表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミステリー短編集  作者: 倉木元貴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/64

ガラスの亡霊 第5話

 町長の妻・古賀美沙子の遺体は、霧の中でまるで“置かれた”ように静かだった。

 胸元には、昨夜と同じ“円に斜線”のマーク。

 その周囲には、ガラス片が円形に散らばっている。


 だが――透はすぐに気づいた。


(……この散らばり方、自然じゃない)


 破片は、まるで“誰かが手で並べた”ように均等だった。

 風で飛ばされた形ではない。

 割れたガラスが偶然こうなることもない。


 朔也が低い声で言った。


「……また、亡霊のマークか」


「亡霊なんて――」


 透は言いかけて、言葉を飲み込んだ。


 霧の奥で、影が揺れた。


 ほんの一瞬。だが、確かに“そこにいた”。


(……まただ)


 透は無意識に後ずさった。

 朔也が鋭い目で透を見た。


「三崎さん。あなた、何か見たんですか」


「……影を」


「影?」


「霧の中に……人の形をした影が」


 朔也は眉をひそめた。


「亡霊を見たと言いたいんですか」


「違う。亡霊なんて……」


 透は言葉を濁した。


(違う……と言い切れない)


 昨夜の工房。

 案内所の倉庫。

 そして今。


 影は、確かに透を“見ていた”。


 朔也は遺体のそばにしゃがみ込み、ガラス片を一つ拾い上げた。


「……これは、工房のガラスじゃない」


「え?」


「色が違う。工房のガラスは青みがかっているが、これは透明だ」


 透は息を呑んだ。


(じゃあ……どこから?)


 朔也は続けた。


「この町には、ガラスを扱う場所がもう一つある。古賀家の倉庫だ」


「町長の家の……?」


「ええ。古賀家は昔、ガラスの原料を保管していた。今は使われていないはずだが……」


 朔也は立ち上がり、透を見た。


「三崎さん。一緒に来てもらいます」


「俺が……?」


「あなたは第一発見者だ。そして――」


 朔也の声が低くなる。


「亡霊の“音”を聞いた人間でもある」


 透は胸が冷たくなった。


(……やっぱり、俺は疑われている)


 だが、否定する気力が湧かなかった。

 影の気配が、まだ背後にまとわりついている。


 霧の奥で、また“カラン”と音がした。

 透は振り返った。

 霧の中に、影が立っていた。動かない。ただ、こちらを見ている。


 朔也が透の肩を掴んだ。


「三崎さん、行きますよ」


 透は影から目を離せなかった。


(……なぜ、俺を見ている)


 影は、透が動くのを待っているようだった。


 まるで――次に“選ばれる”のを楽しんでいるかのように。


 ♢♢♢


 古賀家は町の中心にある古い屋敷だった。

 門は開いており、庭には誰もいない。

 霧が庭木の間を流れ、まるで屋敷全体が息をしているように見える。


 朔也が言った。


「倉庫は裏だ。昔はガラスの原料を保管していた」


 透は無言でついていった。

 だが、倉庫に近づくにつれ、胸がざわつく。


(……嫌な気配がする)


 倉庫の扉は半開きだった。

 朔也が拳銃に手をかける。


「三崎さん、後ろに」


 透は頷き、扉の横に身を寄せた。

 朔也がゆっくりと扉を押し開ける。


 倉庫の中は暗く、古い木箱とガラス瓶が積まれている。


 そして――床に、ガラス片が円形に並べられていた。

 透は息を呑んだ。


(……まただ)


 円の中心には、亡霊のマーク。

 朔也が低く呟いた。


「……誰かがここで“準備”していたんだ」


「準備……?」


「ガラス片を集め、マークを作り、それを現場に運んだ」


 透は震える声で言った。


「じゃあ……亡霊なんていない。全部、人間の仕業だ」


 朔也は首を振った。


「そう言い切れればいいんですがね」


「どういう意味ですか」


 朔也は倉庫の奥を指さした。

 透は目を凝らした。


 そこには――ガラス片が“宙に浮いていた”。


 透は凍りついた。


(……嘘だろ)


 ガラス片は、まるで糸で吊られているように、ゆっくりと揺れている。

 だが、糸はない。

 朔也が拳銃を構えた。


「三崎さん、下がれ!」


 透は後ずさった。

 ガラス片は、ゆっくりと回転しながら――円の形に並び始めた。


 透の喉が乾いた。


(……誰がやっている? どうやって?)


 ガラス片は、まるで“見えない手”に操られているようだった。


 そして、円が完成した瞬間――


 カラン……


 ガラス片が一斉に床へ落ちた。

 透は震える声で言った。


「……亡霊なんて、いないんだろ……?」


 朔也は答えなかった。

 倉庫の奥で、霧がゆっくりと揺れた。


 その霧の中で――影が立っていた。


 透は悟った。


 これはもう、人間の事件ではない。“何か”が、この町を歩いている。

 そしてその“何か”は、確実に透へ近づいている。


 倉庫の奥で揺れる霧は、まるで呼吸をしているかのようだった。

 透は、足が床に縫い付けられたように動けなかった。

 霧の奥に立つ“影”から、目を離せない。

 朔也が拳銃を構え、低く言った。


「三崎さん……絶対に近づくな」


 だが、透は気づいていた。


 ――影は、朔也を見ていない。


 影の“顔”にあたる部分は、まっすぐ透を向いていた。


(……俺を見ている)


 その確信が、背骨を冷たく撫でた。


 影は動かない。

 だが、霧がその輪郭をゆっくりと揺らし、まるで“形を選んでいる”ように見える。


 透は喉が乾き、声が出なかった。


(なんだ……お前は)


 影が、わずかに揺れた。


 その瞬間――倉庫の中のガラス瓶が、一斉に震えた。


 カラン……カラン……カラン……


 乾いた音が、倉庫全体に広がる。まるで、影が歩いているかのように。


 朔也が叫んだ。


「下がれ、三崎さん!」


 だが、透は動けなかった。

 影が、ゆっくりと“前へ”にじり出た。


 霧が押し出されるように広がり、影の輪郭が、ほんの少しだけ濃くなる。


 透は息を呑んだ。


(……近づいている)


 影は、確かに透へ向かっていた。


 だが――足音はない。


 あるのは、ガラス片の触れ合う音だけ。


 カラン……カラン……


 透の心臓が、音に合わせて脈打つ。

 影が、さらに一歩近づいた。


 その瞬間、透の耳元で“誰かの声”が囁いた。


 ――見てる。


 透は反射的に振り返った。

 だが、誰もいない。


 倉庫の中には、透と朔也と、影だけ。


(……今の声は……)


 影が、また一歩近づいた。

 霧が透の足元に触れ、冷たい湿気が皮膚にまとわりつく。


 透は震える声で言った。


「……お前は……誰だ」


 影は答えない。

 だが、霧の奥で“何か”が笑った気がした。


 朔也が叫ぶ。


「三崎さん、伏せろ!」


 その瞬間――影が、透の目の前まで“跳んだ”。


 霧が爆ぜ、倉庫中のガラス瓶が一斉に割れた。


 パリンッ!


 破片が宙を舞い、透の頬をかすめる。

 透は床に倒れ込み、朔也が覆いかぶさるようにして守った。

 霧が渦を巻き、影の輪郭が倉庫の中央で揺れている。


 透は、床に散らばった破片の中で、影の“顔”を見た。


 それは――透自身の顔だった。

 透は息を呑んだ。


(……俺?)


 影は、透と同じ輪郭をしていた。

 だが、目だけが真っ黒で、深い穴のように空洞だった。

 影が、透の顔を覗き込むように傾いた。


 そして――透の耳元で囁いた。


 ――次は、お前だ。


 霧が一気に引き、影は消えた。

 倉庫には、ガラス片の音だけが残った。


 カラン……


 透は震える手で床を掴んだ。


(……俺の顔……影が……俺の顔を……)


 朔也が透の肩を掴んだ。


「三崎さん、しっかりしろ!」


 透は、震える声で言った。


「……亡霊は……俺を知っている……」


 朔也は言葉を失った。


 倉庫の奥で、霧が最後にひと揺れし、完全に消えた。

 透は悟った。


 亡霊は、ただの噂ではない。“俺の過去”を知っている。そして――俺を選んだ。

おもしろかったら評価、ブックマークよろしくお願いします

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ