ガラスの亡霊 第10話
玲奈の言葉が、案内所の薄暗い空気に沈んでいった。
「三崎透が来たから、影が動いた」
その一言が、透の胸に深く突き刺さる。
(……俺が来たから? 影が動いた? じゃあ、俺は……)
透は頭を振った。
「そんなはずはない。俺はただ……取材で来ただけだ」
朔也が低い声で言った。
「三崎さん。あなたは“呼ばれた”んだ。影に。この町に。そして――罪に」
透は息を呑んだ。
(呼ばれた……? 俺が……?)
玲奈が震える声で続けた。
「古賀さんは……“影は三崎透を探している”って言ってたんです」
透は凍りついた。
(……影が俺を探している? なぜ……?)
そのとき――案内所の窓が“コン”と鳴った。
透は反射的に振り返った。
霧が窓に張りつき、ゆっくりと形を変えていく。
そして――霧の中に、影が浮かび上がった。
今度の影は、透の姿でも、自殺した男の姿でもない。
影は――古賀町長の姿をしていた。
玲奈が息を呑んだ。
「……お父さん……?」
影は動かない。ただ、透を見ている。
透は震える声で言った。
「……なぜ、俺を見る」
影はゆっくりと首を傾け、透の耳元で囁いた。
――お前は、知っているはずだ。“あの日”のことを。
透は凍りついた。
(……あの日? 何のことだ?)
影は続けた。
――お前は、あの男を追い詰めた。だが……“その前に”何があった?
透の胸が強く脈打つ。
(その前……? 俺は……何を……)
影は霧に溶けて消えた。
玲奈が透に駆け寄る。
「三崎さん! 今の影……何を言ってたんですか!」
透は震える声で言った。
「……“その前に何があった”と……俺は……何かを忘れているらしい」
朔也が険しい表情で言った。
「三崎さん。あなたの記憶に“空白”があるんじゃないですか」
透は目を閉じた。
(空白……確かに、あの事件の前後の記憶が曖昧だ。俺は……何を見落としている?)
そのとき――透のスマートフォンが震えた。
画面には、“非通知”の文字。
透は通話ボタンを押した。
「……三崎です」
返ってきたのは、聞き覚えのある声だった。
『……あなたは、まだ思い出していないんですね』
透は凍りついた。
(……この声……自殺した男の妻……?)
『夫は、あなたに追い詰められたんじゃありません。“誰かに仕向けられた”んです』
透の手が震えた。
「……誰に?」
『この町の人間です。夫は、この町の“罪”を知ってしまった。だから……殺されたんです』
透は息を呑んだ。
(……この町の罪? あの男は……何を知った?)
電話の向こうの声が続けた。
『あなたは利用されたんです。夫を追い詰めるために。影を呼ぶために。そして――“次の罪人”にするために』
透は立ち上がった。
「やめろ……そんなはずは……」
『あなたは、影に選ばれたんです。この町の罪を暴くために。そして――あなた自身の罪を思い出すために』
通話は切れた。
透は震える声で呟いた。
「……俺は……利用された……?」
朔也が言った。
「三崎さん。あなたは、この町の“何か”に巻き込まれている。影は……あなたに真実を見せようとしている」
玲奈が透の手を握った。
「三崎さん……あなたは悪くない。でも……“本当の罪”を知らないままでは、影は離れません」
透は悟った。
俺は、あの事件の“全て”を知らない。そして――この町の罪も知らない。影は、それを暴こうとしている。
霧が窓を揺らし、遠くでガラス片が“カラン”と鳴った。
それはまるで、亡霊が“真相編”の幕を開けろと促しているようだった。
古賀家の倉庫を出たあと、透はしばらく歩けなかった。
霧が足元にまとわりつき、まるで町そのものが透を引き止めているようだった。
(……俺は、呼ばれた? 影に?この町に? それとも――罪に?)
胸の奥で、何かがゆっくりと軋むように動く。
玲奈が透の腕を支えた。
「三崎さん……大丈夫ですか」
透はかすかに頷いた。
「……大丈夫じゃない。でも、進まなきゃいけない気がする」
朔也が険しい表情で言った。
「三崎さん。古賀町長が行方不明になった以上、この町はもう限界だ。“影の噂”はただの迷信じゃない。何かが本当に動いている」
透は息を呑んだ。
(……影は、町長の姿をしていた。あれは“警告”だったのか? それとも――)
そのとき、玲奈が震える声で言った。
「……お兄ちゃん。三崎さんに、話すべきじゃない?」
朔也は目を伏せた。
「……まだ早い」
「でも……影が動いてるんだよ? もう隠しておけないよ……」
透は二人を見た。
「……何を隠しているんだ」
朔也はしばらく黙り、やがて重い口を開いた。
「三崎さん。この町には……“影の事件”が過去にもあったんです」
透は息を呑んだ。
「……過去にも?」
朔也は頷いた。
「二十年前。この町で、連続失踪事件が起きた。誰も犯人を見ていない。ただ――失踪した人間は全員、“影を見た”と言っていた」
透の背筋が冷たくなった。
(……影は、昔からいた? じゃあ、俺が来る前から……)
玲奈が続けた。
「その事件の最後の被害者が……古賀町長のお兄さんだったんです」
透は凍りついた。
(……町長の兄? じゃあ、古賀家は――)
朔也は低い声で言った。
「古賀家は、影の事件の“中心”にいた。だからこそ、町長は影を恐れていた。そして――三崎さんが来たとき、影が再び動き出した」
透は震える声で言った。
「……俺が来たから?」
玲奈は首を振った。
「違う。三崎さんが“持ってきた”んです。影を。罪を。そして――真実を」
透は息を呑んだ。
(……俺が持ってきた? 影を?どういうことだ)
そのとき――案内所の外で、ガラス片が“カラン”と鳴った。
透は反射的に振り返った。
霧の中に、影が立っていた。
だが、今度の影は透の姿でも、町長の姿でもない。
影は――二十年前に失踪した“古賀町長の兄”の姿をしていた。
玲奈が悲鳴を上げた。
「……おじさん……?」
影は動かない。
ただ、透を見ている。
透は震える声で言った。
「……なぜ俺を見る」
影はゆっくりと近づき、透の耳元で囁いた。
――お前は、あの日、ここにいた。
透は凍りついた。
(……あの日? 俺が……ここに? そんなはずは……)
影は続けた。
――思い出せ。お前は“見ていた”。罪が生まれた瞬間を。
霧が爆ぜ、影は消えた。
透は膝をついた。
(……俺は……この町に来たのは初めてじゃない? そんな……そんなはずは……)
朔也が透の肩を掴んだ。
「三崎さん! 何を見た!」
透は震える声で言った。
「……影が……“俺は二十年前、この町にいた”と言った」
玲奈が息を呑んだ。
「そんな……三崎さん、当時は子どもだったはず……」
透は頭を抱えた。
(……記憶が……何かが抜け落ちている……俺は……本当に知らないのか? それとも――忘れているだけなのか?)
霧が揺れ、遠くでガラス片が“カラン”と鳴った。
それはまるで、亡霊が“記憶の扉”を開けと促しているようだった。
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