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ミステリー短編集  作者: 倉木元貴


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ガラスの亡霊 第3話

 玲奈と別れたあと、透は案内所へ向かう道を歩いていた。

 だが、数メートル進むごとに、霧の密度が変わる。

 まるで、透の歩みに合わせて“寄ってくる”ように。


(……おかしい。風もないのに)


 霧はただの自然現象ではない。

 そう思わせるほど、動きに意志がある。


 ふと、耳の奥で微かな音がした。


 ――カラ……ン。


 ガラスが触れ合うような、乾いた音。

 昨夜の工房で聞いた破裂音とは違う。

 もっと小さく、もっと近い。


 透は立ち止まり、周囲を見渡した。


 霧の中に、何かがいる。


 そう確信した瞬間、視界の端で“影”が揺れた。


(……まただ)


 透はゆっくりと振り返った。


 霧の奥に、黒い影が立っている。

 人の形をしているようで、していない。

 輪郭が揺れ、霧と混ざり合い、まるで“そこにいる”ことだけを主張している。


 透は息を呑んだ。


 影は動かない。

 ただ、こちらを見ている。


(……誰だ)


 声を出そうとしたが、喉が固まったように動かない。


 そのとき――カラン。


 足元で、またガラス片が転がった。


 透は反射的に視線を落とした。

 そこには、昨夜の工房で見たものと同じ“円に斜線”のマークが刻まれた破片があった。


(……なんで、ここに)


 拾い上げようと手を伸ばした瞬間、背後で霧がざわりと揺れた。


 透は振り返った。


 影が――消えている。


 霧の中には、何もない。

 ただ、白い空間が広がるだけ。


 だが、透の心臓は激しく脈打っていた。


(……見られている)


 その感覚だけが、確かに残っている。


 透は破片をポケットに押し込み、歩き出した。

 だが、歩くたびに背中に冷たい視線が刺さる。


 まるで、霧そのものが透を追ってくるように。


 ♢♢♢


 案内所に着くと、玲奈が不安そうに迎えた。


「三崎さん……顔色、悪いですよ」


「少し……変なものを見た気がして」


 玲奈は息を呑んだ。


「影、ですか?」


 透は言葉を失った。


「……どうしてわかるんです」


「この町で“音”を聞いた人は、みんな同じことを言うんです。霧の中に影が立っているって」


「それは……亡霊だと?」


 玲奈は首を振った。


「亡霊なんて、私は信じてません。でも……“影”は、本当にいるんです」


 透は椅子に座り、深く息を吐いた。


「玲奈さん。この町で、何が起きているんですか」


 玲奈はしばらく黙っていた。

 窓の外の霧を見つめ、唇を噛みしめる。


 そして、震える声で言った。


「……三崎さん。この町には、“見てはいけないもの”があるんです」


 透の背筋に、冷たいものが走った。


「見てはいけないもの?」


「ええ。見た人は……必ず、何かを失うんです」


「何を?」


 玲奈は答えなかった。

 ただ、窓の外を見つめ続けた。


 その視線の先――霧の向こうで、また影が揺れた。


 透は立ち上がり、窓に近づいた。


 影は、こちらを見ている。


 霧の中で、ゆっくりと形を変えながら。


 透は思わず呟いた。


「……お前は、誰だ」


 その瞬間、影が“こちらへ一歩近づいた”。


 透は息を呑んだ。


 霧が窓に押し寄せ、ガラスが小さく震えた。


 カラン……


 ガラス片の音が、耳元で囁くように響いた。


 玲奈が叫んだ。


「三崎さん、離れて!」


 透ははっとして窓から離れた。

 霧はすぐに薄れ、影も消えた。


 だが、窓の外には――指でなぞったような跡が残っていた。


 円の中に、斜めの線。


 亡霊のマーク。


 透は震える声で言った。


「……これは、誰が」


 玲奈は青ざめた顔で呟いた。


「三崎さん。あなた、もう“見られてます”」


 透は理解した。


 亡霊は噂ではない。誰かが、確かに“こちらを見ている”。


 そしてその“誰か”は、透がこの町に来た瞬間から、ずっと背後にいたのだ。


 玲奈の言葉が、案内所の薄暗い空気に沈んでいった。


「あなた、もう“見られてます”」


 その一言が、透の胸に重くのしかかる。


 窓の外では、霧がゆっくりと流れ、まるで生き物のようにガラスを撫でていた。


 透は深く息を吸い、震える声を押し殺した。


「……亡霊なんて、いるはずがない」


「そう思いたいですよね」


 玲奈はかすかに笑った。

 だが、その笑みはどこか壊れそうだった。


「でも、三崎さん。この町では“見えないもの”のほうが、よく見えるんです」


「どういう意味ですか」


 玲奈は答えず、窓の外を見つめた。

 霧の向こうに、また影が揺れた気がした。


 透は思わず立ち上がり、窓に近づいた。


 影は、ゆっくりと形を変えながら、

 こちらを見ているように見える。


(……まただ)


 透は拳を握りしめた。


「玲奈さん。この町の人たちは、亡霊を本気で信じているんですか」


「信じているというより……“知っている”んです」


「知っている?」


 玲奈は小さく頷いた。


「亡霊は、昔からこの町にいるんです。誰も姿を見たことはないのに、“見られている”って感覚だけが残る」


 透は息を呑んだ。


「……それは、ただの集団心理じゃないんですか」


「そうならよかったんですけどね」


 玲奈は机の引き出しから、古いノートを取り出した。

 表紙は黄ばんでおり、角が擦り切れている。


「これ、昔の工房の記録です。亡くなった親方の……前の代のもの」


 透はノートを開いた。


 そこには、震える文字でこう書かれていた。


『夜、音がした。ガラスが割れる音。見てはいけない。見たら、次は自分だ』


 透の背筋に冷たいものが走った。


「……これ、本物ですか」


「ええ。この記録を書いた人は、翌日、工房で亡くなりました」


 透はノートを閉じた。


(……偶然じゃない)


 昨夜の事件。

 霧の中の影。

 ガラス片。

 そして、この記録。


 すべてが一本の線でつながり始めている。


 そのとき――


 カラン……


 案内所の奥から、ガラスの触れ合う音がした。

 玲奈が息を呑む。


「……また?」


 透はゆっくりと奥へ歩いた。

 薄暗い倉庫の扉が、わずかに開いている。


「誰かいるんですか」


 返事はない。


 透は扉を押し開けた。


 倉庫の中は暗く、古い観光パンフレットや壊れた展示品が積まれている。

 その奥――


 床に、ガラス片が円形に並べられていた。


 透は凍りついた。


(……誰がこんなことを)


 円の中心には、昨夜の工房と同じ“斜線のマーク”が刻まれている。


 玲奈が震える声で言った。


「三崎さん……これ、誰かがあなたに“見せてる”んです」


 透はゆっくりと振り返った。


 倉庫の入口――

 霧が流れ込み、白い煙のように揺れている。


 その霧の中で、影が立っていた。

 透は息を呑んだ。


 影は動かない。ただ、こちらを見ている。

 玲奈が叫んだ。


「三崎さん、下がって!」


 透は後ずさった。

 だが、影は一歩も動かない。


 ただ――影の“輪郭”だけが、ゆっくりと揺れていた。

 まるで、ガラス越しに見ているように。


 透は震える声で言った。


「……お前は、誰だ」


 影は答えない。

 だが、霧がざわりと揺れた。


 その瞬間、倉庫の奥で何かが倒れる音がした。


 透は反射的に振り返った。


 古い棚が倒れ、その下から――人の手が、のぞいていた。


 玲奈が悲鳴を上げた。

 透は駆け寄り、棚を持ち上げた。

 そこには、血の気のない顔で倒れている男がいた。


 鷹野修司だった。


 透は叫んだ。


「鷹野さん! しっかり!」


 だが、鷹野は目を開けない。


 その胸元には――またしても、ガラス片で作られた“亡霊のマーク”が置かれていた。


 透は悟った。


 第二の事件が始まった。亡霊は、もう動き出している。


 そして――その視線は、確実に透へ向けられている。

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