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ミステリー短編集  作者: 倉木元貴


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鏡の家の密室 第2話

 黒瀬紗月が事情聴取を受けていたのは、鏡の家から少し離れた山小屋だった。

 警察が臨時の控室として使っている場所で、暖房の効きが悪く、室内は薄寒い。


 紗月は椅子に座り、両手を膝の上に置いていた。

 白い指先がわずかに震えている。

 しかし、その表情には怯えよりも、どこか諦めに似た静けさがあった。


 佐久間刑事が机越しに言った。


「黒瀬さん、あなたが教授の助手で、唯一この家の鍵を持っていた。これは事実ですね」


「はい。教授から預かっていました」


「鍵は一本だけ?」


「ええ。合鍵は作らないように、と教授から厳しく言われていました」


 佐久間刑事はメモを取りながら、ちらりと朝倉を見た。


「つまり、密室を作れたのはあなただけだ」


 紗月は小さく首を振った。


「……違います。私は今日、研究室にいました。教授の家には来ていません」


「しかし、鍵を持っていたのはあなた一人だ」


「鍵は……昨日の夜、教授に返しました」


 佐久間刑事が顔を上げた。


「返した? 教授に?」


「はい。教授から“もう必要ない”と言われて」


「そのときの状況を詳しく」


 紗月は少しだけ目を伏せ、静かに語り始めた。


「昨日の夜八時ごろ、教授から研究室に呼び出されました。新しい論文の草稿を見せられて……その後、鍵を返すように言われました」


「理由は?」


「“研究の最終段階に入るから、もう誰も家に入れない”と」


 佐久間刑事は鼻を鳴らした。


「その言葉、どう思いました?」


「……正直、嫌な予感がしました。教授は最近、研究にのめり込みすぎていましたから」


「それで?」


「鍵を返して、私は研究室を出ました。教授はそのまま家に戻ったはずです」


「あなたは教授の後をつけた?」


「つけていません」


 紗月の声は淡々としていた。

 嘘をついているようには見えない。

 だが、佐久間刑事は納得していない様子だった。


「黒瀬さん。あなたには動機がある。教授とは最近、研究方針を巡って対立していたと聞いている」


「……確かに、意見の違いはありました。でも、それで教授を殺すなんてことは……」


「教授の研究が原因で、あなたは学会で批判された。その責任を教授に押しつけたと噂もある」


「噂です。事実ではありません」


 紗月はきっぱりと言った。

 その目には、怒りではなく、深い疲労が滲んでいた。


 朝倉は静かに口を開いた。


「黒瀬さん。あなたのアリバイを確認させてください。昨日の夜八時以降、どこにいましたか」


「研究室にいました。論文の修正作業をしていました」


「誰か目撃者は?」


「……いません。研究室には私一人でしたから」


 佐久間刑事が勝ち誇ったように言った。


「つまり、アリバイはない」


 紗月は唇を噛んだ。


「でも、私は本当に……」


 朝倉が手を上げ、佐久間を制した。


「黒瀬さん。あなたが研究室にいたという証拠は、何か残っていますか」


「パソコンの作業ログが残っているはずです。論文のファイルを編集しましたから」


「編集した時間は?」


「夜八時から、深夜一時ごろまで」


 佐久間刑事が眉をひそめた。


「深夜一時? ずいぶん遅くまでやってたんだな」


「教授に提出する期限が迫っていましたから」


 朝倉は静かに頷いた。


「パソコンのログが本物なら、黒瀬さんは教授を殺せません。教授の死亡推定時刻は、午後九時から十時の間ですから」


 佐久間刑事は不満げに言った。


「だが、ログなんていくらでも改ざんできる」


「黒瀬さんがそんなことをする理由はありません。彼女は自分の研究に誇りを持っている」


 紗月は驚いたように朝倉を見た。


「……どうして、そんなことがわかるんですか」


「あなたの論文を読んだことがあります。教授とは違う視点で、鏡像認知を扱っていた。あなたは教授の研究を否定していたのではなく、“別の可能性”を示そうとしていた」


 紗月は目を伏せた。


「……教授は、それを認めてくれませんでした」


「だからといって、殺す理由にはならない」


 朝倉は淡々と言った。


「黒瀬さん。あなたは教授を尊敬していた。たとえ意見が違っても、その根底は変わらなかったはずです」


 紗月は小さく頷いた。


「……はい。教授は、私にとって恩人でした」


 その声には、嘘がなかった。

 朝倉は椅子から立ち上がった。


「黒瀬さんは犯人ではありません。少なくとも、物理的に不可能です」


 佐久間刑事は不満げに腕を組んだ。


「だが、鍵は彼女が持っていたんだぞ」


「鍵は昨日の夜、教授に返したと言いましたね」


「ええ」


「そのとき、教授は何か変わった様子は?」


 紗月は少し考え、静かに言った。


「……鏡を見ていました」


「鏡?」


「研究室の鏡です。教授は、鏡の前でしばらく動かず……まるで、自分の姿を確かめるように」


 朝倉は目を細めた。


「鏡の前で、動かずに」


「はい。私が声をかけても、しばらく気づかないほどでした」


 佐久間刑事が呆れたように言った。


「なんだそりゃ。気味が悪いな」


 朝倉は静かに言った。


「黒瀬さん。教授は、鏡に何か言っていませんでしたか」


「……言っていました」


「なんと?」


 紗月は震える声で答えた。


「“映らないものがある”と」


 朝倉は息を呑んだ。


「……やはり」


「どういう意味だ?」


佐久間刑事が苛立った声を上げる。


「教授は、鏡に映らない“何か”を見ていたのです。それが、事件の核心です」


 紗月は不安げに朝倉を見た。


「探偵さん……教授は、何を見ていたんですか」


 朝倉は鏡の家の方角を見つめた。


「――犯人ですよ」


 紗月は息を呑んだ。


「でも、鏡に映らないなんて……」


「鏡に映らなかったのではありません。鏡が“映さなかった”のです」


 佐久間刑事が眉をひそめた。


「またその話か」


「鏡の家は、像が歪むように設計されています。教授はその歪みを利用して、犯人の姿を“消した”。あるいは――犯人自身が、その歪みを利用した」


 朝倉は静かに言った。


「黒瀬さん。あなたは犯人ではありません。しかし、あなたが鍵を返した“その後”に、教授の家を訪れた人物がいます」


「……誰ですか」


 朝倉は答えなかった。

 代わりに、ゆっくりと立ち上がった。


「鏡の家に戻りましょう。教授が最後に見た“映らない犯人”を探すために」

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