灰色の残響 第3話
覗き穴の向こうから聞こえた声──
「一人目は、もう決まっている」
その言葉が消えたあと、廊下の空気は一瞬で凍りついた。
澪は僕の腕を掴んだまま、震える声で言った。
「……誰なんでしょう、“一人目”って」
「まだ誰も死んでいないはずだ」
三枝が低く言う。
「だが、“決まっている”という言い方が気になる。つまり、すでに標的が選ばれているということだ」
その言葉が胸に重く沈んだ。
蓄音機の声が告げた“罪”の話が、急に現実味を帯びてくる。
僕たちは鏡を元に戻し、廊下へ出た。
その瞬間、館全体がわずかに軋んだ。
まるで、古い建物が息を吸い込んだような音だった。
廊下の奥から、誰かの足音が近づいてくる。
薄暗い影が揺れ、やがて姿を現したのは──水沢玲奈だった。
「み、みなさん……」
玲奈は蒼白な顔で、壁に手をつきながら歩いてくる。
息が荒く、今にも倒れそうだ。
「どうしたんです?」
澪が駆け寄る。
「……さっき、自分の部屋に戻ったら……机の上に……」
玲奈は震える手で紙を差し出した。
そこには赤いインクで、たった一言。
『あなたではない』
「……“あなたではない”?」
澪が眉をひそめる。
「つまり、玲奈さんは“狙われていない”ということだ」
三枝が言う。
玲奈は震えながら僕たちを見た。
「じゃあ……誰が……?」
その問いに答えるように、館内に低い鐘の音が響いた。
ゴォォォン……
ゴォォォン……
まるで、死者を呼ぶ鐘のような重い音。
僕たちは顔を見合わせた。
「今の音……どこから?」
澪が震える声で言う。
「一階の奥だ」
三枝が即座に答えた。
僕たちは階段を駆け下りた。
足音が館に反響し、古い床板が軋む。
廊下の突き当たりに、古い扉があった。
“資料室”と書かれたプレートが薄く光っている。
三枝が扉に手をかけ、ゆっくりと押し開けた。
資料室の中は薄暗く、古い書棚が並んでいる。
埃が舞い、ランプの光が揺れて影を作る。
その中央に──黒いローブを着た“影”が立っていた。
澪が息を呑む。
「……誰……?」
影はゆっくりとこちらを向いた。
フードの奥は暗く、顔は見えない。
その影が、低い声で言った。
「──二人目は、すぐそこにいる」
次の瞬間、影は棚の裏へ滑るように消えた。
「待て!」
三枝が追いかける。
だが、棚の裏には誰もいない。
ただ、壁に小さな隙間があり、そこから冷たい風が吹き出していた。
僕たちがその隙間を覗き込んだとき──
資料室の奥で、何かが倒れる音がした。
ガタンッ!
「今の……!」
澪が叫ぶ。
僕たちは音のした方向へ駆け寄った。
資料室の隅。
床に、黒いボタンが落ちていた。
その横には、赤いインクで描かれた数字。
『2』
澪が青ざめる。
「……“二人目”が……ここに……?」
僕は息を呑んだ。
“二人目”は、すぐ近くにいる。
そして、その死は──もう避けられない。
資料室の隅に落ちていた黒いボタンと、赤いインクで描かれた 『2』 の数字。
その二つが、まるで“次の死”を指し示すように並んでいた。
澪は僕の腕を掴んだまま、震える声で言った。
「……“二人目”って……ここにいる誰か、なんですよね」
「まだ誰かは分からん」
三枝が低く答える。
「だが、“偽の主”は確実に俺たちを追い詰めている。心理的にも、物理的にも」
資料室の空気は重く、埃の匂いが喉にまとわりつく。
僕たちはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて三枝が静かに言った。
「ここにいても仕方ない。いったんホールへ戻ろう」
僕たちは資料室を後にした。
扉を閉めると、背後で風が鳴り、まるで誰かが中で息を潜めているような気配がした。
廊下へ出ると、空気がわずかに温かく感じられた。
だが、それは安心ではなく、むしろ“館が僕たちを包み込んでいる”ような不気味さだった。
階段を上がる途中、澪がふと立ち止まった。
「……聞こえませんか?」
僕は耳を澄ませた。
遠くで、何かが擦れるような音がする。
風ではない。
人の気配でもない。
ただ、何かが“動いている”。
「気のせいじゃないな」
三枝が言った。
「誰かが館のどこかを歩いている。俺たち以外の“誰か”が」
その言葉に、澪の肩が震えた。
ホールに戻ると、他の招待客たちが不安げに集まっていた。
佐伯はソファに寝かされ、まだ意識を取り戻していない。
胸の“1”の赤い印が、薄暗い光の中で不気味に浮かび上がっていた。
「佐伯さんの容体は?」
三枝が尋ねる。
「呼吸は安定してます。でも……」
玲奈が不安げに言う。
「目を覚ます気配がなくて……」
僕は佐伯の顔を見つめた。
その表情は苦しげで、何かに怯えているようだった。
──“後ろに誰かがいる”。
佐伯が最後に言った言葉が、頭から離れない。
僕たちが状況を整理しようとしたそのとき、ホールの照明が一瞬だけ揺れた。
薄暗くなり、すぐに戻る。
だが、その一瞬の暗闇の中で、僕は見た。
二階の手すりの上に、黒い影が立っていた。
顔は見えない。
ただ、こちらを見下ろしている。
「……誰か、います!」
僕が叫ぶと、全員が二階を見上げた。
だが、影はすでに消えていた。
「今の……“偽の主”ですか?」
澪が震える声で言う。
「分からん。だが、俺たちを見ていたのは確かだ」
三枝が言った。
その直後、館内に低い鐘の音が響いた。
ゴォォォン……
ゴォォォン……
まるで、死者を呼ぶ鐘のような重い音。
僕たちは息を呑んだ。
「また……」
澪が呟く。
鐘の音は、館の奥──
地下へ続く階段のほうから聞こえていた。
僕は胸の奥に冷たいものを感じた。
──地下。
──“鍵番号12”の部屋。
──金属音。
すべてが地下へ収束していく。
「行くぞ」
三枝が言った。
僕たちは再び階段へ向かった。
だが、階段の前に立ったとき、澪が僕の袖を掴んだ。
「……待ってください」
「どうしたんです?」
僕は振り返る。
「さっきの影……あれ、私たちを“誘っている”気がします。地下へ行けって、わざと……」
その言葉に、僕は息を呑んだ。
──確かに、そうかもしれない。
──“偽の主”は、僕たちを動かしている。
だが、三枝は首を振った。
「罠でも構わん。放っておけば“二人目”が出る」
その言葉に、僕は覚悟を決めた。
階段の下から、またあの金属音が響く。
カン……
カン……
カン……
まるで、僕たちを呼ぶように。
僕たちは暗闇へ足を踏み入れた。
“二人目”の死が、すぐそこまで迫っているのを感じながら。
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