鍵のない密室 第1話
冬の終わりの夜だった。
多田太陽は、会社帰りの電車の中でスマートフォンを見ていた。
(大学時代の友人が亡くなりました。葬儀のお知らせです)
グループチャットに、そんなメッセージが流れてきた。
送り主は、三上悠斗。
そして亡くなった人物の名前は――神崎修司。
太陽は思わず声を出した。
「……え?」
電車の揺れが、急に遠く感じられた。
神崎修司。
大学時代、同じサークルだった男だ。
卒業してからはほとんど連絡を取っていなかったが、特別疎遠だったわけでもない。
なぜ、急に。
太陽はすぐにメッセージを打った。
(どういうこと?)
すぐに返信が来た。
(警察は自殺って言ってる)
(は?)
(遺書があったらしい)
太陽の胸の奥に、妙な違和感が生まれた。
神崎修司。
あの男が自殺するだろうか。
大学時代、彼はいつも言っていた。
「俺は絶対に自殺だけはしない」
それが口癖だった。
太陽はチャットを打った。
(いつ?)
(昨日)
(場所は?)
(神崎の家)
太陽は眉をひそめた。
(どういう状況?)
数秒後。三上はこう送ってきた。
(密室だったらしい)
太陽の指が止まった。
三日後。
太陽は神崎の家を訪れていた。
郊外の住宅地。二階建ての古い家。
玄関の前には、見覚えのある三人の顔がいた。
三上悠斗。
森川沙織。
そして、黒田真司。
大学時代、いつも五人でつるんでいた。そのうちの一人が、今はもういない。
三上が太陽に気づいた。
「太陽」
「久しぶり」
重たい空気だった。
森川が小さく言った。
「こんな形で集まるなんてね」
黒田は無言だった。
太陽は聞いた。
「……本当に自殺なのか」
三上は肩をすくめた。
「警察はそう言ってる」
「密室だったんだろ」
「そう」
三上は続けた。
「部屋は内側から鍵がかかってた」
「窓も全部閉まってた」
「遺書もあった」
太陽は唇を噛んだ。
「……遺書?」
森川が小さく頷いた。
「読んだ」
「なんて書いてあった」
森川は少し迷ったあと、言った。
「“すべては自分の責任です”」
太陽は顔をしかめた。
「……それだけ?」
「うん」
短すぎる。まるで、形式だけの遺書だ。
黒田が初めて口を開いた。
「警察は事件性なしだってさ」
太陽は神崎の家を見上げた。
二階の窓。カーテンが閉まっている。
「現場って」
三上が言った。
「二階の書斎」
そのときだった。
玄関のドアが開いた。中から一人の男が出てきた。
スーツ姿。刑事らしい。
「あなたたち」
低い声だった。
「友人の方ですね」
三上が答えた。
「はい」
刑事は頷いた。
「立ち入りは禁止ですが、少し話なら」
太陽はすぐ聞いた。
「本当に自殺なんですか」
刑事は少し考えてから答えた。
「状況的には。ですが」
刑事は言った。
「少し気になる点があります」
四人の視線が集まる。
刑事は続けた。
「遺書です」
太陽は息を止めた。
「遺書?」
刑事は言った。
「机の上にありました。ですが、封筒にこう書かれていました」
刑事はゆっくり言った。
『もし私が死んだら、この手紙を友人たちに読ませてほしい』
四人の空気が凍った。
太陽は言った。
「……友人って」
刑事は答えた。
「あなたたちです」
そして刑事はポケットから封筒を取り出した。
「今から読むつもりでした」
封筒は古びていた。
そして表には確かに書かれていた。
「太陽、三上、黒田、森川へ」
太陽の心臓が大きく鳴った。
刑事は封筒を開いた。中には便箋が一枚。
そして、そこに書かれていた文章は――
全員の予想を、完全に裏切った。
刑事は読み上げた。
「……これは」
刑事の声が止まる。
三上が言った。
「なんて書いてあるんですか」
刑事はゆっくり読んだ。
「もしこれを読んでいるなら、私は殺された」
全員が雷に打たれたように衝撃を受ける。
誰も動けなかった。
森川の声が震えた。
「……え?」
刑事は続けて読んだ。
「犯人は、この中にいる」
太陽は凍りついた。
この中? つまり――ここにいる四人の誰か。
刑事が最後の一行を読んだ。
「ただし、犯人は“密室”を作ることはできない」
誰も言葉を発しなかった。
ただ、太陽の頭の中に一つの疑問が浮かんでいた。
密室を作れない犯人。それなのに、部屋は完全な密室だった。つまり――
太陽はゆっくりと理解した。この事件は、誰かが嘘をついている。
しかも、ここにいる四人の中で。
神崎修司の書斎は、二階の奥にあった。
刑事――名を佐伯と言った。に案内され、太陽たちは階段を上がる。
木造の古い家らしく、階段はぎしぎしと鳴った。
二階の廊下の突き当たりに、問題の部屋がある。
「ここです」
佐伯はドアの前で立ち止まった。
ドアには、まだ黄色い規制テープが貼られている。
太陽はその扉を見つめた。
大学時代、何度か遊びに来たことがある家だ。
そのとき、この部屋に入った記憶もある。
だが、今はまるで別の場所のように感じられた。
佐伯は言った。
「中は、ほぼ発見時のままです」
テープを外し、ドアを開ける。
書斎は思ったより狭かった。
六畳ほど。
壁一面に本棚。
窓は一つ。
机と椅子。
そして、部屋の中央の床に――白いチョークの線が引かれていた。
人の形。
森川が小さく息を呑む。
「……ここで」
佐伯は頷いた。
「神崎修司さんは、この場所で倒れていました」
太陽はゆっくり部屋を見渡した。
違和感のある場所はない。
机の上にはノートパソコン。
その横に遺書。
椅子は少し後ろに倒れている。普通の自殺現場のように見えた。
だが、太陽の視線はドアに向いた。
ドアには、内側から鍵がかかるタイプのシリンダー錠がついている。
佐伯が説明した。
「第一発見者は、神崎さんの妹さんです。昼過ぎに家を訪ねたところ、返事がなかった。そしてドアが施錠されていた」
三上が聞いた。
「それで?」
「合鍵で開けたんです」
太陽が言った。
「合鍵?」
佐伯は頷く。
「妹さんが持っていました」
太陽は考えた。
つまり。
ドアは施錠。
窓も閉まっている。
中に神崎が倒れている。
典型的な密室だ。
佐伯は窓を指した。
「窓も確認してください」
太陽は近づいた。
古いアルミサッシ。鍵は内側のクレセント錠。しっかり閉まっている。
外を見る。二階の高さ。
すぐ下は庭だが、登るのは簡単ではない。
黒田が言った。
「完全に密室だな」
佐伯は言った。
「ええ。私たちもそう判断しています」
太陽は床を見た。
「死因は?」
「毒です」
森川が驚いた。
「毒?」
佐伯は頷く。
「睡眠薬の大量摂取」
三上が言う。
「自殺じゃないか」
佐伯は答えた。
「普通なら、そうです。ですが――」
佐伯は机を指した。
そこには、空の薬瓶が置かれていた。
「これが睡眠薬です」
太陽は眉をひそめた。
「処方薬?」
「はい」
太陽は床を見た。
そして言った。
「でも普通、毒って苦しいですよね」
佐伯は頷いた。
「ええ」
「苦しんだ形跡は?」
「ありません」
太陽は机に近づいた。
机の上には、遺書が置かれている。
あの短い文章の。
「すべては自分の責任です」
太陽は言った。
「……変だな」
三上が聞いた。
「何が?」
太陽は言った。
「遺書を書いて、毒を飲んで、机に薬瓶を置いて、そのあとここで倒れた」
太陽は床のチョークを見た。
「でも。椅子が倒れてる」
森川が言った。
「確かに」
佐伯は腕を組んだ。
「そこは我々も気になりました」
黒田が言う。
「どういう意味だ?」
太陽は椅子を指した。
「普通、毒を飲むなら、椅子に座ったままじゃない? わざわざ立ち上がる必要ない」
部屋が静かになる。
佐伯が言った。
「確かに」
太陽はさらに言った。
「それに、毒を飲んでから、机に瓶を戻す余裕あるかな」
三上が言った。
「……苦しいはずだしな」
佐伯は静かに言った。
「あなた、探偵みたいですね」
太陽は苦笑した。
「ただの会社員です」
佐伯は机を調べながら言った。
「実はもう一つ。奇妙な点があります」
太陽たちは顔を上げた。
佐伯は言った。
「鍵が見つかっていません」
一瞬、意味が分からなかった。
黒田が言った。
「……は?」
佐伯はドアを指した。
「このドア。内側から鍵がかかっていました」
太陽は頷いた。
「はい」
佐伯は続ける。
「ですが、部屋の中に鍵がない」
全員黙り込んだ。
森川が小さく言った。
「……え?」
三上が言う。
「ちょっと待て、鍵がないって」
佐伯は頷いた。
「見つからないんです。机にも。床にも。ポケットにも」
太陽の背筋が冷えた。
密室。
内側から施錠。
だが――鍵が消えている。
黒田が言った。
「おい。それって……」
佐伯は静かに言った。
「ええ、密室なのに、鍵が存在しない」
太陽は呟いた。
「……鍵のない密室」
佐伯は言った。
「そして、もう一つ」
佐伯は四人を見回した。
「神崎さんが亡くなったと推定される時間」
太陽は聞いた。
「いつですか」
佐伯は答えた。
「昨夜、9時から10時の間」
その瞬間。四人の空気が、変わった。
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