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ミステリー短編集  作者: 倉木元貴


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鏡の家の密室 第3話

 鏡の家に戻ると、夕暮れの光が山の稜線を赤く染めていた。

 外壁に埋め込まれた鏡がその光を反射し、家全体が薄い炎に包まれたように見える。


 朝倉は玄関前で立ち止まり、鏡の表面を指で軽く叩いた。

 鏡はわずかに揺れ、内部に空洞があることを示していた。


「……やはり、家全体が“装置”だ」


 佐久間刑事が眉をひそめた。


「装置って、何のためのだ?」


「教授の研究のためです。鏡像認知の実験を行うために、家そのものを改造していたのでしょう」


「そんなことして何になる」


「教授にとっては、研究そのものが人生だったのでしょう」


 朝倉は淡々と言い、玄関をくぐった。


 廊下の鏡は、夕暮れの光を受けて赤く染まっていた。

 像が揺れ、歪み、まるで別人のように見える。


「……気味が悪いな」


 佐久間刑事が呟いた。


「鏡は本来、像を正確に映すものです。しかし、この家の鏡は“正確さ”を意図的に壊している」


「壊す?」


「はい。鏡の角度、距離、光の入り方……すべてが“誤認”を生むように設計されています」


 朝倉は廊下の鏡をひとつひとつ確認しながら進んだ。


「人間は、鏡に映る像を“自分の姿”として認識します。しかし、鏡が歪めば、その認識は簡単に崩れる」


「つまり、犯人の姿も歪んで見える?」


「そうです。犯人が鏡の前に立っていても、像が歪めば“そこに誰もいないように見える”。逆に、誰もいない場所に“人影があるように見える”こともある」


 佐久間刑事は腕を組んだ。


「そんなもんで、犯人の姿が消えるのか?」


「消えます。人間の視覚は、思っている以上に脆い」


 朝倉はリビングの扉を開けた。


 部屋の中は、すでに薄暗くなっていた。

 鏡が夕暮れの残光を拾い、壁に赤い影を落としている。


 朝倉は部屋の中央に立ち、鏡の配置を見渡した。


「……この部屋は、鏡の“迷路”です」


「迷路?」


「はい。鏡が互いに像を反射し合い、複雑な視界を作り出している。人間の位置感覚を狂わせるための配置です」


 佐久間刑事は呆れたように言った。


「教授はこんな家で生活してたのか?」


「生活というより、実験でしょう。教授は“鏡の中の自分”を観察し続けていた」


 朝倉は遺体が倒れていた場所にしゃがみ、床を指でなぞった。


「ここに血が落ちている。しかし、血の量が少ない」


「少ない?」


「はい。刺し傷の深さに対して、血の量が明らかに足りない。つまり――」


 朝倉は鏡のひとつを指差した。


「教授は、刺された直後に“移動している”」


 佐久間刑事が驚いた顔をした。


「移動? そんな余裕があったのか?」


「余裕ではありません。教授は“意図的に”移動したのです」


「なんのために?」


「鏡にメッセージを書くためです」


 佐久間刑事は鏡の文字を見た。


「“犯人は映らない”……か」


「はい。しかし、これはダイイングメッセージではありません」


「どういうことだ?」


「教授は、犯人を告発するために書いたのではない。“鏡の家の仕組み”を示すために書いたのです」


 朝倉は鏡の裏に手を伸ばし、回転扉を押した。


 鏡がゆっくりと回転し、暗い空間が現れた。


「この回転扉。外側からは開かない構造になっています」


「じゃあ、犯人は中に隠れていた?」


「その可能性は高い。しかし――」


 朝倉は扉の内側を照らした。


「ここには、誰かが立っていた痕跡がある。床にわずかな擦れ跡が残っている」


「犯人のものか?」


「いえ。これは“教授自身”のものです」


 佐久間刑事は目を見開いた。


「教授がここに入った? なんでそんなことを」


「教授は、鏡の家の仕組みを“自分で試した”のです。回転扉の裏に立ち、鏡の歪みを観察した」


「そんなことして何になる」


「教授は、自分の研究の“最終実験”をしていたのです」


 朝倉は鏡の裏の暗闇を見つめた。


「教授は、鏡の歪みが“人間の存在を消す”ことを確認した。そして――その仕組みを利用して、犯人の姿を隠した」


「犯人を隠した? 教授が?」


「はい。教授は犯人を守ろうとしたのです」


 佐久間刑事は言葉を失った。


「守る? 誰をだ」


「それはまだ言えません。しかし、教授は犯人を“告発するつもりはなかった”。むしろ――」


 朝倉は鏡の文字を見た。


「犯人を“救おうとした”のです」


 佐久間刑事は苛立った声を上げた。


「意味がわからん。教授は殺されたんだぞ? なんで犯人を救う必要がある!」


「教授は、犯人に殺されたのではありません」


 朝倉は静かに言った。


「教授は――“自分で死んだ”のです」


 佐久間刑事は息を呑んだ。


「自殺……だと?」


「はい。犯人は教授を刺していません。教授は、自分から刃に向かって倒れ込んだ」


「そんな馬鹿な……」


「馬鹿ではありません。教授は、鏡の家を“遺書”として使ったのです」


 朝倉は鏡の家全体を見渡した。


「鏡の配置、回転扉、歪む像。すべては、教授が自分の研究の“最終実験”として設計したもの。そして――」


 朝倉は静かに言った。


「教授は、犯人を“許していた”。だからこそ、自分で死を選んだのです」


 佐久間刑事は震える声で言った。


「じゃあ……犯人は誰なんだ」


 朝倉は答えなかった。

 代わりに、鏡の家の奥に視線を向けた。


「次に会うべき人物がいます。――白石玲奈しらいしれなさんです」

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