
僕たちは息を呑んだ。
暗闇の中で、何かがこちらを見ている気配がする。
だが、姿は見えない。
その気配が、ゆっくりと近づいてくる。
「……誰だ」
三枝が声を張る。
返事はない。
ただ、暗闇の奥で──白いものがふっと揺れた。
澪が僕の腕にしがみつく。
「……あれ……人……?」
白い影は、ゆっくりとこちらへ歩み出た。
ランプの光が、その姿を照らす。
それは──佐伯悠斗だった。
だが、彼の顔は蒼白で、目は虚ろだった。
胸の“1”の印はそのまま。
そして、彼の首には──
細いロープが巻かれていた。
「佐伯さん……!」
澪が叫ぶ。
佐伯は何かを言おうと口を開いた。
だが、声にならない。
喉が締めつけられたように、息が漏れるだけだ。
そのとき、佐伯の背後で──暗闇が揺れた。
まるで、誰かがそこに立っているように。
僕は息を呑んだ。
“偽の主”が、佐伯を連れてきた。
そして──まだ近くにいる。
佐伯が震える手を伸ばし、僕たちに向けて何かを示した。
その指先が指したのは──僕たちの背後だった。
振り返る。
そこには──誰もいない。
だが、確かに“気配”があった。冷たい風が吹き抜け、ランプの火が揺れる。
そして、暗闇の奥から、低い囁き声が聞こえた。
「──二人目は、もうすぐだ」
澪が僕の腕にしがみつく。
「……誰が……狙われているんですか……?」
僕は答えられなかった。
ただ、胸の奥で確信していた。
“二人目”は、この中にいる。
そして、その死は──もう避けられない。
佐伯の震える指先が示した“背後”には、誰もいなかった。
だが、確かにそこに“気配”があった。
冷たい風が吹き抜け、ランプの火が揺れ、影が床を滑るように動いた。
澪が僕の腕にしがみつく。
「……誰か、いますよね……?」
「いる。だが姿を見せない」
三枝は低く言い、暗闇を睨んだ。
「“偽の主”は、俺たちのすぐ近くにいる」
佐伯は喉を押さえ、苦しげに息を漏らした。
ロープの跡が赤く浮かび、皮膚が擦れている。
彼は何かを伝えようと口を開くが、声にならない。
「佐伯さん、無理に喋らなくていい」
僕は彼の肩に手を置いた。
「何があったんです? 誰にやられたんです?」
佐伯は震える手で、胸の“1”の印を指した。
そして、ゆっくりと首を横に振る。
──“まだ終わっていない”。
その意思だけが、彼の動きから伝わってきた。
倉庫の奥で、何かが落ちる音がした。
ガタン、と木箱が揺れ、埃が舞い上がる。
「……動いたな」
三枝が身構える。
暗闇の奥で、白い影がふっと揺れた。
人影のようにも見えるが、すぐに消える。
僕たちは息を呑んだまま、しばらく動けなかった。
やがて、佐伯が膝から崩れ落ちるように倒れた。
澪が慌てて支える。
「佐伯さん……! しっかり……!」
彼の呼吸は浅く、意識は朦朧としている。
このままここに置いておくのは危険だ。
「いったんホールに戻るぞ」
三枝が言った。
「ここは罠だ。長居すれば“二人目”が出る」
僕たちは佐伯を抱え、倉庫を後にした。
扉を閉めると、背後で風が鳴り、まるで誰かが中で笑っているように聞こえた。
階段を上がる途中、澪がふと立ち止まった。
「……ねぇ、気づきませんか?」
「何を?」
僕は振り返る。
「“二人目”って……佐伯さんを助けようとしている誰か、なんじゃないですか?」
その言葉に、僕は息を呑んだ。
──確かに。
“偽の主”は、佐伯を“終わらせよう”としている。
それを妨害する者がいれば、次に狙われるのはその人物だ。
「つまり……」
澪は震える声で続けた。
「“二人目”は、この中の……“優しい人”なんじゃ……」
その瞬間、館内の照明が一斉に揺れた。
薄暗くなり、すぐに戻る。
だが、その一瞬の暗闇の中で、僕は見た。
二階の手すりの上に、黒い影が立っていた。
顔は見えない。
ただ、こちらを見下ろしている。
「……また……!」
澪が叫ぶ。
影はすぐに消えた。
だが、確かにそこにいた。
ホールへ戻ると、他の招待客たちが不安げに集まっていた。
城戸が苛立ったように叫ぶ。
「おい、何が起きてんだよ! さっきから館中が変なんだよ!」
「落ち着け」
三枝が言う。
「“偽の主”が動いている。そして、次の標的を探している」
その言葉に、場の空気が凍りついた。
澪が僕の袖を掴む。
「……ねぇ……“二人目”って……もしかして……」
彼女は言葉を飲み込んだ。
だが、その視線は僕に向けられていた。
僕は息を呑んだ。
──佐伯を助けようとしたのは、僕たちだ。
──“偽の主”の邪魔をしたのも、僕たちだ。
そのとき、ホールの奥から、低い鐘の音が響いた。
ゴォォォン……
ゴォォォン……
まるで、死を告げる鐘のような音。
そして、アナウンスが流れた。
「──二人目は、もうすぐそこにいる」
澪が震える声で言う。
「……“そこ”って……どこ……?」
僕は答えられなかった。
ただ、胸の奥で確信していた。
“二人目”は、この中にいる。
そして、その死は──もう避けられない。




