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ミステリー短編集  作者: 倉木元貴


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ガラスの亡霊 第4話

 鷹野は、案内所の床に横たえられていた。

 玲奈が濡れタオルを額に当て、必死に呼びかけている。


「鷹野さん……聞こえますか? ねえ、しっかりして」


 透は脈を確かめた。弱いが、確かに生きている。


(よかった……)


 そう思った瞬間、鷹野の指がぴくりと動いた。


「……っ……」


 まぶたが震え、ゆっくりと開く。焦点の合わない目が、天井をさまよった。


「鷹野さん! 大丈夫ですか」


 玲奈が身を乗り出す。だが、鷹野は透のほうを見た。


 いや――“透の後ろ”を見ている。

 透は背筋に冷たいものが走った。


「……来る……」


 鷹野の唇が、かすかに動いた。


「来る……来る……来る……」


 その声は、震えていた。恐怖で喉が潰れたような、かすれた声。


「鷹野さん、何が来るんですか」


 透が問いかけると、鷹野はゆっくりと透の胸元を掴んだ。

 指先が氷のように冷たい。


「……見たんだろ……?」


「何を」


「“影”だよ……霧の中の……あれを……」


 透は息を呑んだ。


 鷹野の目は、恐怖で見開かれている。

 その瞳の奥には、昨夜の工房で見た“影”が焼き付いているようだった。


「……あれは……人じゃない……でも……人の形をしてる……形だけ……借りてる……」


 玲奈が震える声で言った。


「鷹野さん、落ち着いて……」


「落ち着けるかよ……!」


 鷹野は叫んだ。

 その声は、案内所の壁に反響して震えた。


「俺は見たんだ……親方の部屋で……ガラスが……勝手に……動いた……!」


 透は凍りついた。


「動いた……?」


「そうだ……! 床の破片が……勝手に……集まって……あのマークを……作ったんだ……!」


 玲奈が息を呑む。

 透の心臓が、強く脈打った。


(……誰かがやったんじゃないのか?)


 そう思いたかった。だが、鷹野の顔は嘘をついているようには見えない。

 鷹野は震える手で、透の胸ぐらを掴んだまま続けた。


「……あれは……“呼んでる”んだ……誰かを……次の誰かを……見たやつを……」


 透の喉が乾いた。


「次……?」


 鷹野は、透の顔をまっすぐ見た。


 いや――“透の背後”を見ている。


「……お前だよ……三崎……お前が……次だ……」


 透は反射的に振り返った。


 案内所の窓。霧が、ガラスに張りつくように揺れている。


 その霧の奥――影が立っていた。


 透は息を呑んだ。

 影は動かない。ただ、こちらを見ている。


 玲奈が叫んだ。


「三崎さん、離れて!」


 透は一歩後ずさった。

 だが、影はゆっくりと――首を傾けた。

 まるで、透を“観察する”ように。


 その瞬間、窓ガラスが小さく震えた。


 カラン……


 ガラス片の音が、耳元で囁くように響いた。

 鷹野が叫ぶ。


「来た……! もう……逃げられねぇ……!」


 玲奈が透の腕を掴んだ。


「三崎さん、ここから離れましょう!」


 透は玲奈に引かれ、案内所の奥へ下がった。

 だが、影は窓の向こうで、じっと立ち続けている。

 霧が濃くなり、影の輪郭がゆっくりと歪んだ。


 透は悟った。


 亡霊は噂ではない。“誰か”が確かに透を見ている。


 そして――その“誰か”は、透がこの町に来た理由すら知っているかのように、深く、静かに、透の心の奥を覗き込んでいた。


 鷹野が救急車で運ばれていったあと、案内所には、しんとした沈黙が落ちていた。


 玲奈は震える手で散らばったガラス片を片付けていたが、透はその手元を見ていられなかった。


(……また、だ)


 ガラス片は、自然に割れた形ではない。

 誰かが意図的に“置いた”形だ。


 だが、誰が。

 どうやって。


 透は窓の外を見た。

 霧は薄くなりつつあるが、まだ町の輪郭を曖昧にしている。


 その霧の奥で――影が歩いているように見えた。


(……気のせいだ)


 そう思おうとした瞬間、耳の奥で、あの音がした。


 カラン……カラン……


 ガラスが触れ合うような、乾いた音。

 昨夜から、ずっと透を追いかけてくる音。


 玲奈が顔を上げた。


「三崎さん……聞こえました?」


「……ああ」


「やっぱり……」


 玲奈は唇を噛んだ。


「“音”を聞いた人は、みんな同じことを言うんです。影が歩く音がするって」


「影が……歩く?」


「ええ。亡霊は、足音を立てないんです。でも、ガラスだけが鳴るんです」


 透は息を呑んだ。


(……ガラスだけが鳴る)


 昨夜の工房。

 今朝の霧の中。

 案内所の倉庫。


 すべてに、ガラス片があった。


 玲奈は続けた。


「亡霊は、姿を見せないんです。でも、音だけは残すんです。“そこにいる”って知らせるみたいに」


 透は窓の外を見つめた。


 霧の奥で、影がゆっくりと揺れている。

 まるで、透の視線に気づいているかのように。


(……俺を見ている)


 その感覚は、もはや錯覚ではなかった。


 案内所を出ると、町の人々がざわついていた。

 昨夜の事件の噂が広まり、誰もが落ち着かない表情をしている。


 だが、透が通りを歩くと――人々の視線が、わずかに避ける。


(……俺を見ているのか、避けているのか)


 どちらともつかない視線。

 だが、その中に“恐れ”が混じっているのは確かだった。


「三崎さん」


 背後から声がした。

 振り返ると、水無瀬朔也が立っていた。


 刑事であり、玲奈の兄。

 その表情は、昨夜よりもさらに険しい。


「鷹野の件、聞きました。あなたが発見したそうですね」


「偶然です。案内所にいたら――」


「偶然が続きすぎている」


 朔也の声は冷たかった。


「あなたは、何かを隠しているんじゃないですか」


 透は言葉を失った。


(……まただ)


 記者時代、透は“疑われる側”に立ったことはなかった。

 だが今は、町全体が透を疑っているように感じる。


 朔也は続けた。


「亡霊の噂を信じるつもりはありません。だが、あなたの周囲でだけ事件が起きている。それは事実です」


「俺は何も――」


「本当に?」


 朔也は透の目をじっと見つめた。


「あなた、昨夜……“音”を聞いたでしょう」


 透は息を呑んだ。


(……なぜ、それを)


 朔也は続けた。


「音を聞いた人間は、みんな同じ末路を辿る。あなたも、例外ではない」


「末路……?」


 朔也は答えず、ただ霧の奥を見つめた。


 その視線の先――影が揺れた。


 透は背筋に冷たいものが走った。

 朔也は低い声で言った。


「三崎さん。この町には“見えない掟”がある。それを破った者は、必ず――」


 そのとき、通りの向こうから悲鳴が上がった。


「きゃあああああああっ!」


 透と朔也は同時に振り返った。

 霧の向こうで、人々が何かを囲んでいる。


 朔也が走り出した。


「第二の事件だ……!」


 透もその後を追った。


 霧が割れ、視界が開けた瞬間――透は息を呑んだ。


 地面に倒れているのは、町長・古賀の妻だった。

 胸元には、またしても“亡霊のマーク”。


 そして――彼女の周囲には、ガラス片が円形に散らばっていた。


 透は悟った。

 亡霊は、もう止まらない。そして次は――俺だ。

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