鏡の家の密室 第4話
白石玲奈は、鏡の家から少し離れた古い別荘にいた。
警察が事情聴取のために呼び出したのだが、彼女は抵抗することなく素直に応じた。
ただ、その表情にはどこか諦めのようなものが漂っていた。
佐久間刑事が椅子に座る玲奈を見て言った。
「白石さん。お父さんが亡くなった件で、いくつかお聞きしたい」
「……どうぞ」
玲奈の声は落ち着いていた。
悲しみの色は薄い。
しかし、冷たいわけでもない。
ただ、感情がどこか遠くに置かれているような声だった。
「まず、あなたは昨日の夜、どこにいましたか」
「家にいました。父とは別に暮らしていますので」
「誰か証明できる人は?」
「いません。ひとりでしたから」
佐久間刑事は眉をひそめた。
「つまり、アリバイはない」
「そうなりますね」
玲奈は淡々と答えた。
その態度が、逆に佐久間刑事の警戒心を煽った。
「お父さんとは、最近会っていましたか」
「いいえ。最後に会ったのは、一か月ほど前です」
「そのとき、何かトラブルは?」
玲奈は少しだけ目を伏せた。
「……父とは、昔からうまくいっていませんでした」
「理由を聞いても?」
「父の研究が、母を壊したからです」
佐久間刑事が顔を上げた。
「壊した?」
「母は、父の研究に協力していました。鏡像認知の実験に、何度も参加させられて……次第に、自分の姿が“自分ではない”ように感じるようになった」
玲奈は静かに続けた。
「母は、鏡を見るたびに怯えるようになりました。最後は、鏡をすべて割り、部屋に閉じこもって……そのまま、戻ってきませんでした」
佐久間刑事は言葉を失った。
朝倉は、玲奈の表情をじっと観察していた。
「白石さん。あなたは、父を憎んでいましたか」
玲奈は少しだけ考え、静かに答えた。
「……はい。でも、殺したいと思ったことはありません」
「本当に?」
「ええ。父は、母を壊した。でも、父自身も壊れていたんです」
玲奈は淡々と言った。
「父は、鏡の中の自分を信じられなくなっていました。鏡を見るたびに、何かを確認するように立ち尽くして……まるで、自分が“本当にそこにいるのか”確かめているみたいでした」
朝倉は静かに頷いた。
「黒瀬さんも、同じことを言っていました。教授は鏡の前で動かなくなっていたと」
「ええ。父は、鏡の中の自分を“疑っていた”んです」
玲奈は目を伏せた。
「だから、私は父を憎めませんでした。父は、母を壊した罪を背負いながら、自分自身も壊れていった。その姿を見るのは……つらかった」
佐久間刑事は腕を組んだ。
「だが、あなたには動機がある。父親を恨んでいた。そして、昨日の夜のアリバイもない」
「そうですね」
玲奈は淡々と認めた。
「でも、私は父を殺していません」
「証拠は?」
「ありません。でも、私は父の家には行っていません」
佐久間刑事は苛立ったように言った。
「行っていないと言われてもな。鍵は黒瀬さんが返したと言っている。教授はその後、家に戻った。あなたがその後に訪れた可能性は十分ある」
「……そうかもしれません」
玲奈は否定しなかった。
その態度が、逆に朝倉の注意を引いた。
「白石さん。あなたは、父の家の“鏡の配置”について知っていましたか」
「いいえ。父の家には、もう何年も入っていません」
「では、鏡の家が“実験装置”であることも?」
「知りませんでした。でも……父なら、やりかねません」
玲奈は静かに言った。
「父は、研究のためなら何でもする人でしたから」
朝倉は少しだけ目を細めた。
「白石さん。あなたは、父の家に行っていないと言いましたね」
「はい」
「しかし、鏡の家の前の山道には、“あなたの車と一致するタイヤ跡”が残っていました」
玲奈はわずかに目を見開いた。
「……そうですか」
「認めますか」
「行きました。でも、家には入っていません」
佐久間刑事が身を乗り出した。
「じゃあ、何しに行ったんだ」
「父に……会いに」
「会ったのか?」
「いいえ。家の前まで行って、引き返しました」
「なぜだ」
玲奈は静かに答えた。
「父が、鏡の前に立っていたからです」
佐久間刑事は驚いた。
「見たのか?」
「はい。窓越しに、父が鏡の前で動かずに立っているのが見えました。まるで、鏡の中の何かを見つめているように」
「声をかけなかったのか」
「かけられませんでした。父は……まるで、別人のようでした」
朝倉は静かに言った。
「白石さん。あなたは、父が“誰かと一緒にいた”ようには見えませんでしたか」
玲奈は少しだけ考え、首を振った。
「いいえ。父はひとりでした。鏡の前に立って……鏡の中の自分を見つめていました」
朝倉はゆっくりと息を吐いた。
「……そうですか」
玲奈は不安げに朝倉を見た。
「探偵さん。父は……誰かに殺されたんですか」
朝倉は静かに首を振った。
「いいえ。白石教授は、誰にも殺されていません」
「じゃあ……どうして」
「教授は、自分で死を選んだのです」
玲奈は息を呑んだ。
「そんな……父が……?」
「はい。教授は、鏡の家を“遺書”として使いました。鏡の配置、回転扉、歪む像。すべては、教授が自分の研究の“最終実験”として設計したものです」
玲奈は震える声で言った。
「じゃあ……私は……」
「あなたは、父を殺していません。しかし――」
朝倉は静かに言った。
「教授は、あなたを“守ろうとした”のです」
玲奈は目を見開いた。
「守る……?」
「はい。教授は、あなたが家に来たことに気づいていました。そして、あなたが“自分を憎んでいる”ことも」
玲奈は震える声で言った。
「私は……父を殺すつもりなんて……」
「わかっています。しかし、教授はあなたを“疑わせないために”、自分で死を選んだのです」
玲奈は顔を覆った。
「そんな……そんなこと……」
朝倉は静かに言った。
「白石さん。あなたは父を殺していません。しかし、教授の死には――あなたの存在が深く関わっています」
玲奈は涙を流しながら言った。
「私は……父に何をしてしまったんですか」
朝倉は答えなかった。
代わりに、鏡の家の方角を見つめた。
「――真相は、鏡の向こう側にあります」
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