雪山の山荘 第3話
リビングに飛び込んだ瞬間、違和感に気づいた。
暖炉の火が――弱い。
さっきまで赤々と燃えていた炎が、今は細く、頼りなく揺れている。炎の影が壁に薄く伸び、部屋全体が、わずかに冷えていた。まるで、ここだけ時間が巻き戻ったような、そんな不自然な寒さだった。
「……誰か、薪を――」
そこまで言いかけて、俺は言葉を失った。
床に、人が倒れている。
「……嘘でしょ」
西園寺の声が震える。
その震えは寒さではなく、恐怖が喉を締めつけているせいだと分かった。
倒れていたのは――岸本 悠人だった。
顔は横向きで、目は半ば開いたまま。暖炉の弱い光がその瞳に反射し、どこか虚ろに見えた。
「おい! 岸本!」
駆け寄り、体を揺らす。反応はない。
肩越しに触れた床板が、妙に冷たかった。
口元に手を当てる。呼吸が――ない。
「……死んでる」
誰かが呟いた。
その声は、暖炉の火よりも冷たく、部屋の空気をさらに凍らせた。
背後で何かが崩れ落ちる音がした。
振り返ると、御影が壁にもたれかかっていた。表情は読めない。だが、その目だけが異様に静かだった。
「……二人目、ね」
その声は妙に落ち着いていた。まるで、予想していたかのように。
黒崎がしゃがみ込み、岸本の体を調べる。
指先が慎重に動き、眉がわずかに寄る。
「外傷はない……」
「毒か?」
藤堂が言う。声がかすかに震えていた。
「可能性は高いな」
テーブルを見る。ワイングラスが並び、そのうち一つが倒れていた。
赤いワインが木目に暗い染みを作り、まるで血のように見えた。
「……これか」
黒崎がグラスを持ち上げる。
底に残った液体が、ゆらりと揺れた。
「岸本は、さっきまでここにいた」
「一人で?」
「いや……」
全員の顔が歪む。
誰もが、言葉にしない“可能性”を理解していた。
「誰かと一緒だったはずだ」
つまり――
「また、この中に犯人がいるってこと?」
西園寺の声がひび割れる。
その目は、誰を見るでもなく、ただ怯えに揺れていた。
「……違う可能性もある」
藤堂が言った。
だが、その声にも自信はなかった。
「毒が“あらかじめ”仕込まれていた場合だ」
「は?」
「夕食の時点で、すでにグラスに毒が入っていた。岸本がそれを飲んだだけなら――犯行は“今この瞬間”じゃなくても成立する」
沈黙。
暖炉の火がぱちりと弾ける。その音が、やけに大きく聞こえた。
「……じゃあ」
俺は言った。
「相馬が死んだ時間とも、繋がるな」
「そうだな」
黒崎が頷く。
「二つの事件が、“同じタイミングで仕込まれていた”可能性」
その言葉に、全員がさらに寒気を覚えた。
背筋を氷の指でなぞられたような感覚。
――いつからだ?
このゲームは、いつから始まっていた?
「……いや、待て」
俺は立ち上がる。
自分の声が、少し震えているのが分かった。
「岸本が毒を飲んだとしても――どうして“今”死んだ?」
全員の視線が集まる。
その視線の重さが、胸にのしかかる。
「時間差、ってことか?」
「それにしてもタイミングが良すぎる」
さっきの音。
あれは確かに、“今この瞬間”に起きたものだった。
「……演出、ね」
御影が呟く。
その声は、どこか楽しんでいるようにも聞こえた。
「誰かが、タイミングを合わせた」
「どうやってだよ」
「簡単よ」
御影は暖炉を指さした。
「火を弱めればいい」
「……は?」
「部屋が冷えれば、人の体は変化する。毒の作用も微妙に変わる可能性がある」
「そんなので時間を操作できるのか?」
「完全には無理でも、“ズラす”ことはできるかもね」
理屈は分かる。
だが、そんなことを思いつく人間が、この中にいるという事実が恐ろしかった。
「それよりも」
黒崎が言う。
「問題は“音”だ」
「音?」
「さっきの、あの音だ」
全員が思い出す。
あの、はっきりとした衝撃音。
「死ぬだけで、あんな音が出るか?」
「……出ないな」
「じゃあ、誰かが“何かをした”ってことだ」
「でも、私たち全員ここにいたじゃない」
西園寺が言う。
その声は、必死に“正常”を求めているようだった。
「……本当に?」
黒崎の一言で空気が止まる。
「え……?」
「全員、“同時に”ここにいたと証明できるか?」
誰も答えられない。
ほんの数分。ほんの一瞬。
その間に、誰かが動いていたとしても――
「……アリバイは、崩れてる」
その言葉は、決定的だった。
部屋の空気が、さらに重く沈む。
「……ねえ」
西園寺が小さく言う。
その声は、泣き出す寸前のように震えていた。
「これ、やっぱり“順番”があるんじゃない?」
全員が彼女を見る。
「壁の“一人目”」
「そして今、“二人目”」
「じゃあ次は――」
誰も続けない。
喉が乾き、呼吸が浅くなる。
「……順番なんて、どうやって決めるんだよ」
岸本はいない。
その事実が、じわじわと実感を伴ってくる。
「共通点」
黒崎が言う。
「さっきの話だ。三年前の事件。関わり方の“順番”」
全員の顔に恐怖が浮かぶ。
あの夜の記憶が、胸の奥でざわつく。
「……やめろ」
藤堂が低く言う。
「それ以上は――」
「言えよ」
俺は黒崎を見る。
自分でも驚くほど、声が荒かった。
「何を知ってる」
黒崎は、少しだけ笑った。
その笑みは、どこか諦めにも似ていた。
「別に大したことじゃない。ただ――」
「“最初に嘘をついた人間”が、最初に死ぬ」
空気が凍る。
心臓が一拍、遅れたように感じた。
「次に、“見て見ぬふりをした人間”」
「その次が――」
「やめろ!!」
西園寺が叫ぶ。
涙がこぼれ、頬を伝う。
「そんなの……全部、私たちじゃない……」
誰も否定できない。
その沈黙が、何よりも残酷だった。
そのとき――
コツンと小さな音。
全員が振り向く。
テーブルの上。
いつの間にか置かれていた、一枚のカード。
そこには、こう書かれていた。
「次は、君だ」
そして、その下には――一人の名前。
それを見た瞬間、その人物は、顔を真っ青にした。
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