放課後、死体を見つけた 第2話
翌日の昼休み、教室の空気はざわついていた。
ざわめきは、まるで教室全体が薄い膜で覆われ、その膜の内側で何かが蠢いているような、不快な湿り気を帯びていた。
誰かが笑う声が聞こえても、その笑いはどこか上ずっていて、教室の空気に馴染まず、浮いて見えた。
誰かがスマホを見せながら言った。
「これ、ニュースになってる。市内の中学校で、予算の一部が紛失したって」
その言葉が空気を切り裂いた。
僕の心臓が、ひとつ跳ねた。
胸の奥で、何かがゆっくりと沈んでいく感覚があった。
胃のあたりが冷たくなり、指先がじんじんと痺れた。
“市内の中学校”。
僕らの学校だ。
「備品購入費が数百万円単位で消えたらしいぞ」
「犯人、まだ捕まってないって」
山科が僕の袖を引いた。
その指先は冷たく、震えていた。
彼の顔色は悪く、唇の端が乾いて白くなっていた。
「……なあ、これって……」
言葉の続きを言わなくても分かった。
僕らが拾った金。
あれが、学校の金だった可能性。
胸の奥が冷たくなる。
昨日の倉庫の匂いが、急に蘇った。
鉄の匂い。
湿った土。
腐りかけた何か。
死体。
金。
倉庫。
そして、先生の視線。
全部が一本の線でつながり始めていた。
その線は、僕らの足元からゆっくりと首元へ巻きついてくる縄のようだった。
♢♢♢
放課後、帰り支度をしていると、教室のドアが静かに開いた。
「君たち、ちょっといいかな」
あの先生だった。
厳しいけれど、生徒からの信頼は厚い。
普段なら、呼ばれても何も思わないはずなのに、今日は足がすくんだ。
先生は、教室のざわめきの中でも異質なほど静かだった。
その静けさが、逆に周囲の音を吸い込んでいくように感じられた。
まるで、先生の周囲だけ空気が別の温度になっているようだった。
「昨日、倉庫の近くで誰か見かけなかったかい?」
柔らかい声。
でも、その目は笑っていない。
黒目の奥に、何かが沈んでいる。
深く、底が見えない。
その目に見つめられると、胸の奥の秘密が勝手に浮かび上がってしまいそうだった。
僕らは一瞬、互いの顔を見た。
その沈黙を、先生は見逃さなかった。
ほんの一瞬、先生の目が細くなった気がした。
「……そう。何かあったら、いつでも言いに来ていいからね」
そう言って、先生は去っていった。
足音が遠ざかるたびに、胸の鼓動が大きくなる。
先生の背中が廊下の角に消えた瞬間、教室の空気が一気に重くなった。
「……絶対、疑ってるよな」
山科が呟く。
僕も同じことを思っていた。
先生の声は柔らかかったのに、
その柔らかさが逆に“逃げ場のなさ”を強調していた。
♢♢♢
その日の帰り道、仲間の一人・佐伯が急に立ち止まった。
夕暮れの光が彼の横顔を照らし、その影が地面に長く伸びていた。
「俺……もう無理だ。先生に言う。全部」
その声は、風に消えそうなほど弱かった。
でも、言葉の端に、限界を越えた人間特有の“ひび割れ”があった。
彼の肩は小刻みに震え、目の下には濃いクマができていた。
「バカかよ!」
山科が怒鳴る。
「言ったら終わりだろ! 俺ら、金持ってんだぞ!」
「でも……でもさ……」
佐伯は震える手で自分の胸を押さえた。
「昨日から、ずっと誰かに見られてる気がするんだよ……。家の前にも……いた気がする……」
僕は息を呑んだ。
それは、僕も感じていたことだった。
昨日、倉庫から戻る途中に見た影。
校門の外で、街灯の下に立っていた先生。
あれは偶然じゃない。
「佐伯、落ち着けよ。まだ何も——」
言いかけた時だった。
後ろから、柔らかい声がした。
「君たち、こんなところでどうしたの?」
振り返ると、先生が立っていた。
夕暮れの光の中で、表情はよく見えない。
ただ、目だけがはっきりと僕らを捉えていた。
その目は、まるで僕らの心臓の鼓動を数えているようだった。
「昨日のこと、まだ気になってるのかな。倉庫のあたりで、何か見たんじゃないかって……」
佐伯の肩がびくりと震えた。
先生は、その反応を見逃さなかった。
ほんの一瞬、先生の口元がわずかに歪んだ気がした。
「……佐伯くん。君、何か隠してるね?」
優しい声。
でも、その優しさは刃物より鋭かった。
声の温度と、目の冷たさが一致していない。
その違和感が、皮膚の下にじわじわと広がる。
佐伯は耐えきれず、走り出した。
先生は追わなかった。
ただ、僕らの方を見て、静かに言った。
「君たちも……気をつけるんだよ。嘘は、いつか必ず形になるから」
その言葉が、背中に貼りつくように残った。
まるで、冷たい手で肩を掴まれたような感覚だった。
♢♢♢
その夜、僕は眠れなかった。
ポケットに入れた札束は、机の奥に押し込んである。
でも、そこにあるだけで、部屋の空気が重くなる。
まるで、部屋全体がゆっくりと沈んでいくような感覚。
スマホが震えた。
山科からのメッセージだった。
《佐伯がいない。家にも帰ってないって》
心臓が跳ねた。
嫌な予感が、喉の奥に張りつく。
《先生、今日の帰りに佐伯のこと……》
そこまで打ちかけて、指が止まった。
言葉にしたら、戻れなくなる気がした。
窓の外を見ると、街灯の下に誰かが立っている気がした。
目を凝らすと、影はゆっくりと動き、暗闇に消えた。
風の音だけが残る。
でも、確かに誰かがいた。
僕の家を見ていた。
——先生だ。
そう思った瞬間、背筋が冷たくなった。
胸の奥がぎゅっと縮み、呼吸が浅くなる。
♢♢♢
翌朝、学校はざわついていた。
佐伯が“行方不明”になったという噂が広がっていた。
先生は、いつも通りの顔で教室に入ってきた。
黒板に日付を書きながら、ふと僕らの方を見て微笑んだ。
「……何かあったら、言いに来ていいんだよ」
その声は優しい。
優しいのに、逃げ場がない。
その優しさが、逆に恐怖を増幅させた。
僕は気づいた。
先生はまだ確信していない。
でも、“金を持っているのは僕らだ”と、ほぼ確信している。
そして——佐伯の“行方不明”は、偶然じゃない。
倉庫で死んだ男と同じように、先生の計画を邪魔した者は、消される。
僕らは、もう逃げられない。
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