雪山の山荘 第4話
カードに書かれていた名前を見た瞬間、空気が止まった。
暖炉の火が小さく揺れ、その影が壁に歪んで伸びる。誰も息をしていないような静寂が、部屋を満たした。
「……嘘」
震えたのは、西園寺真琴だった。
彼女の顔から血の気が引き、唇がかすかに震えている。
そこに書かれていたのは――西園寺 真琴。
「やめてよ……冗談でしょ?」
声はか細く、今にも消えそうだった。
だが誰も答えない。冗談で済む空気じゃない。
暖炉の火がぱちりと弾け、その音だけが異様に響いた。
「ふざけんなよ!」
黒崎がカードを奪い取る。
その動きは荒く、手が震えているのが分かった。
「こんなの誰でも置けるだろ」
「でも、“いつ”置いたの?」
藤堂が静かに言う。
その声は冷静に聞こえるが、目の奥には明らかな動揺があった。
「全員ここにいたはずだ」
またその言葉。
全員の神経を逆撫でする、最も聞きたくない指摘。
「……俺は知らない」
俺は言う。
自分の声が、少しだけ上ずっているのが分かった。
「気づいたらあった」
「私もよ!」
西園寺が叫ぶ。
涙が滲み、肩が震えている。
「こんなの知らない!」
御影だけが黙ってカードを見ていた。
その横顔は、まるで他人事のように静かだった。
「順番、ね」
その呟きは、暖炉の火よりも冷たかった。
「他人事みたいに言うなよ」
黒崎が睨む。
怒りよりも、恐怖が混じった声だった。
「だって、そうでしょう?」
御影は淡々と返す。
「これは“ルール”に従ってる」
「ルール?」
「三年前の“あの順番”」
沈黙。
誰も否定しない。
否定できない。
「……私が次ってこと?」
西園寺の声がかすれる。
その目は、助けを求めるように揺れていた。
「可能性は高い」
黒崎が言う。
「少なくとも犯人はそう“見せたい”」
「じゃあ守ればいいでしょ! 私を一人にしなければいい!」
それは正しい。
シンプルで、合理的な対策だった。
だが、その声には必死さが滲んでいた。
「いいだろう」
俺は頷く。
「今から全員で行動する。単独行動は禁止だ」
「トイレもか?」
藤堂が現実的に言う。
岸本はいない。その事実が、胸に重くのしかかる。
「交代で見張るしかないな」
「……そこまでしなきゃいけないの?」
「死にたくなければな」
西園寺は唇を噛んで頷いた。
その肩は小刻みに震えている。
そのとき、御影がぽつりと呟いた。
「でも、それで防げるのかしら」
「どういう意味だ」
黒崎が睨む。
「だって最初の死体、“来てなかった人”よ?」
その一言で、全員の背筋が冷えた。
暖炉の火が揺れ、影が不気味に伸びる。
「……つまり」
「“ここにいるかどうか”は、関係ないかもしれない」
誰も返せなかった。
返せる言葉がなかった。
結局、西園寺を中心にした監視体制を取ることになった。
リビングに全員集まり、暖炉の前から動かない。
外は吹雪。窓を叩く風の音が、妙に遠く聞こえる。
「これで安全よね……?」
西園寺が何度も確認する。
その声は、祈るように弱かった。
「ああ」
黒崎が短く答える。
「少なくとも“今すぐ”はな」
時間がゆっくり過ぎる。
時計の針の音だけがやけに大きい。
誰も話さず、ただ不安だけが膨らんでいく。
「……なあ」
俺は言う。
「相馬の密室、まだ解けてない」
「今それ言う?」
藤堂が眉をひそめる。
「重要だ。あれが解けない限り、“どうやって殺したか”がわからない」
「確かに」
黒崎が頷く。
「そして方法がわからない以上、防ぎようもない」
西園寺の顔がさらに青ざめる。
肩が震え、指先が膝の上でぎゅっと握られていた。
「条件を整理しよう」
黒崎が言う。
「相馬は首吊り。部屋は内側から施錠。窓も閉鎖。完全な密室」
「でも本人は“来ていないはず”だった」
藤堂が補足する。
「つまり犯人は、“相馬をここに運び”“密室を作った”」
「時間は?」
俺が問う。
「少なくとも夕食前」
藤堂が答える。
「死後硬直から見てな」
「じゃあ、俺たちが来る前に?」
「その可能性が高い」
沈黙。
暖炉の火がまた小さく弾ける。
「……それ、もう無理ゲーじゃない?」
西園寺が震える声で言う。
「外部犯か?」
藤堂。
「いや」
黒崎が首を振る。
「それだと“今の状況”と噛み合わない」
「クローズドサークル、か」
「そうだ。犯人はこの中にいる前提で考えるべきだ」
「でも時間が合わない」
俺が言う。
「だからトリックがある」
黒崎は即答する。
「時間か、認識か、あるいはその両方」
御影がくすりと笑った。
「さすがね」
「何がだ」
「ちゃんと“ゲーム”を理解してる」
「ゲームじゃない。殺人だ」
「同じことよ」
その言い方に、誰も反論できなかった。
その無感情な声が、逆に恐怖を煽る。
それは、ほんの一瞬だった。
「……あれ?」
西園寺が顔を上げる。
その表情は、子どものように不安げだった。
「トイレ、行きたい……」
空気が固まる。
「我慢できるか?」
俺は聞く。
「無理……」
沈黙。
完全監視はここで破綻する。
「行こう」
俺は立ち上がる。
「全員で移動する」
「そこまでするのか?」
藤堂。
「するしかないだろ」
結局、全員で廊下へ出た。
西園寺を中心に囲む形で移動する。
廊下は冷え、窓の外では吹雪が唸っていた。
トイレの前に着く。
「……さすがに中までは無理よね」
西園寺が言う。
「ああ」
黒崎が頷く。
「だがドアの前で待つ。すぐ出ろ」
「うん……」
西園寺が中に入る。
鍵の音が、やけに大きく響いた。
沈黙。
数十秒。
その時間が、異様に長く感じられた。
「……おい」
藤堂が言う。
「遅くないか」
「まだだろ」
そのとき――
ドンッ!
中から鈍い音。
「西園寺!」
俺はドアを叩く。
「開けろ!」
返事がない。
「くそっ!」
黒崎がドアノブを回す。
鍵がかかっている。
「壊すぞ!」
体当たり。一度、二度。
三度目でドアが破れた。中に飛び込む。
そして――全員が凍りついた。
西園寺が、床に倒れていた。
首元に、深く突き刺さった細い金属片。
血が、白いタイルに広がり、赤い花のように滲んでいく。
「……三人目、か」
御影が呟く。
その声は、まるで天気の話でもしているかのように平坦だった。
誰も動けない。
密室だった。完全に。
俺たちはずっと外にいた。
それなのに。
「……どうやって」
藤堂が震える声で言う。
答えられる者はいない。
だが、ただ一人――黒崎だけが、西園寺の手元を見ていた。
「……違うな」
「何がだ」
「これは“今”殺されたんじゃない」
全員が彼を見る。
黒崎はゆっくり言った。
「“すでに殺されていた”可能性がある」
その言葉が意味するものを理解したとき、全員の背筋に同時に寒気が走った。
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