表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミステリー短編集  作者: 倉木元貴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/64

鏡の家の密室 最終話

 夕暮れはすでに終わり、鏡の家は夜の闇に沈んでいた。

 外壁に埋め込まれた鏡は、月明かりを拾って淡く光り、まるで家そのものが呼吸しているように見える。


 朝倉は玄関の前に立ち、静かに言った。


「ここで、すべてを確かめます」


 佐久間刑事と玲奈が後ろに続いた。

 玲奈は震える手を胸の前で組み、家を見つめていた。


「……父が、ここで」


「はい。白石教授は、この家を“遺書”として使いました」


 朝倉は玄関を押し開けた。

 廊下の鏡は、夜の光を受けて黒く沈んでいる。

 像はほとんど映らず、わずかな輪郭だけが揺れていた。


「白石さん。あなたが昨日、家の前まで来たとき――教授は鏡の前に立っていたと言いましたね」


「はい……」


「そのとき、教授は“誰かと一緒にいるように”見えませんでしたか」


 玲奈は困惑していた。しかし、少しだけ考え、首を振った。


「いいえ。父はひとりでした。鏡の前に立って……鏡の中を見つめていました」


「そうです。教授は“鏡の中の自分”を見ていたのです」


 朝倉は廊下を進み、リビングの扉を開けた。


 部屋の中は暗く、鏡が月光を反射して淡く光っている。

 遺体があった場所には、鑑識が置いていった白いチョークの線だけが残っていた。


 朝倉は部屋の中央に立ち、鏡の配置を見渡した。


「この部屋は、鏡の“迷路”です。像が歪み、位置が狂い、視界が混乱する。教授はこの部屋で、犯人の姿を“消した”」


 佐久間刑事が苛立った声で言った。


「だからその犯人ってのは誰なんだよ」


「白石玲奈さんです」


 玲奈は息を呑んだ。


「……私が?」


「はい。あなたは父を殺していません。しかし、教授はあなたを“犯人に見せかけるために”死を選んだのです」


 玲奈は震える声で言った。


「そんな……どうして……」


「教授は、あなたが家の前まで来たことに気づいていました。そして、あなたが父を憎んでいることも知っていた。だから――」


 朝倉は鏡のひとつに手を触れた。


「あなたが疑われることを“避けるために”、自分で死を選んだのです」


 玲奈は顔を覆った。


「そんな……そんなこと……」


 朝倉は静かに続けた。


「教授は、あなたが家に入ってこないように、鏡の前に立ち続けていました。あなたが窓越しに見たのは、“あなたを遠ざけるための姿”だったのです」


 佐久間刑事が眉をひそめた。


「だが、刺し傷はどう説明する」


「教授は、自分で刃に向かって倒れ込んだのです」


「自分で……?」


「はい。凶器は床に落ちていましたが、指紋は教授のものだけ。そして、刺し傷の角度は“自分で刺した”ときの角度と一致する」


 朝倉は鏡の裏の回転扉を押した。

 鏡がゆっくりと回転し、暗い空間が現れた。


「教授は、この回転扉の裏に立ち、鏡の歪みを利用して“犯人の姿を消す”実験をしていました。そして――」


 朝倉は扉の内側を照らした。


「ここに残っているのは、教授自身の足跡です」


 佐久間刑事は息を呑んだ。


「じゃあ……犯人はいなかった?」


「はい。教授は“犯人がいるように見せかけて”、自分で死んだのです」


 玲奈は震える声で言った。


「どうして……どうしてそんなことを……」


「あなたを守るためです」


 朝倉は静かに言った。


「教授は、あなたが父を憎んでいることを知っていた。しかし、あなたに“殺意はない”ことも知っていた。だから――あなたが疑われる前に、自分で死を選んだのです」


 玲奈は涙を流した。


「私は……父に何もしていない……ただ、会いに行っただけなのに……」


「教授は、それで十分だったのでしょう。あなたが家の前まで来た。それだけで、教授は“最後の決断”をしたのです」


 朝倉は鏡の文字を見た。


 ――犯人は映らない。


「この言葉は、犯人を告発するものではありません。教授は、犯人を“映さないようにした”。つまり――」


 朝倉は静かに言った。


「犯人は“存在しない”。教授は、自分の死を“鏡の家”に託したのです」


 玲奈は顔を覆い、声を震わせた。


「お父さん……どうして……」


 朝倉は答えなかった。

 代わりに、鏡の家全体を見渡した。


「白石教授は、鏡の家を“遺書”として残しました。鏡の配置、回転扉、歪む像。すべては、あなたを守るための仕掛けだったのです」


 玲奈は涙を流しながら言った。


「私は……父に何も返せなかった……」


「いいえ。あなたが家の前まで来たことが、教授にとっては“十分な答え”だったのでしょう」


 朝倉は静かに言った。


「白石教授は、あなたに憎まれたまま死ぬことを望まなかった。だから、自分で終わらせたのです」


 玲奈は泣き崩れた。

 佐久間刑事は帽子を脱ぎ、静かに頭を下げた。


「……なんて事件だ」


 朝倉は鏡の家を見つめた。


「事件ではありません。これは――“父から娘への最後の手紙”です」


 鏡の家は、夜の闇の中で静かに佇んでいた。

 その鏡は、もう何も映していなかった。




 数日後、鏡の家は取り壊された。

 鏡はすべて割られ、回転扉も撤去された。


 朝倉は最後に家を見上げ、静かに言った。


「鏡は、真実を映すものではない。人が“見たいもの”を映すだけだ」


 そして、家は静かに消えていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ