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ミステリー短編集  作者: 倉木元貴


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白い夜が、静かに明けていく

 深夜零時を少し回ったころ、山間の別荘地にある一軒家の前で、僕は車を止めた。

 雪は静かに降り続け、ヘッドライトに照らされて白い粒が舞っている。

 道路には僕の車のタイヤ跡しかない。まるで世界に僕ひとりだけが取り残されたようだった。


 この家は、大学時代の友人・三上悠人が所有している。

 彼から突然メッセージが届いたのは、昨日の夜だった。


「至急来てほしい。誰も信用できない。お前だけは、頼れる」


 普段は軽口ばかり叩く男が、こんな文面を送ってくるのは異常だ。

 電話をかけても出ない。既読もつかない。

 嫌な予感がした僕は、仕事を放り出して車を走らせた。


 玄関の前に立つと、家の中は真っ暗だった。

 呼び鈴を押しても反応はない。

 鍵は、かかっていなかった。


 僕はゆっくりと扉を押し開けた。


 冷たい空気が流れ出し、同時に、鉄の匂いが鼻を刺した。


 リビングに入った瞬間、僕は息を呑んだ。


 白いフローリングの上に、赤い点がひとつ落ちていた。

 それは雪のように静かで、しかしあまりにも鮮烈だった。


 点はひとつではなかった。

 奥の部屋へ向かって、点々と続いている。


 僕は震える指でスマホを取り出し、ライトをつけた。

 光が照らした先に、人影が倒れていた。


 ――三上悠人。


 彼はうつ伏せで倒れ、背中のあたりが赤く染まっていた。

 雪のように白い床に、赤が広がっている。


 僕は駆け寄り、肩を揺さぶった。


「悠人……!」


 返事はない。しかし、かすかに胸が上下している。


 生きている。


 僕は安堵しつつも、すぐに異変に気づいた。彼の手のそばに、一枚の紙が落ちていた。


 そこには震える文字で、こう書かれていた。


「犯人は――」


 その先は、血で滲んで読めなかった。


 救急車を呼ぼうとしたが、スマホは圏外だった。

 この別荘地は冬になると電波が弱くなる。車で山を下りれば通じるが、悠人を置いていくわけにはいかない。


 僕は家の中を確認することにした。犯人がまだいる可能性がある。


 しかし、どの部屋も荒らされた形跡はなかった。窓はすべて内側から鍵がかかっている。

 玄関も、僕が来たときには鍵が開いていたが、内側のチェーンは外されていた。


 つまり――犯人は、悠人が倒れる前にこの家を出ている。


 だが、雪の上には僕の車のタイヤ跡しかなかった。

 徒歩で逃げたとしても、足跡が残るはずだ。


 外に出て確認したが、足跡はひとつもなかった。


 では、どうやって?


 僕は寒気を覚えた。

 雪は嘘をつかない。

 だが、嘘を隠すことはできる。


 悠人をソファに移し、応急処置をしていると、彼のスマホが震えた。

 画面には、未読のメッセージがひとつ。


 送り主は「S」。


 内容は短かった。


「もうすぐそっちに行く」


 僕は背筋が凍った。

 犯人が戻ってくるというのか。


 そのとき、玄関のドアノブがゆっくりと回る音がした。


 僕は咄嗟にライトを消し、息を潜めた。


 扉が開く。雪の冷気が流れ込む。

 足音が、ひとつ。

 僕はキッチンに置いてあった包丁を握りしめた。


「……誰だ」


 返事はなかった。

 代わりに、静かな声が聞こえた。


「悠人は……?」


 その声に、僕は包丁を下ろした。


「……沙耶?」


 入ってきたのは、悠人の婚約者・佐伯沙耶だった。


 沙耶は震えながら言った。


「悠人から、助けてってメッセージが来たの。でも、途中で電波が切れて……」


 彼女のスマホには、確かに悠人からのメッセージが残っていた。


「誰かが家にいる。逃げられない。助けてくれ」


 僕のところに来たメッセージとは違う。僕には「お前だけが頼れる」と送られていた。

 なぜ、内容を変えたのか。


 僕は沙耶に尋ねた。


「悠人に恨まれるような相手に心当たりは?」


 沙耶は首を振った。


「……でも、ひとつだけ。悠人、最近ずっと怯えてた。“雪が全部を消す”って……」


 その言葉に、僕はある違和感を思い出した。


 ――雪の上に、足跡がなかった。


 僕は玄関の外に出て、雪をライトで照らした。

 真っ白な地面。足跡はない。

 だが、ふと気づいた。雪の厚みが不自然に均一なのだ。


 まるで、誰かが――足跡を消すために、雪を撒いたように。


 僕はスコップを取り、玄関前の雪を掘り返した。


 数センチ掘ったところで、固いものに当たる。


 それは、スノーダンプだった。雪かき用の大きな道具だ。

 そして、その上には――血のついた靴跡がくっきり残っていた。

 犯人は、足跡を消すために雪を撒き直したのだ。


 では、その犯人は誰か。


 僕は家の中に戻り、沙耶を見た。


「……沙耶。君は、どうやってここまで来た?」


 沙耶は一瞬だけ目を伏せた。


「歩いて……」


「嘘だ。歩いたなら、足跡が残る。でも外には、僕の車の跡しかなかった」


 沙耶は唇を噛んだ。


「……違うの。私は……」


 そのとき、ソファに横たわる悠人が、かすかに声を漏らした。


「……沙耶……逃げろ……」


 沙耶の顔が、凍りついた。


「悠人は気づいてたんだよ。君が、家に入ってきたことに」


 僕の言葉に、沙耶は震えた。


「違う……私は悠人を助けに来ただけ……!」


「じゃあ、なぜスノーダンプを使って足跡を消した?」


 沙耶は崩れ落ちた。


「……私じゃない。私が来たときには、もう雪が均されてたの……!」


 では、誰が?


 僕は悠人の書きかけのメモを思い出した。


「犯人は――」


 その文字の筆跡は、震えていた。

 しかし、ひとつだけ確信できることがあった。


 ――あの文字は、悠人の筆跡ではない。


 僕は沙耶を見た。


「悠人は、書ける状態じゃなかった。あのメモを書いたのは……別の誰かだ」


 沙耶は息を呑んだ。


「じゃあ……誰が……?」


 僕はゆっくりと答えた。


「――僕だよ」


 沙耶の表情が凍りつく。


「……どういうこと……?」


 僕は包丁をテーブルに置いた。


「悠人は、僕に“お前だけが頼れる”と送ってきた。でもそれは、助けを求めたんじゃない。告白だったんだよ。“お前だけが、俺を殺せる”って意味の」


 沙耶は震えた声で言った。


「まさか……あなたが悠人を……?」


「違う。僕は悠人を殺していない。でも、悠人は――自分で死のうとした」


 沙耶は息を呑んだ。


「そんな……」


「彼は追い詰められていた。仕事も、借金も、君との結婚も。全部から逃げたかった。でも、自殺だと保険金が出ない。だから“他殺に見せかけた自殺”を計画した」


 僕は続けた。


「僕を呼んだのは、犯人役に仕立てるためだ。でも、僕は気づいた。だから、メモを書き換えた。“犯人は――”の先を、わざと滲ませた」


 沙耶は涙を流した。


「じゃあ……足跡を消したのは……?」


「悠人自身だよ。外に出て雪を撒き直し、戻ってきて自分を刺した。僕が来る直前にね」


 沙耶は崩れ落ちた。


「そんな……そんなことって……」


 悠人は意識を取り戻し、弱々しく笑った。


「……ごめん……沙耶……全部……終わらせたかった……」


 沙耶は泣きながら彼の手を握った。


「終わらせない……! あなたがどんな状態でも、私は……!」


 僕は静かに立ち上がった。


 雪は、外でまだ降り続いている。白い世界は、すべてを覆い隠す。真実も、嘘も、罪も。

 だが、雪が止めば、すべてが露わになる。


 僕は玄関の扉を開け、冷たい空気を吸い込んだ。


「……沙耶。悠人を連れて、山を下りよう。まだ間に合う」


 沙耶は涙を拭き、うなずいた。僕たちは、雪の中を歩き出した。


 白い夜が、静かに明けていく。

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