ガラスの亡霊 第9話
倉庫の空気は、影が消えたあとも重く沈んでいた。
透は封筒と写真を握りしめたまま、しばらく動けなかった。
(……俺は、呼ばれた? この町に? 影に?)
胸の奥で、何かがゆっくりと軋むように動く。
朔也が静かに言った。
「三崎さん。影が“探せ”と言ったんですよね」
透は頷いた。
「……ああ。でも、何を探せと言っているのか分からない」
朔也は倉庫の奥を見つめた。
「この倉庫には、まだ何かある。古賀家は代々、この町の“影の噂”に関わってきた。その証拠がどこかにあるはずだ」
透は倉庫の壁に目を向けた。
古い木の壁。
だが――一箇所だけ、色が違う。
(……ここだけ、塗り直されている?)
透は近づき、壁に手を当てた。
冷たい。
朔也が気づいた。
「そこ……何か隠しているな」
透は壁を押した。
ギィ……と鈍い音がして、壁の一部が“内側へ”沈んだ。
隠し扉だった。
透と朔也は顔を見合わせた。
(……やっぱり、何かある)
扉の奥には、狭い通路が続いていた。
霧が薄く漂い、冷たい空気が流れてくる。
透は一歩踏み出した。
その瞬間――足元で“カラン”と音がした。
ガラス片。
透は息を呑んだ。
(……影が通った跡だ)
朔也が拳銃を構えた。
「行くぞ。何があっても、絶対に走るな」
透は頷き、通路の奥へ進んだ。
通路の先には、小さな部屋があった。
窓はなく、古い机と棚が置かれているだけ。
だが――部屋の中央に、
ガラス片で作られた“巨大な円”があった。
透は息を呑んだ。
(……これは……)
円の中心には、古いノートが置かれていた。
朔也が低く言った。
「……古賀家の先代のものだな」
透はノートを開いた。
そこには、震える文字でこう書かれていた。
『影は罪を映す。罪を抱えた者は、影に“選ばれる”。影は、その者の大切なものを奪う。それが、この町の掟だ。』
透は喉が乾いた。
(……町の掟? 影は、この町が作った?)
ページをめくる。
次のページには、さらに恐ろしい言葉が書かれていた。
『影は人ではない。だが、人の罪が影を形作る。罪が深いほど、影は強くなる。』
透は震えた。
(……罪が影を作る? じゃあ、俺の影は……)
朔也がノートの最後のページを指さした。
「三崎さん……これを見てください」
透は目を凝らした。
そこには、一枚の写真が貼られていた。
古い、白黒の写真。
写っているのは――自殺した男の家族。
透は息を呑んだ。
(……なぜ、ここに?)
写真の裏には、短いメッセージが書かれていた。
『彼は影を見ていた。この町に来る前から。影は、彼の罪を追っていた。そして――次はあなたの番だ。』
透の手が震えた。
(……俺の番? 影は、俺の罪を追っている? それとも――この町の罪が俺を選んだ?)
そのとき――部屋の奥で、霧が揺れた。
透は反射的に振り返った。
霧の中に、影が立っていた。
だが、今までの影とは違う。
透の姿でも、誰かの姿でもない。
影は――“複数の顔”をしていた。
透は凍りついた。
(……これは……)
影はゆっくりと近づき、透の耳元で囁いた。
――まだ終わっていない。お前は、まだ“本当の罪”を知らない。
霧が爆ぜ、影は消えた。
透は膝をついた。
(……本当の罪? 俺は……何を知らない?)
朔也が透の肩を掴んだ。
「三崎さん、しっかりしろ! 影は……あなたに何を見せた!」
透は震える声で言った。
「……影は……俺の罪だけじゃなく……この町の罪も……全部、知っている……」
霧が通路へ流れ、遠くでガラス片が“カラン”と鳴った。
それはまるで、亡霊が“次の章”を開けと促しているようだった。
古賀家の倉庫を出たあと、透はしばらく言葉を失っていた。
霧の冷たさが肌にまとわりつき、影の囁きが耳の奥で反響している。
――まだ終わっていない。お前は、まだ“本当の罪”を知らない。
(……本当の罪? 俺の罪は、あの男を追い詰めたことじゃないのか?)
だが、影は違うと言っている。
透は胸の奥に沈んだ記憶を探った。
だが、そこには“空白”があった。
(……何かを忘れている? 俺は……何を見落としている?)
朔也が隣で歩きながら言った。
「三崎さん。影があなたに“探せ”と言ったのなら……まだ何かあるはずだ」
透は頷いた。
「……あの写真。自殺した男は、この町に来る前から影を見ていた。つまり――」
朔也が言葉を継いだ。
「影は、あなたの罪を追ってきたんじゃない。“事件そのもの”を追ってきた」
透は息を呑んだ。
(……事件そのもの? じゃあ、俺は……)
透は立ち止まり、胸の奥に沈んだ“違和感”を掘り起こした。
(あの男は……本当に犯人だったのか? 俺は……何を見落としていた?)
そのとき――背後で“カラン”と音がした。
透は振り返った。
霧の中に、影が立っていた。
だが、今度の影は透の姿ではなかった。
影は――自殺した男の姿をしていた。
透は凍りついた。
(……なぜ、今……?)
影はゆっくりと近づき、透の目の前で立ち止まった。
そして――透の耳元で囁いた。
――お前は、俺を殺していない。だが……“誰か”が殺した。
透は息を呑んだ。
(……誰か? 誰が……?)
影は続けた。
――お前は、利用されたんだ。この町に。そして……“あの人”に。
透は震えた。
(あの人……? 誰だ? 俺は……誰に利用された?)
影は霧に溶けて消えた。
朔也が駆け寄る。
「三崎さん! 今の影は……誰の姿だった?」
透は震える声で言った。
「……自殺した男だ。あの男が……俺に言ったんだ。“俺は殺されていない。だが、誰かに利用された”って」
朔也は顔をしかめた。
「利用……? 誰に?」
透は答えられなかった。
だが、胸の奥で何かがつながり始めていた。
(……俺は、あの男を追い詰めた。だが、それは“誰かの意図”だった?俺は……誰かの手のひらで踊らされていた?)
そのとき――玲奈が案内所から飛び出してきた。
「三崎さん! お兄ちゃん! 大変……!」
透と朔也は駆け寄った。
「どうした!」
玲奈は震える声で言った。
「……町長の古賀さんが……“影を見た”って……家から飛び出して……行方が分からないの!」
透は息を呑んだ。
(……町長が? 影を?)
玲奈は続けた。
「しかも……古賀さんが最後に残した言葉が……」
透はごくりと唾を飲んだ。
「なんて言ったんだ」
玲奈は震える声で言った。
「“三崎透が来たから、影が動いた”って……」
透は凍りついた。
(……俺が来たから? 影が動いた? じゃあ……俺は……)
朔也が低く言った。
「三崎さん。あなたは、この町の“鍵”なんだ」
透は悟った。
影は、俺を追ってきたんじゃない。俺が“影を呼んだ”んだ。




