放課後、死体を見つけた 最終話
佐伯がいなくなって三日目。
学校は、表向きはいつも通りだった。
チャイムは鳴り、授業は進み、廊下には笑い声が響く。
でも、そのどれもがどこか薄く、膜越しに聞こえているようだった。
教室の空気は湿っていた。
窓から差し込む光は弱々しく、黒板の文字すらどこか滲んで見える。
誰もその理由を言葉にしなかったが、全員が気づいていた。
——何かが、確実に狂い始めている。
僕ら三人は、互いに目を合わせることすら避けていた。
山科は落ち着きなく指を鳴らし続け、中原は、授業中もずっと窓の外を見ていた。
まるで、そこに“何か”が立っているのを確認し続けているように。
先生は、いつも通りの顔で授業をしていた。
黒板に字を書き、質問に答え、笑い、注意し、そのどれもが“普通の先生”のままだった。
ただ、時々、僕らの方を見る。
ほんの一瞬。
その視線が、皮膚の下に針のように刺さる。
その一瞬の視線だけで、背中に冷たい汗が流れた。
♢♢♢
放課後、僕は帰り支度をしていた。
山科と中原は、今日は一緒に帰らないと言った。
理由は言わなかったが、分かっていた。
——誰かが、限界に近い。
鞄を肩にかけ、廊下に出た瞬間だった。
「少し、話せるかな」
先生が立っていた。
僕を待っていたように。
その姿は、廊下の蛍光灯の下で妙に影が濃く、顔の輪郭がいつもより鋭く見えた。
逃げられなかった。
僕はうなずき、先生の後をついていった。
連れて行かれたのは、人気のない資料室だった。
薄暗く、古い紙の匂いがする。
棚には使われなくなった教材や古い書類が積まれ、部屋全体が時間から取り残されたような空気をまとっていた。
先生は扉を閉め、鍵をかけた。
その音が、やけに大きく響いた。
「……佐伯くんのこと、心配だね」
僕は喉が乾いて、声が出なかった。
唾を飲み込む音すら、資料室の静けさに吸い込まれていく。
先生はゆっくりと僕の方へ歩いてきた。
表情は優しい。
でも、その優しさが、どこか壊れているように見えた。
「君たち、倉庫で何を見た?」
心臓が跳ねた。
逃げ場がない。
資料室の壁が、じわじわと近づいてくるような錯覚に襲われた。
「……何も、見てません」
自分でも驚くほど弱い声だった。
声が震え、喉の奥でひっかかった。
先生は微笑んだ。
その笑顔が、昨日の街灯の下で見たものと同じだった。
「嘘はね、形になるんだよ。隠そうとすればするほど、輪郭がはっきりしてくる」
先生は僕の肩に手を置いた。
その手は、驚くほど冷たかった。
まるで、血の気が通っていないみたいに。
「倉庫にあった“金”のこと……話してごらん」
僕は息を呑んだ。
先生は、もうほとんど確信している。
「……どうして、金のことを……」
言いかけた瞬間、先生の目が細くなった。
「やっぱり、あったんだね」
しまった。
言葉が罠だった。
鎌をかけられた。
先生は、僕の反応を楽しむように続けた。
「倉庫に隠してあった金はね……学校のものなんだよ。それを持ち逃げしようとした人間がいてね。でも、うまくいかなかった」
先生の声は淡々としていた。
怒りも焦りもない。
ただ、事実を述べるだけの声。
「僕は、その金を取り戻すために動いていた。でも……誰かが先に持っていってしまった」
僕の背中に冷たい汗が流れた。
「君たちだよね?」
その瞬間、資料室の空気が凍りついた。
蛍光灯の光が、急に冷たく感じられた。
「……佐伯くんはね、話そうとしていたよ」
先生の声は静かだった。
その静けさが、逆に恐ろしかった。
「だから、止めた」
僕の喉がひゅっと鳴った。
呼吸が浅くなる。
視界の端がじわじわと暗くなっていく。
佐伯は——先生に“止められた”。
「君たちも、同じ道を選ぶのかな?」
先生は一歩近づいた。
僕は後ずさりし、棚に背中をぶつけた。
古い紙の束が揺れ、埃が舞い上がる。
逃げられない。
「金を返せば……助けてあげられるかもしれないよ」
その声は優しい。
優しいのに、底が見えない。
深い井戸の底から響いてくるような声だった。
僕は震える手で、ポケットに触れた。
札束の感触が、指先に伝わる。
その瞬間、倉庫の死体の顔が、佐伯の怯えた目が、先生の笑顔が、全部一気に押し寄せてきた。
「……返します」
自分でも驚くほどはっきりした声だった。
その声は、どこか他人のもののように聞こえた。
先生は満足そうに微笑んだ。
「そう。じゃあ——倉庫に来なさい」
その言い方が、まるで“最初から決まっていた”ように聞こえた。
♢♢♢
倉庫の前に立つと、夕暮れの光が赤く差し込んでいた。
空は茜色に染まり、校舎の影が長く伸びている。
風が吹くたび、倉庫の扉がわずかに揺れ、その隙間から冷たい空気が漏れ出していた。
先生は扉を開け、僕に中へ入るよう促した。
「さあ、金を戻して。全部、元に戻そう」
僕は震える手で札束を取り出した。
その瞬間、倉庫の奥で何かが動いた気がした。
影。
人の形。
——佐伯?
そう思った瞬間、先生が僕の肩を押した。
「大丈夫。君は、何も見ていない」
その言葉が、倉庫の暗闇に吸い込まれた。
僕は気づいた。
先生は、“金を取り戻すためなら、何でもする人間”だ。
死体も。
佐伯も。
そして——僕も。
倉庫の扉が、ゆっくりと閉まる音がした。
暗闇の中で、先生の声だけが響いた。
「さあ……始めようか」
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