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ミステリー短編集  作者: 倉木元貴


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ガラスの亡霊 第2話

 警察の現場検証は、夜明け近くまで続いた。

 工房の外には規制線が張られ、海霧の中に黄色いテープが揺れている。

 透は事情聴取を終え、工房の前で冷たい空気を吸い込んだ。


「……疲れた」


 玲奈が隣に立ち、肩を落としていた。

 彼女の頬はまだ青ざめている。


「三崎さん、巻き込んでしまって……ごめんなさい」


「いや、俺はただ……偶然いただけです」


「偶然、ですか」


 玲奈はどこか含みのある声で言った。


「この町で“偶然”って言葉、あまり使わないほうがいいですよ。みんな、何かと結びつけたがるから」


「亡霊の噂、ですか」


 玲奈は小さく頷いた。


「……信じてるわけじゃないんです。でも、昔からあるんです。ガラスが割れる音がしたら、誰かが死ぬって」


 透は返す言葉を失った。

 迷信だと笑い飛ばすには、あまりにも現実が重すぎる。


 そのとき、背後から足音が近づいた。


「三崎透さん」


 振り返ると、水無瀬朔也が立っていた。

 玲奈の兄であり、刑事。

 その表情は、夜明けの薄光の中でも冷たかった。


「あなたの話は聞きました。ただし――」


 朔也は透の目をまっすぐに見据えた。


「あなたが“偶然”この事件に居合わせたという点については、まだ判断しかねています」


「……どういう意味ですか」


「あなたは元記者でしょう。過去に取材対象を追い詰めた件、こちらでも確認しています」


 透の胸が、ひやりと凍りついた。

 玲奈が慌てて兄の腕を掴む。


「お兄ちゃん、やめて。三崎さんは関係ないよ」


「玲奈、黙っていろ」


 朔也の声は鋭かった。


「町に来た翌日に密室殺人に遭遇する。偶然にしては出来すぎている」


 透は拳を握った。


「俺は……ただ、悲鳴を聞いて駆けつけただけです」


「ええ。今のところは、そういうことにしておきます」


 朔也は背を向け、警察車両へ歩き出した。

 玲奈は申し訳なさそうに透を見上げる。


「ごめんなさい……お兄ちゃん、町を守ることに必死で……」


「気にしないでください。俺のほうこそ、余計な疑いをかけられて……」


 言いかけて、透は口を閉じた。


 ――疑われる理由は、ある。


 自分でも、そう思ってしまったからだ。

 玲奈は小さく息を吸い、言った。


「……三崎さん。この町、しばらく落ち着かないと思います。もし怖かったら、案内所に来てください。話くらいなら、聞けますから」


 その言葉は、海霧の中でかすかに温かかった。

 透は軽く頷き、民宿へ戻ろうと歩き出した。


 だが、工房の前を通り過ぎるとき、ふと足が止まった。


 床に散らばったガラス片。

 胸に刻まれた奇妙なマーク。

 密室。


 そして――部屋の中央にだけ集まった破片。


(……あれは、自然じゃない)


 透の記者としての勘が、静かに告げていた。


 この事件は、誰かが“演出”している。


 海霧が濃くなり、視界が白く霞む。

 その中で、透は確かに見た気がした。


 工房の奥、暗闇の向こうに――人影のようなものが、ゆっくりと揺れた。


 透は目を凝らした。

 だが、次の瞬間には霧が流れ込み、影は消えていた。


(……気のせいか)


 そう思おうとした。

 だが、胸の奥に残ったざわつきは消えない。


 民宿へ戻る道すがら、透は何度も振り返った。

 海霧の向こうから、誰かが見ているような気がしてならなかった。


 硝子の亡霊。それは噂ではなく、誰かの意志だ。


 透はまだ知らない。

 この夜が、彼自身の過去を引きずり出し、町の秘密を暴き、そして――


 彼の人生を変える始まりになることを。


 朝になっても、海霧は晴れなかった。

 民宿の窓を開けると、白い靄がゆっくりと流れ込み、部屋の空気をひんやりと濡らしていく。


 透は、眠れないまま夜を越した。

 工房で見た光景が、まぶたの裏にこびりついて離れない。


 ――ガラス片が、中央にだけ集まっていた。


 あれは偶然ではない。

 だが、誰が、何のために。


(……考えるな。まだ何もわかっていない)


 そう言い聞かせても、胸のざわつきは収まらなかった。


 階下に降りると、民宿の女将が朝食を並べていた。

 だが、透を見るなり、わずかに表情を曇らせる。


「……昨夜は、大変でしたね」


「ええ。騒がせてしまってすみません」


「いえ……ただ、その……」


 女将は言い淀み、視線を窓の外へ向けた。


「工房で亡くなったのは、古賀さんのところの職人さんでしょう。あの人、最近……“音”を聞くって言ってたから」


「音?」


「ガラスの割れる音ですよ。夜中に、誰もいないはずの工房から聞こえるって」


 透は息を呑んだ。


「それは……亡霊の噂と関係が?」


 女将は答えず、ただ静かに首を振った。

 その仕草は、否定ではなく“触れたくない”という拒絶に近い。


 透は食事を終え、外へ出た。

 霧はさらに濃くなり、町の輪郭を飲み込んでいる。


 歩き出してすぐ、背後で足音がした。


 コツ、コツ、コツ。


 透は振り返った。

 だが、誰もいない。


 霧の向こうには、ただ白い空間が広がるだけだ。


(気のせいだ……)


 そう思おうとした瞬間、足元で“カラン”と小さな音がした。


 見ると、靴の先にガラス片が転がっていた。


 昨夜の工房の破片とは違う。

 もっと古く、角が丸くなっている。

 まるで、長い時間をかけて海風に削られたような。


 透はしゃがみ込み、破片を拾い上げた。


 そのとき――


 背後で、誰かが囁いた。


「……見てる」


 透は反射的に振り返った。


 だが、霧しかない。

 人影も、足音も、何も。


 ただ、霧の奥で“何か”が動いた気配だけが残っていた。


(……この町、やっぱりおかしい)


 透は破片をポケットに入れ、歩き出した。

 だが、数歩進むごとに、背中に視線を感じる。


 振り返っても、誰もいない。

 それでも、確かに“見られている”。


 霧の中に潜む、形のない何かに。


 そのとき、前方から人影が現れた。

 霧の中からゆっくりと浮かび上がるように。


「三崎さん……?」


 玲奈だった。

 だが、その顔色は昨夜よりもさらに悪い。


「大丈夫ですか? なんだか……怖い顔してます」


「いや……少し、寝不足で」


「……そうですか」


 玲奈は透の顔をじっと見つめた。

 その瞳の奥に、言葉にできない不安が揺れている。


「……三崎さん。この町に来て、後悔してませんか?」


「どうしてそんなことを」


「だって……」


 玲奈は小さく震えた声で続けた。


「この町、外から来た人を……歓迎しないから」


 その言葉は、霧よりも冷たく透の胸に落ちた。

 玲奈は続けた。


「亡霊の噂、ただの迷信じゃないんです。“音”を聞いた人は……みんな、何かに追われるようになる」


「追われる?」


「ええ。見えない何かに、ずっと見られているような……そんな気がして、眠れなくなるんです」


 透は息を呑んだ。

 まさに、今の自分だ。


 玲奈は霧の向こうを見つめ、囁くように言った。


「三崎さん。もし昨夜、あの工房で“音”を聞いたなら……」


 透の心臓が強く脈打つ。


「……あなたも、もう逃げられません」


 霧が風に揺れ、玲奈の髪がふわりと浮いた。

 その背後――霧の奥で、また“影”が揺れた。


 透は思わず一歩後ずさった。


 霧の中の影は、ゆっくりと形を変えながら、こちらを見ているように見えた。


 硝子の亡霊。それは噂ではなく、町そのものの“目”だ。


 透は、まだその意味を知らない。

 だが、確かに感じていた。


 この町は、生きている。そして、俺を見ている。

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